第6話 五人とひとりとイケメン警視
外はあいにくの空模様で、梅雨時特有のじめっとした雨が降っている。
俺達──俺、忠広、結城にまさやん、源の、毎度お馴染みの五人は、揃って上海亭で冷やし中華を食う会を開催していた。
今日は終業式。学校に来る用事でもなければ、しばらくここの飯とはお別れだ。
学校が休みの間、店はどうしてるんだろう。気になって親爺に訊くと、歩いて数分のところにある工場の従業員や、部活動で登校している運動部員や顧問教師がやってくるのだそうだ。あ、意外と客いるんすね。
でもなあ、と親爺は浮かない顔だ。
「夏休みになれば、お嬢さんも来ねえだろ」
あんなに食いっぷりのいい美人と、しばらく会えねえのかと思うとなあ、と親爺はあからさまにがっかりしていた。
アッハイ。
そのとき。
表のサッシ扉が勢いよく開いて、バシッと勢いよく締められた。
「匿ってくれ! 」
一番上背のある結城の影に隠れながら、そっと表を窺っているのは。
「比企さん」
「どしたん」
「おお、お嬢さん! 待ってたよ! 」
何かに追われている風で狼狽えている比企小梅だった。
一度目は俺自身、二度目は俺の弟の通う中学校。俺達は、この見た目も頭の中身も規格外な美少女と一緒に、スーパーナチュラルな騒動を解決した。また、彼女はこの店の飯をこよなく愛しており、共にテーブルを囲み飯を食ったことも一度や二度ではない。二重の意味で俺達は仲間であった。比企の言葉を借りるなら、戦友だ。
その戦友の、いつにない慌てぶりに、俺達も親爺も尋常ならざるものを感じた。いつもはこれ以上ないというほど泰然自若、砲撃されている中でも平然と飯を食っていそうなほどマイペースなのに。
おばちゃんも心配そうに出てきてジャスミン茶を勧める。比企はこの暑いのに、冷えた飲み物は体によくないのだと言って、温かい飲み物、それもお茶を好んで飲むのだ。ありがとうございます、と比企は丁寧におばちゃんへお礼を言って、お茶を啜るとやっと落ち着いた。おばちゃんはおばちゃんで、今時珍しい礼儀正しい子だと比企を気に入っている。贔屓だ。
失礼しました、と親爺にひと言、比企は改めてじっくりと、追われております、と説明した。
「しばらく匿ってください。冷やし中華は追っ手を巻いてから改めていただきます」
いやいや、と親爺は手を振って、
「いいんだよ、お嬢さんならいつでも歓迎なんだから、そんな気を遣うこたぁないさ。で、」
その追っ手ってのはどんな奴なんだ。
親爺がそう訊ねかけた瞬間。
サッシ扉が開いた。今度はゆっくりと。
入ってきたのは、長身の若い男だった。たぶんざっくり見積もって二十代半ば、十人が見たらほぼ全員がイケメンだと言いそうな、嫌味のない爽やかさ。ジーンズにスニーカー、麻のサマーセーターという出立ちで、店をひとわたり見回すと、やっと見つけた、と安心したようにため息をついた。うわイケボだ。
「さあ帰るよ小梅ちゃん」
うん? 「小梅ちゃん」?
こんなパーソナルスペースがあほ程広そうな比企を相手に、ずいぶん距離感近いな。殴られないか大丈夫か。
だが、イケメンは俺達の心配を裏切って殴られもせず無事だった。比企は頭を抱えて、その呼び方はやめろと呻く。
「何が小梅ちゃん、だ。恥ずかしいにも程がある」
帰るなら独りで帰れるだろう、と比企は素っ気なく袈裟斬り。
「あのう、」
そこへ結城がのほほんと挙手した。
「もしかして比企ちんのお知り合い? 」
グッジョブ結城。ザ・空気読まない男オブザイヤー。
ああまあ、と比企は渋々うなずく。イケメンはまあねとにこやかに認めた。
「私の監督官だ。──
え。
どうも、とイケメンは俺達に軽く会釈した。
「小梅ちゃんの監督官、桜木真之介警視です。よろしくね」
俺達と親爺は、一斉にはあ⁉︎ と驚愕の声をあげた。
桜木真之介警視。歳は二十五。飛び級で高校を早く卒業し、東大では法学部へ。在校中に司法試験に合格し、卒業後は警察官に。本人は捜査一課に憧れていたそうだけど、よんどころない事情により警察庁へ入り、何の因果か今では比企の監督官なのだそうだ。やだカワイソウ。すげえエリート街道驀進してたはずなのに。カワイソウ。
俺達は成り行きから、そのまま一緒に冷やし中華を食っている。食いながら、自然お互いが比企と知り合うきっかけに話は至り、俺達はあのサメの化け物事件の顛末を、桜木は簡単な経歴や比企の監督官を受けることになった経緯を話し、すっかり意気投合していた。なんかこの哥ちゃん、すげえいい人じゃね?
「あんたもう帰れ」
比企は終始ご機嫌斜めどころか、武器でも持っていれば桜木さんを殺しそうなぐらいの凶悪さだが。
「あの、桜木さん、なんか謝った方がよくないすか」
あまりの機嫌の悪さに、源がおののいてそっと提案すると、うーん、いつもこうだからね、とのほほんと答えるイケメン警視。
「なんかもう慣れちゃったなあ。春から小梅ちゃんの担当になったけど、常にこうだから」
うちでもこうなんだからね、参っちゃうよねえ、と笑う。
うちでも?
「え。うちでもって、え、まさか一緒に住んでるとか? 」
忠広が反応した。その言葉に、源が立ち上がる。
「嘘嘘嘘嘘だろって忠広、それはないって、ねえ」
そうだった、源は比企になんか夢を見てる節があったんだった。
「いやあ、監督官だからねえ。とはいっても、きちんとまめにコミュニケーションとれる探偵なら、そこまで張り付かなくてもいいんだけど、この通りの子だし、放っておくと干物生活になるから」
「いやああああああああ! 聞きたくなかったああああああああああ! 」
崩れ落ちる源に、察するところがあったのか、いやいや、と桜木さんは手のひらを振ってないない、と笑った。
「寝室も別々だし、ルームシェアってだけだよ。君たちが心配するようなことなんか起こりようがないさ。何せ、あの通りの子だからね。小梅ちゃんからすれば、単に食事と掃除洗濯の世話係兼、仕事の監督係でしかないよ」
本当かよう、とまだ不安が拭えない源だけど、ひとまず納得はしたようだ。椅子に座り直して、冷やし中華の続きにかかった。桜木さんも冷やし中華を啜ると、それにしてもすごい店だよね、と店内を見回す。
「昭和で時が止まってる感じだよね。それでいて、出てくるものは高級店に劣らない味だし。この冷やし中華の出汁だって、酸味がまろやかだ。いいお酢を使って、丹念に配合して、きちんと寝かせて、手間も時間もかけて作ってる。おいそれと出せる味じゃないよ」
カウンターの向こうから聞き耳を立てていた親爺が、ちょっと見直したような表情になった。さっきまで、比企が嫌がっているのを察して、露骨に胡乱な目で見ていたのに。
「桜木さんも料理するんですか」
忠広が訊くと、うん、とうなずく。
「結構好きなんだよね、家事。まあ、そのせいで振られることもあるんだけどね。そうしたら、この子に人間の生活させてやってくれ、って、上司に小梅ちゃんの監督官押し付けられちゃったよ」
「桜木さんでも振られるんすか」
思わず訊く俺。野次馬と言いたければ言うがいい。
「ああ、振られる振られる。大概告られて付き合っても一ヶ月保たないんだよねえ。デートでお弁当とか作るともう駄目。小梅ちゃんの監督官やる前は、家に呼ぶとその辺りから徐々にギクシャクしちゃってたし」
何が悪かったのかなあ、とため息をつくイケメン。まあ、わからなくもない。
「そりゃあ、女の人からすると、イケメン彼氏が自分より家事がうまくて部屋がきれいで、どこをどう見ても完璧だと、イロイロやりにくいんじゃないっすか」
そう! そういうことだよ結城! 今日も冴えてるな天然の馬鹿力!
そんなことないんだけどなあ、でもみんな最後にそう言うんだよなあ、自分からお試しでもいいから付き合って、なんて言ってきたくせにねえ、と桜木さんはうな垂れた。
しかし何だこの
比企は不機嫌ながら、それでもしっかり特盛の冷やし中華を平らげ、特盛レタス炒飯セットを平らげ、亀ゼリーアイスをもりもり食っていた。その様子をニコニコ見ながら、そうか、とうなずく桜木さん。
「最近、うちでご飯を食べる量が落ち着いてたから、どうしたのかなと思ってたんだけどね。こんなステキなお店に通ってたのか」
やっと本以外のものにお小遣いを使うようになったし、ここのところ休みの日に出かけてるから、友達ができたのかなと思ってたんだけど、ここで食事してたんだね、と納得したようにのほほんとうなずく。
終始むくれていた比企をよそに、桜木さんは楽しそうに俺達と語り合った。剣道をやってるとかで、やっぱり剣道やってるまさやんと結城、源と盛り上がり、俺と忠広には、東大で知り合った面白い先輩後輩や教授の話をしてくれた。
引き揚げようやとなったところで、気がつくと桜木さんが俺達の分まで払ってくれていた。ヤダ大人カックイイ。これからも小梅ちゃんをよろしくね、とニコニコ笑って、そうだ、と桜木さんがポンと手を打つ。
「よかったら遊びにおいでよ。小梅ちゃんの友達なんだ、君達なら歓迎だよ」
別れ際にはしっかり俺達と連絡先を交換し合い、その様子を見て比企はげっそりした表情になったが、特に不平を言うことはなかった。
早速チャットルームに桜木さんを招待した俺達は、うじゃうじゃと書き込んだコメントで質問攻めにしていく。
監督官って何。どんな仕事するの。比企さんとどうやって知り合ったの。どうすれば彼女ができるの。告られて付き合うって何食うとそんなにモテるの。俺二段突きが限度なんだけど三段突きできますか。比企さんって普段何食ってるんすか。
そんな俺達の、あほ丸出しな質問に、全部丁寧に答えてくれる。ヤダ…イケメン…。中身までイケメン…。
今小梅ちゃんお風呂だから、出てくるまでなら質問に答えるよ、と、簡単な挨拶を交わしたあとにコメントが入り、わいわいと書き込んだ俺達だったが、源よ、風呂というワードに即反応するな。思春期か。
俺達の質問に答えるかたちで、桜木さんは探偵と監督官の歴史をレクチャーしてくれた。
長いのか短いのか、十六年しか生きてない俺には計りかねるが、とりあえず、サイボーグ技術や遺伝子改良の技術が爆発的に、飛躍的に進歩発達した二〇六〇年代、ざっと今から三十年くらい前。
肉体改造の結果、戦車や重機動兵器と対等に闘えるようになった個人や、持って生まれた体質や遺伝子操作の末に、特異な体質や肉体能力、優れた頭脳を備えた人間があらわれるようになった。まあ、あらわれたっていうか、捜し出したり、サイボーグならそういう義体造ったりするわけだけど。
その頃は、水や食べ物を奪い合って世界中で戦争してたとかで、日本は中立を保とうとはしたものの、何せ水資源が豊富なので、どうしたって裏でこっそり狙われる。中立を前面に出している国に、大っぴらに攻め込むのは外聞が悪いけれど、見えないように手を回して中から崩そうと企む国や組織は、一つ二つどころじゃなくあった、らしい。水道水を直に飲める国ってのがとにかく少なくて、日本とあとどこだっけ、二カ国か三カ国か、そんなもんなんだってさ。少ねえ!
日本の政府や自衛隊、警察は、さすがに事態がそうなると、連携し協力しあって、見えない敵を追い払うしかなくなった。それ以前は牽制しあう関係だったそうだけど、この危機的状況に、同じ国の中で揉めてる場合じゃない、と一致団結し立ち上がったのだ。警察内や自衛隊の中から優秀なメンバーを集めて、体をハイスペックの義体にしたり、異能を持つ人物を集めて鍛錬し、水を狙って手を伸ばす外国のスパイやマフィアを追い払っていた、のだそうだ。
そしてやっと、核兵器と生物・化学が兵器、いわゆるABC兵器だけは禁じ手とした戦争──『核なき大戦』が、地球の人口を半分くらいにまで減らして、ひとまず終わった。それが二十五年前。僕が生まれた頃だね、と桜木さんはのほほんと書き込んでいた。
で、ここから探偵の歴史が始まる。
そうやって、国土と資源を外国から、表には見えないところで守り抜いて、日本の中立もまた守り通した異能者達は、戦争が終わったことで行き場をなくしてしまった。
大半は、泥沼と化して未だに内紛や小競り合いが続く海外へ渡り、傭兵まがいの仕事についたけれど、それをよしとしなかった者や、いろいろな事情で日本に残った者で、社会復帰できたのはごく僅か。あとはお定まりのアウトローだ。せいぜいがんばったところでやくざの用心棒とか、もっと悪くすると、戦争中に日本へ乗り込んで根付いたマフィアの殺し屋とか、とにかく悲惨だった。どうにか探偵や興信所に潜り込んだものの、異能を当てにされて合法すれすれの、筋のよろしくない仕事ばかりやらされたとか、そんな人もいっぱいいたという。当然、興信所や探偵は、いかがわしくて、あまり褒められたものではないというイメージがつき、仕事のクオリティもどんどん劣化していった。
戦争が終わって数年、それが社会問題になり始めたところで、政府が思い切った手を打った。何せ相手は異能者、政府に怒りの矛先が向けられたら、そして彼らが組織化してテロ行為など働き始めたら、今の平和はあっという間に崩れるし、何より彼らは、政府や警察、自衛隊が何をしていたのか、裏の裏まで知っている。それを表に出されれば、今度は自分達の身が危ない。
かくして、表向きは一般市民に向けて「探偵・興信所の質を上げ合法的な業務をさせる」ことを名目に、でも実際には異能者達への懐柔策として、彼らを能力の規模・性質でランク付けし、それに見合った仕事を斡旋するライセンス制度が導入された。
なるほど。その辺の歴史をリアルタイムで知っていたから、この前比企がライセンスカード見せただけで、事務のおっちゃんや進藤さんが驚いたんだな。
で、監督官って何をする人なん。
忠広が質問を書き込むと、そこでいきなり比企がコメントを入れた。
──探偵の監視。
即座に源が、おかえり比企さん! とハムスターのイラスト付きで迎える。それにしても監視って。
俺がどん引いていると、監視だぞと比企はあっさり続けた。
──甲級までは、定期的に面談して、仕事を受ければ詳細をリポートで提出するぐらいで済むのにな。なんで特がつくと、こんなに監視されないといけないんだ。仕事は基本監督官立ち合い、可能な限り常に行動を共にしろ、だなんて監視以外の何だ。
え。魚の事件と鏡のときと、どっちも俺達しか同行してなかったけど大丈夫なん。
みんな気になったらしく、一斉に書き込みが入ったが、大丈夫だと比企が答えた。
──どちらも師父からのルートで入ったものだ、ということは、おおかた先代の監督官がお手上げで師父に泣きついたんだろう。あれはやろうと思えばできることでも、何でも他人に丸投げする悪癖がある。
なんか、監督官自体にあまり好印象がないみたいだな。桜木さんといい、その前の人といい、ボッコボコに腐している。
そういえば、いきなり桜木さんの書き込みがなくなったな。
──桜木さんどうしたの。いきなりコメ無くなったけど。
俺が訊くと、あれは今、私にドライヤーをかけている、邪魔だ、と返答が。
──文句を言いながら世話を焼くという、この心理がわからない。嫌ならやめればよかろうに。生活の面倒までは監督官の業務ではないんだ。
うへえ。
比企がそこまでのレベルで無頓着なのか、それとも桜木さんが過剰なほどの世話焼きタイプなのか。
とりあえず、その辺は掘り下げたくなかったので、レクチャーありがとうとお礼を述べてから、夏休みの課題をどうするか、話題を強引に切り替えた。七月中に済ませてしまえば、八月は遊びにもバイトにも充てられる。八月半ばの二週間を、俺達はまさやんの親戚が経営している民宿でバイトすることになっていた。
みんな、さすがにバイト先にまで宿題を持ち込みたくないのは俺と一緒だったようだ。場所は明日の朝にでも考えるとして、ひとまず集まることは決まった。
翌日。俺達は、なぜか比企の家──桜木さんのマンションにいた。
朝起きる→飯を食う→顔を洗って頭が覚醒した辺りでチャットルームを見る→今日どこで勉強するかな→「それならうちにおいでよ! お昼も作って待ってるよ! 」→まじか。
何。何なのこの流れ。さすがにいきなり家まで押しかけるのもなあ、と思っていたら、比企から「むしろ来てくれ」「朝から諸君が来る前提で昼食の仕込みを始めている。断られると後が面倒だ」とチャットルームに書き込みが入り、まあ、その、せっかくのご招待だし、と今に至っているわけだ。
俺と忠広の家の最寄りな東駅の隣、公園駅の方が近いとかで、今日は俺達が自転車組だ。まさやんと源、結城は電車で出てきた。城址公園がある南口とは反対側の、駅前にでかいスーパーマーケットがある北口で待ち合わせ。到着すると、比企は先に来て待っていた。相変わらずのジャージにTシャツというやる気のない格好だ。長ネギとハムを買ってきてくれと頼まれていた、と言って、どうやら待っている間に買ってきたらしく、エコバッグをぶら下げていた。
全員揃ったところで、ぶらぶらと十分弱歩くと、見るからにお高そうな高層マンション。そう、入り口オートロックでコンシェルジュとかいるアレですよ。しかもオートロックの鍵開けるの、ここは掌紋と虹彩スキャンだったからね。もう完全に俺達場違いですわ。壁とか大理石だし。わあーアンモナイトあったー。とかモノボケすらできなかったよね。
で、そういうラグジュアリー空間を、歩いてるわけですよ。長ネギはみ出したエコバッグ持った、下駄ばきジャージの姫が。前髪頭の上で結んでるから、こう、椰子の葉っぱみたいになってましてね、もう完全にやる気なし。格好はすんごい浮いてるのに、めっさ堂々としてるから、むしろ豪傑感すごいんだよなあ。
しかもその格好で、すげえおしゃれなエレベーターにしれっと乗り込んで、結構上の方の階で降りて、ヘロヘロ歩いて角の部屋の戸を開けると、ロンTにジーンズとギャルソンエプロンのイケメンが満面の笑顔で大歓迎。何この異次元空間。
めちゃくちゃいい匂いした…。あと、お部屋めっさおしゃれ…。リビング広いし見晴らしいいし、驚愕しかない。
お部屋の間取りはざっくり説明すると、まずリビングと直結のキッチン、トイレ、風呂、あとは比企の寝室と、ロフト部分が客間と桜木さんの寝室。普通、桜木さんが下で比企がロフトじゃないのかとも思うけど、
「小梅ちゃんの部屋を見ればわかるよ」
だそうで、源が食い気味に見ていいの、と叫んだから、というわけでもないだろうけど、比企は黙って自分の部屋の扉を開けて見せてくれた。
なるほど納得。
部屋の、広い壁一面を天井まで、本棚が占領していた。上から下まで本がぎっちり。その向かい側、窓に面して大きな机が置かれ、でかいディスプレイのデスクトップ。プリンタやハードディスクは机の下に収めている。リビングから扉を開けて、部屋のどん突きに素っ気ないほどシンプルなベッド。夏掛けがぐしゃぐしゃに丸まっているのは、たぶん寝起きの状態で放置してるな。洋服箪笥やハンガーラックすら置いていないのは、まあらしいっちゃあらしいけど、どこにしまってるんだ。
とにかく本がすごくてね、と桜木さんがこぼす。
「ここは客間にして、ロフトの二間の片方を使ってもらおうと思ってたら、届いた荷物の大半が本なんだよ! 服なんて、こんな小さい段ボール一つだったんだから、あれを見たときにはもう途方に暮れたよ。女の子の所持品じゃないよね」
あと小梅ちゃんお布団直そうね、と桜木さんは頭を抱えて、もう初対面から驚きだったよ、とため息をついた。
「桜木警視うるさい。あと私は性別とかどうでもいいところで育ったから、そういうフワッフワした夢はよそで見てくれ」
「共同生活三ヶ月目で、いまだにこの呼び方だし」
「所詮ビジネス上の付き合いなんだからこれでよかろう」
「あとさあ、あと女の子が、いくら友達だとはいえ、男の子にそんな簡単に部屋を見せちゃうってのはどうなの」
「別に見られてまずいものは出てないぞ」
「僕は恥じらいとか、そういう話をしてるの! 」
ああもう、と桜木さんはまたため息。君達がいい子でよかったよ、とこぼした。
何だろう、この人、イケメンだしエリートだし、すげえいい人だし、世間的には非の打ち所がないパーフェクトナイスガイな勝ち組なのに、それが全部見事に比企には通用してない。たぶん、ここまで調子が狂う相手に初めて遭遇したのかもしれない。
いや、でもほんと、今日は片付いててよかった、と桜木さんはアイランドキッチンでネギとハムを刻みながら言った。
「ゆうべなんて、新しいサプレッサーが届いたんだとか言って、銃出して取り付けて、そのまま抜き打ち動作確認し始めるし」
「え、持ってるんですか銃」
まさやんが引き気味に訊ねると、だってそりゃあ、と桜木さんはあっさりうなずいた。
「特級探偵だからね。きちんと届け出て、警察か防衛省所属の監督官立ち合い、あるいは了解の上で使用するって厳密な条件はあるけど、持ってるよ」
うへえ。まじか。
「小梅ちゃんのベッド、あれね、下は収納スペースにしてるんだけど、半分は服としても、残りは武器だからねえ」
困っちゃうよねえ、とぼやきながら、そうめん大量に茹で始めたよこのイケメン。
お昼はそうめんパーティーで、なんか、俺の持ってたそうめんのイメージがまるっきり変わっちゃった。せいぜい薬味にネギとか大葉くらいのもんだと思ってたら、錦糸卵とか蒸した鶏のささみ、ハム、千切りきゅうりとか茗荷とか、ごめん、そうめん舐めてた。あいつはやればできる子だった。てゆうかこれを一人で作る桜木さんすげえ。素麺のつゆも、いい昆布が手に入ったからかえしを作ってみたんだとか言って、既製品のめんつゆしか知らない俺でさえ、食った瞬間明らかに違うと思ったよね。
うん、なんかわかった。桜木さん、そりゃあ振られるよ。自分より手の込んだものを楽しそうに作って出されたら、女子はプライド傷つくよ。
その後もね、リビングで勉強会、というかまあ、比企にほぼほぼ教わる感じですが勉強やってると、三時にはお茶とババロアとか出てきて、え、なあにこのお母さん感。
「桜木さん、今日は休みなんですか」
気になって訊いてみた。もし休みの日に押しかけたなら、それはそれで申し訳ないし。すると。
「いや、監督官になっちゃうと、警察官としての仕事は外れて、完全に担当してる探偵のフォローにまわる業務に切り替わるからね。二十四時間いつでも一緒に行動できるようにってことだよ」
「監視の間違いだろ」
「だって君、放っておくと外食で済ませるし、服だって同じものばっかり着るんだから、誰かがちゃんと見てないと」
「だからって同居することなんかないだろ。あんたは私のママじゃなくて、ただの監督官だ」
「監督官の仕事には、探偵が社会的に孤立しないようサポートすることも含まれてるんだよ」
「それにしたってやりすぎだろ。任期は最低半年。あと二ヶ月ちょっとで解放されるんだ、そこまで張り付いてたら、復帰のときが面倒だぞ」
え。監督官って任期あるんだ。
ずっと嫌だ嫌だってこぼしてるじゃねえか、自分で復帰しにくくしてどうする、と比企は斬り捨てた。
あまり長居するのも申し訳ないので、勉強会は桜木さんが夕飯のリクエストを取る前に切り上げた。
送っていくよという桜木さんを、余計なことをするな、のひと言で袈裟斬りにして、比企が俺達を公園駅まで送ってくれた。
「桜木さん、すげえいい人だな」
結城が言って、俺達がうなずくと、だから困るんだ、と比企が苦虫を噛み潰したような顔で呻いた。
「悪党相手なら、純粋にビジネスとして話ができるんだがな。善人はそうもいかない。私物の保管と寝る場所だけでいいんだ、どこか安いアパートに入れってんならともかく、なんで同居なんだ」
「いや英断だと思う」
「比企ちん、安いからって事故物件とか治安悪いところとか平気で部屋借りそうだし」
「あとコンテナルームとかで済ませちゃいそう」
「風呂がなければ公園の水道だとか言いそうだし」
「パンの耳もらって食って済ませてそう」
やだリアル。自分達で言ってて、すんごい生々しく想像できちゃった。そして違和感なかった。コワイ! でも比企は、俺達が恐怖してるのなんかどうでもよさそうに、そうかパンの耳か、その手があったか、とうなずいてる。やめて今後に活かさないで。
駅が見えてきたところで、そうだ、と源が切り出した。
「比企さん、八月って暇? 二週目と三週目、お盆中心にしてその辺」
「特に予定はないな」
仕事も入ってないし、と答える比企。あ、なるほど、どうせなら向こうでもつるんで遊ぼうってことか。
「俺ら、その間まさやんの親戚が伊豆で民宿やってるから、泊まり込みで手伝いに行くんだ。たぶん、まだ部屋も埋まりきってないだろうし」
「よかったら遊びに来いよ。俺ら、朝は民宿の仕事して、昼前から海の家行って、午後は交代で休憩取って、って感じで夕方から暇だからさ」
源に乗っかるように結城と忠広も続けて、
「予約取るときに俺の名前出してくれれば、宿代少し割引にしてもらえるように頼んどくわ」
まさやんグッジョブ。
比企はぼそっと海か、とちょっと眉根を寄せたが、暫し考えてから、せっかくのお誘いだし、来月に入っても仕事の依頼が来なかったらお邪魔するよ、と答えた。それから意地の悪そうなニヤニヤ笑いで、ということは、と続けると、
「つまり、それまでに諸君は課題を全部終わらせなくては、安心してアルバイトもできないということだな」
今日一日で一番楽しそうにそう言った。
チクショウ、そうです! おっしゃる通り! なのでしばらく俺達に勉強教えてください。お願いしまっす。
押忍! と俺達は、特に示し合わせてもいないのに、声を揃えていた。
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