第23話 五人とひとりと古都の雅 2章

 どうも、毎度おなじみ八木真です。

 現在、俺と愉快な親友四人、それと幼馴染みの美羽子に比企の七人は、冬休みを利用して、京都に年越し旅行に来ております。

 宿はホテルや旅館ではなく、長く外国暮らしだったうえに、親父さんの仕事を手伝い世界中を飛び回っていた比企が、少々怪しくなっていた日本語を思い出すためホームステイしていた置き屋さん。舞妓の雛鶴さん、芸妓の千早さんや女将さんによると、比企は舞妓さんのお座敷への送り迎えに同行し、ボディガード的なことを引き受けていたらしい。なんか、芸妓のお姉さんにしつこく言いよる親爺を総合的にボコボコにしたりとか、イロイロ武勇伝がある、みたい。

 総合的ってどういうことなんすか。

 訊ねた俺に、美人の女将さんはコロコロ笑って、そりゃあ総合的ですわあ、と答えたものだ。

「まず、うちの子を付け回しとる様子をばっちり録画して、それから捕まえてストーカーしてたて証言も録画して、それを警察と新聞と、その人が勤めてはる会社の人事部と社長さん重役さん、全部に送ったんよ」

 効果的やったわあ、と女将さんはニコニコ。それを聞かされて俺達五人は背筋を凍らせ、頼もしいと美羽子は歓喜。当の比企はといえば、ああいうせこくてしつこい野郎は、社会的に痛めつけるのが一番効果が高いんだ、とお茶を啜っていた。

「勤め先や学校に『爆笑ビデオ在中』って証拠物件を送りつけるんだ。てきめんに効くぞ」

 いやあ、実行力のある女子って怖いですね!

 そんな愉快でアットホームな置き屋さんに、俺達は冬休みいっぱいお世話になる。三度の食事は、夕飯は水屋っていうんだっけ、台所を借りて作って食べる式で、朝はその日によって作ったり、モーニングや朝定食の店へ行ったり。昼は出先でおいしいものをたらふく食べようというスタイルだ。

 そんな俺達御一行様は今、夕闇に包まれる京都の街を見下ろしていた。

 京都タワーの展望台で、昔ながらの双眼鏡を覗いては、あそこは何があると口々に言い交わし、闇が垂れ込めるとともにいよいよ輝きを増す街の明かりを見ては、ロマンチックなムードと、周囲にカップルが増えてゆくのをひしひしと感じていた。

 比企が俺やまさやんに低く耳打ちする。

「貴君らの友情が真物なら、邪魔をする野暮は犯すまい」

 目顔でそっと、美羽子と源を指すと、あっちで結城君と岡田君が待っているぞと、後ろをぐい、と肩越しに親指立てて示す。そうとなれば俺達だって、仲間の恋路を邪魔するのは忍びない。明らかに美羽子は源のことが好きだし、源も憎からず思っているのは傍で見ていて丸わかりだ。俺とまさやんはそっとその場を離れた。美羽子を頼むぞ親友。お前なら安心して任せられる。

 比企はといえば、ちょっと離れたところで、美羽子達と俺達の両方が視界に入るところに立って、携帯端末を睨んでいる。なんだ、難しい顔してるな。

「どしたん比企さん」

「ああ、八木君か」

 うん、と比企はうなずいて、

「桜木警視が面倒な拗ね方をしていてな」

 桜木さんからのチャット画面を開いて見せてくれたんですがね。ちゃんと間に合った? からの、お昼ご飯は食べた? みんなと仲良くやってる? と、幼稚園児を初めてのお泊まりに送り出したお母さんか、と突っ込みたくなるチャットの嵐。うーん、まあ、そりゃあねえ。

 あの、深夜の五日市駅での告白からまだ間がないからね。比企のことだ、たぶんまともな返事もしちゃいないんだろう。わかる。そんな状態で、桜木さん置いて旅行に来ちゃうってどうなん。

 比企さんはさ、と俺はできるだけ落ち着いて切り出した。

「この前、ほら、夜中に駅の階段で、桜木さんに言われたこと、ちゃんと返事した? 」

「何が」

 あーはいダメだこりゃ。

「ほら、桜木さんが言ってたでしょ。比企さんのことが好きだから、無茶してるのは見てられないって」

「ああ、あれか。まあ貴君らに聴こえていても無理はないか」

 うんそうだね! 

「うん、でさ、比企さんはさ、桜木さんが言った意味はわかってる? 」

「意味? 」

「いや、だからさ」

 いよいよ望み薄だな! ここまで鈍感だと、逆に感心するわ! 

「桜木さんが好きって言った意味。比企さんはわかってるのかなって」

 俺が切り込むと、比企はちょっと苦笑いした。なんだか寂しそうな、哀しそうな、そんな顔だった。

「八木君は優しいな。桜木警視のことが気がかりなんだな」

「う、そりゃあまあ」

「八木君が案じるまでもない。さすがに私も木石にはなりきれなかったからな、わかったさ」

 そうなれていれば、こんなことで頭を悩ませることはなかったろうけどな、と比企は笑った。

「でもなあ八木君、私はそれに答えてはいけないんだ。少なくとも、桜木警視を人並みの暮らしにいずれ戻さなくてはいけない以上、私は決して答えてはいけないんだ」

「…なんで、」

 俺がやっとのことでそう訊ねると、比企はそうだな、とため息をついてから言った。

「私は人でなしだからな。まともな人生に戻れるうちに、私とは離れるべきなんだ」

 うーん、比企なりに考えてるんだろうけどさ、むしろ逆効果だと思うよ。

 比企はそんな俺の肚などお見通しなのだろう、それに、と続けた。

「八つに分身したうえに、手刀で真空波ソニックブレードを起こして巨大ロボットを叩き壊し、自動車と並走できる女を嫁にもらう蛮勇を持つ男など、この世にはおるまいよ」

 夏休みにあのキメラを指して貴君が言ったことがあったろう、と比企は、今日の夕飯の話でもするような気軽さで、クッソ重いことをさらっと言った。

「私はあいつと同じだ。独りで生きて独りで死ぬしかないのさ。何せ、化け物だからな」

 

 錦市場で店じまいを始めていた八百屋さん豆腐屋さんに寄り、湯豆腐の材料を買い込んで、水屋でわいわい料理を始める俺達。といっても、ほぼほぼ美羽子が指揮を取り手を動かし、比企は黙々と手伝っている。人参とか椎茸とか、すげえ匠の狂気な飾り切りなんだけど、カランビットナイフで切るのは器用なのかあたまおかしいのか。

 鍋に気を取られて白いごはんの存在をすっかり忘れていた俺達だったが、幸い女将さんがそれを見越して、しめの雑炊のためにお裾分けしてくれた。ありがとうございます! 美人で頭も気立もいいなんて、あなたはメルヘンの国の人ですか! 夢の三本立てだろ!

 ごはんを持ってきてくれた女将さんは、比企のナイフを見ておかしそうにコロコロ笑った。

「あらまあ、相変わらずそのおかしな包丁使わないと料理できひんのやね」

 比企はけろりとした顔だけど、耳たぶだけが桜の花びらぐらい赤くなって、陣中食しか作ったことがないから、ともごもご言い訳した。

 自由に使って構わない、と置いてくれている調味料や料理酒をありがたく使わせていただいて、初日の夕飯が完成。詳しいレシピなどは、最初は検索してたんですがね。どうも要領を得なくて、ついに美羽子がそれなら上手な人に教えて貰えばいいじゃない、と言い出した。

「あ、桜木さんこんばんわ! すみません、湯豆腐の作り方教えていただけませんか」

 すげえなおい。どんな勇者だよ。

 いきなりムービー通信したのに、いやな顔どころか、気さくにいいよ! って答えちゃうのがまた、桜木さんなんだよなあ。

「あ、小梅ちゃんいる? …ああ小梅ちゃん、そっちは賑やかだね。こっちは随分寂しくなっちゃったけど、でも小梅ちゃんには友達が何より必要だからね、わかってる。楽しんでおいで」

 お、さすが大人。冷静だな、と思って聞いてると、

「それに、僕はちゃんと待てができる子だからね」

 やめてー! 今そういうのいらないー! てゆうかアピールえげつないー! しかも比企にはまるで効いてませんよー! 他の六人全員が赤面、比企一人がけろりとしてる、ある意味地獄絵図。がんばれ桜木さん。

 豆腐に椎茸、人参、水菜にネギと、思いつくだけ材料を切って、桜木さんのアドバイス通りに出汁を決め、無事に完成した湯豆腐はうまかった。出汁で煮てから、市場で豆腐屋のおじさんが教えてくれたように、鰹節と刻みネギ、山椒を合わせて軽く醤油をさしたつけダレで食べると、やばいぐらいうまかった。途中、結城がつけダレを土鍋の出汁で割るという発見をして、やばさがシャレにならないことになりましてね。ええ。美羽子はダイエットがとかうめきながら、それでもしっかり食ってたし、当然俺らもモリモリ食いました。でも意外なことに、比企は人並みの量しか食ってなくて、おかしいでしょ、あの、いくら食っても足りない比企が、俺達とさして変わらない量で満足してるんですよ。お腹壊した? 大丈夫?

 鍋の具を食い終わり、最後に出汁で雑炊に。湯豆腐だからあっさりしたもんだろうと思ってたけど、桜木レシピ侮れない。締めに雑炊を持ってくることまで想定して、しっかり目の出汁で豆腐を煮ていたのだ。鍋底の昆布を取り除いて、ごはんを入れてほぐして、溶き卵を落として蓋をする。やばかった。バカ舌ってわけではないけど人並み程度な俺でもわかる、上品ながら怒濤の如きうまさ。比企以外は揃って腹をパンパンにはち切れさせ、美羽子はドスの利いた声でボソッと、あんた達明日は歩くわよ、と呻いていた。

 散々食ってなおけろりとしている比企は、水屋で鍋や茶碗を洗い、終わると何か紙を燃やして灰を水に溶き、瓢箪を出して茶色い丸薬を何粒か出し、一緒に飲み下す。

 いや待って体に悪そう。ゴロゴロと魚河岸のマグロよろしく、座敷の畳に転がりながら見ている俺達に気がついて、比企は瓢箪とさっきの紙を見せた。

「食事の代わりに活力を補うための薬丹やくたん符印ふいんだよ。師父がくださったから効果は確実、副作用もない」

 効能は諸君が今見た通り、普段から濫用するわけにはいかないが、こうして旅行などするときには必要になるからね、師父からいただいておいたんだ、と比企は灰を溶いた水を飲み干した。

 そういえば、以前に飯を食っても太ることがないのは、違うところに回しているからなんて言っていたが、どうなっているんだ。比企は食後のお茶を淹れて啜りながら、そりゃあ君、とあっさり答えた。

道根どうこん…というとわかりにくいか。もっとイメージしやすいところだと、魔力か。実際はちょっと違うが、まあそんなところだな」

 なるほど。夏休みのあの巨人さんとか、この前の分身の術とか、そういうデタラメナイズを現実に起こすためのパワーに回してるってことか。

 実際に比企のマジカルバトル・オンステージを見たことがない美羽子はキョトンとしているが、俺達男子組は全員納得。あれをやるには、相当なエネルギーが必要ということなのか。

 腹がこなれて落ち着いたところで、じゃんけんで風呂の順番を決めて次々入る。別枠として、レディファーストということで最初は美羽子と比企が、それから俺達が順々に。風呂場は女将さんが買い取ってからリフォームしたそうで、数人が一緒に入っても伸び伸びできるぐらい広かった。まあほら、寮として使うつもりでいたもんねえ。

 風呂から上がって、ローカル局の深夜番組見ながら腹を抱えて笑い、日付が変わるちょっと前。布団を敷いてさて寝ようか、と支度を始める俺達。す、と比企が立ち上がり、それでは、と二階への階段を上がり始めた。

「え」

「待って待って待って」

「比企ちんご乱心かよ! 」

 俺と忠広、結城が気づいて引きとめる。二階は危ないって話だったじゃん!

 比企はいや、だって、と表に焼き芋買いに行くみたいな調子で、

「実際に何が起きてるのか、体験して確認しとかないと、対策しようにも方法がわからないし」

 ああ、みんなはここで寝るといい、下は安全だって言っていただろう、と比企は、肩にコートを羽織ったいつもの芋ジャージ姿で階段を上がっていく。

「何してんのよヒロもマコも、だらしないわね! 女の子一人に行かせるなんて」

 俺と忠広の頭をバシッと叩いて、待って私も行く! と美羽子が迷わず続いた。スエットにロンT姿の源が、木刀片手に迷わず続く。淡いピンクとオフホワイトのふわもこルームウェア姿の美羽子を追いかけて、二階へ上がっていった。スエットやジャージにTシャツという、似たり寄ったりな格好の俺達も、なんとなく顔を見合わせてからあとに続く。結城とまさやんも木刀を持って、俺と忠広は水屋から伸し棒と、床の間に置いてあった鋳鉄の花瓶を握って二階へ。

 比企は結局全員が揃ってしまったのを見て、ため息をついた。

「旅の初日だ、疲れているだろうに」

 しわい顔でぼやいてから、困ったもんだといいたげに笑った。

 

 比企は二階の部屋をくまなく回り、まずまずだなと言いながら、大きな衝立を運んできた。例の、千早さんがしばらく入っていた部屋だ。天井にみっちりキノコみたいに黒い小人が生えてた、あの部屋だ。

 今は特に何があるでもなく、ごく当たり前の和室だった。家具は当然まったくなくて、茶室とか高級な旅館とか、そんな感じの空間だ。

 比企は衝立の影に俺達を座らせた。美羽子を囲むように、俺達男子五人が配置につく。それからお札と筆を出して、何かぶつぶつ小声で唱えながら、筆の軸の方でお札に書いてある文字や図形をなぞり、俺達に一枚ずつ持たせてから、衝立の表にも貼り付けた。

「これであとは待つばかり。私個人としては、今夜は何も起こらなければいいんだが」

 美羽子は怪訝そうな顔だが、俺と忠広に持っとけと言われ、源が大丈夫だよとうなずくのを見て、やっとピンクと白のパーカーのポケットに納める。

 比企は衝立の前にどっかと座り、コートのポケットから文庫本を出して読み始めた。

 比企からの注意事項は三つ。大声を出さない、衝立の前に出ない、立ち上がらない。

 準備よく携帯端末を持って二階へ上がった源が、画面で時刻を確認した深夜二時半。ふいに、すうっとそよ風が吹いた。

 冬の深夜で、戸締りはしっかりしているのに。どこから風が入るというのか。

 衝立の影で全員が顔を見合わせる。ジャージやスエットのポケットにしまったお札を、思わずそっと手で押さえて、美羽子はぎゅっと自分の肩を抱いた。傍からそっと比企の様子を窺うと、文庫本を閉じて、十徳ナイフとメモ帳サイズの紙を何枚か出した。ハサミのツールを使って、人の形に切り抜いていく。残った紙屑は細かく刻んでとっておいた。何をするつもりなのか。どう使うつもりなのか。

 比企がナイフを畳んでポケットにしまうのとほぼ同時に、どこからか声が聞こえた。

 わああああ、と鬨の声がする。暗がりのどこかから押し寄せる、十センチにも満たない小さな鎧武者。やっぱり小さな馬に跨り駆けてくる一群、馬に乗らず走ってくる集団、キラキラの鎧に身を固めた奴、胴だけを覆った雑兵、すげえ長い槍を掲げて走る奴、馬上で刀を抜く奴、火縄銃で狙いを定める奴。

 不思議なことに、どこからか湧き出た小人の武者達は、衝立の影を避けて押し寄せた。最初は何が起こったのかついていけず怯えていた美羽子だが、源と忠広の肩越しに覗き込んで、わあちっちゃい、と呟く。

 鎧武者は比企を取り囲んだ。

 キュルキュルと早回しみたいな甲高い声で、何奴、とかやあやあ我こそは、とかやっている。てんでにわあわあと騒いでいた小人達だけど、そのうちに段々と声が揃うようになった。

「おのれ」「おのれ」「立ち去れ」「失せろ」

 バラバラだった声はついに揃い、気がつけば轟々と凄まじい怒声が沸き起こる。その剣幕に、美羽子が俺達のシャツの裾を摑んだ。

 比企はまったく動じなかった。

 さっきの切り紙にふっ、と息を吹きかけると、畳の上に落ちると同時に、紙人形は立ち上がり、最新式の装備一式を身につけた兵士に化けた。ヘルメットにはスターライトスコープ。防弾チョッキにアサルトライフル、リュックを背負いブーツで足元を固めて、あからさまに戦闘能力も装備も違う。衝立を背に座る比企を半円形に取り囲む鎧武者の前に立った兵士達は、ライフルを構えて撃ち始めた。聞いたことのない、独特の銃声だった。バババババ、ではなくて、ドボボボボ、ともゲボボボボ、ともつかない低い音。しかも命中すると、凄まじい吹っ飛び方をするのが怖いよこの銃! こんなの実在するの? 撃ち尽くすと腰のポーチから弾帯を引き出して装填して、またドボドボと撃って武者達を薙ぎ倒していく。怖い。

 武者達はどんどん倒され、比企の周りの空間は広がってはいるが、何しろ数が違う。雑兵だって残っているし、部屋の暗がりからはどんどん湧いて出てくるのだから。

 そこで比企は、さっきの紙吹雪を出して、ふうっと息を吹きかけ舞い上がらせた。

 さっきと同じように、バラバラと畳に降り落ちると、そこに湧き上がるのは最新鋭の装備で固めた大軍団。戦車がドッカンドッカン砲撃し、工兵隊がバリケードを築き、トーチカから大砲をボッカンボッカン撃ち込んでいく。空からはヘリがミサイルを撃ちUAVが援護し、機動ユニットが蹂躙する。段々と鎧武者達は体勢を崩し始めた。現代の装備すごい! けど敵に回したら怖いなこれ!

 半分ほどが倒されたところで、鎧武者の様子が変わった。全員の体がふるふるとゼリーのように震えて透きとおり始める。やがてとろりととろけ出し、ざわざわとアメーバ状に溶け合い集まった。うごうごと蠢き、部屋の壁といわず天井といわず、どこまでも拡がり、それはうじゃうじゃと、ゾワゾワと這い回る。虫だ。ゴキブリだとかムカデだとか、とにかくそういう、誰もが嫌がる虫達が、部屋中をびっしりと埋め尽くした。美羽子が悲鳴をあげかけて、源が抱きかかえて目隠ししてやる。女子の典型で虫が嫌いな美羽子は、すっかり怯えて源にしがみついていた。

 比企はそこで、携帯端末のストラップについていた鶏のマスコットをむしり取ると、やっぱり息を吹きかけてポイと投げた。

 部屋中に響き渡る、雄鶏の時の声!

 ──こけこっこう!

 畳を踏みしめ、すっくと立った五色に輝く鶏は、手当たり次第にムカデを嘴で噛みきり、ゴキブリを踏み殺し、ダンゴムシをつつく。そのうち、ひときわ大きなムカデを咥えて激しく戦い始めた。体に巻きつくムカデの頭を嘴でギリギリと挟み、足で踏みしだく。ムカデはムカデで、鶏の体に絡みつき締め上げて、負けじと粘る。がんばれ鶏! なんか、赤い鶏冠に青、黄、白、黒って羽の配色はすげえサイケだけど、でもがんばれ鶏!

 勝敗は唐突に決まった。鶏がムカデを引きちぎり、ぶちん、とすごい音と同時にムカデの体がチリになって消える。その瞬間、部屋中に這い回っていた虫が消えた。

 勝利の雄叫びを一つ、雄鶏は元の小さなマスコットに戻る。

 比企は気を抜かず、部屋にわだかまる闇を睨んでいた。

 その目の前で、部屋の至るところにはびこったチリが集まっていく。それはぎゅうっと凝縮して、闇より黒々とした、輪郭の定まらない塊になった。随分静かになったな、と衝立の傍からそっと様子を窺った、そのとき。

 ごう、と塊が腕のように体一部をこちらに伸ばした。凄まじいスピードで俺の頭を狙って──瞬間。

チー! 」

 比企が鞭打つように掛け声をかけ、パチンと指を鳴らす。同時にバチン! と雷が弾けたような衝撃。衝立が部屋の隅へ跳ね飛び、影の塊が伸ばした腕? が、熱湯でもぶっかけられたように引っ込んだ。

 俺は見た。闇より黒々と影の中にうずくまるそいつを。うぞうぞと輪郭を蠢かせながら、大きな一つ目でギョロリと俺達を睨みつけ、そして、影の暗がりに紛れ、どこかへ消えていく。

 失せろ。

 去り際、地の底から響くような、陰気で不吉な割れ鐘のような、声ともつかない声が、断固とした拒絶をにじませて言った。

 失せろ。我と共にあるはあの者のみ。

 ここは我とあの者の一つ屋。他の誰にも明け渡さぬ。

「そうかよ抜け作」

 比企が鼻で嗤う。衝立を除けると、今夜のところはこれでおしまいだよ、とボロボロ泣いている美羽子にハンカチを差し出した。

 なんだか焦げ臭い臭いを感じて、どこからだろうと周囲を見回すと、衝立のお札が焦げている。もしやと俺もスエットのポケットからお札を出してみると、ブスブスと焼け焦げていた。

 

 階下へ戻ってから俺達は、全員で奥の女子部屋に揃い、美羽子が安心して寝付くまで、枕灯の明かりでウノをしていた。大人数ならきっと役立つことだろうと、キャリーに入れておいたおとといの俺、大正解。

 美羽子が眠ったところで、様子がわかるよう障子を半分開けたまま、通り玄関の上り框に並んで座って、体を冷やさないようお茶を淹れて、状況確認のための会議をスタート。

 おやつに食おうと思って買っていた阿闍梨餅が行き渡ったところで、まさやんが切り出した。

「比企さん、もうなんか摑んでるんじゃねえの」

「あの怪奇現象にすげえ的確な返ししてたもんな」

 結城がうなずく。だが比企は、いやあれ全部その場凌ぎだぞ、とあっさり答えた。

「ネタ切れになる前に奴が引いてくれたから安心したよ」

 その割には堂々としてたような。俺がそう言うと、比企はだってそりゃあ、と、

「陣頭に立つ者は、首だけになるまで堂々としてなけりゃみんな不安になるだろう。出会い頭のハッタリは大事だぞ」

 華夏では下馬威シャマウイというんだ、とがっくりくるようなネタバラシをする。なんだよもう、と俺達は揃って突っ込んだ。

「それで、」

 源が仕切り直して、比企さんはあれをなんだと思う、と訊ねると、さあ、と言葉を濁して比企は頭を掻いた。

「初手の戦国テイストと二番手の虫までは、少なくとも東洋の文化圏にある何かなんだろうと思ったんだけどな」

「え、最後の一つ目は違うのかアレ」

 忠広がえー、と驚くと、あれがなあ、と比企は腕組みで考え込んだ。

「なんでバックベアードなんだ」

「何それ」

 俺が訊ねると、比企はあからさまにがっくりと肩を落とした。

「八木君、貴君は水木しげる作品を読んだことはないのか」

 いや、ごめん、知らない。

 まあいいと比企はお茶を啜ると、とにかくあの流れではっきりわかったことがある、と阿闍梨餅の小袋の封を切った。

「あれはそう古いものではない。場所が場所だ、平安の頃からいる相手だったら厄介だったが、時代が近ければどうにかできなくはないだろう。付け入る隙も探しやすい」

 長く存在してる奴はしぶといからな、と比企は顔をしかめた。

「あとはラジエルから調査結果が上がってくるのを待つだけだ。今夜はとりあえず」

 寝るとしよう、と言って、阿闍梨餅をモリモリ食ってから、比企は座敷へ引っ込んだ。

 時計を見れば、もう深夜どころか、早朝四時近い時刻だ。俺たちも大慌てで部屋へ引き揚げ、布団に潜り込んだ。

 今できることは、まずちゃんと寝ておくことだ。あとのことは起きてから。俺は務めて割り切って、瞼を閉じた。

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