第63話 五人とひとりとギャングスタ 2章

 蒸し暑い真夏の深夜、場所は無法者が集まるスラム街・東京露人街の港湾地区。洒落たシーフードレストランを隠れ蓑にした地下の秘密クラブに、俺とまさやん、忠広に結城、それから比企と、比企の兄やのヴォロージャさんが、それぞれ簡単なお面やマスクで顔を隠し、小さなシアターのように舞台を取り囲んだ客席の、ステージ正面のVIP席に収まって、ことの成り行きをじっと見ている。

 会場には、さっきキラキラのラウンジで開かれた連絡会の場で譲られた、オークションへの招待状を使って入った。もっと送った相手と使用者の身元の照会をがっちりするのかと思ったら、こうやって誰かに融通したりするのが常なので、そんなことはいちいちしないのだそうだ。

 時刻は深夜一時半を回ったところで、舞台の上では明らかに違法なオークションが開かれていた。司会者が順々に、ステージの真ん中へ商品を出しては、客席の側から競り値をあげる声がかかる。なんかもう、出てくる商品も多種多様というか何でもありというか、販売終了になったお菓子の最終ロット十箱とか、アタッシェケースにいっぱいの白い粉とか、平和なものから物騒なものまで色々だった。

 このオークションは、以前から開催されていたものだけど、最近になってオーストラリア系のマフィアが一枚噛むようになったのだそうだ。源と美羽子、桜木さんを拉致した組織だ。露人街では新参者である組織は、どうやら街の顔役を舐めてかかっているようで、美羽子達を連れ去り、あまつさえ身柄をオークションで売り飛ばそうとしていると情報を摑んだ比企は、そりゃもう怒り狂っていた。顔だけはニコニコと満面の笑みで、比企をよく知らない人間が見ればそうは思えないだろうが、俺達はよく知っている。それが証拠に、比企の目は一切笑っておらず、上機嫌は取ってつけたようなにこやかさで彩られていた。

 オークション自体は、毎回短時間で終わるのだそうだ。せいぜい小一時間。それでいくと今日も、そろそろ最後の目玉商品が出てくる頃合いだ。

「来るぞ」

 比企が小さく俺達に注意を促した。舞台の照明が落ちて、ドラムロールが流れる。ジャーン! という効果音のあとに、パッと照明が戻った。

 司会の小男が、朗らかに宣う。

「さあ今宵最後の商品はこちら! あの特級探偵・スネグラチカの友人と監督官でございます! 人質として探偵を意のままにするもよし、秘書や愛人にするもよし! 全員セットでお求めでしたら紙幣シザで百万から、ひとりであれば同じく紙幣で三十万からをスタートと致します! 」

 会場から次々と、やれ五百だ千だと金額が出る。ステージの真ん中に引き出された桜木さんは幾分くたびれた顔で、怯える美羽子を庇って源はぎっと客席を睨んで立っており、俺達はどうやって助け出したものかと固唾を飲んで、ステージの様子を凝視していた、そのとき。

 比企の端末が鳴った。どこか決然としたラッパのファンファーレが響いて、比企はわかったとひと言だけで切ってしまう。ヴォロージャさんに軽くうなずいた。そして。

「一兆。紙幣で」

 でかい声で朗々と、競りに爆弾みたいな金額を放り込んだ。

「え。しざ? って何、日本円でいくらなん」

「てゆうか一兆って」

 キョトン顔の俺達男子四名に、ヴォロージャさんがそっと、大まかに日本円で換算したレートを教えてくれたが、それ待って、そのレートで一兆だったら、ちょっとした国家予算ぐらいのお値段ですが!

 会場が途端にざわついて、すぐにしんと静まる。司会者が狼狽えて、取り繕うようにい、一兆ですか、とお愛想笑いを浮かべた。

 ステージに引き出された三人が、声の主に気づいて顔を上げる。美羽子と源は笑顔で、桜木さんはあちゃあ、と言いたそうな情けない顔で。

 比企はやおら立ち上がると、ああ一兆だ! と声高らかに言ってのけると、

「それもスタートの金額で、だ。私の戦友と相棒だ、あえて値をつけるなら青天井だ! 何が百万だ、みみっちいことを言いやがって、馬鹿にしているのか? 」

 司会者がハッと顔を上げた。比企が俺達とヴォロージャさんに目配せを一つ。行きましょう、と促され、比企を残して全員でステージへ向かった。

 今回の手筈はすげえザックリで、比企が会場じゅうの目を惹きつけている間に、俺達が三人を救出、こっそり脱出という段取りだ。大雑把すぎだろ!

 スレンダーな体に優雅なチャイナドレスを纏った、見た目だけは夢のような美少女が、VIP席の手すりを乗り越え、ひらりと飛んだ。

 比企はあからさまにステージ目掛けて真っ直ぐに、客席の背もたれをポンポンと飛び移る。ステージの真下に黒服筋肉ダルマののガードマンがわっさわっさと集まり、なんとしても三人を奪還させるものかと身構えた。驚き悲鳴をあげ、逃げ出す会場の客。客席後方の扉に向かって我先にと走り、押し合いへし合いするが、人間のパニックってこんな風になるのか。

 俺達はヴォロージャさんの先導で、こっそり脇の扉から裏方へ入り、ステージの袖でことの成り行きを見守っていた。あとはタイミングを見て、三人のところへ行けばいい。

 すっかり客のいなくなったところで、比企は椅子の背を蹴ってステージの真下へとんと降りた。スリットが入っていない方の腰を軽くポンと叩くと、そちらにも大胆なスリットが入った。露出は増えたが機動はこれで上がった。それから、ど真ん中に陣取る、他のガードマンより二回りくらいでかい男にいきなり、鼻にストレートを一発。男はびくともせずニヤニヤしているが、流れるように比企は針金みたいな細い脚で、ためらうことなく股間を蹴り付けた。美羽子以外の全員が顔をしかめたが、男は薄ら笑いを崩さない。

「お嬢ちゃん、そこは一番強化してあるんだ。試すか? 」

 比企は耳がないような顔で下品な挑発を受け流し、そのままもう一度蹴り付けた。今度はまずジャンプでこめかみに斜め上のベクトルから一撃、そのままグルンと一回転して眉間へ踵を落とした。筋肉ダルマが白目を剥いて膝から崩れるモーションは、ちょっと乙女のようだった。それを見た黒服連中がいきり立ち、一斉に比企に押し寄せるが、比企にしてみればお遊び程度のものでしかない。

「勢いは買うが動作がぶれ過ぎだ」「アクションに無駄が多い」「その構えは何だ、隙だらけじゃないか」「貴様ら実戦だったら軽く二十回は死んでいるぞ」…完全に比企の愉快な白兵戦教室になってる。黒服が全員のされると、司会者が屁っぴり腰でピストルを構えた。

「うう、うつ、」

 撃つぞと言いたいのだろうけど、すっかりビビり散らしているので、足はガクガク、腕はブルブル、声は裏返っていて、何かもう生まれたての仔牛みたいになってる。俺達はそこで、それっと飛び出し、三人のところへ駆け寄った。声をあげかける源と美羽子に静かに、とジェスチャーで注意し、袖へと連れて戻る。桜木さんも一緒に戻ってくると、準備よくヴォロージャさんは十徳ナイフを出し、三人の手を縛っている結束バンドを切ってくれた。

 その間にも、司会者の小男はうう、うう、とうめくが、比企は構わずステージに上がって、どうした、と訊ねる。

「うう、じゃわからん。何がしたい。撃つのか撃たないのかどっちだ」

「う」

「ほら急所はここだ。まずここが心臓。確実に落命させるならここか脳だ。死なれると困るが行動不能にはしたいなら、腹のこの辺を撃てば制圧できる。あとは足だな。命に別状はないが移動はできなくなる。効果は高いぞ」

「ひい」

 じれったそうに小男の腕を摑んで狙いをつけさせるが、七割方泣いてるよ、もうやめたげてよう!

「それにしても貴様の構え方は何だ。銃を撃ったこともないのか。そんなに腰が引けていたら、自分の足をぶち抜いて終わりだぞ」

 もっと腰を据えろ、と尻を引っぱたき、胸倉を摑み背中をバシッと叩いて背筋を伸ばさせ、両足の間を自分の足で払うように幅を広げさせた。

「初心者がやるならこの姿勢だ。この姿勢を体に叩き込め」

 いやあの、そこまで指導するとかどうなんすか。

 男が泣き喚きながらトリガーを引いたが、何せほら、比企のチャイナドレスは防弾仕様だから、全弾喰らったところで、穴どころか傷ひとつつきやがらない。比企の奴は実につまらなさそうに、いい加減にぶん殴って気絶させた。

 それからふん、と鼻を鳴らして、全員の顔を見ると、それじゃあ行こうかと、客席後ろの扉へ向かった。さっきの騒ぎで押し寄せた客の勢いで、観音開きの扉の左側は外れかかっていた。

 そこで再び鳴り出す比企の端末。またしてもあの決然としたトランペットで、比企はすぐに出て、よし、とだけ応じた。

「誰」

 美羽子が小さく訊ねると、うん、と比企はあっさり答えた。

「山崎と本郷。私の知る中で、あいつらが一番戦争に慣れている」

「え、先生と山崎さん? 何頼んだの比企さん」

 ほえ、とあほ面で訊ねる忠広に、赤毛のチャイナ娘は端的に答えた。

「うちの若い衆の指揮を。あいつらなら中隊レベルの集団を指揮し慣れている。ここの混乱はすぐ知れるだろうからな、増援が来ても外であらかたすり潰せる」

「山崎さんって今何やってる人なん」

 結城、うん、確かに気にはなるよなあ。比企によると山崎さんは、月の半分は奈良で金魚問屋をやってる実家を手伝い、半分はこの露人街で、実家の金魚や同業の商売仲間から仕入れた小型の魚や生物を売るペットショップをやっているそうだ。

 比企はそろそろ頃合いか、と顔を上げて、上階のレストランへ抜ける階段を登った。このオークション会場へ入るとき、俺達は他の客同様、入り口階段手前のクロークで上着や武器を預けたのだった。他の客達は皆一様に拳銃やナイフ、メリケンサックなんかを預けていて、今回は珍しく手ぶらで来た比企だったが、まさやんと結城は自分のと源の木刀を持っていて、それを預けて中に入ったのだった。

 クロークに戻ると、まさやんと結城はカウンターを乗り越えて奥へ入り、三人分の木刀を取り戻してきた。受け取って感触を確かめるように握り、うなずく源。クロークはレストランの奥の、個室エリアの一番奥にあって、レストランのホールへ戻ると、来たときには七割方埋まっていたテーブルは料理が乗ったままきれいに無人になっていて、ただ爽やかなBGMだけが低く流れていた。

 比企はテーブルに置かれていたバケツから白ワインをとってラッパ飲み。ひと息に半分近く飲んだところで、外からターン、と軽い破裂音が聞こえた。

「ファーストマーチが始まったな」

 いや物騒物騒物騒。その例え物騒。

 乾いた破裂音に続いて、何かが爆発する音。それから断続的に続く破裂音。

「では行ってくるかな」

 残り半分を飲み干して、比企はご機嫌な足取りで出口へ向かう。

「どこに行くん比企ちん」

 結城が引き止めると、いや、と何でもないことのように言いやがった。

「外。帰りの道を掃除してこないと歩けないだろう」

「掃除とおっしゃると」

「消毒とか、障害排除とか、言うだろう、ほら」

「つまり? 」

 幾分げっそりしながらまさやんが確認すると、

「このオークションは最近になって例のオージーマフィアが仕切るようになってたからな、増員を叩き潰せばこちらの目的は二つとも達成できる」

 お前はどこの戦国武将だ!

「お前はどこの戦国武将だ! 」

 つい思ったままのツッコミを入れていた。

 比企は駄弁には取り合わず、では行ってくる、とひと言、コンビニにでも行くかのように店の正面入口の扉から外へ出た。そこから先の展開といったらもう。

 レストランのでっかいウィンドウからよく見えた。そして全員が軽く引いた。

 まず、レストランの入り口前に仁王立ちしたチャイナ娘はそのままツカツカと、店の前の大通りのど真ん中に出て、その辺に転がってる銃を拾い上げた。弾倉を軽く抜き出して残弾数を確認してから、バラバラと物陰から出てきたダークスーツの筋肉ダルマ数人に向けて発砲。

 半数の男達が、膝を押さえて悲鳴を上げて転げ回った。もう半分が肩を貸して引き揚げる、が、どこからか乾いた破裂音がして、今度は肩を貸している連中が膝を押さえて泣き喚き始めた。

 泡を食ってまたバラバラと出てくる男達。同じ要領できれいに膝を撃ち抜かれ、命乞いしながら、さっき飛び出してきた物陰へと、地べたを這いずり転がりながら戻っていく。何かもう、マイルドな阿鼻叫喚が繰り広げられていた。

 大人だろうと鍛えてようとものごっつい武器を持ってようと、痛ければ悲鳴をあげるし悔しかったり情けなかったりしたら泣くんだな。

 それにしても、この乾いた音はどこから響いているんだろう。確かに片側二車線の大通りには、七階八階くらいのビルが立ち並び、店へ来るまでの道中は確かに、そこそこ交通量があって車も走っていた。今こうなってしまうと、さすがに車も歩行者も半減以下だが。街の中心部の方からやって来る車が数台見えたが、軒並みゴツい野郎共がライフルや拳銃片手に箱乗りしていて、こちらへ来るのは見るからにゴリゴリの関係者しかいなかった。

 乾いた音がする。その度に車のタイヤがパンクして、歩道に乗り上げたり前で同じように停められている車に鼻先をぶつけたりして止まり、ゴツい男がバラバラと車を乗り捨てた。こっちへ駆けてくる。比企を見て銃を構え発砲する、その瞬間。比企はスッと拾った銃を構え、躊躇いもなく引き金を引いた。乾いた音が続く。男達はまたしても、揃って膝を撃ち抜かれた。だけど何で膝。

 ひと頻り銃の音が響いて、もう立っている男はいない。そこに、さっき来たよりももう少し高そうな車が乗り付けた。助手席から黒服が降りて周囲を警戒しながら後部ドアを開けると、偉そうに踏ん反り返って高そうなスーツを着た、金髪のおっさんが降りてきた。

「おお、エリコニンのところのお嬢様が、今日は随分とまた威勢がいいな。いくら俺達が新参とはいえ、シノギ潰されて黙ってるわけがねえだろう」

 今にも摑みかかって比企の細い首をねじ切りたそうな口調だけど、言われた当人はミジンコの毛程も気にしちゃいない。実にご機嫌そうな、とろけるような獰猛な笑みでひと言、調子に乗りすぎたな、と片付けた。

「私とやりたいのなら堂々とかかって来ればいいものを、無関係な戦友達や相棒にいらぬちょっかいをかけるからこうなるのだ。私を怒らせたかったのなら、貴様の目標はクリアだな。ただ、私は怒ると手加減ができなくてな。あまり怒らないようにしているのだが、さて」

 うっ、と気圧されかけたおっさんだが、すぐに気を取り直し、手下の黒服に軽く顎をしゃくった、そのとき。

 比企がいい加減に発砲した、ように見えた。同時に黒服連中が、全員膝から崩れて痛みに喚き出した。何が起きたのか把握できずに狼狽えるおっさん。

「お、おい何が、」

「何がぁ、もガンガーもあるか助平野郎パーブニクが! 」

 呆れたと言わんばかりのロシア娘に、おっさんがスーツの懐に手を突っ込んで銃を抜いた。

 おっさんが喚く。たぶんくたばれとか、その類の罵倒のスラングだろう。けれど。

 発砲の瞬間、比企の姿が消えた。本当に一瞬で消えた。

「どんなイリュージョン? 」

 ぶったまげた結城が悲鳴をあげる、と同時に、比企は真っ赤なチャイナドレスの裾を翻し、細い足でおっさんの顎を強かに蹴り上げた!

 俺は見た。比企が上からフワッと降りてきて、そのままおっさんを顎へのゲソパン一発でひっくり返したのを。いなくなったように見えたのは、あれはただ真上にでもジャンプしてただけだったのだ。それも、どこに行ったか一瞬わからなくなるぐらい高く。

 蹴転がされたおっさんが身を起こそうとした、そのすぐ目の前に立った比企は、ゾッとするほど冷たい目でおっさんを一瞥し、躊躇わず発砲した。左膝に一発、右掌に一発。

 そこに、初対面のときと同じツナギ姿の山崎さんがライフル担いで、今日はスーツじゃなくTシャツにワークパンツ姿の本郷先生と一緒にやってきた。二人の後ろに、ゾロゾロとロシア人の男の人が二十人近く続いていて、しかも全員山崎さんと同様にライフルを下げて歩いていた。

 もう勝負は決まったのだろう。俺達もここで比企に合流。ライフル担いだお兄さん達は、俺らの顔を見るとどうぞ、とにこやかに一礼して、通り道を開けてくれた。輪の中心には比企とおっさんがいて、比企はこれまでに見たこともないほど露骨な嫌悪と軽蔑をその目に浮かべて、うずくまるおっさんを冷然と見ていた。

「お前は街の流儀を二つ汚した。一つは、街のトラブルを〈本土〉へ持ち出した。もう一つは、裏の世界とは関わりのない人間、笹岡さんと源君に相棒を誘拐し、あまつさえ売り飛ばそうとした。私がここまで怒り心頭なのはな、自分の仲間に手を出されたからというだけじゃない。お前が、新参者であるお前が、いい気になって街の流儀を二つも汚したからだ」

 比企は先その辺で拾った拳銃を、おっさんの股間にポイと放り捨てた。

「なぜこの街が治外法権として認識されども放置されているのか。この奇妙に安定した不条理を、私を含め連絡会キューポラの面々がどれほどの注意を払って維持しているのか。考えたこともないのであれば、どの道お前はその程度ということだ。〈本土〉からの観光客対策として、表通りは各組織合同で治安にあたり、トラブルは連絡会で共有し対処する。組織がそれなりの規模であれば、自分のシマだけを守っていればいいというわけにはいかん。無法者の世界にだって、プラグマティックな理由からではあれ、社会的な道義や責任はあるんだよ」

 いいか、と比企は続けた。

「お前はそこを履き違えた。世界に類を見ない犯罪都市、東洋のカスバ、九龍城砦の再来、そんな文句を鵜呑みにしていたんだろうが、いささか無邪気すぎたな。悪党には悪党のルールってものがある。悪党だから何でもあり、と思ったら大間違いだこの田吾作が」

 おっさんが情けない顔で比企を見上げた。

 比企の口調はすごく厳しい。これまでに、こんなに厳しい、てゆうか冷たい、取り付くしまもない感じは見たことがない。やっぱりまじで美羽子と源、桜木さんに手出しをされたことが頭に来てるのか。それプラス、露人街の最低限のルールとやらも絡んでるのか。

 殺されるとでも思ってるようだな、と比企はつまらなさそうに言った。それから、殺さんよ、と素っ気なく宣告する。

「あ、殺さないんだ」

「意外」

「まともな判断力が残っていたか」

「思ったより冷静だ」

「やっちゃうかと思ったいがったー」

 俺、忠広、まさやん、源、結城がおお、と感心しながら茶々を入れるが、何を言っているんだ諸君、と比企は困ったもんだと言いたげに首を振った。

「だって殺しちゃったらそこで終わって、こいつは楽になるんだぞ。殺してどうする殺して」

 もっとダメなやつだった!

「利き手と膝をぶち抜いたからな、義肢でも入れない限りまともに歩けないし手も使えない、だが、街のまともな医者はこいつの診療についちゃおそらく門前払いを食わせるだろう。病院坂はエリコニンのシマだ。どのクリニックも、私とやり合ってこうなったと知っているであろうし、そうなれば当然追い返すさ。まともに治療を受けようと思ったら、国に帰って自分のお抱え医師に頼むしかないが、さて処置が間に合うかな」

「つまり、このおじさん、」

「ほっとくと後遺症で歩けない、手も使えない、ってこと? 」

 美羽子と桜木さんが、ひくひくと引き攣った笑みで曖昧に確認。まあそうなるな、と比企は認めたが、殺しちゃうよりひどい!

「裏稼業は引退するしかあるまいが、したところで、買った恨みつらみは死ぬまでついて回る。こいつを仇と狙う連中にしてみれば、最高のチャンスが巡ってきたってところだな」

 いや、だからそのねっとりした悪い笑顔は引っ込めなさいって。

 比企は悪い笑みで、さあ楽しみだな、と嘯いた。

「これからお前のところには、これまでの悪行で恨みを買った連中のお礼参りが続々やってくるぞ。殺さずに済ませてくれる人間が、果たしてどれだけいるかな」

 おっさん、ついにプルプル震え出した。すげえな冬場のチワワみたいだぞ。痛みと恐怖で顔を土気色にしながら、冷や汗ダラダラでついに泣きが入った。

「すまなかった、俺が悪かった心得違いだった! もうこんなバカは二度としでかさない、だから」

 はあ《シトー》? と声をあげて、比企はおっさんのだいぶ薄くなってる髪を摑んで宙釣りにした。あの触れただけで折れそうな細腕で、自分の体重の三倍くらいありそうなおっさんを軽々と宙吊りにするのだ。何も知らない人間が見たら特撮だと思うだろう。が、あいにくこれは現実だ。

「二度としない? 何を抜かす、次などあるわけがなかろう。そんなこともわからんのか、この愚か者が」

 ぴいぴいと悲鳴をあげるおっさんを、比企は放り投げるように打ち捨てた。

「まだわかっていないようだから教えてやろう。貴様は既に死んだも同然、ただ生命活動が止められていないだけで、総合的には死んでいるんだよ。その不具となった手と脚を抱えて、命をつけ狙う復讐者どもにたかられて、これから貴様はどうやって生きるつもりだ? 」

 私がわざわざ手を下すまでもないとチャイナ娘は言い切った。

「貴様如き、殺すほどの価値などない。裏の世界に関わりのない戦友達にいらぬ手出しをした報いだ。死ぬまで怯えて惨めにのたれ死ね、俗物が」

 うわあ…。そりゃ確かに、仲間を誘拐されて被害にはあったけど、何もそこまでしなくても。

 そんな俺の考えなどお見通しなのか、比企はしれっと言いなすった。

「見せしめ、というと聞こえは悪いが、こういうものは一つ許すと際限なく舐められる。どんなつまらないことでも容赦はしないという姿勢を示さなくては。必要なのは、態度でメッセージを発することだよ。それに昔からいうだろう。痛くなければ覚えませぬ、と」

 いや、だからもう発想が物騒! お前はどこの薩摩兵子さつまへごだ!

「お前はどこの鬼島津グイシマンヅだ! 」

 危うく喉から突っ込みが出かかった瞬間、まさやんが思い切り突っ込んでいた。

 考えることみんな同じ!

 ふと見れば、逃げ出そうにも腰が抜けてガクガクしてるおっさんは、小便漏らしてすっかり怯えた目で比企を見ていた。

 

 そういえば、何で山崎さんと本郷先生がエリコニンさんの部下らしきマフィアを指揮してるんだろう。それに、先生達と合流してきたライフル持ってるお兄さん達、あんまりマフィアって感じがしない、ような気がする。

 俺と結城がそんなことをボソボソ囁き合ってると、山崎さんが後ろからがばーっと肩を組むように覆いかぶさってきた。

「なになに、俺らのこと? 君らならやばくないことは答えちゃうよ」

「山崎さんと本郷先生、エリコニンさんのところのマフィアの人達と仲いいんすか」

「山崎さん、あのお兄さん達と何してたんすか」

 俺と結城の質問に、山崎さんが何でもないことのようにぺろっと答えた。

「ああ、俺とみっちゃんは姐御の下で部隊指揮してたからな、一応経験者ってことで、何かあったらエリコニンの兵隊の指揮を取れって頼まれてるんだよ」

「え、でもエリコニンさんの部下なんでしょ」

「建前上はね。だけどさ、ほらあの親爺さん自体が、姐御を主君だって言ってる忠義者だから、自分のとこの兵隊も倅もみんな姫様のお道具ってことで」

 な、なる…ほど?

「で、俺は現役の頃から狙撃班の担当だったから、狙撃手の監督。みっちゃんはオージー野郎の移動ルートを制限して誘導」

 いやあ、狙撃ポイント完全に押さえて容赦なきぶっ叩きなんて久々だな、とケラケラ笑って、どうだった、と逆に訊いてきた。

「どうって何が」

「どこから撃ってるか、君らわかったか? 」

「全然」

「どこにいたんすか」

 だって実際わかんなかったし。黒服連中が見事に膝を撃ち抜かれるのに、どこから撃ってるのかがさっぱりで、なんかもう悪い夢でも見てるみたいだった。そのぐらい薄ら怖かった。俺と結城の答えに山崎さんは満足だったのか、そうかそうかと上機嫌でうなずいた。

「そういえば、みっちゃんってあの」

 俺がちょっとウヒッと笑うと、ああ、と山崎さんが応じる。

「君ら確か、みっちゃんが教えてる大学に入ったんだっけ? 名前が本郷貢、だからみっちゃん」

「先生怒りませんか、その呼び方」

「怒るっていうか、困るな」

「ああ…」

 確かに。本郷先生は見た目こそゴツいけど、実際には物腰穏やかな紳士で、女子のファンも結構な数いるのだ。怒ってるところは確かに見たことなかった。

「あのお兄さん達、あんまりマフィアとかヤクザって感じしないですね」

 結城がぼんやり漏らすと、ああ、と山崎さんは何でもないという調子で物騒なことを言った。

「エリコニン・ファミリーは実質、姐御の私兵だからな。マフィアじゃなくて軍団なんだよ」

 おっかねえー! 

 だが、そのおっかねえ集団を掌握してる女は、あっちで相棒に説教されていた。

「だから、歳頃の女の子がその格好はね、ちょっと大胆すぎるんじゃないのかなって」

 あの、説教のポイントがずれてませんか。

「確かに似合ってるしかわいいけど、もう少し足を隠して。恥じらいを持とうよ。あとできるなら僕以外には見せないでお願い」

 そこじゃないと思うんですが! 比企はうへえ、と言いたそうな顔で聞いている。あ、ちゃんと話は聞くんだ。

 桜木さん、ついにオージー親爺のジャケットを引っぺがすと、比企の腰に巻き付けて袖を結んだ。ライフル持ったお兄さん達がさも愉快そうに笑って見守っている。みんな比企のことが大好きなのだろう。

 向こうからヴォロージャさんのアルファロメオがやって来た。東の空がうっすらと淡く灰色がかって、夜明けが近づいているのだ。比企はチャイナドレスの腰にスーツのジャケットを巻かれたまま、大きく伸びをして、やれやれと肩を揉んだ。

「さて、ひとまずみんな無事に取り戻せたことだし、」

 うしお海岸に帰ろうか。

 山崎さんと本郷先生にひと言ふた言指示を出して、マフィアのお兄さん達がビッと敬礼して引き揚げるのを見送りながら、比企はふにゃりと笑った。

 

 夜明けと同時に全員揃って戻った俺達を、民宿「漁り火」のおじさんおばさんにお姉さんが心底ホッとしたように出迎えてくれた。一旦トリスメギストスの本社で着替えていつもの格好に戻ってから、比企はまたあのものごっつい輸送機で海岸まで送らせて、行きと同様あっという間に帰ってきたのだ。

 輸送機の窓から見た夜明けの海と空は、ため息が出るほどきれいで、一晩で色々濃縮したみたいに次々と目の前へ飛び出るハプニングにボーゼンとしているばかりだった俺は、水平線が徐々に明るい灰色から白、それから淡い薄紅色、薔薇色、と色調を変えていくのをぼんやりと見ているうち、何だか全部がどうでもよくなってきた。

 そう、比企小梅と友人づきあいをしている限り、トラブルはついてくるし、退屈とは縁が切れてしまうのだ。

 とりあえず、今日のバイトは輸送機でちょっと寝られたまさやんと結城、忠広が午前中、起きていた俺と源は仮眠を取ってから午後に三人と交代することにした。

 え? 日常に戻る切り替えが早すぎるって? 

 だって、そりゃ仕方ないよ。俺達もう二年以上も比企の友達やってるんだからさ。いい加減、トラブルからのリカバリには慣れますって。ねえ。

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