シスター見習いは神様の敵を許しません 6

「それで、お前はいったいいつまで礼拝堂の見張りを続けるつもりなんだ?」


 エルシーが礼拝堂の見張りをはじめて五日目。

 エルシーの隣に座ったフランシスが、アップルケーキを食べながら訊ねてきた。

 いつまで、と訊かれてエルシーは首を傾げる。


「礼拝堂を汚した犯人が捕まるか、もう汚されないと確信が持てるまでです」

「…………つまり、確信が持てなかったらずっとここで寝起きするつもりか?」

「はい」


 エルシーが当然だと頷くと、フランシスが大げさなため息を吐いた。

 一つ目のアップルケーキを平らげて、ハンカチで手を拭いたあと、フランシスがエルシーに向かって手を伸ばしてきたから思わずうしろに身を引いたけれど、長椅子の背もたれにぶつかってすぐに行き場を失う。

 フランシスはエルシーの目元に触れて、覗き込むように顔を近づけてきた。


「目の下に隈がある。眠れていない証拠だ」


 それを言うならフランシスもではないのか。フランシスは毎夜礼拝堂を訪れては、エルシーに付き合って一晩過ごし、明け方夜がまだ暗いうちに帰っていく。

 エルシーもフランシスも、それぞれ別の長椅子に横になって眠りにはつくけれど、フランシスだってろくに眠れていないのは一緒のはずだ。

 そう指摘すれば、フランシスは小さく笑った。


「俺はお前と違って頑丈だからな」


 そう言えば、フランシスの一人称が「私」から「俺」に変わったのはいつだっただろうか。……エルシーがセアラではなく「エルシー」だとばれてすぐに言い方が変わった気がする。


(……今更だけど、どうして陛下はわたしが『エルシー』だってわかったのかしら?)


 そもそもエルシーを知っていること自体が謎だった。自分の妃候補のことだから怪しいところがないか調べさせていたのだろうか。

 それに、たまに感じる微かな違和感。何故だろう、フランシスに会ったのは王太后のお茶会の時がはじめてのはずなのに――ずっと昔から知っているような、変な感覚を覚える時がある。


 フランシスが指の腹で軽くこするように目の下を撫でるから、エルシーはちょっぴりどきどきしてきてしまった。近づきすぎだと思うのだが、国王陛下と妃候補の距離はこんなものなのだろうか。グランダシル様が見ているのに困る。


「少し寝た方がいい」


 フランシスはそう言うと、畳んでおいてあったブランケットを広げ、そして――


「――――――!?」


 エルシーは息を呑んだ。

 フランシスがエルシーの肩に手を回したかと思えば、ぐいっと自分の方に向かって強く引いて、ハッとしたときにはエルシーはフランシスの膝に頭を乗せる形で横になっていたからだ。

 エルシーの頭を膝に乗せたフランシスは、広げたブランケットをエルシーの体にかけて、ぽんぽんと頭を撫でる。


「寝ろ」


 命令に慣れた声がそう言うけれど、とてもではないがこの体勢で寝られるはずがなかった。

 しかし、逃げようにも、フランシスの手のひらがエルシーの額の上に置かれているので逃げられない。それどころか、なだめるように頭を撫でられて、どうしてこんなことになっているのだろうかと、エルシーは何度も自問した。……答えは出てこなかったけれど。


 フランシスがじっと、綺麗なエメラルド色の瞳で見下ろしてくるから、いたたまれなくなってエルシーはぎゅっと目を閉じる。

 目を閉じると、あれだけ眠れるはずがないと思っていたのに、急激に眠気が襲ってきた。

 頭を撫でてくれるフランシスの手が温かい。


(なんだか昔……誰かに同じようなことをされた気がするわ……)


 あれは、誰だっただろうか。顔も名前も思い出せない。


「おやすみ、エルシー」


 ――おやすみ、エルシー。


 フランシスの声が、顔も名前も思い出せない誰かのものと重なった気がした。

 微睡みの中で――白い靄のかかった夢の中で、誰かが、言う。


 ――もし僕が父上のあとを継がなくてよくなったら……。


 あれは誰だったろうか。

 夢の中でエルシーは手を伸ばしたけれど、白い靄の奥にいる誰かには届かない。


 ――もし僕がただの『――』になったら……、エルシーは僕のお嫁さんになる?


 あのときエルシーは、なんて答えただろうか。

 エルシーが言った答えにあの男の子は泣きそうにぐしゃりと顔をゆがめて、エルシーをぎゅっと抱きしめた。


 ――大丈夫だよ。きっと僕が君をそこから出してあげるから……。


 ああ、思い出せない。思い出せないけれど、思い出したい気がするけれど――これ以上は、思い出してはいけない気がする。


「エルシー」


 フランシスの声が遠くで聞こえる。


「エルシー。……あの時の約束は、必ず果たすよ」


 約束? ……フランシスとかわした約束は、口止め料にアップルケーキを焼くことで――それ以外に、何か、あっただろうか?

 夢現でそんなことを考えながら、本格的にエルシーが眠りに落ちかけた、その時だった。


 ギィ……、と微かな物音がしてエルシーはハッと飛び起きた。

 フランシスも弾かれたように背後を振り返る。

 エルシーは礼拝堂の入口に誰かの人影を見た気がした。けれども、エルシーが声を上げるよりはやく、その「誰か」が慌てたように踵を返す。


「ま――」


 反射的に追いかけようとしたエルシーの手をつかんで、フランシスが声を張り上げた。


「不審者だ、捕えよ!!」


 その数秒後、礼拝堂の外で「うわあ!」という野太い悲鳴が上がった。

 フランシスは立ち上がり、「ここにいろ」と言ってエルシーの頭をポンと撫でて、一人で礼拝堂の外へ向かう。

 寝起きで頭がぼんやりしているエルシーは、ぱたんと閉まった礼拝堂の扉を、ただただ黙って見つめ続けた。

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