第48話 五人とひとりとサマーキャンプ 5章

 バタバタと慌ただしく帰宅した土曜日から一晩明けて、日曜日。美羽子を除いた俺達いつもの五人は、桜木さんのマンションで、いつものように勉強会をしていた。

 知り合って最初のうちは、あまり頻繁に訪ねても悪いなと遠慮していたのだが、休みになると「レパートリーを増やしたくて」と新作料理の試食をしてほしいと連絡が来る。比企に訊くと、どうも俺達の訪問を楽しみにしているらしく、休みの前には夜から料理やおやつの仕込みをしていると言うので、最近ではもう、勉強会しようとなったら桜木さんのマンションで、が暗黙の了解になっていた。

 んで、今日も今日とて、昼前には集まってお邪魔しているわけだが、話題はどうしたって、きのうまで参加していた、あのサマーキャンプで訪れた、あの小さな町のことになってしまう。

 本当なら、今度の水曜日まで受験対策キャンプとして、泊まり込みで講義を受け、木曜日に帰宅する予定だったのだが、思わぬ事件のおかげで、帰宅が早まってしまった。

 サマーキャンプの宿舎があった山間の小さな町は、山の中に熊が出て、鹿や猪が襲われていると大騒ぎになったのだ。主催していた予備校は、参加者の安全面を考慮し、急遽予定の日程を切り上げて全員を帰宅させた。だが、俺達は知っている。本当は、熊なんかじゃなかったのだ。

 去年の夏、俺達はまさやんの親戚がやっている民宿を手伝いにバイトへ行ったとき、遺伝子合成の技術で生まれたキメラ生物と対決し、警察に協力してどうにか倒した。その時に遭遇した怪物と、とてもよく似た生物があらわれたのだ。

 鹿の遺骸を調べようと山に入っていた警察の鑑識班が襲われ、済んでのところで駆けつけた比企と桜木さんが救出。そのとき、同行した俺とまさやん、結城に忠広は見ていた。

 似ているなんてもんじゃない。瓜二つと言ってもいいくらいだ。

 鑑識の人達が逃げる間に囮を買って出た比企が尻尾を切り落とし、どんな生物なのか分析に出したのだが、結果は一体どう出るのか。比企はもう、関心があるんだかないんだか、英文を日本語に訳し、更にもう一度英文に戻す作業にかまけている。両手と腕には包帯を巻かれているが、それはきのう、俺と忠広を家まで送ってから、李先生の接骨院へ行き、治療を受けたのだそうだ。

 俺の名前は八木真。どこにでもいる、ちょっとかわいい高校三年生。仲間からは「人間なのにヤギ」と不名誉な言われようだけど、出るところへ出ればそりゃもうモテモテなのだ。たぶん。

 

 午後一時を回った頃、美羽子が合流した。きのうの今日なんだから家にいればいいのに、差し入れだとアイスを買い込んでやって来ると、まずは結城にきのうはありがとうね、と礼を言う。

「お義兄さんにもよろしくね」

 きのう、美羽子は源と一緒に、結城の義兄さんの車で帰ったのだった。麦茶を出す桜木さんが、笹岡さんお昼はこれからかな? と訊ねるのに、うちで済ませてきちゃいましたと答える。

 丁度俺達は、ツナトマトクリームの冷製パスタにタコのマリネサラダという昼食の終わりかけで、美羽子も一緒にマスカットゼリーを食べながら、どうしても話題は、あの山の中で遭遇したあいつのことになる。

「比企さんが切った尻尾って、どこで調べてるんですか」

 源の質問に、桜木さんがああ、と答えた。

「確か科研で分析してるはずだよ。そろそろ何かしら報告が上がってもいいはずだけど」

「分析結果が気になるところだが、我々は部外者だからな」

 比企が欠伸混じりに言って伸びをした。

「あの広場まで逃げてきた人達、みんな助かったありがとうって感謝してたのに」

 美羽子はちょっと面白くなさそうだけど、こればっかりは仕方ない。比企は依頼がなければ関われないのだ。

 それにしたって、警察なり遊覧船の会社なり、依頼が入ったっていいだろうに。あんな緊急事態に探偵、それも数少ないマル勅探偵が居合わせて助けてくれたというのに。俺が漏らすと、比企はそっけなく言った。

「ジェットジャガーかアンギラスの槍でもあるんだろ」

「何それ」

 デザートを食い終わり、午後の勉強会が始まった。しばらくはワイワイと、それでも方程式や歴史の年号やらが飛び交い、古文の文法や化学式が枝葉のように元の話題から伸び出していく。

 不意に誰かの端末が鳴った。プリセットで入ってるテケテンテケテンと軽快なチャイム。すぐに桜木さんが出た。ちょっと玄関側にはけて、二言三言相槌を打つ。仕事の連絡とかだろう。

 不意にえ? と声が上がった。どうした桜木さん。

「待ってちょっと待って。うん、待とう。…今? 来てるの? どこに? 」

 嘘でしょと狼狽え気味に桜木さんがため息をついた。

「わかった。そっちはとりあえず会うだけ会って」

 言いかけて、再びはあ? と驚く。

「え、そっちはどういう、──ああ、うん、そういうこと」

 わかった、と電話を切って、桜木さんが戻ってきた。ため息をついてちょっと疲れた顔になってる。そんな厄介な電話だったんすか。

 小梅ちゃん、とひと言、桜木さんが比企の顔を見て、うーん、と考え込む。

「どうした」

 比企に水を向けられたが、気が進まないなあ、とため息をついてから、桜木さんが話を切り出した。

「今の電話、公社からだったんだけどね、おとといの怪獣の一件で」

「依頼か。どこからだ」

「…市の、花火大会担当の部署から」

 ふんと比企が鼻を鳴らした。

「花火大会? 」

「って、中止になったんですか、あの後」

 結城が首を傾げ、美羽子が訊ねる。桜木さんが首を振った。

「どうも中止にはしてないみたいだよ。今来た電話の様子だと」

「まじか」

「やめりゃいいのに」

 まさやんが顔をしかめ、忠広が呆れる。ほんとそれな。

「こっちは、もうすぐ公園駅前まで出てくるから会ってくれって」

 比企がもう一度鼻を鳴らしてから、こっちはってまだあるのか、と訊ねた。

「もう一件、別口で。そっちはあの町の駐在の巡査からで、明日にでも来てもらえないかって」

「そうか」

 あっさりうなずいてから、比企は俺達の顔を見て、ニヤリと笑う。

「戦友諸君、行ってみるか。尻で椅子を磨くしか能のない人間が卑屈に媚びる様が見られるぞ。そりゃもう大爆笑ものだ」

 大会は中止にしない、でも探偵にはつなぎをとる、なんてのは、もう腹が透けて見えるじゃないか、と実に意地悪く、赤毛のロシア人は笑った。

 

 それでですね、と小太りのおっさんが、窺うような目で精一杯の愛想笑いを浮かべた。

 場所は城址公園駅の反対側。駅前の、チェーンの喫茶店だ。すぐ隣のテーブルには比企と桜木さん、その向かいにはワイシャツネクタイとスラックスのおっさん。俺達六人は、知らん顔でワイワイと勉強会の続きをしながら、それとなく様子を見ている。

 いかがでしょうかとおっさんが、ご機嫌を窺うような調子で訊ねた。

 おっさんの依頼の内容は以下の通り。

 もうすぐ町の年中行事の中でも、町外や県境を跨いで観光客も集まる花火大会が開催されるが、警察から、付近の山中で危険な生物が出たとかで中止するよう要請が出た。だが、集客数が馬鹿にならず、会場への入場料の収益もこの数年で伸び続け、市の財政への貢献ぶりも無視できないものになっている。これを中止してしまえば、ダメージは大きい。観光誘致はなんとしても死守したいが、かと言って、見物客に影響が出ては本末転倒だ。そこで、

「どうにか、大会までにその生物とやらを駆除していただきたいのです」

 お願いできませんかと、おっさんが肩をすくめるように頭を下げ、ながら、チラッチラッと比企と桜木さんの顔色を窺った。

 比企は紅茶に手も触れず、仏頂面で黙りこくっている。いや、こわいこわいこわい。桜木さんは愛想よく穏やかな表情だけど、何を考えているのか。不意に比企が口を開いた。

 え。なんだそれ、何語ですか。

 出がけに仕事用の防弾チャイナ服に着替えた比企は、完全に日本人には見えないから、余計にどこの国の人なのか、国籍不明感がすごい。更に桜木さんが、当たり前に受け答えしてるので、おっさん余計に置いてけぼりになっている。

「お断りするそうです」

 桜木さんがにこやかに清々しく言った。

「え、」

 狼狽えるおっさんは、それなら、先ほどの金額は前金として改めて同じ額を、と早口で捲し立てるが、比企は無反応。桜木さんがトドメを刺した。

「スネグラチカは、自分一人にそれだけの金額を積めるのなら、イベントを中止して、その資金で財政を補填できるはずだと申しております。また、自分に依頼をするくらいならば警察と連携して対策を取るべきだし、本来ならばそうした上で、なお依頼をするならば現場の対策へのコンサルタント業務やアドバイス、補助であるべきだろうと」

「あ、」

「町の住民への注意喚起や警告は出されましたか。近隣の住民の皆さんには、なんと説明されたのでしょう。未知の生物であれば、どんな危険があるのか想定すら難しいですが、避難勧告などはどうされましたか」

「それは、いや、でもねえ。そりゃあ私も写真を見せられましたが、あんなもの実在するんですかね。熊とか猪とか、そのくらいならわかりますけど、あの写真だって怪しいもんですよ。子供の見る特撮ヒーローじゃあるまいし」

 ねえ、と卑屈に笑うおっさんだが、あの、俺ら全員その実在するか怪しい生き物見てるし、なんならあんたの向かいに座ってるコンビは、素手と鉄パイプで戦ってるからね。比企の両手の包帯がその証拠だからね。

「警察は、その生物の体の一部を採取して分析に回したとか」

 そのようですねとおっさんは相槌を打ち、お絞りで額の汗を拭いた。

「ま、大方誰かが世話しきれなくなったワニだとかトカゲだとか、おっ放して野生化したんでしょうよ。そりゃ、それはそれで危険ですけどね、わざわざ年に一度の観光誘致の機会を潰すほどでもないでしょう」

 俺達六人は、隣のテーブルで目を見交わした。つまり、おっさんも市の偉いさんも、花火大会の見物料で儲けることしか頭になく、山一つ向こうの山梨や神奈川でも同じ騒ぎが起きているとか、遊覧船や貸しボートのお客が襲われて死んでいるとかは、事故としか思っていないのだ。

 比企のいう正常性バイアスというやつだ。偉いおっさん達みんなが、それに囚われている。

 比企がまた外国語で何か言って、桜木さんがうなずいた。

「お断りします」

 おっさんがそんな、と情けない声をあげる。

「物証もある、目撃情報も話だけではなく写真や映像まである、周辺地域でも同じような現象が起きている。にも関わらず、お話を伺っていると、目の前にある事実から目を逸らして、リスクの可能性をないものにしようとしている。それなのに、万一何かあったときに糾弾されるのは嫌だと、保身のためにスネグラチカを担ぎ出そうとしている」

 探偵はあなた方が依頼をする動機が、実に気に入らないと言っています。桜木さんはにこやかに断言した。

「しかし、」

「ご存知ありませんか。勅命探偵は今上陛下より直々に任命されたもの。持って生まれた才を世のため人のために使ってこその勅命探偵であって、彼らが動くのは、依頼料の多寡ではありません。本当に助けを必要とする誰かのため。申し訳ありませんが、今のお話からは、本当に困っているのが誰なのか、その姿が一向に見えてきません」

 ですが、それは、とおっさんがしどろもどろになった。そこに、

「イッシェーズニー」

 比企が実に獰猛な微笑でヒラヒラ手を振った。

 がっくり肩を落としておっさんが引き揚げると、小腹が減ったな、と国籍不明の探偵はメニューを広げ、卓上ベルのボタンで連射の練習。やめなさい。店員さんが来ると、これとこれ、とやたらと分厚いカツサンドとたまごサンドを頼んだ。

「あの、こちら二点ともかなりボリュームがありますが」

「お構いなく」

 カツサンドとたまごサンドが出てくると、やれやれ、とお絞りで手を拭いて迷いなくかぶりついた。

「つまらん話を聞かされると腹が減るな」

 具の卵タルタルの部分だけでも三センチはありそうなサンドイッチを、一口で半分ぐらいにして、モリモリ食いながらぼやく。

「問題は明日、駐在巡査とやらが何を頼むかだな」

「明日はちゃんと自分で会話するんだよ。いくら相手がいけ好かないからって、ずっとロシア語とフランス語ちゃんぽんはやめなさいね」

 あ、さっきのあれはそういうことだったのか。

 ちなみに比企がおっさんに直接かけた言葉は、ロシア語でとっとと失せろという意味だそうだ。まったくおとな気ねえなあ!

 たまごサンドを半分食ったところで、次のカツサンドにかかりながら、比企が隣のテーブルからこっちへ声をかけた。

「みんな、ことの推移が気になるのじゃないか」

 なります。全員で赤べこのようにうなずく。たまごサンドと劣らぬ分厚さのカツサンドを、やっぱり一口で半分齧り、モゴモゴ咀嚼。

「誰も取らないから、もっとゆっくり食べなさい」

 たしなめる桜木さんに、もがもが文句を言ってから飲み込んで、

「そうだな、明日の朝にでも町へ行って話を聞いて、午後には戻るから、また全員で勉強会ついでに集まろうか」

 いいですねそれ。

 

 そして翌日の朝十時過ぎ。俺達は比企から呼び出され、大急ぎで電車を乗り継ぎ、山間のあの小さな町へと向かっているところだ。

 どうしてこうなった。

 

 年末の事件の最後に始発電車を待った五日市駅から、三十年近く前に延長した路線に乗り換えて、しばらく電車に揺られて山の中を行く。これから行く町もだいぶ県境に近いけど、あのとき闇ブローカーから機動ユニットを買った連中が目指していたのは、もっとずっと山の奥へ入り、県境ギリギリの辺りなのだそうだ。あんまり山奥過ぎて不便なので、再開発もしようがなく放置されていた場所なのだとかで、ただしここはもう少し街に近くて、街道をちょっと引き伸ばせば交通もさして不便ではない。

 比企と桜木さんが湖畔の町へ着いたのは、九時半過ぎのことだった。真っ直ぐ駐在所へ向かうと、出迎えたのは、老眼鏡をかけた、物腰穏やかな制服のお巡りさんで、比企が名乗り訪問の意を伝えると、ちょっとお待ちください、とひと言、どこやらへ電話をかけた。それから実は、と切り出したのが、

 ──依頼人は私ではないんですよ。

 そんなわけで、ちんまりとした駅舎を出た俺達、俺と忠広、美羽子、結城にまさやん、源を待っていたのは、いつものチャイナ服に黒い膝丈バルーンパンツ姿の比企と桜木さん、それと、あの釣具屋の母子だった。

 どうやら、自分だけでは母子に不安を与えるのではと思って、俺達がいる方が気安く話をしやすいだろうと呼び寄せたらしい。

 おっどろきよねえ、と釣具屋の女将さんが目をくりくりさせて、だってねえ、と笑う。

「まさかこんな子供の依頼なんて受け付けてもらえるなんて思ってもいなかったのに、来てくれる人がいて、しかもそれが、ついこの前会った女の子だなんて」

 あ、でも、と声をひそめて、子供の言うことだからさ、と続けて、

「断られてもしょうがないとは、息子には言ってあるのよ。しかも、万が一受けてくれても、目の玉飛び出るような額のお金を、あんたが大人になっても払い続けるかもしれないんだって」

 うーん、そうだよなあ。まあ、そう思われても仕方ないよなあ。でも比企は、俺と忠広の卒業した中学で起こった事件では、俺の弟からの依頼に対して、子供から金を取るのは嫌だって姿勢を貫いたからね。

 それよりも、桜木さんはちょっと、そのおかしな圧を隠そうか。この前と同じように、チビはお姉さんお姉さんと比企と美羽子にまとわりついていて、いやわかったから、小学生に嫉妬してどうするの。いい大人が我慢なさいよ。子供って得だよねえ、じゃないでしょ。源を見なさいよ、美羽子と一緒にチビと楽しく話してるでしょう。

 釣具屋の裏側へ回ると母屋で、庭の縁側で比企は悪ガキ坊主と並んで腰掛けた。おばさんがどうぞ中へと気を遣うが、お構いなく、とその場でお茶だけもらう。

「どうもお話を伺っていると、依頼は息子さんからのようですね。彼が一番話しやすい場所でお話を伺いましょう」

 プランターから屋根へ伸ばした、メロンとゴーヤと朝顔のグリーンカーテンの日陰は思ったより涼しくて、俺達も庭先から茶の間の座敷へ上がらせてもらって、なんとなく涼しいところに固まって団子になる。

 涼しい日陰で冷たいお茶をもらい、汗が引いたところで、全員の視線がランニングにハーフパンツ姿のちびっ子に集まった。

 さて、と比企が口火を切る。

「聞いたよ。少年ジェーチ、君が探偵を呼んでほしいと、あのお巡りさんにお願いしたんだってね」

 ちょっとはにかんで視線を斜め下に逸らしながら、うん、と坊主がうなずいた。

「だって、怪獣が出たのに、花火大会はやるって。花火の日には高円寺からイトコの兄ちゃんが来るんだよ。でも怪獣が来るのに、誰もウルトラマン呼ばないし避難もしないんだ。そんなら、誰かが助けを呼ばないとダメだろ」

「その誰かは、君が自分で呼ぶのでなく、他にいなかったのかな。もっと、何か対策をしそうな大人は」

 比企は相手が子供だからだろう、きのうの喫茶店で役所のおっさんを相手にもしなかったのとはえらい違いで、ちゃんと話を聞き、自分で質問している。声をかける口調もちょっと優しくしてるのは、佑が比企に助けを求めたときと一緒だった。意外と子供は嫌いじゃないのかもしれない。

 悪ガキはブンブンと首を振った。

「いないよ。だってお巡りさんも、市役所の人に頼まれないと何もできないんだって言ってたんだ」

 桜木さんがため息をついた。

「警察はあくまでも、事件が起こってからでないと行動できない。起こるかもしれない犯罪行為を未然に防げれば理想的ではあるけど、それはヘタをすると、まだ何もしていない、しないかもしれない一般市民を犯罪者扱いしてしまうことになる。そんなことをしたら、今この瞬間、普通に暮らしている人達の生活を壊してしまうからね」

 難しいところだよ、と麦茶を飲み下した。

「だから、探偵は犯罪が生まれやすいところに近く、その予兆を敏感に感じ取り、実行される直前に介入して、芽吹く寸前に叩き潰す。そのためにアウトローばかりが選ばれているのさ」

 ワルはワル同士で潰し合い、真面目に暮らす市民の平和を乱してはいけない、ということだ、と比企がうなずいた。

 グリーンカーテンから風が吹き抜ける。

 それで、と比企は坊主に問いかけた。

「少年は私に何をして欲しいのかな」

 できそうなことだったら引き受けるよと続ける。坊主がちょっと上目遣いで、だけど、と比企を窺う。

「おれ、お金もってない…」

「言うだけ言ってみればいいじゃん」

 のほほんと結城が言って、坊主の背中を軽く叩いた。なるほど、比企はこういう役回りを俺達に期待していたのか。

 そうだなと俺も結城に乗っかった。

「このお姉ちゃんは、子供から金を取るのは大嫌いなんだ」

「そうだな、お前、なんか宝物持ってるか。見せてみろよ」

 忠広に促され、それでもモジモジしていた坊主だが、あらあたしも宝物、見たいなあ、と美羽子のひと声で、ちょっと待ってて、と立ち上がって家の奥に入った。子供って正直な。ほんと。

 坊主はすぐに戻ってきて、大きなクッキーの空き缶の蓋を開けた。中から出てきたのは、小学生男子にはお宝、大人が見ればガラクタのごった煮。透明のビー玉にスーパーボール。スナック菓子のおまけシール。ガチャガチャのフィギュアに電池切れで止まった腕時計、この数年のリバイバルブームで火がついたベイブレード、水切り遊び用らしき平べったい石に、子供に大人気のゲームの攻略本。お袋さんは額に手を当てあちゃあ、という顔だが、比企は実に熱心に、坊主と一緒に箱の中を検分している。

 ガラクタに混じって、掌くらいの長さの、薄く錆が浮いた金属の棒を比企が拾い上げた。

「これ、何か知ってるか」

「しらね。物置にあって、なんか面白いから取っといたんだ」

 ふん、と比企はうなずいて、

「もしかして、物置にはこれと一緒に、このくらいの棒みたいなものはなかったかな。布の袋に入ってるか、木の棒みたいなのか、とにかくこのくらいの長さの。長さはもっと短いかもしれないし、長いかもしれないけど、まあ似たような見た目だと思うよ」

 両手を一メートルくらいの幅に広げる。坊主はんー、とちょっと考え込んで、見てくる、と今度は庭に降りた。庭の隅にあった土蔵を物置にしているようだ。入り口を子供の力でも開けられるような、簡単な作りに換えてあるところを見ると、現役で使っているのだろう。しばしガタガタやっている音が、開けっ放しの戸の向こうから聞こえて、あった! と坊主がボロボロの布に巻かれた何かを持って戻る。

「ああもう、ほら、そこで見なさいって、部屋にあげないの! そう、そこで埃落として」

 おばさんが奥から雑巾と新聞紙を持ってきた。新聞紙を縁側に広げて、雑巾で埃を落とさせてから、ここに置きなさいと声をかける。

 坊主が持ってきたのは、黒ずんだ木の棒だった。なんていうか、年季が入り過ぎてきったねえ。いうたらまさやん達の持ってる木刀によく似てるけど、もうちょっと気持ち太いかな。

 比企はためらいもなく摑んで、親指でぐっと押すようにこじ開けてから、両手でグイッと引き伸ばすような動きで、え。待って何それ。ちょ、ま?

 きったねえ棒に見えたそれは、刀だった。刀身はところどころ曇ったり錆かかったりしてはいるが、それでもしっかり刀だった。

「柾目がかった小板目基調、地沸もよくついている。…それにしてもまた、一文字ほどではないが華やかな刃紋だな。雰囲気は兼定に似ているが、銘が入っているのかどうか」

 え。え。まじで。

「比企さんそれ、あの、」

「まさかだけどさ一応訊くけど」

「…日本刀? 」

 美羽子と忠広と俺が順番に訊ねる。

 ああ、と比企はあっさりうなずいた。

「この長さだと打刀かな。きちんと研ぎに出せば、この曇りも取れると思うよ」

 淡々としている比企以外は、みんなぶったまげていた。特におばさんと坊主は、まさか自分の家にそんなものがあるなんて思っても見なかったのだろう。

「さっきのあの、宝箱に入っていたのは笄だよ。あれだけがあるのも不自然だから、物は試しで訊いてみたんだが、やっぱりあったか」

 そこで比企は改めて、少年、と呼びかける。

「私に何を頼みたいかな。なんだっていい、言うだけタダだ。思う通りに言ってみたまえよ」

 はっと息を呑む坊主。うつむいて、それからもう一度顔を上げて、おれ、と口を開いた。

「あの怪獣、やっつけてほしい。ボートが食われたの見たとき、すごく怖かった。あんなのがいたら、もう、湖で遊べない」

「湖で遊ぶの、好きか」

「…うん」

「じゃあ、さっき言ってた、花火の日に遊びに来るイトコの兄ちゃんは好きか」

「うん。大学生だけど、いっつもおれと遊んでくれる」

「そうか」

 比企はうなずいた。

「その仕事、引き受けよう」

 スーパーで刺身でも買うかのような気軽さ!

「えー! 」

 その場にいた全員が、驚きのバカ声張り上げた。比企がしれっと、報酬はこれで、と刀を指す。

「いきなり蔵の奥からこんなものが出てきても、ごく普通の家庭では持て余してしまうでしょうし、それなら私が引き取るのもいいかと」

「いや、そりゃまあ、うちじゃあ扱いに困るものだけど、」

 でもいいの、とおばさんが確認する。

「こんなんじゃ足が出ちゃうんじゃないの」

「ご心配なく。報酬の額をやたらとふっかけるのは、ど三流のやることです」

 うん、まあほら、あなた笑っちゃうほど金持ちですからね。

「それに、子供の必死の頼みを無視するのは、寝覚めが悪いですから」

 

 ホッとして茶の間の畳にひっくり返った坊主に、比企が一ついいか、と声をかける。

「まあ私もどうにかがんばってはみるが、ウルトラマンほどかっこよくできないと思うけれど、いいかな」

 起き直った坊主に、比企が重大な報告でもするかのような顔で耳を貸せ、と手招き、坊主が近寄ると、辺りを窺うように見回してから、さも大変だと言わんばかりに打ち明ける。

「実は、怪獣退治は一回しかやったことがないんだ。あんまりかっこよくないだろう、だからこれは内緒にしておいてくれ」

 坊主が目を丸くして、イヒヒと笑い、うんうんうなずいた。

 しかし、相変わらずよくわからない奴だな。もっと高い金を払うであろう役所からの依頼を「気に入らない」というだけで蹴飛ばし、そのくせ子供の依頼はあっさり引き受ける。まあ、気分よく仕事ができるのはどっちだと訊かれたら、答えるまでもないけどさ。

 とにかく比企が動く気になった。それだけでもことは大きく変わるだろう。

 帰りの電車内で参考書を広げ、みんなでわあわあと問題を出し合い解き合いしながら、俺は比企からどんな頼まれごとをするだろうと身構えていた。

 ここまで関わっちまったのだ、今更乗りかかった船を降りるなんて、無理な相談だ。

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