ダニエルの旅立ち 3

(あれは……)


 ダニエルは窓から外を眺めて、昨日まではなかった馬車を見つけるとぎゅっと眉を寄せた。

 高級感のある黒塗りの馬車だ。荷馬車でも辻馬車でもない。明らかに貴族のものであるとわかるその様子に、ダニエルは妙な不安を覚えた、


(参拝か? いや……)


 礼拝堂に用があったとしても、こんなに朝早くに訪れるのはおかしい。

 窓の外を睨んでいると、コンコンと部屋の扉が叩かれた。

 返事をすると、扉の外からエルシーの声がする。いつもニコニコ笑っている、あの可愛らしいシスター見習いだ。それでいて、箒一つで猪や熊、果ては泥棒相手に立ち向かおうとした、なかなか肝が据わっているというか、信じられないくらい無鉄砲な少女である。


「おはようございますダニエルさん! これから洗濯をするんで、洗濯物があればお預かりしますよ!」


 ダニエルが扉を開けると、修道服の上にエプロンをつけた姿のエルシーが立っている。


「おはようございます、エルシーさん。洗濯物は大丈夫ですよ。……それより、お客様ですか?」

「お客……ああ! そうなんです! よくわかりましたね! ごめんなさい、うるさかったですか?」

「いえ、窓の外に馬車が停まっているのが見えて」

「なるほど! 馬車も移動してもらわないといけませんね。あそこに停めたままだと邪魔になるでしょうし、馬たちもゆっくりできませんから、あとで裏にでも移動してもらいますね」

「移動ということは、しばらく滞在されるんですか?」

「らしいです。騎士さんなんですけど、えーっと、なんでも隣の領地から囚人さんが脱獄したらしくて、それを追っているそうですよ」

「騎士……」

「あっ! 大丈夫ですよ! 騎士さんって言っても怖い方じゃないので!」


 エルシーはダニエルを安心させるように笑って、もし洗濯物が出たら洗い場まで持ってきてくださいねと言いながら去っていく。

 ダニエルはもう一度窓の外を見下ろして、険しい顔で同じ言葉をつぶやいた。


「……騎士」



     ☆



「それで、囚人さんはこのあたりに逃げて来ているかもしれないんですか?」


 エルシーが洗濯物を干していると、なぜかフランシスがやって来た。

 カリスタがシスターや子供たちにしばらくフランシスとコンラッドが滞在することを告げて、それぞれ部屋に荷物を運び終わったあとのことだ。


 ダニエルに指摘された馬車は裏庭に回してもらった。馬たちも馬車から離されて、裏庭につながれてのんびりしている。昼から隣の梨園に行って、馬たちに草を食べてもらう予定だ。梨園には草がたくさん生えていて、抜いても抜いてもすぐに増えるので、馬たちが食べてくれると大変助かる。

 洗い終わった洗濯物を、修道院の前庭のロープに干して行きながら、エルシーはフランシスとのんびりと会話を楽しんでいた。


「監獄の監視員が言うには、その可能性が高いとのことだ」

「その囚人さん、危ない人なんですか?」

「どうだろうな。監視員が言うには真面目でおとなしい囚人だったそうだが、逃げ出したくらいだ、安心はできない」

「じゃあ、子供たちにあまり遠くまで遊びに行かないように言っておかないと」


 子供たちに何かあったら大変だ。それでなくとも、つい先日泥棒騒ぎがあったばかりなのに。


(泥棒……あ!)


 エルシーは洗濯物を干す手を止めてフランシスを振り返った。


「そう言えば二日前に泥棒に入られたんです!」

「なに⁉」

「残念ながら取り逃がしちゃったんですけど、その泥棒さんたちが脱獄した囚人さんってことはないですか?」

「たち、ということは一人ではなかったんだろう? 逃げた囚人は一人だが……その可能性もゼロではないか。というか、ちょっと待て、エルシー。今、取り逃がしたと言わなかったか? まさか捕まえるつもりだったのか⁉」

「はい。でも三人いて、無理でした」

「当り前だ! お前、また危ないことをしたのか!」

「大丈夫ですよ。箒がありましたから」

「だからどうして箒をそれほどまでに信用しているんだ! 箒だぞ?」

「そうですよ? 殴られたら痛いじゃないですか」


 しかし三人相手ではさすがに無理があった。危うく反撃されるところだったと言えば怒られる気がしたので、エルシーはもちろん黙っておく。


「最初は猪か熊かと思ったんですけど、泥棒だったんです」

「……まさかとは思うが、猪や熊に箒で立ち向かうつもりだったのか?」

「はい」

「バカなのかお前は!」


 フランシスが目をつり上げて、エルシーは「どうして怒るんだろう?」と首をひねった。


「だって猪や熊が修道院に入ったら、子供たちが危ないじゃないですか」

「そういう問題なのか⁉」

「他に問題がありますか?」


 エルシーが真顔で返すと、フランシスが顔を覆ってため息をついた。


「お前は頼むから、もう少し冷静に物事を考えてくれ。猪や熊などを相手にしたら、大怪我をするだけではすまないぞ」

(あれ? なんだか泥棒よりも猪や熊の方が問題ある言い方じゃない?)


 何故だろう。解せぬ。三人の泥棒より猪や熊の方がまだましな気がするのが、もしかしてそれはエルシーだけなのだろうか。


「箒を振り回したら、驚いて逃げると思いますけど……」

「逃げるどころか向かってくるに決まっているだろう! ネズミじゃないんだぞ⁉」

「そうなんですか⁉」


 熊はさすがにまずいかなとは思ったが、猪も箒では怯んでくれないのか。何たる誤算。


「ちょっと目を離しただけで、どうしてお前はこう……」

「すみません。箒で太刀打ちできないとは思いませんでした……。今度から、猪相手には鍬を持ってきます!」

「そういう問題ではない!」

(じゃあどういう問題なのかしら?)


 鍬もダメなのだろうか。だが、それ以上に強力な武器は思いつかない。


(猟師さんは、罠とか、縄とかで猪を捕獲するみたいだけど、そんな器用なことはできないわ)


 だから、エルシーが使えるものの中で鍬が一番安全で強力だと思う。

 泥棒三人から無事に修道院を守り通した武勇伝を語るはずが、なぜかフランシスに怒られる羽目になった。

 あまり口答えをするとフランシスがもっと怒りそうな気がしたので、エルシーはしゅんと肩を落として素直に謝罪する。


「その……ごめんなさい」

「ことの重要性をきちんと理解していない気がするが、本当にわかっているのか?」

「……えっと、猪には箒と鍬もダメってことですよね?」

「そこだけか⁉」


 フランシスが唖然として、エルシーは困惑した。ほかに何かポイントがあっただろうか。

 フランシスは腕を組んで仁王立ちになった。


「いいかエルシー。今後、一人で突っ走って危ないことに首を突っ込まないように!」

「わかりました!」

「……本当か?」

「はい。危ないことには首は突っ込みません」


 大丈夫だ。エルシーも自殺志願者ではない。危険だと思ったら首は突っ込まない。


(今までも、自分でどうしようもできないと思ったことに首を突っ込んだことはないわ!)


 大丈夫だと思ったことにしか首は突っ込まない。エルシーは昔からそうだから、何の問題もない。

 エルシーの「大丈夫」認識を危ぶんでいるらしいフランシスは怪訝そうな顔で「本当に理解したのか?」と首をひねったが、エルシーが真面目な顔で「大丈夫です」と繰り返すとそれ以上追及はしてこなかった。


(今度、猟師さんに猪を撃退する方法を教えてもらってこよっと)


 実際のところフランシスの言うことをこれっぽっちも理解していないエルシーは、能天気にそんなことを考えた。

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