第24話 五人とひとりと古都の雅 3章
翌朝、ひと眠りしてやっと落ち着いた美羽子を気遣ったのか、比企はうまいモーニングを食べに行こう、と提案した。なるほど、確かにゆうべは湯豆腐の材料を揃えることしか眼中になく、朝食にまで気が回っていなかったな。おかげで買い込んだ食材はきれいに食い尽くしてしまっていた。比企ならずとも、高校生の食欲おそるべし。
河原町三条の老舗ベーカリーでおしゃれなモーニングを食べ、だいぶ元気を取り戻した美羽子が小間物屋を覗くのに付き合ったりしてから、南禅寺へ流れ、哲学の道を歩き、銀閣寺へ着いた。どこもすげえいいところだよね。のほほんな結城が更にまったりしちゃってるし、まさやんも忠広もコリーぐらい聞き分けのいい子になってるし、こうかはばつぐんだ!
ただねえ、どこに行っても比企は、お坊さんや神主さん? っていうの? そういう人達に会うと必ず捕まって、どうもご無沙汰しておりますと挨拶が始まって話し込んで、何その神社仏閣コネクション。
場所によっては友人ですと引き合わされて、ご住職とか神主さんとご挨拶して、ねえ今何が起こってるの。
そういう、普通に観光してたら絶対できないであろう体験があったりして、ちょっと驚いてます。昼飯食おうと新京極まで戻って、鰻屋さんで注文が揃うのを待ってる間に訊いてみたら、お師さん、つまりあの整骨院の李先生の知り合いなのだそうだ。さもなければ、親父さんと李先生の共通の知り合い。李先生と親しいご住職がいるお寺さんだと、友達も一緒にお茶でもおあがりやっしゃ、と招かれて、ステキな庭を一望する奥の部屋で、お抹茶とお菓子なんかいただいたりもして、俺達全員緊張、比企はいつも通り。美羽子は美羽子で、かいらしいお嬢さんやな、なんてリップサービスだろとツッコミを入れたくなるお言葉に、えー、なんて気をよくしている。
まあ、あちこちでお茶をいただいたり、観光客には入れないエリアを案内していただいたりして、夕方近く、また夕飯の材料を買いに行こうかと、三条大橋まで戻った頃だ。
橋の向こうから、呉服屋の若旦那みたいな、おっとりした空気の若い男が歩いてきた。高そうな、でも涼しそうな夏の着物、あれってなんていうんだろ。よく知らないんだけどね。まあ、物知らずの俺が見てもいい着物だとわかるもので、やあ、とこちらに手を振る。え。また比企の知り合い?
「
比企は男にご無沙汰しております、と挨拶。男の方も久しぶりだねえ、とにこやかに応えると、聞いたよ、と笑った。
「
「モノ自体はしぶといばかり、おっしゃる通り、師父のお手を煩わせるほどではないでしょう。私程度が丁度いい塩梅です」
「君はどう見た? 」
水月さんというらしい、男は比企に訊ねた。そうですねとちょっと考えて、比企は答える。
「あれは私と同じ紛い物です。なり損ねのなり損ないですよ」
水月さんはそうかい、とうなずいて、そこで俺達ににこやかに挨拶した。
「君達はもしかして、梅ちゃんの友達かな」
「…はい」
「僕はね、
俺達も高校の友人ですと名乗ると、水月さんはああ、と笑った。
「梅ちゃん、本当に高校生やってるんだね。二丁拳銃と国広の脇差で京都の街を大暴れしてたのが、昨日のことみたいだけどねえ」
友達もできたんだね、よかった、と水月さんはうんうんと目を細めた。
それじゃあね、とすれ違いざま、忠広と俺にそっと水月さんは耳打ちした。
「なり損ないはしつこいんだ。梅ちゃんが手こずるようだったら、太秦へ逃げておいで。助太刀の用意はできてるから」
よくわからないまま、とりあえずはい、とうなずく俺と忠広。
知り合い? と美羽子が比企に訊ねると、うんと比企は答えた。
「西日本でも最高峰の拝み屋だよ。あの人はガチ過ぎて、表には出てこられない人なんだ」
翌早朝、俺が水を飲もうと起き出すと、比企はすでに身なりを整えて、通り玄関のかまちで墨を摺っていた。
端然と板廊下に正座し、静かに墨を摺り、半紙を縦に半分にした紙に、すいと筆を下ろす。何か低く唱えながら、すいすいと筆を走らせて、それを何枚も繰り返す。摺った墨が尽きたところで紙も終わった。出来上がった紙の束は一センチくらいになっただろうか。俺が見ていたのに気づいて、比企は筆を洗い硯を片付けながら、符印は若水で作るのが一番いいんだ、と言った。
「日の出とともに井戸から汲み上げた、その日初めての水が若水。逆に深夜に汲んだのが老い水。若水には不浄のものを祓うちからがあるんだ」
お日様と一緒に目を覚ました水、ということか。
「備えはしておくに越したことはないだろう」
比企は硯箱を蓋して片付けた。そこで、まさやんと源、結城が木刀片手に起き出してくる。そう、こいつらは剣道バカゆえに、旅先でも稽古がしたくて木刀を離さないのだ。
うっすらと青い朝の光が、暖色を帯びてくる頃、忠広と美羽子が起き出してくる。忠広は寝起きのそのまま、美羽子はしっかり着替えて身繕いしてから。淡いラベンダー色のふわふわニットに淡いグレーのプリーツスカートという格好は、いつものブーツカットジーンズに黒いタートルネックのぴったりしたニットという、比企のスタイルとは対照的だった。顔を洗ってエプロンをつけると、炊飯器の様子を確認して、それから冷蔵庫チェック。卵とハムと野菜を出して、朝食の支度を始めた。
すっと立ち上がって手伝いを始めるのは比企と源。比企は黙々とレタスをちぎり、食器を出し、包丁を使うのは美羽子と源だ。比企さん、普段アーミーナイフだのカランビットだのを持ってると、包丁なんかやわで使えたもんじゃないとか、そういうことなんだろうか。包丁使えって、とまさやんが突っ込むと、だって、と比企は目を逸らして耳をちょっと赤くした。
「日本の包丁は長くておっかないじゃないか」
え。何それ。
「ロシアでは、大概もう少し短い包丁を使うんだ。じゃがいもの皮むきなんかは、ずっと使って研ぎ減った、小指くらいのをよく使ってるよ」
なるほど。国によってそこまで変わるのか。まさか天下の比企が、文化包丁をおっかながるとは。桜木さんに教えてやらねば。てゆうか、銃をばかすかぶっ放し、馬鹿でかい機動ユニットを真空波起こしてぶっ壊すお人が、包丁は長くておっかないって、どんな冗談なのか。
しかし、よくまあそんな相手と友達やって、あまつさえ一緒に旅行までしてるよな、と冷静に振り返るも、まあほら、分身の術とか見せられた直後に青春純愛グラフィティやったり、普段が大食いフードファイトだったり、およそ緊張感がないし、何より比企自体に、おかしな緊張感とか悲壮感がないからね、まあいいか、でつるみ続けていられるってのはでかいよね。いや、悲壮感とかはあるんだけど、そこかよ! と突っ込みたくなるような、ちょっと感覚がずれてて、警戒とか用心とか、そういうものがどうでもよくなってしまうんだよなあ。
まあ、クラスで当たり障りなく付き合いはするけど、根性が曲がってて嫌な奴とか、たまにいるよね。そういう奴よりずっと、気性がさっぱりしていていい奴なので、つるんでいて不愉快なこととかは全然ないし、いいかな、とも思う。実際、あいつが自分より弱い者や、真面目にコツコツやっている人を馬鹿にしたりするとかは一度もなくて、ボロクソにいうのはいつだって、楽して人の上前をはねたり、自分たちこそが正しく、他人はどうでもいいと身勝手に振る舞う連中ばかりだった。
だからこそ俺も、忠広も結城も源もまさやんも、比企の性根を信じて仲間として付き合えるのだ。たぶん、これからだって。
俺と忠広の一致した意見は、何かあったときに美羽子を安心して託せるのは、男なら源で女子なら比企。八坂神社でお好み焼き買いにパシったときに、そんな話になったのだ。あまりに迷いなくピッタリ揃ってしまったので、思わず腹を抱えて笑ったものだ。ケタケタ笑いながらお好み焼き抱えて戻った俺達を、美羽子はまたバカやってるな、程度にしか思わなかったようだが。
だし巻き卵とサラダ、お麩の入った味噌汁に、錦市場で買った柴漬けという簡単な朝食だったが、そこは料理自慢の美羽子、だし巻き卵はガッツリと源の胃袋を摑んで離さない。早くくっつけよいい加減に。
飯の片付けが終わると、比企は起き抜けに作っていたお札の数枚を出して、何やらぶつぶつ唱えながら、筆の軸側で文字や図形の上をなぞり、それが済むと二階へ上がった。うわまじか。中一日過ぎてるし朝だとはいえ、まだ記憶も鮮明なのに行くのかよ。
なんとなく俺も後に続いた。
比企は、今は冬の朝の日差しが差し込み明るい二階の部屋を見回って、うんうんとうなずきながら、方位磁石を見ては何か確かめて、さっきのお札をぺたぺた貼っていく。ふん、と鼻を鳴らしてから、振り向きもせずに八木君、といきなり俺に呼びかけたから驚いた。
「うわ」
「気配でわかるよ。ところで、」
会話しながら、やっぱり振り向かないで、天井近くを睨んでいる。
「水月さんから何か言われているだろう」
「え」
そこまでお見通しか。
俺が万一のときには太秦に逃げろと言われた、と打ち明けると、なるほどな、と比企はうなずいた。
「季節も違えば牛もないが、どうにかするしかあるまいな」
訳のわからないぼやきのあと、ありがとう、と俺の肩をポンと叩く。
朝食の片付けと身支度、戸締りが終わると、俺達は観光に繰り出した。今日は嵐山へ行く予定だ。美羽子と源を除く全員が、わかっているなとアイコンタクト。グッとサムズアップで応えるのは、もはや以心伝心を体現してるよね。美羽子は竹林の道を見て冬もステキとはしゃぎ、野宮神社で俺達はそっと場を外れ、二人きりにしてみた。
合流した二人は、なんかちょっとホワホワしていて、源はみんなどこ行ってたんだよう、と満更でもない感じで、表面だけ軽くプンスコして見せている。
やりました。カップル成立でございます!
二人はそれぞれ、ペアのお守りをカバンにぶら下げていた。ヒューヒュー!
美羽子もちょっとぎこちない感じではあったが、比企と並んで歩いて、おいしいスイーツとかの話をしている。俺と忠広は源を挟んで、並んで歩いた。
あのさ、と源が言いにくそうに切り出す。
「俺さ、ええと、その、笹岡さんに告白して、さ、」
お前達幼馴染だって言ってたろ、だからちゃんと報告しないとと思って、と続けたところで、俺と忠広はいい笑顔で代わる代わる握手を求めた。
「ありがとう源」
「お前になら安心して託せる」
「結婚式には呼んでくれ」
「披露宴の余興のリクエストがあったら言ってな」
「待って待ってお前ら気が早い! 結婚て。いくら何でも、笹岡さんはまだそこまで考えてないかもじゃん」
てことは、お前は考えてくれてるってことだよな。美羽子との将来を。
俺と忠広は、そこで後ろを向くと二人でガッツポーズ。惚れた女性に対しては真面目であろうと思っていたが、予想以上だったな。源よ。
「とりあえず美羽子の両親には優良株って伝えとくわ」
「お前なら美羽子の親父さんお袋さんも安心するだろ。お祖父さんはもと警官、親父さんは海外の大学で日本の古典文学教えてる教授だって言えば、一発で信用築けるから」
「だから! 気が早いってば! 」
俺達の様子から、何の話をしているのか察した結城とまさやんも来て、黙って拳を合わせた。
しかし何だろう、俺らのやってることって、もしかしてあれか。やり手ババみたいな感じですか。でもいいの親友が幸せなら。
あとは京都の神様、次は俺にもかわいいガールフレンドをお願いします。
なんてほっこり展開がありながら、まあね、それでも本筋はしっかり生きているわけで。
お昼を食べに入った蕎麦屋さんで、あったかいものを食べようと、お品書きを広げたら、そこにはでっかい書類を入れるような封筒が。
何だこれ。と思ったら、比企がひょいと手に取って、封印部分に親指を当てた。ぴっぴきぴー、とファンシーな音とともに封筒の口が開いた。やだ何それ。
比企は躊躇いもなく中に手を突っ込んで、大判のコピー用紙の束を出した。軽く確かめて、いつものフライターグに仕舞い込むと、財布から黄色い紙の束を出す。注文を取りに来た店のお姉さんに、何も言わずに手渡した。そのままフツーに注文しちゃって、え、何それ。今の何。とりあえず俺達も一緒に注文を済ませたんだけど。天ぷら蕎麦を待つ間、比企はどこかへメールを送ってから、よしとうなずいた。
「ねえ比企さん、あの封筒、勝手に開けて大丈夫だったの」
うーん大丈夫だと思うけどね。
「今のお姉さん、何者…」
結城がボソッと呟いた。
「彼女はラジエルの
な、なるほど。
結果はどうだったんだとまさやんが訊ねると、まあまあだな、と比企は答えた。
「細かいところはこれからじっくり目を通すとして、やっぱりここ一世紀分がキーだな」
一世紀分っていうと、二十世紀終わりぐらいからこっちってことか。
この前の、機動ユニットの一件でちょっと比企が言ってた、宗教団体がテロ行為を働いたっていうあの辺の時代からか。
それにしても、さっきのお姉さんはよく俺達がここにいるってわかったもんだ。それに、蕎麦屋さんの店員のふりをするとか、どうやってできるんだよ。俺は比企に訊ねた。比企はしれっと、彼女はこの店の正規のスタッフだとこともなげに言う。何それ。
「ラジエルの伝令は副業。こんな風に、京都中にあの子の目と手足は張り巡らされてるんだ。ラジエルがその気になれば、貴君らの小便の放物線だってあっさりバレるぞ」
んまー例えがお下品! でもコワイ!
うん? 「あの子」? ってことは、
「比企さん、そのラジエルって直接会ったことあるの」
比企はそこで、ちょっとだけしまった、という顔をしたが、すぐにうなずく。
「あの子は仕事が仕事だし、そのおかげで微妙な立ち位置にいるからね。当人に会ったってだけで、人定情報を欲しがる奴らに狙われかねない。直接面会できるのは、露人街の顔役でも、信用を得られた数人だけだよ」
ハッキングに情報操作だけで、すでに重犯罪者として国際手配されてるそうで、それでも捕まらないのは、大半の国の政府や警察、大企業が、二度三度は必ず世話になっているからで、つまり、表向きには手配はするけど、うっかり捕まっちゃうと、自国のヤバい情報が大っぴらになっちゃうので、どこも本気では捜索しないだけの話なんだってさ。大人って汚ねえな。まあ、そういうわけなので、ラジエルって情報屋については、どんな人物なのかは謎のままでいる方がいいみたい。ということで、皆さんそれぞれに、五歳児でも四十過ぎのおっさんでも、お好きに想像してください。俺もそうします。おっぱいのでっかい美人だといいなあ。
俺達と一緒に天ぷら蕎麦を啜りながら、比企はラジエルからのリポートを読んでいた。器用。おいしいんだから、もっと集中してお食べなさいよ。もう。えびぷりぷりだし、お出汁もおいしいよ。
ひと頻り食い終わって、全員で代金出し合ってまとめてお勘定。結城がレジで支払いしてる間、比企はどこかへ電話をしていて、全員が店の外へ出て待っていると、やっと合流。済まない、とひと言、それでは行こうか諸君、と先頭に立って案内を始めた。
「嵐山ではとにかく歩くのだと、覚悟しておきたまえ」
比企の宣言通り、俺達はひたすらてくてく歩いた。
まずは遠いところへまっすぐに向かって、徐々に駅へ近いところに寄せていく。祇王寺から二尊院、常寂光寺、さっき美羽子のリクエストで立ち寄った野宮神社の近く、竹林の道へちょっと入ってから天竜寺。
俺達野郎五人は、各々母親から嵐山の風景を見たいとせがまれていたので、要所要所で端末を出し撮影に励み、更に美羽子と源は景色のよいポイントでツーショット撮影などして、今朝もやっぱり例のお師さんにもらった丸薬で食欲をコントロールしてはいたが、それでも物足りないのはどうしようもないのか、比企はだんごやフライドポテトを買い食いしていた。あまつさえ、祇園の寮に帰ってから食べようと言って、和菓子屋さんに寄って練り切りとか買ってましたが、それはおやつという量じゃないよ比企さん!
美羽子は練り切りを見て、かわいいステキと大はしゃぎしていたが、まあ、うん、女子ってそういうところお得だよね、そういうので楽しいんだもんね。
しかし、旅って面白いものも見られるよね。宿代わりの寮に戻り、夕飯の前にあのリポートを読み始めた比企、夕飯を食べ始めてもながらで読んでいるので、美羽子に叱られていたのが、もうおかしくってねえ。
「ごめん、現役の頃の癖が」
現役ってなんの現役だよ、と思ったけど、そういえばこいつは、俺達が中学生だった頃にはまだ、国連軍に派遣されてスパイとかテロリスト狩りとかやってたんだっけ。
ごめんとちょっと照れながら、比企はリポートの束を脇に置いて飯に集中。
食事を終えた後の片付けを手伝うと、比企は座卓に端末とリポート、キーボードとメモ用紙を広げ、すごいスピードで打鍵しながらリポートの文面と引き比べて、ガリガリとメモを取っていく。何を書いてるのかと、脇からチラッと覗いてみたものの、さっぱりわからなかった。なんとなれば、キリル文字と中国語のちゃんぽんで書かれていたのだ。読ませる気がないというより、こいつのことだ、俺達の安全とか、そういうことに配慮しているのだろう。いつだったか言っていた、訊かれても知らなければ答えようがない、と、まあそういうことか。
比企以外の全員が風呂を済ませると、そこでやっと比企は手を休め、大きく伸びをした。バキバキとすごい音がして、比企はゴロンと座ったまま寝転がる。
「比企さん、どうだった」
怖いもの見たさで、おずおずと結城が問いかけると、うん、とそこで起き上がって座り直した。
「今回の敵は、おそらくこれをルーツとしている」
比企が端末を操作して、画面に新聞記事を出した。日付は二〇三四年の十月。だいぶ昔だな。記事の見出しは、新興宗教団体の過激な活動が問題視されているというものだった。この前、俺達が対峙した団体とはまた違う。記事を読むと、神道をルーツとしてるとかいう謳い文句の、もっと宗教寄り…っていう表現でいいのかな、まあ、いかにも宗教って感じの新興宗教みたいだった。
「ここを千翠の女将さんに売った置き屋の、三代前の主人がこの教団の信徒だった」
まじか。どうやって辿ったんだか知らないけど、プロの情報屋ってすごいところから掘り出してくるね。
祇園では問題になっただろうなと比企は言って、みんなの分もお茶を淹れた。
「この街では、たいがい建仁寺さんや八坂さん、多少離れた地域であったにしても、京都の街の寺社のお世話になるからな。そこから外れるということは、まあお察しだろう」
わからなくはない。古くから続く街であれば、そういう、なんてことのない部分で付き合いが変わったり絶えたりしてしまうことは、まだ社会に出てない俺も、薄々想像できた。隣のうちで不幸が出たとして、通夜に参列したら、お坊さんがお経あげるのでなく、いきなり訳のわからない歌や踊りで故人を見送ったりする儀式が始まったりしたら、誰だって面食らうだろう。ご近所全員ポカンとすること間違いなしだ。下手すれば「やばい一家」と認定されてドン引きされかねない。つまり、そういうことが起こっていたのか。
幸い、後継者はそんなおかしな宗教までは引き継がず、八坂神社の氏子になって、地域のコミュニティでの立ち位置を取り戻した。肝心の教団も教祖の死去で空中分解して組織の体をなせなくなり、そこで厄介ごとは一代限りで終わり、めでたしめでたし、と思ったのだが。
「どうもそこで、何かがあった気配があるんだ」
比企は茶を啜り、昼間に嵐山で買った和菓子を座卓の真ん中に出した。一人で食べるよりうまいから、と俺達にもすすめて、早速美羽子がえー、いいのぉ? と手を伸ばす。みんなで見た目はオシャレ、食うとうまいお菓子をいただきながらお茶を飲んでいると、比企は話の続きを始めた。八木君、と俺に訊ねる。
「今朝、私が二階の結界を固めていたのを見ていただろう。あのとき私が符印を貼っていた場所はどうなっていた」
ああ、そういえば。
「うーん、昔何か貼り付けたんだろうなって跡が、うっすら残ってたような。写真とかカレンダーとか貼ってたみたいな」
俺の答えに、比企はそれだとうなずいた。
「あれは全部、写真やカレンダーにしては、サイズがおかしかっただろう。神社で配るお札みたいじゃなかったかな」
「言われてみれば」
「あの、私が符印を貼っていた場所はすべて、悪いものが湧き出さないよう邪気を払う、そういう目的で固めるには最適な方角だった。つまり、この寮で千早さんや他の芸妓のお姐さん達が遭遇した怪異は、つい最近のものではない、でもさほど歴史を背負ってはいないということだ。我々が見たのは、ここ数十年の人間が持つ、恐怖というものを具体的にイメージした寄せ集めだ」
なるほど。それであの夜の、バックベアードが云々に話が繋がる訳か。
比企は肩を揉みながら、そういうことで、とオチに入った。
「私は明日、朝食前に八坂さんと建仁寺さんの長老がたにお会いして、当時のことなど憶えている者がいないか、お話を伺ってこようと思う。それほど遅くならないように心がけるが、待ちきれないようであれば、どこへ向かうかチャットででも知らせてくれたまえ。追いかけて合流しよう」
俺達は全員で相談し、リミットの時刻と、大まかに明日観光するエリアを決めた。比企もうなずいて、それではよろしく頼むよとひと言、風呂の支度を始めた。
しかし、夏休みの怪獣退治に続いて、今回の旅でもまた何かが起こるんだろうか。しかも場所柄なのか偶然なのか、今度はガチのスーパーナチュラルっぽくないか。やだどうなるの。ねえ俺達どうなっちゃうの。まあ比企のことだ、間違っても俺達はもちろん、美羽子も全員きっちり何の危険もないところに逃した上でどうにかするだろうけど、肝心のあいつ自身がなあ。平然と捨て身の特攻とかしそうだし。てゆうか実際やらかしてるからね! 夏休みに!
出発の日、比企と美羽子を集合場所へ送りがてら、見送りに来た桜木さんは言ったものだ。
──小梅ちゃんをお願いね。
なんかもうお母さんみたいだけど、でも桜木さんの顔はもっと、なんていうか、露骨に男の顔なんだよねえ。まあね! 愛の告白してまだ何日でもないのにね! ろくな返事すら聞いてないまんま、平気で旅行とか行かれちゃえばね! 俺ならもっとしつこく食い下がるけど、そこは桜木さん、大人だなとは思う。真似できないわ。うん。
確かに雛鶴さんが言ったように、比企と付き合えるなんてのは、桜木さんぐらいドーンと構えてないと無理だな。
それはいいとして、この後俺達どうなっちゃうんだろう。また夏休みのときみたいに、何か手伝いを頼まれるんだろうか。超アリーナで、比企のエレクトリカルマジカルパレードを目撃することになるんだろうか。とはいえ、今からそれを考えて頭を痛めたところで、何がどうなるものでもない。俺は下手な考えを休めて、すっぱりと何があっても受け止める覚悟だけして、フッカフカの布団に埋もれた。
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