第29話 五人とひとりと甘い告白 1章

 どうも、相変わらずの俺です。人間だけどヤギ、みんなのまこっちゃんです。好きなタイプはおっぱいのでかい美人。そこの美女、俺は尽くす男です。あなたのためならクリオネ食えます。ちょっとアホなところがキュートな高校生男子はどうですか。

 と、軽いご挨拶はいいとして。

 今、俺は、いやさ俺達は、全員が男子としてのアイデンティティを問われていた。

 

 朝、いつものように登校して、いつものようにロッカーを開ける。いつもと違うのは俺の内なる心の声だけだ。これ以上ないほどに、切実にシリアスに、俺は祈っていた。

 せめて一つくらいは! 義理でも社交辞令でも、なんだっていい!

 神様、今年こそ俺にチョコをください。

 …息を呑み、バカン、と勢いよく開けたロッカーには、俺の上靴しか入っていなかった。

 瞬時に切り替え白け切っていた、俺の目に飛び込んだそれは。

「おはよ比企さん。寒いね」

 美羽子と比企が並んでロッカーを開ける。

 すごい音がした。

 バッサバッサと何かが雪崩れ落ちる。美羽子が驚いて声をあげる。あとから昇降口に入ってきた源が、どしたの、と異変を察して美羽子に駆け寄る。

 何が起きたのかと言いたげな比企の足元には、かわいらしい封筒とラッピングの小山ができていた。

 どういうことなんだってばよ。

 

「比企先輩へ。文化祭のときに不審者をやっつけているお姿を見て以来、先輩に憧れていました。お姉様とお呼びしてもいいでしょうか。もしお姉様さえよければ、この手紙にお返事をいただけたら、本当に嬉しいです」

「比企さん。文化祭の喫茶店で執事コスを見てから、毎日気がつくと目で追ってしまうようになりました。あなたのことを考えるだけで、夜も眠れません」

「比企先輩、生まれて初めてバレンタインのチョコレートを作りました。私の気持ちと一緒に受け取ってください」

 クラスと氏名が書かれた手紙とチョコレートの山は、休み時間や昼休みごとに増え続け、放課後にはついに用務員室へ段ボールの箱をもらいに行かないと追いつかなくなっていた。

「わあすっごい量」

 美羽子が呆然と感想を漏らす。ホームルームが終わって、そういえばどうなっただろうと気になった俺達が隣の教室へ顔を出すと、比企は頭を抱え、美羽子が呆然としていた。

「なんでみんな、私にチョコレートをよこすのだ…もっと他にいるだろう。貴君らだって、黙って立っていればそこそこ行けるのじゃないのか」

「無理よ比企さん。ヒロもマコもしゃべるとあほなのがバレるし、結城君と肥後君は剣道オタクだし」

 比企さんかっこいいからしょうがないよ、と源もあははと笑う。こいつは美羽子からすでに本命チョコをもらっているので余裕ぶっていらっしゃる。ちなみに俺達四人がもらったのは、明らかにラッピングに差がある義理チョコ、比企は友チョコでした。キィイー! 失礼しちゃう!

「いいよな源は」

「俺もう麦チョコ一粒とかでもいいから、女子からなんかもらいたい」

「できたらおっぱいでっかい美人からもらいたい」

「それな」

 なんだか無性に腹が立ったので、手紙とメッセージカードを読み上げてやった。比企は机に突っ伏してうぐぐ、とうめきピクピクしていたが、苺色の髪をかき回し、ガバッと立ち上がった。

「甘いものでは腹が膨れない。上海亭だ」

 あ、これいつまでも教室に残ってると更にプレゼントや手紙を押し付けられるからって、即座に逃げる気だな。まあ、どうせ毎日行ってるんだけどさ。

 それでも気持ちを込めて贈られたものをむげに扱えないのか、段ボールに山と詰め込まれたお菓子と手紙を抱えて歩くと、行き合った女子が次々と荷を増やしていく。これ受け取ってください。私の気持ちです。お手紙書きましたので読んでください。

 女子ってすごいね。渡すだけ渡してさっといなくなっちゃうのね。

 上海亭に着いても、店の中で女子が何人か待ち構えていて、どうやらこれは全員で一緒に買ったのだろう、花束を差し出されて、先輩のファンですっ、と必死な感じで半泣きになって宣言された。

「あ、りがとう」

 比企は引き攣った笑顔でどうにか受け取ったが、半泣きの女子達が引き揚げるとぶはあっ、とため息をついてうなだれた。

「日本の女の子はどうなっているんだ…」

 どうやら比企にも弱点があったようだ。俺が指摘すると、比企はそりゃあそうだろう、と顔を上げた。

「まさか女の子を殴るわけにもいかないからな」

 アッハイ。そうですね女の子は殴るわけにいかないよね! って脳筋かよ!

 そこにもうすっかり聞きなれたGT−Rのエンジン音。すぐに桜木さんが入ってきた。え、どうしたんすか。

「結城君から連絡もらって来たんだけど、何があったの? 」

 まじか。俺がチラリと結城を見やれば、だって荷物すげえから、と奴は段ボールを指した。確かにそうだけどさ。

 桜木さんは段ボールと花束を見ると、やっぱりね、と言ってふにゃりと笑った。

「小梅ちゃんかっこいいから」

 デスヨネー。

「まあでも、小梅ちゃんのかわいいところは、僕だけが知ってればいいし」

 うっわ。

「アマーイ! 」

 思わず叫ぶと、比企はげんなりした顔になっていた。

 

 とりあえず飯を食いつつ、段ボールから手紙をピックアップして開封してゆく。しかし、こういう手紙をこんなに事務的に片付けちゃってもいいものなのか、という俺の疑問は、量の前では無力だった。

 比企は箸とレンゲを止めることなく、俺達が順々に、定規やカッターで封筒を開けて美羽子が読み上げていく。三〇ちょっとあった手紙のうち、七通が「何曜日の何時にほにゃららで待ってます。お返事ください」系のガチで、あとはほぼほぼファンレター的なやつだった。すげえな打率四割かよ。

 今日が火曜日で、明日の放課後に校門前で二人。図書室が一人、神社駅のロータリーが一人と、稲荷神社の大鳥居前が一人、同じ稲荷前のとりいやで待ってますというのが一人。

「全員まとめて済ませたいというのはダメか」

 チャーシュー麺特盛を啜り込みながら比企がぼやいた。

「ダメです」

 美羽子がにべもなく突っぱねる。

「みんな必死に手紙書いたんだから、断るにしたってその気持ちにはちゃんと答えなくちゃ」

「フズー」

 どういうリアクションなんすかそれ。

 最後の一通は、ちょっと他と変わっていた。

 とにかくなんかもう、便箋がすごかった。

 四隅を手描きの模様で縁取っていて、しかもそれをパステルカラーのペンでやっているもんだから、見てるだけで目がチカチカする。美羽子が軽く引き気味に読み上げた文面は、便箋の上をいくやばさで溢れていた。

「比企先輩、文化祭で喫茶店に入ったとき、先輩のお姿を見て以来、先輩のことで胸がいっぱいです。一度だけ会ってお話ができたらと思ってお手紙を書きました。ところで、いつも先輩と一緒にいる男子はどういう人達なのでしょう。素敵な比企先輩のお友達には、ああいう汗臭い男子はあまりふさわしくないと思うのですが。一日でいい、いえ、一時間でもいいから、先輩と二人だけでお話がしたいです」

 うーんこの。溢れるヤンデレ臭! 汗臭くってごめんね⭐︎

 読みあげるうちに美羽子の顔は青白くなり、俺達は硬直し、桜木さんは笑顔が引き攣っていく。比企は箸を止めずにチャーシュー麺を啜り続けている。手紙の最後は、土曜日に城址公園の中の美術館でデートしてください、と締められて、ご丁寧にチケットがついていた。

「何この絵」

「地雷じゃね? 」

「見るからにやばい」

「てゆうかコワイ」

「キッツ」

 汗臭い感想のあとに、美羽子がチケットに描かれた絵を見て、どっかで見たことはあるんだけど、と頭を捻る。

「フハッ」

 比企は鼻息で感情をあらわにして、桜木さんはチケットを見てうわあ、と曖昧な笑みを浮かべた。

「ビアズレー展? …この子ちょっと、うーん、どうなんだろう…。いやまあ、絵には罪はないけど」

 アクが強くて好き嫌いが分かれそうな絵だ。この絵が好きだという女子がどんな子なのか、ちょっと俺には想像できません。

 比企は眉根を寄せて、すっぽかすわけにもいくまいよ、とうなった。

「経験上、このタイプは厄介だ。断るにしても対面でスパッとやらないと、いつまでも自分だけがその気でい続ける。断った上で、違うターゲットを設定してやらないことには手がつけられないぞ」

 デスヨネー。男子全員がうなずくと、そうだ、と比企はニタニタ笑って、

「実際に会っておっぱいが大きい子だったら、八木君に紹介しよう」

 貴君はおっぱいが大好きだろう、と言った。そりゃまあそうだけどさあ!

 

 翌日の水曜日、比企は放課後に忙しく駆け回っていた。図書室で待っていた女子に、校門で鉢合わせたらしい女子二名に、稲荷神社へ行って大鳥居の前の女子と、とりいやの喫茶コーナーで待っていた女子に、それから神社駅前で待っていた女子に、それぞれ丁寧に侘びの言葉をかけたのだった。

 行くんだよなあ。こいつは。辟易してても、相手の気持ちを汲んで、懇切丁寧に詫びるんだよなあ。真面目か!

 比企は本当に丁寧に誠実に接していた。

 まずは自分にそこまで真っ直ぐ好意を伝えてくれたこと、勇気を出して伝えてくれたことに感謝し、だけど訳あってその気持ちには答えられないことを詫び、もしよかったら、よい友人としてこれから親しく付き合ってもらえたら嬉しい、と締め括る。うん誠実。ほぼ全員が泣きながらも納得し受け入れてくれた。いい子ばっかりでよかったね!

 まるで見たかのように言うなって? うん、実際見てたので。忠広も美羽子も源も、結城もまさやんも、みんな気になったので物陰で様子を窺っていたのだ。更に、そんな俺達からちょっと離れた辺りにはおとなげない大人が。桜木さんは静かに右手で文庫本なんか広げながら、左手のコーヒーの紙カップはピタピタ音がしていて、すげえ震えてるのが丸わかりなのがおかしいやら情けないやら。動揺し過ぎ。

 あれかな、女の人に告白されるのが当たり前になってると、自分が好きになったときにどうしたらいいのかわからない、なんてよく聞くけど、やっぱり実際そうなのか。いかにもモテそうだし実際モテるらしい人が、比企の行動にここまで振り回されて動揺している。面白いというか、不憫というか。

 とにかく、これで当面の問題は一つに整理された。土曜日の美術館にあらわれるのは、一体どんな女の子なのか。

 

 と思うでしょ。普通は。

 ところがどっこい、話は更に翌日、木曜日に展開するのだ。

 

 比企の行動はおそろしいほど速かった。

 名前だけが書かれた手紙から、学校のサイトを閲覧しクラスを確認。放課後になると、そそくさと帰り支度をしてふいっと教室を出た。美羽子は慌ててあとを追いかけ、俺達のいる二組の前を通りしな、後ろの戸口から顔だけ出して源くうん比企さんがあ! と声をかけていく。ただならぬ気配を感じて、俺達は五人揃って立ち上がり、鞄とコートをひっ摑んで追いかけた。

 階段を登って一年生の教室が固まる四階へ。バラバラと教室を出ていく一年坊主達が、比企に気がついてざわつき出す。が、当人は周囲の騒ぎなどお構いなしに、真っ直ぐ一年三組の教室へ入り、廊下側の真ん中辺り、帰り支度をもそもそとしている小柄な女の子の前にすっと立った。

「金子雪路さん」

 その瞬間、教室に残っていた女生徒の視線が小柄な女の子の体に突き刺さるのを、俺は見た。 

 小柄な金子雪路は、呼ばれてビクッと肩を震わせると、おそるおそる俯き加減の顔を上げた。視線が比企を捉えると、唇がわずかにお姉様、と動き、すぐに小さく比企先輩、と声を上げた。最初の唇の動きに気づいたまさやんが、うぐう、とうめきかけて、危ういところで飲み込んだ。

 同じように痩せっぽちだけど、ガラスや研ぎ澄まされた鋼、例えるなら日本刀みたいな硬質で強靭な比企とは雰囲気がまるで違う。砂糖菓子とか砂の城とか、そういうロマンチックでふんわり甘い脆さがあった。脆くて崩れやすくて、とてもバランスが悪い。一度壊れたらもう、取り返しがつかないほど崩れ続ける怖さがあった。

 比企は教室内を軽く見渡し、物見高さ半分、嫉妬が残り半分で居残っている女子に如才なく笑顔を向けると、時間があるならちょっと話をしよう、と金子雪路を促す。

 教室内がざわっとざわめき、即座に鎮まる。そのまま、何が起こっているのか把握できず戸惑っている金子を取り囲むように、俺達もぞろぞろと比企に続いて、やっぱり訳がわからないまま廊下へ出た。

 ひらひらと肩越しに手を振り、一年三組の教室を後にする比企。

 

 上海亭のいつものテーブルには俺達五人と美羽子が、ちょっと奥まったテーブルに比企と金子が座る。やや離れてはいるが、さして広くはない店のこと、その気になれば会話はしっかり聞こえる。

 甘味ばかり二つ三つ注文し比企がすすめると、やっと落ち着いたのか、あの、と蚊の鳴くような声で金子はおずおずと訊ねた。

「どうして私のクラスがわかったんですか」

 比企は茉莉花茶を啜りながら、だってそりゃあ、と笑った。

「手紙に名前を書いてくれたじゃないか」

 名前がわかればあとは簡単だよ、とあっさり答えて、それにしてもと続けた。

「チケットをくれたのに、待ち合わせの時間と場所を書き忘れるなんて、よほど緊張していたんだね」

「えっそそそんな、嘘、まさか、」

「せっかくのチケットが無駄になってしまうのも心苦しいし、どんな女の子がくれたのかも気になったからね、こうして実際に会ってみようと思ったんだ」

 金子が頬を染めもじもじし始めた。肩の辺りまでの三つ編みおさげに、シャンパンピンクのメタルフレーム眼鏡、鞄には天然石のチャーム。忠広が眼鏡っ娘に聞こえないように小声で、なんだあの見るからにやばいストラップ、とこっそり指差した。テーブルの中心に額を集めて、ボソボソ囁き交わすこちらのテーブル。美羽子がうひゃあ、と顔をしかめた。

「スピ系の女の子の間で最近流行ってるお守りよ、あれ。あれ持ってる子って結構やばいわよ。ガチにスピリチュアルにハマってるタイプ」

 うへえ。いよいよ濃くなる地雷臭! 真面目眼鏡っ娘、スピリチュアル、同性の先輩にほのかな恋って、どんな役満だ⁈

 そんなことは知ってか知らずか、比企はそれで、と切り出した。

「君のような気持ちの優しい女の子が、こうして手紙をくれて、しかもデエトの申し込みまでするなんて、相当にがんばって勇気を出したんだろうね」

 ひえっ、と小さく声を上げてプルプルする金子。ぎゅっと目を瞑り、肩をすぼめて小さな体を更に小さく縮こめた。

「しかし、またどうして私なのかな」

 困ったな、と比企はひそかにため息のように漏らす。

「い、いけませんか」

「大概は男子の先輩に憧れるものじゃないのかな? 」

「でも、先輩は、男の人よりかっこいいです、から、」

 ああ、そうじゃないよ、と比企がとりなした。いつもより慎重です。やっぱりさあ、相手が女の子だからなんかなー。じわあ、じわあーっと、ゆっくり話をミリ単位で進めております。

「ただ、私は君の期待に答えてあげられないだろうから。それをまず、ちゃんと謝っておかなくちゃならない」

 と思ったら、さりげない声で、ここにきて爆弾投下! おいおい、またいきなりだな!

 比企はいつものフライターグから、手紙と一緒に入っていたあのチケットを出すと、さて、と茉莉花茶を啜った。

「君が納得できるなら、友人として一緒に行こう。でも、私は生憎君の寄せてくれる好意に値しない奴なんだ。いや、誰のどんな細やかな好意にも値しない」

 最低最悪な奴だよと比企は続けた。

「どう、いうこと、ですか」

「そのままの意味だよ」

「あの、わたしよくいみが、」

 ごめん、と穏やかな笑顔で詫びる比企を見て、金子がどんどん俯いていく。すぼめた肩が震え出した。黙って差し出されたハンカチを受け取り、眼鏡を外して涙を拭うと、ありがとうございます、とどうにか答えて、金子はまた俯いた。ふらふらと立ち上がり、失礼しますと店を出る。

 その日、比企はテーブルの上に残った甘味を俺達がつまむに任せ、何も食わずにじっと考え込んでいた。

 さすがにこの展開では、バクバク食うという空気じゃない。それだけの理由だろうと、俺は思っていたのだが。

 

 帰り道、連れ立って歩く俺達の口数はどうしても少なく、中央駅が見えてきた頃、ようやっと結城がポツリと言った。

「あの子、ちゃんと立ち直るといいな」

 空気は読まないが気は優しい、それが結城なのだ。だけど。

 難しいわねと女子代表のコメントが入った。

「ああいう子は、思い詰めると怖いわよ」

 こええよ美羽子。そういうことを言うんじゃありません。

 不意に比企が鋭く囁いた。

「みんな、次の角を曲がったらすぐにカーブミラーを見るんだ。気づかれないようにチラッと。声は上げないで」

 言われた通りに全員で角を曲がり、曲がり角の真正面、今歩いてた小路が左右に伸びる道にぶつかる位置に立ってる、カーブミラーを一瞬だけ見る。

 うん? 

 さっき脇を通ったポストの陰に、うちの学校の制服のズボンが見えた。結構背が高いな。源と結城の中間ぐらいか。

 そのまま素知らぬふりで歩き続け、すぐに駅前の商店街に抜けた。夕方の買い物客に紛れたところで、比企はもう大丈夫だとうなずく。

「素人なら、この人混みで尾行を続けるのは無理だ。さて、」 

 あの人物がもし貴君らの誰かをつけて来ても、身に覚えがないなら堂々としていたまえ、と言ってから、

「まあ、来るならこちらに来るのだろうと思うが」

 苺色の髪が北風に乱されるに任せたまま、念のために源君、八木君岡田君と一緒に笹岡さんを近くまで送ってあげてはもらえないか、と頼んだ。


 そして金曜日。放課後の上海亭に上機嫌であらわれた比企は、なぜかうちの高校の男子生徒の襟首を摑み、引きずりながら入ってきた。

 いやあ大漁大漁、なんて訳のわからないことを言いながら、いつもの席について、いつものように特盛で注文すると、隣のテーブルからもう一つ椅子を引いてきて、男子生徒を座らせる。その顔を見た比企以外の全員が、ええっ、と声を上げた。

「比企ちんこの人誰だか知らないの」

「ちょっと待って」

「嘘だろ」

「まじかー。いや、まじかー」

「てゆうかなんで連れてきたの。どんな接点あったの比企さんと」

「ねえ待って比企さん、この人が誰か、あなた本当に知らないの? 」

 さすがの美羽子でさえうろたえている。が、比企は知らないとあっさり認めた。

「知らないって、この人うちの先代の生徒会長よ? 三年生の、」

 そうなのかと比企は露骨に無関心な調子で美羽子に相槌を打って、そうなんですかと珍客の顔を覗き込んだ。

「で、その生徒会長が、なんで私を尾行なんてしたんでしょうかね」

 は? 今なんて? 尾行?

「ゆうべの下手くそな尾行は彼だ。万一のことを考えて、八木君達には笹岡さんの護衛役をお願いしたが、標的は私だったようだ。さすがに少々鬱陶しくなったので、直接対面して話そうと思ってね」

 こうして我々の集いにお招きした次第だ、と、あっけらかんと比企は言った。

「では先輩、なぜ私を尾行したのか、理由をお聞かせ願えますか。私は社交的な茶飲み話を延長させて情報を引き出すことも、いささか手荒に話を聞くことも、受けた仕事の性質に応じてできますが、これはプライベートなので単刀直入にお訊ねします」

 気分よく手短にお答えいただけると非常に助かります、と比企は茉莉花茶を啜り、いいタイミングで運ばれた特盛焼豚炒飯を頬張った。いや、食うんかい。

「ああ、ご心配なく。どうぞお話しください。ちゃんと聞いてますから」

 

 先代の生徒会長、三年の一ノ瀬先輩といえば、校内では結構有名人である。成績も結構よくて、そこそこイケメン。運動神経がよくてバスケ部では部長になるだろうと思われていたが、生徒会長との兼任は難しいという理由から、肩書きだけの副部長に収まった。生徒会長になったのも、なんとなく出馬してみたら対抗馬もおらず、実質信任投票じみた選挙の結果だったというだけのことで、大方は大学受験で少しでも有利になる条件を揃えたかったとか、そんなところだろう。ほどほどに人望がありほどほどに野心もある、わかりやすい人物だった。

 その、あらゆる面で平均よりちょっとだけ上な一ノ瀬先輩が、なんでまた奇人変人の極みともいえる比企を尾行するのか。

「きのう、君はここで一年の金子雪路と会って話をしただろう」

 唐突に先輩が切口上気味に言うと、はい、と比企はうなずいた。

「どんな話をしたんだ。なんで彼女は泣きながら出て行ったんだ」

 え、待ってなんかめんどくさいことになる気配が急に濃くなってきたよ!

 それが先輩にどう関係あるのでしょう、と比企はしれっと切り返す。質問に質問で返しちゃダメってお母さんいつも言ってるでしょ。

「個人的なことですし、何より金子嬢の同意もないままお話しすることはできません」

 まあねえ。そりゃあ、そう答えるよねえ。

「なんで話せないんだ。何があったんだ。ゆうべから雪路は泣きどおしだ。学校も今日は欠席している。放課後まではいつも通りだったんだ、原因は君と何を話したのか、そこにしかないだろう! 」

 さあ言え、雪路と何があった、とだんだんヒートアップしていく先輩。は? 雪路? 呼び捨て? あのおさげの眼鏡っ娘とどんなご関係?

 源と美羽子が顔を見合わせ、結城とまさやん、忠広がどう言うことだと囁き交わす。比企は炒飯を一息に半分まで食うと、厨房の中の親爺に特盛雲呑麺を注文した。そこでついに堪えきれなくなったのか、先輩は一際大きな声で喚くように告白する。

「ぼくは金子雪路の従兄だ! 従兄であるぼくががあの子の心配をして、何がおかしいッ」

 それを聞いて、比企を除いた俺達六人は一斉に立ち上がり、えー! と素っ頓狂な馬鹿声を張り上げた。だって、気弱そのものなあのスピリチュアル眼鏡っ子と、目の前のスポーツマンはどうしたって繋がらない。

 比企だけが淡々と、炒飯を掻っ込んでいた。

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