彷徨う騎士 7

 エルシーの部屋を出たフランシスは、いったん自分の部屋に戻ることにした。

 二階の部屋の前まで行くと、ジュリエッタを彼女の部屋に戻したコンラッドとクライドの姿がある。エルシーが心配だったので、クライドには彼女の部屋の警護の戻るように告げて、フランシスはコンラッドとともに部屋に入ろうとし――眉を寄せて動きを止めた。


(鍵が開いている)


 昨夜、エルシーの部屋へ向かうときに扉を施錠したはずだった。鍵はフランシスのポケットに入っている。念のため部屋着の胸ポケットを確かめたが、金色の鍵は確かにここにあった。

 フランシスはドアノブから手を放して、ドアノブと鍵穴を確かめた。スペアキーはあるが、それは城の執事が管理している。生真面目な執事がフランシスの部屋を無断で開けるとは思えない。


「壊されている。見てみろ」


 フランシスは鍵を確かめてから、コンラッドに向かって指さした。

 この城は古く、使われている部屋の鍵も同じように年代物だ。それゆえ、作りが簡単なうえに、壊そうと思えば簡単に壊せる。

 フランシスの部屋の鍵は、刃物か何かで壊された痕跡があった。


「陛下、部屋の中を確かめますのでお下がりください」


 コンラッドが警戒した声で言って、慎重に扉を開け、隙間から中を確かめたあとで部屋の中に身を滑り込ませた。ややして、コンラッドは大きく部屋の扉を開けて、異常はありませんと首を横に振る。

 フランシスも部屋の中を確認したが、荒らされた痕跡はどこにもなかった。

 念のため一つ一つを確かめながら部屋の中を一周したフランシスは、ベッドのそばに小さな血痕が落ちていることに気が付いて足を止める。


「誰かが部屋に入ったのは間違いなさそうだ」

「……鍵を壊したときに怪我でもしたのでしょうか?」

「かもしれないな」


 フランシスが頷くと、コンラッドはすぐに動いた。近くにいた騎士を呼び止め、十人ほど騎士を集めてくるように命じる。誰かが部屋に侵入したとなると、毒殺を狙った線なども考えて、部屋を隅々まで確認しなくてはならない。


「部屋を移った方がよさそうだな」

「そのようですね。すぐに別の部屋を用意します」

「ああ」


 この部屋の確認と、別の部屋の用意が済むまで部屋を出ていてほしいと言われて、フランシスは護衛の騎士を二人ほど連れて庭に降りることにした。

 庭を散歩していると、ハーブ園にスチュワートの姿を見つけた。ハサミを手にしているから、またラベンダーを取りに来たのだろう。


「おはようございます、叔父上。またラベンダーですか?」

「ああ。部屋につるそうと思ってね」


 フランシスは目をパチパチとしばたたいた。


「叔父上ともあろう人が、まさか戦女神の呪いを?」

「信じているわけではないが、魔除けのようなものだ。……クラリアーナの部屋にな」


 ああ、なるほど、とフランシスは頷いた。

 スチュワートは昔からクラリアーナを実の妹のように可愛がっている。彼女に毒が盛られ、ベリンダが行方不明になり、今朝不審者が現れたとなれば、スチュワートがクラリアーナを心配するのは当然だった。


 スチュワートが丁寧にラベンダーを摘んでいくのを眺めていたフランシスは、ふと、その奥に見える礼拝堂に視線を向けた。

 グランダシル神の像が破壊されているのを見つけてから、立ち入り禁止の札を立て、周囲をロープで囲んでいる。かわりの像は発注しているが、何分大きな像なので、仕上がるのに時間がかかるだろう。


 しかし気になるのは、何故わざわざあの重たい石像を壊したか、だ。考えられることと言えば、石像を盗み出そうとして誤って倒してしまったかだが、果たして見るからに重たい石像を盗もうとする人間がいるだろうか。


 我が国シャルダンでは神への信仰を強制していない。昔はそれこそ各地でそれぞれ違う神を信仰しており、国も取り締まることなく自由にしていた。そして今でも信仰は自由意志に任せている。


 そんな中、グランダシル神の信仰がシャルダンで爆発的に増えたのが、各地にグランダシル神の礼拝堂が建設されはじめたときからだった。

 それまで結婚式は各地の邸でひっそりと行われてていたのだが、それが礼拝堂で行われるようになり、一気に数が増えたのだ。


 礼拝堂が増えると、壮麗な作りのその建物に足を運ぶ人間が増えるもので、自然とグランダシル神はシャルダンで一番信仰されている神になった。

 礼拝堂の建立とともに、もともとグランダシル神を信仰していて人間が各地に修道院を建てはじめ、行けとし生ける子を愛するというグランダシル神の教えのもと、身寄りのない子供や、貧困などの理由から親元で育てられない子供などを集めて孤児院の真似事をはじめた。


 国としても、そう言った慈善活動は推奨すべきものだったので、運営を許可して補助金を出した。その結果、修道院で育った子らが各地でグランダシルの教えを説き、さらにグランダシル神の信仰が増え、今に至る。


 そう言った経緯で、グランダシル神の信仰者が増えたため、国としても彼らを取り込んだ方が政としてもうまくいくと、城をはじめとする王家ゆかりの地にも礼拝堂を建てさせたのが六代前の国王だった。

 それゆえ、この場所にも礼拝堂があるのだが、当初、戦女神の信仰が残っていたこの地に礼拝堂を建ててグランダシル神の像を置くことに抵抗があったのも事実らしい。


(だが、あの事件が起こってからは逆に、戦女神を恐れるがゆえにグランダシル神にすがるようになった、か)


 ララの発言があるまで。この地の戦女神信仰とグランダシル神の関係については、フランシスはさほどの興味も覚えていなかった。

 グランダシル神の礼拝堂が各地にあるのは今では当たり前になっていたから、戦女神を信仰していたこの地にそれがあっても何ら不思議に思わなかったからだ。


「叔父上、今から百五十年ほど前にこの地で起こった事件を知っていますか?」

「事件?」


 スチュワートが訝し気に眉を寄せた。


「この地が戦に巻き込まれたのは何百年も前のことだろう?」

「戦のことではありません。百五十年前……六代前のユリシス国王の時代に、この地で妃候補の毒殺事件が起こっているんです。ララが語っていた戦女神の呪いの真相ですよ」

「は?」


 スチュワートは目を点にした。

 無理もない。フランシスも知らなかったのだ。百五十年前のこの事件は王家の黒歴史として箝口令が敷かれ、闇に葬られていたからだ。歴史書にも載せられていない。しかし、百五十年前の話とは言え、探せば口伝えに知っている人間はいるもので、当時この城で執事を務めていた男の末裔から話を聞くことができた。


 百五十年前、ユリシス国王は十三人の妃候補を連れてこの地へ避暑にやってきていた。

 そんなある日、十三人の妃候補たちは庭でお茶会を開いたそうだ。その日ふるまわれたのはラベンダーティーで、ラベンダーティーが苦手なユリシス国王は参加しなかったという。


 ラベンダーティーと一緒に蜂蜜が出され、たった一人の妃候補を除いて全員がラベンダーティーに蜂蜜を落として飲み、そして死んだ。蜂蜜に毒が混入されていたのだ。

 残った一人の妃候補はショックで倒れ、その日の記憶の一切を忘れてしまったという。一時は彼女が犯人と疑われたが、彼女はたまたま蜂蜜のアレルギーを持っていて、事件には何の関係もなかった。


 犯人は妃候補につけられていた侍女の一人で、ユリシス国王がたわむれに手を出した女性だった。

 妃候補が全員消えれば、自分が妃になれると勘違いした侍女が、戦女神の呪いを装って犯行に及んだらしい。


 犯人の侍女は捕えられて処刑され、残された一人の妃候補がユリシス国王の唯一の妃となった。

 これが、ララが怯えながら語った戦女神の呪いの真相だ。

 ユリシス国王がこの事件に関して箝口令を敷いたから、噂が独り歩きして、戦女神の呪いとして語り継がれていたのだろう。


「そんなことがあったのか」


 スチュワートはラベンダーを摘む手を止めて、じっと抱えているラベンダーの束を見下ろした。

 百五十年前のその事件から、この地に住む人々は戦女神を恐れるようになった。それゆえ、戦女神の呪いから身を守ってくれる新しい神として、グランダシル神を受け入れたのだ。

 だから、この地に住む人間は、グランダシル神に対して反発を抱いていないはず。フランシスが、グランダシル像を盗もうとして誤って破壊してしまったのではないかと推測するのはそのためだ。戦女神の呪いから我が身を守ってくれるグランダシル神の像を破壊したがる人間はいないだろう、と。


「では、ララの言っていた騎士の話はどうだ」

「あれはもっと単純ですよ。戦時中にこの城に忍び込んだ敵兵が捕えられて公開処刑されたことがあるんです。その際、騎士が敵兵の首を切り落とし、見せしめもかねて城の前でさらしたそうで、おそらくですけど、その話がもとになっているのではないかと思いますよ」

「なるほどな。昔の事件が戦女神の伝承と一緒に語られることによって真実から遠ざかって行ったわけか」

「まあ、各地に残る伝説や伝承なんて、どれもこんなものでしょうけどね。いろんな話が混ざると、思わぬ方向に転ぶものですよ」

「では今回の件はどう見る?」


 スチュワートに真顔で訊ねられて、フランシスは指先でこめかみを押さえた。


「まだ何とも。不可解すぎますからね」


 走り去る騎士を見たというジュリエッタは、フランシスがエルシーの部屋にいることを知らず、彼の部屋に忍び込もうとしていたらしい。そこに殺意などはなく、単純にベッドにもぐりこんでさも既成事実があったかのようにふるまうつもりだったと言うからあきれるしかない。

 ジュリエッタには部屋での謹慎を言い渡したが、ほかの妃にも危険を回避するため不用意に部屋を出るなと伝えてあるから、あまり意味をなさない罰かもしれなかった。


「しかし、騎士か……。そう言えば、兜をかぶっていたそうだな」

「ジュリエッタの証言を信じるならばそうですね。でも、騎士たちの誰も兜を盗まれたものはいませんでしたからね。暗がりで見間違えただけではありませんか?」

「そうかもしれないが……」

「どうかしたんですか?」


 思案顔になったスチュワートに、フランシスが首を傾げる。

 スチュワートはラベンダーを持っていない方の手を顎に当てて、視線を落とした。


「いや……、ふと城に飾っていた騎士の鎧のことを思い出しただけだ」

「ああ、あの」


 フランシスは嫌な顔をした。子供のころのフランシスは、あの古びた鎧が本当に怖くて、見るたびに泣いてはスチュワートに揶揄われていたことを思い出したのだ。


「まだあったんですか、あれ」

「さすがに処分はしていないだろう。どこかに納めてあるはずだ。念のため確認させよう」

「今回の事件には関係ない気もしますけど、まあ、叔父上がそうしたいならどうぞ」


 子供のころの嫌な思い出もあって、フランシスはあまり気乗りがしなかったが、スチュワートは何かが引っかかるのだろう。ならば叔父に任せておけばいい。

 スチュワートと話している間に、フランシスの新しい部屋の準備が整ったようだ。騎士の一人が呼びに来たので、まだラベンダーを摘むと言っているスチュワートを置いてフランシスは城に戻った。

 ベリンダの手掛かりもないところに加えて、フランシスの部屋には正体不明の侵入者。クラリアーナに毒を盛った犯人もわからない。


(重大な何かを見落としているような気がするんだが……、わからない。参ったな。よし、エルシーに会いに行こう)


 もやもやしているときは、エルシーの顔を見るに限る。

 昔と変わらない子供のような純真な顔を見ていると、心がすーっと落ち着くのだ。

 フランシスは新しい部屋を確認し終えたらエルシーの部屋へ向かおうと決めて、急ぎ足で城へ戻った。

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