エピローグ
――俺はお前が好きだ。エルシー。
揺れる馬車の窓ガラスに、あの時のフランシスの顔を思い描いて、エルシーは「はあ」と何度目になるかわからないため息をついた。
フランシスは昨日、一足先に城へ向けて出立して、一日置いてエルシーも王宮に戻るために馬車に乗り込んだが、出発して一時間も経たないのに、エルシーはずっとこの調子だ。
クラリアーナはエルシーと一緒に戻りたがったので、エルシーの乗っている馬車の前を走る馬車に乗っている。
エルシーと同乗しているダーナとドロレスは、互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「お妃様、どうなさったんですか?」
エルシーが再びセアラの身代わりとして王宮に戻ることになったため、ダーナたちもエルシーの呼び方を「お妃様」に戻していた。だが、どうしてだろう、これまで何とも思わなかったのに、「お妃様」と呼ばれると何とも言えない複雑な気持ちになってしまう。
「なんでもないわ」
エルシーは笑ったけれど、それは自然な笑顔になっていただろうか。
(陛下は何を考えているのかしら……)
正妃の座をあけておくとフランシスは言った。フランシスの妃はエルシーだけだと。けれどもエルシーは修道院育ちで、短い間、妹の身代わりはできるかもしれないが、正妃になんてなれるはずがない。
(好きなんて言われても……困るわ)
フランシスのことは好きだ。しかしそれは人として。
神様のお嫁さんになると決めて生きてきたエルシーは、異性と結婚する可能性を排除して来た。異性に恋をしたこともなければ、誰かに好きと言われたこともない。
(でもどうして断れなかったのかしら……)
はっきりと、シスターになってグランダシル神のお嫁さんになるのだと言えばよかったのに、どうしてか何も言えなかった。
ただ黙り込むエルシーに、フランシスは「答えは出さなくていい」と言った。
――さっきも言ったが、俺はいつまでも待つつもりだ。お前がいつか、俺の側に来たいと思ってくれるまで待つ。
こんなことを言われたら、エルシーに逃げ道はないではないか。
(どうしてわたくしなのかしら……)
フランシスだって、エルシーが国王の妃に向かないことくらいわかっているはずだ。元子爵令嬢だったカリスタから、テーブルマナーや教養などは教わったことはあるけれど、エルシーができるのはせいぜいセアラの身代わりだけ。
クラリアーナはフランシスの正妃にはならないと言ったが、それこそ国王陛下の正妃にはクラリアーナのような女性が相応しい。
(わかっているのに、どうしてはっきり断れないの?)
フランシスの顔を思い出すと、胸のあたりがもやもやして、チクチクして、ぎゅうっと締め付けられるように苦しい。
こんなこと、フランシスから好きだと言われる前には起こらなかった。
「ねえダーナ、ドロレス。なんだかね、このあたりが変だわ」
「まあ、ご気分が悪いんですか? 馬車を停めて休憩いたしましょうか」
「……うん」
休憩したところで胸の中の複雑な違和感が晴れるとは思えなかったが、エルシーが頷けば、ダーナが御者台に続く窓へ向けて指示を出してくれた。
外にいるクライドがクラリアーナを乗せた馬車にも連絡を入れてくれて、この先にある茶屋の前で停めてくれるという。
馬車が停まると、エルシーは馬車を降りて茶屋の中に入った。先に馬車を降りていたクラリアーナがすでに店の中にいて、エルシーを手招く。
「今日のケーキはアップルケーキですってよ」
クラリアーナがそう言った瞬間、エルシーはふと、幼いころの思い出の断片を思い出した。
――エルシー。もし僕がただのフランになったら……エルシーは僕のお嫁さんになる?
エルシーはその言葉に、確か――
(『わたしは、ここから出たらだめだから、死ぬまでこの中で生きていくの。誰も、わたしをここから出してはくれないから……』)
そしてフランシスは、いつか修道院から出してくれると、約束をくれた。ぽろぽろと泣くエルシーを、抱きしめて、何度も。
優しい優しい――どこまでも優しかった「フランお兄ちゃん」。
(でも、わたくしは――)
あの頃の優しい思い出のまま、フランシスの手を取ることは、今のエルシーにはできなくて――
(好きなんて、言わないでほしかった)
フランシスの手を取ることもできないのに、彼を拒絶することもできなかったエルシーは、この先どうしていいのかもわからない。
ただ言えることは――あの日から、フランシスとの関係が少し、だが確実に、変わってしまったということだけだった。
【WEB版】幼少期に捨てられた身代わり令嬢は神様の敵を許しません(書籍タイトル:元シスター令嬢の身代わりお妃候補生活 ~神様に無礼な人はこの私が許しません~) 狭山ひびき@広島本大賞ノミネート @mimi0604
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