彷徨う騎士 6
ジュリエッタ・ロマニエ伯爵令嬢は、王宮の部屋割りが右から十番目の妃候補だ。
藍色の髪に黒い瞳の十七歳。昨日、食堂でベリンダを陥れるような発言をして、ミレーユと喧嘩をした三人の妃候補のうちの一人だった。
先ほど聞こえた悲鳴はジュリエッタのもので、フランシスによると、彼女はフランシスの部屋の近くの廊下でへたり込んで泣いていたという。
二階の西にあるフランシスの部屋には、彼がエルシーの部屋で休んでいたから見張りの騎士はいなかった。
フランシスの左右隣りの部屋には空室で、中央階段を挟んで西側の一番奥にはスチュワートの私室がある。二階には妃候補たちの部屋はなく、スチュワートとフランシス、それから騎士の中でも身分の高いコンラッドとクライドの部屋があるだけであとは空室だ。そのため、フランシスがエルシーの部屋にいるから、護衛の騎士はスチュワートの部屋の前に一人いるだけの状態だった。
それなのに、ジュリエッタは一人の騎士がフランシスの部屋から出るのを見たらしい。騎士はジュリエッタがいた中央階段の方角へは来ず、廊下の突き当りに向かって走って行ったという。
城には中央階段のほかに、東西の奥にも階段があるので、その階段を使ったのだろうと推測できた。
ジュリエッタの証言によると、騎士は兜を身に着けていたという。
ここにいる間、フランシスが王都から連れてきた第四騎士団の騎士たちには、甲冑などの重たくて無粋な装備品を身につけなくてもいいと伝えてあったので、鎧や兜を身に着けているというのはいささか不思議な話だった。
ジュリエッタは暗がりではっきりとは見えなかったと言ったけれど、目にした騎士が身に着けていたのは兜だけで、鎧は身に着けていなかったらしい。鈍色に光る抜身の剣を握りしめていたそうだ。
「剣……ですか」
エルシーは青くなった。
「ああ。ジュリエッタによると、騎士がよく使う長剣ではなく、短剣だった気がすると言っていたが、ジュリエッタはランタンも持っていなかったし、そのあたりの記憶は曖昧だろう。何しろ彼女はひどく怯えていて、冷静ではいなかったからな」
フランシスは泣きじゃくるジュリエッタを駆けつけてきたクライドとコンラッドに任せて、エルシーの部屋に戻って来たらしい。
「俺はこれからまた戻らなくてはならないが、ジュリエッタが見たという騎士の正体がわからない以上、くれぐれも部屋から出ないでくれ。お前のことだ、礼拝堂に入れないとわかっていても建物のそばまで行こうとするだろう? すまないが今日は我慢してほしい」
礼拝堂へ行けないのは残念だったが、そう言う事情ならば致し方ないだろう。
エルシーが頷けば、フランシスは小さく笑って、エルシーの頭を撫でると部屋から出て行った。
そのころには窓の外の空もだいぶ明るくなってきて、ほとんどフランシスと入れ替わりでメイドのマリニーがやってきた。何やら騒がしいので、彼女たちもいつもより早く目が覚めたらしい。わざわざお茶を用意して、様子を見に来てくれたようだ。
「不審者が出たと聞きましたが、大丈夫でしょうか?」
マリニーは、朝早くにメイド長から、不審な人物を見かけたらすぐに知らせるようにと言われたらしい。何があったのか詳しくは知らないそうだが、不安そうな顔をしていた。
「昨日様子を見に行ったときにエマが戦女神様の呪いだと怯えていましたけれど、本当に、何が起こっているのでしょうか」
エマというのはミレーユ・フォレス伯爵令嬢の部屋付きメイドだった少女で、クラリアーナの事件のあとにララと同じように身柄が拘束されて、一階の部屋に閉じ込められている。
メイドたちは手が空いた時間に、ララやエマに食事を運んだり、気晴らしに話し相手をしに行ったりしているようで、マリニーは昨日の夕方、エマの部屋に食事を届けに行ったときに少し話をしたらしい。
エマが戦女神の呪いだと怯えていると聞いて、エルシーは首をひねった。
ララは戦女神の伝承は村に伝わっていると言っていたけれど、エマも知っているのだろうかと思っていると、どうやらエマはララと同じ村の出身だそうだ。
マリニーは戦女神の伝承については、多少聞き及んだことがある程度で、あまり詳しくないらしく、エマが何に怯えているのかはわからなかったという。
戦女神と聞いて思い出したのは、ララが言っていたことだった。確かララは、戦女神の騎士がよそ者を刈ると言っていた。だから夜はしっかり戸締りをして、窓辺にラベンダーをつるさなくてはならない、と。
(まさか、ね)
ジュリエッタは騎士を見たという。だが、それだけで騎士が戦女神の騎士と決めつけるのは早計だ。しかし、仮にもしその騎士が戦女神の騎士だったならば、誰の命を刈り取りに来たのだろう。そこまで考えて、エルシーは震えた。
ジュリエッタが騎士を見たのはフランシスの部屋の近くだという。
ジュリエッタが何故二階にいたのかはわからないが、二階の西の部屋を使っているのはフランシスとコンラッド、そしてクライブの三人だけだ。
(陛下を狙って……? でも、陛下はこの国の国王陛下で、よそ者なんかじゃないわ)
この古城も、王家の持ち物だ。王族――国王であるフランシスのものと言い換えてもいい。だから女神の騎士の狙いがフランシスであるはずがないのだ。
けれども一度覚えた不安は、インクの染みのように胸の中に広がっていく。
(礼拝堂に行きたい。グランダシル様にお祈りしたい)
いつもグランダシル神が守ってくれている。そう信じているけれど、エルシーのよりどころである礼拝堂は封鎖され、グランダシル神の像は壊されてしまった。
エルシーは胸の前で手を組むと、ぎゅっと目を閉じる。
(しっかりしないと。もしこれが本当に戦女神様の起こしたことならば、このままだったらみんな危ないかもしれないのよ。どうしたら戦女神様のお怒りが静まるか考えないといけないわ)
ララならば、戦女神の怒りを鎮める方法を知っているかもしれないし、知らなくても何か手掛かりになるようなことがわかるかもしれない。
部屋に閉じこもっていて怯えているだけでは、何も解決しないはずだ。
(そうよ。早くイレイズ様やララを解放してあげるって決めたんだもの。二人が犯人ではないと証明しないといけないの。わたくしはシスター見習いなんだから、神様の呪い一つで縮こまっていたらいけないのよ、エルシー!)
エルシーは自分の頬をパンっと両手で叩いて、気合を入れた。
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