第84話 五人とひとりと学校の怪談 1
「なんか隠してるだろ、兄ちゃん」
いきなり俺の部屋に入ってきた佑は、俺の顔を見るなり決めつけた。
何だ何だ。俺が何を隠してると思ってるんだ弟よ。去年までランドセル背負ってたお子様が、いつの間にそんな生意気な口を叩くようになったのか。
どうも、八木真です。
憶えてますか。そう、朝起きたらいきなりサメになってた、あの八木です。まこっちゃんです。
現在高校二年生、好きなタイプはおっぱいのでかい美人。
ある朝唐突にサメになっていた俺ですが、友人一同と隣のクラスの謎だらけな天才美少女に助けられ、無事に人間に戻れました。よかった。
あのままサメから戻れなかったら、進路希望は水族館のサメ一択になるところでした。ありがとう奇跡。ありがとう友よ。ありがとう隣のクラスの比企さん。
ということで、感謝の言葉おしまい。ここからはいつもの俺のペースに戻す。
浮世離れというか、俗世に馴染まないというか、ザックリいうと変人な比企は、朝の登校時や昼の購買で顔を合わせた俺達がおっす、と声をかけても、ん、としか返事をしなかったが、あの魚のオバケ退治を切り出した日からきっかり一週間後、翌週の水曜日に、チャットルームに書き込みを入れてきた。
──前略、依頼人より報酬あり。諸君の取り分をお渡し致したく候。金曜日夕刻、上海亭へ来られたし。草々。
候って。武士か。喋り方も軍人みたいだし、ますます謎の女だな。しかもまた、待ち合わせ場所が上海亭。どんだけ気に入ってるんだ。
案の定、返信は揃って「武士かよ」「侍か」とツッコミが入った。うん、俺も「武将」って返したけどね。
金曜日の朝。お袋には、試験が近いからみんなで図書館へ行って勉強、夕飯も外で済ませるとひと言断って登校する。外で食うなら夕飯は要らないと伝えないと「作る人のことも考えなさい馬鹿息子」とうるさいのだ。その代わり、きちんと伝えておけば、帰りが多少遅くなっても文句を言われることはない。
いつものように授業を受けて、いつものように掃除当番だったり、当番のメンバーを待ったりして、放課後、俺達五人、俺と忠広、まさやん、結城に源は、連れ立って上海亭へ向かった。
店の戸を開けると、いつかのようにこちらへ背を向けて、テーブル席で比企が飯を食っていた。片手を上げてこっちだ、と呼ぶのまで、そっくり同じ。
相も変わらず制服のブラウスを腕まくりし、スカートの下には学校指定のジャージを履き、襟はボタンを外して寛げているが、何せ胸がないのでこれっぱかしもエロくない。黒い靴下に、なぜかこればかりは明らかに拘っているのがわかる、ごついハイテクスニーカー。隣の椅子に置いた通学用の鞄は、白地に緑のアクセントが入った斜めがけの鞄。フライターグのデクスターだ。この鞄が妙に気になった俺は、比企と知り合ってすぐ、ネットで検索したのだ。調べて出てきたお値段に、俺は思わず目を剥いたものだ。とてもじゃないが、高校生が気軽に通学鞄にしていいお値段じゃない。こいつの経済感覚はどうなっておるのか。まあなあ、ブラックカードなんか持ってるもんなあ。社会的な常識とかだけでなく、その辺の頭のネジも抜け落ちてるんだろうなあ。
テーブルについて各々料理を注文すると、比企は麻婆豆腐定食を掻っ込むレンゲを止めもせず、招集に応じてくれたこと感謝する、と言った。
「呼び立てて済まない。先週の件、依頼主から報酬が入ったので、諸君の取り分を渡そうと思ったのだ」
おおっ、と何となく息を飲む俺達。チャーシュー麺と塩焼きそばと五目丼、蟹玉丼に回鍋肉定食…は俺達が頼んだのだが、一緒にもやしそば特盛が出てきた。ああ、比企か。またこいつは、大食いタレントもドン引きしそうな勢いで、独りフードファイト選手権を開催しているのか。
本題に入ったのは、俺達の腹が膨れて落ち着いた頃だった。正確には、比企の腹が膨れて、今日の集まりの目的を思い出した頃だ。
紙ナプキンで口を拭ってから、比企は鞄から封筒を五つ出して俺達一人ひとりの前に差し出した。
何となく中を見て、一斉に目を丸くして顔を見合わせる。
こんな大金、初めて見た。
明らかに、普段俺達がバイトで稼いだりお年玉でもらったりする金額の倍はある。封筒が一ミリ二ミリはあるもの。
待ってちょっと待って。こんな大金、俺なんかコワイ! てゆうかまじで比企の経済観念はどうなってるの。こいつの感覚もコワイ! てゆうか、てゆうかこの金、どこから出てきたどんな金なの? 俺達明日にでも、おっかないおっさん達に山に連れてかれて埋められたりしない? 大丈夫?
どうやらみんな、俺と同じようなことを考えたようだ。うん、君達すっげえ顔色悪いよ! たぶん俺も顔色悪いだろうけど!
俺達の表情から察したのか、比企はマンゴープリンのスプーンをクルクル回して、きれいな金だから心配ないぞと言った。
「今回の依頼主は市の警察署長と市長及び市役所の環境課。依頼内容は、ちょっと変わった害獣駆除、とりあえずそういうことになってる」
「しやくそ? 」
「しやくそ」
「まじで」
「何で市役所? 」
なぜか順序よく疑問を発する俺達に、ときどきあるんだと比企はあっさり答えた。
「環境課とか土木課とか、あとは防犯課に管財課、その辺が多いか? この前みたいな、一般人には手に負えない害獣の駆除とか、所有者不明の住宅の清掃及び撤去とか」
「何それ」
源が訊くと、ほらあるだろ、と比企は、
「住人がいなくて廃屋になってるあれだよ。ホームレスだとか虫だの蛇だの、棲みつかれると困るけど、防犯やら環境衛生やらで壊さにゃいけない、かといってやたらめったらぶっ壊すわけにもいかないだろ。だけでなく、ガチの心霊案件だったりすると、むしろいきなり壊すと厄介なことになる」
つまり、
「…そういう『呪怨』な館かどうか調べるってこと? 」
「まあな」
「…伽倻子と俊雄がいたらどうするの」
「ちょ、やーめーろーよー源っちゃーん。そういうこと訊くなよー怖いじゃーん」
「結城びびり過ぎ」
「じゃあ忠広怖くないのかよー」
「いや怖くないわけじゃないけど」
「大丈夫だろ結城、夜中におしっこしたくなったら俺にチャットしろよ」
「まさやんの家、俺んちからチャリで六分じゃんか。来てくれる頃には漏れちゃうよー」
「どんだけ膀胱弱いんだよ」
「結城、帰りにパンパース買って帰ろうな」
「俺ムーニーマン派なんだ」
これじゃあ恐怖の館も形なしだ。スーパーナチュラル案件も、結城のおむつには勝てないだろう。身長一九二センチの高校生男子のおむつって。
「でさあ、実際どうなんだよ。まじで死霊の館だったら比企さんはどうすんの」
俺が訊くと、話戻すなよー、と結城が半泣きになった。
「まあ粉砕するな」
「まさかの物理? 」
「死んでから調子に乗って祟りだ何だと、何が悪霊だ愚か者が、それだけのことができるなら、なぜ生きているうちにそのちからを出し惜しみするのだ。やればそれだけのことができるくせになぜ生前にやらない。なぜベストを尽くさないのだ。そんなもん、粉砕以外の何がある。粉砕して心得違いを教えなければ、何度でも同じことをやらかすだろう。そんなのは当人のためにならんし、周りの者にも迷惑だ。超常現象なんぞ一発どついて終わらせるぐらいで丁度いいのさ」
嘘やん。悪霊相手にまさかの脳筋発言。
あまりの脳筋ぶりに、結城も恐怖心がどこかに行ったのか、殴れば効くのかあ、と自分の掌を見つめている。あの比企さんやめてあげて。頭の弱い子は信じちゃうからね。
しかしまあ、こいつは一体何者なのか。先週の一件といい、このゴーストハンター発言といい、本人は道士だとか言っていたけど、とにかく存在自体が謎過ぎる。だけど、こいつの金銭感覚がおかしい理由は、これで何となくわかった。こんな仕事ばかりして大金が転がり込んでくれば、世間で五万十万を稼ぐ大変さなど理解できまい。
というか、時間としてはあっという間だったけれど、体験としては死ぬかと思ったあの夜の体験に対して、いち、にの…二〇万って、これは高いの? 安いの? 相場とか全然わからないんですけどぉ!
少なくとも、わーいやったー、と受け取れる金額じゃないのは確か。
「ああ、心配ないぞ。出処はきれいだし、きちんと税金も処理したから純粋に手取りの分として出したものだ、安心してくれ」
生々しい! あと、金の出処という単語に続けて税金て、きちんとしてくれたんだろうけど、やく○の裏金みたいだからやめようね!
「あははは…」
「あり、がとう…」
こんな大金もらえねえ、とまさやんが言ったものの、だって肥後君もちゃんと働いたじゃないか、とあっさり返され、結局俺達はそのまま、金を受け取ったのだった。
金額は全員一緒。比企が言うには、最初は俺の分だけは色をつけようかとも思ったが、
「貴君らは本当に仲がいいからな、変に一人だけ額面を変えたりしても、逆に八木君が仲間達に気を遣ってしまうだろう。だったらみんな一緒にしたほうがいいのじゃないか」
よくお解りで。そんなことになってたら、俺はきっとみんなに、いわれなく変な負い目を感じてたかもしれない。
その日はそのまま、比企にめちゃくちゃ高額なバイト代を受け取って、俺達は解散した。
このお金、どうしよう。
それから二日。日曜の夜、俺は弟の佑に問い詰められていた。
「なんか隠してるだろ兄ちゃん」
「なんかって何をだ」
「とぼけるな! そんなの言うまでもないぞ」
「まさか俺のグラドル写真集コレクションのことじゃ」
「そういうのじゃない」
アッハイ。
じゃあ何だろう。思い当たる節がなくて、俺は考え込んだ。すると。
「この前、兄ちゃんいきなり魚みたいになっただろ。そんで、金曜に忠広兄ちゃんとかと結城さんちで勉強するって泊まりに行って、帰ったら元に戻ってただろ」
──それかー!
驚愕する俺。そう来たか弟よ!
「で、おかしいと思って忠広兄ちゃんに訊いたんだ」
「えっ」
「そうしたら、俺の独断では話せないって」
…忠広ー! おまっ、お前そんな思わせぶりなこと言ったら、絶対食いつくやつだろうがー! なんてことしてくれやがった親友ー!
大慌てで俺はチャットルームにアクセス。
焦りで震える手で、どうにかこれだけ打ち込んだ。
──どうしよう弟にバレそう助けろください比企さん。
何があったんだよ兄ちゃん絶対おかしいだろ兄ちゃん、とうるさい佑の追求と同時に、ピコンピコンとチャットルームのコメント表示が続く。
──ヤギっちごめんな。佑お前より頭いいから躱せなかったわハハハ。
──ヤギちんガンバ!
──やっぱり捕まったか。強く生きろよ。
──八木君の弟さんというのはどんな少年なのか?
あ、やっと比企さん来たか。質問に対し、一斉に返ってくる「ヤギより頭いい」「ヤギの弟だけど頭脳も人間」という腹の立つコメント。悪かったな。
すると。
なるほどという書き込みに続いて、比企のコメントが表示された。
──八木君は嘘をつくのが下手そうだから、いっそ全て正直に話してしまうほうがいいだろう。人間は中途半端に知るとあちこちで喋るが、全部を知ると黙るものだ。
もうやだこの豪傑娘。
翌日から始まった期末試験がどうにか無事に終わって、週末。土曜日の昼、俺達は代わり映えなく上海亭に集まっていた。
まず俺と忠広、まさやん、源と結城に比企。いつものメンバーに、今日は佑が加わっている。
予め佑を連れて行くことはみんなの了解をとってある。忠広は幼なじみでもあるから当然としても、源や結城も佑とは顔馴染み。唯一初対面なのは比企だけだ。
比企は珍しく、一番最後にやってきた。
「すまない、ちょっと野暮用があったものでな」
そう言っていつもの席に座った比企は、これまた珍しく、制服でもヨレヨレのジャージでもない、きちんとした身なりをしていた。
シャンパンゴールドの繻子の半袖チャイナブラウスに、膝小僧が隠れるぐらいの黒いバルーンパンツと、かかとがぺったんこの黒いパンプス。一番まともな服装だった。チャイナブラウスが一般的かどうかは置いといて。驚いて立ち上がりかけた源は、そのまま膝をついて天を仰ぎ、ガッツポーズでありがとうと叫んだ。
「これを待ってたんだよ俺は! やっぱり女の子はかわいい服を着てこそだろ! 」
いや待て源。かわいい服に、こんな風に戦隊モノのレッドみたいな、指先落とした革グローブを合わせる女子はいない。比企以外には。
「さっきまで知り合いに頼まれて、防刃耐弾素材スーツの試着と拳銃の試射やってたんだ。スチェッキンに慣れてしまうと、やっぱりS&Wは小さくて物足りないな。しかもスーツは今日一日着て過ごして、着心地をリポートしてくれときた」
あんまり女子の口からは聞きたくないセリフが出てきた。
「あの、それもバイトの一環? 」
そっと質問すると、まあなあ、とうなずく。
「今着てるこれプラスアルファで現金が少々、それと試射で余った実弾がバイト代」
どんな筋から入ったバイトなのかは知りたくない。
佑のやつが大人しいなと思って横目で窺うと、目を丸くして口をぽかんと開けていた。
「佑、」
「兄ちゃん、」
「んあ」
「こんな美人と兄ちゃんが何で知り合いなんだよ」
見事に胡乱な目だ。弟よ、俺はそんなに信用ならないのか。
その美人は、かがみ込んで佑と目線を合わせると、なるほどとうなずいた。
「利発そうな子だな。それに素直でいい目をしている」
おおっ、とどよめく俺達。
「私は比企小梅という。君の兄上とは同じ学年で、ときどきこうして、ここで共に食事をする仲間だ。先日、兄上の体を元に戻したのが誰なのか、君が気にしていたというのでね。直接会って話そうと思って、無理を言ってご招待したんだ」
ちょっとポーッとしている佑だが、騙されるな弟よ。そいつは私服のセンスが残念なうえに化け物じみた食欲の持ち主だ。
「よかったら、私と昼食をご一緒しないか。ああ、見ず知らずの人間と二人きりでは不安だろう。勿論、兄上や顔馴染みの先輩方も一緒に」
「あのあのあのえっと、」
何だこの、佑の恥じらう様は。我が弟ながら、どうしたらいいのコレ。でも昼飯を食うというのはいいアイディアだ。俺お腹空いてるので!
いつもの席で、今日は佑がいるのでテーブルをもう一つくっつけて、カウンター越しで厨房の中の親爺さんに、わいのわいのと同時に注文する。
「一遍に喋るなおめえら! ──ああ、お嬢さんは何にするかい」
「ひいきだ! 」
「ひいきだ」
「ひでえ! 」
「見損なったぞ親爺」
「差別反対! 」
「うるせえ。レディ・ファーストってもんを知らねえのかこの山猿どもが」
いつもと同じやりとりだ。比企も慣れたもので、いつものように特盛でもやしそばとレタス炒飯セットを注文し、ここの料理は何を頼んでもうまいぞ、と佑にメニューを開いて差し出す。
ひと通り注文が揃って食事が始まると、佑がさっきとは違う理由で目玉を丸くしたものだ。
うん、まあほら、あれは見ちゃうよね。
いつものように俺達が頼んだものを食っている間に、いつもと同じく比企は特盛で焼きビーフンと青椒肉絲定食を追加して平らげ、締めにかき氷を注文したところで、腹が膨れた俺達は本題に入った。
あの朝の、忠広に変化を指摘された瞬間の驚愕。これから自分がどうなってしまうのかという不安。思わぬ助けの手。そして、金曜の夜のあの、グラウンドでの活劇。ひと通り、何があったのか話してやると、苺ミルク氷のスプーンを茫然ととめて、佑はどう整理していいのかという顔で聞いていた。うん、俺もどう整理していいのかわからないから大丈夫!
話が終わると、あのう、と佑がそっと訊ねた。
「お姉さんは、そういう不思議な事件とか、解決できる人なんですか」
「できたりできなかったりするね」
「できるんですか」
「まあ大概はどうにか」
二度訊ねて、そっか、とうなずく。
何か考え込んでいるように黙り込む。どうした弟よ。
だが、おいどうした、と言いかけた俺の言葉を遮ったのは、佑の言葉だった。
「俺の学校で起こってる事件を、解決してくれませんか」
「はあ? 」
待って。ねえ待って。俺が卒業した中学で、今何が起こってるっていうの。何それヤダコワイ!
それは、とにかく暗いと起こるのだそうだ。
梅雨どきの午後。彼誰どき。宵の暗がり。そんな風に、日の光が届かない、薄闇の中で不意にわき起こる。
人数は多いほどよいが、条件はもう一つ、必ず集団の中に女生徒が入っていること。最低限一人はいないと、この現象は起こらない。一番よいのは、女生徒ばかりが数人でいることだ。
昇降口の近く、階段の正面。登校したら教室へ入る前に身嗜みを整えよう、とかいう名目でつけられたという、馬鹿でかい鏡がある。そこに映り込むのだ、と佑は青い顔で言ったものだ。
「話には聞いてたけどさ、まさか俺も見ちゃうなんて」
比企に相談しようと覚悟を決めたものの、やはりそこは中学生。いざ口に出して言うとなると、恐怖の方が強かったようだ。宥めすかして、比企が胡麻団子を追加注文して食べさせると、やっと人心地がついたのか、安心したように話し出した。
先週の土曜日。班学習で、歴史の授業で発表するレポートをまとめていた佑達は、ギリギリまで粘ってどうにかまとめ上げ、やっと下校時刻の間際に片付けを済ませて図書室を出た。廊下を左へ行くと、件の鏡の前を通って昇降口だ。
五人の班の中で、女生徒は三名。揃ってあそこを通るのは嫌だ、廊下の端の階段で二階へ上がって迂回しようとごねたものの、校内見回りで顔を出した生活指導の教師に早く帰れよと釘を刺され、下校時刻まであと数分しかない。仕方なく、鏡の前を通って引き揚げることにした。実際、その方が遥かに早いのだ。
目を瞑って手を繋いで歩けば心配なかろうという、佑のアイディアは一蹴された。
「ばっかじゃないの。目なんかつぶってたら、誰と手を繋いでるのかわかんないんだし、余計にこわいじゃない」
「なんかの拍子で手が外れたら、繋ぎ直したのが誰なのかなんてわかんないじゃん」
「もう八木君黙ってて」
女子三人が口々に佑をボコボコに腐しながら、おっかなびっくり、でもできるだけ早足で、一同は昇降口へ。そこへ、校内をぐるっと巡回して戻った生活指導の立花教師が向こうから来て、見送られるようにあの鏡の前へ差し掛かった。
その違和感に、真っ先に気がついたのは誰だったか。
ぞろぞろと連れ立って歩く人影が、一、二の、…七人? あれ?
「あれ、」
真っ先に疑問を口にしたのは、班学習の仲間、弘樹だ。気のせいかな、とボソッと呟き、それからはっ、と状況を思い出して、いや、ねえな、ともう少し大きい声で取り繕った。
怯えている女子三人という、ただでさえ面倒な状況なのに、その怯えを本格的な恐怖に変えて、面倒を更に面倒なことにしてどうする。今だって、できるだけ女子三人が鏡に映り込む面積を減らそうと、佑と弘樹が並んで鏡の前に来るように位置を決めているというのに。
しかし。
もう一人、異変に気がついた者があらわれた。
「どこの制服だ。それに、うちにこんな生徒いたか」
──立花ぁぁぁぁぁぁあ! それ以上はやめろぉぉぉぉぉぉお!
しかし、アイコンタクトで互いの腹をそれと察し合った佑と弘樹の願いも虚しく、その瞬間は来てしまった。
「って、…あ、」
尋常ならざる事態に気づく立花。立花の様子に異変を察して、つい鏡を見てしまった女子達。
大鏡には、古臭いブレザー姿でツインテールの女子が、佑達と同じぐらいはっきりと映っていた。
そこで俺達は、喉の奥から絞り上げるような、小さな悲鳴を漏らした。ヒィイ!
そして、唯一悲鳴コーラスに不参加の比企が、茉莉花茶を啜りながら冷静に質問する。
「佑君、君の学校の制服はどんなデザインなのかな」
こういう話題で一番怖がりそうな顔してるのに、なんでこのお姫様顔の女は、こうも通常運転なのか。
「男子は詰襟で、女子はセーラー服です。十五年ぐらい前に変わったって」
「ふむ。で、そのあとはどうなったのかな。生活指導の先生と、同級生の女の子達、君と友達と、全員がしっかり見てしまったんだろう」
「うわやめて比企さん掘り下げないで」
「来ちゃうから! そういうオカルト話するとオバケ寄ってくるってばっちゃが言ってたから! 」
「イワコデジマイワコデジマ」
「おーいヤギちん責任とれよ。ヤギちんの持ち込み案件だからなー」
「ばっ、おま佑、やめろってネタだろ? あのしょぼい学校に、そんなガチのスーパーナチュラルがあるわけねえだろ。あと忠広すぐイワコデジマやめろ。お前だってあそこのOBだろ」
俺達一斉に大混乱。
すると。
「そうか、八木君と岡田君は、彼と同じ中学校に通っていたのか」
そりゃあ、佑も俺も忠広も、揃って同じ、市立の中学だけど何か?
「実に興味深い。八木君、岡田君。貴君らが通学していた頃、今佑君が聞かせてくれたような、大きな姿見に関する怪談噺の噂はあったのかな」
「え」
「え」
虚を突かれた俺と忠広。あれ、そういえばどうだったっけ。
「…すんません今ひとつ印象が」
「同じく」
挙手した俺と忠広に、まあそれは今はいいや、と比企は棚上げして、
「そのあとは大変だったのじゃないか、佑君」
話の流れを戻す。だから。掘り下げないで。
佑はうなずいた。
「下駄箱まできたら女子は泣き喚くし、弘樹は青くなって黙ってるし、先生は混乱してるし、もうどうしていいのかわからなかったよ」
騒ぎを聞きつけて、職員室や保健室に居合わせた教師やスクールカウンセラー、養護教師が駆けつけ、女子三人をどうにか落ち着かせ、迎えに来た保護者に引き渡して帰らせた。女の子達ほど取り乱していなかった佑と弘樹は、立花教諭が家まで車で送ることになった。
「あれ、誰だったんだろうな」
道中、立花はずっと言っていたそうだ。
ほんと、誰なんでしょう。
そこまで話すと、どうですか、と佑はちょっと上目遣いで、窺うように比企に切り出した。
「お姉さんがどうにかできる感じですか」
最後の胡麻団子を口へ放り込んで、ううん、と唸る比企。
「話を聞いた限りでは、行けなくはないだろうけど」
「それじゃあ、」
勢いこむ佑だが、でもなあ、という比企の言葉に項垂れた。
「この場合、誰が依頼主で、報酬がどの程度出るのか、なんだよね」
「報酬って、金とるのかよ」
「かわいい顔してまさかの銭ゲバ! 」
「ひどい! 」
一斉に突っ込む結城と源、忠広。
わかってないなと比企は一蹴した。
「確かに私は修行中だが、それでもプロで、仕事としてやってる。ボランティアほど悪いものはないと、いつも師父は仰っていてな、私もそう思う」
うん? ボランティアの何が悪いんだ?
俺の顔を見た比企は、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「八木君は納得できないようだが、言ってみれば、ボランティアをしている当人は、好きでやっている。だから、好きなことを存分にする快感を、労働の報酬として、金の代わりに受け取っているわけさ」
「でもさ、好きでもないことやっても、ボランティアだろ福祉だろ、って金もらえないこともあるじゃん」
源が釈然としないという口調で反論するも、比企はそれすら見越しているのだろう。すぐに反駁する。
「源君がいうのは、依頼する側の姿勢の問題だ。困っていたときに、好きで手伝っている人間が金を受け取らず助けてくれた。それに味をしめて、自分の腹を痛めずに困りごとを解決したがって、手助けする側の虚栄心や『ケチな奴だと思われたくない』という、世間体を憚る気持ちを利用しようとしているだけさ。何かを動かすのなら、それに見合った対価を支払わなければ、違うところでしっぺ返しを喰らうことになるぞ」
お礼や感謝ってのは、だから大事なのさ、と比企は言った。
「もちろん、もらい過ぎればそれだって毒だ。自分は大した人間なのだと勘違いする元になる。何だって程々、相場の通りが一番だ」
わかったようなわからんような。
しかるに、と比企は続けて、
「私の場合は、好きではないができるし、困っている人間がいるから、対価を受け取ってやっている、という話だ。できるけれど、好きではないから報酬をもらってやっている」
なるほど。
それはわかったけどさ、と結城が、溶けたブルーハワイ氷の名残をずるずる飲んでから訊ねた。
「この場合は何が問題なんだ」
その問いに、比企はキョトンとしてから、ブハアッ、とため息をついた。
「私に、子供から金を取れというのか」
「まともだ…」
「まともなセリフが出た」
「人の心を持っていたのか」
「奇跡だ」
「比企さんにも常識があったんだな」
どよめく俺達に、貴君らが私をどう思っているのかよくわかったよ、と比企は苦虫を噛み潰したような顔で呻いた。
翌々日、月曜日の夕方。
俺と佑に忠広は、比企からの呼び出しで、最寄りの駅前広場に立っていた。
佑は所在なさげな顔で、端末のアプリでパズルゲームをしており、俺と忠広は、チャットルームで源と結城、まさやんと連絡を取り合っている。三人とも暇を持て余していたらしく、俺と忠広が呼び出されたのを知ると、すぐに合流すると返事が来た。
テストが終わって休みに入っちまえば、高校生なんか暇なもんなのだ。
まず俺達三人が待ち合わせ場所に着き、続いて源、それから比企、最後が結城とまさやんという順番で集まった。
ハーフパンツやTシャツ、ジーンズにスニーカーやサンダルという思い思いの格好で集まった俺達の中にあって、くたびれたブーツカットジーンズに「うどんそば」と大書された珍Tシャツ、足には下駄という気の抜けた格好の比企は、それでも駅前ロータリーに居合わせた、通りすがりの全員がガン見していた。無理もない。
全員が揃うと、立ち話もなんだ、行こうか、と先頭に立って比企が歩き出す。
どこに行くのかと思ったら、駅前通りの老舗の喫茶店だった。子供の頃からずっとあって、外装も、窓越しに見える内装も代わり映えしない、古臭い喫茶店だ。初めて入った店の中では、低いボリュームで外国語の古い歌が流れていた。
「おや、こんなところで思わぬ発見だ。今どきシャンソン喫茶とはな」
店のどんつき、一番奥のボックス席に落ち着くと、流れている曲を知っているらしく、鼻歌まじりにメニューを広げて、軽く手をあげた。
「ホットのダージリン。ああ、みんなは何にする」
慌てて俺達も、ドリンクメニューを覗き込み注文。頼んだものが出揃って落ち着いたところで、比企がため息と共に肩を落とした。
「面倒なことになった。また貴君らの、主に八木君に岡田君、ことに佑君の助力をお願いせねばならなくなった」
何それ。何で俺ら。
顔を見合わせる俺達に、比企はひと言、師父を経由して依頼が入ったんだ、と頭を抱えた。
「依頼の筋は、市の教育課と教育委員会、八木君達の母校だ。どうやら、ここしばらく小さなトラブルが続いていたところに、先日の佑君と友人達の事件が起こって、いよいよ揉み消しができなくなったということのようだ。そこで、」
君達に、学校内の諸事情を教えて欲しいのだ。比企はそう切り出した。
まじか。
「別にいいけどさ、何が知りたいんだ」
忠広が訊くと、そうだなとちょっと考え込んでから、比企は顔をあげた。
「確か日本の学校には、七つ怪奇現象が起こるんだろう。子供の頃、師父がそんな映画を見せてくれたことがある」
怪奇現象って。
「怪奇じゃなくて、七不思議な」
「そうだったか」
しかし日本の学校って、どこで育ったんだ比企さん。
「関係ないかもだけど、比企さんどこ出身? 」
「生まれは日本、育ちはロシアと崑崙」
ガチで外国かよ。崑崙ってどこ。
まあ、外国で育ったのじゃあ、日本の学校あるある・校舎の七不思議には縁がなかろう。
学校の七不思議や定番どころの話をいくつか教えると、ふんふんと興味深そうに聴いている。尻ポケットからメモ帳と万年筆を出して、何やらメモをつけ始めた。
「ありがちなとこだと、特定女子トイレの一番奥の個室とか、音楽室の肖像画とか」
「トイレの花子さんな」
「音楽室のは肖像画の目が動くとかさあ」
「あと何があったっけ」
「夜中の体育館で、誰もいないのにボールが跳ね回ってるとか? 」
「理科室の人体標本が歩くってなかったっけ」
「あったあった」
「あとさあ、校舎の決まった場所の階段の段数が増えるって、あったよな」
「音楽室っていえば、夜中にピアノが勝手に鳴り出すって」
「図工室の石膏像が動くってなかったか」
ひと頻り話が盛り上がり始めたところで、比企が待ってくれ、とブレイクを入れた。
「そんなにヴァリアントがあるのか。まあ、学校ごとの校風やら、そこに馴染む話題だけが残っていくこともあるのだろうが、似通った話がこんなに語られているのか」
まあねえ。今パッと出てきただけで、七つ以上はあるからね。
「師父が見せてくれたのは子供向けのホラーコメディ映画だったが、ああして映画になるということは、学校で起こる奇妙な現象について、全国的な規模で共通認識が完成されていると見て間違いはないのだろう。私の推測は合っているか? 」
「合ってる」
「正解」
うなずく俺達。そうかと比企もうなずいて、
「八木君、岡田君、佑君。君達の母校で語られている怪談話をリストにしてくれないか」
「怪談って、七不思議を? 」
「何で七不思議」
「別にいいけど、関係あるんですか」
どうしてそこに目をつけた、と訊きたげな俺達に、比企は紅茶をひと息に飲み干し、ポットから次の一杯を注いで答えた。
「最初は学校側も集団ヒステリーで押し通そうとしたが、先日の一件で誤魔化しが効かなくなってしまった。女生徒三人のうちの一人が、すっかり参っていて、カウンセリングに通っている。カウンセラー相手に、うちの学校の七不思議は真物だったんだと大泣きしたらしい。そうとなれば、学校もいつまでもことを隠蔽はできまいよ」
むしろ隠そうとすればする程、尾鰭がついて拡散するだろう。つまり、
「表向きは集団ヒステリーを誘発する原因の追究調査。だが実際には、」
「スーパーナチュラル案件だったらどうにかしてってこと? 」
「そういうことだ。だから、私はどんな噂が囁かれていて、生徒達が何を怖がって、何に不思議を見出しているのか、それを知った上で挑まなくてはいけない」
面倒だろうがよろしく頼む、と比企は俺達に頭を下げた。
「あーもう、水くせえ」
忠広が頭を掻き毟って、ボディバッグからシャーペンとレポート用紙を出した。
「この前みたいにひと仕事しろってわけでもないんだ、頭なんか下げるなよ」
まったくだ。
「そうだよ、俺達同じラーメン屋で飯食ってる仲間だろ」
忠広と俺はしばし、互いに聞いたことのある噂を挙げては箇条書きに書き出していくと、佑にそれを見せて、今とどう変わっているのかチェックさせた。
・生物室の人体標本(あだ名はキカイダー)が夜中に歩く。目撃者は校舎から逃げ延びるまで追い回される。
・夜中に音楽室のピアノが鳴る。誰もいないのにベートーベンの「月光」を弾いている。
・夜中、体育館で誰もいないのにバスケットボールが跳ね回っている。よくよく見ると、バスケの試合から人間だけ消したような動き方でボールが動いている。
・旧校舎の屋上から三階に降りる階段の段数が増えたり減ったりする。上るときには十三段なのに、降りるときには十二段。この増え方が逆だと、降りる途中で転げ落ちて死ぬ。
・旧校舎二階の女子トイレの、一番奥の個室は花子さんがいる。
・深夜零時きっかりに、昇降口脇の大鏡の前に立つと引きずり込まれる。鏡の中の自分がこちらへ手を伸ばす前に逃げないと、引きずり込まれて戻れなくなる。
・夜中に校庭の周りの桜の木が増える。
・夕方にプールで泳いでいると、水の中に引きずり込まれそうになる。自力で上がると、誰もいない水の中から白い腕が伸びて手招きする。
・夜中、美術室の石膏像が動いて喋る。
比企はリストを見ると、ふうん、と唸った。
「九つあるな」
七不思議じゃなかったのか、と俺達の顔を順々に見ていく。いや実際そんなもんよ。
「その時々で、どれが残ってどれが消えるかはランダムだよ。とりあえずこの中から七つ思い出せればいいんだから」
「まあ、この手のものは実際よりも数が多いのが通例か。それと、」
このリストにある話は、大概目撃したものを誰かに語ったりするとひどい目に遭うというオチがあるのじゃないか、と比企は訊ねた。
「あるよ」
「高熱を出すとか大怪我するとか」
俺と忠広がうなずいて、比企はなるほどと考える。
「さて佑君、このリストの中に、聞いたことがないもの、あまり話題に上らないものはあるかな」
佑は促されて、これ、と指差して示した。
「夜中に鏡に引きずり込まれるって、四月に入学してすぐの頃にちょっと聞いたかな、ぐらい。夏も近いし、他の話は結構聞く機会が増えたのに」
「そういえば、日本では夏場に怪談話をするんだったな」
そうかそうかと比企は何か腑に落ちたような様子だ。
「あとはもう、実際に現場を見ないことには何ともいえないな。仕方ない。──佑君、」
部外者が校内を歩いていても怪しまれない曜日と時間帯を教えてくれるかな、と比企は切り出した。
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