第7話 五人とひとりと海辺の事件 1章
参っちゃうよなあ、とおじさんがぼやいた。
参りましたね、と俺も応じる。
参ったなとまさやんも答えた。
「こんなに客足が途切れっちまうとなあ」
ため息をついてから、おじさんは参っちまうよなあ、と繰り返した。
俺達の目の前には真夏の海。
でも、砂浜にも波の間にも、人はまばらにしか見えない。数えるにも両手で足りてしまうぐらいの人影の、半分は忠広と結城、源だった。つまり仲間内だ。
去年、初めてアルバイトに来た頃を振り返って、俺は呆然と入道雲を見ていた。
どうも、毎度お馴染み俺です。八木真です。
いつもの俺達五人は、今、まさやんの親戚が経営する民宿「漁り火」の手伝いで、短期の住み込みアルバイトに来ています。
初日こそ賑わっていたこの海岸だけど、昨日起きた事件のおかげで、行楽客はみんな一斉に帰っちゃったんだよなあ。なんてことだ!
ということで、伊豆の海辺の、ひなびた小さな漁師町は今、驚愕と恐怖に覆われております。
今朝の地方紙の三面記事を見てもらえば、きっとわかると思うよ。
海岸で男女の遺体発見
全身に傷多数 原因は海洋生物か
昨日午前六時、I市うしお海水浴場の岩場で、N県在住の男女の遺体が発見された。
男女は海岸近くの民宿に宿泊する海水浴客で、所持品や着衣、人相から、N県O市在住の大木純さんと、婚約者の安江陽菜さんと判明。大木さん、安江さんともに、全身に無数の打撲、咬傷様の傷があり、鮫ないし何らかの海洋生物、或いは野犬に襲われたと見られ、市役所と市警察は地域漁協および猟友会に、危険な海洋生物・野犬等の発見時の通報、駆除作戦への協力を要請した。
初日はあんなに忙しかったのに。
初日に焼きそば買いに来た大学生のお姉さん達に、遊びに誘われてたのに。
お姉さん達は昨日、すっかり暇になった焼きそば屋台に立ち寄って、ごめんね、なんか危ないから帰る方がいいって、泊まってる宿の女将さんが。って帰っちゃったし。
まあね! 君達今何年生? あら二年生? じゃあ来年、は受験で難しいよね。再来年、大学生になったらまたここで会える? 再来年また来るから、そのときまた遊びましょうね。って言ってくれましたから? まだ希望はありますけどね?
きれいなお姉さん達だったなあ。おっぱいでかかったし。ハイビスカス柄のビキニがステキでした。
で、まあそんな調子だからね、昨日いきなり客足がまばらになって、今日はもう全滅。まさやんの親戚のうちも、昨日のうちに慌てて帰るお客さんばかりで、気がつけば俺達だけになってたし。
やばい。このままではバイト代どころか、逆に宿代払わないとダメじゃん。さすがにまさやんもちょっと焦っていて、焼きそば持って港の競り場や市役所、猟友会の事務所に売りに行った。山狩りとかしてるところに行って、少しでも稼ごうというわけだ。昨日の昼に、物は試しで行ってみたら、おいそれと買い出しに行くわけにもいかない状況だから、その場で昼食を買えると大盛況で、あっという間に売れたのだそうだ。もっとたくさん持ってきてくれなんてリクエストもあって、今日は源と忠広を連れて、お茶のペットボトルと一緒にリヤカーに積んで売りに行き、さっき戻ってきたところだ。
猟友会と市役所はリヤカー三人組が、すぐそこの競り場には、俺と結城とおじさんが、二手に分かれて売りに行った。
おかげで食材のロスも赤字も出なかったし、明日以降もおじさんの海の家が独占販売で仕出しの依頼を受けられたけど、民宿の売り上げが取れないのは正直痛い、と、宿の経理をやってるお姉さんが険しい顔をしていた。おじさんの娘だというけど、顔はあんまり似てない。ただし中身はそっくりで、夜になると親子で酒呑んで、スポーツ中継サイトで野球観ながら阪神タイガースを応援している。でも、中身がおじさんそっくりと言うと、即座に尻を蹴り上げられるので要注意だ。
お姉さん、険しい顔ではあるけど、ご機嫌はそう悪くはなかった。まさやんが機転を利かせて、五〇〇円の焼きそばと一五〇円のお茶のボトルを、お客が損したと思わぬ程度に焼きそばの量を少しだけ増量した上で、抱き合わせて七〇〇円で売ったのだ。しかも、増量の具合はちゃんと儲けが出る程度の配分にしてある。おそろしい子!
それでも、やっぱり民宿のメインは宿泊代である以上、お客がみんな帰っちゃったのは厳しい。おじさんおばさんは気持ちを切り替えて、民宿や海の家の建物の修繕をしたりして、俺達も手伝っていたものの、やっぱりどうしたって俺達も、頭の片隅には不安があった。
バイト代もそうだけど、この騒動が解決しなかったら、お客さんが戻ってくることはないだろう。去年まで、いや一昨日まであんなに賑わってたのに。
海で遊ぶ時間はたっぷりあったものの、俺はどうにも腰の座りが落ち着かなくて、ゾワゾワして仕方なかった。
夜、すっかり暇になってしまった俺達に、お姉さんが一杯加減で声をかけた。
「少年達、花火があるぜぃ」
やったぜ! とばかり、短パンにビーチサンダルで玄関先に出ると、焼酎のグラス片手にお姉さんが待ち構えている。
「去年買って置いてたんだけどさ、大人のお客さんが多くて、出す機会がなかったのよね。まさか今年来るお客さんに出すのも気が引けるけどさ、もったいないしどうしようかねって言ってたらこの騒ぎでしょ。どうせなら、しける前に遊んじゃおうぜってことよ」
なるほどね。小さい子供連れのお客さんでもいれば、去年の残りで申し訳ないけど、海で遊べない分これで、とでも言って出せばサービスにはなるけど、肝心のお客自体がいないんじゃあなあ。
花火はカレンダーくらいのサイズのファミリーパックで、五人で遊ぶには結構楽しめた。お姉さんは俺達がわいわい遊んでいる様子を、三和土に座って酒呑みながら、愉快そうに見ていた。
花火が終わると、お姉さんが片付けを手伝ってくれた。それにしても、とまさやんを肘で小突く。お姉さん、近くに立ってるだけで酒臭いっすよ。
「やるじゃん正国。焼きそばとお茶と、抱き合わせて出前でセット売りなんて、よく思いついたもんよね」
親父が感心してたわよ、とケタケタ笑う。
「それ、明日あさって辺りでメニュー変えるのってできるか。たぶんその方が、お客が飽きずに利用し続けてくれると思うぜ」
「考えるわね。驚いた。──そうね、キャベツと人参玉ねぎ、豚肉でしょ。ああ、ご飯炊いて、回鍋肉丼風にパック詰めすればいけるかしら。ご飯は海の家のおにぎり用のがダブついてるし、肉炒めるのとご飯炊くのはあっちでもできるとして、いけなくはないか」
その場で計算し始めて、親父ー! と居間のおじさんにでかい声で呼びかけると、グラス持って戻るお姉さん。すぐにおじさんが俺達を呼ぶ声がして、作戦会議が始まった。
それにしても、すげえなまさやん。
「よく思いついたよな」
源が感心している。ああ、とまさやんが、
「昨日、結城と話してたんだよ。比企さんなら絶対、このぐらいえげつなく素早く稼ぎにかかるよなって」
確かに! あの豪傑姫ならやるだろう。
お姉さんが誰それ、と聞きつける。
「隣のクラスの女子。すげえ頭いいけど、すげえ大飯食らい」
ふうん、と電卓叩きながら生返事。たぶん、お姉さんは関取みたいな野暮ったい女子をイメージしていることだろう。それが手にとるようにわかったので、俺達は揃って笑いを噛み殺していた。
翌早朝。俺達とおじさん、お姉さんは、海の家で仕出しメニューの仕込みをしていた。焼きそばとおにぎり、回鍋肉丼の三種類。焼きそばは量を戻して、物足りなければおにぎりと合わせてもいいし、丼ものもあるから選択肢が増えて、お得感も増した。お茶と合わせて買えば五〇〇円、パックだけで四〇〇円。おにぎりはサイドメニュー的に、二五〇円に抑えた。それでもしっかり儲けは出るのは、お姉さんの計算の賜物だ。
おにぎりの梅と昆布を用意し、焼きそばと回鍋肉の材料を切って炒めるばかりにして、米を研いででかい釜で炊くばかりにして水を吸わせ、落ち着いたところで、おばさんが持たせてくれた朝ごはん。梅とおかかのおにぎりに卵焼きとウインナー、唐揚げがついていて、食べ終わったところで、俺達は砂浜を散歩していた。
岩場に差し掛かったところで、そういえばあそこで死体出たんだっけ、と忠広が指さす。
その岩場の手前。あれは何だろう。
ビーチボールぐらいの、中身がいっぱいに入ってるレジ袋ぐらいの、打ち上げられているあれは何だ。
──同じようなサイズのものが、点々と三つ四つ散っている。
真っ先に、それが何なのか気づいた源が、うわあああ、と悲鳴をあげた。
こうして、カップルが謎の怪死を遂げた事件は、連続怪死事件になってしまった。
俺達が見つけた猫の死体は、岩場やその向こうに散らばっていたものを合わせると、全部で九つ。
おじさんと一緒に、競り場へ行って漁協長のおっさんに知らせ、警察と市役所の人が来て、猟友会の人が来て、猫の体の傷を検めた。
何だこの急展開。まさか、五人揃って第一発見者になるなんて。
お巡りさんとツナギ着た市役所の人と、オレンジのチョッキ着た猟友会の人と、あと競り場で会った漁協長のおじさんと、大人がずらっと並んで、順繰りに俺たちに質問するわけですよ。住所氏名、伊豆に来たのはいつから、なんで、猫の死体を見つけた時の状況は。
俺達の身許その他は、全員顔を見た途端に、海の家のバイト少年じゃないかとなったので、形ばかり確認という感じだったけど、肝心の発見状況については、とにかく詳細に、できるだけ同じ場所を同じように歩いてみせたりして、事細かく説明しなくてはいけなかった。何か確認したいことが出たら、海の家か漁り火にいますと断り、弁当を作る時間ギリギリになって、どうにか解放してもらえたときには、心底ホッとしたものだ。
実際に体験してみると、ただ発見しただけではあっても、事情聴取って緊張するもんですね。すっごい疲れましたわ。
でもねえ、それだけじゃなかった。
お昼の弁当売りに、また競り場と市役所、猟友会に行くわけですよ。でね、そこで聞いちゃったの。
はいここ試験に出るぞ。しっかり聞いとけ。
最初のカップルも今回の猫も、身体中の骨がバキバキに折れてたそうです。
で、もっと嫌なのはここから。
バキバキに骨を折られて、更に、腹を裂くような感じで内臓食った痕があるんだってさ!
もぉイヤッ! あたしおうちに帰る!
って、オネエになったところで、もう発見者としてカウントされちゃってるし、バイトはあるし、帰るわけにもいかないんだよねえ。やれやれ。
これは別に、率先して知りたがって聞いたとかでなく、弁当売りに行ったら、脇でそんな話してるのが聞こえちゃったのね。完全に流れ弾食らった事故。てへぺろ⭐︎
いや、てへぺろ⭐︎ じゃねえ。
他にも「頭部が」「顔が」とか聞こえてきたから、それ以上なんか聞いちゃうのおそろしくなって、できるだけ事務のおばちゃんと世間話して、耳に入らないようにしてました。誰だ今チキンって言ったの。チキンじゃないから。キュートな小鳥ちゃんだから。
幾分げっそりして引き揚げてきた俺を待っていたのは、やっぱりげっそりしていた源達だった。
源達もまた、市役所と詰所で聞いていたのだ。
海の家で道具を片付け、リヤカーをしまって、民宿へ引き揚げる道々、結城が一九〇センチの背を丸めて、ボソボソと言ったものだ。
最初に発見されたカップルの顔は、ズタズタに切り裂かれて締め上げられて、頭の骨も砕けていて、それはおそろしい有様だったのだそうだ。
やっぱり俺達のように、警察や市役所の人たちがヒソヒソやっているのが、切れ切れに耳に届いてきたようで、源もまさやんも、気持ち青ざめていた。
その夜、アジフライとポテトサラダ、きゅうりの糠漬けにナスと油揚げの味噌汁という、なかなか豪華な夕飯を食べていると、野球を観ていたおじさんが、坊主達、と切り出した。
「こうなっちまうと、もういつお客が戻るかなんてわかったもんじゃねえし、何よりおっかなくてうっかり海にもいられねえだろ。どうする」
もし帰りてえってんなら、無理には引き止めねえ、去年と同じだけバイト代も出してやる、後のことなんか気にせずに家に帰れ。おじさんはそう言って、おばさんもうなずいた。
「仕出し弁当のアイディア出してくれただけでも、あれがあれば、うちはまあ、どうにかひと夏やっていけねえこたぁねえからな。正坊のお手柄だ。みんなもなあ、売りに出るのを助けてくれてよ、ありがとよ」
コップの焼酎をあおって、寂しくなっちまうなあ、とおじさんはしんみりと言った。
驚いている俺達。
まあ、言われてみればそうなってもおかしくない。誰だって、こうなれば帰りたいと言い出すだろう。だけど。
「正ちゃん、今の今じゃあ、すぐに返事できないでしょう。ひと晩みんなでよく相談して、明日にでも、どうするか決めておいてね」
おばさんもお姉さんも、無理しないでいいからね、と言った。
風呂を借りて部屋に引き揚げて、俺達はぼんやり麦茶を飲みながら、どうする、と誰ともなく持ちかける。
「おじさんの言うのも無理ないとしてもさ」
源がうちわでバッタバタ顔を扇ぎながら、なあ、と俺達の顔を見回す。
「まさやんはどうするんだ」
忠広が訊くと、俺は残るとまさやんが答えた。
「親戚だし心配だ」
「じゃあ俺も残る。親友として、まさやんだけ置いてなんかいけねえ」
結城が即断言。こいつのこういうところはカックイイと思う。
忠広とヤギはどうするの、と結城が俺達に水を向けた。忠広も残るよ、とサラッと答えた。
「おばさんの飯うまいし、去年だってお世話になったし、ここでじゃあ帰ります、ってのはねえだろ」
源が、だよなあ、と唸る。
──そうだ。
そこで、不意に俺はひらめいた。そう、それはまさに天啓。アーメンハレルヤピーナツバター! ジーザスクライスト!
あのさ、と俺は切り出した。
「ダメもとで呼んでみない? 比企さん」
全員が一斉に顔を上げて俺を見た。
全員黙ってサムズアップ。俺もグッと親指を立て拳をあげて応える。
そうと決まれば作戦会議だ。
比企に仕事を頼むといくらぐらいかかるのか、何度目かの勉強会のときに出された、東中学事件の日当の分厚さもなかなかのボリュームだったので、正直不安しかないけど、世話になったおじさんおばさんが困ってるのに、バイト学生で未成年だから、子供だから、といって何もしないなんて、俺達には無理だ。依頼にかかるお金は、何年かかっても俺達で折半して払おう、と俺が言うと、みんな同じことを考えていたようで、あっさり同意を得られた。あとは比企に連絡を取り、来るなら来る、来られないならそれでも困らぬよう、情報をできるだけ集めておこうと方針を定め、役割を分担し、その夜は日付が変わる頃に眠りについた。
朝五時、安堵と興奮がないまぜになった俺達は、起き抜けにチャットルームで比企に状況を知らせる書き込みをして、手を貸してくれとだけ書いておいた。手伝えるところは手伝う、そのくらいは誠意というか、やる気というか、心構えを見せておかないとと思ったのだ。
あとは比企がこの書き込みを見てどうするか、返事待ちだ。
手短にコメントを書き残してから、仕出し弁当の仕込みに出た。
おはようございますと玄関先に出てきた俺達の身軽さを見て、おじさんが、ん、と唸る。
「いいのか坊主共」
ここで帰ったら俺達絶対後悔するので、と忠広が答えた。おばさんがエプロンの裾で目尻を拭って、ありがとうねえ、とひと言、奥に引っ込んでから、朝ご飯のおにぎりの包みを持たせてくれた。
さあ、いよいよ行動開始だ。
まずは情報収集から。集められるだけ情報を集め、犯人の正体を特定できる材料を揃えるのだ。
海の家までの道中、わずか五分ばかりの道のりだけど、その間に俺達は、おじさんにこの夏起こったおかしなことはないかと質問した。
──おかしいよな、よく考えるとさ。
冴えてるときには冴えてる結城が言ったものだ。
「ホラー映画とかでもさ、あるだろ、こういう事件が起こるときって、大概その前にちっちゃい事件が何回かあって、それからドカンと大事件が起こるんだ」
比企を呼び寄せようと決まって、作戦会議に移ったところでそう言って、結城は部屋のテレビのチャンネルを変えた。ローカル局のチャンネルでは、二年ぐらい前に流行ったラブコメ物のドラマを放送している。
言われてみれば。俺達がこの町に来て、すぐに大事件が起こったから、なんとなくそこがスタート地点だと思ってしまっていたし、町の人たちにしたって、いきなりこんなおそろしい事件が起こったから注目してはいるが、それ以前にだって何か、予兆のような些細な出来事が、たぶんあったのだ。
幸い、俺達は猫の事件では第一発見者として関わっているし、猫達とカップルとはそっくりな死に方ゆえに関連性があると見られているようだ。しかも、俺達はまさに事件の捜査や対策に当たっている市役所や漁協に、弁当を売りに出入りしていて、そこにいる大人達とは顔馴染みだ。あまり関係ないだろうと思っていることなら、きっと気安く話してくれるだろう。やってみるだけの価値はある。
テレビではドジっ子主人公が、しっかり者のヒロインに叱られながらもいい雰囲気になっているが、もう俺達は誰も身を入れて観てはいなかった。
おじさんは、俺達が来る少し前にあった小さな騒動を、そういえばあったなあ、と振り返り話してくれた。
漁に出て、水揚げした魚を見たら、ぼろぼろぐずぐずになったマグロや、どんなものなのかよくわからない、見たこともない生き物と思しき何かの切れ端がかかっていたとか、夜半に犬の散歩で桟橋を歩いていたら、何かが犬を海へ引き摺り込もうとしたとか、何かに腹を食い裂かれたうみねこの死体がいくつも海岸にあったとか、出るわ出るわ。
生姜焼き丼とお好み焼きの仕込みをしながら、おじさんは色々思い出したことを話してくれた。俺達は代わる代わる、メモを取り端末のボイスレコーダーに残しておく。そんな俺達を見て、何が始まるんだとおじさんが訊ねた。
「まあいいけどよ、危ねえことだけはするなよ」
うっす、と俺達は答えるが、どのぐらい危ないのかはまだ未知数です。
弁当をきれいに売り尽くして、海の家を片付けて、今日できる分の仕込みをして民宿に戻ると、おばさんが大慌てで、一番いい角部屋を掃除しているところだった。
ただいまあ、と声をかけると、ちょうどよかった、とおばさんがすっ飛んでくる。
「正ちゃん、ちょっと」
どうしたんだ。
「さっき正ちゃんの学校のお友達だって、電話がかかってきたんだけど」
え。もしかして。
瞬時にアイコンタクトでうなずき合う俺達。おばさんはそんなことには気づかず、
「こんな事件が起こってるし、物騒だからって言ったんだけどねえ。部屋は空いてますかって、明日にでも来たいって」
「おばさん、名前聞いた? 」
まさやんが訊ねると、ああ、そうそう、とおばさんは、俺達が今一番聞きたかった名前を口にした。
「ええと、ひき、さんって。落ち着いて礼儀正しいお嬢さんだったわよ。正ちゃんのガールフレンド? 」
その瞬間。俺達は揃ってガッツポーズをとった。
おばさん、その礼儀正しいお嬢さんは、胃袋とファッションセンスについてはバーバリアンです。残念ながら。
比企が動く。そうと決まればこうしてはいられない。
すっかり暇になってしまった午後の時間を、俺達は小さな港町へ散って、あちこちで情報を集めにかかった。捜査会議は夕飯の席だ。
昼間の信用金庫の勤めから戻ったお姉さんが、夕飯の食卓を囲む俺たちを見て、ちょっとだけ目を丸くした。それから、へえ、と感心して、にひゃっと笑う。
「帰んなかったんだ」
かっこよくなっちゃってさ、とまさやんの頭を軽くつついて、風呂に入りに部屋を出た。
聞き込みでわかったことは以下の通り。
・去年の秋の終わりぐらいに、いきなり通常よりひと回りふた回り大きい魚が網にかかることが数回あった。
・それからピタッと不漁の時期が、半月ほど続いた。今度は急に小魚しかかからなくなった。
・水揚げ量が戻った頃、ボロボロになったマグロが網にかかったことがあった。同じ頃、何の生き物かわからない、何かの肉片としかいえないものが網にかかった。
・ときどき、何か大きな生き物に食われかけたような魚がかかるようになった。
・春先に町の裏手、山の中にいた野犬が激減した。
・野犬が減り始めた頃、早朝の砂浜や港に何か大きなものが這いずったような痕跡があった。
「これで何がわかったんだ」
忠広が端末のメモに打ち込んでまとめ上げると、はいはいはーい、と結城が挙手。
「はい結城君」
「ゴジラがいる」
「結城先生の次回作にご期待ください」
「じゃあ廃棄物十三号」
「惜しい。あとひと捻りほしい」
「うーん、そんならインスマスの魚人間」
「ナイスボケ」
いつものように軽口を叩き合いながら、俺達は謎の輪郭を少しずつ探っていく。
とにかくあの海に何かがいる。それも、人工的な機械とかでなく、生きて意思を持って動く何かが。
そいつは腹を減らして水辺をうろつき、獰猛な野犬を恐れさせ、生き物を捕らえて食ってしまうのだ。
ちなみに、何の肉なのかわからない肉片だけど、
「大学に持っていって調べてもらったけど、傷みが激しくて分析できなかったんだってさ」
だそうで、これは結城が、肉片を大学の先生のところに持ち込んだ漁師さんから聞いてきた。
とりあえず、鳥・魚・人間・猫と、節操はないけど肉食なのは確かな生き物が、この静かな町に面した海のどこかにいるのだ。まだ推測でしかないけど。
夕飯を済ませてから、おばさんの片付けを手伝って、風呂を済ませて、俺達は昼間に集めた情報をまとめておいた。
そうだ、比企に連絡を取らねば。
チャットルームを開いてみれば、そこには比企の書き込みが。
──こちらは実に平和なものだ。課題も終わらせてしまったし、暇を持て余しているだろうと、今日も因業爺に呼び出されて茶飲み話に付き合わされた。ちょうどいい、お招きに与ろう。
うはあん比企さんありがとう!
──明日の日中には、そちらに着く予定だ。肥後君のご親戚にも、しばらくお世話になりますと伝えておいてくれたまえ。
俺達はそれぞれ分担して、カップル惨殺事件の新聞記事のリンクや、聞き込みの結果をまとめたメモ、町周辺の地図、おじさんから話を聞いたときの録音データなどをチャットに貼り付けておいた。
何、比企のことだ、すぐにリンクを開いて、必要な情報をかき集めるだろう。
明日からが勝負だ。俺はテレビを消して、源が用意よく持参してきたコンセントタップに、端末の充電コードを差して布団に寝転がった。
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