第76話 五人とひとりと海から来たもの 12章

 冬の砂浜で、ぼんやりと海風に吹かれている。

 宮本のご隠居に和尚さん、宮司さんの三人に面会し、比企が引き出した情報は衝撃以外の何物でもなかった。

 ミガワリサマは、真の御神体が目を覚ますとヨリマシサマに変容するのだという。

 そして。

 ヨリマシサマは御神体を封じると、やがてじわじわと、自らが封じた御神体に近づいて、そして、やがて御神体そのものになり変わってしまうのだそうだ。

 メカニズムなんかわからない。何をどうすると変化を食い止められるのかなんて、もっとわからない。ただわかっているのは、討ち倒すには大きな犠牲を覚悟しなくてはいけない、ただそれだけ。

 比企は御神体──恵比寿を指して「不可解バフリングで構成されている」と言った。わからないということしかわからない、とも。

 ついさっきまで、宮本のお屋敷でご隠居さん、宮司さん、和尚さんと、宮本先輩との面会の席で、御神体を直で目撃した証人として同席した俺達こだま西イレギュラーズと桜木さんは、もっと衝撃的なことを聞かされたのだった。正直、そういう知りとうなかった系の驚きはもうお腹いっぱいで胸焼けしてる。

 だってさあ、渡海船がこの凪の浜に流れ着いたのはすげえ奇跡的な偶然なんかじゃなくて、船に収められて弔われた百五十年前のヨリマシサマ、みさきさんの意図した帰還だったなんて、おいそれとは信じられないだろ。しかもみさきさんがそうまでして戻ってこようとした理由が、なあ。


 みさきさんは、確かに偶然近くの海域まで流されてきたのだろう。ただ、それに乗じて戻ってきたのだ。近くまで来られれば自力でどうにか還れる。どうやって、はともかく、事実として戻ってきた。その理由は。

「本来ヌシというのは川や沼、山といった内陸部の、水気や空気が澱むほど濃い場所にあらわれるものです。だから、この浜の洞窟に潜んだあれは、実にイレギュラーなものであり、例外だらけ、謎だらけの不可解バフリングの塊である。だからこそ、凪の浜のヌシ伝承はこの町の中だけで完結してしまい、他地域のそれとリンクしあい補完し合うことはなかった。独自性が強すぎたんです」

 おかげでこちらも楽な部分はありましたが、と比企はそこで肩を揉んだ。

「楽、とは」

 和尚さんがぬるまったお茶に手を伸ばすと、比企は字義通りですと答える。

「他地域の伝承との類似やコンタミを気にせず、由来書に書かれたことだけを検証すればいい。作業としては難易度がやや下がりました」

「そんなに違うのですか」

 宮司さんが首を傾げる。違いますよと比企はうなずいた。

「他地域では、ヌシ同士の戦は確かに伝承として残っていますが、それは別の地域のヌシ同士が新たなナワバリや住処をめぐって諍いを起こし争うパターンです。この浜に伝わるそれとは様相が違います」

 そこで比企は俺達の顔を見て、由来書を指して首筋をほぐすように回した。

「この由来書はなかなか驚きの内容だぞ。戦友諸君に崩し字が読めないのが惜しいくらいだ。結城君なんかは滾る内容なのじゃないかな。ジャンプのバトル漫画が大好きだろう貴君は」

「バトル漫画て」

「比企ちんはよ本題戻って」

 忠広と結城が半笑いで続きを促す。このシリアスな空気で、そんなあほ発言をかまされるとビミョーに不発な感じしちゃうよな。

 だが比企はまったく気にもとめずに、しれっと続けた。

「我々が見たあれこそが、宮本の一族の始祖なのだろう。違いますかご隠居様」

 室内の全員の視線が、苺色の髪のチャイナ娘に集中した。まじか! いや、まじか!

 そして唐突に始まる、由来書を畳の上にベロンと伸ばしながらの、比企のダイジェスト解説。

 古文書の要所要所を指で指し示し辿りながら、比企は語り始めた。

「始まりは凪の浜に、なんだかよくわからない、ブヨブヨした寒天状の何かが打ち上げられたことでした。ただ、一緒に大量の魚が打ち上げられ、またその魚の大半が寒天状のそれに食らいついていたこと、その後しばらく、これまでにない豊漁が続いたことから、そのよくわからない塊は恵比寿として祀られた。そして、獲れすぎて捌ききれない魚介は、まだ生きていたのでしばらくの間、浜のすぐ近くの洞窟に、逃げ出さないよう網を張って保存しておいた。干潮時に洞の程よいところに網で仕切りをつけて、生簀のようにして置いたそうですよ」

 我々が恵比寿を見たあそこだ、と比企は俺達に言って、みかんを剥き始めた。

 だけど、そうやって思わぬ自然の恵みに喜んだのも束の間。恵比寿が打ち上がった夏から秋の初めへ変わる頃、異変が起こった。

 網元の娘が、婚礼の翌日から尋常でない喉の渇きを訴え、日がな水ばかり飲むようになった。最初の数日こそ、井戸から汲んだ甕の水を飲んでいたがいっこうに乾きが癒えない。ついには川で泳ぎながら水を飲んでいたが、それでも物足りない。やっと満足いく水に行き着いたのが、生簀にしていた洞窟の海水だった。その頃にはもう魚も食べ尽くし売り尽くし、網の仕切りも取り払っていたが、娘はそこで泳ぎながら水を飲み、やっと乾きが癒えた。が、水から上がるよう夫や親に促されると、激しく抵抗した。無理に連れ帰ると、夜中に家を抜け出し洞へ戻る。そんなことが何度も繰り返され、ついに諦めた家人は、洞窟の中に簡単な小屋をかけ、生活用具を運び入れた。夫はそれでもしばらく洞窟へ、新妻に会いに通っていたのだが、それも冬になる頃には途絶えてしまった。何度か帰ってくれと追い返され、ついにその頃には、足を運んでも小屋はもぬけの殻、入江の中から出てくる気配もなく、まともに顔を見ることもできなくなったのだ。

 そのまま一年が経ったある日、娘が父親の夢枕に立った。

 ──赤子を頼みます。私はもう、陸へ戻ることも育てることもできないので。

 手渡された赤ん坊は、ぐっしょりと濡れていた。

 飛び起きた網元は胸騒ぎがして洞窟へ向かうと、娘のために作った小屋の中に赤ん坊が寝ていた。抱き上げるその背中に、後ろから娘が声をかけた。

 ──今晩は決して外に出ないでください。私は恵比寿と戦うので、嵐になりますから。同じものが一つところにいることはできないのです。

 振り向くともう、ただ水面に何か投げ込んだような波が残るばかりで誰もいない。

 その夜は娘が言ったとおりに嵐が来た。翌朝、恵比寿を祀った祠を見ると、めちゃめちゃに打ち壊され、すっかり干からびた恵比寿だったものが転がっていた。

「さて、ここからが本番だ」

 全員がそこで、緊張からくる喉の渇きを潤そうと湯呑みに手を伸ばす。

 娘が残した赤ん坊は女の子で、やがて美しい娘に成長した。が、この子は普通の子供とは様子が違っていた。

「飛び抜けた賢さを見せるが、他人に対する関心がおそろしく低く、感覚もまた常人とは大きくかけ離れていた。まるで人の皮を被った怪物のような」

 たきと名付けられた娘は、やがて更に奇怪な変貌を見せ始めた。

 十になると徐々に、抜けるように色が白くなった。比喩ではない。本当に、身体中から色という色が抜け始めたのだ。もともと色の白い娘だったが、肌から血の気が失せ、黒髪が少しづつ色褪せ、やがてすっかり色がなくなってしまった。まるで、

「まるで、浜に打ち上げられ日に晒された貝のように」

 異変はそこで止まらない。すっかり真っ白になってしまった娘は、今度はどんどん透き通り始めた。その姿はさながら寒天の如く、目にした村人は一様に、あるものを思い出した。

「似ていたんだよ。いや、似ていたなんてものじゃない」

 半年も経つと、たきの姿は完全に、かつて浜辺に打ち上げられていたあの寒天状の何か──恵比寿と瓜二つになっていた。

 ヒトの輪郭を保っていたのは束の間、手足の指はすぐに癒着し、その手足もまた、胴にくっついてすっかり寒天の団子のように様変わりした。そして。

 凪の浜の村は、ここで一度ほぼ滅亡する。

 恵比寿に変容したたきは、村人の願いを片っ端から叶え始めた。願いとも言えないぼやきのような願いから、欲から生まれる願いまで、文字通り手当たり次第に。そして。皆の願いが叶うことで、村の人間関係が壊れ始めた。

「無理もあるまいよ。金が欲しいだの豊漁だのなんて願いならともかく、隣の嬶ぁや向かいの娘相手の横恋慕から、いけすかないあいつがくたばればいいのにとか、そんなことまでご丁寧に実現させちまうんだ」

 そりゃあ無理もない、人間関係荒れるよ。しかも、どういう因果関係なのかはさっぱりだけど、恵比寿が願いを叶えると、村の中のものが何か一つ、めちゃめちゃに壊れるようになった。最初は漁師のうちの一人の家の飯茶碗。それから、漁師小屋の軒が崩れた。檀那寺の灯籠が割れ、井戸が周囲の地盤ごと陥没し、それらは直しても新調してもすぐにまた同じように壊れてしまうのだった。俺は座って話を聞いているうちに、どうにも腰がガクガク引けて仕方なかった。因果関係がわからないのに、とにかく現象は起こるって怖くね?

 さあここからが最大の山場。ほぼ滅亡、っていうのは比喩なんかじゃない。本当に、物理で滅亡しかかったのだ。

 網元の家には、たきの他にも数人、年頃の子供がいた。たきの母親の兄弟が結婚して子供をもうけた、その子達だ。うちの一人に縁談話が舞い込んだ。都の大商人の息子で、うまく纏まれば一家は安泰だ。縁談の話を聞いて、網元はふと思った。

 どうにかうまく纏まらぬものか。

 たきが、いや恵比寿が、そんな些細な願いを見逃すはずがなかった。

 縁談はうまく行った。商人の息子は相手を一目見るなり気に入って、その日のうちに祝言をあげようと言い出し、網元の屋敷に滞在した。

 ことが起こったのはその夜だ。

 なんの前触れもなく、本当に唐突に、凪の浜に津波が押し寄せた。文字通りの怒濤、言葉通りの暴虐。網元からのお裾分けで、ささやかながら酒を呑み、祝いの膳のおこぼれをいただいてすっかり寝入っていた村の住人は、そのほとんどが気づく暇すらなく、大波に押し流されていった。

 後に残ったのは、網元の屋敷のごく一部と、漁師の暮らす小屋が村の外れの数軒のみ。それから、山の中にあって難を逃れた檀那寺と、恵比寿を祀っていた祠の跡地だけだった。

「まじか」

 心なし引き攣った顔で結城が漏らす。比企がその呟きに、そこで終わっていたらまだよかったがね、と答えた。

「え、嘘だろ」

「これ以上まだ続くのかよ」

 源と忠広がドン引きしている。

 ああ、と比企はうなずいた。

 村がめちゃくちゃに破壊されたその夜のことだったそうだ。あの、恵比寿と同じように変じた娘、たきの母親がいた洞穴の入江から、あの寒天状の恵比寿が出てきた。それはたきの母親だったのか、それとも最初に浜に打ち上げられていた恵比寿なのか、判別がつけられなかったが、とにかく出てきたのだ。村人の生き残りは、たきの母親がいた場所から出てきたのだから彼女だろうと思った。そういうことにした。実際はどちらなのかわかったものじゃないけれど、そこを掘り下げるのが、なんとなくおそろしかったのだろう。

 恵比寿は、自分とよく似た姿に変じたたきと対峙して、そして。

「いきなり戦い始めたんだ。いや、戦うというか、互いに相手を喰らい合おうとした」

「喰うって」

「待て待て待て」

 結城とまさやんが両掌を前に、ワイパーみたいに振ってうろたえるが、そんな凡人な俺らのご意見なんてどこ吹く風で続けるのが、比企の比企たる所以だ。

「似たような、というかそっくりな見た目のものが激しく諍うんだ。ただでさえ前夜の災害で混乱しているところにそれだ、見ているしかない村人たちには、どっちがどっちなんて見分けはつけられまいよ。とにかく、事実として、片方がもう一方に食われる、というか、溶け合うように吸収されて終わった」

 淡々と比企は結んで、一瞬座敷がしんと静まり返る。開けっぱなしの窓の外からも、なんの物音もしてこない。気味が悪いくらいの静寂を、不意に先輩の声が破った。

「待ってくれ」

 比企以外の全員の視線が先輩に集中する。

「そもそもの始まりはわかった。でも、じゃあミガワリサマとヨリマシサマは、一体そこにどう関わってくるんだ」

 言われてみるまでもなく、謎の存在同士の争いごとに、人間がどう関われるんだ。

 だけど、比企はそんな問いにすらあっさりと答えやがった。

「ミガワリサマは、新たな恵比寿になり変わる村の誰かの肩代わりをするからミガワリサマ。変化が始まると同時に、身代わりから憑座へと存在の態様を変えるのでヨリマシサマ。そういうことです」

「肩代わり? 」

「たきさんと恵比寿の争いから数年後に、それは発覚した。網元一族、あるいはその血族の誰かが恵比寿に変化する。二世代三世代に一度、一人が必ず。一見ランダムにしか思えなかったそれは、観察するうちに、変化する者の条件がわかってきた」

「条件? 遺伝学的な実証、というか、実例を観察して導き出したってことかい」

 桜木さんが訊ねて、比企がその言葉にうなずく。

「まず、その世代で一番血が濃いものであること。それから、女性であること」

 近親婚を繰り返し、血が濃くなると身体や知能にハンディキャップを負った子供が生まれやすくなる。それはつまり、

「ときに神降ろしに携わる巫女や神巫は、知能や精神にハンディキャップを持つことが多い。だから恵比寿が宿主としやすかったのか、それとも違う理由があるのか。それはともかく、事実としてミガワリサマは生まれ続けて、やがて宮本のご先祖のどこかの代で、こんなことを考える誰かがあらわれた」

「何を、」

「意図して近親婚を繰り返し、条件を満たす子供を生み出し恵比寿を意のままに動かせないものか」

 再び比企に、座敷に居合わせる全員の視線が集中した。なんてことを言い出すのか。

 何か言いかけた先輩を、軽く掌をかざすだけで制して、赤毛の探偵は続ける。

「恵比寿に変化し始めたとして、意思の疎通ができるのであれば対話もコントロールもできる可能性はある。対話ができるのならば、人間の願望を叶えるにしても、代償の不条理さをどうにかできるかもしれない」

 それは、まあ、できるなら実に理想的ではあるけどさあ! 考えるかよ普通! 誰か知らないけど、自分の子供や親戚の子供のことだぞ? 人の心があるんか?

 俺は初めて、人間の欲は本当に際限ないものなのだと、背筋がゾワゾワして怖くなった。我が子とか親戚の子とか、かわいいと思わねえのか。それとも、欲が芯まで染み込んじまうとそんな気持ちまで変わっちゃうもんなのか。

 だけどさ、そんなもん、そう都合よくうまくいくもんなのか。行かないと思うんだけどね。

「無理くさくね? 」

 俺の呟きに、まあなあ、と比企がうなずいた。

「まともな神経の持ち主であれば、思いつきすらしないことだよ。だが、思いついた誰かがいて、それは世代を越えて引き継がれてしまった。五十年百年なんて、生やさしいスパンじゃない。この由来書の記録を信じるなら、室町初期から連綿と、試みは近代まで続いていた」

「近代? 」

 桜木さんの声は掠れていた。

 比企はああ、と答える。

「より厳密にいうなら、昭和三十年まで」

「それは、」

「比企ちんその年って」

「嘘だろ」

 源、結城、忠広が目を剥いた。俺もまた、驚きすぎて軽く喘いでいる。まさやんがお茶で乾き切った口の中を潤そうとして、湯呑みが空になっているのを思い出して茶托に戻した。その年号は。だって。

「成功しちまったんだよ。とはいえ、目論見の半分だけだけどね。みさきさんは確かに、家人の言葉を理解はしたが、だからと言って共感する情緒は持っていなかった。精神構造が常人からはかけ離れていたんだよ」

 だから、

「みさきさんは確かに、一族内で敬われてはいた。だけど、その感情は敬愛とは程遠い、畏怖からくるものだった。渡海船を仕立ててまで弔ったのは、亡くなったことを悼み惜しんでのことじゃない。恐怖が土台となってのことだった。こんな怖ろしいものを、自分たちも入る墓に入れたくはない。できる限り遠くへ葬りたい。だがぞんざいな扱いは、やっぱり怖ろしくて出来やしない。ならば、最も敬われる葬送の儀礼でもって盛大に見送るのがよかろう。──渡海船というのは、本来なら敬意で送り出されるものだが、みさきさんのそれについてだけは、弔う側のやましさと恐怖でもって送り出されたんだ」

 これが、みさきさんが渡海船で弔われた理由。そして、ミガワリサマとヨリマシサマが生み出され続けた理由。

 

 これで謎のいくつかは解明された。

 御神体とは何なのか。なぜ、時代が合わない渡海船が仕立てられたのか。ミガワリサマとヨリマシサマとは何なのか。

 そうして解き明かされたものを取り除いていくことで、今何がわからないのかがはっきり見えてくる。

 今なお残る謎は三つ。

 渡海船に関心を示していた三人は、なぜ殺されたのか。誰が殺したのか。それから、繭はこの事件に関わりがあるのかないのか。きっと宮本先輩は、最後の一点を気にかけている。関係なんかないのだと信じたいのだ。

 先輩の気持ちは痛いほどわかる。俺だって、あの無邪気な繭が人殺しなんかに関わっているなんて、信じたくない。東京のお話を聞かせてとねだった繭。伊織にいちゃんをまもってねと俺たちに言った。

 だけど、何から、どうやって守るんだ?

 

 がっくりと肩を落としたご隠居さんと宮司さん、和尚さんは、それでも改めて比企が由来書を読みこうして内容を解き明かすまで、知らなかったこともちらほらあるようだった。宮司さんは由来書を読んだとは言っていたが、精読までには至っていなかったようだ。

 ご隠居さんによると、みさきさんの死去以来、もうミガワリサマとヨリマシサマを意図的に生み出すのはやめろと、当時の当主が遺言していたのだそうだ。跡を継いだ息子はそれに従った。そうやって、人体実験まがいの行為は、代々の陰の申し送りでもって積極的かつ計画的に生み出されることはなくなった。けれど、それでも自然発生的に新たなミガワリサマは生まれ出た。そして、ある日不意に姿を消し、あるいは次のミガワリサマを産み、そうやってこの奇怪なサイクルは続いてきた。意図的に産むのはやめたとはいえ、それでも宮本の一族は、ごく当たり前に親族間での婚姻がなされ、またそれに抵抗が薄い空気が出来上がってしまっていたのだ。

「世間では血が濃くなると忌避される近親婚は、ある時点までの宮本の一族間でだけは受け入れられ、むしろ奨励されていた。急に改めろと言われても、文字通り空気のようになってしまったそれを、爺様の遺言だから、といきなり切り替えるのは難しかろうよ」

 窓も廊下の障子も開けっぱなしなお陰で、座敷の中は冷凍庫のように冷え切っている。その上話題はというと、決して心温まるステキなお話なんかじゃないだけに、俺は心から温もりが欲しかった。上着着てるからってどうにかなるもんでもないだろ。

「何だか、みさきさんの葬送の話をこうして聞いてると、祟りを恐れるような心持ちだったのかもしれないね」

 桜木さんがため息のように漏らすのに、そうだなと比企はうなずいた。

「言い得て妙だ。みさきさんに対する家人の感情は、恐怖以外の何ものでもない。実際、記録を読むとみさきさんは、体より先に内面が変化し始めたようだからね。皆もちょっと考えてみてくれ。もしも、自分の身の回りの誰かが、例えば家族や友人が、ある日を境に些細な異変を見せ始め、半年もしたら別人のように変わってしまったとしたら」

 ある日ふと気がつくと、目の前の仲間の何かがいつもと違っていた。食い物の好みが変わり、癖が変わり、そして季節が変わる頃には見も知らぬ他人同然になってしまっている。それどころか、まるっきりの他人に変化してしまったとしたら。俺は何だか、今自分が座っている座敷の床が抜けてどこまでも落ちていくような、そんな寄る辺ない底なしの不安の予感の匂いをおぼえた。

 なるほど、親兄弟が曰く言い難い恐怖に囚われるわけだ。

 そこで俺の脳裏にふと、繭の言葉が浮かんでよぎった。

 ──みさきちゃんもはるかちゃんも、しっぱいしちゃったの。

 ──みんな、たきさんにまけちゃったの。

「みさきちゃんもはるかちゃんも失敗した」

 ぼんやりと口に出してみた俺の声だが、座敷の中で嫌な響き方で目立った。そうだ。あの、朝の海岸で、繭は言っていた。

「今度はたぶん自分の番だって、俺たちに邪魔するなって、繭ちゃん言ってたよな。先輩を守ってくれって」

「はるかというのは、みさきの次の代のミガワリサマです」

 宮司さんが半ば呆然として答えた。

 ということは。

「最大の問題は繭さんだ」

 比企がボソリとつぶやいた。

「繭さんが今、どんな状態なのか。いや、どの程度変化しているのか。宮本先輩の身を案じて、我々に保護を頼むということは、少なくとも心はまだ人間のままなのだろうけれど」

 ご隠居と和尚さん、宮司さんが顔を見合わせる。先輩が何かを堪えるように俯く。俺たちは一様に、厳しい表情で前を見据えていた。比企は険しい表情で、静かにひと言、できることは全部やってみますと言った。

 

 そして今、俺は海風に吹かれながら、ぼんやりとものを思う。

 つまり、みさきさんが帰ってきたのは、あの洞窟の中のこんにゃくゼリーみたいな寒天みたいな、繭のいう「たきさん」と戦うためだったのだ。戦って、勝てば相手になりかわる。

 と言っても、どっちに転んだってやっぱり寒天なんだろうけどさ。

 由来書と住吉神社に残った代々の宮司さん達の残した記録、およびそれを読み解いた比企の言葉を信じると、世代交代のたびに寒天とミガワリサマやヨリマシサマとの戦いがあって、その全部にたきさんが勝っている、ということになる。

 比企は実にいやそうな顔で言ったものだ。

「これではまるで巫蠱ではないか」

 まずは警察に話を通さないことにはどうにもならん、と佐藤さんに面会を求めて駐在所に行ったら、県警本部と遠隔で捜査会議中だというので、こうして散歩がてら終わるのを待っているのだが、桜木さんは参加しなくていいのか?

「僕はほら、小梅ちゃんの監督官だから」

 アッハイ。

 比企の言葉に源はちょっと顔を顰め、結城はフゴッと鼻を鳴らした。

「フゴ? って何? 」

 結城の豚っ鼻でちょっと気が抜けたのか、グフッと噴き笑いのあとに、まじないの一種だと赤毛の探偵は言った。

「蛇や毒虫をわんさか壺に閉じ込めて共食いさせて、生き残った最後の一匹を使うんだ」

「えぐぅ…」

「ミガワリサマと恵比寿の関係はまさに巫蠱だ。そのつもりはなかったのだろうけれど、結果として宮本の一族の選択は、恵比寿を使った巫蠱を生み出すも同然の行為にしかならなかった。完全な偶発なのだろうけれど、ヒッカモアを巫蠱に仕立てるなんて、およそ狂気の沙汰だ」

 自分で巫蠱って何だと訊いておきながら引いている結城に、ああまったく、と比企は荒々しくため息をついた。

「行楽気分で招待を受けたら、化け物で更に化け物を錬成しようとしているものに行き当たるなんてなあ! どんな悪魔合体だコノヤロー! あんなもん、県警レベルじゃ手に余るだろう! 」

「比企さん、介入できないのか」

 忠広はそう言うが、だってなあ、と当人は完全なぼやき口調で、

「私は探偵だからなあ。依頼がないと何もできないんだ」

 デスヨネー。

 もう完全に八方塞がりじゃねえか。

「私にできるのは、せいぜい調べた結果を資料とともに県警に提出して、応援を頼まれでもしない限りは外野席でがんばえー、とか声かける程度だ」

 桜木さんも、心底もどかしげにうなずいた。

「何でもかんでも大きな顔してしゃしゃり出たら、それこそ権力の横暴になっちゃうからね。その辺、探偵のライセンスは厳格なんだ」

 そうだ。比企は決して万能じゃないのだ。何でもできるけど、だからこそ依頼を受けて頼まれない限り何も手出しできないのだ。

 えー、と声を上げたのは結城だった。

「そんじゃあ李先生の弟子ってことじゃダメなん? 」

 ──出た! 天然の馬鹿力! 

 比企は目だけで反応した。

「李先生って仙人なんだろ? で、ああいうお化けとかどうにかできる人っぽいじゃん。そんならさ、李先生の弟子ってことで、堂々と関われるんじゃないの? 知らんけど」

 何それ、すげえ反則もいいところじゃん! でも効果はありそう!

 比企は黙って懐から、愛用の万年筆と黄色い紙を出した。何やら書きつけて、キュッキュキュッキュ折り紙して、あっという間に鶴を折る。フッと息を吹きかけると、丹頂鶴に化けた。細い首を優雅にもたげて、ケーンと一声。バサバサ羽ばたいて、まっすぐ東に向かって飛んでいった。

「報告はこれで済んだ。あとは、師命が下るかどうかだが」

 こればかりは師父のご判断次第だからな、と探偵は鶴が飛んでいった方を見遣った。

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