第68話 五人とひとりと海から来たもの 4章

 君らの気持ちもわからないじゃないけどさ、と町に一人配属されているお巡りさんは、くたびれた表情でため息まじりに言ってから、出涸らしのお茶を啜った。

「いや、気持ちとかの話じゃなくて」

「あくまでも現実の話してるんすけど」

 源と忠広がうんざりしたように繰り返して、なんでなんすか、とまさやんが畳み掛ける。

「いくらなんでも、勾留の理由がそれじゃあ、上に報告あげるときにお巡りさんが突っ込まれるんじゃないんすか」

 そうだそうだと結城も乗っかる。

「他所から来て目立つ人間だから、って、そんな理由でなんで比企ちんがローヤにぶち込まれるんすか」

 俺もここぞとばかり、結城に続いた。

「そうっすよ。第一発見者っていうんなら、比企さんと一緒に居合わせた俺ら五人だって同じくらい怪しいっすよ。俺らだって他所から来たし、同じくらい町の中で浮いた行動してたと思いますよ」

「ヤギよく言った」

「後でうまい草生えてるとこ行こうな」

「ほら見ろ! ヤギでさえこのくらい冷静に判断できるんだ! なんでお巡りさんがそんなこともわかんねえんだ! 」

 ギャアギャア騒ぐ俺達だが、お巡りさんはだってそりゃあ、とあっさり返した。

「君ら全員、真っ青でプルプルしてただろう。あのお嬢ちゃんだけが薄気味悪いくらい落ち着いてたじゃないか」

 そこか! 俺は駐在所の天井を仰いだ。

 大体さ、とお巡りさんは続けて、

「いきなり死体に出くわして、あんな落ち着き払ってる方がどうかしてんだわ。君らのお友達は、一体どういう人間なんだ? 」

 まあ今県警から東京に身元の確認頼んでるからな、いずれわかるだろうけど、と結んで、お巡りさんは出涸らしのお茶を啜り、さあほら帰った帰った、と俺達を追い出した。

 

 凪の浜の町を訪れて三日目。

 お巡りさんとのやりとりで何となく、お察しのことと思うが、我らが盟友・比企小梅は、何の因果かこの駐在所の牢屋にぶち込まれているのだった。

 ねえ一体どうなってるの。

 

 ことの起こりは今朝早く、今日は比企と一緒に手合わせをしようと剣士トリオも早起きし、つられて俺と忠広も一緒に起きて、宮本本家の屋敷の広い庭で軽く体をほぐし、後から起き出した先輩と一緒に、朝飯前に散歩でもしようや、と町を歩いていたときだった。

 何となく川沿いを海まで歩いて、なんとなく渡海船の倉庫の前までぶらぶらと、だべりながら歩いてきたと思っていただきたい。

 倉庫の前に人が倒れていた。

 やっと日が昇ったくらいの時間で、冬の早朝に倒れる人というのがなかなかにシュールで、俺はそれが誰なのかとか、どうしてこんなところでとか、まるっきり考えられなかった。そういう、現実的な見方をするスイッチがオフのままになっていた。

 真っ先に動いたのは比企だった。そのおかげで、謂れのない疑いを招くことにもなったのだけど。

 苺色の髪を海風がめちゃくちゃに吹き散らすのにもお構いなしで、比企はまず、首元に指をあてがった。それから鼻先に手をかざし、やたらとゴツい腕時計を見る。

〇七〇六マルナナマルロク時、死亡確認。それにしても、こんなところでなぜ」

 え、死亡? 死亡ってあの死んでるっていう死亡? 

「比企ちん何してんの」

「てゆうかその人」

「あ」

 狼狽えて身を寄せ合う結城と源。先輩が寝ているんだか、比企のいうのを信用するなら死んでる──まあ、生きてるとかただ寝てるだけとはあまり思えないような、不自然な違和感がべったり張り付いているから、まあ死んでるんだろうけど、その人を指差して、その人、と声を上げた。

「昨日の町長」

「あ」

「まじか」

 言ってから自分の発言の内容に、我に返って膝が笑い出した先輩は、指の関節が白くなるほど竹刀の袋を握りしめていた。

 その間にも比企は、町長の遺体を動かさないよう観察している。いや、状況に順応しすぎだろ!

「冬場の屋外、おそらくは夜間からこのまま放置されていたのだろうな。直腸温を今すぐ取れれば正確なところがわかるが、医師もいないのにそれは無理か。とりあえず触れると冷え切っていることから、それなりの時間放置されていたのだろう。着衣に乱れはなし。濡れてもいない。周囲には手荷物の類はないが、着衣のポケットなどはどうかな」

「比企ちんちょまー! 」

「何冷静に観察してるんすか」

「何してんの比企さん」

「観察の前に通報でしょー! 」

「待ってねえ俺エボチワル」

「待て結城吐くなよ! 我慢しろ! 」

 源、忠広、宮本先輩、俺、結城にまさやんが一斉にパニックになって喚く。比企はそこで、そうだった通報だった、と大欠伸を一発、携帯端末を出した。

 にわかに起こった椿事に泡喰ってお巡りさんが駆けつけるまで、比企はそのまま町長の観察を続けていた。どんだけ神経太いんだこいつは。結城と忠広と俺が、揃って目の前の海にケロケロ吐いていたというのに。

 

 鉄格子の向こうで、比企はめちゃくちゃリラックスしていやがった。

「こういうときにジタバタするのは悪手だよ戦友諸君」

 しこたまポテチやジュースを買い込んで、差し入れを持ってきたという建前で面会に漕ぎ着けた俺とまさやんを見ると、比企は心配するなと泰然と笑って言い放った。

 三十過ぎくらいか、お巡りさんは最初、面会したい、差し入れを届けたいという俺達を突っぱねたのだが。

「おまわりさん、なんでおねえちゃんかえってこないの? 繭おねえちゃんとあそびたいよ」

 比企が朝食の席にいないのを不審に思った繭に問い詰められ、誤魔化しが効かなくなった先輩の口から聞いたのだろう。繭が駐在所へやってきて、子供のように、ってまあ繭は子供みたいなものだけど、おまわりさんのいじわる、とわあわあ泣き出した。近隣の爺婆が出てきて繭をあやし、ミガワリサマの頼みを断るのか罰当たりの若造が、と責め立てるに至って、地域の高齢者を敵に回すのは面倒と折れたのだった。

 勾留室は狭いので、俺とまさやんが代表で入り、そこに繭がくっついてきた。

「言っておくけど、今回だけだからね。特別だよ」

 幾分げっそりした顔で勾留室の戸を開けながら、お巡りさんが釘を刺す。

「俺だってさ、いくらなんでも町の高齢者全員敵に回したら仕事になりゃしないからね。ミガワリサマが絡んだら、町中が敵になってもおかしくないやな」

 なにせこの町は町長なんてお飾り、実質ミガワリサマが動かしてるようなもんだからね、とため息をついて、まだ鼻をぐずぐずさせながら、おねえちゃんにいじわるをするおまわりさん、とジト目で自分を見る繭をチラリと窺って、まあ手早く頼むよ、と中へ入るよう促した。

 それでいざ当人に会ってみれば、この寛ぎようなんだから、カチッときても仕方ないよね? 

「おねえちゃん、はやくおうちにかえろうよ」

 難しいことはわからない繭が、きょうのおひるはねえ、じいじがおもちをつくんだよ、とのんびり言うが、うーん、ごめんな、ちょっと難しいかもな。

 比企はそこでちょっと鉄格子ごしに、お巡りさんをニマニマとした笑みで見ながら繭に耳打ちした。

「実はお巡りさん、この部屋にお化けが出るから怖くて眠れないっていうんだ。だから、今日はここに泊まってどうにかしてくれないかと言われてね」

 繭がケラケラ腹を抱えて笑い出した。

「おまわりさん、おばけこわいんだー! おとななのにー! 」

「怖くておしっこにも行けないそうだよ」

「繭こわくないし、おしっこいけるよー! 」

 お巡りさんは情けない顔で聞いているけど、まあ、繭におねえちゃんをだせとごねられるよりは遥かにましだと腹を据えたのだろう、実際、繭は比企の言葉で納得したようで、おねえちゃんかえろうよ、という言葉はピタッっと引っ込んだ。

 面白くはないだろうけど、この町で今後も仕事をするのだと考えると、当代のミガワリサマである繭のご機嫌を損ねて、町中の高齢者に睨まれるのはやりにくかろう。

 繭の興味がいもしないお化けに移ったのを見て、比企は俺とまさやんに小声で訊ねた。

「大方の予想はつくが、あの巡査は東京に私の身元を問い合わせた、とか言ったのじゃないか」

「ビンゴ」

「県警通して問い合わせたって」

 まさやんと俺がうなずくと、そうか、と奴はひと言、おそらく明日かあさってには出られるだろうから、そう深刻にならずにゆっくり過ごしたまえよ、と片付けた。いや落ち着きすぎだろ。

 そこではたと何かに気がついて、比企は鉄格子を挟んで俺とまさやんに耳打ち。

「まさかとは思うが、私の相棒にはまだ何も知らせてはおるまいな」

「え」

「いやどうだろ」

 すっとぼけるが、すまん比企よ。俺とまさやんがここに来てる間、居残り組の三人が桜木さんに知らせを入れて、手が空き次第、町に出て情報収集を始める手筈になっているのだ。当然、俺ら二人も帰りがけに合流する。

「さっきあのお巡りさんから聞いた話じゃ、追っ付け県警からも応援が来るだろうから、それまでは現場保存と、関係者に事情聴取とアリバイ確認するって」

「ふん」

 まさやんが報告して比企の気を逸らせた。そうか、とさして考えるでもなく、赤毛の探偵はまあ心配ないだろうさ、と安請け合いする。

「後ろめたいことがなければ、いずれはっきりわかるだろう。貴君らはお屋敷に戻って、先輩やご隠居を安心させてあげてくれ」

 いや、だから。もっと動じなさいってば。

 

 駐在所を出たところでチャットルームを覗くと、案の定、桜木さんの凄まじい長文連打が待っていた。

「何それ」「小梅ちゃん完全に無実じゃない」「ひどい話だよ」「僕も詳細調べてすぐにそっちに行くから」「君達は無茶しないでね」「僕がそっちに着くまで待ってて」…すごいなこの人の行動力。比企は比企なので、桜木さんの自分に対する気持ちは知っているのだけど、特に答えを返すでもなく態度を表明するでもなく来ちゃってて、俺はあまりに何も変わらなさすぎるのを見かねて、桜木さんにしんどくないのかと訊ねたことがあったのだが、それに対する答えがあまりにもすごかった。

「え。八木君は好きな女の子に見返り求めちゃうタイプ? 」

 何を言ってるんだと言いたげな桜木さんの顔に、俺の方がむしろ面食らったものだ。

「小梅ちゃんは僕を信じられなかったら、うちに連れてきたあの夜の時点で、適当な嘘でもでっち上げていなくなっちゃうこともできただろうし、仮にうちに住み続けたとしても、僕の料理なんか無視しちゃうことだってできたんだよ。でもそうじゃないってことは、僕を信じてくれてるんだよ。それだけじゃいけないのかな」

 おおすげえ。一瞬感動すらおぼえたのだが、一秒後にはごめん嘘! と桜木さんは顔を覆って膝から崩れ落ちた。

「本当なら欲を言えば、僕だってもっと、小梅ちゃんといい感じになって、ちょっと、その、イチャイチャしたりしてみたいけどさ! でも、小梅ちゃんにそれを強いるのはもっと嫌なんだよ! 彼女の自由な意志を完全に守った上で、そうなれるなら言うことないけど! てゆうかもう、ぶっちゃけると、自分の気持ちを押し付けて嫌われる方が怖いんだよ! 僕どうしたらいいのかな、ねえ八木君この気持ちわかってくれる? 」

 俺はそのとき、女子か! と突っ込まなかった自分を褒め称えたい。なんか、誰もが羨むすごいスペックのイケメンが、ここまで女子みたいな悩み方するとは思っても見なかった。

「すごくカッコ悪いけど本音を言うと、見返りとかもうどうでもいい、とにかく僕という存在を否定しないでくれれば」

 桜木さん、なんか、その、ごめんね! 応援してるし、なんかあったら協力するから!

 まあ、それはどうでもいいんだ。今はあれだ、桜木さんに火がついちゃって行動起こし始めてるんだ。

 いざ比企と顔を合わせたときに、どう赤毛の探偵を宥めるか、まずはそこを考えておかないと。

 さて困ったぞと眉間を揉んでいる俺だが、そこでチャットルームにピコンピコンとコメントが入った。

 ──部活帰りの中学生発見、結城が声かけたら、顧問の代打で来るはずの教師がいつになっても来なくて、バスケ部の顧問から今日は帰ってよしって言われたってさ。

 ──顧問の代打は端末に何度電話かけても応答なし、どうも様子がおかしいってんで、他の部活の子も全員早めに帰されて、まず学校に出てきてる教師が自宅に様子見に行くことにしたそうだぜ。

 忠広と源がコメントをあげる。たまたま剣道部員を見かけて、まさやん含めた剣士トリオはどこに行くにも竹刀か木刀を持って歩くのが当たり前になってるので、そこで意気投合したみたいだ。東京から来た大学生で、しかも大会に出れば全国ニュースで取り上げられもする大河内学園の剣道部員、とくれば、そりゃあ小さな町の剣道少年からすれば、多少憧れくらいおぼえるだろう。特に結城は、普段纏う空気がゆるいせいか、図体がでかい割に際立って話しかけやすい。源も人当たりが穏やかで気さくだから、さほど緊張することなく世間話のつもりで、少年達は色々話したのだろう。

 ──顧問の代打頼まれた先生は、歴史教えてて、教えるだけでなくて実際に自分も歴史が好きっていうタイプなんだってさ。歴史オタク。

 比企ちん生きてた? の言葉から入って、結城がコメントをあげた。

 生きてるどころかピンピンしてらあ、とまさやんが返信。

 ひとまず俺達は、昼食をとらせるために繭を宮本のお屋敷に送ってから、みどりばあのお店、だったか、昨日繭がお菓子を売っていると教えてくれた店で落ち合うことにした。

 訪れた店は、なんとも言えない凄まじい品揃えだった。

 基本は駄菓子屋なのだろうか、木枠のガラスケースに駄菓子が並んでいて、入口から突き当たりには、カウンターというより番台とでも言いたくなる、座敷からの小上がり。そこもまた細かい品物が並び、カウンターの前には大学ノートや消しゴム、シャープペンや替え芯が置かれて、店の左右の壁は所狭しと駄菓子や飲み物、生活雑貨、子供の小遣いで買える簡単なおもちゃがひしめいている。

 店先では、結城と源が剣道少年二人に何やら指導していて、忠広がそれをぼんやりと見ながら、小さなプラスチックフォークでおやつサイズのカップ麺を食っていた。

「どうだった」

 死んだ魚みたいな目でぼんやりと、にわか剣道教室を眺めながら、忠広がちまちまとカップ麺をフォークで掬い上げて啜った。

「まあ予想してた通り、屁でもねえって感じだったよ」

 まさやんの答えに、桜木さんのことは、と息を吐くついでの発声のような気のない声で重ねる。

「バレてない、と思いたい」

 俺が言うと、まあなあ、比企さんだもんな、と忠広はため息のように応じた。

「ずっとあれやってんだ、あいつら」

「どのくらい? 」

 訊ねると、ずっとだよと忠広はカップ麺の汁の残りを飲み干した。

「お前とまさやんに差し入れ持たせた、あれから割とすぐ」

 かれこれ二時間はあれをやってる計算か。よくやるよ、と言いかけたところで、まさやんが参加した。突きの名手の結城、逆胴の源に、唐竹割りとあだ名がついたほど見事な脳天からの面打ちがお得意のまさやんと、大河内学園剣道部のルーキー三羽烏が揃い、中学生大歓喜。

 まさやんが入ったところで、選手交代、と源が抜けた。まさやん・結城と目配せ一つで打ち合わせて、お待たせ、と薄くかいた汗をハンドタオルで拭きながら、俺と忠広と連れ立って、近くのカラオケスナックへ向かう。

 カラオケスナックは、まだ日も高いというのに近隣のご老人が集まり、気持ちよく歌い飲んで大盛況だった。熱気が立ち込め、お立ち台では男女がデュエットし、カウンターでは人の歌ってるのはそっちのけで、年季の入ったママさん相手に話し込む爺さんもいる。

 店に入り込んだ場違いな若造三名は、あっという間に空間に馴染んだ。主に源のおかげで。祖父さんっ子祖母さんっ子の源は、持って生まれた奇跡の孫オーラで店内の高齢者の懐に入り込み、えげつないほどの好感度でもって、あっさりと訊いていることいないこと、雑多な情報をこれでもかと引き出した。やだ、なにこの人たらし!

 源は爺婆の歌をちゃんと聞いて、手拍子や掛け声で盛り上げ、すげえ上手だったっすと感想を述べ、ギリ未成年な俺らにウーロン茶を出してくれたママさんに丁寧にお礼を言い、周囲に座っているご老人方のファッションを褒め、気がつけば俺達は、本家の孫が連れてきたよくわからん若ぇ衆、から礼儀正しくて年寄りを尊敬するいい子達、にクラスチェンジしていた。その間、俺と忠広はただ相槌打って源の言葉尻に乗ってうんうん言っていただけなのだが。ちなみに源の一連のムーブだが、奴は一切計算していない。全部素でやっている。

 凪の浜はどうだと訊ねられ、昨日繭の案内で町をぐるっと観て回ったと答えると、それはよかったとご老人方はうなずいた。

「ミガワリサマが案内をしてくださるなんて」「よほどお気に召したんじゃろ」「ニイちゃんらは優しい子だからの」「ミガワリサマは人を見る目が確かじゃもの」──わいわいと盛り上がる地域の高齢者の皆さん。うちの孫もあんたらくらいいい子だったらねえ、と手編みのベストを着たおばあさんがため息をついた。

「中学に入ったら、素っ気なくなっちゃって。年頃なんだって言っちゃえばそれまでだけど、お小遣いが欲しいときばっかり、ばあちゃーん、ばあちゃーん、って来られてもねえ」

「いや、普段来ないのは照れてるんでしょ。もう少し大人になればまたフツーになんでも話すようになりますよ」

 そう? と半信半疑のおばあさんに笑顔でうなずいて、ミサコさんのお孫さん中学生なの、と返す源は、どこの学校、と重ねた。

「そこの、川向こうの町立の学校ですか? 」

 昨日の繭の道案内を思い出しながら俺も訊ねると、あら場所知ってるの、とおばあさんは感心したが、隣に座った連れのご夫婦が、昨日ミガワリサマが町中案内してくださったっていうんだ、そりゃ知ってるだろ、と返した。

 ということは、ミサコさんの孫は、さっきの剣道少年達の仲間か。あの二人も、すぐそこの橋渡ったとこの中学だと言っていた。

 そこで忠広が仕掛けた。

「なんか歴史の先生が面白い人だって聞いたんですけど、どんな人なんですか」

 さっきの、連絡がつかなくてどうしたのかと言っていた、あの教師のことだ。ちょっとした騒ぎになりかけている、なんてことはおくびにも出さず、源も、竹刀持って歩いてる中学生がいて、意気投合して話ついでに小耳に挟んだとか言って澄ましている。なんか、俺らこういうのがすっかりうまくなっちゃったな。比企のおかげで。

 ミサコさんとのやりとりを聞いていたご老人の中から、ポツポツとうちの孫もあそこの生徒だと声が上がる。

「うちの娘のところも今二年生だ」

 「いとしのエリー」を歌っていた爺さんがマイク越しに乗っかった。そして始まる井戸端ならぬスナック会議。

 爺婆が口々に、思いついたこと思い出したことを、脊髄反射的に口に出す。曰く、時折仕事を休んでは、やれ古戦場の史蹟だの発掘現場の見学だのと言って旅行に出ていたとか、凪の浜へ赴任したての頃はミガワリサマの歴史に興味を示し、お寺や神社に通っては過去の記録など読ませてもらえないかと頼み込んでいたとか、なかなかの暦オタぶりが窺えた。

「まあなあ、青松寺も住吉さんも、歴史に関心があるのはええが、何度も押しかけてくる言うて困っとったよなあ」

「熱心なのもいいがなあ」

「一度ミガワリサマにしつこく話しかけとったじゃろ」

「あのときはサキエさんが見かけて助け出したんだったか」

「ミガワリサマは繊細なのに、知らない大人があんなにしつこく詰め寄ったら、怖がらせる気なんかなくたって怖いでしょうよ。あたしが声をかけたら、かわいそうにすっかり怯えて、震えてらっしゃいましたよ」

 どうも、悪い人間ではないが、行き過ぎたオタクの要注意人物だと見做されていたみたいだ。鉄道しかり、ミリオタしかり、行き過ぎると門外漢はもちろん、同好の士からでさえ煙たがられる。

 赴任から二年も経てば、さすがにミガワリサマへ詰め寄るのはやめたようだけど、それでも歴史オタクは相変わらずで、まあ仕事には活かされてるし、有給休暇の範囲内で常識的な休みの取り方からは逸脱しているでもなし、と、半ば町の日常として馴染んでいたのだが。

 あの渡海船の登場で、先生さんがまた何かやらかすかと、町では噂されつつあったようだ。

 ご老人方が話に花を咲かせるのに耳を傾け、入れ替わりで集めた情報をチャットルームに打ち込む。小一時間経ったところで、高齢者の固有スキル・同じ話を最初から、が始まったので、俺達は繭が昼飯を済ませたら遊んでやる約束をしているから、と口実をつけて引き揚げた。

 一方のまさやん・結城は俺ら三人がカラオケスナックで収集した情報をもとに、駐在所に行ったみたいだ。俺らもまず、駐在所で改めて合流する。

 駐在所では、すげえ気迫のまさやんが理路整然とお巡りさんを静かに詰めていた。

「どうなんすか、明らかに比企さんよりこの先生さんの方が挙動おかしくねっすか」

 まさやんの気迫にお巡りさんはタジタジだが、それでも意見は引っ込めない。

「まあねえ、そりゃ怪しいっちゃあ怪しいけどさ、君らのお友達の方が怪しいって。あんなかわいい顔して、悲鳴あげるどころか、落ち着き払って淡々と通報して、しかも俺が現着するとだ、呼吸も脈もない、変死ですよ、って、なんだよあの肝の太さ」

「でも俺ら行動共にしてたし、ゆうべだって宮本先輩のお祖父さんのお屋敷に世話になってて、誰かしらの目には入る過ごし方でしたよ」

「ああいう子なら、なにかしらうまく誤魔化すくらいできそうでしょ」

「風呂の時間でさえ繭ちゃんが一緒だったんすよ。東京のお話が聞きたいってついて歩いてさ。子供って一番誤魔化し効かないっすよ」

 結城も見かねて援護射撃に入る。

 俺達がやってきたのを見て、お巡りさんがああよかった、と露骨にほっとした顔で、どうにかならない? と目で幼馴染コンビを指した。

「お巡りさん、俺からもいいすか」

 ここで俺は、一つお巡りさんに嫌がらせ。

「仮に、仮にですよ。あくまでも。そんなの無理なのは俺らと先輩のお祖父さん達がよく知ってますけど、もしも比企さんが町長を殺したとしてもだ。自分で通報なんてします? お巡りさんがもしも誰か殺しちゃったとして、逃げ切ってやると思ってたら、自分で通報します? 」

「おーすげえヤギ冴えてるな」

「見た目も頭脳も人間だ! 」

「名探偵ヤギ! 真実はいつもひとつ! 」

「ヤギよく言った! 」

 仲間の声援というか茶々というかを流しながら、考えてみてくださいよと俺は続けた。

「そんなに怪しい怪しいいうなら、どうせ宮本のお屋敷の人達からも話聞いてるんでしょ。ご隠居さんとか、お祖父さんとか、なんなら繭ちゃんだっていいですよ。なんて言ってました。ご隠居さんなんか、馬鹿馬鹿しいって笑い飛ばしてませんでしたか」

 う、とうめくお巡りさんの顔から察すると、ご隠居さんは本当に笑い飛ばしたのかもしれない。

「繭ちゃんにはなんて言ってゆうべのアリバイ聞き出したんです。さっきのあの、ここに来たときの様子を見たってわかるでしょう。ちゃんと言葉選んで話してやらないと、かわいそうなことになりゃしませんか」

 お巡りさんはものすごい苦渋の表情を浮かべた。それからブルンブルン首を振って、あー! と声を上げる。

「君らの意見もわからないじゃないけどさ! でもその、中学校の先生? なんて、それはまだ、学校内の噂でしかないんだろ。意外と家で熟睡して気が付いてないのかもしれないじゃないかよ。俺の高校の同級生でもいたんだよ。冬休みのバイト休んで、電話も繋がらなくてさ、翌日大慌てでバイト先に電話かけてきたやつが。実際そんなもんだよ」

 とにかく、とお巡りさんは断言した。

「よほど疑いが晴れるようなことでもない限り、あのお嬢ちゃんにはあそこでおとなしく過ごしてもらう。君らには悪いけど、無実ならいずれはっきりするさ」

 断固として言い切って、さあほら帰った帰った、と俺達を雀でも追い払うように帰れと促した。

 なんだかもう、滞在三日でこんなにあれやこれや起こるの? 昨日会ったばかりの町長さんが死んで、それをたまたま散歩中に見つけて、通報した友達がいきなり捕まってローヤにぶち込まれて、更に学校の先生が連絡つかなくて騒ぎになりつつあって、これからまだ何か起こるの? 俺もう疲れちゃったよ。

 そこで不意に、俺達全員の端末がピコンと鳴った。揃ってチャットルームを見れば、新たな書き込みが。

 ──支度できたのでこれから向かいます。詳しい場所を教えてくれるかな?

 待ってました! 桜木さんのコメントに、思わずサムズアップのイラストで俺は答えた。源が東京からのマップを、忠広が宮本先輩のお祖父さんの屋敷の住所を、それぞれ送信。しかし支度って、何してたんだろう。まさか比企じゃあるまいし、ベッドの下やクローゼットから武器を出して、なんてことはないだろうけど。でもなあ、桜木さんだからなあ。比企が絡むと途端にあほになる暴走列車系ポンコツだからなあ。イケメンなのに。

 あんまり知りたくないので、俺はあえてそれについてはスルーした。

 宮本のお屋敷に戻る道で、源がポツンと漏らした。

「美羽ちゃんがいなくてよかったよ。あんな、誰かが死んでて第一発見者だなんて、あんまり愉快じゃないだろ」

 ありがとう源。まじで美羽子を託せる漢はお前しかいねえ。

 さて、これからどうなることやら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る