第85話 真打・五人とひとりと学校の怪談 2

 こだま市立東中学。俺と忠広が二年前まで通い、今は佑が通っている、俺達の母校だ。

 生徒数は多くもなく少なくもなし、それでも新旧の校舎があって、体育館とプールがあって、程々に校庭の面積もある。最寄駅は東駅、となってはいるが、実際にはひと駅隣の公園駅と東駅、市の南端を流れる白玉川との中間地点にある。制服は、男子はファスナー留めの黒い詰襟、女子は黒襟のセーラー服。

 半分ぐらいの生徒は隣の市の私立高校へ、あとの半分は近隣の公立高校へ進む、よくある平均的な中学校だ。

 そんなパッとしない、はずの学校が、今はちょっとした騒動のおかげで、静かに沸騰寸前の様相を示していた。

 それが集団ヒステリーなのか、それとも真物のスーパーナチュラル案件なのか。ことを大袈裟にしないよう箝口令を敷いていたものの、騒ぎが起きたその場に居合わせた生徒の一人が心理カウンセリングに通院し、カウンセラーから学校へ問い合わせがあったことから、ついに観念せざるを得なくなった教師陣や教育委員会、市の教育課が、対策に困ってすがったのが、俺達の仲間・比企小梅のお師匠さんだった──。

 今回の事件、始まりこそ俺の弟が比企に相談したのがきっかけではあったが、ついに別のルートから出馬せざるを得ないことになった彼女は、どうやらまた美少女戦士な、アニメばりの立ち回りをすることになりそうだった。

 学校の事情に通じている俺と忠広、佑はまあ、協力者枠で立ち会うとして、あんまり関係のないまさやんや源、結城までが一緒に来るというのは、何を考えているのか。

「何だよー俺らを仲間外れにするなよー」

「こんな面白そうなことを見逃せるわけねえだろ」

「ダチが二人も、なんかやばそうなことに手を貸すしかないってときに、知らねえ顔なんかできるかよ」

 おまいら…! 特にまさやん! 心の友よ!

 そういう、半分がた成り行きと言っても差し支えない経緯で、俺達は連れ立って我らが母校・東中へと乗り込んだのだった。

 昼休みに教室を抜け出してきた佑は、来客用の昇降口で俺達を出迎えた。

「うわ、ほんとに源さんとかも来たの」

「そりゃ来るだろー」

 俺達がそんな危機感のかけらもないやりとりをしているのを尻目に、客用昇降口の右方、事務員詰所の窓口に声を掛ける。ジーンズの尻ポケットから飴色にこなれた革のパースを出し、中から何かのIDカードを見せると、俺達が通っていた頃からすでにハゲ上がっていた事務のおっさんが目玉をひん剥いた。

「しょしょしょ少々お待ちを」

 事務室から泡食ったようにバタバタ出て、職員室と校長室の方へ駆けて行く。すぐに戻ってきて、今度はコメツキバッタよろしくペコペコしながら、どうぞこちらへ、と案内した。そのタイミングで予鈴が鳴って、挨拶もそこそこに佑が教室へ戻る。

 二年ぶりに見た校長は、この騒動への対応で疲れているのか、記憶よりも顔色が悪くて目がしょぼついていた。比企と並んで校長室へ入った俺と忠広を見て、おととし卒業した八木君と岡田君だね、と声をかけてきて、源や結城にもソファーへかけるよう促す。応接のソファーだけでは足りないと見てとった事務のおっさんが、大急ぎでパイプ椅子を調達してきた。俺と忠広、まさやんがパイプ椅子、源と結城は二人がけ、比企は校長と向かい合う位置の独りがけに腰を据える。

 一応、依頼に応えて足を運んできたプロフェッショナルが相手ということで、表面はにこやかに迎えてはいるが、何せ比企はどう見ても、オカルト案件よりファッションショーのステージの方が向いていそうな美少女だし、卒業生である俺と忠広の目も気になるところだ。愛想よく出迎えているようでいて、校長の視線は胡乱げに俺たちを順繰りに見回していた。それを察したのか、比企は素っ気なく、彼らは私のアシスタントブレーンです、と斬り捨てる。

「ご覧の通り、私は普段、市内の高校に通っておりますが、たまさか知り合った彼らの中に、この学校の卒業生がいるというので、案内や簡単な折衝を頼んだのですよ」

 学生の身とはいえ、彼らも心得ております、関わった案件を口外することはありません、と結ぶと、校長はややホッとした表情を見せた。

 緊張状態から急に解放された者に特有の饒舌さで、校長がペラペラ喋り出す。曰く、我が校はこれまでこんな騒ぎとは無縁だったのに。この春頃から急にトラブルが起こり始めて、保護者や地域からの信用はガタ落ちだ。生徒達を預かる学び舎として、一日でも早く、安心して通学できる環境を取り戻したい。

 事務員のお姉さんが出してくれたアイスコーヒーには一切手をつけず、比企はニコニコと耳をそよがせていたが、校長が小さく息をついた瞬間、すかさず斬り込んだ。

「大方の経緯は教育課の矢本さんから伺っております。今日、こうしてお訪ねした理由は、この目で現場を確認したかったからです。校長先生のご心痛はよくわかりました。が、私はまず、この目で見て、どんな手を打てるのかを確認して、可能ならすぐにでも解決したい。この学校には、来年、再来年には後輩になるであろう生徒達がいる。彼らに少しでも早く安全をあげたいのですよ」

 おお、と校長が感に打たれたように呻いた。

 それには目もくれず、スッと立ち上がるとひと言、八木君岡田君、案内を頼む、と部屋を出る。

「現場を拝見します」

 

 連れ立って校長室を出た俺達全員は、いつもと同じ足取りで、いつものようにブラブラと、生徒用昇降口へ向かった。校長室や事務室がある校舎の南側から、反対側の北側だ。もっと先まで歩くと、佑があの日にいた図書室がある。

 二年ぶりに見る鏡は、確かに馬鹿でかい鏡だった。差し渡し三メートルはあるだろうか。天井から足元までがしっかり映る。改めて見ると、こんなにはいらんだろというツッコミ待ちにしか思えなかった。

 でかいな、とまさやんがボソッと言って、みんながしみじみうなずく。

 鏡の前には、生活指導の立花が立っていた。

「何だ、お前らも来てたのか」

「うっわ久しぶりセンセ」

「弟がお世話になってまーっす」

 ああまったく、兄弟揃ってなあ、と立花。相変わらず縦にも横にもでかくて、顔もいかつい。学生の頃は柔道をやっていたとか言っていたな、そういえば。

「どうしたお前ら、中学が懐かしくなったか? 久しぶりだ、話でもしたいところだが、生憎これから客の応対をしなくちゃいけないもんでな」

 また今度な、とあしらう立花に、俺は思わずブフォッと吹き出した。

「実は俺ら、その客の案内で来たの」

「はあ? 」

「こちら、俺らの隣のクラスの比企さん。──比企さん、これが佑の言ってた生活指導の立花先生」

「はあー? 」

 呆気にとられる立花。俺と忠広は、腹を抱えて爆笑したいのをひたすら我慢していた。

「どうも、この度依頼を受けてきました比企です。たぶん先生は、探偵〈スネグラチカ〉が来ると聞かされていたでしょうが、まあ、それは私の仕事用の名前です。どちらでも呼びやすい方でお呼びください」

 比企が挨拶と一緒に、さっき来客受付で出したIDカードを示す。パールホワイトの地に赤いライン、何かの番号、顔写真だけが入ったカードには、ホログラムでがっつり警察庁と内閣府、防衛省の名前とロゴが入っていて、明らかにガチの国家資格っぽかった。知らんけど。

 ただ者でないのはよくわかってたけど、まじで何者なんだこいつ。

 はあ、といささか緊張した面持ちの立花は、御所望と聞きましたので、と畳んだ紙を出して比企に渡した。どうも、と受け取って広げた比企の肩越しに覗き込むと、校内の見取り図だ。有難うございます、と畳んで、パースとは反対側の尻ポケットに収めた。悪くない、と小さく呟いて、鏡に向き直る。ふん、と鼻を鳴らし、小さな手でコツコツと鏡を軽く叩くが、明るい昼間では何が起こるでもない。

 比企は正面の階段を途中まで昇って振り返り、狼のような目で、鏡全体を見回した。それから、ふん、ともう一つ鼻を鳴らし、あの喫茶店で俺と忠広が書いたリストを広げると、八木君岡田君、このリストの場所を案内してくれないか、と言った。

 

 来客用スリッパの足音も高く、俺達は学校中を歩き回る。

 まずは遠いところから、渡り廊下を通って体育館とプール。授業中のクラスが使用していたので、遠くからさらっと見て引き揚げる。美術室に音楽室、生物室も同じ。校庭はさっき、来たときにもう見ているので、旧校舎の屋上へ出る階段と女子トイレでツアーは終わりだ。

 どうだったと訊くと、さあなあ、と比企はぼんやり答えた。

「みんな大好きスーパーナチュラルという意味では、見事に何もないな。リッツホテルのスイートのトイレばりにクリーンだ。とはいえ、昼間のうちじゃあなあ。ことが起こるのは、薄暗くなってからなんだろう。同じ条件で見ないことには」

 そりゃあまあ、昼間、生徒がワイワイやっている時間帯と、夕方のひと気がない時間とでは、雰囲気も違うだろう。

 俺達はひとまず図書室で、放課後まで過ごすことにした。来客の接遇のために午後の授業は課題を設けて自習にしてきたと言って、立花もついてきた。

 幸い、図書室は生徒がおらず、俺達は書架を冷やかして、比企は校内のあれこれを立花に質問して過ごす。

「最近赴任してきた先生、転入してきた生徒、とにかくこの春先からの新顔はいますか」

「教頭が、都心の学区から異動で来ました。なんでも教師になって初めて赴任したのが、この学校なんだとかで。変わってないなと懐かしそうにしてましたよ」

「そうですか。八木君の弟さんからも話を聞きましたが、立花先生も一緒に、例の現象を目撃されたとか」

「ええ。始めのうちは、何が起こっていて、どこがどうおかしいのかわかっていなかったんですがね、そういえばこんな女生徒は見たことがないなと思って、すぐに違和感だらけの状況に気がつきました」

「さぞや怖ろしい思いをされたことでしょう」

 お、なんだ、比企さん随分物わかりがいいな。忠広の肩をちょいちょいと突いて、閲覧スペースの広い机に向かい合う比企と立花を示すと、奴も気がついたらしく、一緒に書架の向こうから様子を窺う。みんなもそれに続いた。

 いやもう、と立花は目頭を揉んで、

「生徒には、そんな噂に振り回されるな、怪奇現象だなんだと騒いだところで、そんなもの実際に起こるはずがないだろう、などと、聞いた風なことをもっともらしく言っていた手前、いざ実際に自分が見てしまうと何もできないのが、どうにも」

 わかりますとうなずく比企。やだコワイ! 怪奇現象よりもコワイ! 物わかりがやたらといい比企さんコワイ!

「立花先生は、あの大きな姿見を取り付けようと発案したのが誰で、どんな経緯で設置に至ったのか、それについて、何かご存知でしょうか」

「さて、何せ私が赴任した四年前には、もう設置されてからだいぶ経っていましたからね…。生徒達の身嗜みをきちんとさせようと取り付けた、としか」

 そうですか、とそこで比企はしばし考え込んでから、ところで、と話題を変える。

「先生方は、この学校の七不思議については何かご存知ですか」

「は? 」

 一瞬固まる立花。七不思議、ですか、とちょっと胡乱げに訊き返す。

「ことがことですから、学校で不思議なことが起こる、という要素がかぶるものの中から、何か手がかりが摑めないものかと。一見無関係にしか思えない、くだらない物の中に、意外とヒントが隠されていたりするものなんですよ」

 そんなものですか、と立花は、それでも半信半疑といった風で、赴任したばかりの頃に教え子や同僚から聞かされたと、二つ三つ、七不思議の噂をあげた。

「ありがとうございます。参考になりました」

 比企は不敵な笑みで謝辞を述べた。

 立花が語った大鏡の噂は、俺達が在校していた当時と同じものだった。

 

 立花からひと通り話を聞き、比企はそのまま図書室を出て、職員室へ。初めてきた場所だと言うのに、さっき地図を見ただけで、もう迷いなくスタスタ歩いている。俺達もなんとなくゾロゾロとついて歩いた。失礼します、と比企は躊躇なく入り、居合わせた何人かの教師達に、立花にしたのと同じ質問をぶつける。しかし結果は似たり寄ったりで、やはり大鏡の怪談噺は、ここしばらく囁かれているものではなく、俺や忠広が聞いていたのと同じものだった。

 聞き込みを終えて、最後に比企がそういえば、と忘れていたことを思い出したかのように訊ねる。

「教頭先生からもお話を伺いたいのですが、どちらにいらっしゃいますか」

 ああそれなら、と、立花や教師達が答える。

「二年一組ですよ。昔からやっていたとかで、書道の授業があると、ときどき講師の代わりに出られるんですよ」 

 もうそろそろ午後の授業も終わりますから、すぐ戻られるでしょう、と言う。

 数分でチャイムが鳴った。授業が終わったのだ。さほど待つこともなく、くだんの教頭が戻ってきた。

 身長はそこそこ高め。おっさんにありがちなデブどころか、体つきはしまっていて、顔もイケオジの部類に入るだろう。待っている間、一部の女子には人気があると聞いたところだけど、なるほどな。俺と忠広は、立花の肩を叩くと、俺達は先生の味方だからな、と励ました。下駄みたいな御面相の立花じゃあ、そもそも勝負にならない。立花は余計なお世話だ、と俺たちの頭を軽く叩いた。

 小テストの採点をしながら比企と話していた教師が呼びかけ、イケオジ教頭がこちらへやってきた。

「おや、立花先生、こちらは? 」

「例の、教育委員会と市の教育課が依頼したプロだそうです。それと、うちのOBとその友人です」

 そうですか、この方が、と破顔すると、

「もっといかがわしい、祈祷師みたいな人間が来るのかと思っていたら、こんな若いお嬢さんだとは。…ああ、ご挨拶が遅くなってすみません、私が教頭の西脇です」

 比企はどうも、と軽く頭を下げた。

「スヴェトラーナ・グリゴリエヴァナ・トボロフスカヤです」

 え。偽名? なんで偽名?

「ロシア人の名前は、日本の方には馴染みが薄いでしょう。呼びにくいようでしたら、スヴェータで構いません」

 え、と声を上げかけた立花を、目配せ一つで黙らせると、比企はしれっとそのまま話を続けた。

「本当なら、校長室でお待ちしている方がよかったのでしょうが、すみません、日本の学校が大変興味深かったもので。彼らに案内をしてもらっていたところです」

「そうでしたか。そういうことでしたら、どうぞ、どこでも自由にご覧ください。よろしければ、生徒達にも外国のお話などお聞かせいただければ、彼らにも見聞を広げるよい機会になるかと」

「ありがとうございます。──ところで教頭先生、」

 にこやかに社交をおっ始めた比企は、そのままの口調とノリで、立花やその他の教師陣に繰り返した質問をぶつけた。

「教頭先生は、この学校で語られている七不思議をご存知ですか。日本の学校には大概あるものだと彼らから聞きまして。あの姿見なんて、格好のネタになりそうだと思いますが」

 意想外の質問だったのだろうか。教頭は一瞬、何かに引っかかったように黙る。空白の表情。それから、気を取り直したようにまたにこやかな微笑みを浮かべ、さあ、どうだったかな、と苦笑した。

「何せ私は、この春に赴任してきたばかりなもので」

 そうでしたか、と比企はあっさり引っ込む。

「ありがとうございます。…いけない、あまり長々とお邪魔しては、先生方のお仕事に差し障る。これで失礼致しますね」

 一礼して扉口へ。廊下へ出かかったところで、あ、と何か思い出したように振り返った。

「そういえば教頭先生、一つだけお訊ねするのを忘れておりましたが、」

 なんだ。なんの小芝居だ。

「生徒さん用の昇降口のそばにある、大きな姿見。あれを設置したのはいつ頃か、ご存知でしょうか」

 教頭はそこで、ほんのわずか視線をあらぬ方へ投げて、すぐに比企の方へ戻した。

「さあ、いつだったかな。だいぶ以前からあるようですね。まあ、身なりに気を配り、きちんとした格好を心がけるのは、よい習慣だと思いますよ」

「私も同感です。──では、失礼致します」

 今度は本当に、比企は職員室を出た。

 

 職員室を出て、比企は来客用昇降口へ向かう。一旦校庭に出ると、愛用のフライターグから携帯端末を出して、どこやらへ電話をかけた。

「私だ」

 さっき教頭を相手に社交をやっていた口調とはまるで違う。いつもの俺達とバカやっているときの口調よりも、もっと鋭い。俺たちがこうしてつるむきっかけになった事件、俺が魚の化物から救われたときの、あの夜と同じ感じだ。

「今から言う場所、及び人物について調べてもらいたい。必要経費と手数料は、いつもの通り私の口座からいるだけ引き出してくれ」

 高校生の口から出るセリフじゃない・オブザイヤー。

 電話の相手にまず中学校の名前と、事前に調べていたのであろう住所を告げてから、

「当該中学校の教頭、西脇。学歴職歴病歴その他、いらないことまで調べ上げろ。どこがフックなのかわからんからな」

 え、と一斉に振り返る俺と忠広、源、まさやんに結城プラス立花をよそに、それでは迅速に頼むぞ、と電話を切る比企。

「どこに電話してたの」

 思わず訊くと、情報屋、と比企は答えた。

「時間があれば自分で調べてもいいんだけどな。今回は早く、できるだけ多く情報が欲しかった。時間と手間を金で買ったわけだ」

「うわあい、見た目がお姫様なだけで中身は豪傑だよこの子! 」

 ヤケクソになってはしゃぐ俺達。立花はかわいそうなものを見るような目で、苦労してるなお前ら、と言った。

「ところで、なんでさっき偽名使ったの」

 結城が訊ねると、面倒だから、とあっさり答える比企。

「変に日本名で答えるより、あっちの方が簡単に済むから」

 なるほど。

「じゃあさっきのあれ、何なん。訊き忘れたフリなんかしちゃって」

 俺が突っ込むと、比企はちょっと目を丸くした。

「何だ八木君、貴君は『刑事コロンボ』を知らないのか」

「いや知らんて」

 知りません。

 コートと安葉巻とが欲しいところだ、やはりCV:小池朝雄は外せないだろう、なんて訳のわからないことをぼやきながら、比企はフライターグから紅茶のペットボトルを出して、半分ほどを一息に飲み干した。

 ぶらぶらと校庭の周りを、植え込まれた桜の木陰を歩きながら、このあとどうするのさ、と源が訊ねる。

「あー、あっつい」

「なあもう帰る? 」

 結城がぼんやりと空を見上げた。やっと日が傾き始めたぐらいで、昇降口からはぼちぼち生徒達が出てきている。

 比企はそうだな、とつられたように空を仰いで、もう少し残ってみようと答えた。

「同じ時間帯、できるだけ近い条件で現場を見たい。現象が起こるか否かは運次第だろうが」

 目の錯覚なのか、真物のスーパーナチュラルなのか、貴君らも見たいだろう。比企はそう言って、ニヤリと太い笑みを見せた。

「さあ、貴君らの運がよくて、私の運が悪ければ、種もしかけも仕込みようのない見世物が見られるぞ」

 なんとなく息を呑んだ俺達。

 昇降口から佑が、校庭の向こうの俺達に手を振りながらこちらへやってくる。

 

 時刻は夕方、午後六時前。空は黄昏て、西日は蜜色に変わっている。俺達──俺、忠広、まさやんに結城と源、佑、それに比企と立花は、校舎内へ戻って、図書室の前に立っていた。

 下校時刻は午後六時。例の現象が起きたあの日、佑と友人達は、ギリギリの数分前に筆記具を片付け、出した本を書架に戻し、大慌てで出てきたのだという。

 立花もうなずいた。

「実際、全員が図書室から出てきたところに行き合ったのは、下校時刻まで五分前を切ってたな。早く帰れよと声をかけて、なんとなく昇降口まで見送ろうとした矢先だった」

 佑の顔色がちょっとよくないが、それでも立ち会うと言って聞かず、仕方なく付き合わせることにした。鏡の前に来る位置に佑と比企が、その向こう、女の子達が隠れるように並んでいた位置に俺達ご一行が、後ろに立花がついて歩く。できる限りあの日を再現しようというわけだ。丸っきり同じ条件、となると、本当なら比企は俺達を鏡の側にさせたいところだが、結城の上背とまさやんのガタイが、ビミョーに視界を悪くするのでこの配置になっている。

 できるだけ帰りを急ぐように。できるだけ早足で。

 図書室を出て、すぐにあの鏡の前に差し掛かる。すっかり日は翳り、廊下は薄暗く、校舎の中は静まり返っている。

 鏡に映っているのは、向かい合った掲示板と中庭に面した窓。その、光と影がないまぜになった鏡面に、俺達が映っている。佑と比企が、その奥に俺やまさやん、忠広、源。もう少し身長の高い結城と、縦横にいかつい立花と──、

 

 見たことのないブレザー姿の、ツインテールの、女の子が。

 俺達に紛れて、ぴょこぴょこ顔を覗かせている。

 

 俺達は、楳図かずおの漫画みたいな顔で一斉に悲鳴をあげた。比企を除いて。

 

 やばいやばいやばいやばい何だよあれ! こんなガチの超常現象案件だなんて激しく聞いてねえ! いや、そりゃあ話は聞いてはいたけどさ! マジもんのガチ案件だなんて! ファッキンジーザス! 油断してた!

 可憐な乙女のようにキャアと悲鳴を上げて、昇降口へと逃げおおせてへたり込んだ俺達に、比企はおやおや、とからかうように覗き込む。

「どうした諸君。どんな怖ろしい化け物が出るのかと思えば、ただ女学生がいただけではないか。源君あたりがちょっと引っ叩いただけで圧勝できそうだぞ」

「ひどいよ比企さん! いくら俺がこの中じゃ一番ヒョロイからって! でも俺のは鍛えてるから! 細マッチョですから! 」

「何なら肥後君のデコピンでだっていけそうだ」

「俺は女に手ェあげねえって」

「やだ紳士! まさやんカックイイ! 抱かれたい男ランキング殿堂入り! 」

 やっといつもの軽口が戻ってきた俺達を見て、よしよし、と比企はうなずいた。そして、佑君には怖い思いをさせてしまったね、と頭を撫でて、ごめんよと詫びる。いや、比企さん大丈夫、こいつ美人に労られて満更でもない方が勝ってるから。

 比企は立花にも、先生もご気分はいかがですか、と声をかけ、手を差し伸べて立たせた。

「できるだけ同じ条件を揃えようとはいえ、先生にまでお付き合い願ったのは私の浅慮でした。お詫びします」

 見事な九〇度のお辞儀。深々と頭を下げる比企に、いやいや、と立花の方が恐れ入って、むしろ私の方が申し出たことですから、と打ち消す。しかし、こんなきれいなお辞儀、こいつはどこで身につけたのか。

 気を取り直した立花が、それで、と水を向けた。

「どうですか。何か摑めましたか」

 手の甲で冷や汗を拭いながら訊ねる立花に、比企はええまあ、と応じた。

「あとは、そうですね、二、三調べておかねばならないことがあるので、その結果次第ですが、早ければ明日にでも。遅くとも数日中にはどうにかします」

 まじすか。

 

 中学校からの帰り道。俺達は、最寄りの東駅のロータリーで、ぼんやりベンチに腰掛けていた。

 学校から歩いてくる道々で、比企の携帯端末には次々メールが舞い込み、比企はそれに目を通しては押し黙って考え込む。

 しかし、着信音がなんか外国語の、何だこの曲?

 しばらく何か考えていた比企は、ペットボトルの紅茶の残りを飲み切って、空になった容器を弄んでいたが、最後のメールで眉間のシワを深くした。

 目の前のコンビニでアイスを買ってきた結城が、全員に頼まれたものを配っていく。比企にすいかバーを渡しながら、比企ちんさあ、何かわかったの、と訊ねた。

「ああ、」

 比企はアイスを袋から出してかじると、いろいろ面白いことが出てきたぞ、と答える。

「ただ、情報を少々整理したい。もう少し待ってくれ」

 夕涼みがてら、そのまま一度俺のうちへ立ち寄り、俺は友人を駅まで送るついでに飯を食ってくるとお袋にひと言、佑を置いて再び外へ。

 俺達全員が、駅に出る前から何となく察していた。たぶん、比企が得た情報とやらは、佑にはあまり聞かせたくないものだったのだろう。だから立花に訊ねられても明言しなかったのだ。

 俺達はそのまま、誰が誘うでもなく電車に乗って、自然に上海亭へ向かった。

 いつものように憎まれ口で出迎えた親爺は、看板ぎわなんだ、程々にしてくれよ、と釘を刺したが、比企にだけは、ああお嬢さんはいいんだよ、好きなだけ食べて行っておくれよ、と相好を崩す。

 注文と親父への非難もそこそこに、いつもの席でいつものように、俺達は一連の出来事について語り合うことにした。

 それで、と口火を切ったのは忠広だ。

「佑のことを気にしてるのはヤギも一緒だろ。それは比企さんだけじゃねえ、俺もだ。だけどヤギに質問させるのは親友として忍びない、だから俺が訊く。──比企さん、何が出てきた」

 ありがとう親友。無人島で二人だけになったらやらせてやる。

 比企は特盛チャーシュー麺を啜りながら、いろいろだ、と答える。

 蟹炒飯を頬張りながら、何で教頭さんの調査なんかさせたんだ、とまさやんが訊ねた。

「態度はなんか引っかかるな、とは俺も思うけどよ、印象でしかないだろ」

「いやいや、肥後君はいい目をしている。ダイヤの魂が備わってるな。…そうだな、みんなにわかりやすく言うとだ、」

 比企はそこでメンマを摘み上げた。

「立花教諭が言っていただろう。教頭は新人教師だった若い頃、初めて赴任したのが東中学校だったと。それならなぜ、私がいつあの姿見を取り付けたのかと訊ねると『知らない』と答えたのか。七不思議のことについてだって、新人教師だった頃のものを出したっておかしくない。なのに何で、赴任したてだからなんてお茶を濁すんだ」

 姿見のことだって、新人の頃にあったのならあった、なかったなら自分が転属してからでは、で事足りるだろう、と言って、メンマをばくりと口に放り込んだ。

「なるほど」

「確かに」

 冷静に考えると、怪しさしかない。何でごまかす。

「じゃあさあ、何で学校のことまで調べさせたんだ」

 源が汁なし坦々麺を混ぜながら首を傾げる。比企はその質問に、ああ、とうなずいた。

「簡単な保険だよ。あの学校内で、我々が知らない因縁話の兆しがあったら、みんな大好きオカルト案件だ。それ用の対策を考えなければなるまい」

 保険が保険で済むなら、言うことないんだがな、と言って比企は特盛チャーシュー麺のスープを飲み干した。

「それで、保険はどうだった」

 結城が天津飯をかっ込みながら、のほほんと訊ねる。比企は出てきたよ、と昏い声でうなずいた。

 出たんかい。やめてよーんもー。

 特盛青椒肉絲をやっつけて、みんなで締めの杏仁豆腐をずるずるやり始めたタイミングで、比企は携帯端末を出して、何かのニュースサイトのアーカイブらしきところに接続して、だいぶ昔の新聞記事を読み出した。

 

  女子中学生、階段から転落


 二十一日午後六時、こだま市立東中学校にて、同校二年生、井野弥生さん(十三才)が転落する事故が発生した。場所は旧校舎、昇降口のそばの階段で、事件性は見られず、何らかの理由で足を踏み外したものと思われる。

  

 地方版と思しき新聞記事に出ていたのは、東中の、あの旧校舎の、あの鏡の真向かいの階段だった。日付は五月。

 俺達は無言で端末を回して読んだ。

 しばし無言で目を見交わして──それから比企を見た。

 出ちまったんだと比企は言った。

 手元に戻った端末をもう一度操作すると、今度は画像が出てくる。

「東中学校同窓生のコミュニティサイトだ。二十九年前の卒業生がチャットルームに貼り付けた、クラスの集合写真を拡大したものだ」

 画面が映し出すその画像は。

「二年生で事故に遭い、意識が戻らないまま、学年でただ一人、卒業式に出席できなかった親友の姿を、苦心して合成して、こうしてデータにして残した女性がいた。一枚だけ写真としてプリントして、ご両親にプレゼントしたそうだ」

 そう。見間違えようもない。

 そこに写されていたのは、俺達があの大きな鏡で見た、あのツインテールの女の子だった。

「転落事故ってあったよな」

「で、卒業式に出られなくて、」

「親友が写真合成して出席させて、」

 つまり、

「この子は死んじゃったってこと? 」

「そうなるよなこの展開は」

 一斉に比企を見る。ところが。

「死んでないんだよ」

 ありがちな悲劇は、あっさり否定された。

「嘘ーん」

「で、その後は」

「二十九年前ってことは、今いくつだ」

「ザックリ三十に十五足して、だいたい四十五」

「結構おばさんだな」

「この人今何してるんだ」

 ワイワイと俺達がさえずり始めると、何もしてないぞ、と比企。

「いまだに入院してるんだよ。意識不明のまま」

 俺達はそのひと言で息を呑んだ。が、比企は狼のような目で、まだあるぞと続けた。

「もう一つ。あの姿見だ。あれを設置したのは、学校の設備投資記録を辿ると三十年前の八月末。教頭が異動により他学区の中学校へ転属したのが、二十六年前。そして教頭の職歴を調べると、教職についたのは三十一年前だ。つまり、」

 教頭の態度は実に不自然だ、と結んだ。

 なるほど、これは佑には聞かせたくないし聞かせてはやれない。

 

 上海亭の前でまさやんと結城が引き揚げた。別れ際、比企はどこか沈痛な面持ちで、乗り掛かった船だ、貴君らには言うが、私は数日中にでも片付けるつもりでいる──そう言った。

「まずは事故に遭った女生徒。それから、当時を知る卒業生に当たってみるつもりだ」

「俺も行くよ」

 思わず口をついて出た。忠広もうなずく。

 まさやん、源、結城も。

「やめた方がいい。たぶん、愉快な話じゃない」

「でも行くよ。弟が関わっちまったんだ。他人事じゃない」

「俺だってあの中学の卒業生だ」

「仲間がここまで巻き込まれて、黙って見てられるかよ」

「同感」

「まさやんと結城に同じく。ダチがどうにかしたいって動いてるのに、手助けの一つもしないなんて俺には無理」

 四人とも即座に答えてくれた。ありがとう心の友よ!

 比企は何かを言い淀んだが、やがて何かを吹っ切ったように顔をあげた。

「…ああ、そうだった。そもそも巻き込んだのは私だったな。情報をもらい、行動しやすくしたくて同行を頼んだ。ここで退場させるなんて友達甲斐がないな。──改めてお願いしよう」

 私と一緒にこの依頼、解決に導いてくれまいか。ただし、佑君は除いて。

 そう言って、やっと比企は不適に笑った。  

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