身代わりの妃候補 2
慌ただしいことに、王宮に入るのは修道院から出て十日後のことだった。
王都までの移動に三日かかるため、ケイフォード伯爵家でできた淑女教育は本当に付け焼刃。
母だという人はエルシーにさほどの興味もないようで、「セアラが王宮に入ったあと恥をかないよう細心の注意を払いなさい」と冷ややかに注意をされた。
セアラは十一年ぶりに会う双子の姉と、そして姉が育った修道院に興味津々で、あれやこれやと質問してくる。顔立ちは似ているが、エルシーよりも少しふっくらしていて、のんびりした性格をしていた。
顔の痣はエルシーが想像していたよりもひどくて、右目の上から下まで大きく広がっている。よほど強くぶつけたのだろう。
何でも、飼い猫を追いかけて階段を駆け下りた際に足を滑らせて転がり落ちたそうで、顔以外にも、足や腕や肩など、あちこちに痣があるらしい。
「ねえ、エルシー、手紙を書いてもいい?」
セアラが痣を作ったせいで、エルシーはこんな面倒なことに巻き込まれているというのに、彼女はお気楽にそう訊ねる。
それを聞きつけたヘクターが「駄目に決まっているだろう!」と怒鳴ったけれど、怒鳴られてもセアラは平気な顔をして「わたくしだってばれなければいいんでしょ? 侍女の名前を使うから大丈夫よ」などと言って、父親をやりこめていた。
侍女は王宮で用意されるため、身一つで嫁がなくてはならないらしい。
なんでも、初対面である侍女たちをうまく使えるかどうかも、妃選びの重要なポイントの一つだそうだ。将来人を従えられる器かどうかを測るらしい。
(お貴族様って大変なのね)
そんなことを考えて言着て行かなければならないなんて、修道院で育ったエルシーには考えられない。
人を使うよりも一緒に仕事をした方が楽しいに決まっている。
「セアラの痣も、一、二か月もすれば治るだろう。それまで頼んだぞ」
ヘクターにそう見送られて、王宮からの迎えの豪華な馬車に乗り込んだ。
物語でしか知らないような優美な曲線を描く馬車には、四頭の白馬がつながれている。四人の護衛騎士もいて、王宮でエルシー付きになるという二人の侍女も一緒に迎えに来ていた。
エルシーが馬車に乗り込むと、にこりともせずに二人が頭を下げる。
「はじめましてお妃様。わたしくしはダーナ、隣がドロレスでございます」
そう言ったダーナは、黒髪に黒い瞳のキリリとした印象の女性だった。年は二十三だという。隣のドロレスは赤茶色の髪に茶色の瞳で、どことなくおっとりしている。こちらは十七歳だそうだ。
エルシー――いや、セアラはまたお妃候補で、「お妃様」ではないのだが、候補は全員「お妃様」と呼ばれるそうだ。
「ここから三日間かけて王宮へ向かいます。この間、王宮のしきたりなどをご説明いたしますから覚えてください」
キリッとした顔でダーナが言った。
「わかりました、お願いしますね」
エルシーが頷けば、ドロレスがくすりと笑う。
「まあ、お妃様。わたくしたちに敬語を使ってはいけませんわ」
そう言うものなのか。二人ともエルシーより年上なのに、敬語で話してはいけないというのは少し緊張する。
「そ、そうなのね。わかったわ」
戸惑いつつも頷けば、ひとまずは及第点がもらえたらしい。「その意気ですわ」とドロレスが頷く。
ダーナによると、王宮は国王陛下の居住場所である城の裏手に、回廊でつながれた十三棟の建物があり、そこが妃候補の住処になるそうだ。
妃候補は国内の貴族令嬢から選ばれて、一年間それぞれ与えられた棟で暮らす。
城への出入りは基本的には禁止されており、王が認めた際や、城で茶会が開かれる際などにのみ入ることが許されるという。
そのほかについては特に決まりはなく、自由にすごしていいそうだ。
里帰りを望むなら、三か月に一度、一週間だけ認められるらしい。
(つまり、セアラと入れ替わるのは里帰りの時を狙うしかないってことね)
ヘクターが言うには一、二か月で痣も消えるだろうとのことなので、最初の里帰りの時に入れ替われそうだ。思ったよりも早く修道院に帰れそうである。
エルシーはホッとして、説明してくれたダーナに「どうもありがとう」と言うと、ちょっと不思議そうな顔をされた。
「ご質問はございませんか? 陛下のことなどお知りなりたいのでは?」
「ううん、大丈夫」
エルシーは身代わり。王の妃にはなれないし、なるつもりもないから、国王のことを訊ねても仕方がない。それは入れ替わったあとセアラがする仕事だ。
「本当にほかにお聞きになりたいことはございませんの? 例えば、ほかのお妃様のこととか……」
ダーナがなおも訊ねて来るから、ないわと首を横に振ろうとして、ふと訊きたいことを思いついた。
そうだ、どうしても確認しておかなければならないことが一つあった。
「聞きたいことがあるわ」
エルシーがそう言うと、あれほど質問がないのかと促していたにもかかわらず、ダーナがすっと険しい顔をした。
どうしてそんなに怖い顔をするのかわからなかったけれど、エルシーはかまわず訊ねる。
「ねえ、王宮の礼拝堂はどこにあるのかしら? 自由に出入りして大丈夫?」
ダーナはぱちぱちと目をしばたたいた。
「…………はい?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます