第28話 五人とひとりとパーティナイト
「今夜は忙しいんだ」
比企はそう言って、虚ろな目で四本目の栄養ドリンクの蓋をひねり開けた。
どうも、めっきり寒くなりましたね。
相変わらずあほな青春を満喫しております、みんなの八木真です。好きなタイプはおっぱいのでっかい美人、彼女募集中です。我こそはというそこの美女、奮ってご応募ください。待ってます。
年末年始を京都で優雅に…というか、まあいつものようにどったんばったんやりながら、わいわい楽しく過ごした俺達御一行様は、高二の三学期を迎え、そろそろ進路とか進学とかが気になる頃なわけですが、そういうあれやこれやとは無縁な奴がここに一人。
一度は顔を出さないと面倒だから、と言って、始業式が終わるとしれっと早退した比企は、翌々日にげっそりした顔で登校してきたものだ。最短時間で移動し、新年の挨拶だけで引き揚げてきたと言って、上海亭で俺達にロシア土産の、いかにも外国の高級菓子という感じのチョコレートなどくれたが、あちらでのことをあまり語りたがらず、曽お祖母さんは元気で安心したとか、その程度しか口にしなかった。けど、うん、ごめんな。なんで話したがらないのか、俺達全員知ってるの。なんとなればヴラディミルさんが、新年の挨拶メールをくれたんだけど、それに添付されてた写真がねえ。
六十代後半ぐらいの見た目の、それでも現役で美人な女の人と比企のツーショット写真だ。場所はロシアの、曽お祖母さんのお屋敷なのだろう、広くておしゃれな、窓の大きな明るいリビングで、久しぶりに曽孫と会えたのが嬉しそうな女の人の隣で、引き攣った笑みで比企が写真に収まっているのは、おそらく、というか確実に、フリルとレースがこれでもかとヒラヒラしている、パステルカラーのドレスを着せられているからだろう。
元々が並外れた美少女なので似合っていないことはないけど、普段の比企を見慣れていると、フランス人形のような格好をさせられたその姿は、頭ではわかっていてもコスプレ感が拭えなかった。
その写真を見た瞬間、ブフォッと吹き出しかけた俺達だったが、美羽子の黄色い悲鳴がそれをかき消した。
「やだ比企さんかわいいー! もっとこういうかわいい服着ればいいのにー! 」
女子ってこういうとき、謎の盛り上がり方するよね。
まあ、この写真の話なんてした日には、比企のご機嫌が明らかに悪くなるだろうことは確実なので、俺達もあえて触れずにいるわけで。
そんなこんなで一ヶ月、進路相談だの模試だのという、将来への布石が徐々に毎日の生活の中に顔をのぞかせ始めた中、相変わらず俺達七人は、放課後の上海亭や桜木さんのマンション、結城の家や源の家で集まっては、わいわいと勉強したり遊んだりしていた。
んで。今、比企は昼休みの校舎の屋上で、レジ袋いっぱいに買い込んだ健康ドリンクをがぶ飲みしているところだ。健康になるものを飲んでいるはずなのに、見るからに不健康そうなのはすごい矛盾だ。いや、そうでもないのか? 健康になりたい人が飲むものだと考えれば、そうおかしな光景ではないのかも。
とにかく忙しくてな、とぼやきながら、比企はトマトサンドLLサイズのビニールをむしり開け、バクバク貪り食ってから、最後の健康ドリンクの封を開けた。
「節分だからな、夕方から支度を始めないといけないんだ。何せ体力勝負の仕事だ、今から準備しておかないと」
今日が金曜日でよかったよ、と比企は健康ドリンクをひと息に飲み干し、まずそうに顔を顰めながら、口直しで紅茶のペットボトルを開けた。
ちなみに比企は、トマトサンドと健康ドリンクの前に、馬鹿でかい二段重ねの弁当を食っている。こっちは家から持ってきているもので、誰が作ったのかはお察しだ! 下の段にはご飯、上の段にはおかずが、これでもかとみっちり詰まっているのだが、明らかにこれでは足りないので、毎日の上海亭通いというわけだ。だけど、今日は様子が違っていた。
いつとはなしに、天気のよい日は屋上で一緒に弁当を食うようになった俺達だが、いつものように屋上へ来た比企は、すでにげっそりした顔をしていた。やれやれとため息をつきながら腰を下ろし、弁当の包みとコンビニのでかい袋をごそごそやり、今日は体力勝負なんだ、とうんざりしたように言った。
「市長から依頼があったとかで、市内の方位固めをしなくてはならないんだ」
何それ。
「そんなに大変なの? 」
美羽子がリンゴジュースのパック片手に訊ねると、まあねえ、と比企は言ったものだ。
「こだま市内の邪気を払って、
まったく、師父も断ってしまえばいいのにな、と比企はがんもどきの煮付けを口に放り込んだ。
放課後の上海亭で、唐突に始まる比企のレクチャー。
正月の牛祭りの前にもちょっとだけ話したと思うが、と前置きして、比企は茉莉花茶を啜ってから、さて、と俺達の顔を見渡して訊ねた。
「みんなが知っている節分はどんなものかな」
俺達は顔を見合わせ、そりゃあ、ねえ、と口々に、
「鬼が出て、豆撒いてぶつけると逃げ出して」
「歳の数だけ豆を食うと長生きするとか」
「鬼が虎縞パンツ履いてるとか、そんなもんだよな」
ふんふんとうなずいて、それから比企は、親爺さんに追加のもやしそばを注文した。こいつ、今日は野菜ばかりで、肉も魚も一切食っていない。邪気を祓うので生臭ものは避けているのだそうだ。
「暮れに大まかな説明はしたが、改めて解説するとしようか。まずは節分の始まりだ」
ということで、比企の説明を、俺なりにまとめてみた。
まず、節分というのは、年に四回あるのだという。季節ごと、立春・立夏・立秋・立冬。この四日の前日がそうで、季節を分ける、という意味で節分。じゃあなんで立春の前だけにこんな行事が残っているのかというと、
「立春の前夜は特に、陰気陽気がぶつかり合って邪気が生まれやすい。それを払うために、古の人は儀式を必要とした」
その、邪気を払うための儀式が
「方相氏は四方を鉾で打ち、墓穴に湧く
そこで出てきたもやしそばを手繰り、盛大に啜り上げてから比企は続けた。
「この行事はやがて、寺社でも大いに行われるようになり、時代を経るに従って、追われるものは邪気や魍魎から鬼へ入れ替わり、大儺小儺の行列は、鬼が嫌う豆を撒く行為に変わった」
諸君のよく知る節分の完成だ、と比企はもやしを頬張り麺を啜った。
「追儺式が日本へ伝来したのは七世紀末の頃だというから、奈良時代だね」
まじか。そんな大昔からあったの。
でもさ、その節分がどうしてそんな面倒なの。節分なら豆撒いて終わりでいいんじゃないの。マンゴープリンをつつきながら美羽子が訊ねると、比企はああ、と深くて重いため息をついた。
「言っただろう、方位固めだと。市長のご注文は、できる限り原典に忠実な追儺式なんだ」
まったく面倒もいいところだ、とこぼして、比企はもやしそばをズルズルと啜り、丼に口をつけてスープを飲み干した。
つまり、原典に忠実にってことは、
「ひゃくなんじゅうにん集めてやらないとダメってこと? 」
冬限定メニューのジャンボ肉まんにかぶりつきながら、結城がぼんやり訊ねた。うっわ。そりゃ確かに面倒だわ。俺だったらはいはい言って思い切り手抜きするか、いけると踏んだら逃げる。なんだかんだ、文句を言い愚痴をこぼしながらも真面目にやる比企は損な性分というか素直というか。
やらないわけにはいかんのだ、と比企は、ぐったりした口調でこぼした。
「市長の野郎、身の程も弁えず師父にすがりついてきた。が、お忙しい方だからな、弟子である私にお鉢が回ってきたのさ。これで私が放り出したり、いい加減な仕事をしてみろ。師父の面子は丸潰れだ。育ててくださったご恩を仇で返すわけにはいかないだろう」
「あのう、比企さん、李先生が忙しいってのは、接骨院の仕事で忙しいってことでいいっすか」
忠広の質問に、それもあるがねと比企は頭を掻いた。
「ああ見えてなかなか、師父は大変なんだ。
ああまったく骨だ、とぼやいて、比企は杏仁豆腐を追加で頼んだ。
しかし、なんだかんだ不平を漏らすにしても、ここまでぼやく比企は珍しい。さすがに見かねて、あのさ、と切り出しかけた俺の声よりでかい、美羽子の言葉が飛び出した。
「何かあたしにもできることってある? 冬休みの旅行のとき、比企さんには宿とか案内とか、全部やってもらっちゃったし、お返しっていうのも変だけど、何か手伝えることがあるなら協力したいなって」
でしょお、と俺と忠広に圧の強い笑みを向ける。
「あんた達だってそう思うわよね」
「そりゃあ、まあ」
「確かに」
慌ててうなずく俺達。源がだよな、とニコニコして、俺も手伝うよと申し出た。つくづくいい奴だよな。
いやしかし、と比企は、困ったなと言わんばかりの表情で、気持ちはありがたいがと苦笑い。
「何せ深夜に行うものだ、男子諸君はともかく、笹岡さん、女の子は出歩かない方がいいだろう」
「あら、比企さんだって女の子でしょ」
「それに真冬の深夜だ、冷え込みがきつくて風邪をひくし」
「あたしも源君もしっかり着ていくし、マコ達は大丈夫よ、バカは風邪ひかないっていうでしょ」
「ひどい! 」
「風評被害だ! 」
「造反有理! 」
「我々は断固戦う! 」
美羽子の偏った評価に反論するが、まあ、俺達の腹はもう決まっている。こんな面白そうなこと、知っていながら参加しないなんて手はないだろ。現に誰一人として不参加だとは言っていない。
「じゃあさあ、何時にどこで集まろうか」
おっとりと切り出す結城に、比企はぶはぁ、とため息をついて、諦め顔でうなだれた。肩越しに何かを放る仕草。まったく、ともう一つため息をついてから、わかった、と目頭を摘んで揉む。さすがは空気を読まない男、結城。
「集合は今夜六時。一度師父のところへ寄る予定になっているから、場所は国営公園駅の北口ロータリーにしよう。師父には私から話しておく」
いい加減、付き合いも長くなってくると、俺達はもちろん、美羽子も頑として引かないとわかってきたのか、比企が折れる形になった。で、気がつけばアレだ、初めて会ったときに「梅児に女の子の友達ができた」と大喜びしていた李先生に、美羽子を引き合わせることにもなるのか。俺らを見てあれだけ喜んでいたんだ、同性の友達を連れてきたなんてことになったら、どこまで大喜びするんだ。
ちょっと、その光景だけでも結構な見ものだな。俺はあえて美羽子には、李先生について予備情報は出さずに引き合わせることにした。源が何か教える可能性もあるが、あいつもたぶん、俺と同じようなことを考えているはずだ。
「おお! こいつはたまげたな! 」
李先生は開口一番、満面の笑顔で言ったものだ。
「梅児の友達がこんなに可憐なお嬢さんだとはな! 長生きはするもんだ! 」
見た目は美青年にしか見えない李先生に手放しで褒められて、美羽子はもじもじしている。
「李先生、今いくつっすか」
忠広が訊ねると、先生はちょっと考え込んで、あれ、と首を傾げた。
「俺今いくつだったっけな。二五〇までは数えてたんだけどな」
俺の思ってたよりガチなお答え来ました。生々しい! てゆうかこの人、どのぐらい生きてるんだ。見た目は若いのに中身がね。どうにもジジ臭いんだよなあ。
いつ頃生まれたんすか、と訊ねると、先生はそうだな、と診察室の奥から大福を出してきて、足利の公方が伊豆に行った頃だな、と答えた。え、と美羽子が目を見開いて驚く。
「室町時代? 」
まじか。爺さんどころの騒ぎじゃねえ!
「長く生きてると、自分の歳とかどんどんどうでもよくなってくもんなんだよ」
李先生はケラケラ笑った。
公園駅で集合して接骨院へぞろぞろ連れ立って行くと、先生は寿司の出前を取って俺達を待っていた。
「来たな坊主ども。まずはしっかり食って腹ごしらえしとけ」
すげえ。うまいって評判の寿司源のだぞ。李先生は俺達が狂喜して寿司を食う様子を楽しそうに見ながらお茶を啜っていた。
たらふく食って腹が膨れたところで、今夜の段取りを打ち合わせる。寿司桶を片付けて広くなった折り畳みテーブルに市内の地図を広げて、比企は東西南北の市境に印をつけた。
東端は街道沿いの駐車場だった。西は市営プール、南はあの、俺達の最初の事件の締めくくりとなったグラウンドの対岸にある公園で、北はこだま市の観光名所である城址公園だった。比企はその四箇所に、東、南、西、北の順に番号を振ってゆく。
「追儺式はこの順序で市境を回ってゆく。分担は、私が大儺を、諸君には小儺をお願いする。特に変わったことはしなくて大丈夫、ただ私の後に続いて練り歩いてくれるだけでいいよ」
終わったらここで打ち上げだ、難しく考えずに楽しくやろう、と比企は言って、奥から人数分の黒いマントのような上着を出してきた。
「何せ依頼から間がなかったからな、装束も何もない。色を合わせるだけで手一杯、方相氏の面と熊の皮衣を借りられただけましというものだ」
黒マントを広げて、コートやジャンパーの上から羽織る俺達の脇で、初夏の魚退治のときと同じような格好の比企は、でっかい四つ目のついたお面を被り、熊の毛皮を肩から引っ掛ける。李先生が奥から、ものごっつい盾と、あとこれ何、柄の長い、槍よりもっと幅の広い刃がついた武器を出して比企に渡した。受け取って、比企がちょっと訝しげな顔をする。お、どうした。
「師父、これは」
「やっぱりわかったか。つくづく武器には敏感だな」
師父が蔵の整理をしたら出てきたと言ってな、と李先生はお茶を啜った。
「張翼徳の蛇矛だ。たまには使ってやらないとな」
なんかすげえ名前が出たような気がするけど、気のせいだろう。
上海亭で何故か、比企は全員自転車で来るようにと条件を出した。理由は、
「市の境界線にできるだけ近いところを、なぞるように移動しないといけないんだ」
だそうで、なるほど、ひと晩のうちに祭祀を終わらせるには、迅速に四箇所すべての間を移動する必要があるだろう。かといって、これだけ範囲が広くては、歩いていたららちが開かない。が、比企は自転車を持っていないとかで、どうするんだろうと一瞬思ったが、そういえばこいつは、時速一〇〇キロオーバーで走れる万国びっくりショーな奴だった。
時刻は夜七時半を少し回ったところで、俺達は自転車を漕ぎ、比企は散歩でもするような涼しい顔で並走している。
さっき李先生が師父と言っていたのは、言葉通り李先生のお師匠さんのことだそうだ。
「乾元山金光洞の太乙真人。崑崙十二大仙のお一人だ。師父は老師の洞府の裏に洞府を構えておられるんだ。老師がお忙しいときには、師父や私もお手伝いすることがある」
「すごい人なの? 」
源が訊くと、すごい方だと比企がうなずいた。
「易姓革命の際には、師父の兄弟子にあたる哪吒太子と一緒に、周武王を支えたそうだ」
よくわからないけど、とにかくすごい人みたいだな。
最初の目的地である駐車場に着いた。
走っている間、お面をおでこの上に引き上げて帽子のようにしていた比企は、お面を被り直し、着物の裾をからげて腰の麻縄に挟む。着物の下には、見るからにゴワゴワしているが暖かそうな、ズボンと襟の高いシャツのようなものを着ていた。足元は膝下まで覆う布の履き物で、脛を麻紐でぐるぐる縛ってとめている。また不思議な格好をしてきたもんだな、と思っていると、美羽子が比企に、服を指して寒くはないのかと案じている。
「道服は着なれてしまえば、意外と快適なものだよ」
お尻まですっぽり覆うオーバーサイズのダウンジャケットとマフラーで着膨れた美羽子と、着流しみたいな麻の着物と股引シャツの比企とが並んで立っていると、チグハグさで軽く混乱を引き起こした。てゆうかこいつは、二月の夜のクソ寒さを感じないのか。風邪ひいて桜木さんに叱られても知らんぞ。
「さて、それでは始めよう。とはいえ、みんな禹歩なんて踏んだことはないだろう。どうしたものか」
「ウホ? 」
「ウホウホ? 」
「忠広と結城、ゴリラになってるぞ」
「いやだってウホって」
「いいから」
ボケたり突っ込んだりしているが、だんだん冷え込みがきつくなってきているので、あほな会話で暖をとっているだけです。はい。
禹歩というのは方位固めのステップのことだと比企は説明した。
「古代の華夏を治めた禹王は片足が悪く、引きずるように歩いた。その歩き方をステップで再現したものだ。これで邪気を祓い
そこで比企はちょっと考えて、そうか、と独りごちた。
「儀式の完全な再現が無理な以上、略式でも邪気を祓えればいいのか。頼むだけ頼んで立会人すらいないのだし。ならば好きにやらせてもらおう」
パン、と手を叩くと、ニタアッと笑って俺達に向き直る。
「よし、禹歩はやめよう。あれは覚えてしまえばすぐできるが、やったことがない者にさあやれ、と言っても混乱するばかりだからな、一番簡単な五足反閇でいくぞ」
私の真似をしてくれ、と比企は駐車場の真ん中に立って、鞘を払った矛を担いでグッと腰を落とし、
「天! 」
四股を踏むようにどん、と足を上げおろしアスファルトを踏む。見様見真似で俺達も続いた。
「武! 」
反対の足を同じように上げおろす。
「博! 」
どん。
「亡! 」
どん。
「烈! 」
どん! だんだんと足踏みが揃いだし、最後には全員が揃って地を踏みしめた。
最後に比企は蛇矛を頭の上でくるりと一回転。ぱしん、と柄を掌で受けて、元の通り鞘に納めた。
「さあ行こうか。次は南端の公園だ」
俺達は小一時間かけて、南端の公園へ移動した。到着する頃には、自転車を漕いでいたおかげですっかり体が温まって、みんなマフラーを外しジャケットやコートの前を開けている。それでも比企は涼しい顔で、全力で自転車を漕ぐ俺達と並走していたにもかかわらず、汗ひとつかいちゃいない。
公園は散策にぴったりな川沿いの緑道として整備されているが、さすがに九時過ぎれば、真冬の夜にこんなところを歩くものなどおらず、俺達は人っ子ひとりいない緑道で、ポツンと寒々しく街灯が照らす下で、比企を先頭にさっきと同じように、ヘンバイ、だっけ、四股のように地をどんどんと踏んで固めた。すぐにまた自転車で爆走、今度は西端の市営プールへ。プールの入り口前で同じようにどんどんと地面を踏み締め、最後は北端、城址公園だ。
時間は十一時を回り、夜中の城址公園は静まりかえっている。こうして仲間と一緒に歩いているからワクワクの方が勝っているけど、一人では歩きたくないというのが正直な感想だ。だだっ広くてしんとしていて、そのくせわずかな風が木立の枯れた枝を吹くと、ひゅうう、とかすかな音がする。おまけにまるっきりの暗闇、というわけじゃなく、ぽつんぽつんと街灯が立っているおかげで、余計に闇の濃さが強調されるのだ。みんなで来てよかった。一人じゃないってステキなことね。
城跡の石垣の前で四股を踏んで地を固めて、比企はふっ、とひとつ息をついた。
「さあ、最後の仕上げだ。東端へ戻るぞ」
なるほど、最後に東の駐車場に戻ることで、市内を一筆書きの要領でぐるっと囲むということか。
俺達、比企と愉快な六人のチャリンコ暴走族が駐車場に戻ると、隅っこの薄闇に、黒い影がうぞうぞと団子になっていた。京都のときに見たお化けを思い出したのか、美羽子が源の肩越しにこわごわ覗き込む。
比企は内懐からお札を出して、ぱっと宙に放った。矛の鞘を払い、お札を刺し貫いて、そのまま黒い影を突く。影は転がり逃げるが、比企はそれを追い立て突き回した。不思議なことに、影は突かれるたびに小さくなり、数度突き回されるとすっかり散り消えてしまった。
「終わったよ」
矛からお札を引き抜き鞘に収めて、比企が振り向く。前回が派手だったせいか、もっとごちゃごちゃやるのかと思っていたので、俺はすっかり拍子抜けした。
「え。終わり? 」
「鬼いなかったけど」
結城も同じようなことを思ったのか、首を傾げている。
比企はあっさりと、今のが鬼だよと答えた。
「え」
「ツノ生えてないでしょ」
「虎皮パンツでもないし」
「黒いマリモみたいだったけど」
肩透かしを喰ったような俺達一同。比企はあれが元々の姿だよと続けた。
「その昔は、鬼というのは『隠れる』と書いて鬼と読んだのさ。今オニというときに使う漢字は、大陸では幽霊や死者を指して使うものだよ」
闇に紛れて影に隠れるから、よく見えなくて形がわからない、という曖昧なモノを指してあらわした言葉なんだ、と比企は肩を揉み、矛を担ぎ直した。
「では帰ろうか。師父がお待ちかねだ」
俺達は自転車を出して、今度はゆっくりと漕いで接骨院へ戻った。
途中の信号待ちで、俺はふと気がついた。そうだ。来年の今頃には、もうこんな風にわいわい集まって大冒険なんて、していられないのだ。みんな進路を定めて、受験の結果次第では、ひいひい言いながら試験勉強をしているのだろう。早々に進学先が決まったとしても、このメンバー全員が揃って同じ大学へ行くとは限らない。それに。
比企はどうするつもりなんだ?
こいつの頭のよさなら、進学先など選び放題だろうけど、進学する気があるのかどうか。
こいつらは、俺の仲間はどこまでそれに気が付いてるんだろう。
物思いに沈んでいたのは一瞬で、我に返れば、みんなは横断歩道を半分ばかり進んでいた。
俺は慌ててその後を追った。今はまず、この目の前の世界を楽しむのみだ。
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