第41話 五人とひとりと大怪盗 3章

 月曜日、登校してきた比企は、実にご機嫌の悪そうな渋面だった。

 クラスの連中は、ただでさえ近づき難いと思っているだろうに、余計に敬遠しているが、俺達六人は知っている。なんとなればきのうの日曜日、あの、フェリペさんのご招待を受けたステキな朝食のあと、実にご機嫌斜めな顔で電話をかけた、それが理由だった。

 俺の名前は八木真。どこにでもいる、ちょっとかわいい高校三年生男子。どこにでもいるはずなのに、滅多にいないタイプの友人のおかげで、トラブルの場に立ち会うことが多くなった。なかなかできない体験ができると喜ぼうにも、物騒なトラブルが多いおかげで、素直にわーい、とは喜べない。とはいえ普通の男の子なので、それにかまけずに進路も決めなくっちゃいけない、とっても多忙な日常を送っております。

 今回は今までにない、ワールドワイドなトラブルに巻き込まれつつありますが、俺、これからどうなっちゃうの?

 

 昼休み、今日は雨が降っているので、屋上へ続く階段で昼飯を食っていると、比企は実に機嫌が悪そうに携帯端末を睨み、いつもの重箱弁当をかっ喰らっていた。

「比企さんお行儀わるーい」

 俺が突っ込むと、仕方ないだろう、と不機嫌丸出しの声で返事をする。

「この時間でなければ連絡ができないんだ」

 言いながら、比企はメールを確認し、高速で返信を打ち込み発信。

「授業が終わったら、一度確認に行かなくてはならん」

 ああまったく面倒だ、と大袈裟にため息を一つ。

「おまけに、今週は上海亭にも寄れやしない」

 あ、九割がたそっちが理由か。

「比企さんテイクアウト! テイクアウトあるから! なくてもあの親爺なら、比企さんに持っていくって言えば作るから! 」

「持って行くよ! 俺ら届けに行くから! ご機嫌直そう、な? 」

 忠広と源があやしにかかった。比企が妙にピリついているおかげで、クラス中がちょっとざわついているのだ。

 美羽子がそういえば、と思い出したように訊ねた。

「比企さんが学校に出てきてる間はどうしてるの? フェリペさんのガード」

「もしかしてヴォロージャさん? 」

 いいやと答えて奴は首を振った。

「ちょっとしたツテがあるので」

 ふうん。なんかよくわっかんないけど、こいつは普通に高校生してるのがおかしいレベルで、あちこちに人脈があるから、大方そういうつながりで、誰かに頼んでいるんだろう。

 放課後、上海亭でラーメン食いながら勉強会、のついでに、俺達は親爺に頼んで焼売や餃子、胡麻団子といった、持ち運びが楽なものを大量に包んでもらった。包んでもらってる間に、チャットルームで比企に連絡を入れる。

「あーもしもし比企さん? 」

 すぐに気がついて出てくれた。

「八木君か、どうした」

「今全員揃ってるからさ、差し入れ持って行くよ。上海亭の親爺が、比企さんに持ってくって言ったらすげえ張り切って作ってる」

「どこに持っていこうか? 」

 わいわいとしゃべり出す俺達に、え、と驚いて、

「ちょっと待ってくれ、届けるって」

「今どこにいるの」

「…コンベンション会場だ。初日のパネルディスカッションがもうすぐ終わるので、済み次第グランパレスへ戻る予定だ」

「まじでか。じゃあグランパレスホテルに行けば会えるな。何時に持っていこうか? 」

 まさやんが確認すると、いや、とひと言、

「私はグランパレスには宿泊していない。──そうだな、」

 和田倉門の交差点で落ち合おう、と答えて、比企は通信を切った。

 てゆうか和田倉門ってどこ。

 

 電車を乗り継ぎ小一時間、どうにか料理が冷めないうちに東京駅の八重洲口を出て、目の前のやたらと広い通りを直進。比企の言う和田倉門というのは、皇居のお堀の前の交差点だった。

 交差点の信号の下で、比企は仏頂面で立って俺達を待っていた。

「気を遣わせてしまったな、すまない」

 それから、ありがとうと言って美羽子から袋を受け取る。

 今日は一人なのか、桜木さんの姿が見えない。どうしたのかと訊くと、

「桜木警視は、閣下の客室がよく見える場所にいるよ」

「え、一緒にいる方がよくない? 」

「そっちは別に人員を配備している、問題ないよ」

「警察の人? 」

 いや、とぼんやり答えて、青信号になったのを見ると、比企は歩き出した。俺達も一緒に、ゾロゾロとくっついて団子になって歩く。右に曲がると、噴水のある広場へ出た。さっきまで降っていた雨は上がっていて、初夏ので気温が高いからだろう、道路もベンチもあらかた乾いている。何段かの低い階段に固まって腰掛け、比企はレジ袋からパックを出して、餃子を食い始めた。

「土曜日にあれだけ派手に騒ぎが起こったんだ、警察も人員を配備しないわけには行かないが、依頼の際に、閣下が私に警備の一切を采配してほしいと希望されたのでね、警察の配置を少々アレンジさせてもらったよ」

 何せ国賓クラスのセレブだし、フェリペさんの知り合いだとかいう警察の偉い人が手を回したんだろう。比企は焼売をもりもり食いながら、まあ意味がないのはわかってるんだが、と唐揚げのパックを開けた。

「狙撃ポイントは警察官で固めてもらった。念の為の保険を頼むにはちょうどいい。で、閣下に張り付きで警護しているのは、私の昔馴染みだ」

「昔馴染み? 」

「まさか、比企さんと同じ探偵の人? 」

 そこでいつものコートのポケットから、ペットボトルを出してお茶を飲み、でかい唐揚げを頬張ると、首を振ってふんひゃ、と咀嚼。

「昔の部下」

 まじか。

「アフリカや南米、中央アジアで何度も命を救われた連中の一人だ。警官よりも同業者よりも信頼できる」

 なんかよくわからんけど、すごい人なんだろうか。比企は元自衛隊だという話だから、すげえ筋肉隆々のボディビルダーみたいな人なんだろうか。

「まるっきり意味はないけどな、いかにも警備してるってわかりやすさはあるだろう。そちらは人海戦術がとれる方に頼んで、本命は別に手を打ったんだ」

「意味ないの? 」

 結城が驚愕の表情で訊ねると、ないよとあっさり断言。

「本命は犯行予告の日時だ。そうでなく、何かしら騒ぎを起こす奴がいたら、あれだ、ワナビーズだよ。…ええと、日本語だとなんていうんだったっけ。ああ、あれ。なりたい族」

 有名人だとか世間で騒がれてる犯罪者だとか、そういう人間の真似をしたがる連中がいるだろう、と疲れたようにため息をつき、比企は餃子を口いっぱいに頬張った。

 しかし、ただただ無駄に働かされる警察の人達かわいそう。まさやんも同じようなことを思ったのか、警察にそんなこと頼んで大丈夫なのか、と訊ねたが、ぼんやりした口調で心配ないよと答えが返る。

 とりあえず渡すものは渡したので、今日はひとまず引き揚げることにした。どうせ明日になればまた、学校で顔を合わせるのだ。

 それからしばらく、週末までの間、比企は授業が終わるとすぐに警備に合流、俺達は上海亭で差し入れが出来上がるまでと、電車で移動する間に勉強会をし、比企に差し入れを渡すと、息抜きがわりにちょっと話をして引き揚げる、そんな生活が続いた。

 そして。いよいよ比企が「本命」だと言っていたXデー。土曜日がやってくる。

 木曜の夕方、選択授業で登校していた俺とまさやん、源と美羽子が差し入れを届けに行くと、比企が源にメモを差し出した。

「フェリペ閣下からの手紙だよ。貴君に届けてほしいとおっしゃって、目の前で書かれたものをお預かりしてきたんだ」

 俺に? と不思議そうに受け取って、源がメモを開く。用紙はグランパレスホテルのサイドボードにあった、備え付けのメモ用紙だった。こちらはフェリペさんの愛用品なのだろう、ブルーブラックの万年筆で、きれいな日本語の文字で書かれていた。フェリペさん、本当に日本が大好きなんだな。

 

 ──大牙君と親愛なる友人の皆様、ご都合がよろしければ、ぜひ土曜日の夜のフェアウェルパーティにもご招待致したく思います。

 

 まじか! と思ったら、やや間を置いたその下に、君達も何が起こるか気になるでしょう? と書かれていた。ほんともう、一国の王子って言っていい立場なのに、砕けた人だなあ。うん、なります。すげえ気になる。

 パックを開けて焼きそばをわしわしと食らいながら、閣下はどうやら、諸君のことも大層お気に召したようでねと言って、ペットボトルのお茶で流し込んだ。

「コンベンションのイベントやらなんやらで会う人会う人百万人に、今回の来日でステキな友人が大勢できたと自慢されているそうだよ」

 やだなんか照れちゃう。

 その場で手紙を見た全員は即座に行こうと意見が纏まったが、あとは結城と忠広だ。チャットルームに招待を受けたことを書き込むと、待つというほどの間もなく、絶対行く、と即答が返った。持つべきはノリのいい友。

 

 そして土曜日の昼。今日はいつも通りのラフな格好で、ボディバッグや肩掛けバッグには一泊分の着替えと参考書に筆記用具、各々足元にはスーツをしまったガーメントバッグ。美羽子は女子のあるある、ほんとにそれが一泊旅行の荷物かよと突っ込みたくなる、パンパンのバッグで来ている。

 前の晩に比企から連絡があって、奴と桜木さんは警備のために前乗りしているので、今日の迎えはヴォロージャさんではなく、今回の仕事を手伝っている知り合いに頼んだという。それ以上の詳細はなく、向こうで見つけてくれるから心配ない、とだけ言っていたが、大丈夫なのか。

 先週と同じ場所で待っていると、向こうから、今回もまたやたらと目立つ車がやってきた。

 とにかくごつい。タイヤも車体もでかい。どしっとしたバンパー、多少の衝突なんて屁でもなさそうな、見るからに頑丈な車だ。実際、車体の何箇所かに擦り傷があった。

 車から降りたのは、長身の細マッチョな男だった。グラサンにくわえ煙草、ブーツと、上半身を脱いで腰のところで袖を結んだツナギ、ヘインズのTシャツ。日に灼けた肌と茶髪は、いかにもチャラそうだ。

 チャラい男は、迷わず俺達の前に乗り付けた。運転席から降りて破顔する。

「うっは、聞いてた通りだわ。──ああ、君らあれだろ、姐御の友達」

「は? 姐御? 」

 キョトンとする結城に、ああ悪い悪い、と吹き出しそうになるのをこらえ、チャラい男は実にフレンドリーに名乗った。

「俺は比企三佐の昔の部下。あ、比企三佐じゃわかんねえか。えーと、比企小梅。あの姐御の部下で、山崎多聞っていうの。姐御に頼まれて迎えに来たんだ、よろしくな」

 そこで端末を出してどこかに電話。ほい、とスピーカー起動で俺達に差し出す。

「ああ、無事に合流できたようだね。本当なら私も迎えに出たかったのだが、すまない。その男は私の古い知り合いで、見た目はふざけているが信頼できる。大丈夫だ」

 通話の相手は比企だった。

「おいおい、ふざけてる、はないだろ姐御ぉ。電話一本で駆り出されて、こうして立ち働いているあんたの右腕に、随分な評価じゃねえかよ」

「山崎、貴様の反論はあとで聞く。まずはお口を縛って煙草の火を消し、私の友人達をエスコートしろ」

 あ、これまじで知り合いだ。見れば全員がアッハイ、という表情になっていた。

「ということで、至らぬ奴だがよろしく頼む。では後ほど会おう」

 通信オフ。なんとも複雑な笑顔で、これで信用してもらえたかな、とチャラ男…山崎さんは言って、後部ドアを開けた。ポケット灰皿でタバコを消す。

「こう見えて俺は紳士でね。レディファーストだ。中は掃除したけど、ヤニ臭かったらごめんな、好きに窓開けたりしてくれて構わないよ」

 まずは美羽子に手を貸して座席に乗せ、次は彼氏君な、と迷わず源へ手を貸す。

 車が走り出すと、山崎さんは音楽でも聞くかい? と、友達相手のようなノリで訊ねた。

「山崎さんは何聞くんすか」

 まさやんの質問に、そりゃあ君、と山崎さんは、

「ゴリゴリのロックに決まってんだろ。男は黙ってマンウィズだ」

 なるほど、比企からすれば、ふざけた感じに見えちゃうだろうな。ところが。

「あの、山崎さん、どうしてあたしと源君が付き合ってるのがわかったんですか。さっき迷わず源君に声かけてましたよね」

 美羽子がおずおずと訊ねると、おっ、と嬉しそうににやける。美人の質問ならなんでも答えちゃうよ、とうなずいた。

「だって彼氏君、ずっとお嬢さんと何かしゃべってただろ。あの駅前の通り、角曲がって二百メートルくらい直進してくる間、ほとんど君達二人で話してるのが見えたからさ。ああ、姐御が言ってた笹岡さんと源君ってのはこの子達か、ってね」

 他のメンバーのことも聞いてるよ、と山崎さんは、煙草の箱を出して咥えようとして、それからバックミラーで俺達をチラリと見やると、箱をポケットに戻した。そして、順々に俺達の名前を言い当てて行く。え、何この人。俺ら誰も名乗ってないよ。ギョッとする俺達に、山崎さんはごめんごめん、とゲラゲラ笑いながら、いや姐御に聞いてた通りのメンバーだったから、と種明かしした。

「姐御の過去についてはどのくらい知ってる? 」

「昔、親父さんの仕事を手伝わされて、自衛隊と国連軍でスパイみたいなことしてたってのは、ちょこっと」

 忠広が答えると、うん、と山崎さんがうなずいた。

「俺はその当時の部下。姐御に何遍命拾われたことか、まあそういう付き合いだな。で、俺達みたいに寒い国から来た系の仕事してる人間は、特定の人物について説明するときには、できるだけ客観的な表現で、誤解が生まれないように話す。そういう訓練を受けてるんだ」

 身長、体型、人種、髪や目の色、眉、しゃべるときに訛りがあるとか、特徴の他には、ファッションや食べ物の好みなんかも入るみたいだ。

 車は、確かにちょっと煙草の匂いはするが意外と乗り心地がよくて中も広いし、車高も普通の乗用車より高いので、道中なんやかや俺達は楽しく寛いだ。この前のあのド派手なリムジンも悪くなかったけど、実際のところ、豪華過ぎて緊張していたのだ。今日の山崎さんの車は、無骨ではあるけど、とても日常的で馴染みやすかった。

 

「やあ、来たな戦友諸君」

 ホテルのフロント前では、幾分疲れた顔の比企が俺達を待っていた。

 車止めに乗り付けて俺達と美羽子のバッグを下ろし、ドアボーイさんに車のキーを預けて、山崎さんも一緒に来た。手には薄くてでっかい箱を持っている。

「山崎二曹、送迎ご苦労」

 いつも通りの淡々とした調子で声をかけてから、諸君、と比企は俺達にニヤリ笑いかける。

「山崎御自慢のじゃじゃ馬、乗り心地はどうだった」

「じゃじゃ馬? 」

 源が訊き返すと、この男は昔から、車を恋人だとか抜かして、ドロシーだのジェーンだの、女の名前をつけているんだ、と答えた。

 山崎さんが男のロマンっすよ、姐御みたいなお子様にはわからねーんです、と唇を尖らせる。その気持ち、わからなくもない。俺も大学に入って免許を取って、自分のバイクを買ったら、アンジェリーナと名前をつけるつもりでいたので、わかるよ山崎さん!

 そこで比企がチラリと山崎さんの持つ箱を見ると、それか、と受け取った。

「マダムが言うには、今回は色々工夫しているそうですよ。会心の一着だとか」

「嫌な予感がするな。必要な工夫であれば言うことはないが、あのマダムはいらんことまでするからな」

 まずい物でも食ったように顔をしかめ、赤毛のロシア人はため息をついた。

 チェックインを済ませて、部屋に鞄を置く。ガーメントバッグからスーツを出して、ドアの脇のラックにハンガーでかけておく。所詮はどこにでもいる高校生、スーツはこの前と同じだが、一応シャツとネクタイにポケットチーフは違うものにしていた。先週のお招きに合わせてスーツを買ったとき、ショップのお姉さんが、シャツやネクタイの替えもあると便利ですよと教えてくれたのだ。ボブヘアがきれいなお姉さんでした。ありがとう美人のお姉さん! 美女に感謝しつつ、靴も携帯靴磨きでサッと拭いておく。今回は源と忠広が同室で、靴磨きを順番に使い回して支度を整えた。

 落ち着いたところで、ドアにノックが。四回叩く西洋式は比企だ。フェリペさんがコンベンションの座談会から戻ったので挨拶に行こうと言う。隣の部屋のまさやんと結城にも声をかけ、連れ立ってフェリペさんのスイートルームへ向かった。

 俺達男子五名はジーンズやハーフパンツにTシャツ、美羽子はジャンパースカートにサマーブラウスという初夏の装いだが、比企はいつもと同じ仕事用の、黒いチャイナブラウスに黒いパンツと軍用ブーツ、いつもの白いコートというスタイルだった。どうせいつもの二丁拳銃なんでしょ、知ってる。

 夏らしい麻のスーツ姿のフェリペさんは、グレーのパンツに淡いグリーンのシャツ姿の桜木さんと談笑していたが、二人とも俺達を見るとにこやかに出迎えてくれた。

「先週に続いてのお招き、ありがとうございます」

 美羽子がまずご招待への礼を、代表して述べる。フェリペさんがこちらこそ、と俺達の到着を待ってましたと言わんばかり、嬉しそうに答えた。

「皆さんも予定がおありだったでしょうが、私のわがままにお付き合いさせてしまってすみません。しかし、どうですか」

 そこでフェリペさんは、最高の悪戯を思いついた子供みたいな顔で、

「今夜何が起こるのか、皆さん気になって仕方ないでしょう? 」

「確かに」

「おっしゃる通り」

「めっちゃ気になります! 」

 まさやんと俺がうなずき、結城が勢いよく挙手。

「でしょう? なんと言っても、私も気になってますからね! 」

 その言葉に、スイートルームのリビングにいた全員がわっと笑った。

 ほんともうフェリペさんは、王子様のくせしてファンキーなお人柄だな! 

 パーティの開始は夜八時。各々軽い食事や支度もあるので、三時のお茶をいただいて、小一時間楽しく語り合ってから引き揚げた。フェリペさんのスイートには山崎さんが居残り、桜木さんと比企も俺達と一緒に戻る。五時前に全員揃って最上階のレストランへ行った。

 いつもの如く比企がオーダーで店員さんを驚愕させながら、俺達はしこたま食って、パーテイの間に腹が減らないように体制を整える。さあ支払いだ、と思ったら、ウェイターさんが恭しく俺達の部屋番号を確認して、皆様のお食事代はフェリペ公子閣下がお支払いくださるとのことです、とにこやかに請け合った。嘘ーん。まさにお気遣いの紳士! なんかもう、フェリペさんにはすげえお世話になりまくりだな俺ら。申し訳ないくらいだぞ。日本の女の子とか紹介しようかしら。そのくらいしないとだよね、ほんと。

 そして六時半、部屋に戻ってめかし込むタイム。とはいえそこは野郎なので、せいぜい軽くシャワー使って汗流して、こざっぱりしてからスーツ着るくらいです。だから、エレベーターホールで集合した男子全員は、まあほぼ予想通りでした。俺ら高校生組はこの前のスーツに、シャツやネクタイが変わってるだけ。桜木さんはさすがに大人なので、この前とは違うけど、やっぱりバリっと夏向きの上品なスーツ。美羽子はこの前のワンピースだが、ボレロをショールに、アクセサリーもヘアスタイルも違うものに変えているので、だいぶ印象は変わっていた。相も変わらず源が、美羽ちゃん最高だよかわいいよ、でもこんなにかわいいとナンパ野郎が寄ってこないかな、俺ずっと美羽ちゃんと一緒にいなくっちゃ、とハラハラしたり盛り上がったり忙しい。だが。

 比企の化けっぷりは、前回から更に磨きがかかっていた。

 まず、髪はやっぱりきれいに整えられていて、クリスタルっぽい質感の、大輪の花飾りが右サイドについている。両耳にはたぶんダイヤのイヤリング。両腕は白いシルクのロンググローブをはめている。足元はやっぱり華奢なピンヒールの白いサンダルで、そういえば先週のパーティでは、同じようなピンヒールのサンダルで大立ち回りを演じたのだった。こいつの体はどうなっているのか。

 そして圧巻は、肝心のドレスだ。クソほど目立つこと間違いなしだった。

 真っ白いチャイナドレス。それも、大胆なスリットが入っている、ロングサイズの。襟元から前身頃をを止める飾りボタンはすべて、頭の花飾りと同じ、クリスタルの硬質な輝き。チャイナドレスには淡い桜色の花の刺繍がでっかく入り、白い手持ちのバッグを持っていた。こいつはもやしっ子で色が白いので、遠くから見るとちょっとあらぬ誤解を受けそうだけど大丈夫なのか。と思ったら、比企が襟元のボタンを軽く弾くと、ドレスの色がふわりと変わった。妙につるんとした、金属的な表面だなと思って見ていると、一瞬虹色に発光して、それから目の覚めるような金色に変わる。驚いていると、バッグの色まで一緒に変わっていた。

「何が一流の仕立て屋は一流の化学者よ、だ。ただで新素材の実用実験がしたいだけだろう。試作品をいいことに、素子デバイスだらけにしやがって」

 なんかもう最先端技術の塊っぽい服で着飾りながら、その当人は仏頂面でうんざりしている。

 そういえば去年の今頃、比企はバイトで防弾スーツだかなんかの素材の実験をしたんじゃなかったか。思い出して訊ねる俺に、よく憶えていたな八木君、とちょっと驚いたように比企がうなずいた。

「東京露人街の、昔馴染みの仕立て屋でね。場所柄、色々な素材で色々な機能の服を仕立ててくれと注文を受けるもんだから、新しい生地を開発すると、試作品の着心地だの機能だの、実際どうなのかを確かめてくれと頼まれるんだ」

 断りたいところだが、仕事用の防弾服のメンテや何かで世話にもなっているので断りづらいんだ、とぼやいた。

「あのマダム、私に着せる試作品に限って、こうやっていらない細工や装飾をするんだ。困ったもんだ」

 エレベーター内は俺達だけで、比企はバッグから小さなワイヤレスレシーバーを出し、全員につけるようにと手渡した。小指の爪くらいの大きさと薄さだけど、マイク内蔵の骨伝導式で、自分で外さない限りは取れない。しゃべるときには、上から軽く触れて話をする。外れにくくするように、耳の裏に隠してパッチで留めた部分を、蓋をするように肌色の微孔マイクロポアテープで上から留めて固定。目立たないけど、これで八人全員が相互に連絡を取り合えるようになったわけだ。桜木さんと比企は、警備に入っている警察との連携もあるので、反対側の耳にやっぱり小型のワイヤレスイヤホンマイクを装着していた。

 エレベーターがチリン、と耳障りにならない程度に注意を引く音で、指定した階層に着いたことを知らせる。最上階の一層下、フェアウェルパーティの会場があるフロアだ。

 扉がスルスル開く。その真前に立って、比企はそれでは戦友諸君、といつも帰りがけにコンビニに寄ってパンを食おうと持ちかけるときと同じ調子で、背中越しに声をかけた。

「状況開始だ。我々の流儀でいこうじゃないか」 

 

 会場内は、先週のパーティと同じように華々しく、花やシャンデリアでキラキラ飾られ、着飾った老若男女がひしめいていた。唯一違うのは、出入り口や幾つかある通用口の両端に制服姿のお巡りさんが立っていて、ちょっとだけ物々しい雰囲気もあるが、会場の中へ入ってしまえば、それも目にはとまらない。会場ホールへ入る手前で、俺達は打ち合わせて、会場の中でバラけた。二人ひと組になって、それとなく会場内を歩き、周囲の様子を窺う。

 戦闘能力を考慮して、まず源と美羽子組、忠広とまさやん組に俺と結城組、更に本命として桜木さんと比企の組に分かれて行動。さっきの骨導音式レシーバーで連携を取るのだ。先週と同じように、コンベンションの主催者やゲストが代わる代わる短いスピーチをして、最後、司会者がフェリペさんの登壇をアナウンスした。

「フェリペ公子閣下は、本日のフェアウェルパーティの席上で、ぜひこの場にお集まりの皆様へお目にかけたい、と大変貴重なお品をお持ちくださいました! 」

 わっと歓声が上がる。沸き立つ会場の視線が、一斉に壇上のフェリペさんと、大使館から来ていると思しき警備員さんが運ぶケースに集中した。

 そしてスピーチが始まる。

 まずはコンベンションの主催者へ、ゲストとして招待を受けたこと、他のゲストやパネリストへ、有意義で楽しく、また学術的にも大いにインスピレーションを得られたことを感謝し、話題はフェリペさんの母国における、自然環境の過去と現状について、簡単に分かりやすく紹介された。

「我が国の未来については、この度のコンベンションで出会った皆様との対話から、いくつかのヒントをいただきました。更に、親友夫妻とそのご子息を通じて、新たな若い友人達との出会いもありました。そこで、」

 フェリペさんは警備員さんが押して運んできた、キャスター付きの台座を見遣った。

「私の大好きな日本の皆様に、ささやかながら感謝の意を伝えたいと思い、今夜ここに、我がレティラダの新たな宝をご披露致します。──二年前に偶然発見され、国外でこうして公開されるのは、今夜が初めてのものです」

 おお、とさざなみのような静かなどよめきがホールの中で波打った。

 こちらが、とフェリペさんが、台座にかけられた布をサッと取る。

「〈奇跡の孔雀〉です! 」

 純白のシルクの台座に据えられ、どこまでも深く澄明なピーコックブルーに輝く宝玉は、遠くからこうして見ても、あの夜、フェリペさんがスイートルームのリビングで無造作に、ゴロンと出して見せたのと変わらず、圧倒的に美しかった。

 フェリペさんが壇上に上がったときよりも、もっと大きな歓声がホールをはちきれんばかりに満たした。

 その瞬間。

 ポケットの中で携帯端末が一瞬ピキッと鳴った。二十一時に設定していたタイマーが鳴ったのだ。

 それと同時に、ホール中の照明が一斉に落ちた。

 いよいよ始まったのだ。

 並んで立っていた俺と結城は、背中合わせに立って臨戦体制をとった。

 さあ、来るならきやがれ。

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