第82話 真打・五人とひとりと怪事件 3
ひと晩明けて金曜日。案の定、学校中に俺についての噂が広がったようで、授業の合間の休憩時間ごとに、物見高い上級生下級生が、俺の姿を一眼見ようと教室を覗き込み、教師達は元気を出せよと言わんばかりの慰め顔で、進路調査までに元に戻れるといいな、と微笑んだものだ。
人ごとだと思いやがって。
今のところ、生活面でさして困ったことはなく、せいぜい飯が少し食べづらいぐらいか。サメの体は口が大きい上に、ものを丸呑みするような体のつくりなものだから、咀嚼して飲み込んで、という、人間の食事の仕方が難しいのだ。ゆうべ帰宅したところで、初めて俺の顔をまともに見たお袋は仰天したものの、サメという以外は俺でしかないのがわかると、すぐにけろっとして、いつも通り口うるさく、やれ風呂に入れの飯の時間だのとやり始めたものだ。
夜にチャットルームを見ると、どうせなら土曜もうちに泊まって遊ぼうぜ、と結城が書き込んでいた。親戚が新じゃが芋を大量に送ってきたので、お袋さんとお祖母さんが、悪くなる前に食べ切ってしまいたいと言っているのだそうだ。つまり、バクバク食う俺達を呼んで消化したいということだろう。
じゃがバターで盛り上がっているチャットルームは、比企の書き込みでいきなり引き締まった。
──明日夜七時。汚れてもいい服を着て、上海亭に集合。着替えとタオル、軍手を持って来られたし。
全員が一斉に了解の返信を書き込んだのが、ぽんぽんとチャットルームに表示される。俺も返信を送ると、お袋に金曜の夕方から結城のうちへ行くことを伝えた。
「いくら結城君の家が広いからって、あんまり騒いで迷惑かけるんじゃないわよ。それじゃあお菓子買っておくから、明日持って出なさい。あんた達が食べるんじゃなくて、ちゃんとお家の方に渡すのよ」
「おへーい」
「返事くらいちゃんとしなさいよ馬鹿息子」
とまあ、そんなわけで、一旦家で着替えて出てきた俺は、鞄には筆記具とノートにタブレットの勉強道具と下着の替え、片手にお袋が用意した、ちょっとお高いクッキー詰め合わせの紙手提げを持って、学校最寄りの駅前でみんなを待っていた。結城の家は、この近辺ではちょっとした豪農で、お祖父さんと親父さんが果樹園を経営しているとかで、家族自体が客慣れしているし人の出入りも多い。家もでかいので、こうして俺達のような騒がしい客がいくらやって来ても、屁でもないのだ。
待ち合わせは六時。最後に結城が自転車でヘロヘロ乗り付けて、やっと全員揃った。一旦結城の家へ寄って、お祖母さんとおばさんに挨拶すると、泊まりには参加しない他の仲間と図書館で落ち合うという口実で抜け出し、学校そばの中華屋、上海亭へ向かう。
店に入ると、比企がすでに前乗りして飯を食っていた。
テーブルの上には、空になった皿が何枚か出ていて、今はちょうど特盛ワンタン麺を啜り込んでいるところだ。さてはこいつ、飯を食いたいがために、この店で待ち合わせようと言い出したな。
何となく伝票を見ると、全て特盛で高菜炒飯と青椒肉絲、餃子に蟹玉とあった。どんだけ食うんだよ。てゆうか、あのガリガリの体のどこにこれだけの飯が入っていくのか。
昨日の制服姿とはうって変わった比企の服装は、ラフもいいところなものだった。
ブラウスを腕まくりし、スカートの下に学校指定のジャージを履いた格好もどうなのかとは思っていたが、私服姿よりずっとましだった。白い肌に苺みたいな赤毛のショートボブの美少女が、何で芋ジャージにヨレヨレの珍Tシャツと下駄なんだよ。下駄って何だよ。もう少し他にないのか。
首から上は童話のお姫様。首から下はくたびれた部屋着。
「こういうのを初恋ブレイカーって言うんかな」
結城がそんな感慨を漏らしていて、ふと見れば源がガックリと膝をつき項垂れていた。
「ジャージ…ジャージって…」
一緒に大飯かっ喰らう様を目の前で見ていて、恋に落ちる要素がどこにあったのか。
出入り口に背を向けているのに、戸を開けて中に入った俺達に片手を上げて、こっちだ、と呼ぶ。背中に目でもついてるのか。
何だおめえらか、とつまらなさそうな親爺さんに、それぞれ料理を頼んで、比企の向かいに座った。
「すまんな、腹が減っていたので先に始めさせてもらった。ああ、食事をとるなら軽いものにした方がいいぞ」
食べながら器用に喋る。どう薄目に見ても外国のお姫様顔なくせして、俺たちの誰よりもきれいに箸を使い、駆逐するようにワンタン麺を食べ進めていく合間に、比企は皿を集めて重ねて、テーブルの上に場所を作った。
俺達が頼んだ料理が次々出てくる。いやお客さんに片付けさせちゃって悪いなあ、などと親爺さんが皿を下げてゆく。
俺達が半分がた食べ進んだところで、比企は締めのデザートを注文した。マンゴープリンと宇治金時。外が暑いので、俺達も乗っかってかき氷を注文。ちょうど食べ終わったタイミングで、親爺さんとおばちゃんがかき氷を運んできた。
テーブルが片付いて、かき氷をつつきながら作戦会議が始まった。
この作戦の成否、今夜の結果次第で、俺は怪奇半魚人になってしまうのだ。それだけは勘弁だ。俺は人間として生きていきたい。
みんなの顔も、心なしかいつもより真剣だ。そうだろう、つるんで遊んでいた友人がいきなり半魚人になっただなんて、人に説明しにくいったらない。
比企は瓢箪と絹のロープの束をテーブルの上に置いて、段取りはこうだ、と切り出した。
二時間後。俺は河川敷のグラウンドの真ん中で、縄で縛り上げられ座らされていた。
「まず、川に近くて開けた場所が望ましい」
比企は宇治金時のスプーンを手に言ったものだ。
「八木君にはその中心にいてもらって、みんなにはその周りで、キャンプファイヤーでもしてもらいたい」
盛大に焚き火でもして、とにかく暑い状況にしてほしい。奴は水に棲む怪だ、耐えられなくなって出てくる、そこを捉える──。
俺達もしかして焚き火係? と訊ねる源に、だけじゃないぞと比企は猫のように目を細めた。
「その、八木君の体から抜け出ようとする時が肝心だ。気配を消すため彼の体にがっちり絡んで潜んでいた分、抜け出るのは大事だ。のたうち回る八木君をねじ伏せて、怪物の魂魄だけを引きずり出さねばならない。君達には、そのときにしっかり彼を押さえ込んでもらいたい」
「それだけ? 」
「それだけ」
分かったようなわからないような。ともあれ、そのまま携帯端末で地図を見て、場所選びにかかった。結果、このグラウンドなら人家が少なくて、夜にはあまり人も通らないから、盛大に焚き火をしたところで、あまつさえ化物退治に取りかかったところで、騒ぎになることはあるまい、と決まったのだ。
あとは実行あるのみ。
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