第70話 五人とひとりと海から来たもの 6章

 比企は気の抜けた口調でそっけなく、それで、とひと言、虫食いだらけの古い帳面をベランベランめくりながら言った。

「続けてくれたまえ」

 時刻は午後三時を回った頃。バス停側の定食屋から河岸を変えて、場所は青松寺の奥の蔵座敷で、和尚さんが書斎にしているそうだ。座敷の入口側半分は吹き抜け、小さな窓がある奥側はロフト状に二階がある。一階部分も二階も両側の壁はぎっしりと、天井まで書棚になっていて、各時代、年代ごとの過去帳や古い人別帳、お経、文学全集、百科事典、その他雑多な本や過去の住職による記録や日記が唸っていた。

 小一時間前、駐在の野村さんと桜木さんを通して古い記録を読ませてもらえるよう手配し、早速目の前の青松寺へ向かったのだが、蔵座敷の中を見て、国籍不明の赤毛は大歓喜。ヨダレを拭き拭き、自らも丁寧に礼儀正しく頼み込むから、熱心さに軽く驚きながらも和尚さんは案内してくれた。奴は書斎を見ると、感極まって変な声を上げたものだ。

天呀ティンアー! オーチン・ハラショ! なんてことだ、こいつは宝の山じゃないか! 」

 ひとしきり奇声を上げてからやっと人語を口にしたが、完全にオタクの悲鳴だったので、俺達は無視した。

 ではごゆっくり、と和尚さんが電気ポットとお茶を置いて本堂へ引き揚げると、比企は書棚を一巡りして、どこにどんな記録があるのか、いつぞやの古本屋さんで見たように目録の札が垂れているのを読み、二階部分の書棚からごっそりとノートの束を抱えて降りてきた。広いデスクに置いてから、時代劇なんかでたまにお目にかかるような、和綴の帳面を何冊も持ってきて、ノートをめくり始める。椅子に腰掛けてノートをすごい速さで読みながら、座敷のあちこちへ思い思いに座った俺達へ、状況を整理しようと言って、比企は万年筆と手帳を出して机の上で広げる。

 蔵座敷にいるのは、比企と俺達こだま西イレギュラーズに桜木さんの七人。宮本先輩は、繭の遊び相手をしてやるため、一足先に曽お祖父さんの屋敷に戻っている。だから、ここにいるのはいつものメンバーだけ。

 早速ノートを読み始めた比企を見て、しょうがないなあ、とだらしない笑顔の桜木さんがいそいそとお茶を淹れた。俺と忠広と源で湯呑みをリレーして、全員に行き渡ったところで、俺達は比企のいない一晩の間に起こったことやわかったことを挙げて行く。

 よその土地から赴任してきた歴史教師がミガワリサマの習俗に関心を持ち、一時期繭につきまとっていたこと。それを町の高齢者達はよく思っていなかったこと。それから、夕食の席でご隠居やお祖父さんから、町長について聞いたことなど、順々に、いつも大学の近くの喫茶店や桜木家のリビングで集まってだべるときのように、なんとなく語り合った。

 一通り話を聞き終えるまで、比企は黙ってノートを読み和綴の本をめくり、一切口を挟まなかった。ただ、時折何かを手帳に書きつけているのみ。比企を知らない人間が見ればまるで話を聞いていないようにも見えるだろうが、付き合いの長さで俺達はわかっている。比企はしっかり話を聞いている。俺達が互いに洩れや脱線をフォローし合いながら語り終えると、比企はありがとうとひと言、和綴の本を閉じた。

「だがあまりこういうことに深入りはしないでくれたまえよ。諸君に何かあったら、ご家族になんと言ってお詫びしたものか」

 それから温くなったお茶を啜り、それにしてもなあ、と欠伸を一発、ぐーっと背筋を伸ばしてから、首を回して肩をほぐす。

「町長がそこまで屁でもない扱いだとはなあ。そりゃあ功を焦って、あの渡海船に飛びつきもするか」

 そう、夕飯や今朝の朝食の席でも、それとなく町長さんがどんな人だったのか、俺達はご隠居さんやお祖父さん、家政婦のおばさんにも訊いてみたのだ。それでも全員が揃って、しばし考えてから口にするのは、まあよくやってるんじゃないのか、という、ぼんやりとした評価だった。目立った失点はないけれど、これといって功績があるわけでもない。先代の町長が高齢で引退してから、他に対立候補がいたでもなし、当人の経歴も特にケチのつけ所がないしで、なんとなく選出されて勤めている、というのが実情のようだった。やりたいと言っているんだし任せてみようか、程度のゆるさで、町民の大半が賛成票を投じた。

 ただし、即物的な、自治体運営の長としての町長には任じられたが、実際に住民達のほとんどが重んじていたのは、ミガワリサマの方だった。実質は、町長はただの行政屋の渉外兼まとめ役、ミガワリサマこそが町の中心。みんなの認識はそういうものだった。

「町長さんってのは、隣の市の出身で、奥さんがこの町の生まれなんだ。で、定年退職したら奥さんの家のみかん農家継ぐってことで、婿養子に入ったんだってさ」

「なんだっけ、おばさんが言ってたな。えーと、マスオさん、だっけ? 」

 宮本本家のお屋敷で聞いたことを源が整理し、結城がのほほんと補強する。比企が合ってるよ、と答えた。

「なるほどな。家政婦のおばさんの表現は言い得て妙だ。町長は家付娘のところに入婿に来て、いずれ家業を継ぐ約束で、定年後に嘱託だ相談役だと拘束されにくいであろう公務員になったわけか」

「当たり」

 それからまさやんが、剣道少年から聞いた教師の人となりを簡潔にまとめた。

「ざっくり言っちまえば、気はいいが周りが見えねえオタク気質ってところか。いるだろ、写真撮りたくて線路に入り込んだり、駅のホームのあぶねえってところに居座る奴ら。ほとんどは注意されれば素直に引っ込んで謝るけど、言われるまで気がつきゃしねえって手合いだ」

「なるほど、鈍感な善人ということか」

「比企ちん真逆じゃん」

 うなずく比企に結城がのんきな感想を漏らす。

「そうだな。鈍感な善人は、平時においては始末が悪いし非常時には真っ先に死ぬ。結城君の評価はなかなかの褒め言葉だよ」

 あ、喜ぶんだ。喜んじゃうんだ。

「いや比企さん褒められてねーだろ今の」

 忠広が突っ込むと、何を言うと否定する探偵。

「私は常々、友人にするなら気のいいあほ、共に仕事をするなら鋭敏で頭の切れる悪党が望ましいと思っている。中途半端が一番いただけない」

 なんか気になる言葉が出た、ような気もするが、まずは話を進めないと。

 あの、繭が俺達を連れて街を案内してくれたあのとき、三枝教授を嫌いだと言って避けていた理由は、案の定というか、やはりというか、歴史教師と同じように、ミガワリサマの習俗を耳にして興味を示したことだった。さすがに不躾に押しかけて話しかけることはなかったようだけど、繭がよく訪れる老夫婦の家やみどりばあの駄菓子屋で、偶然鉢合わせたテイを装ってはあれこれ話しかけるので、どこへ行ってもあのおじさんに遭う、とすっかり怖がられてしまったようだ。

「だからってわけでもないんだろうけど、三枝教授は町のご老人方には、やっぱり要注意人物としてマークされてるみたいだよ」

「女児に話しかけるの下手くそ選手権かよ」

 まさやんが仏頂面で突っ込んだ。

「ぐいぐい行くから怖がられるんだろ。まず初手で間に誰か、子供が信用してる人間を挟まないとダメなんだよ」

 すげえな、妹がいるからこその言葉に重みを感じるぜ。

 町長の清水さんは、町の名士である宮本の御隠居のところへは、節目ごとにあいさつに寄っていたようで、繭も会えば挨拶はする程度に顔見知りではあるが、当人の認識はといえば、ときどきおじいちゃんやじいじに会いにくるおじさん、くらいのものみたいだ。青年団長の加藤さんについては、あまりピンときていないようで、だいぶ以前に宮司さんがテレビを買い替えた折に、設置に来たのが加藤さんだそうだ。町に一軒の電器店で、高齢者だけの世帯には、定期的に電気周りの安全確認に顔を出したり、頼まれれば訪問して色々手伝いもする。御隠居の評価は、頼りになる若い衆だが、町おこしだの観光誘致だのと、おかしな話に飛びついて妙な色気を出すのは玉に瑕、と言ったところで、診療所の二代目を見習って、もう少し地道にやろうと考えを改めてほしいもんだ、と嘆息したものだ。

 とりあえず、俺達が実際に会ったことがある人達、事件の被害者及び関係のある人物についての、周囲の評価はこんなものだった。

 比企は軽く鼻を鳴らした。

「どうにも不思議なものを感じていたが、諸君が町のご老人方の話を引き出してくれたおかげで合点がいったよ」

「なんかわかったん」

 結城ののんきな問いに、些細なことだけどねと応じる。

「昔からの、ミガワリサマを敬う習俗がいまだに残る町で、どうしたら住人の中から渡海船を調査して町おこししよう、なんて一歩間違えば罰当たりにしかならないであろう意見が出てくるのか、と思っていたら、そういうことだったか」

「どういうことさ」

 首を傾げる男子六名に、赤毛の探偵はそういうことだとお茶を飲もうとして、湯呑みが空になっているのに気がついた。

「小梅ちゃん、もう少し詳しく教えてくれると嬉しいな」

 次の一杯を注ぎながら、桜木さんが促す。こんなの解説必要か? とぼやく比企だが、それすら見越した桜木さんが、すっとゴディバのチョコバーを出した。チョコと桜木さんと俺達の顔を順々に見て、仕方ない、と言いたげにチョコバーの包装を剥ぎ取る探偵。

 比企はだからさ、とチョコバーをかじった。

「青松寺の境内も住吉神社の境内も、きれいに掃除されてただろう。更に、町内の高齢者はほぼ全員が、ミガワリサマへの敬意を隠さず繭さんに優しく接している。そういう信心深い敬虔な地域で、渡海船なんてものが出てきてだ。これ利用して町を活性化しよう、とか、誰が思いつくんだ」

「おお! 」

 俺は思わず感嘆の声を上げてしまった。言われてみれば確かに。信心深い人が思いつくことではないわなあ。渡海船の聖性を信じていない、信仰心の薄い人間でもない限り、まず無理だろう。

「町長は隣の市の出身だと聞いて納得した。なるほど、生きた民俗文化であるミガワリサマがいる凪の浜ならばともかく、近隣とはいえ他地域なら、そうした感覚はだいぶ現代にマッチしたものになっているだろう。入婿として町の住人となり、繭さんに対しても他の住人と同じように敬意を持って接していたとはいえ、その辺りの感覚は所詮付け焼き刃だ。その感覚のずれが、渡海船を扱う手つきで如実にあらわれてしまったということさ」

「そういうことか」

「だよなあ、町のじーちゃんばーちゃんじゃあ、あの船を調べて町おこししよう、なんて意見、まず出るとは思えないもんな」

 忠広と源がうなずいた。

「つまり、町長は二十年以上も凪の浜に住み、生まれついての住人と同じように振る舞ってはいたが、芯まで町の人間にはなりきれなかったのさ」

 比企はチョコバーの最後の一欠片を口に放り込み、お茶を啜った。

「とりあえず、例の渡海船が出航した頃からこっちの記録は目を通したが、それより以前のものとなると、難物だな」

「昔の人の字が達筆すぎて読めないとか? 」

 少なくとも俺は読めません。

 そうじゃないよと比企は俺の渾身のボケをスルーしやがった。

「なにせ古くからある町の歴史を遡るんだ。町政史に人別帳、過去帳、ああ、宮司さんがこの前見せてくださったあの冊子や、執筆の際に当たられた資料も読んでおきたいな」

 まずは歴史だと、ロシア娘は肩を揉んだ。

「過去からやってきた船に触れようとした者、興味を持っていたであろう者、二人が同じ死に方をした。誰がなぜ手にかけたのかを知るには、歴史に当たるしかあるまいよ」

 誰が、もどうやって、もすべて、ホワイダニットの向こうに隠れているんだ、と言って、比企は大欠伸をぶっこいた。

 すげえ知性的なこと言ってるのに、全部台無し。

 

 昼飯を食い損ね、腹が減ったと無表情になって訴える比企を、とりあえず定食屋で軽く食事させて、町の中心部にある町役場へ向かった。

 本来ならとっくに業務を終えて閉まっているはずの午後五時を回った頃。それでも、町長の死という椿事に役場は、上を下への大騒ぎだった。

 いきなり押しかけた俺達の対応をした、というかさせられたのは、うちの親父と同じくらいの年恰好の、しょぼくれたおっさんだった。桜木さんの出した、スネグラチカ監督官とでっかく肩書きをつけたあの名刺を、老眼特有の距離感で見てから、はあ、と声をあげて、あいすみません、と高い声でまず詫びたものだ。

「うちもご覧の通りの騒ぎで、何かお役に立ちそうな話ができるものは、対応に追われておりまして、はあ」

 歴史アーカイブとかでたまにお目にかかる、大東亜戦争中のニュース映像のナレーションみたいな声だった。

 いやそうではなくて、と言いかけた桜木さんを制して、比企がサクサクと斬り込んだ。

「お話は後日改めて。それより、今日は町の歴史を知りたいと思いまして。それもできる限り詳細に。町政史をまとめたものや、それに代わるようなものはありませんか」

 鶴のように痩せたおっさんが、はあ、と疑問符とも間投詞ともつかない声を上げた。

「町政史ですか。あるにはありますが、歴代の町長の功績やら、港の拡張やら、そういう記録を簡単にまとめたものくらいしか。あとお役に立ちそうなもんといったら、町と周辺の地図が、えー、ありゃいつ作ったんだったかの」

 少々お待ちを、と中座したおっさんが、ひょろひょろとスチールラックから大判のバインダーを出し、中に入っていた紙をコピーにかけた。原紙をバインダーに戻し、コピーを持って戻ってくる。どうぞと出されたものは、観光誘致でもするつもりで作ったのだろうか、凪の浜の町と周辺の山と海の鳥瞰図だった。ありがとうと受け取る比企。

 さして長居することもなく、町政百周年の節目に編まれた町政史の冊子を借りて、俺達は引き揚げた。

 比企はお寺の蔵座敷で文献を読ませてもらうと言って、早速桜木さんに叱られている。

「いくらなんでも、夜遅くまでお邪魔するのはご迷惑でしょ。お気遣いなくって言ったって、来客があればそれなりに気を遣わせちゃうんだから。それなら、いっそ必要なものをいくつかお借りして」

「いくつかじゃない。下手をすればあの座敷の蔵書全部に当たらないといけないかもしれないんだ。何を悠長なことを言っている」

「それなら僕も一緒に」

「だってシンお前、崩し字読めないのに、ついてきて何の仕事ができるんだ」

「君の世話ができるよ」

「心底どうでもいい」

 バッサリ袈裟斬りだけど、桜木さんは取り合わず、とにかく、と断言した。

「女の子が一人で泊まり込みなんて、断じていけません。どうしてもというなら僕も一緒でないとダメ」

 桜木さんが宣告した、そのタイミングで道の向こうから、緑川さんがキョロキョロと落ち着きなく周囲を見回しながらやってきた。

 ああよかった、と俺達を見て、あからさまにホッとした顔になる。桜木さんが如才ない笑顔を作りながら、そっと俺に彼は、と小声で訊ねた。

「渡海船の調査に来てる大学教授の助手です。緑川さん」

「ありがと」

 君達いいところに、と緑川さんが、冬だというのにうっすらとかいた汗を手の甲で拭いながら、更に周囲を見回した。

「どうしたんですか」

 忠広が水を向けると、ああ、と答えて、自分が来た港の方を振り返りながら、君達、と緑川さんが訊ねた。

「教授をどこかで見なかったか。午後から見当たらないんだ」

「え」

 俺達は顔を見合わせながら、見なかったよね、とうなずき合う。

「俺ら青松寺から町役場に行ってきたところだけど、すれ違ったのって町のじーちゃんばーちゃんばっかりですよ」

「な。三枝先生と行き合ったならすぐわかるよな」

 まさやんと源が答えて、俺も結城もうんうんとうなずく。

「どっかでお年寄りから何か、ミガワリサマとか渡海船の話を聞かせてもらってるとかじゃないんすか」

 まさやんができるだけ、緑川さんの神経をなだめようと、なんでもないように言ってやるのだけど、それはないと緑川さんは首を振った。

「俺達、手分けして魚群探知機を借りられる漁師さんがいないか、聞いて回ってたんだけどね。昼頃から始めて、二時にこの前のラーメン屋に集合って待ち合わせて」

 ところが、待てど暮らせど肝心の教授が戻らない。あまりに遅いので、端末にチャットを入れ電話もかけてみたのだが。

「電話は出ないし、チャットも既読がつかない。おかしいですよ。こんなこと、今までなかったのに」

 状況が状況だ。自分達の調査は町の人間には、お世辞にも歓迎されているとは言い難いし、調査を誘致した町長が急死したと聞いた。万に一つ、とはいえ、何かがあってからでは遅い。緑川さんともう一人、ラーメン屋で会った横瀬さんは、川を挟んだこちらと対岸側で分担して、教授を探すことにした。俺達はたまたま、そこに行き合ったのだ。

 とりあえず教授を見かけたら、折り返し連絡するように声をかけますと引き受けて、俺達は宮本先輩の待つ本家のお屋敷に向かった。このあとお寺で文献を読ませてもらうとしても、まず一度顔を見せて、ご隠居と先輩のお祖父さんにひと言断りを入れてからでないと。

 屋敷に戻って、まず桜木さんがご隠居やお祖父さんにご挨拶し、比企は青松寺に泊まり込んで文献を読ませてもらいたい旨申し出ると、ご隠居はそれなら必要そうなものをこっちに持ってきてもらえるように頼んでみようか、と、当然桜木さんと同じ意見だった。当たり前だ。しかし、比企からすると、何が必要な文献なのかは、まず少しずつ読み進めないとわからない。ねえほんと書痴ってあほなんすか。読まないと何がいるものなのかはっきりしないって、小学生の遠足だって、おやつ弁当水筒にハンケチちり紙、緊急時の連絡用のお子様端末、上着に帽子、雨具、と、何が必要なのかはすぐわかるんですが。

「だって読まなかったら何が書いてあるのかわからないだろう。ということは、内容を理解するため必要な次の一冊も、最初の一冊を読むまで判断不能じゃないか」

 当たり前のことを訊くなと言いたげに答えやがった。まあね! 言われれば確かにごもっともですがね!

 とりあえず青松寺には、桜木さんと俺、それから結城が同行することになった。桜木さんと俺が比企と一緒に蔵座敷の記録に当たり、結城がそれとなく周囲を警戒し、何か変化があったら注意を促す役回りだ。まさやんと源に忠広は、お屋敷に居残って、外で何か起こったら俺達との繋ぎを務めてくれる。

 青松寺へ再び訪れると、玄関側のこたつがある座敷には、和尚さんと住吉神社の宮司さんが俺達を待っていた。

 宮司さんが穏やかな笑顔で、傍の風呂敷包みをこたつ板の上に乗せた。

「昼間にこれが必要だと連絡をいただいたので、お届けに」

 挨拶もそこそこに、恐縮して受け取る桜木さん。風呂敷包みを解くと、そこにはこの前の六部殺しの伝承を研究したレポートの載った冊子と、和綴の薄い本が何冊か。ただ、宮司さんはなんだか少しだけ申し訳なさそうな感じだ。

「うちの由来書があればよかったんですが、先日、三枝教授がぜひ読みたいとおっしゃるので、お貸ししておりまして」

「三枝教授が? 」

 訝しげに眉を寄せながら、それでもありがとうございます、と比企は冊子を受け取った。

「まずはこの書物も拝読するとして」

 楽しそうですね比企さん。

「だが、由来書はぜひ読んでおきたいものだな。となると、」

 三枝教授に会って、由来書を引き取らないことにはどうにもならないぞ、と言いながら、比企は和綴の冊子の表紙を撫でた。

「でもさ、助手さん達が捜してるけど、見つかったのかな」

 結城がのほほんと言いながら首を捻る。そうだよな。いくら初めて来た土地とはいえ、大人が誰かに捜されるほど長い時間、連絡も取らずどこに行ったのか言伝のひとつもなく、所在がわからないなんてことがあるのか? しかも、遊びに来たとかじゃない、学術調査という立派な仕事として訪れている先で、だ。

 和尚さんと宮司さんが顔を上げた。教授がどうかされましたか、と宮司さんが訊ねる。まさやんが、さっき緑川さんと行き合ったときのことを話して聞かせると、和尚さんが大丈夫なのかと独りごちた。奥の座敷で預かっているご遺体のことを考えると、無理からぬ不安だ。

 宮司さんも顔を曇らせた。

「狭い町ですから、町長と中学校の先生が亡くなられたことは、もう噂になっています。まさかとは思いますが、こんな時期です、心配しすぎるということはないでしょう。まずは駐在に知らせないと」

 携帯端末を出して、駐在の野村さんに電話をかけてくれた。俺も自分の端末で、チャットルームに書き込み、状況を留守番役の三人に知らせる。すぐに返事が来た。まさやんだ。

 ──こっちでも、緑川さんと横瀬さんが一緒に、教授が来てないかって捜しに来た。ご隠居さんが話聞いて、昼間から二人がかりで捜して、こんなに手がかりさえつかめないのはおかしいって、山狩りしようかって言い出した。

「まさやんから、宮本のお屋敷にも教授の助手の人達が捜しに来たって。ご隠居が山狩りでもして、大勢で捜す方がいいんじゃないかって言ってるそうですよ」

「山狩り? 」

 和尚さんがえらいことになったな、と小さく漏らした。

「この辺りの山は、慣れた者でもうっかりすると迷うぞ。まあ、とはいえこの真冬に、漁師ならともかく大学の先生さんが、わざわざ海へ行ったとは考えにくいからな」

 だよねえ。人生につまずいて行き詰まった人なら、海に向かって叫びに来たとか、まあわかるけどさ。でも三枝教授は、全然そんな感じはなかったぞ。

 比企が仏頂面で嫌な予感がする、と言った。

「仕事が増えるパターンだ。こういう流れで探偵がいると、まず間違いなく山狩りの指揮とってくれなさいとか、采配してくだちいとか始まるんだ」

 あーあー、と頭を掻きむしり、さも嫌そうに首をぶんぶん振った。

「こんなことなら疑われたまま檻付きの別荘にいたまんまの方がなんぼかましだった! 寝てればいいんだもんよ! 」

「これ、小梅ちゃん! 」

 桜木さんがめっ、と小さく叱るが、比企はあんた素人の指揮なんかしたことないから言えるんだ、と噛み付く。

「地元民だから地理には詳しいとか言ったってな、小隊単位での行動の仕方すら知らない人間を動かすんだぞ。単独行動はするな、最低限三人一組のトリオで行動しろと言ってもバラけるんだ。どないせえっちゅうんじゃ」

 赤頭がぼやいたところで、すぐ目の前の玄関の引き戸を外から叩く音がする。和尚さあん、と連呼する声は駐在の野村さんだ。

 和尚さんが戸を開けると、野村さんがぜいぜいと荒い息をつき、警視殿と探偵さんが、こっちに、と言いかけて更に大きく息をついた。

「み宮本のお屋敷で、聞いてきました。け、警視殿! 山狩りを、これより山狩りを行います。捜索対象は県立大学宗教学部の、三枝教授です。つきましては佐藤警部補から、ぜひ警視殿のご助力を仰ぎたく、山狩りの指揮をお願いできないかと、そのぅ」 

「っしゃあー! やったー! これでなんもしなくてオッケイ! 」

 探偵がでかい声で喜びを隠さずガッツポーズしやがった。よっぽどやりたくなかったんだな。

「よーしシン行ってこい! 先様は桜木警視殿を御指名だからな、指名料がっぽりせしめてこいよ! その間私はここで貴重な資料を読んでいるさ」

 わあー。露骨ぅ。

「桜木さんドンマイ」

 結城が肩を叩き励ます。桜木さんはすごい真顔で、え、やだ、と野村さんに答えた。素で言ってるトーンだった。

「第一、僕ここに来たのは警察官としてじゃなくて監督官としてだし」

「何言ってんだシンほら、いいから行ってこいって。お呼ばれしてるうちが華だぞ? 」

「僕の仕事は君のサポートです! 監督官がマル勅探偵のそばを離れてどうするの」

「だからって、あんた元々警察官だろう」

「あーもう! 」

 そこでついに野村さんが我慢できなくなった。

「そういうことなら、お嬢さん! あなたにも一緒に山狩りの指揮、お願いします! それなら警視殿もやってくださるんでしょ! 」

 そこで桜木さんがピタッと停まった。そして。

「そういうことなら」

「やだー! 絶対やだー! 断固としてやらないぞ! 私は! ここで! 資料を読むんだ! 」

 本気で嫌なんだな。比企はのたうち回り、桜木さんは佐藤さんに連絡して段取りを打ち合わせ、和尚さんと宮司さんは顔を見合わせる。

 結城が比企の肩をポンと叩いた。

「ドンマイ! 」

 サムズアップでいい笑顔の結城を、比企は小指でデコピンした。そして、ぶはあっ、とため息をつきひと言。

「やるなら私はここで、遠隔で指揮をとる。それ以上は負けんぞ。いいな」

 すげえな、何があろうと読書は諦めないし譲らない。筋金入りの書痴だ。

 結城は小指なのにデコピンがまじ痛いんだけどー、と額を撫で、野村さんは佐藤さんに報告しにすっ飛んでいき、桜木さんは端末の回線越しで佐藤さん相手に何やら交渉を始め、比企はぶんむくれてこたつに懐いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る