第69話 五人とひとりと海から来たもの 5章

 どうも、皆様おなじみヤギでっす。

 人間だけどヤギ、ちょっとかわいい大学生、いつもの八木真ですよ。

 剣道部部長の宮本先輩の誘いで、和歌山県の鄙びた町・凪の浜へ訪れた俺と忠広、まさやんに結城、源と比企だったが、訪れて日も浅いうちに、町長が港で死んでいるのを偶然発見。発見時の態度がおかしい、とあらぬ疑いをかけられた比企は、町の駐在所に勾留されてしまった。

 驚く俺達、落ち着き払ってる比企、更に何やら不穏な出来事が同時進行で起こっているようで、これから一体何がどうなるんだ。

 

 早朝八時、駐在所へ呼び出された俺達五人に付き添いの宮本先輩は、県警から来たというおじさん刑事から、事情聴取を受けた。

「ああ、お友達のえーと、ひきさん、だったか」

 一通り、町長の遺体を発見したときのこと、宮本先輩が親族の正月の集まりで帰省し、渡海船が流れ着いたからと俺達も見物に招待されて町を訪問したことなど話したあと、刑事さんはこめかみをカリカリ指先で掻きながら、申し訳ないけど、と言ったものだ。

「昨日、あのお嬢さんの身元を警視庁に問い合わせたら、夜になってから、警察庁に改めて問い合わせるように、って連絡、というよりゃ通達、って言った方がいい感じだな、あれは。まあ、そういうことで、目下警察庁に問い合わせ中なもんだから、はっきりしたことがわかるまでは、悪いがお友達はもう少し預からせていただきますよ」

 アッハイ。

「しかし、坊ちゃんらも随分変わったお嬢ちゃんと友達だな。どう見ても外人顔のくせして名乗るのは日本人の名前だし、勾留室に放り込まれてるのに、飯だの菓子だのむしゃむしゃ食って落ち着き払ってるし、あんなお姫様みたいな顔で、図太いお嬢ちゃんだ」

 でしょう。あいつの神経、たぶんベイブリッジ吊り下げられるくらい太いと思いますよ。

 なんてやっていた、真っ最中だった。

 ロングコートチワワに連れられた、という方が正確な、犬の散歩中だったと思しきおばさんが、必死の形相で駐在所に駆け込んできた。ただならぬ気配に興奮した犬が、ヒャンヒャン言いながら飼い主を引っ張る。

「そそそそそ」

「どうしたのおばちゃん」

 駐在のお巡りさんがのんきに声をかけた。おばちゃんとのテンションの落差がえげつない。

「こここここ」

 おばちゃんは元来た道の向こうをブルブル震えながら指差した。

「ああああっちあっちあっち」

 そこでただならぬ気配に、刑事さんもなんじゃ、と顔を出して覗く。

「ひと。ひとが。動かんで。寝とって」

 泡喰って駐在さんが駆け出した。

 おおおおお、とまだ震えているおばちゃんを駐在所に連れて座らせて、刑事さんがIDを見せる。手近にあった急須からお茶を注いで飲ませて、落ち着いたところで、刑事さんはおばさんから何を見たのかを、穏やかな口調と表情で聞き出した。すげえ。さすがプロ。

 とりあえず犬を預けられて抱っこしてる俺。犬は最初こそヒャンヒャン吠えて興奮していたが、そのうち静かになって、居眠りまで始めやがった。座布団にでも下ろそうと思うと、何を察してか不服を申し立てて吠える。この野郎。

 早朝の日課である犬の散歩に出た山本由美子さんは、今朝もいつもと同じ時間、いつもと同じコースで散歩をしていたところ、駐在所へ抜ける一本道へ入ったところで、道端の藪に向かってペスが火のついたような勢いで吠え出し、何があるのかと覗いたところ、男性がコート姿でうつ伏せに倒れているのを発見した。興奮するペスを抱き上げている間、ピクリとも動かない男性に違和感を持ち、急におそろしくなって、腕から抜け出ようとするペスを下ろし、慌てて駐在所に駆け込んだのだった。

 そこまで聞き出したところで、お巡りさんが息を切らせて帰ってきた。

「けけ警部補、あのあのあのあそこの藪に」

 俺の腕の中にでんと収まったペスが、くわあ、と大きな欠伸をした。

 

 見つかったのは、昨日連絡が取れないと中学校で小さな騒ぎになっていた歴史教師・村岡隆文だった。

 死因はこれから、町長同様、司法解剖を待つとして、着衣に乱れはなく、所持品も残っている。ただ、おとといの午後に家賃を払いに、住んでいるアパートの向かいの大家宅へ訪れた以降の行動がまったく摑めず、どこで何をして藪の中で死ぬに至ったのか、見当もつかなかった。

 

「本当に、なんとお詫びを申し上げればいいか、」

 おじさん警部補が深々と頭を下げて、大慌てで駐在のお巡りさんがそれに続く。

 白目を剥いてボーゼンとしている比企、その後ろの俺達五人はああやっぱり、としれっとしており、それを見ている宮本先輩は驚きを隠さず、そして。

 昼前の駐在所、奥の六畳間。比企の隣に鎮座する桜木さんは、この場を完全に支配していた。

 まったく、とため息を軽くついて、桜木さんはおじさん相手に、表情と口調だけはにこやかに、辛辣な言葉を並べ立てた。

「警察権はとても強力なもので、これを行使する際には、細心の注意を払わなくてはならない。警察官として階級の別なく、何より真っ先に叩き込まれることの一つです」

「は、おっしゃる通りで」

 それがどうです、と桜木さんはため息をついた。

「事件が起こって、まず行ったのは現場保存どころか、問答無用で通報者を拘束とは、お世辞にも市民に愛される警察とは程遠い。これが和歌山本部の方針ですか」

「めめめっそうもない」

 かわいそうに、おじさんは真っ青になって肩をすぼめている。駐在さんに至っては、冷や汗かいてプルプル震えていて、すごい涙目になってる。

 おじさんからすれば息子みたいなもんだろうけど、桜木さんの方が階級は遥か上、しかも県警所属と警察庁所属という、まずそこからしてもう格が違う、らしい。後から訊いたら「地方の支社勤の中間管理職と本社勤の重役くらいの差」だそうだ。

 しかも、と桜木さんは目頭を揉んだ。

「彼女は帝陛下や東宮殿下はじめ、皇族方の信任厚い、勅命で任じられた特級探偵。就任の際には各都道府県本部にも、写真と名前が通達されている。野村巡査はともかくとして、和歌山本部所属のあなたが、それを見ていないとは思えないのですよ」

「そそこは小職の不徳と致すところで」

 いやもう、なんかおじさんかわいそうだからその辺でやめようよ!

 さすがにうんざりしたのだろう、その辺にしておけ、と比企が割って入った。

「今はそれよりも次の遺体だ。町長の遺体と何か違いはあったのか」

 えー、と不服そうな桜木さんだけど、とりあえずお説教は引っ込めた。

「ひとまず遺体は、バス停そばの青松寺に安置、簡単な検死は、町で診療所を開業している菅原医院の二代目が行いました」

 小さくなっていた駐在の野村さんが答えた。

「その、診療所の二代目というのはどの程度の腕ですか」

「は、」

 チラチラとおじさんと桜木さんと比企を順番に見遣る野村さんに、お答えしなさいとおじさんがせっついた。

「は、まだ若いですが、京都の大学病院で修行しておりまして、親父より腕も人当たりもいいと評判です」

 ふん京都か、と比企はうなずいて、遺体を確認することはできますか、と重ねて訊ねて、やれやれと肩を揉んだ。

「できればその、京都仕込みの二代目のお話を伺いながら検分したいところですが、青松寺へお越しいただくことは可能でしょうか」

「そそそれはもうっ」

 野村さんが最敬礼で立ち上がり、駐在所の電話に飛びつく。

 やれやれ、と首を振りながら、比企はため息をついた。

「まさか旅先でまで探偵仕事とはね。ついてない」

 ことの成り行きの急展開にポカンとした顔の先輩をチラリと見ると、

「だが、先輩や戦友諸君が巻き込まれても大変だし、先輩の曽お祖父さんご一家には、一宿一飯の恩もある。できることはやらないと」

 逃げ回るわけにも行くまいよ、とひと言、比企はコートのポケットをあちこち探ってから、袖口の折り返しからチョコバーを出して食った。

 お寺までの道中で、比企は不機嫌丸出しのげっそりした顔で、ずっとおじさん警部補と交渉していた。

「私の正体についてはご理解いただけたと思いますけれど、野村巡査の早とちりで、嫌でも仕事をせざるを得なくなりましたが、さて、報酬はどこに請求すればよろしいか」

「いやそれは、弊社の野村が失礼を働いたことは、以後このようなことがないよう厳しく指導いたしますが、その、報酬につきましては、一度持ち帰って上司とよく相談させていたきたく」

「おやおや和歌山さんは、誤認逮捕だけでなく逃げ口上もお上手とは」

「決してそのような」

「小梅ちゃんその辺でやめなさい」

 さすがに見かねて桜木さんが釘を刺すけど、そんなのは知ったこっちゃない。

「忌憚のない意見を申し上げれば、和歌山さんはろくな調査もせず物証にも当たらず、印象だけで無実の人間を勾引し、人に物を頼むのに謝礼を払うことすら渋る、実に失礼な態度だ。いつまで文明開化のおいこら官憲のつもりでおられるのか。二百年は立ち遅れているぞ」

「小梅ちゃんほんとに失礼だからちゃんと謝りなさい」

「本当のことを言って何が悪い」

 更にたしなめられても、ひと言で粉砕。容赦ねえなあ。

「佐藤さんもそう小さくならないで。まずは町長さんと中学校の先生ですか、その確認をしないことには話が進まないでしょう、行きましょう」

「いえ、はあ、あの警視、は、かしこまりました」

「うるさいシン。私の身元確認なんて電話一つで済む用事だ、何でわざわざ出向いて来るんだ」

 あのバス停のそばの長い石段を上り、比企と桜木さん以外は、程度の差こそあれど全員が肩で息をしているが、ほんとこの二人、どんだけデタラメな鍛え方してるの。

 青松寺では、和尚さんが俺達不思議なメンバーの一団を見つけて、奥の座敷へ案内してくれた。檀家のご老人達が朝の掃除や何かで手伝いに来てくれたりするので、意外と人の出入りがある。いくら駐在に頼まれて預かっているとはいえ、本堂に遺体を置くのは憚られるので、座敷に安置しているのだそうだ。本当なら、町長の自宅へ返すのが当たり前ではあるが、外であんなふうに死んでいた以上、変死として扱われてしまうので、司法解剖をするかどうかの判断が出るまでは、ひとまずお寺で預かることになったのだそうだ。俺、初めて知ったんだけど、日本の法律では、医師による死亡の確認ができなかった死体については、変死という扱いになるのだそうだ。

 座敷の一間には、白い布で顔を隠したご遺体が二人分、並んで寝かされていた。桜木さんが端末で発見現場の画像やデータを確認し、まあ最低限、必要なものは取れているようだねとうなずく。

「ち町長についてはひとまず、通報を受けて現場を確認しましてから、すぐに写真、測量等の各種記録を市警察及び県警本部へ送信致しました。昨日昼前には市警察から鑑識の応援が入りまして、更に詳しく検分ののち、地域住民の感情に配慮し、青松寺さんへ安置をお願い致しました。今朝発見されました教師についても、同じように」

 野村さんが緊張しながら桜木さんに報告。ありがとうと答えて、桜木さんは端末を閉じた。

「遅くなりました」

 ちょうどそこで、四十になるかどうかくらいの男の人が、ボマージャケットにジーンズ、手には往診鞄という格好で入ってきた。なるほど、この人が町のお医者の二代目か。桜木さんほどではないけど、シュッとした爽やかな感じで、人当たりも悪くない。

「菅原琢磨です。親父の病院を手伝っております」

 いかにもこの場の責任者といった雰囲気の桜木さんに挨拶したところで、目顔で示された比企に気づいて、慌てて失礼しました、と改めて挨拶。心底どうでもええわいと言いたげに、いっすよ、と軽く手を振って比企は答える。

 比企は実にうんざりした顔でコートのポケットを探り、薄いゴムの手袋を出してはめた。

「よっしゃ《ハラショ》、そんじゃ始めるかね」

 そこで比企はちらりと、二間続きの次の間で、開いた襖越しに様子を窺う俺達を見遣ると、あまり愉快なものではないから無理して立ち会うことはないよ、と声をかけた。

 でもまあ、行きがかり上が半分、都合の悪いものは見ないであいつに押し付けるとか、そんな卑怯な真似はできないのが半分、俺らこだま西イレギュラーズは全員が居残り、宮本先輩も腹を据えてぐっとあぐらをかき直した。

 和尚さんと佐藤警部補、野村さん立会のもと、比企はまず遺体に手を合わせてから、実に淡々と事務的に、遺体にかけられた布団をめくり顔にかけられた白布をめくった。 

 一瞬ぐ、と桜木さんがうめき、ハンカチを口元へ強くあてがう。佐藤さんも口元を掌で覆って、野村さんは喘ぎながら、座ったままこっちへ後ずさった。俺達も揃って息を呑む。

 比企は実に淡々としていた。

「シン記録。口述筆記だ。書式は公社のもので頼む」

 勾留室から出たときに返却された端末を開いて、チャットルームで俺達が情報交換していた辺りをざっと読み閉じて、ぶっきらぼうに相棒へ声をかけた。軽く息を整えてから桜木さんは、端末でアプリを立ち上げ、片手でキーボードを叩き片手でハンカチを押さえる。

「頭部からいくか。前頭部に顔面は両者とも損傷なし。後頭部、もまあきれいなもんだな」

 そこで町長と中学教師の着ているシャツの襟元へ手をかけ、ボタンを外してくつろげた。

「頸部、は、──ああ、こいつか。何か幅の広いもので思い切り締め上げてるな。両者とも首の長さと同じ幅のものが巻き付いた、ようにも見えるが。紐状の圧迫痕はないが、それでもこの感じだと頸椎が折れて、いや、砕けて、の方が近いか? 何だか角帯巻き付けてねじり上げたみたいにも見えるが、何を使って締めたものか。直接の死因は頸椎圧迫による骨折及び窒息、といったところか」

 やだこの人なんでこんなに冷静なの。お医者の菅原さんも軽く引いてるよ!

「ところで菅原先生、」

 死斑の出方を確認し、死後硬直の出具合を見ながら、比企は世間話でもするような調子で世間話を始めなすった。

「そちらの野村巡査から、先生は京都で医学を学ばれたと聞きましたが」

「は、はあ、」

「大学はどちらで」

「り立命館、立命館の病院で、六年前まで」

 そこで比企がおや、と顔を上げた。

「あそこなら確か、一昨年まで花水博士が総合診療科の顧問を勤めておられたはず。今は貴船で工房を構えて、人形製作に専念していらっしゃるのだったか」

「博士をご存知なんですか」

 菅原さんが驚いて声を上げると、面識がある程度ですがと比企は答えた。

「父親が永瀬博士と付き合いがありまして。永瀬博士は花水博士と親しくしておられますから、まあそういう縁で」

 そうでしたかと、菅原さんが微笑んで、それから、状況を思い出してすぐに表情を引き締めた。永瀬博士というと、高二の冬に京都へ行ったときに出逢った、あのお医者さんのことか。

 比企は遺体のシャツをはだけて腹を確認する。

「腹部の殴打はなし。ここまではきれいなもんだな。さて、」

 奴はそこで、町長と教師のズボンのベルトを外し、ズボンと下着を引き下ろした。やめて! 

「ちょ、何やってるの小梅ちゃん! 」

 泡喰って制止する桜木さんだけど、赤毛の探偵は心外だと言わんばかりに検分だと返した。

「略式ではあるが、設備がないからな、開腹せずに確認できることをしているだけだろう」

「だからってなんでパンツまで脱がすんだよ! セクハラじゃん! 」

 結城が異議を唱えるが、比企は何を言うんだと反論。

「知らないのか結城君。睾丸を潰されてショック死する事例が、結構な数あるんだぞ。金的蹴りはそこそこの致命傷だ。男性諸君は気をつけるに越したことはないな」

 嘘。そんな事実知りたくなかったしコワイ!

 比企は涼しい顔で遺体の股間を確認して、損傷はないなとひと言、元通り下着を履かせてから、ズボンを膝まで下ろして太ももの損傷を確認、ズボンも履かせてから膝下は裾をめくりあげ、靴下を脱がせて足の裏まで検分した。ながらで菅原先生に直腸温はどうだったかとか質問していて、肝が太過ぎる。

「ふん。今の時点では、頸部の圧迫が死因、と見ておきましょうか。実際にどうなのかは、開いて内側から見ないことには何とも」

 比企は一人だけケロリとして、他の男性全員はやや俯き加減に自分の股間をそれとなく窺って無意識にガードするような姿勢になりながら、遺体の検分は終わった。比企よ、お前はもっとこう、自分のグッドルッキングを裏切らない程度の恥じらいとかを身につけてくれ。

 桜木さんが哀愁を帯びたため息をつくと、案の定、もっと恥じらいとか持とうよ、と嘆息したのだが、そんなものをいちいち持ち出していたら仕事にならん、とばっさり袈裟がけにされた。

「仕事の場で何でぶりっこの真似事などせねばならんのだ。あんなものは、年中盛りがついて陸釣りしかできない禁治産者のやることだ。老若男女の別なく診察し治療せねばならない医師が、いちいちカマトトぶっていたら仕事にならんだろう。それと同じだ」

 あー、言わんとすることは間違っちゃいないんだけど、何というか、正論だけで人間生きてないでしょ。ねえ。

 そこでまさやんが、なあ、と口を開いた。まだ顔色はよくはないが、気持ちはだいぶ持ち直したみたいだ。

「そういえば比企さん、よくまあ死体見ても平気だよな。警察のおじさんも桜木さんもがんばってる感じするし、菅原さんもお医者だからまあ慣れてるんだろうけど、やっぱりちょっとしんどそうだったじゃねえか」

 源はまだ涙目だし、忠広も少し息を整えながら、隣の部屋との間の襖をゆっくり閉めているのに。結城も隣の部屋を気にしながら、冷や汗を手の甲で拭って長身を縮こめている。

 比企は今朝食った飯の献立でも答えるみたいに、当たり前の口調でクソ重い返事をした。

「私が昔、うちの糞親父の仕事を手伝わされていたことは話したよな。あの当時、私は戦闘用に仕込まれていたからな、闇討ち暗殺から最前線でテロリスト狩りから、何でもやらされたし、もっとひどい状態のご遺体もゲップが出るほど見たよ」

 あー、家業を手伝ってたら鬼島津グイシマンヅになっちゃった頃のお話ね。

「狙撃のために標的が来るまでの五日間、腐敗が始まってる遺体の転がる中で潜伏していたあれで、いい加減麻痺したな。今の仕事を思えば得難い経験だが、まあよい子も悪い子も真似しない方がよかろう」

「比企ちんそれは麻痺しちゃいけない神経だと思う」

「何でそんな照れながら話してるのそういうジャンルじゃないじゃん」

 結城と忠広が身を寄せ合ってビビり散らしている。まさやんもドン引きしてるよ。俺も源と肩寄せ合ってプルプル震えてるんですが、無理もないよね? 何でそんな、土建屋の親爺みたいなガハハ笑いが出てくるの。

「まあそういうことだから、今見たご遺体なんざ五体満足できれいなもんだ。当たり前に発見されているだけだし、いつぞやの、不気味の谷の向こうをチラ見せするようなご遺体とは訳が違うだろう。なあ八木君」

 うん、まああのとき見たご遺体は、後からおかしな象徴性やら意味づけやらをおっかぶせられたおかげで、見た目はすごくきれいなのに、忌まわしさがまとわりついてしまっていたが、今回の町長さんと中学の先生のご遺体は、そういう意味での気味悪い感じはまるでなかった。

 ひとまず簡易的ながら検死は終わったが、さてこれから何をどうしたものか。大体、刑事物のドラマだと被害者の交友関係や金回りを調べ、最近変わったことはなかったかと付き合いのあった人間に聞き込みをするとか、お決まりのルーティンがあるのだが。

 まあそういうのはプロにお任せしようと比企はあっさり丸投げした。あ、めんどくさいんだな。これめんどくせえってときの反応だ。

「聞き込みや身辺調査は、ノウハウがものを言うからね、プロに頼むのが一番だとは僕も思うよ。その間、僕らは何から始めようか」

 桜木さんがうなずいて、どうせ変化球で攻めるんでしょ、と比企の頬を軽くつついた。まあなと比企は答えて、腹が減ったなと呟きながら、コートのポケットや袖の折り返しを探る。内ポケットから一口サイズのクッキーを探り出して、小袋の封を切ってザラザラと中身を口へ流し込んだ。リスの頬袋よろしく、もぐもぐやって、物足りなさそうに咀嚼し飲み込んでから、小袋を畳んで結んでポケットに突っ込む。佐藤さんと野村さんがギョッとして、桜木さんはお行儀が悪いよとたしなめる。

「うるさい。稼ぎにつながるのかどうかすら曖昧なのに働くんだ。抜ける手は全部抜いてやる」

 佐藤さんが居た堪れないという顔で、すみませんとうなだれている。しかしさっきからコートのあちこちに隠しているらしき非常食を掘り出しては食っているところを見ると、もしかして。俺は桜木さんにそっと耳打ちした。

「比企さんもしかして、腹減ってるのかもですよ」

 この機嫌の悪さ、ひと晩檻のついた別荘に宿泊だったからとか、桜木さんがすっ飛んできたからとか、それだけじゃない気がする。時間も午後一時を回っていて、遅めの昼食を取ってもいい頃合いだ。

 取るものもとりあえず、警察・探偵・それから一般人代表大学生の俺らご一行様は、お寺の目と鼻の先の定食屋へ向かった。ここへ着いたそのときに、バスの運転手が一服していたあの店だ。俺も仲間も先輩も、さっきの検死のおかげで食欲はビタイチなかったし、野村さんも同じく。佐藤さんはまあ仕事柄、多少耐性はあるんだろうけど、缶コーヒーを買って飲んでるだけで、桜木さんもまだあんまりお腹空いてないんだ、と苦笑いで誤魔化したのだが。

 比企は店に入ると、生姜焼き定食と張り紙してあるのを見て、迷わず注文した。しかも飯大盛りで。

 俺は見た。張り紙に赤字で目立つように「ごはんおかわり自由です」と書かれていたのを。注文を受けたおばちゃんが、うちの大盛りこれだけど、と相撲部屋の茶碗かよと突っ込みたくなる馬鹿でかい丼を出して見せたが、奴は表情を変えずにそれでお願いしますと答えたものだ。しかし、あんな仕事したあとでよくまあ、こんなにバクバク食えるな。

 丼飯を三度おかわりして、生姜焼きと付け合わせの千切りキャベツとトマトとポテトサラダ、きゅうりの古漬け、ネギと油揚げとエノキの味噌汁をきれいさっぱり喰らい尽くして、やっと赤毛のロシア娘は機嫌を直した。この間およそ十五分。

 比企は飯を食い終わると、食事中にガンガン鳴っていた端末を開いて、どこからの通信か確認した。佐藤さんに画面を見せて、

「和歌山本部は、どうやら正式に依頼を出したようですね。公社は一番現場に近い、というより現場にいて、しかも第一発見者として関わった以上お前がやれと言ってきた」

 まったく、と比企はお茶を啜り、ため息をついた。テーブルの真ん中に置かれたでかい急須からお茶を注いで、俺達の顔を順繰りに見てからニヤリと笑った。

「どうせ戦友諸君のことだ、チャットルームのやりとりから察するに、町の人達から何かお話を伺っているんだろう」

 すっかりお見通しのようで。

「正攻法のアプローチは和歌山本部でやってくれるだろうからな、私は変則でやらせていただこう。ということで、」

 比企はお茶を一息に飲み干した。

「シン、青松寺の和尚様と住吉神社の宮司さんに交渉を頼めるか。町おこしを考える町長と歴史オタクの教師。渡海船に対し明らかに興味津々な人間と、興味を持っていてもおかしくない人間が揃って死んでいることを考えるに、どうもこの町や周辺の土地の、習俗や歴史を知っておいてもいいのではないかと思う」

 すいません会計お願いします、とおばちゃんに軽く片手を上げて振り返ると、立ち上がって軽く伸びをした。

「まずは青松寺の過去帳と人別帳、それから住吉神社の由来書や、宮司さんがご友人と執筆された、ミガワリサマの伝承についての論文やリポートから当たろう」

「それ、小梅ちゃんが個人的に興味があるから、ってだけじゃないって言い切れる? 」

 桜木さん、ほんともう比企への理解が深いな。だけど奴はあっさりと、当たり前だと即答した。

「被害者二名を繋ぐ共通項は、渡海船とそれが象徴する町の民俗文化だ。変則ルートで攻めるなら、まずはそこをきちんと理解しておくに如くはないだろう」

 貴重な記録ばかりだからな、お二人の許可をいただけるなら泊まり込みで読破するくらいのつもりでかからないとな、と言って、比企は実に愉しそうに、満面の笑みを浮かべた。

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