第4話 五人とひとりと学校の怪談 3章
上海亭で、改めて仲間の絆を確認した翌朝。俺達━━俺と忠広、結城、まさやん、源は、東駅のロータリーに集まっていた。
早朝七時。俺達はこれから隣の県まで行って、ある人物と面会するのだ。
三十年前の女生徒転落事故。その事故の顛末を知る、当時の生徒会長だ。今は電車で片道一時間半程かかる町で、工場を経営しているそうだ。
待ち合わせの七時きっかり、比企はロータリーに姿を見せた。
今日の比企は、今まで見たどんな格好よりも戦闘的だった。
頭には麻のハンチング。チュニック丈の黒いチャイナ服と、おとといもはめていた黒いグローブ。黒いカプリパンツに、黒いアーミーブーツ。そして、もう初夏だというのに白い軍用コートを羽織っていた。しかも手ぶら。
なぜか、その姿に俺は決然たるものを感じた。
比企は俺たちの顔を見て、それから立ち止まる。
「では行こうか、戦友諸君。フェイズ・ワンだ」
俺達はごく自然に、おう、と応えて歩き出す。
ターミナル駅で電車を乗り換えるタイミングで、比企は何処かへ電話をかけてから手土産の菓子折りを買い求めた。
買ったのは虎屋の羊羹。進物のど定番だ。しかも一番高いやつ。必要経費だからな、と比企はレシートをしっかりしまい込む。ちゃんと請求しないと叱られるんだ、と言って、ちょっと笑った。
電車を降りて十分ばかり歩くと、住宅街の外れの辺りに目指す工場があった。
工場というよりは町工場。どこに人がいて、誰に声をかければいいか勝手がわからず、門から入るとでかい工場の棟の、開いたシャッターから奥へ声を掛ける。グオングオンと何かの機械が動いている音がいくつかしている中から、機械油のシミがいくつもついたつなぎ姿の爺さんが出てきて、事務所は二階だと教えてくれた。工場の脇の階段で上がって、無愛想なアルミサッシを開けて声を掛けた。
工場の社長だというその人は、キビキビとしていながらも愛想のいい、ショートカットで目のくりくりした、小柄な女性だった。あんまりおばさん感はないが、小学生の子供が二人いるのだと、俺達を見てけらけら笑う。下にいた爺さんはジブリの映画に出てきそうだったが、この人は少年ジャンプの漫画にでも出てきそうだった。主人公の少年の、腕っぷしは人並みながら逞しくて頭の上がらない母ちゃん。
いきなり見ず知らずの高校生が何人も押しかけて不審に思われやしないかと、まず名乗ろうとした俺達を、比企が目線一つで封じた。皆様でどうぞ、と菓子折りを渡し、ご多忙な中、今日の今日で突然お邪魔して申し訳ありません、まずは見も知らぬ我々にこうしてお時間を割いてくださり、ありがとうございます、と深々と頭を下げる。
「まず、我々の身分についてご不審のことと思いますが、私はこういう者です。こうしてお邪魔したのも、実は私の仕事に関わることで、同行している彼らは私の学友であり、現在私が依頼を受けている案件の関係者でもあります。訳あって、彼らにはアシスタントとして共に動いてもらっている次第です。ここで今伺ったお話は、私はもちろん、彼らの口からも漏れることはないとお約束します」
あの紅白の身分証を、応接のガラステーブルに滑らせて示す。警察庁と内閣府のロゴが入ってるあれだ。どこかで見たような聞いたような、でもこのカードが何なのか、いまいち思い出せない俺。
進藤です、と、俺達に名乗った社長さんはカードをテーブルから拾い上げ、ちょっと目を見張った。
「このカード、もしかして、」
はい、とうなずく比企。
「十年ちょっと前でしたか、国家資格制になりましたよね、興信所や探偵がやたらと増えて、質の低下悪化が社会問題になって」
「つまりあなたは、資格持ちの真物ってことね」
「複雑な事情で、こんな下品な仕事をせざるを得ない身の上でして」
…まじか! でもなんか納得!
思わず顔を見合わせた俺達は、アイコンタクトで仲間が自分と同じ感想を持ったことを確信した。なるほどな、資格持ちなら、高校生の分際で行政や学校から依頼がいくし、金だってがっつり支払われるわなあ。
まあ、友人が人に言えない裏稼業で食ってる訳じゃなかったのは、手伝う側としてはよかった。
そう、と社長さんは息をついて、事務のおばちゃんがお盆で運んできたお茶を俺達にすすめながら、それで何が聞きたいのかしら、と水を向ける。
「三十年前、あなたが生徒会長を務めていらした中学校で起きた、女生徒の階段転落事故」
憶えていらっしゃる限りで構いません、お聞かせ願えませんか、と比企は顔をあげた。
午後一時ちょっと前。俺達はターミナル駅で乗り換えついでに途中下車して、駅前のパスタ屋で昼飯を食っていた。
ついさっき、同じ中学の大先輩から聞かされたことの顛末が、どうにも消化不良を起こしていて、俺も忠広も今ひとつ食が進まない。源もご同様だが、比企とまさやん、結城はすげえ勢いでもりもり食っていた。まさやんと結城は人並みの量だが、もともとよく食う方だ。比企は、まあほら、こいつがあほ程食うのはいつも通りだ。多人数用の大盛りボロネーゼを一人で注文して、ウェイトレスのお姉さんをドン引きさせていた。
それにしても、帰りしなにいきなり、東中の七不思議について訊ねたのは何だったのか。進藤さんも面食らってたぞ。
飯を食いながら、俺達はいつもの上海亭と同じようにワイワイやって、今わかっている限りのことを整理していく。かつて何があったのか。それによって何が起こったのか。なぜそうなったと思われるのか。
あんまり愉快じゃない展開は、どんどん愉快じゃない色を濃くしていく。本当に佑を途中退場させてよかった。ありがとう比企さん。あと君、結構子供好きなんすね。
このあとの予定だが、とフルーツゼリーを優雅に圧倒的に駆逐しながら、比企が切り出す。
「ゆうべあの後にチャットで説明した通り、ちょっと手前の駅で途中下車して、例の事故に遭った女生徒の病院に寄る。異存はないか」
「おう」
「異議なーし」
「はーいでーす」
思い思いに緩い返事。よかろう諸君、と比企はうなずき、フルーツゼリーの最後の一口を殲滅。
「ではフェイズ・ツーといこうか戦友諸君。四十秒で餌を喰え」
「ハートマン軍曹かよ」
そこは個人経営のでかい総合病院で、建物はおととし建て直したばかりだとかで、今風のしゃれた外観だった。総合受付のロビーも、見舞い用の面会室も廊下も、どこもかしこも明るいサンルームみたいで、でも場所柄、やっぱり病院らしくひっそりと静かだった。
比企は迷いのない足取りで、まっすぐエレベーターへ。最上階へ行く。エレベーターの箱の中で、比企は俺達に向き直ると、堂々としていろとだけ言った。
扉が開いて降りると、比企は近所のコンビニに行くぐらいの気軽さで、廊下のどんつきの扉を目指すと、そのままナチュラルに開けて入る。部屋のネームプレートには、井野弥生の文字。間違いない。
空っぽな部屋だった。
日差しが燦々と入る明るい部屋で、奥の方に大きなベッドが一つ。
とにかく馬鹿でかいベッドだ。部屋も広いが、それに見合ったでかさで、枕元には点滴スタンドと酸素ボンベ、バイタルチェックの機材。
明るくて広い。そして、静かだ。部屋の外とは違う雰囲気の、冷たくて取りつく島のない、そんな静けさ。
それと、なんだろうこれは。
…匂い? 何の匂いだろう? 言われてもやっとわかるかどうか、でも気がつくと鼻が嗅ぎつけてしまう。甘い、そしてどこか忌まわしい。
比企の顔は、見たことがないほど険しくなっていた。
ただでさえ白い顔が更に白く、いつも血の気のない唇が微かに赤くなり、頬は硬く引き締められている。ぐ、と喉の奥で小さく呻いて、比企はベッドへまっすぐ近づいた。
馬鹿でかいベッドには、不釣り合いに小さな、がりがりに痩せた女の人が寝ていた。
たぶん、さっき会った社長さん…進藤さんと同じくらいの歳なんだろうけど、でも全然大人に見えない。寝ているその顔は、中学生のようにも見えた。
ずっと眠りっぱなしで、点滴で生きてて、だから痩せてるんだとか、そういうのとは違う理由で、きっと大人には見えないのかもしれない。というか、そもそもあんまり人間のようにも見えなかった。
俺は、さっき聞いたばかりの進藤さんの話を思い出していた。
━━そもそもの始まりが何なのかは、私もよくわからないけどね。新任の先生相手に、新入生が噛み付いたって話が耳に入ってきたのね。
その新入生は、隣の市で大きな病院を経営する医者一家の娘で、蝶よ花よと育てられた、気の強い少女だった。頭もいいぶん、教師相手でも遠慮することがなく、おかしいと思うことはその場ではっきり口に出し、相手をやり込めることもしばしばだったという。
そんな、わがままいっぱいに育てられたお姫様のような娘が相手では、なりたての教師一年生では形なしだ。新学期早々、授業中に少女が、教師相手に派手に噛み付いたという噂が、学校中にすぐに広まった。
以来、もうこの二人は天敵よ。ほら、あるでしょ。コブラとマングースとか、そういうの。まあ、あの先生も結構ねえ。本人が真面目にやるのはいいんだけど、授業態度がいい子ばっかり贔屓したり、いい話はあんまり聞かなくってね。要はどっちもどっちよね。
その気の強さから、クラス内でも浮き上がりがちだった少女だが、週に二度、新任教師が受け持つ国語の授業の時間だけは、息詰まるような同級生たちの期待の視線を集めていた。彼女が教師に反論すれば、揉め事になって授業が丸々潰れるからだ。そんな状況が一年間。
事故は翌年の春の終わりに起こった。
進級して二年生になった四月の終わり。夕方のことだった。
「いきなり起こったそうよ」
進藤さん自身ではなかったが、委員会の用事で居残っていた友人が見たのだそうだ。
昇降口で靴に履き替えようとしたそのとき、何か重いものが落ちるような、硬いものにぶつかるような、鈍い音がした。何だろう、と下駄箱の影から顔を出して、廊下を窺って、そこで見た。
廊下の隅、今の姿見のある辺りで蹲って、立ち上がりかけた女生徒が、頭を抑えてよろめいて、━━すぐに崩れ落ちる。
大慌てで履きかけた靴を放り出し、上靴に履き替える間も無く、靴下裸足で職員室の方へ向かって大声で助けを呼びながら駆け寄って助け起こしてみれば。
ぐったりと気を失うその顔は、口さがなく噂される下級生だった。
どこかから小さな足音が聞こえたような気がしたが、すぐに職員室や保健室から、教師が顔を覗かせ、事態を察して駆けつける。
その新任教師はその後どうなりましたか、と比企が質問すると、進藤さんは、騒がれることは無くなったけど、相変わらず評判はよくなかったわね、とお茶を啜る。
その教師なら、今年から東中学で教頭になってますよ、と比企が言うと、進藤さんは目を丸くしたものだ。
「あらやだ、嘘でしょ。…あんなに教師に向かなさそうな人も、そういないわよ。杓子定規で、真面目な生徒ばっかり贔屓して」
つまりそういう人間だったということか。
比企は掠れた声で、そういうことか、と小さく漏らすと、ハンゴンは違うな、あれじゃあいけない、と呟いた。
「戦友諸君、見るべきものはすべて見た。あとは実行あるのみだ、帰ろう」
そして俺の顔をチラリと見て、八木君もあれに気がついたか、と軽く背を叩く。
そしてフェイズ・スリー。日暮れを待って俺達は、懐かしき我らが母校、再び東中学へ。
東駅へ戻った俺達一行は、駅前のオンボロ喫茶店で時間を潰しがてら、比企が今日の二件の訪問でわかったこと、そこから考えられる推測を聞かせてくれた。俺達は、ポット二杯の紅茶とアイスコーヒー五杯で粘りながら、これから何をするのか、段取りを打ち合わせた。
忠広の電話で知らせを受けた立花は、校門で俺達を待っていた。
俺達の表情と比企の格好を見て、何か察するところがあったのだろう、立花は黙ってうなずいて、先に立って俺達を案内する。時刻はもうすぐ午後六時。下校時刻は近く、校内に生徒はほとんど残っていない。
比企は無言で軽く帽子に手をやり一礼すると、狼の目で後者を見渡し、それから立花に続いて歩き出す。俺達は昨日と同じ、客用昇降口で靴を脱ぎ、あの大鏡の前に立った。
そして唐突に始まる、比企のマジカルバトルオンステージ。
まず、比企はコートの内懐から赤いスプレー缶を出すと、鼻歌まじりに遠慮も会釈もなくぶっかけて書き始める。スプレーアートなんかではない。赤一色だし、書いているのはお札とかでよく見るやつだ。あの、下の方に急々ナントカ書いてあるあれだ。
こんなものかと軽くため息をついて、それから比企は指を組んで、低い声で何やら唱え始める。
「イーレイは黄金と緑滴る楽園、その在り処は小鳥だけの知るところ。
両手を解いて比企は小さな木の剣を出して鏡を差し、星形を描く。
「木行を以て梢吹く風となす。急急如律令! 」
その瞬間。中庭に面した窓は閉まっているのに、強風が起こった。比企を台風の目のようにして。
そのまま間髪おかず比企が吼える。
「井野弥生、あらわれよ!
ごうごうと吹く強風の中。
それは唐突にあらわれた。
風に煽られる俺達、はためく比企のコート、それなのに、彼女のツインテールもスカートも微動だにしない。
スプレーの呪文の向こうにひょっこりあらわれた彼女は、キョトンとしてこちらを見て、それから、そっと手を伸ばし━━、
比企はその機を逃さず、弥生の手を摑んで鏡から引きずり出した。
「さあ、行くべきところへ行くといい。気が向くまま歩くだけで、当たり前につける場所だから」
優しく声をかけてそっと手を離すと、風は天井へ向けて一際強く吹いて、さっと眩しい光がさして……瞬時にやんだ。
もう、ツインテールの少女もいない。
比企は莞爾と笑って木の小剣を懐へしまった。
「これにて李剣聖一門流魂呼ばい、見事成功なり」
しばしの空白。
俺達は揃って呆然と口を開けてへたり込み、それから我に返った。
「おいヤギ、もしかして、」
「…うん」
忠広と俺がうなずき合う。結城と源、まさやんが事態を理解して、っしゃああ! とガッツポーズ。
向こうでは立花が比企に感謝と感嘆の言葉を並べ、何度も頭を下げている。それには及びません、と淡々と答える比企。俺達は何だか腹の底からムズムズと、どでかい達成感が沸き起こった。一斉に腹を抱えて笑い出し、そのまま比企と立花にタックル! やったやったとけらけら笑って、肩を叩き合った。驚いた比企と立花も、すぐに一緒になって笑い出す。
これで、もう井野弥生もこんな鏡になんか閉じ込められず、自由になれるのだろう。きっと。学校の怪現象もおさまった。全部が丸く万事解決だ。
やったぞ佑、もう何も心配ないからな。
その日はそのまま、夕涼みがてらみんなで駅前まで歩いた。
立花も一緒についてきて、夕飯を食おうと誘ったが、この展開を考えれば、きっと奢ってやると言い出すだろう。下手すれば比企が食う分だけで、立花の手持ちの金は溶けてしまう。俺と忠広はコンビニでアイスでも買ってくれればそれでいいと言って固辞した。
アイスを食いながら歩く道すがら、井野弥生の身の上について聞かされた立花は、よかったと何度も言って泣いた。
「だってなあ、卒業もできず、ずっとあんな鏡の中に閉じ込められて、独りで何年も、他の生徒がみんな卒業していくところを見ているしかなかったんだろう。よかったじゃないか」
やっと自由になれたんだと言って泣く。
源が、いい先生だなとしみじみと言った。
そうだなと比企もうなずいた。
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