第81話 真打・五人とひとりと怪事件 2

 ここだったか、とひと言、スタスタこちらへ近づいてくる。

 あ、と忠広が俺達の袖を引いて耳打ちした。

「隣のクラスの比企だろあれ」

「あー」

「そうだ比企だ。比企小梅。春に転校して来た」

「校長が我が校始まって以来の天才とか言ってた、あいつな」

「何でこんな公立の、鰻でいうなら竹の中程度の高校なんかに来たのか謎だよなあの女」

「てゆうかこっち来てないか」

「誰に用があるんだよ天才様が。俺らみてえな凡人相手に」

「待て、今の俺達にはヤギがいる」

「サメなのにヤギという奇跡のコラボ男」

「八木君、研究対象だって標本にされちゃっても、俺達ズッ友だお! 」

「ときどき会いに行くからね! 」

「いつまでも忘れないよ! 」

「何殺してんだよ俺を。故人扱いすな」

 珍客に対する緊張は、十秒と保たなかった。どんどん漫才じみてくるやりとりを重ねる俺達の頭の上から、おい、と掠れたアルトが降って来た。

「貴君が八木真か。なるほどな」

 俺の顔を見て、ふん、と鼻を鳴らしてからうなずく。

 初めてまともに顔を見た。

 俺も初めてまともに見たが、どうやら全員が同じように初対面だったみたいだ。つまり。

 俺達は、揃って息を飲んで、それからくるりと背を向けて、額を寄せ合い密談を始めた。

「何だあれ比企ってあんな顔してんのかよ」

「天才様があんな顔してるなんて聞いてねえ」

「激しく同感」

「何だあの美少女顔。ベッタベタのお姫様顔だろ。それもヨーロッパの童話とかにありそうな」

「いやでもマリコちゃんには一歩を譲るぞ」

「待て、その根拠は」

「マリコちゃんにはおっぱいがあるだろうが。比企はあれ相当なまな板だぞ」

「いうたらマリコちゃん純日本人じゃん。美人だけど。比企ってなに人なのよ。あの外国人顔は」

「それにしても態度でけえな。天才だからって」

「日本語不自由かよ」

 相変わらずヒソヒソを続ける俺達に少し焦れたのだろうか。先ほどよりやや不機嫌そうな声が、頭の上からぶつけられた。

「昼休みが終わるぞ、女ひとり相手に、男がこれだけ雁首揃えてまともに喋れもしないか。だらしのない。早く渉外役を決めろ。私はこれで結構忙しい」

「うわすげえ口悪い。なにこいつ」

「失礼しちゃう。キーッ! 」

「話って誰にどんな話しに来たんだよ見当もつかんわ」

「そりゃあ、話ったらやっぱヤギだろ」

「研究材料? 」

「他に何がある」

「生体解剖? マッドサイエンスの夜明け?  」

「だろうな」

「ヤギちんオタッシャで」

 そこへ、いい加減にしろ玉なしどもが、と、吐き捨てるような文字通りの罵倒が。

「何だと失礼な! ちゃんとついてるぞ見せてやろうか? 」

 売り言葉に買い言葉、とばかりに向き直った結城。俺達の中で一番あほ丸出しな発言は大概こいつのものだが、立ち上がろうとした結城は、比企の細い右足一本で制圧された。額をガツンと踏みつけられたのだ。

「やだ! 立てない! ヤギちんヘルスミー! 」

「ヘルプだろヘルプ」

「癒してどうする」

「あ、そっちか、そんじゃヘルプミー! 」

 足の下で結城がジタバタしているというのに、そのまま微動だにせず、比企は涼しい顔で切り出した。こいつの体幹はどうなってるんだ。

「貴君らの玉なんぞ見るまでもない。いいだろう、それならここにいる全員に協力してもらうまでだ。──八木君、」

 それまで無表情だった比企は、俺を見据えると、貴君元の体に戻りたくはないか、と言って、顔に似合わぬ太々しい笑みを浮かべた。

 

「元はといえば、まあ私のしくじりでな」

 放課後。俺達は学校の正門から斜向かいの中華屋にいた。

 俺達の目の前で、特盛チャーシュー麺と餃子を出汁の一滴まで平らげてから、特盛五目炒飯に取り掛かりながらそう始めた比企は、そこでおや、と目を上げて、俺達を見ると、どうした食べないのか、と訊ねた。

「遠慮は不要だ、私の手伝いをしてもらうのだからな、払いは当然私が持つ。ああ、手伝いの報酬は無論、これとは別だ、前金や手付だと思って安心してくれ」

「いや、お構いなく」

「どうぞどうぞ」

「僕ら胸がいっぱいで」

「気にしないで比企さんはいっぱいお食べよ」

「あたしダイエット中だから」

「む、そうか。杏仁豆腐だけでいいとは、高校生男子は意外と少食なのだな。まあ、私も帰れば保護者が夕飯を作って待っているからな、腹半分でやめるとしよう」

 とか言いながら、カウンターの向こうの親爺さんに棒棒鶏と焼きそばを特盛で注文している。おそろしい子!

 話を戻そう、とひと言、あっという間に炒飯と付け合わせの卵スープまで空にして、次の料理が来るまでの間、比企は話を続けた。

 聞かされたのは、概ねこんなことだ。

 まず、比企はただの天才などでなく、道士の修行をしているのだという。学業は片手間に、社会勉強としてやっているのだそうだ。

「師父と師公と母上が、ちょっとは一般常識を身につけておけと口を揃えて言うのだ」

 こいつが片手間にやってる学業を、本分としている俺達の立場 is 何。

 それはともかくとして。

 おとといの夜のことだったそうだ。

 比企は師父、つまりお師匠さんの命令で、弟弟子と一緒に、近頃この町を流れる川で相次ぐ怪奇現象の調査に出た。聞けば市役所と市の警察署長からの依頼で、馬鹿でかい魚の化物のような生物に、ホームレスや散歩中の犬、地域猫などが食われる被害が数件あったのだそうだ。

 まあ、調査というより、ほぼお師匠さんが正体の見当はつけていて、あとは実際に行って確認して、その通りであればしかるべき手を打つだけ、という意味での「調査」だったそうだけど。

 指示通りの道具を持って現場へ行ってみると、案の定、お師匠さんの言う通りの怪異であったので、比企は弟弟子と二人して、早速捕獲に乗り出したのだが、

「小虎が、俺が銛を撃ちたいと言って聞かなくてな。初手で撃ち漏らすと警戒されて、しばらく捕獲も退治も難しくなる。あまり煩くねだるので、仕方なく私が仕掛け網に追い込んで、銛撃ちをやらせたはいいが、あの馬鹿、急所を外しやがった」

「いや待って比企さん、ここまでの流れで既に俺達不思議がいっぱいなんですが」

「なあに俺達の住んでる町には、そういうお化けがウヨウヨしてるの? 」

「一介の高校生が化け物退治してるの? 」

「何それなんてアニメ? 」

「しかも美少女戦士って、属性盛り過ぎ問題」

「それでここからが本題だ」

 俺達の質問は、全部見事に無視された。

「奴の体は捉えたのだがな、馬鹿が急所を外したものだから、肝心の魂魄は逃げ出してしまった。どうにか痕跡を追って行ったところで、着いた先が八木君、貴君の家だ」

 えっ。

「じゃあ、ヤギちんがヤギなのにサメになったのって」

「魚のお化けのせい」

「やだコワイ」

「いやでも川にいたんでしょ。そんなら川の魚になるんじゃないの」

「サメって海の魚じゃねえかよ」

 まさやんがバケモンってでたらめだなと言うと、そうだなと比企はうなずいた。

「何せ怪異だ。連中にはそんなこと、些細な問題なのさ。──さて、」

 大まかだが、事情は理解してもらえたかな、と俺達の顔を順繰りに見たところで、焼きそばと棒棒鶏が来た。

「何だお前ら、こんな美人、いつ知り合ったんだ。毎日男ばっかり五人でぞろぞろ来やがって、もうちっと色気持てと思ったら、隅に置けねえな」

「いや親爺さん、そういうんじゃないから」

「そうそう。ヤギの今後がかかってるの」

「このままだと進路希望がサメ一択になっちゃうから」

「おう、そんときゃうちに来い。宴会でヒレ使ってやるからよ」

「勘弁してよー」

 親爺さんは遠慮がない。何せ俺達は、毎日のようにここでラーメンを食って帰るのだ。

 そんな親爺さんとの会話を、比企はまったく聞いていなかった。皿が目の前に出た途端、待ってましたと焼きそばを啜り込み、棒棒鶏をもりもり食っているのだから。あっという間に半分程を胃に収めると、こんな名店がこんなところに潜んでいたとは、と呻いた。

「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえかお嬢さん! 聞いたか、おめえらもこのぐらい気の利いたコメント言ってみやがれ」

 親爺さんは満更でもないという顔だけど、比企はまるで聞いちゃいない。メニューを見ながら、青椒肉絲も気になるが、とぶつぶつ呟いている。

「気になる…だが、あまりここで仕上げてしまうと夕飯が…。そういえば今日はビーフ・ストロガノフにすると言っていたな。曽祖母様にレシピを教わったと張り切っていた」

 そして、苦渋の決断と言わんばかりの口惜しげな表情でメニューを閉じた。

「明日だ! 明日来ればいい! 明日だって食べられる! 大人になれウメチカ! 」

 震える手でメニューを戻し、呻くような声でひと言、お会計を、と言う。そんなにか。

 俺は見た。支払いの瞬間、比企が出した財布のカード入れに、ブラックカードがあったのを。

 まじで何者だこいつ。

 食後のジャスミン茶を啜りながら、美人にはサービスだと親爺さんが出した胡麻団子を頬張り、比企は本題に入った。

「諸君に頼みたいのは他でもない、八木君の体に潜り込んだ魂魄の殲滅の手伝い。できるだけ早くかかりたい。申し訳ないが、協力してはもらえないだろうか」

 何それ。そんなの一般人の俺達に務まるんですか。

 いや、他ならぬ俺の体だからね、すぐにでもどうにかなるならしてほしい、ってのは本音だけど。できるの。どうにか。

 そんな俺の戸惑いを見て取ったのか、できるぞ、と比企はまっすぐ俺の目を見据えて言った。

 吸い込まれそうな、黒目がちの大きな瞳だった。マッチ棒が余裕で五本は乗る睫毛だった。虹彩の縁を髪一筋ほどの蛍光ピンクの光が取り巻いて、北の冷たい海のような、青とも黒ともつかない深い色の瞳だった。

「大丈夫だ、方法はゆうべ師父が教えてくださった。あとは、一刻も早く実行するのみだ」

「…まじで? 俺、元に戻れるの? 」

「戻れる。ただ、あまりこのまま放っておくのはいけない。体が魚に馴染んでしまう。そうなったら、貴君はどんどん心まで魚に喰われてしまうぞ」

「じゃあ、逆にいつまでなら平気なんだよ」

 忠広が訊くと、比企はそうだな、と指を折って何か数えてから、三日がせいぜいだなとあっさり答える。

「今日何曜日だっけ」

 源が携帯端末でカレンダーを見ると、あ、木曜か、と呟いて、

「そんなら明日、学校が終わってから、そのまま全員で誰かんちに集まって勉強するってことにしてさ、ヤギちんの体からお化け追い出すの、できないか? 」

「乗った」

「いいぜ」

「そんなら俺んちに集まることにするか」

 全員即答。ありがとう忠広。まさやん。源。結城。俺、お前らと友達になれてよかった!

「随分ノリがいいな」

 もう少し理解できるよう説明しろとごねられるかと思ったが、と胡麻団子を食べながら比企が首を傾げるが、いや、高校生男子のノリなんてこんなもんよ?

 その日はここで一旦解散。

 俺達は比企をチャットルームに招待した。これで細かく打ち合わせができる。あとは明日の放課後を待つのみだ。

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