第80話 真打・五人とひとりと怪事件 1

目が覚めると、サメだった。

 どうしようもないくらいにサメだった。

 俺、八木なのに。

 

 いつもと同じ、遅刻ギリギリの寝覚め。無我夢中でスエットとTシャツを脱ぎ散らして、制服に袖を通して、顔を洗って歯を磨く。口を濯いで顔を洗ってふと、視線を投げた鏡に映っていたのだ。

 ああ、サメだ。

 真っ先に、ぼんやりと思ったのはそんなことだ。単に事実を認識しただけ。

 何せ寝起きだし、何より遅刻寸前だ。サメがいる。だからどうした。そこにいるのがサメだろうとゴジラだろうと、授業は時間になれば始まるし、一限目の古文は先学期の単位がギリギリだった。今の俺にはサメよりも源氏物語、ヒレと牙より五段活用だ。

 どうにかギリギリで授業に間に合う電車に乗った。周りの乗客がみんな、なぜか俺をチラチラと盗み見ているような気もしたが、自意識過剰だろうと思い直した。冴えない高校生なんかを誰が注目するのか。

 電車を降りてバス停に行ったところで、やっと現実を認識できた。いや、正確には、させられた。

 おい、と後ろから声をかけられた。

「…ああお前か、よかったー」

 忠広があからさまにほっとしたような口調で言ったので、こいつはついに壊れたのかと一瞬不安になったが、次の瞬間、奴はボソッと続けたのだ。

「お前、今朝鏡見たのか」

「は? 」

「お前、今サメになってるぞ」

「何が」

「お前が」

 朝っぱらから何を言っているのか。頭がいかれたからって、古文の細川は容赦してはくれまい。

 そう反論しようとして、やって来たバスの窓ガラスに映った自分の姿を見た。

 サメが俺の制服を着て、俺の通学鞄を背負っていた。

 

 まじか。

 勘弁してくれ。

 それよりもまず、パッと頭に浮かんだのは、もっとしょうもないことだ。

 ━━俺、八木なのに。

 ついたあだ名もそのままヤギ。それなのに何でサメ。

 教室に入ると、いつもつるんで遊ぶ友達連中がわさわさ寄って来た。

「やべえ! 忠広がチャットで言った通りだ! 」

「ヤギなのにサメって…」

「見るからにサメなのにヤギってすぐわかるのずりい」

「まじでサメとヤギが一つの体に同棲してる」

 長身を屈めて俺の顔を覗き込んでからのけ反る結城、源、まさやんがまじまじと俺を見てから、忠広も一緒に、仲間四人全員が俯いて肩を震わせている。泣いてるとかでなく、腹を抱えて笑いたいのを堪えているのだ。まさに人情紙風船。しかも忠広は、俺の異変をチャットで拡散と来たもんだ。

「おめえらの友情の深さがよくわかったぜ」

「いやごめんて。ごめんってヤギー」

「今はサメだけどヤギちーん」

「サメ言うな」

 女子も騒ぎを見てとって、人垣に混ざり始めた。

「やだー八木君、すごいじゃんサメじゃん」

「えーねえこれさあ、八木君のこれ、特殊メイクとかじゃなくサメなの? あんた達いつも、すっごい手のこんだいたずらするでしょ」

「待ってガチでサメみたいだよ」

「マ? 」

「ねえねえ八木君ほっぺた触ってもいい? えい♡ …サメ肌。あとちょっとしっとりしてる。うらやましいぐらいしっとりしてる」

 いいよと答える前に、もう軽くつつかれた。

 すごい騒ぎようだったけれど、どうにか始業のチャイムで解放されたのは、一限目が古文で、担当教師が厳しい細川だったからだ。ありがとう細川。これでもう少し授業の内容がやさしいと言うことないんだけどねー。

 いつも通り、始業チャイムと一緒に教室へ入って来た細川は、俺の顔を見るとちょっとだけ目を丸くした。おや、サメがいるねと一言、その表情から見て八木君かなと続けた。

「先生何でわかったの? 」

 すごいすごいと女子の大合唱。イケメンな上に剣道部の顧問も務める細川は、女子と武道系の部員に結構人気があるのだ。しかし本人の趣味はお茶とお華だと言うからわからない。

 そんな、よくわからない古文教師は、いやだって、と答えたものだ。

「君達だって見分けがつけられているだろう。彼は姿こそサメだけど、表情やしぐさは八木君だ」

 おおっとどよめく生徒一同に、さあ、と細川は促した。

「授業を始めるよ。今君達に必要なのは、サメでなく勉学だ。いいね」

 

 やっと昼休みになった。

 午前の授業では、俺の顔を見ると教師陣は一様に目を丸くして、それからどうした八木、と声をかけて来たものだ。世界史のマリコちゃんなど、八木君ほっぺた触っていいかしら、と、クラスの女子と同じようなことを言い出した。マリコちゃんならまあOKなわけだが。

 おっぱいのでかい美人には紳士的に振る舞うのが、俺のモットーだ。

 サメになったからって、何が変わるわけでもないけれど、ぼちぼち噂になり始めているのか、三限の終わった休憩時間あたりから、俺を見物に来たのであろう生徒の姿が見え始めたので、俺達は校舎の屋上で昼飯をとった。俺達の学校では、溜まり場というと、校舎の裏手の通用門に出る裏口のあたりで、屋上にはあまり人は出てこない。夏だしなあ。こう暑けりゃ、風が気持ちよくても室内の方がいいだろう。

 まあねえ、サメだろうと人間だろうと、俺が食べたいと思ったのは、いつも通りに購買のメガカツサンドと串揚げポテトなのだけど。

 最後の一個を勝ち取ったメガカツサンドの味は、格別だった。

「勝者の顔だ」

「いつ見てもゲスい表情だよな」

「悪代官かよ」

「性根があらわれるよな」

 友人達よ、覚えてやがれ。

 そのとき、出入り口の扉が開いて、人影がこちらへやって来た。

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