第73話 五人とひとりと海から来たもの 9章

 夕方四時、冬の日差しは弱々しく蜜色に変わり、俺と結城、源の三人は、山狩りの集合場所である中学校の校庭に向かっていた。

 昨日はまさやんと忠広、源が山狩りを手伝った。今日は入れ替わりで俺と結城が手伝いに入る。源は、人手は多いに越したことないだろ、と言って今日も手伝いに入っている。やだ、いい奴。すっごいイケメン。入れ替わりで比企のところに残り、俺らとの繋ぎを務めてくれる忠広とまさやんとは、昨日と同じように繋ぎっぱなしにした端末のチャット回線でやりとりして、何か不測の事態があれば連携して対応できるようにしてある。俺達もまた、昨日の忠広達と同じようにタグを持たされていて、つまり比企や桜木さんは何か事あらば、俺達の位置を確認して呼びかけ指示が出せる。何かが山の中で起これば俺達が、町の中や海岸で起これば比企達が、とにかくどちらか近い方が先に駆けつける要領だ。

 昨日はいいも悪いも何も起こらずに終わったけど、今夜はどうなんだろう。何が起こるのか。行方のわからない三枝教授は見つかるのか。

 

 昨日に続いて山狩りに参加する町の大人達は、いささか疲れたような顔で校庭に集まり、和歌山県警の佐藤さんが駐在の野村さんを従えてやって来ると、なんとなく二人を中心に円形に広がった。まあ、こういうボランティア仕事のときにありがちな、二次遭難などの事故がないよう注意してください、といったお定まりの挨拶と注意事項があったあと、遭難防止のためということで、野村さんが手に持った袋からタグを出して、参加者全員に一つずつ配り回った。昨日の山狩りで解散するときに、一旦返却させたのだろう。昨日もご協力いただいた方はご存知でしょうが、と佐藤さんから、解散時にご返却くださいと改めて説明が入る。なるほど、真冬のど深夜に山の中で遭難なんて、誰だって嫌だろう。タグを持たせるのは比企の側の都合だけど、手伝ってくれる町の人にしてみれば、これはありがたいだろう。解散時に人数が足りなかったら、タグの信号を見て誰かが必ず捜しに来てくれるのだ。

 ふと見ると、青年団長がいた。おでこにでかいライトつけて、肩からもでかい懐中電灯を襷掛けに下げて、後ろに縦にも横にもでっかい、まあでっかいとは言っても結城ほどではないけど、でも顔つきは子供っぽい、うん、こりゃ男の子だな、連れて立っている。ゆうべ源と一緒に山狩りをした刑事さんが、青年団長の息子でまだ中学生だと教えてくれた。

「いっくら大人顔負けの体格だと言ってもさ、まだ子供だろ。柔道やらせてるから大丈夫だなんて、親の見栄で手伝わせてるだけだよ。かわいそうに」

 中学生じゃあ、町の中で事件が起こったところで、大人が騒いでらあ、程度にしか関心持てないだろうに、親父さんに引き摺り出されて手伝わされてるってことか。確かに、周りに大人ばかりで、しかも県警からもなんか偉いっぽいおじさんが来て指揮取ってるのを見ると、それなりに神妙な顔をしてはいるが、それでも家でゲームでもして遊んでいたいという本音が表情から窺い知れた。今からでも帰らせてやろうよ。遊びたい盛りだよ?

 さすがに佐藤警部補も気がついて、青年団長に息子さんは早い時間に帰らせてあげてください、と釘を刺した。

 そうこうする間にも冬の日は沈むのが早くて、あっという間にすっかり暗くなっていた。では行きましょう、という佐藤さんの声に、全員が懐中電灯のスイッチを入れて歩き出す。ゾロゾロと受け持ったエリアへ向けて歩き出した。

 俺と結城は今の刑事さん、山中さんと一緒に組分けされた。源は昨日の、みかん農家のお兄さんと、その幼馴染と組んだ。源の組は神社裏の森から例の岩穴がある辺り、俺達の組はその隣の、みかん畑の裏辺りを割り当てられた。

 川沿いの道をゾロゾロと歩きながら、橋や山へ入る道に差し掛かると、集団から櫛の歯がこぼれるように、数人がポロポロと離れていく。受け持ちのエリアへ向かうのだ。

 夜の山は、ゆうべ源が言っていた通り、ほんともう怖かった。なんか入っちゃいけないとこに入っちゃったような気持ちになった。俺がそう言うと、チャット回線越しにやっとわかったか、と源が返す。

「おっかねえー…。山めちゃくちゃおっかねえズラー…」

「ヤギちょっとその辺の草食ってさ、歩きやすくしてくれよー。それだけでも怖さが変わると思うんだよ俺」

「うるせえ、腕に抱きつくなよ結城。お前はカノジョか」

「もう俺カノジョでもいいよ、山こえーよヤギ俺と離れないでくれよー。無人島に行ったら俺ヨメになってやるからさあ」

「やーめーろーやー離れろ歩きにくいわ! 第一、守るなら俺より刑事さんの方が頼もしいだろ。人選考えろ」

「言われてみれば確かに」

 俺の指摘に結城はパッと腕から離れて、刑事さん俺と仲よくしてー! と歩み寄る。山中さんは俺たちのやりとりをばっちり聞いてるので、ブホッと吹き出してから、咳払いで誤魔化した。

「おいおい、しっかりしてくれよ。教授がいないか捜してる最中だろうに、緊張感を持ってくれないと」

 ごもっともなご意見だけど、ごめんなさい、俺らもう、この手の非常事態って結構慣れちゃってて、リラックスしてないと何もできないって思い知っちゃってるんです。主に、比企小梅って友人のお陰で。

 山狩りは東の空が白く明るくなる頃まで続いたけれど、何も出てはこなかった。

 事態が動いたのは、夜が明けて朝日が水平線の上へ半分くらい顔を出した頃だ。

 

 みんなが疲れを顔にうっすらと貼りつけ、眠そうに充血した目で、幸い遭難者を出さずにまた中学校の校庭に集まり、そこで解散となった。

 桜木さんが手を回して、宮本本家の戸籍を確認できるようにはなったが、データは明日、じゃなかった、今日の午後一番に送られてくるとかで、比企はそれまでに、懇意の情報屋に頼んで取り寄せたデータと照らし合わせながら、青松寺と住吉神社に残った、昭和からこっちの記録や文献に当たっていた。俺達が山狩りに参加している間にも、裏口から入る方が早いとはな、とうんざりしたようにぼやきながら、奴は書物のページを繰り、お茶を啜り、時折でかい欠伸をぶっこいたのが、回線越しに聞こえてきた。

 夜明けの解散あと、俺達は昨日の朝と同様、合流して情報交換、のつもりだったのだが、山中さんが俺達についてきた。なんで。

「いや、この町で起きてる事件のおかげで、和歌山本部じゃ君らの友達はすっかり有名人なんだぜ。まさか美少女探偵なんてものが実在するとはな」

 というミーハーな理由が半分。残りの半分はというと、

弊社うちの野村がやらかしたところに、知らなかったとはいえ佐藤さんもそれに乗っかっちまっただろ。このままだと和歌山の印象最悪だってんで、とにかく何とかして挽回しろってさ。上も佐藤さんもうるさくって」

 マル勅となるとほら、帝陛下の直属だからな、下手すりゃ上がまるっと総入れ替え、なんてことになりかねない、なんてみんなビクビクしてるんだよ、と山中さんはヘラヘラ笑ってるけど、まあ、あいつはそういう公私混同はしないと思うよ。

 案の定、合流して早々に、ガッチガチに緊張して挨拶する山中さんに、そう固くならなくて結構ですよと、かったるそうに比企は言った。

「戦友達との話の様子は、チャット通話越しに聞いていました。いくらなんでもそんなつまらんことを、陛下の尊いお耳に入れるほど、私も陛下も暇ではありません。警戒しすぎですよ」

 クッソつまらなさそうに耳を掻いている比企だが、山中さんがその姿を見て呆然としている。は、と小さく短いため息をついて、それからはっと我に返ったのは、比企の後ろに穏やかな笑顔で圧をかけるイケメンが立っていたからだ。いや、だから。桜木さん、威嚇しないで。

 今朝もやっぱり、海岸のささやかな砂浜で集まって話をするのだけど、なんで海岸、と思って比企に訊ねれば、理由は簡単だった。

「真冬の早朝にこんな吹きさらしの寒いところへ好んで来る者も、そうあるまいよ。それに、周りに何もないこういう場所なら、誰かが近づいてくればすぐわかる。立ち聞きしたくとも、延々我々の会話が終わるまで立っているというのは、不自然すぎてむしろ目立つだろう」

 盗み聞き防止だそうで。アッハイ。

 ときどき山中さんが比企の顔をチラッチラッと窺いながら、何か話しかけられるとピャッと硬直する様子を見て、ああそういえばこいつは滅多にお目にかかれないレベルの美少女だったっけ、と思い出すものの、桜木さん以外はほら、比企を女子だと思ってないのでなんかその反応が新鮮。俺ら五人とも、比企のことはゴリラとかゴジラとかだと思ってるからね。あとは何だろう、この前結城んちに泊まって夜中に映画で観た、ステイサム。ジェイソン・ステイサム。いかつい野郎どもと戦友を助けに悪の組織の本部に乗り込んで行ったり、ヒラヒラのいい女と一緒にカーチェイスやったりする、ハゲのマッチョです。比企もなんか両方ともやりそうだよね。

 ただ、今朝はクッソ寒い中で愉快な情報交換、とはいかなかった。

 

 海岸へ差し掛かると、波打ち際に黒いものが打ち上げられていた。

 それほど小さくはない。そうだな、大人一人分くらいか。何だか人間みたいな形をしてるな。

 まず反応したのは比企だった。一拍おいて桜木さんが、それからやや遅れて山中さんが血相変えて、大慌てで海岸に降りる。

 比企は気がついた瞬間には徒歩の足取りで突進し、山中さんが駆けつける頃にはもう、追いついた桜木さんと何か話していた。なんだ。俺の足元がぐらぐらするような、膝がワクワクと震えるような、背筋がざわざわするこの感じ。まさやんと結城の目が心持ち鋭くなっている。忠広の顔が幾分白っぽく引き攣っていて、源が木刀の入った袋を、指の関節が白くなるほど強く握る。おぼつかない足で俺はどうにか、比企達がいる辺りに近づいた。

 そこにあったのは、いや、いたのは、

「教授」

 町中が大騒ぎで捜し回った、三枝教授だった。

 比企はスッと砂に膝をついて、桜木さんにひとつうなずいて見せると、教授の首に指を当てて脈を探った。頬を叩いて、耳元ででかい声で呼びかけるが反応はない。今度は仰向けに寝かせて心臓マッサージを試みるが、やがて眉根を寄せて首を振った。

 教授は初対面のときと同じように、コートを着込んでいた。ただし、全身がずぶ濡れで、どう見ても海から打ち上げられたといった風だ。自力で泳ぎ着いた、というには、教授は弱りすぎていた。

 すっかり冷え切っているのが、血の気のない顔色からしてよくわかる。虚ろな目が、人の声に反応したのか、ふと焦点を結んだ。ひゅうひゅうと呼吸が笛のように鳴っている。

 何か訴えるように、話しかけようとしているが言葉にすらならない。もどかしそうに、それでもやっと教授は腕を動かして、ゆっくりと伸ばした。何かを指差すように、海の方を指して、はあ、ともひゅう、ともつかない吐息が漏れる。一瞬、目線が合ったように思えたのも束の間、すぐに教授の目からは光が薄れ、そして。

 どうにか伸ばした腕が、だらんと落ちた。

 それは俺が、俺達が、人が死ぬその場に立ち会った、初めての瞬間だった。

 あっけなくて、全然ドラマチックじゃなくて、なのに不可逆的にもう取り返しがつかないことが起こってしまった、厳然たる現実を突きつけられた、そんな決定的な出来事だった。まるで、記憶に消えない焼鏝を当てられたような。

「午前六時二十四分。山中刑事、略式にならざるを得ませんが、死亡の確認をお願いします」

 比企が静かに言って、山中さんが慌てて時刻と、教授の脈拍や呼吸が止まっていることを確認する。

 向こうのほうで、端末で佐藤警部補に連絡する山中さんを見ながら、俺達七人は、もはやご遺体となってしまった教授を見ながら、その指が指し示す方角をじっと見ていた。

 町の浜と港を包み込むように外海から囲い込む崖の、左側。浜に近い、海の一箇所を指差している。崖の上にはでっかい岩が乗っていて、ぎりぎりで落ちてきそうでこないビミョーなバランスで、軽く海へ乗り出していた。その、大岩の下辺りを教授は指差していた。

「あの岩に何かあるのかな」

 忠広がぼんやりと海に視線を投げて、ポツンと漏らす。まさか、と返すのは俺とまさやんだけど、でも正直、その否定には希望的観測が大いにこもっていた。

 教授は明らかに、あの岩を目で探していた。あれを視線で捉えてから、残り少ない体力を全部、あっちを指し示すのに突っ込んだのだ。

 でも、何のために。

 

 そして三度起こる、蜂の巣をつついたような狂騒は、ついに町中の高齢者が集まって、ミガワリサマにお縋りしようと宮本のお屋敷に押しかけるまでになった。

 一旦宮本のお屋敷に戻って、まずは一息つこうとなったのだが、表の三間続きの広間の脇を通って奥座敷へ入るとき、障子の向こうからジジババの念仏大合唱が聞こえて来てギョッとしたものだ。

 いきなり大勢に押しかけてこられて気疲れした繭に昼寝をさせると称して、広間から出てきた先輩は、ぐったりしてぐずりながら腕にしがみつく繭をなだめながら、一体何が起こってるんだ、とため息をついた。

「毎年、年始やら法事やらで帰省すると何もなさすぎて退屈なくらいの町だったのに」

 家政婦さんが布団を敷いてくれたところに繭を寝かせながら、いきなり色々起こりすぎだろ、とぼやく。

「にいちゃん、繭がおひるねしてるあいだに、どっかいっちゃうの」

 眠そうにとろけた声で、先輩のセーターの袖口をつかみながら訊ねる様子は心細げで、先輩もその手を離させるのが忍びないようだった。行かないよ、と額を撫でてやりながら答えると、やっと安心したのか、繭はそのまますうすうと寝息を立てる。

 ご隠居さんと家政婦さん達の厚意で焚いてもらった風呂を、ありがたく使わせていただいた。忠広と結城、源が初手、次が俺とまさやんと桜木さん。比企は、自分は最後でいいと譲ってくれたが、その間にご隠居さんに何か話を聞きに行っていたようだ。

 ただ先輩に遊びに呼ばれただけの俺達が、町で起こった事件に巻き込まれただけでも申し訳ないのに、山狩りまで手伝ってくれたと言って、ご隠居さんも家政婦さん達も、逆に俺達の方が申し訳なくなるくらいよくしてくれた。風呂を焚いてくれただけでなく、俺達が風呂を使わせてもらっている間に、軽い食事まで用意してくれた。ありがとうございます。なんか、逆にすいません。

 忠広達が風呂に入ったところでスッと席を外した比企は、俺達が風呂から部屋へ戻る途中で、ご隠居さんの部屋から出てきた。狼のような目つきだった。

「比企さん、」

「渡海船どころではなくなってしまったな」

 白い顔が、いつもより更に白く血の気が引いている。

「え、」

 そこで不意に八木君、と比企は言った。

「今、ご隠居さんに渡海船をもう一度海へ流すよう薦めてきたよ」

「流すって、」

「待て待てわかるように話してくれよ」

 訳もわからず鸚鵡返しの俺と、何があった、と話の整理にかかるまさやん。桜木さんはもう少し冷静だった。

「ちょっと待って。海に流せって、でもこの町で起こってる事件って、あの船は結構な比重を占める要素だ。調べもしないで流すのは、どうかと思うよ」

 その言葉に対する答えは沈黙。

 比企が口を開いたのは、風呂から戻ってお茶を啜り落ち着いたところでだった。

 すげえ早風呂なのにしっかりシャンプーをして身体中丸洗いしてきたらしく、苺色の髪が濡れてペタンとしているのを、当たり前に桜木さんがタオルで拭いてドライヤーをかける。うん、美羽子は桜木家にお泊まりのたびに、これを目撃してたわけだな。比企は比企で、たぶんさんざん鬱陶しいだの余計なお世話だのと戦ったんだろうなという痕跡が、無の表情にあらわれてる。先輩は目を丸くしてるが、いいんです、今はそれどころじゃないでしょ。

 おにぎりと卵焼きと唐揚げという、簡単なメニューだけど、でもちゃんと手作りの食事をありがたくいただきながら、部屋で作戦会議を始める。

 さて、何をどう話したものか、と全員が何となく、同席している宮本先輩をそれとなく窺っていると、家政婦さんが呼びに来た。

「伊織さん、お嬢さんが起きられましたよ」

 そこにてちてちと足音が近づき、にいちゃんは? とまだ眠たそうな繭の声が聞こえる。先輩が悪い、また後でな、と障子を開けて縁廊下へ出た。

「おきゃくさん、まだいるのかな」

「あー、もう帰ったみたいだな」

「にいちゃん、繭しらゆきひめのえいががみたい」

「そうか、じゃあテレビの部屋行くか」

 他愛のないやりとりが、縁廊下を遠ざかっていく。みかんの籠と電気ポットを置いて、家政婦さんも引き揚げていった。

 そう、何せ先輩のご先祖の、今の倫理観で見るなら非道としか言えない行いと、それがどう今に絡んでいるのか、まさにその話をしようとしているのだ。どう話したところで、先輩にしてみればショックだろう。だって俺らはあほだから気をつけちゃいても迂闊だし、比企は頭はいいけどあほだし、更に情緒がぶっ壊れているので言葉を選ばない。いや、選んではいるけど、配慮が相手のツボからすっぽ抜けることもある。さすがに常識人が桜木さん一人では、爆弾処理も荷が勝ちすぎるだろう。

 比企は縁廊下に面した障子を開け放った。部屋に廊下から冷気が流れ込むが、誰も文句を言う者はいない。長い付き合いで、盗み聞きを防ぐためだと承知しているのだ。部屋の間仕切りの襖を開け放ち、窓を開けてから、では始めようと一言、俺達はこたつ座卓を囲んで額を集める。

「比企ちん、隠し事はなしでいこうな」

 のほほんと口火を切ったのは結城だ。

「だな。比企さん、変に隠したら俺ら勝手に勘繰って逆に邪魔になっちまうことくらい、わかってるだろ」

 忠広もうなずく。源もまさやんも、うんうんと同意した。

「まずは状況の整理だ。俺らが今知ってること、はっきりしてることをまとめておこう。並べてみれば、その先に何をするべきか見えてくると思うんだ」

 俺は自分の荷物から、レポート用紙と筆記用具を出して広げた。

 今わかっているのは、こんなところか。

 

 ・渡海船に乗せられていたのは、昭和三十年代のヨリマシサマ、みさきさんだったと思われる。

 ・ミガワリサマは代々、宮本先輩の一族から、近親婚により計画的に生み出された女性達であった。

 ・ミガワリサマは短命で、十代後半から二十代まで生きた女性が産んだ娘はヨリマシサマと呼ばれ、ミガワリサマ同様に敬われていた。

 ・ヨリマシサマは町の住吉神社の、明治以前の本当の祭神である恵比寿神を乗り移らせるための依代として生み出されていた。

 ・ヨリマシサマに恵比寿を憑依させるのは、どうやらはるか昔からの一族の願いだったらしい。

 ・江戸期にミガワリサマ誕生の逸話として語られ始めた六部殺しは、そうした背景をカモフラージュするための迷彩だったと思われる。

 

 一つ一つの要素はこうして挙げたところで、だからなんだと言われてしまえばそれまででしかないけれど、でもまあ、明るみに出されてしまったら、宮本の一族は醜聞にまみれてしまうことだろう。それは誰も幸せにならない。特に繭は今代のミガワリサマであり、その生まれゆえに心は実際の年齢より幼くて繊細だ。そんな女の子を傷つけるような事態は、全力を尽くして回避するべきだ。

 そこで比企が、小さくため息をついた。

「諸君はどう見る。これら過去の事実が暴露されたとき、一体誰が得をして誰が被害を被るのか。そして、これらを公表されるのを何としてでも避けたいと思うのは誰なのか」

 そうだ。

 人間は、傍目からは斜め上としか思えない行動をとるとしても、その人間がどんな環境でどう暮らしているのか、何に重きを置いているのか、価値の基準がわかると、意外と行動の理由は合理的だったりするものだ。高校二年の冬に、魔神を呼び出して自分を殺させようとした後輩にまつわる騒動だってそうだった。

「得をするのは誰かはわかんねえけどよ、被害を受けるのは、そらぁ先輩とその一族、今この屋敷にいる人達だろ」

 まさやんが断言した。

「ご隠居さんやお祖父さんの立場からすれば、そんな昔の話を今更蒸し返されても困るばっかりだよな」

 源が後に続く、が、そこで結城が首を傾げた。こいつの琴線のどこに、一体何が引っかかったのか。

 あのさ、と小さく挙手して、結城は爆弾の如き素朴な疑問を放り投げた。

「みんな昔の話だっていうけどさ、でも今、繭ちゃんがいるってことは、現在進行形の話なんじゃないのか」

 全員がその言葉に、ピクリと反応した。はっと突かれたように顔を上げる桜木さん、一斉に結城の顔をまじまじと見る俺と忠広、源、まさやん。

 比企は黙ってお茶を啜っていた。

 言われてみればそうだった。偶然なのか、あるいは誰かの作為なのかは別の話としても、とにかく繭はミガワリサマとして生まれている。今現在、ミガワリサマが存在するということは、過去の醜聞なんて生ぬるい話じゃない。今まさに起こっている、現実の話なのだ。

 先輩と繭をどう守るのか。そんなことが、俺達にできるだろうか。

 比企が湯呑みを置いた。

「まず、はっきりしたことは二つ。得をする者は現時点では不明だが、損をするどころか全身火だるまになるのは先輩とそのご家族だ。そして、これは過去の話どころか、今現在起こっている醜聞そのものだった。これを隠すなら、まずは殺人事件をどうにかするしかないのだろうが、さて」

 被害者三名が、渡海船や恵比寿をどうするつもりだったのか、そこがキモだろうな、と比企は頭を掻いた。

「まずは、最初に亡くなったのは町長さんだったね」

 桜木さんが整理する。

「町長さんは渡海船を調査して、町おこしの目玉にできないかと考えていた。それなら、自分でも船を少し調べようと思うのじゃないかな。封じてある扉をこじ開けたりはしなくても、どこかに隙間がないかとか、見ても不思議じゃない」

 僕なら見るな、と結んだ。

「俺も探すかも」

 忠広が同意する。

「実際、船がある倉庫のまん前だったもんな」

 源が最初の事件を振り返ってうなずいた。

「中学教師も結構な歴史オタクだったって話だ、同じようなことを考えても、そう違和感はないだろ」

 まさやんも、町で出会った剣道少年の話を思い出しながら考える。

「それでいったら三枝教授なんてモロにその筋のエキスパート、大学教授だ。実際、調査のために招待されて来てたんだし」

 俺が続けると、そう言えば、と比企が低く切り出した。

「宮司さんは、教授に神社の由来書を貸し出したままだとおっしゃっていたな。だとしたら、由来書は今どこにあるんだ」

「教授の所持品にはなかったよ」

 桜木さんが端末で、たぶん和歌山県警の捜査本部のデータベースで確認でもしているのだろう、何やら検索しながら答えた。

「そう、教授は由来書を持っていなかった。少なくとも、海に落ちるんだか自ら泳ぐんだかして、浜に流れ着いた時点では」

 比企もそこでうなずいて、それで、とお茶を啜ろうとして、ん、と情けない顔をした。全部飲んじまっていたのか。桜木さんがいそいそとお茶を淹れる。

 次の一杯を啜って仕切り直し。比企は座卓に肘をついた両手を、顔の前で組み合わせた。

「そこで気になるのは、まず、由来書がどこにあるのか。ここで考えられるパターンは、宿に置いて外出した、あるいは外出先でアクシデントに遭って落とした、の二つ。前者ならば教授の宿泊先をガサればすぐに出てくるだろうが、後者だったら教授の行動をトレースしなくてはいけない」

「足で稼がないと追っ付かねえな」

 忠広がげっそりしながらため息をついた。うへえ、と結城がおあずけを食った犬みたいな顔になる。

「そこはプロにお願いしよう。シン、教授の足取りと、誰とどんな話をしていたのか、捜査本部に情報提供を頼んでくれ。あちらも私が依頼するよりは、身内のあんたからの方が心理的に抵抗が少ないだろう」

「わかったよ」

 これでひとつ、面倒は片付いたけれど、まだ考えないといけないことがあるぞ。

「神社の由来書はまあ、教授の行動が追えれば出てくると仮定してもさ、」

 俺は気になることをひとつ挙げた。

「ここで気になるのは、真冬のクソ寒いとわかり切ってる海に、なんで教授が入ったのか、だよ。実際、俺らが見つけてすぐに死んじゃったくらい凍え切ってた。自殺行為だってわかるだろうに」

 そこで比企の目が薄く笑った。まさしく、とピッと指を立てる。

「ここでの疑問はこうだ。教授は自主的に季違い《ディファレンスオブシーズン》な海水浴をしたのか、何かそうせざるを得ない状況に追い込まれたのか。あるいはその両方なのか」

「両方って? 」

 源がみかんに手を伸ばしながら訊ねるのに、比企はあるだろうと答えた。

「たとえば、何かに追われて海しか逃げ場がなかった、とかだな。仮にこれが正解だったとしたら、我々の知らない何かが、海に面した部分にあるということだ。それも、神社の由来に関わる何かが」

 そこでまさやんが、おいおい、と声をあげた。

「こんな静かな町で、そんなおそろしいもんがあってたまるかよ」

「ねえなに系のおそろしいやつなん。なに系? 物理? それとも」

 結城が長身を縮めてプルプルする。

「俺知ってる、こういうのってさあ、場所からいってもスーパーナチュラルなやつだよ。諦めろ結城」

 忠広がとどめを刺して、結城がうええ、と情けない顔をした。

「やめろよー、夜中おしっこ行けなくなっちゃうじゃーん」

「大丈夫だって、俺がついてってやるよ」

「うはーん源カックイイー。結婚してー」

「いや、俺結婚は美羽ちゃんとするから無理」

 とりあえず結城の夜中のおしっこ問題が解決したところで、比企が更に追い打ちをかけた。

「残念ながら結城君、今回はスーパーナチュラルかもしれないな」

「うわあん、まさやん、まさやんも俺と夜におしっこ行こう! 起こすからついて来てくれよお」

 情けないセリフを吐きながら、仰向けに寝転がる結城。比企はその様子を横目に、私だって願い下げだとため息をついた。

「だが、そうもいっていられない。教授が指し示した大岩が、何か関係があるのかはわからないが、いずれ出てくるのはろくなものではあるまいよ。まあ、」

 とんでもないものが出て異能大合戦、なんてことにならないように祈るばかりだ、と言って、探偵は苺色の髪をボリボリ掻いた。

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