第62話 五人とひとりとギャングスタ 1章

 どうも、皆様お元気ですか。俺はすこぶる元気ですが、イロイロあって現在お疲れですよ。

 そうです俺です。あなたのキュートな八木真です。

 本来なら、夏の日差しがこれでもかと降り注ぐ、伊豆のビーチでアルバイトしてる、はずなんですがね。俺はなぜか、同じ海辺でも爽やかなビーチとは真逆の、東京湾岸の人工島、悪名高い東京露人街にいます。

 だだっ広くて、シンプルかつラグジュアリーなおしゃれオフィスの窓際にでんと鎮座する、見ただけで最高級品とわかるマホガニーのデスクにどかっと足を乗せ、やっぱり最高級モデルの椅子に収まったのは、我らが比企小梅。俺はその脇っちょで所在なく立って、部屋の中を見回している。室内の程よいところには、来客用の三点式ソファーが置かれているが、これまたえげつないほど高級なのであろうことは見ただけでわかる。だって、革じゃなくて布張りなんだぜ。汚れたら全取っ替えしなくちゃ格好つかないだろうし、それをやるのは手間も金もかかるけど、こういうところにポンポン置いてるってことは、そんな金も時間も平気でかけられるということで。

 そのソファーにはヴォロージャさんが腰掛けて、いささか強張った表情でビジネスモデル端末の画面を睨み、キーボードを叩いている。向かいに座ってその様子を見ている忠広と結城、まさやん。今この部屋にいるのはこの六人で、白い壁と淡いグリーンの絨毯が敷かれたここがどこなのかというと。

 聞いて驚け。世界シェア三位を誇る製薬会社、トリスメギストス・ファーマの日本支社長室で、部屋の主人はお行儀悪くデスクに足を乗せた、赤毛の探偵であった。もうこんなん笑うしかないわ。

 

 ことの起こりは夏の海岸だった。

 俺達五人、俺に忠広、結城、まさやん、源は、一昨年の夏と同じように、まさやんの親戚の民宿へ滞在バイトへ来ていた。大学生になったので、一昨年よりも長期間。八月いっぱいはアルバイトだ。

 そこに更に、十日ぐらい海で遊ぼうとばかり、美羽子がやって来たのだ。桜木さんと共に、比企を引きずって。

 コバルトブルーのワンピースに麦わら帽子の美羽子と、麻のジャケットにジーンズとシャツの桜木さんが、片手にキャリー、もう一方の手には比企の手と襟首をとって、ニコニコとやって来ると、お世話になります! とおじさんおばさんへの手土産を出し、比企と美羽子の女子二人は二階の角部屋、桜木さんは楽な方がいいと、気心知れた俺達と一緒の部屋に収まった。

 ロールアップしたジーンズに真っ赤なタンクトップ、白いノースリーブパーカーとハンチングといういつもより女子度高めな姿の比企は、幾分よれよれになりながら、それでもおじさんおばさんにはきちんと挨拶して、部屋に入ると早速畳の床になついていた。

 源は彼女が来て大はしゃぎだけど、比企はなぜだかピリピリしている。どうもおととしのあの騒ぎ以来、怪獣の痕跡を探して物騒な連中が時折うろついていたようで、今もたまに、観光客にしては様子が違う客が、ふらりとやって来るみたいだ。案の定、今年も一人二人、怪しげな観光客がいて、海水浴場を散策しているかのように歩いているが、水着を着るでもなく、海の家の屋台で何か買い食いするでもなく、海の家で仕事していても、一度気がついてしまうと嫌でも目についた。金髪に緑の目の、俺よりちょっと背が低い程度の男だ。ときどき、カレーのCMに出てきそうな口髭のインド人のおっさんと会っているところを見た。

 で、到着の翌日、早速海遊びに繰り出す美羽子と保護者ポジの桜木さん、二人に連行されるかの如く出てゆく比企。ベビーピンクのビキニの美羽子と、一見水着には見えないデザインの、黄色いキャミソールとジーンズのホットパンツのタンキニ姿の比企がお昼に飲み物と飯を買いに来たとき、屋台の全フードメニューを制覇する比企と、それにくっついて荷物を持つのを手伝う美羽子に、ナンパ目的の男が二、三人近寄ることがあったが、美羽子に声をかけようとする男は源が屋台から威嚇し、比企に声をかけようとする男がいると、どこから出てくるのかわからないが、桜木さんが彼氏どころか夫ヅラで出てくるので、比企は実にご機嫌が悪く、俺達一同、猛獣使いの心持ちでございました。

「比企ちんたこ焼きサービスしたから」

「焼きそばも増量してるし! 」

「すいかバーあるよ! あるよ! 」

 結城と忠広と俺が必死にご機嫌をとり、美羽子が宥めてどうにかことなきを得ていた。

 ことなきを得ていたのだが。

 トラブルはいきなりやってきた。

 夕方、散歩がてらジュースでも買ってこようと言って、美羽子と源、忠広と桜木さんが連れ立ってコンビニに出かけて行った、それが始まりだった。

 十五分後、泡くって頰を腫らした忠広が血相変えて戻ってきたのが、今回の騒ぎのファンファーレ。

 

「源と、美羽子とっ、ささ桜木さんが、攫われて、」

 

 不本意な服装をさせられて不貞腐れていた比企が、途端にイキイキし始めた。やめて。

 即座に自分のキャリーバッグを開けて、内布カバーのファスナーの中から、出るわ出るわ、沖縄の修学旅行で見た国広の脇差に、いつものスチェッキンが二丁と弾倉がうじゃうじゃ。アーミーナイフにもはやお馴染みの防弾チャイナ。

 いきなりテカテカしながら座卓に武器を並べ、銃を分解掃除し始めた。分解してパーツを磨いて、どこやらへ電話をかけ、恐ろしい早口のロシア語で捲し立てながら、手元も見ずに鼻歌混じりに組み立てる。お願いやめて。

 それから一階に降りると、三人の身を案じ警察と源や美羽子の親に連絡したものかとオロオロするおじさんおばさんとお姉さんのところへ行くと、ここしばらく不審者がいなかったか、いたらどんな人物だったか確認すると、ひと言淡々と、三人を連れ戻してきますと言い置いてから、部屋へ取って返すと襖も閉めずにいきなり服を脱ぎ出した。やめて! 色気はないけど、うっかり生着替えを見ようものなら、後で桜木さんに何を言われるか。てゆうかにこやかに詰められそうで恐怖しかないんですよ! だからやめて! 俺達の心が折れるような真似はやめて!

「今夜ひと晩で片をつけよう。貴君らはどうする。残って留守居を頼みたいところだが、仲間が二人も連れ去られたら安否が気になるのは当然だ」

 俺達が大慌てで背中を向け、壁だけ見て返事をするのは、別に紳士だからじゃなくて、桜木さんの満面の笑顔で清々しくタイキックを免れたいからです。お部屋をね、出ようにもね、話しかけられるから答えるしかないからね、出られねんですわ! チクショウめ!

 幸い比企はあっという間に着替えを済ませて、何をしているんだ諸君は、と不思議そうに声をかけてきやがった。お前は。もう少し。羞恥心を持て。

 比企は防弾チャイナのボタンを留めながら、いやまったく、とぼやいた。

「ふん、オーストラリア人、ね」

 座卓の上の端末画面を一瞥して、

「貴君らもこの男に見覚えあるだろう」

 トントンと画面を指す。

 そこには見覚えのある、胡散臭い挙動の観光客の外国人がいた。それから、ちょいちょい一緒に見かけたインド人のおっさんも。

「あ、こっちのインドのおっさんも見たぞ」

「海の家冷やかして見てるだけで、なーんも買い物しない奴だ」

「どこの民宿に泊まってるんだかな」

 それを聞いて実に嬉しそうに、そうかそうかと笑い出したロシア娘は、画面を指してツルッと説明した。

「こいつらはこの春頃から、露人街に上陸し始めたオージーマフィアの幹部でな。うちの番頭がいささか強引な奴らだと言っていた」

 エリコニンのシマを荒らしにかかっているようでな、奴ら仁義というものを知らんのだ、と言いながら、国広を背中のチャイナの中に隠し、ホルスターをつけてナイフと銃を収めると、バルーンパンツの中やポケットに弾倉を詰め込み、比企はため息をついた。

「街の顔役の連絡会でも問題になっていてな。とりあえずしばらく泳がせておこうと決まったのだが、さて、」

 こうなると黙って見てはいられん、と言って、比企は電話をかけ始めた。

「私だ。ピョートル・イリイッチに繋げ。本家の小梅と言えばあれにはわかる」

 それからまた、おそろしく早口のロシア語でしゃべり出す。やだこの人何してるの。

 電話を切ると、すぐにいつもの白い軍用コートとアーミーブーツを手に立ち上がった。

「行くぞ。追っつけ迎えが来る。彼らを助け出すなら早いに越したことはない」

「え」

「ちょま」

「待って」

「置いてかないでえ」

 大慌てで立ち上がり、部屋へ戻って端末や充電器、携帯バッテリーやお菓子に飲み物を鞄に放り込み、まさやんと結城は自分達のと源の木刀も持って、バタバタと後に続いた。

 おじさんおばさんお姉さんに見送られ、どこに行くのかと思えば海水浴場。え。誰がどこから迎えに来るの。

 なんてぽけーっとぶらぶらしていると、え、待って何この音。いきなりすごい金属的な、というより女の人の悲鳴みたいな甲高い音がして、あと真上から吹きおろす風が凄くて、ちょっと待って何が起こってるの? あとすげえ眩しいんですけど!

「姫様ああ! 姫様あああ! 」

 すげえ眩しいライトの方から激渋い親爺ボイスが大声で呼びかけてくる。うん? 姫様? ってことは。

「比企ちんお知り合い? 」

「あれ何? 」

 結城と忠広がライトの方を指差すと、比企は片手で顔を覆ってため息をついた。

「どうして迎えがピョートル・イリイッチなんだ」

 ライトにだいぶ目が慣れて、よくよく見ればあれって確か、何年か前に自衛隊でも正式採用するとか言ってニュースになった、オスプレイの後継機の、なんだっけ。ぽっかり開いた搬入口から縄梯子が降ろされて、見るからに迫力のある外国人のおっさんが、こっちを見て手を振っていた。

 

 ピョートルさんの話によると、比企が爺やさんやヴォロージャさんから姫と呼ばれているのは、ロシアの本家を取り仕切る曽お祖母さんが後継者として指名していて、更に先祖返りの異能があって、一族の長老達が大した意義もなく認めているからなのだそうだ。お達者クラブの爺さん連中に言わせると「クリスが継いでもええが、やっぱりうら若い娘が一族を束ねとる方が見栄えが華やかでええじゃろ」だとかで、しょうもないな。

 で、比企の言う番頭、ピョートルさんが俺たちの回収に自ら出向いた理由が以下の通り。

連絡会キューポラは倅どもが各顔役に回状を回し、場所の掃除をしております。となれば、姫様のお出迎えにはこの老いぼれが不肖あたらせていただく他ないと」

「わかった。皆まで言うな。それで頼んでおいたことはどうだ」

「それはもう、姫様のご下命とあれば抜かりなく。うちの倉庫に用意させてあります」

「よかろう。ああ、ヴォロージャを手が空き次第、こちらにつけてくれ。戦友達とは顔馴染みだ、いてくれれば彼らも気安いだろう」

「かしこまりました」

 輸送機の貨物室は、縄梯子を登り切ると豪華な応接室になっていて、比企と一緒に俺達を引っ張り上げたピョートルさん自ら、冷蔵庫からアイスミントティーを出して振る舞って、忠広の頰に湿布を貼ってくれた。

 それから輸送機はまっすぐ、東京の湾岸に浮かぶ一大スラム、悪名高い露人街の貨物港に程近い、トリスメギストス・ファーマの本社ビル屋上へ乗り付けたのだった。

 屋上のヘリポートから、すぐ下のこの会長執務室へ通されたのが小一時間前。すぐにちょっと出てくるとひと言、席を外そうとする比企に、どうにか俺の同行を飲み込ませ、仲間達には待機してもらった、のだが。

 さっきどうにか戻った俺、かなりげっそりしていたと思う。

 比企が向かったのは、本社ビルの近く、貨物港にあるトリスメギストスの倉庫だった。

 ここまでの比企の行動は以下の流れ。

 馴染みの情報屋にうしお海岸へ訪れている不審な旅行者のピックアップ、及び美羽子や源達を連れ去った人間が映るNシステム及び地域防犯カメラの映像解析を依頼→不審人物リストと防犯カメラの映像から、例のオーストラリア人とインド人の情報を入手→即座に子飼いのエリコニン・ファミリーを動かし、露人街にこの二人が戻っていたら身柄を確保しろと指示→ファミリーの幹部がイタリアンレストランで飯を食っている二人を発見、確保←イマココ。

 二人は檻状の柵越しに離れてパイプ椅子に座らされていて、両手は背もたれの後ろで後ろ手に、両足はそれぞれ椅子の左右の脚に、ダクトテープで固定されていた。ご丁寧に口もテープで塞いでいる。オーストラリア人の男の方には、大学の本郷先生ほどじゃないけどゴツくてダークスーツの男の人数人が立っていて、俺と比企が入ってくるのを見ると一斉にビシリと最敬礼でお辞儀した。オーストラリア人が腹筋だけでジタバタと椅子ごとはねて、もがもが文句を言ったが、自称薬屋の娘はそっちを見もせずに、軽く手を振って始めろ、とだけ声をかける。インド人の方にはヴォロージャさん一人だけがいて、お待ちしておりました、とこれまた最敬礼で、折りたたみテーブルの上に、よくこなれた革の工具バッグを出して広げた。

 そして始まる、比企の楽しいインタビュー。

 まず、いきなり柵の向こうで殴る蹴るの暴行が始まった。オージー野郎の威勢がよかったのは、鼻にストレート決められて鼻血が出るまでだった。すぐ横、柵越しに数メートル離れているだけだから、その様子はいやでも口髭インド人のおっさんには丸見えだし、声も音も聞こえる。

 比企はまず、おっさんの口に貼ったテープを一息に剥がした。髭もいくらかくっついて抜けたらしく、口髭インドがギャッ、と声を上げた。

 正面に椅子を持ってきて比企が腰掛けると、ヴォロージャさんがスッとテーブルとゴミ箱を脇に置く。

 それからおもむろに、殴る蹴るの暴行の音とくぐもった悲鳴をBGMに、淡々と比企は始めた。

「私は、生まれは日本だが、育ちは崑崙とロシアでな」

 ゴシャめしゃ。ぐむう。

「まあ、ロシアとは言っても『核なき大戦』の終戦でウクライナに併呑されて、帝国領となった西側の出だ。そういう育ちだからな、拷問インタビューの技術については、それなりに多少嗜んでいる」

 インドのおっさんが横目で、仲間がボコボコにされているのを凝視している。

「しかも父親というのが、あれは一種の性格破綻だな。なあ八木君、貴君もそう思うよな。ああ、それはいいとして、自分の仕事を、義務教育も終わっていない娘に手伝わせるようなバカタレでな。おかげで知識だけの技術が、実践を伴うようになってしまった」

 おっさん、キョロキョロと目だけで、仲間と比企を交互に見比べている。

 さて、一口に拷問サードディグリーと言っても、方法にはいくつかあってな、と比企はニマニマと笑みを浮かべたが、目は一切笑っていない。

「知っているか。華夏の拷問は、まず相手の精神を折るというのが大きな柱でな。まず、こういう竹筒を相手の目に当てがって、尻の方をポンと叩いてやる」

 折りたたみテーブルから竹筒をとって宙にかざすと、片側をポンと叩いて見せた。

「こうすると目玉が取れてしまうんだな。で、くり抜いた目玉は、適当な小皿にでもとって灰をまぶして、転がらないようにして置く。片目が残っていれば、よく見えるだろう。それでもまだ折れない場合は、こういうものを使う」

 比企は工具ケースからペンチを出して見せる。おっさんはもう、汗でしとどに顔を濡らし、これ以上ないくらい目を見開いている。

「こいつで歯を抜いていく。当然麻酔なんかないし、歯医者が抜いてくれるわけじゃない。鉗子もペンチもない場合は、釘抜きやドライバーやナイフでやる。ああ、こういうときに、どんな順番で抜いていくか知っているか」

 かわいそうに、猿轡がわりのテープは剥がれているのに、おっさんはひと言もしゃべれず、小刻みにプルプルするばかりだ。

 比企はニヤニヤ笑って答えを口にした。

「前歯だよ。まずは上の前歯二本を抜く。理由はわかるか」

 半泣きになり始めながら、小刻みに首を振るかわいそうなインドのおっさん。八木君はわかるかい、と比企は俺にも訊ねるが、お願いだから振らないでください。

 比企は困ったもんだと頭をボリボリ掻いた。

「自殺防止だよ。人間、追い詰められると舌噛んで死のうとするからな。前歯を抜くと、やりたくてもうまくはできない。大概はここで諦めるが、中には耐え抜く奴もいる。そうなったら、今度は下の前歯を抜く」

 やめて! 俺のライフはもうゼロよ!

 これはまあ、相手の精神を折るのが主目的の場合だな、と比企はあっさり話の流れを切り替えた。

「さて、一方で連邦ソヴィエト時代から磨きをかけながら受け継がれてきた方式はというと、こちらは精神を折るのでなく壊して、何を聞かれても澱みなく吐き出すところへ持っていくやり方だ」

 ついにおっさんがシクシク泣き出した。柵の向こうでは、スーツの男達がオージー野郎にバケツ水をぶっかけて、またタコ殴りを続行している。

「まず、分かりきった質問を、何十回何百回と繰り返す。断続的に大音量の騒音を、のべつまくなしに聞かせて眠らせない。自白剤も使う。それから、こんなこともやる」

 比企の白い手が、スッと伸びて柵の向こうを指した。

「複数人が相手であれば、誰か一人を問答無用でぶちのめし、残った仲間にその様子を見せて、こう言うんだ」

 立ち上がって、啜り泣くおっさんの耳元にひたと口を寄せ、比企は言った。

「黙っているなら次は貴様だ」

 その瞬間。おっさんが盛大に泣き声をあげ、助けてくれと喚き出した。

「頼む、なんでもしゃべる! なんでも、俺の知っていることはなんでも話すから! 」

 泣きじゃくりながら命乞いを始めたおっさんを、比企は冷ややかに見ている。

「お願いします、なんでもお話しします! 何なりとお訊ねください! 」

 ヴォロージャさんがニヤリと笑って、端末の録画機能を立ち上げた。

 そして啜り泣きながら、おっさんはペラペラと流暢に、比企の訊ねることもそうでないことも、次から次と捲し立て始める。

 そんなえげつなき取り調べに立ち会った俺、なんかもうぐったり。比企の執務室へ戻って、待っていた仲間に倉庫での一件を話して聞かせる間に、比企は執務室と続き部屋のリビングで着替え。だからドアを閉めなさいよ。真っ赤なチャイナドレスは、たぶんいつぞやの怪盗騒ぎのときパーティーで着ていた、あの色が変わる防弾服だろう。

「街の顔役全員に召集かけた言い出しっぺだからな、それなりの格好をつけないことには面倒なんだ」

 チャイナドレスの肩に軍用コートを引っ掛けて、行くぞと俺達にひと声、比企は颯爽とトリスメギストス本社を出て、露人街の中心部へ向かった。

 運転手はヴォロージャさん、助手席に俺、後部座席には比企と結城、忠広、まさやんが収まったアルファロメオは、なんかすげえネオンキラキラの大通りの中でも特に目立つ、クラシックな外観ながら華やかな建物の前で停まった。大きな看板には、すごい達筆ででかでかと「梅雪楼」と書かれていて、ここってなに屋さん?

 店の前では、なんか長い金属の棒みたいなのを持って立ってるダークスーツの男達がいて、比企はその前で両手を広げ、ホルスターを外して男の一人に渡す。他の一人が比企の体の周りに棒をかざして、他の数人も俺達に同じように棒をかざした。すげえな金属探知機ってこんななんだ。男の一人がまさやんと結城に、木刀をお預かりしますと声をかける。比企に促されて二人が手ぶらになったところで、どうぞと店の入り口を開けて通してもらうと、中はとんでもなくラグジュアリー空間。

 そこは見事なフロアで、どこもかしこもキラキラしてる。入口の真ん前、店のどんつきには、昔のハリウッド映画に出る豪邸みたいな、緩やかで広い階段。で、その階段や、吹き抜けになっている二階の廊下の手すりにもたれるように、きれいに着飾ったきれいなお姉さん達が、こっちを見て手を振っている。なんだこの夢のような空間! すげえいい匂いがする!

 なんだろうこの店。だだっ広いフロアのところどころにボックス席があるが、喫茶店やファミレスと違って、席同士の間隔は開いている。その中でも一番奥の、明らかにVIP席なのがわかるボックス席に通された。

 VIP席には先客がいた。

 中国系だろうか、白髪で品のいいお爺さんと、南アジア系の顔立ちの、十代二十代の頃にはヤンチャだったであろう、スーツ姿の男性。それから、南米あたりにいそうなラテンのノリを感じさせる親爺さんに、これは見るからにイタリア系の男。全員が一斉にこちらを見て、俺達男子全員、一瞬うっとたじろいだ。

「待たせて申し訳ない。少々立て込んでいたもので」

 気後れどころか、屁でもない風に比企は切り出して、ボックス席に混ざる。それから、席まで案内してくれたお姉さんに俺達の分の椅子を頼んで、全員にさっきのインド親爺の号泣告白大会ビデオを見せてから、さて、と本題に斬り込んだ。

「お集まりの紳士方は、私がよんどころない事情で学生などしていることはよくご存知と思うが、先日の会合で話題になった例の新参者が、今爆笑ビデオをご覧いただいた通り、いささか調子に乗ってやらかしたようだ。もう皆の耳には届いているのでは」

 お爺さんがうんうんとうなずき、ラテン親父がパチンと指を鳴らし、ホログラフで何かのメッセージカードを出した。データを展開して、カードを開いたグラフィックが出ると、そこにはオークションへご招待とかなんとか書いてある。

「これだろう、お嬢」

「俺のところにも来ているぞ。どうも手当たり次第に送りつけているようだな」

「だがさすがに梅娘子めいにゃんつに、友人を売り飛ばすオークションへの招待状を送りつける度胸はなかったか」

 南アジアの男とお爺さんが続けると、イタリア男がふんと鼻を鳴らした。

「イワンの嬢ちゃんもヤキが回ったか? お友達が掻っ攫われて売り飛ばされそうになって、頭にきてるのもわかるがよ、それで俺達を集めて何がしたいんだ」

 戦争をするから手伝えとでもいう気か、と毒づく。全員が一瞬、すごい目で比企を見た。黒服のボーイさんが四人、俺達に椅子を持ってきてくれたところで、お兄さん達がギョッとする。怖いよこの空気!

「心配には及ばんよドン・アントニオ」

 比企がしれっと言い放った。学食でメガ盛りチャレンジメニューを注文するかのように。

「私が頼みたいのはこれだけだ。一つ、連中は私が相手をするので手出し無用。もう一つは、混戦となった時には私の戦友達を保護していただきたい」

「はあ? 」

 イタリア系のアントニオさんが、あんぐりと口を開けて困惑した。

「まさか、昔のシマ争いみてえなことは」

「やらないよ。あそこまでやったのは、こうして連絡会キューポラの場を設け合議制にするための淘汰だ。細かい組織ばかりの群雄割拠では、相争うだけで何も進展しない」

「よく言うぜ、街の半分近くを磨り潰した魔女が」

 アントニオさんそこ、もっと詳しく聞かせてください。比企は何やらかしたんすか。

「おやおや、この現状にご不満でも? 私はもう一度お宅とやっても構わんのだぞ」

「勘弁しろよ。あんな戦争、二度とごめんだよ」

 アントニオさんが引っ込んだところで、それで、とお爺さんが仕切り直した。

「どの程度までやるつもりかね梅娘子」

 そうだなと比企は、天気の話でもするように、物騒な答えを返した。

「死人は出す予定はないが、まあ、二度と調子に乗った真似ができないように、しっかり調教しておかないとな。言うだろう、痛くなければ覚えませぬ、と」

 お爺さんが満足そうにうなずいた。そして、これを使いなさいと言って、比企に招待状のメッセージカードのデータを渡す。他の三人も、自分達は行かないからと同じようにデータを寄越した。

 ちょっと待て。ちょっとちょっと。

 俺が小さく挙手すると、ボックス席の全員が一斉にこっちを見たが、怖い怖い怖い。

「あの、もしかして、さっきから売り飛ばすとかなんとかって、それはつまり、源達人身売買されちゃうんですか」

「放っておくとそうなるな」

 南アジアの男性があっさり認めなすった。まじか! 

 焦る俺達、だが比企は実に落ち着いていた。

「慌てるな戦友諸君。オークションは今夜、今が夜十一時半になるところか。あと二時間で開始だな。それまでに、まずは支度を整えよう」

 正面から、優雅にかつ堂々と乗り込んでやろうじゃないか、と言って、比企は実に楽しそうに笑った。それでもやっぱり目が笑っていないのは、三人を攫われて怒り狂っているのだろう。

 頼むから、人死にだけは出さないでくれ。お願い。

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