真実 3

 午後になって、エルシーはフランシスを探して歩き回っていた。

 コンラッドがフランシスに用があるらしいのだが、昼食後、姿が見えなくなったという。

 フランシスはエルシーより一足早く帰ることになっていて、明日の朝には出発する。帰る前にどこか見ておきたいところでもできたのだろうかと思ったが、このあたりはどこまで行っても田舎の風景なので、国王陛下が特別面白く感じるものはない気がする。


(どこに行ったのかしら?)


 修道院の中にはいなかったので、外だろうか。だが、フランシスが護衛を誰も連れず不用意に外を歩き回るとは思えない。となると――

 エルシーはもしかしたらと、礼拝堂へ向かってみた。

 修道院の隣の礼拝堂の扉を開けると、案の定、祭壇の前にフランシスの後ろ姿が見える。

 声をかけようと礼拝堂に一歩足を踏み入れた瞬間、エルシーは妙な既視感を覚えた。


(そう言えば……陛下がここに到着した日も、同じような感じがしたわ)


 どこか懐かしいような、不思議な感じ。

 悲しいわけではないのに、なぜか心の奥が震えるような気がして、エルシーは礼拝堂の入口に立ち尽くした。

 しばらくそうしていると、ふと、フランシスが背後を振り返って目を丸くする。そして、ふわりと微笑んだ。


「なんだ、もう見つかったか」


 その言葉を聞いた瞬間、エルシーの頭の中で何かが弾けたような音がした。


 ――なんだ、もう見つかっちゃったのか。


 フランシスの姿に、もう一人、別の誰かが重なって見える。


 ――かくれんぼではエルシーには勝てないな。


 そうして優しく微笑んでいたのは、十歳前後の少年の姿で……。


「フラン……お兄ちゃん?」


 ほとんど無意識につぶやいたエルシーに、フランシスの方が驚いた顔をした。


「思い出したのか?」


 思い出したのかどうなのかと問われればわからない。あの頃のエルシーは幼くて、はっきりとは覚えていないのだ。ただ、短い間だけれど、エルシーに優しくしてくれた男の子のことは何となく記憶の隅のあたりに引っかかっていて、忘れかけていたそれを、たまたま微かに脳裏の片隅をよぎっただけのこと。思い出したというほど、思い出したわけではない。


(……でも、そう……陛下、ここにいたことがあるってケイフォード伯爵に言っていたけど……フランお兄ちゃんが陛下だったのね……)


 これでしっくりきた。フランシスがエルシーのことを知っていて、エルシーに親切にしてくれていた理由。幼いころのエルシーを知っていたから、彼はエルシーを気にかけてくれていたのだ。

 フランシスに手招かれて、エルシーはゆっくりと彼に近づく。


「その顔は、あまり覚えていないという感じだな」

「……ごめんなさい」

「いい。エルシーは小さかったから仕方がない」


 そう言うけれど、フランシスは淋しそうな顔をする。

 フランシスはエルシーの右手をそっと握って、小さく口端を持ち上げた。


「昔、ここでエルシーに約束したことがあるんだが、その様子だとそれも覚えていなんだろう?」

「はい……」


 フランシスとすごした時間は、楽しかったと記憶している。だけど、何が楽しかったのか、彼との間にどんな思い出があるのかは思い出せない。

 フランシスはちょっと考えるそぶりをして、それから小さな声で言った。


「……きっと、が、エルシーをそこから出してあげるから…………。そんな約束をしたんだが、今のお前にはもう、この約束は必要ないんだろうな。お前はもう、ここでの生き方を見つけて、ここで生きていくと決めているようだから……こんな約束はむしろ、邪魔になるだけかもしれない」

(そんな約束、してたの……?)


 エルシーが幼かったころのことだ。死ぬまでここから出ることはできないと知っていたエルシーは、ここから出してくれる誰かを切望した。それは顔を見せない父親だったかもしれないし、母親だったかもしれないし、ほかの誰かだったのかもしれないけれど、誰に縋ったのかは覚えていなくて――、ただ誰かに「誰もここから出してくれない」と言って泣いた記憶だけはある。

 カリスタもシスターたちも優しくて温かかったけれど、家族から引き離されたばかりの幼いエルシーには、ここが優しい牢獄に思えて仕方がなかった。

 今ではそんな昔の悲しみも寂しさもすべて消化できていて、ここで暮らしていくことに何の悲観もないけれど、幼いころは違ったのだ。


(わたくし……陛下に縋ったのね……)


 優しいお兄ちゃんなら、エルシーを連れて行ってくれるかもしれないと、あの頃のエルシーは思ったのかもしれない。

 そしてフランシスは、そんなエルシーに約束をくれた。十年という時間の中で、エルシーはすっかり忘れてしまっていたのに、フランシスは覚えていた。


(国王陛下が、修道院に捨てられた孤児との約束を覚えているなんて……びっくりね)


 でも、自分はほとんど覚えていないのに、忘れないでいてくれたことがとても嬉しい。


「エルシーが望むなら、俺は今でも、お前をここから出してやりたいと思っている。幼かったころと違って、今ならあの時の約束を果たすこともできるが……どうする?」

「……わたくしの家は、ここです」

「そうだな。お前はそう言うと思っていた」


 フランシスは、握ったエルシーの右手に視線を落として、ゆっくりと目を閉じる。そして大きく深呼吸をして、顔をあげた。


「だから俺は、昔の約束の代わりに、一つ決意表明をしようと思う」

(決意表明?)


 改まってどうしたのだろうかとエルシーが首を傾げると、フランシスはびっくりするほど真剣な顔をした。


「俺は、お前の口から、ここを出て俺のそばで生きたいと言わせてみせる」

「……え?」

「正妃の座はあけておく。それが一年後だろうと、十年後だろうと、絶対に、どんな手段を用いてでもあけておく。俺には、お前以外考えられない。俺の妃になれるのはお前だけだ」


 エルシーは大きく目を見開くと、息を呑んで固まった。

 そんなエルシーの頭を撫でて、フランシスは笑った。


「俺はお前が好きだ。エルシー」



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