シスター見習いは神様の敵を許しません 8

(こちら側? ……こちら側って、どちら側?)


 理解できないエルシーが首をひねっている間に、礼拝堂の中に入ってきたクラリアーナがフランシスのそばまで歩いてきて、艶然と微笑んだ。


「美味しそうなものを食べられていますわね」


 クラリアーナに会ったのは今日で三回目だが、過去二回の時のような、他者を威圧するような雰囲気はどこにもなかった。

 フランシスは自慢げに口端を持ち上げた。


「ああ。……やらんぞ」

「取り上げたりいたしませんわ。フランシス様のお気に入りですものね」


 そう言いつつ、クラリアーナの視線がエルシーに向く。にこりと微笑みかけられたので、エルシーもつられてにこりと微笑み返した。

 食べかけのアップルケーキを口の中に押し込んだフランシスは、もぐもぐと咀嚼して飲みこむと、状況を理解できないエルシーにもわかるように順を追って説明してくれた。


 まず、クラリアーナだが、彼女は妃候補の一人として王宮に入りながらも、ほかの妃候補たちの素行や性格に問題点がないか探る立場にあったそうだ。書類だけではわからない妃候補本人たちの中身を調べるためだという。

 公爵令嬢でフランシスのはとこという、一番やっかみを受ける立場で、わざと傲慢にふるまい妃候補たちを挑発するのがクラリアーナの仕事で、それによって妃候補たちがどのような反応をするのか、逐一フランシスに報告をあげていたらしい。

 一人だけ率先して礼拝堂の掃除を行っているエルシーのことも、クラリアーナは怪しんでいたそうだ。クラリアーナにはじめて会った日、彼女が礼拝堂へ向かっていたのは、そこになにか不審な点がないかどうかを調べるためだったらしい。


「本当に礼拝堂を掃除したいだけだったようなので、とんだ拍子抜けでしたけれど。……まさか犯人を捕まえるために張り込みまではじめるなんて、フランシス様から聞いた時は本当に驚きましたのよ」


 そう言って、クラリアーナは笑う。

 あれほど他言しないでほしいと言ったのに、フランシスはセアラが「エルシー」であることを、クラリアーナにはばらしてしまっていたらしい。

 エルシーがむっと唇を尖らせると、フランシスは悪びれもせずに、「クラリアーナは口が堅いから大丈夫だ」という。随分信頼しているようだが、それならば先に教えてくれればよかったのにと思わないでもない。

 この礼拝堂を荒らした犯人についても、実はクラリアーナが目星をつけていたそうだ。

 クラリアーナは一度フランシスに視線を向けて、彼が頷くのを確認すると、犯人について教えてくれた。


「アイネ・クラージ様ですわ」


 アイネ・クラージと言われてすぐにはピンとこなかったけれど、そう言えばお茶会の席で見た人だと思い出す。赤毛に栗色の瞳をした小柄な伯爵令嬢だ。


「あの方のことは前から目をつけていましたのよね。王宮のルールを破って、ズルをして実家からドレスや宝石などを送らせていたようですし。アイネ様の侍女二人の報告と事実に差異が生じていましたから、あの二人の侍女はアイネ様に買収されたとみてよさそうでしたし」


 クラリアーナはほっそりとした指を顎に当てた。


「そうして見張っていたら、不審な人間が出入りをはじめたので、もしやと思いましたのよ。最初は妃候補たちの暗殺や毒殺を警戒したのですけれど、さすがにそこまでの度胸はなかったみたいで、実際のところは小さな嫌がらせの類ばかりでしたけどね」


 クラリアーナによると、アイネの罪は礼拝堂に泥をまき散らしたことだけではなかったらしい。ほかの妃候補の庭にゴミを散乱させたり、家の中に虫を入れたりと、地味な嫌がらせをさせていたという。


「まあ、十五歳の子供が考えることですから、その程度なのでしょうけど」


 そう言ってクラリアーナが胸を張ると、ざっくりと開いた胸元がぷるんと揺れた。相変わらず胸がでかい。

 フランシスはクラリアーナの胸元にちらりと視線を向けて、はーっと息を吐いた。


「ドレスと言えば、お前のそれは何とかならないのか。いくら何でも露出過多だ」

「あら? 文句は受け付けませんわよ。与えた布地でドレスを作れと命じたのはフランシス様ですもの。それが嫌ならそんな命令を出さなければよかったではありませんか」

「…………お前がそんなに派手なものを作るとわかっていたら命令は出さなかった。おかげでブリンクリー公爵から娘のドレスをどうにかしろと苦情の嵐だ」

「協力する代わりにこのくらいの自由は許してくださってもいいでしょう? 家にいたらお父様がうるさくって、シスターみたいな野暮ったい服ばかり用意されるのですもの」


 クラリアーナが笑うと、フランシスがぐったりと額を押さえた。

 フランシスはなんだか疲れた顔をしているが、エルシーはクラリアーナが作ったというドレスに釘付けだ。本当にすごい。プロ並みだ。じっくり見せてもらえないだろうかとじーっと見入っていると、クラリアーナが不思議そうな顔をした。


「どうかしまして?」

「いえ……すごいドレスだなと思って。どうやったらこんなにすごいものが作れるんでしょうか?」

「まあ!」


 エルシーが真剣な顔をして訊ねれば、クラリアーナが華やかな声を出した。


「このドレスの良さがわかるなんて、エルシー様はいい方ね! よろしくってよ。今度作り方を教えて差し上げますわ」


 これにはフランシスがギョッとした。


「ふざけるな! エルシーにそのような露出過多のドレスを着せるつも!?」


 確かに、エルシーの淋しい胸元では、クラリアーナが着ているようなデザインのドレスは着こなせないだろう。自分の胸を見下ろして何とも言えない気持ちになっていると、クラリアーナが細い眉を跳ね上げた。


「文句は受け付けませんわよ。自分で服を作れと命じられましたけれど、デザインの禁止はございませんでしたもの! 今更つけ加えるような真似をなさったら、わたくし、陛下の協力者を辞退させていただきますわ。その場合は諦めて、陛下自身がお妃様候補のもとへ通って判断なさることね。……ただ顔を見に行くだけでは、きっとすまないでしょうけれど」

「ぐ……」


 フランシスが悔しそうに唸ると、クラリアーナは勝ち誇ったようにふふんと鼻を鳴らした。

 フランシスは息をつくと、気を取り直したように言った。


「まあいい、ドレスについては目をつむる。だからお前は引き続き妃候補たちの動向に目を光らせていろ。……エルシーに近づいたイレイズ・プーケットは大丈夫なのか?」

「イレイズ様は大丈夫ですわ。ただ、あの方はいずれお妃候補から自ら外れると思いますけど」

「そうなのか?」

「ええ。イレイズ様のお心は別の殿方にありますからね。あの方は陛下なんて眼中にございませんわ。よかったですわね」


 フランシスは微妙な顔をして、「そう言うことならまあいい」と言ったが、本当にいいのだろうか、イレイズが他の誰かを想っているということにも驚いたけれど、彼女はフランシスの妃候補なのだから、フランシスとしては残念がるところのような気がする。


「引き続きほかの妃候補たちを見張って、ふるい落とせるならガンガン落としていけ」

「それはかまいませんけれど……、本当によろしいの?」

「当り前だ。王太后みたいな女を妃に据えればろくなことにならん」


 エルシーは自分の母親をあしざまに言うフランシスに驚いた。

 クラリアーナが悲しそうに目を伏せる。


「フランシス様、何度も申しますが、王太后様は――」

「俺も何度も言っただろうが、何を言われようと俺はあの女は信用しない」


 フランシスはクラリアーナの言葉を遮って、この話は終わりだと、アップルケーキの入った籠を持って立ち上がった。


「いつまでもここにいる必要はないだろう。エルシー、部屋の前まで送って行こう。クラリアーナ、お前はどうする?」

「わたくしは大丈夫ですわ。外に侍女を待たせていますから。……では、エルシー様。ごきげんよう」


 クラリアーナは嘆息すると、フランシスに一礼して、エルシーに微笑みかけたあとで礼拝堂を出て行った。

 エルシーもブランケットを持って立ち上がると、籠と竹ぼうきを器用に片手で持ったフランシスが右手を差し出してくる。

 エルシーが手を握ると、フランシスはエルシーの手を、まるで壊れ物のようにそっと握って歩き出す。

 部屋の前まで戻ると、フランシスはエルシーに竹ぼうきを返し、それからアップルケーキの入った籠を掲げて見せた。


「これはもらって言っていいか? 籠は今度返すから」


 フランシスは本当にアップルケーキが好きらしい。

 かまいませんと頷けば、フランシスは笑ってエルシーの頭を撫でると「また来る」と言って歩いて行く。


(……また来る?)


 礼拝堂の見張りは終わったはずなのに、「また来る」とはどういうことだろうかとエルシーは不思議に思ったけれど、もう礼拝堂が荒らされることはないのだと安心したら眠くなってきて、深く考えずに玄関をくぐった。


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