第15話 五人とひとりとお祭り騒ぎ 後編

 文化祭の中日の夕方。比企は手回しよく桜木さんに連絡して、車で迎えに来させた。

 三人で一旦美羽子の家に立ち寄ってから、おじさんおばさんに挨拶がてら事情を説明し、数日家に泊めて安全を確保する旨伝えて、美羽子は手回りのものと着替えをまとめて桜木さんのマンションで世話になる運びとなった。

 桜木さんのGT−Rを見送って帰宅すると、お袋が早速待ち構えていて、美羽子のうちのおばさんから聞いたと、俺を質問攻めにした。

「え。あの、あんたが魚になってたあれ、その比企さんが戻してくれたの」

「まあ、うん」

「なんでそういう大事なことを黙ってるの、このバカ息子は! お礼を言おうにも時間が経ち過ぎてるし、今更でしかないし…まったく」

 比企が探偵だとか、初夏の魚の一件以外は黙っておいた俺。とりあえず桜木さんと比企の関係については、警察官僚で、比企の通学のために自宅に居候させている従兄だと言っておいた。

 お袋は一通り俺から聞き出すと、早速美羽子のおばさんに電話。もしもし、うん、今真に聞いたんだけどね、そう美羽子ちゃん預かるっていう、そうそう! なんだか真もお世話になったみたいでね、しっかりした人みたいよ。東大卒で警察官で。その比企さんていうのは従妹で、その子が通学するから、自分の家の方が学校に近いっていうんで、同居させてあげてるんですって。うん。真も、岡田さんちの忠弘君も、何度か勉強を見てもらってるって。え。あらそんなイケメンなの。真そんなことひと言も言わなかったけど、あらまあ。料理上手な人だっていうから、美羽子ちゃん、更に腕磨いて帰ってくるんじゃない?

 いやー、おばさんってなんであんなにしゃべり倒すんですかね。

 お袋が電話している様子から、どうも桜木さんは美羽子の家に寄った際に、挨拶がてら名刺と緊急連絡先を置いていったそうで。俺はお袋が電話でしゃべくっている間に、飯を食って風呂を済ませて、さっさと自室へ引き揚げた。


 翌日、文化祭は最終日。

 ただでさえ女装だなんて、面倒でしかないのに、そこへ持ってきて美羽子と源、まさやん、結城を悪質な男が狙っているかもしれないとあっては、もう天地をひっくり返したような大騒ぎだ。結城や源は自分で身を守れるとしても、問題は美羽子だ。ただの女子高生が、どうやってあんな危ない男から逃れられるというのか。

 ということで、少々不便ではあるが、同性で腕の立つ比企が張り付きで警護することになった。トイレや食事の休憩も一緒に移動。とにかく比企は、美羽子が視界から消えないように動く。本当はここまで張り付くことはないんだが、と比企は言ったものだ。

「警護対象の目には入らないところで、目立たないようにガードするのが定石なのだが、笹岡さんがだいぶ参っているようだからな。こうして張り付いている、と彼女に示すことで安心してもらうのが最優先と判断した」

 確かに美羽子は、だいぶ安心したようだ。昨日よりは顔色もよくなったし、笑顔も戻った。ありがとう比企さん。

 午前中にあの男が来ることはなかった。

 ただし、比企はずっとご機嫌斜めだった。

 いや、美羽子が云々というのではない。むしろ美羽子を気遣って、疲れていれば比企は仕事を代わってやりもしていたのだが、昨日の一件があったので、外部の人間が入りやすい状況だから、と桜木さんが二年一組の喫茶店に詰めていたのだ。

 女子大歓喜。一方で比企はどんどん不機嫌に。男子は男子で、モテる秘訣とか質問していて、なんだオイ、桜木さんと初対面のときの俺達そのまんまじゃないか。てゆうか、こうして客観的に見ると、俺らすんごいあほでしたね。それでも嫌な顔一つせず答えてくれる桜木さん、まじイケメン。

 俺達は昨日と同じく、二手に分かれて交互に昼の休憩を取った。

 そして事件は急転直下。

 ぼちぼち撤収作業を視野に入れ始めた午後三時。奴が姿をあらわした。

 教室の窓から校庭を見ただけでもすぐにわかる、派手な水色の髪。昨日と同じ、シルバーアクセがジャラジャラのファッション。

 いやまあ、昨日の今日でよく出てこられたもんだよなあ。ま、源達の話通り、気が短いが故に早々の決着を望んだのだろう。

 居合わせた一組・二組の面々は、にわかに緊張を強めた。一人を除いて。

 比企は真から愉快そうに、満面の笑みに変わると、そうこなくてはな! と声高らかに笑った。

 比企のご機嫌が急上昇したのを見て、事態を察した桜木さんが美羽子を、空いている二組の教室に避難させる。いつもの竹刀から替えて木刀を持った源とまさやん、結城も続いた。今朝、桜木さんが来たところで打ち合わせていたのだ。まず比企が、それでもダメなら桜木さんが、と続いて、最後の最後に水色髪の男と同門だった三人が相手をする。

 普通は逆だと思うでしょ。でも、比企にいわせると違うのだそうな。

「夏休みの一件でも見ただろう。その瞬間に一番威力のあるものをぶつけるのが戦争の基本だ。あのときは、最初はパンツァーファウストだった。今回は初手が私ということだ」

 ですってよ奥さん。

 桜木さんは最強じゃないのか。忠広が訊くと、比企は首を横に振った。

「あれはダメだ。あいつは最後の一撃をためらうタイプだ」

 おい、物騒だな。まあ、そのくらい物騒な発想する比企でもないと、あの男には敵わないのかもしれない。

 校門から入ってきた男は、片手に長い棒状のものを持っていた。結城やまさやんのおかげで俺達は毎日のように見慣れている、竹刀や木刀を入れる袋だ。野郎、武装してきやがった。

 桜木さんは源達と同じく、それを見越して木刀を持ってきていたのだが、比企はまるっきりの丸腰にしか見えない。大丈夫なのか。

 なんとなく気になって見ていた俺の視線に気づいたのか、比企はちょいちょいと俺を手招きした。

「私は丸腰が一番強いんだが、あいにく今日はこれを持たされている」

 見せてくれたのは、幅広の両刃のナイフ。いやダメだろ。学校にそんな、いくら状況がこうだからってナイフはダメだって。

 比企はブフォッと吹き出して、ナイフを俺に持たせた。刃の部分をよく見ると、丸くなっていてこれでは何も斬れまい。刃引きっていうんですか、研いでなくて、触るとつるんとしてる。切っ先の部分もやっぱりつるんと丸みを帯びていて、ナイフの形をしていて重いだけの、ただの棒だった。

「システマの稽古用の模造ナイフだ。子供の頃から使っていたものだよ」

 実際のナイフと同じ材質、同じ重みではあるけれど、稽古用だから斬ったり突いたりはできない。まあ、殴るぐらいはできるんだろうけど。とりあえず、丸っきりの丸腰ではなかったので、俺はちょっとだけ安心した。

 奴は散歩にでもきたような風情で入ってきた。

 教室内を見回して、源も美羽子もいないと知ると、今度は唯一残っていた比企にまっすぐ進む。

「昨日の女か。大牙達いるんだろ。出せよ」

 すごいドスがきいた声だが。居合わせた他の客は逃げ出し、メイドと執事のスタイルの一組二組の面々はすっかり怯えているのだが。

 比企は実に楽しそうに、さあなあ、と嘯いた。

「休憩に出ているから、どこで何をしているのやら」

「呼び戻せ」

「無理だな」

「このあま、痛い思いしねえということ聞けねえってか」

 おやおや、と比企は完全に小馬鹿にしているモード全開。

「ほう? 痛い思い? 一体どの程度で痛いというのかな貴君は」

 実に楽しみだ、とニヤニヤ笑いをどんどん強めると、それではこういうのはどうだ、と朗らかに言い出した。

「私と、そこの優男を倒せたなら、いくらでも貴君の望む歌を歌ってやろうではないか」

 桜木さんをがっつり指さす。

 ふん、と男は鼻で嗤った。いいだろう、とうなずいてるけど、いや、あの、やめた方がいいと思うよ。今のうちに謝って終わらせとけって。

 比企は更に愉快そうに、そんならあそこでやろう、と、空っぽの校庭を指した。男がうなずいて、先に立って教室を出る。

 校庭の真ん中で、十歩離れて向かい合うと、比企はコンビニですいかバーを買うときみたいな調子で、これは野試合だな、と言った。

「そうだな」

 してやったりといいたそうな口調で同意する、水色髪の男。やめとけって。

 俺と忠広が見守るそこへ、桜木さんが来た。

 男は崩し青眼。一方で、比企は実に気の抜けた姿勢でぷらっと立っている。やる気あるのかよ、と毒づく男に、まあまあ、と比企はマイペースに応じた。

「いいから来たまえよ」

 そう、俺達は知っている。あれこそが比企の戦闘スタイル。完全な自然体で、自然な体の動きだけで格闘する、システマのスタイルだ。

 馬鹿にされたと感じたのか、男はやおら攻撃に出た。いや、まあ初対面からずっと馬鹿にされてはいますがね。

 最初の一撃を、比企は体を捌いて軽く避けた。避けながら、左袖の内側からさっきのナイフを滑らせる。向き直ったときにはもう、右手で抜いて握っていた。

 続けざまに胴を薙ぎに来る木刀を、比企は模造ナイフで受ける。そのままナイフを絡めるように滑らせ、木刀を握る手を打った。

 ああもう、と桜木さんが悲鳴をあげる。

「なんであの子は楽しそうなんだ! 」

 うん、めちゃくちゃイキイキしてますよね。比企さん。

 確かに水色髪の男は強かった。動きも速いし、一撃一撃が重いのがわかる。でも、それは全部見事に避けられ捌かれ、その度に比企のナイフが入っていく。腕に、腿に腹に。大してちからを込めてはいないように見えるが、それでも打たれた男の手や腹は、赤黒く腫れ上がっていた。

 最初のイキイキキラキラが、撃ち合うほどにつまらなさそうになっていく比企。ついにつまらん! と吐き捨てると、いい加減にしろと男を叱り飛ばした。

「なんだそのナマクラ剣術は! 遊びに来たのか貴様は。大きな口を叩いたのなら、それに見合った本気を示せ! 野試合だと同意したのなら、道場の御座敷剣術は忘れろ! 」

 男が目を剥いた。そうかよ、と憤怒を押し殺すような声で呻く。

「木刀で打たれりゃ死ぬんだぜお嬢ちゃん。知ってるか」

 すう、と男が重心を下げた。ざり、と摺り足で姿勢を整える。やばい、と桜木さんが呟いた。

「あの構えはやばい。ああもう、なんであの子はこうも喧嘩っ早いんだ! 人格に問題のある達人なんかを挑発しないでよ! 」

「そんなやばいんですか」

 俺が質問すると、だって、と桜木さんは悲鳴交じりに解説する。

「あの構え、重心下げて右腰に構えてるでしょ。あのまま斜め左上に斬り上げて、逆袈裟にするんだよ。ああもう見てられない! 」

 いや、見なけりゃいいのでは。

「なのに目が離せない! どうして! 」

 男が、桜木さんの言った通りのモーションで動き出した。その瞬間。

 俺は唐突に悟った。

 言わんこちゃない、と桜木さんが言いかけたその刹那。

 比企はひょいと左足を上げて、逆袈裟にしようとした男の渾身の一撃を蹴り止めた。右足一本でびくともしない体幹は、ちょっと怖いよ比企さん!

 驚愕する男は隙だらけだ。比企はつまらなさそうに、実につまらなさそうに、右手の模造ナイフで男の首筋を打った。

「これで死体だ。つまらん、これが貴様の本気か」

 気絶して崩れ倒れる男を、もはや手慣れすぎて呼吸するような具合で、テキパキと拘束していく比企。プラスチックの結束バンドを常備してる女子、初めて見た。

「見てられない、ほんともう心臓に悪いよ! なのになんで目が離せないのさ! 」

 俺は桜木さんの肩を叩いた。悟った以上、見えたものは教えてやるのが人情だ。

「無理ですよ桜木さん」

「なんで! 」

「だってそれ、恋だもん」

「え」

「百パー恋です」

 忠広もうなずいた。

「え」

 いきなり宣告された桜木さんは、すっかり狼狽えている。

「もっとビジネスライクに接したってよかっただろうに、家に置いて生活の面倒見てるのも」

「腕が立つと分かっているのに、戦闘となると危なっかしくて気を揉むのも」

「恋以外の何者でもないです」

「自覚した方がいいっすよ」

「嘘。だって」

 俺と忠広にとどめを刺されて、もう桜木さんはしどろもどろだ。

「いやだってさあ、だって、今まで付き合ってた子と真逆だよ? 」

「桜木さん、言ってたでしょ。今までのカノジョみんな、告られて付き合ってたって」

「でもさあ、」

「大概大人の美人だったけど、付き合ってるうちに好きになれるかと思ってても、結局ピンと来なかったって」

「それは、」

 そこで忠広は、桜木さんのもう一方の肩を叩いた。

「往生際が悪いっす」

「カッコ悪いっすよ今の桜木さん」

「いやでもさ、でも、…ええー…。待ってよ…」

 どんどん声が小さくなっていく桜木さん。両手で顔を覆って、待ってちょっと待って、って、リアクションが女子。かわいいかよ。

 一方で、比企は水色髪の男を見事に拘束していた。両手親指を背中で、靴と靴下を脱がせて両足親指を結束バンドで束ねて、更に逃走防止だと言って、ズボンを膝まで下げて放置。むごい。目が覚めたらしく、もがく男の背中を肩甲骨のあたりで軽く踏みつけて、端末でどこやらへ電話をかけた。

 どうやら、窓から経過を見ていたのだろう、源と美羽子、まさやん、結城がやってきた。俺たちも比企のそばまで行く。

 源は、比企に踏まれたままのかつての兄弟子を、悲しそうに見ていた。そして、ユキ兄ちゃん、と声をかけた。

「なんで祖父ちゃんが俺を師範代にするって言ったのか、聞かせてやるよ」

 静かに、でも、お別れでも言うような、そんな声だった。

「祖父ちゃんは、ユキ兄ちゃんの剣はもう、人としての倫じゃないって言ってたよ。立ち会う相手を壊すような、そういうもんになっちまったって。殺す、ってのは、まだ相手を人間だ、対等の相手だ、命だ、って思ってるから殺すけど、壊すってのは、もう相手をモノとしか思ってない証拠だって。相手を認める気持ちすらなくしちまったって、だから、いくら強くても、道場は任せられないって」

 だから、俺が子供でも祖父ちゃんは師範代に選んだんだ、と言って、顔をくしゃくしゃにして泣いた。

「比企さんと立ち合ったところ、見たよ。あんな太刀筋、平気でできるのは、やっぱりそういうことなんだよ。兄ちゃんは、剣じゃなくて、他人をぶちのめす技しか身につけられなかったんだ。それしか学ぼうとしなかったんだ。だから、」

 さようなら。もう、俺達は二度と兄ちゃんなんて呼ばない。

 源は別れを告げて、スタスタと昇降口に引き揚げた。

「今度ツラ見せたら、ボコってから通報するから」

「あんたまじで道場の恥だから。よそで道場と先生の名前出すなよ」

 まさやんと結城がそれぞれに、二度と関わるなと吐き捨てて後に続いた。

 残った美羽子だが、桜木さんの様子がおかしいことに気づいて、俺と忠広にねえ、と小声で訊ねる。

「どうしたの桜木さん」

「ああ、いいんだ、そっとしておいてあげて」

「今まさに自分が恋をしてることに気づいた乙女みたいなもんだから」

「何それ」

 忠広の言葉はそのまんまノンフィクションなのだが、美羽子にはジョークにしか聞こえなかったようだ。

 そのうちに、パトカーのサイレンが微かに聞こえ始めた。比企が美和子を目で示して、連れて戻ってくれと俺達にジェスチャー。俺と忠広は、美羽子を半ば強引に昇降口へ引きずっていった。

 後には、鬼ヶ島の大将を懲らしめたようなポーズの比企と、両頬を掌で押さえている桜木さんが残った。

 

 闖入者騒ぎはあったものの、文化祭がどうにか無事に終わって、後夜祭も撤収作業も終わった。後夜祭の間、比企がいないと思ったら、あの水色髪の男の事情聴取に立ち会っていたのだそうだ。その頃、俺達はそれと知らず、源と美羽子を元気付けるべく、しこたま馬鹿騒ぎして遊んでいた。

 姿を消していた二年間、男──安城ユキは、日本中の剣道場を歩いては、道場破りのような、野試合のような、そんなことばかりしていたのだそうだ。剣道の大会や出稽古で、試合を見たり実際に手合わせして、強いと思った者を虱潰しに当たっては、立ち合いを求めたのだという。どこの道場も、誰でもが、安城の申し出をけんもほろろにあしらった。それでもしつこく食い下がる彼に業をにやし、根負けして立ち合ってくれたのは最初の数人だけ。それから先は、半ば闇討ちのようにして、登下校や通勤の途上を狙って野試合を挑んだ。一番いいのは稽古の帰りだ。何せ竹刀や木刀を持っているのだから、すぐに立ち合える。

 そんな、もはや生活とは呼べない暮らしが二年。めぼしい相手はほぼ立ち合って、自分の技も更に磨かれた。二年前にはまるっきり子供だった弟弟子も、さすがに成長しているだろう。立ち合って打ち負かして、それを見れば、師範は自分を後継に指名し直すだろう。弱いものには誰もついてはこないのだから。

 ──およそ生き物ってのは、強い奴しか生き残れない。道場だって、強くなければいつまで経っても埋もれたまんまだ。師範はそりゃあ強かったけどな、ぬるいことしてれば、せっかくの強さも埋もれたままなのさ。俺を無視してた親は、俺が強くなるほど、俺の機嫌を窺うようになっていった。昔は何日も放っておかれてたけど、ちょっと小突いただけで母親は、俺の飯をちゃんと作るようになった。父親は人並みの小遣いを俺に出すようになった。そういうことだったんだよ。

 あれはもうダメだな、と言って、比企はさっきコンビニで買ったチョコミントアイスをバクバク齧った。

 源には聞かせられないし、絶対に聞かせたくないから、と比企はうまく仕向けて、まだショックが抜け切らない美羽子を家まで送ってやってくれと源に頼み、残る俺達四人を集めて、駅までの道々、事情聴取の場で見聞きしたことを話してくれた。

「ダメって何がどうダメなんだ」

 まさやんが訊ねる。結城とまさやんは、かつての兄弟子の所業には腹は立つが、それでも事実を知っていた方が源をフォローできるだろうという考えで、比企の話を聞くことを選んだ。

 ああ、と比企はうなずいて、あの男はもう、人間としては壊れきってるのさ、と素っ気なく答えた。

「いくら自分を放置していたからって、親を脅し付けて生活レベルを維持していたなんてのは、もう人間の感性じゃない。獣の考え方だよ。そんな暮らしや考え方に馴染んでしまったら、あとは性根まで獣になっていくだけだ」

 事情聴取のその足で、道場にお邪魔して源君の祖父君にもお会いしたが、破門した弟子の今の姿に、心を痛めておられたよ、と比企は空を仰いだ。

「清廉で実直な、心根の優しい方だった。厳しくすべきところは厳しく、優しくすべきところではそう振る舞える立派な方だ。優しいからこそつらかったろう。貴君らの先生は、正しく彼に接していた。生半な覚悟ではできることじゃない。ただ、あの男はすっかり壊れてしまっていたから、もう何も伝わらなかったんだ」

 もしも源君が早く帰宅していたら、鉢合わせするところだったからね、肝が冷えたが、どうやらみんな、後夜祭を楽しんだようでよかったよ、と比企はそこでちょっと笑った。

 結城がしんみりして、聞かせてくれてありがとな、と礼を述べた。

「俺とまさやんは、あの人の成れの果てを知ってるからこそ、そうならないでいられるし、源が同じところに行きそうになっても引き留められる。何も知らないで、ただの恥晒しとしか見なかったら、自分達が道を間違えても気づけなくなるところだったよ」

 まさやんもうなずいた。

「知ってれば、仲間がおかしなことになっても、ぶん殴ってでも引き留められる。知らなけりゃそれまでだもんな」

 だけど、この話は源にはちょっとショックがでか過ぎるだろう。だからこそのオフレコだ。比企の心配りに、俺達は密かに感謝した。

 

 で、オフレコといえばもう一つ。

 比企がコンビニでアイスのコーナーを睨んでいる間、俺たち四人は、隅っこで団子になって、菓子パンを選ぶフリで密談していた。

「桜木さんがなんか様子おかしかったんだけど」

「結城にまで気づかれるとは、相当狼狽えてたな桜木さん」

「何があったんだよ」

「…知りたい? 」

 焦らす俺と忠広に、勿体つけるなよとまさやんが肩をぶつけた。うーん、じゃあストレートに言うけどさ。

「桜木さん、自分が比企さんのこと好きだって全然気づいてなかったみたい」

 その瞬間。

「まじか! 」

「うっそだろー! 」

 まさやんと結城が馬鹿声張り上げた。慌てて黙って、身を寄せ合ってひそひそと揃って言ったのは、

「今更自覚してんのかよ! 」

 うん、桜木さん、ほんともっと自分のことちゃんと見ようよ。まったく。

 この脳筋な二人ですら気づいてるんだからさあ。

 でも、比企は桜木さんのことをどう思ってるんだろう?

 俺はこっそりとため息をついた。まったくなあ。先が思いやられるぜ。

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