第39話 五人とひとりと大怪盗 1章

 いつの間にか季節が変わってました。

 もう梅雨どきだよ。おいおいどうする俺。

 どうも、毎度おなじみ八木真です。あなたのまこっちゃんです。現在高校三年生、彼女はいません。そこの美女、俺はそこそこ有望だと思うので、いかがですか、少年を育成してみませんか。

 さて、進学のために勉強会を今まで以上に増やして学力を上げようと必死な、いつもの俺達ではありますが、どうしよう俺、大学行って何を学ぼうか。とりあえず進学したいという話を親父とお袋にしてみたら、まあやるだけやってみろとは言ってもらえたけど、ただし受験は国公立か、私立ではあるけど学費の低い大河内学園の大学部のみ、浪人や、他の私立大で滑り止めなどは不許可。まあ、平均的なサラリーマン家庭じゃ仕方ない。チャンスができただけでもよしとしないと。ただ、問題は俺が何を学びたいのか、それをまだ見定められてないという一点にあるのだが。

 おいおいどうするよ。いい加減決めないとまじでやばいぞ俺。

 

 そんな俺の思いを代弁してくれてるかのような、ここ数日の天気は雨。それも、景気よく土砂降り、というのでなく、しとしととずーっと降り続けてるような感じの雨。お袋は味噌汁が傷むと愚痴りながら、でかいタッパに移して冷蔵庫にしまい、乾いたはずの洗濯物はどこか湿った匂いが取れなくて、傘を干そうにも、家族全員のものを干すとなると場所に困る。早くスカッと晴れてほしいとは思うが、かといって空梅雨になると夏場の水不足が気にかかる。人間というのは、実にわがままなものだ。

 だが唯一の救いは、休みごとの勉強会のおかげか、中間試験の結果が思いのほかよくて、成績に弾みがつきそうなことだった。何でもやってみるもんだ。おかげでお袋の機嫌もそう悪くはなくて、天気はぐずついているものの、俺の生活は実に平穏だった。

 火曜の夕方の、桜木家での勉強会でのことだった。

「親父が帰ってくるんだ」

 源のこのひと言が始まりだった。

「え、じゃあこっちの大学で教えるのか」

 まさやんが訊ねると、いや、と首を振って、

「夏休みで一時休暇だから、一時帰国だよ。半月ぐらいうちで過ごして、研究資料探しに旅行行ったり古本屋回ったりして帰るってさ」

「おじさん一人でか」

 結城にうんにゃ、と答えて、源がふにゃりと笑った。

「母ちゃんも一緒だってさ。よかったよ、これで美羽ちゃんを紹介できる」

 ヒューヒュー!

「頼んだぞ源、人類の平和はお前にかかっている」

「こいつはもう俺達の手に負えない、お前だけが頼りだ」

 俺と忠広が肩に手を置いて託すと、美羽子が順番に俺達の額をぴしゃっと叩いた。

 そこで源が、それでさ、と切り出す。

「今回帰ってくるのが、まるっきりの休みでってわけでもなくて、半分仕事というか、野暮用というかでさ」

「おじさん講演会とかするのか」

「えねっちけの歴史コンテンツとか? 」

「前に平安時代物の映画の監修してたよね」

 わいわいと身近な著名人の話題に盛り上がる俺達だが、その息子はそうじゃなくて、と手を振った。

「親父の友達が来日するんだよ。自然保護のコンベンションがあるとかで、ゲストとして招待されたんだって」

「あれ、おじさんは日本文学の研究してるんでしょ。自然保護っていうと、どっちかっていうと科学関係じゃない。どんな繋がりがあって友達? 」

 結城の質問に、源が説明してくれたのは、大体こういう経緯だった。

 源の親父さんが大学生の頃、南米の小国からの留学生とひょんなことから知り合い意気投合、学部こそ国文学と地球環境学とまるで違っていたが、互いに大学院まで進み、卒業後も交流が続いているのだそうだ。

 二人の専門分野にどんな接点があるのかとも思うが、比企によれば、何の不思議もないとかで、

「科学的な思考ができる文学者も、文学を解する心を持つ科学者も、存在のありようには何の矛盾もないよ」

 だそうだ。

 で、その親父さんの親友というのが、

「あ、この人」

 ちょうど夕方のニュースの時間帯で、天気予報を見ようとテレビをつけたそのとき、源が画面を指差した。

 自然保護の国際コンベンションに、カナダ出身の大御所映画俳優がゲストとして招待されたというニュースだった。画面に映画俳優と一緒に並んで立っていた、小麦色の肌の男性が、源の示した指先にいた。

 比企がちょっと目を丸くした。

「フェリペ公子じゃないか。経済界と産業界では、ちょっとした時の人だ」

「え」

「なんかすごい人なん」

「何してる人」

 わいわいと騒ぐ俺達、いいの、あほの子だってちゃんと自覚してるから。

「南米に小さいながらスペイン属領の公国があって、そこの次期領主と目されている方だ。現在の領主である公爵は高齢で、公式行事や外交を肩代わりされている。小さな島一つの領土で、元々は貿易の中継地点、ハブ港湾としてそこそこの外貨を得ていたが、公子が政務に参加されるようになったこの数年で、開発の手が入っていない山岳エリアでの自然観察トレッキングなどをプロデュースして、それが結構当たっている。ハイカーや自然科学者の間で注目されている国と人物だよ」

 まじか。なんかすげえ人だ! しかもガチのセレブじゃん!

「比企さんなんでこの人知ってるの」

 俺が訊ねると、まあ色々あって、と答える。

「きのうの午後に、うちの番頭のところに挨拶に来られてな。面会の際に私にも立ち会ってくれとうるさく頼まれて、トリスメギストスの本社オフィスでお会いしたんだ」

 ああ、そういえばこいつもセレブだったっけ。曽お祖母さんがスナック感覚でくれた製薬会社を、番頭さんとやらに任せっきりで、普段は俺達とのん気な高校生やってるけど、出るところに出ると、比企は名家のお嬢様なんだよなあ。じいやのミーチャさんとか、兄やのヴォロージャさんは直立不動で「姫様」呼びだし。まあ、普段のこいつを見てるととても信じられないけど。二丁拳銃で大立ち回り、悪党も怪物も何のその。先月には父親とド派手なカンフーで親子喧嘩までしてたもんな。そうか、きのう昼休みに入ったところで、大慌てで帰って行ったのは、そんな事情があったのか。

 なるほどなと比企はうなずいた。

「お会いしたときに、コンベンションのあとに休暇を取ったので、そのまま琵琶湖畔から京都へ行くとおっしゃっていて、石山寺のことなど話題になったが、なるほど、源君の父君と親しくしていらしたなら、興味をお持ちにもなるだろう」

 ほえーん、とため息をつくのみの俺達。

 で、と比企が水を向けた。

「源君のご両親の野暮用とやらは、親友であるフェリペ公子を案内するとか、そんなところかな」

 源がうなずいた。

「親父も学校が休みに入ったし、それなら一緒に日本旅行を楽しもうかっていうんで、フェリペさんがコンベンションに出てる間に、親父は資料探しして、終わったら源氏物語の聖地巡りしようって。で、」

 ここからが話の本番なんだけどさ、と源が身を乗り出した。

「コンベンション開始日の前の晩に、レセプションがあるんだ。丸の内のグランパレスホテルで立食パーティ」

 なんと、源は両親と一緒に、セレブのフェリペさんにご招待されたのだそうだ。しかも、

「よかったら大牙君、お友達も一緒においで」

 と、俺達も是非一緒に、とお誘いを受けたのだというから驚きだ。

「前に、フェリペさんがうちに遊びに来たことがあってさ、そのときに俺、みんなのことちょっと話したことがあったんだ。それを憶えててくれてたみたいで」

 成田空港で入国を済ませて早々の電話口でではあったが、気さくに誘ってくれたのだそうだ。

「で、美羽ちゃんと比企さんのことも話したら、都合さえよければみんな一緒においでって」

 まじか! 

「まじか! 」

 俺とまさやん、忠広、結城が同時にでかい声で叫んだ。

「親父とお袋も招待されてるから、美羽ちゃん、落ち着かないかもしれないけどよろしくな」

「…う、うん。あたしも、その、よろしくね」

 甘くてすっぱーい! あ、桜木さんがババロア切り分けながらほっこりしてる。

 そこに、申し訳ない源君、と比企が困ったなと言わんばかりの顔で詫びた。

「実は、私は別枠で公子からご招待を受けていてね。きのうの面会の際に、ちょっとした非常勤の仕事をしていると、話の流れで口にしたら、上司の方もご一緒に、と」

 上司の方がアイランドキッチンから、え、ほんとに? と嬉しそうな声を上げて、お茶とババロアを持ってきた。

「じゃあスーツ出しておかなくっちゃ」

 ちょっとウキウキしてるのがもう、かわいいかよ!

 しかし、とそこで比企がちょっと考えると、ここにいる全員が同じ場所に行くのに、バラバラに向かうのもおかしな話だな、と呟いて、そうだなとうなずいた。

「よかったら、うちで車を出すので、みんなで一緒に行かないか。正直、招待を受けたのは番頭の顔を立てるのと、トリスメギストスと公国との顔つなぎとが半々くらいで面倒だったのだが、戦友諸君が一緒なら、さほど退屈せずに済みそうだ」

「え、いいの? 」

 美羽子が遠慮がちに訊ねると、その方が私も気分よく出席できるから、と比企は答えた。

 まさか自衛隊御用達みたいな装甲車、なんてことはないのだろうが、どんな車が迎えに来るんだろう。

 あ、いかん。帰ったらお袋に、パーティーにどんな服装で行ったもんか訊いてみないと。

 

 そして金曜日の夕方。わかりやすいところで集合しようと、城址公園駅で待ち合わせた俺達は、迎えの車を見てぶったまげるのであった。

 

 駅前のロータリーに、なんかやたらと長い車がきた。おーすげえ、あんな車実在してたんだ。肉眼で初めて見た。なんて感心していたら、そのやたらと長い車は、駅前のロータリーで、いつもよりいい服を着てはいても、行動はいつも通りに、足元には明日の着替えを詰めた鞄を置いて、固まって屯してる俺達の前に停車した。

 俺ら男子五人は、各々急遽買ったスーツを着ている。火曜に家へ帰ってから、源と一緒にパーティに招待されたことを話すと「どうせ大学の入学式か就職かで着るんだから」と、前倒しでスーツ一式を買ってもらったのだが、みんなそれぞれの家で似たり寄ったりの会話の結果、やっぱり買ったのだそうだ。美羽子は従兄弟の結婚式で着たワンピースとアクセサリーに、ちっこいショルダーバッグで、源はあとで写真撮ろう、美羽ちゃん世界一かわいい、とワサワサしている。

 桜木さんはさすがに大人なだけあって、バリッとスリーピースのスーツに絹のネクタイ、ポケットチーフもさりげなく、靴もきれいに磨き上げている。大人や。そして。

 比企は、ある意味らしいっちゃあらしい格好だった。

 いつもは着崩した制服のスカートの下にジャージをはき、足元は靴下に軍用ブーツやハイテクスニーカー、休日ともなれば芋ジャージに珍妙なTシャツと下駄なのだが、今日はさすがに、そんな格好ではない。

 まず、足元はピンヒールのサンダルで固めている。膝が出るくらいの丈のチャイナワンピースは、淡いシャンパンピンクの地に淡い色の刺繍の蝶が乱れ飛び、耳には金で細工した藤の花のイヤリング。いつもはテキトーに寝癖を直しただけの苺色の髪は、きれいにトリートメントされたショートボブに整えられていた。元々化粧が必要ない類の顔立ちなので、簡単に半透明の色付きリップクリームかなんか、そういうやつを塗っているくらいだ。いや、俺あんまり詳しくないので、なんて呼ぶのかわかんないんですが。まあ、美羽子もちょっと化粧らしきことはしてるが、そこは高校生、あまりやり過ぎないように抑えめにしている。しかし比企は、こいつ、着飾るとえげつないな。本人にやる気がないのが唯一の救いだろうか。手には、あの鞄なんていうんですか、肩紐とか持ち手がついてない、ハンケチちり紙と端末くらいしか入らなさそうな手持ちのポーチみたいな鞄。チャイナワンピースと揃いの鞄持っていて、あの中にはまさか、ナイフとかは入ってないよな。

 俺達の前で停まった車の後部ドアが開いた。中から出てきたのは、

「お待たせ致しました御嬢様バンノチカ

「出迎えご苦労」

 これまた一部の隙もなく、ビシリとスーツを着こなしたヴォロージャさん。お懐かしや、去年の夏休み以来だ。

「これは皆様、お元気そうで何よりです。お久しぶりです」

 にこやかに俺達に挨拶してくれた。それから美羽子にも、初めましてと挨拶。

「御嬢様からお話は伺っておりましたが、実にチャーミングな方ですね。源さんと交際されているとか。まさにお似合いのカップルだ」

 これぞ社交術! 見てる分には人当たり爽やかな金髪イケメンだけど、結構な武闘派なんだよな、この人。しかも、春先に会った比企の大伯父さん・クリスが、月に一度は血をもらってるとか言ってたけど、人間ってわからない。

 それでは、と車のドアを開けてヴォロージャさんが俺達を促し、

「会場までお送り致します。どうぞ、お乗りください」

 夕方の帰宅ラッシュがぼちぼちやってきていて、俺達は駅へと向かう人達や、商店街へ歩くおばちゃんに注目されながら、次々とダックスフントみたいな車に乗り込んだ。

 あの、何ていうんですか、いわゆるリムジンというやつで、運転手さんもついてて、なんか車の中なのにミニバーとかあって、まじか。なんぞ。この車なんぞ。ヴォロージャさんがグラスを出して、ジュースをすすめてくれた。

 パーティ会場のホテルへ向かう車中、話題は卒業後の進路のことになり、俺は大学進学は決めたものの、何を学ぶか決めかねていると言うと、ヴォロージャさんはちょっと考えてから、

「八木さん、もしよろしかったら、大学を出られてから御嬢様のブレーンとして、トリスメギストスに入社なさいませんか」

 え。なんかとんでもないこと言い出したよこのイケメン!

「もちろん、社主のブレーンですから、雇用としては弊社に在籍していただきますが、実際の業務は御嬢様の探偵業のサポート、各種方面とのネゴや折衝の補佐をお願いできないものかと」

 要は私のアシスタントをお願いしたいのです、と続けた。

「しばらくはまだ私一人でもこなせなくはないのですが、五年先、十年先を考えると、やはり安心して分担し任せられる人材が欲しいところでして。その点、八木さんは御嬢様のご友人で、人となりもよくご理解くださっているし、何より私も安心してお願いできる」

 まじか。このイケメンまじか。

 もちろん、お返事は今すぐでなくて構いません、あと四年はありますから、進路の一つにお考えいただければ、とヴォロージャさんは言ったが、うん、たぶんこれは本気だ。とりあえず、考えておきますと答えておいた。

 日が沈みかけて空がオレンジと淡いピンクに染まる頃、リムジンは会場のホテルの正面に乗り付けた。

 ご招待を受けている手前、あんまり早々と引き揚げてしまうのも失礼だ。フェリペさんは気を利かせて、俺達のためにこのホテルの部屋を取ってくれたそうで、全員、今日はご厚意に甘えて宿泊することになった。美羽子は比企と一緒にツインルーム、あとの男子六人は三人で一部屋ずつ。

 俺達五人は、煌びやかな場所でめかしこんでパーティ、という状況にすっかりご機嫌で舞い上がっていた。だが。

 みんなすっかり忘れていたのだ。

 そう。比企小梅あるところ、トラブルが待ち構えているのだ。

 

 豪華な大会場で、着飾った男女が集まって、壇上でコンベンションの主催者や招待された学者やゲストが短いスピーチをして、乾杯の音頭。俺達の他にも数人、未成年と思しき人がいて、そこは超一流のホテル、ちゃんとソフトドリンクも用意してくれている。ボーイさんが、見た目はアルコールが入ったものとさして変わらない、カクテルそっくりのジュースを、未成年とわかる客にすすめて回る。雰囲気を壊さないように、あえてそっくりに作っているのだろう。が、比企はしれっとアルコールの入ったカクテルを取って飲んでいた。まあ、こいつは実際にはとっくに二十歳を過ぎている。しかも存在自体が斜め上なので、さして問題はないのだろう。

 立食パーティとはいうものの、実際に何か食ってるのは客の半分もいなくて、それだってみんな、小さな皿に一口サイズのサンドイッチが二切れ三切れ乗っているくらい。さすがに俺達も、わーい食うぞー、とはなれず、同じようにサンドイッチをちまちま摘んでいた。比企は大丈夫なのかと思って見れば、さっきまでカクテルを飲んでいたはずが、ワイングラスとか持ってるんですが。

「食事より酒の方がコストがいいんだ」

「魔力だか霊力だか、ってあれ? 」

「ああ。それに、ワイン程度じゃ酔えやしないさ」

 ちょっと離れた、向こうのでっかい生け花の前では、源が両親と美羽子と楽しそうに話をしている。そこに、親父さんの親友だというあの、南米のセレブのフェリペさんがやってきて、ハグと握手、それから源と美羽子が挨拶して、そこで源が俺達を手招きして呼んだ。無事に顔合わせが済んだようだ。

 何となーく固まっていた残りの六人が、ゾロゾロと合流。フェリペさんが軽く両手を広げて、いやあ驚きました、と、ちょっと訛ってはいるけど上手な日本語で感嘆し笑った。

「まさか、大牙君のお友達が、トリスメギストス・ファーマのご令嬢だったとは! 世間は狭いとはこのことですね! 」

「私も、閣下が学友のお父君の親友だとは思いもしませんでした。先日、源君から話を聞いて大層驚いたものです」

 閣下が日本通だということは有名ですが、理由がやっとわかりました、と比企が笑った。

「この上なく最高の、日本文化の先生が身近にいらしたからだったのですね」

 そこで源の両親に、こだま西高校で大牙君と同級の比企と申します、と挨拶する。

「大牙君はもちろん、御子息のお友達にも日頃からお世話になっております。訳あって外国暮らしが長かったもので、日本での日常的な生活文化など、皆さんに教わり助けていただくばかりです」

「いやいや、剣道バカの倅なんぞでもお役に立つなら」

 ご両親と比企とが、ニコニコと和やかに挨拶を交わし、そこで親父さんが知り合いに声をかけられた。それでは、と会釈し、ご両親が呼ばれた方へ向かう。

「どうぞごゆっくり、楽しんでいらしてください」

 フェリペさんと俺達も互いに挨拶。桜木さんはラペルの奥から名刺を出した。うわ、初めて見た桜木さんの名刺。警察庁の役職よりでっかく、勅命探偵スネグラチカ監督官、って、えげつな! アピールえげつな! 比企の関係者です、って、マーキングかよ、えげつな!

 フェリペさんはただの高校生でお子様丸出しな俺達にも気さくに、フェリペと呼んでください、と言って、日本の高校生はおしゃれですねと笑った。

 お父さんが公爵で、その後継候補だと言っていたが、ということは、王子様みたいなもんなんだろうか。そういう認識であってる?

 それはともかく、フェリペさんは実際、いかにも王子様なイメージの人だった。

 身長こそ結城よりやや低いが、こいつは一九二センチもあるので比較対象としてはお話にならない。なんであれ結構な長身であることは確実だ。桜木さんよりちょっとだけ高いくらいか。スリムな体型で、外国の人だからね、腰の位置がもう違うよね。小麦色の肌に黒髪、瞳も黒くて、きれいにセットされた黒い口髭。今年で四十二になるそうで、だけど知的好奇心に満ち溢れているせいか、年齢よりもずっと若く見える。気さくな人柄も相まって、話をしていても、同じ年頃の相手と会話しているような感じがして、ちょっと不思議だった。

 フェリペさんは、日本の若者の日常文化に興味津々らしく、俺達もフェリペさんのお国・レティラダがどんな国か、互いに楽しく話をしていた。

「スペイン語で辺境、国境という意味ですね。はるかヨーロッパの本国から見れば、我が国は地の果てに浮かぶ離れ小島のように思えたのでしょう。十五歳の頃に初めてスペインの地を訪れてみて、それがよくわかりました」

 二年ほど前に、島のほぼ中央にある火山と周辺の森に地質調査が入り、鉱物とか宝石とか、資源が出る可能性が高いと出たそうだ。今はフェリペさんのお父さんの公爵が、無闇な開発は抑えているが、これからどうなるものか、フェリペさんはそれが心配なのだそうだ。だから、今回のコンベンションや環境保護の活動などにできるだけ参加して、環境を保ちながら国民を貧困から守る道を、どうにか見出そうとしているのだと、穏やかながら決然として語った。

「辺境にあって貧しかったがゆえに、開発の手が入らなかった我が国の自然環境は、世界の情勢を鑑みて振り返れば宝です。それは何としても守るべきですが、しかし、国土は国民が住み暮らしているからこそ生きた土地となる。国土と国民、両方は本来対立するものではありません。これをいかに守り栄えさせるかが、今の私達に課せられた宿題なのですよ」

「難しい問題ですね」

 美羽子の言葉に、ええ、とフェリペさんがうなずいた。

「だからこそ、私は若い方達と語らい、今とこれからに何が求められるのかを知りたいのです。これでも私はしつこいのでね、諦めませんよ! 」

 真面目な話からグッと砕けるフェリペさんに、俺達が思わず吹き出した、そのとき。

 会場の入り口扉の辺りで、何か人が揉めているような声が聞こえてきた。

 タキシードのおじさんを突き飛ばし、甲高い声で抗議する着物姿のおばさんを払い除け、ダークスーツの男達が踏み込んでくる。小さい悲鳴が上がり、警備員を呼ぶ声がして、パーティ会場は騒然となった。

 源とまさやん、結城に桜木さんの目つきが瞬時に緊張する。それと比例するように、比企の顔が実にご機嫌な表情に変わった。

「桜木警視、戦友諸君。パーティのお客を避難させてくれ。源君、笹岡さんと閣下を頼む」

 うわあ。すっかりご機嫌だ。フェリペさんがあなたも、と比企に避難を促すが、いや、無駄ですフェリペさん。もうこいつはやる気満々です。こんな面して喧嘩っ早いんです。

「お構いなく閣下。得意科目ですので」

 まさやんと結城が、ホールの奥の扉を開けて他のお客さん達を誘導し、忠広はホール中を駆け回って、右往左往するお客にドアへ向かうよう声をかけていく。

「フェリペさんこそ早く! 」

 源が左手で美羽子の腕を、右手でフェリペさんの腕を取って促した。

「いや、バンノチカ・コウメを残しては行けません。私も残ります」

 この人ほんとにいい人だな。中身も真物の王子様じゃん。でも、世の中には例外ってものがあるんですよ王子。

 大丈夫ですいいから、と俺もフェリペさんの背中を押した。

「むしろ俺達がいると、比企さんの気が散って全力で戦えないです。足手まといになっちゃいますから」

「戦う? 誰が」

「どうしても心配なら、あっちの隅っこに行きましょう」

 俺達も扉のすぐ傍、結城の隣に向かう。源の両親も一緒に立っていて、結城とまさやんを手伝って、パーティ客に声をかけ誘導してくれていた。

 扉の向こうを見れば、警備員さんやホテルの人が待っていて、出てきたお客をフォローしてくれている。

 比企はダークスーツの男達が取り巻くホールの中央辺りへ、ゆっくり進んだ。華奢なピンヒールが豪華な絨毯を踏む。

 ぴたりと立ち止まると、ダークスーツの男達が一斉に身構えた。どうやら、身の程知らずでチョロチョロ出てきた小娘と思っているようだ。見るからに銃くらい持っていそうな男達は、素手で片付けられる相手と踏んだのだろう。

「室内戦、人数はおおよそ四十人。銃なし、刃物なし、砲なし。──よかろう」

 顔を上げた比企は、実に愉しそうに唇の端を吊り上げた。

 男達が一斉に殴りかかる。

 声を上げかけたフェリペさんが目を瞠った。

 突進してきた最初の一人の顔に立てた前腕を打ち込む。吹っ飛ばされた男が、後に続く仲間の群れに倒れ込む。その間に、比企は次の一人の腹を蹴り、同じように跳ね飛ばす。数人を殴り飛ばしてから、今度は後ろから来た一人を蹴りつけ、あとはもう、踵を入れて蹴り倒す、手刀で薙ぎ払う、くるりと回転しながらの蹴りで払い除け、とやりたい放題。あのピンヒールで、よくまあここまで動けるな。

 不意に、吹き抜けの一つ上のフロアから驚きの声が上がった。そちらに顔を向けると、これまたダークスーツの大柄な男が、手摺りの柵を乗り越え飛び降りてくる。

 遠巻きに比企を取り囲んだようでいて、実は散々ぶっ飛ばされてのされた男達の輪の中、比企の正面に立って、男は身構えた。

 ちょうど中間にでっかくて重たそうなテーブルが出ていた。男はそいつに駆け寄り押し蹴ってスライドさせる。テーブルはそのまま横滑りし、比企に迫り──比企は、ガラス細工みたいなほっそい足をひょいと上げて受け止め、蹴り返した! 男も反対側から押し返すように蹴り付け、すぐにテーブルは粉々にぶっ壊れた。

「やるなお嬢ちゃん」

 男は比企に劣らぬ愉しそうな目で言って、飛び上がり左右の足を交互に蹴り出す。それを手刀で払い除け、ひょいとかがむ比企。男の回し蹴りが空を切った。

「扉を閉めてくれたまえ」

 入り口近くにいたボーイさんに比企が指示して、気づいたボーイさんが慌てて扉を閉める。

 男の回し蹴りを顔を傾けてよけ、首筋に手刀を叩き込む。あとはもう、激しい打ち合いの応酬だ。

 一瞬だけ、数歩の距離をとって呼吸を整え睨み合う。勝負は割とすぐについた。男の胸倉に蹴りが決まり、壁際に吹っ飛ばされた奴に、比企は更にもう一撃…と思ったが、寸止めで終わらせた。これ以上やったらタダでは済まないと判断したのだ。が、この手加減を侮られたと取ったのか、奴は立ち上がり再び挑みかかった。

 腹を決めて、再度向き直る比企。

 今度はもう少し加減するのをやめたようだった。肘を首筋に叩き込む。腹に掌を打ち込み、構えて立った男の左足を脇から強かに蹴り付けへし折った。苦痛に悲鳴を上げながらも、片足でなお立とうとする。比企はその盆のくぼに踵を落とし、男はやっと倒れ伏した。

「…詠春拳を使う女なんか、初めて見たぜ」

 ため息のように男がうめいた。

「それも、こんなお姫様みてえなお嬢ちゃんが、達人の域に達してやがるとは」

 悔しいねえ。

 男が苦笑した。

「俺にもそこまでの天稟があれば」

「やりたければまず足を治せ。脛だけの単純骨折だ。次はただの武術うーしゅうの使い手としてやろう」

 比企の言葉に男がぶっと吹き出した。

「そうだな。仏殿を拝もうにも、俺はまだ山門を潜ってすらいない」

「そういうことだ」

 比企はうなずいて、ことの成り行きを見守っていた俺達のところへ戻ってきた。

 すっかり慣れっこの俺達はもう、腹減ったしさっさと客室に引き揚げて地下のコンビニにでも行こうや、なんて相談をしており、一方でフェリペさんと源のご両親は、何が起こったのか理解が追いつかないと言いたげな、ポカンとした顔で立っているのだった。

 

 いやあ、意外と頑丈なサンダルで助かったな、さすがはジミー・チュー、などと豪快なガハハ笑いで宣いながら比企はソファーにどかっと腰を下ろした。

 ラウンジから見るフロント前のコンコースは大騒ぎで、駆けつけた警察が続々とダークスーツの男達を連行していく様子が見えるが、それどころではないのだろう、誰もラウンジへ来る様子はなく、ウェイターさんが飲み物と大皿のクラブハウスサンドを運んできた他は、俺達御一行様が独占していた。

 それで、と比企は、フェリペさんにもの言いたげな笑みを向けると、閣下、と実ににこやかに切り出す。

「あの場には確かに、学術面で国際的に重要な碩学の面々が揃っておられましたが、ああした不貞の輩が付け狙うほどのVIPともなると、さすがに閣下以外にはいないだろうと思うのですが、」

 フェリペさんが肩を強張らせる。

「お心当たりはありませんか」

 テーブルについた面々──俺、忠広、まさやんに結城、源と美羽子、桜木さん、それに源のご両親が、一斉にフェリペさんの顔を見つめる。比企はでんとソファーに収まり、腹が立つほどの美脚を組んで悠々と紅茶を啜っている。態度でかいな!

 しばしの沈黙ののち、ふっとフェリペさんは息をついた。

「…そうですね。確かに、私は狙われてなんていない、と言ったところで、信じてはもらえないでしょう」

 フェリペさんはスーツのラペルに手を突っ込んで、何か大きな塊をごろんとテーブルに置いた。

 きれいな青緑の、透き通った塊。複雑なカットがキラキラと光を受け止めている。

 比企が息を呑んだ。

「パライバ・トルマリン? …いや、しかし、まさか」

 そこでハッと何かに気がつく。フェリペさんに向き直った。

「閣下。もしやこれは貴国の宝重〈奇跡の孔雀〉ではありませんか」

「さすがバンノチカ、あなたに隠し事はできませんね」

 そうです、とうなずくフェリペさん。

「おっしゃる通り、我が国の国宝の一つ〈奇跡の孔雀〉に他なりません。私がこれを肌身離さず持っているのは、理由あってのこと」

 バンノチカ、とフェリペさんが比企に深く頭を下げた。

「あなたのお知恵とおちからを、私と母国レティラダに、お貸し願いたいのです。我が公爵家は、現在大変な危難に見舞われております」

「…とおっしゃると」

 比企の声と表情が変わった。冷徹なプロフェッショナルそのものの眼差し。

 フェリペさんは、はい、とうなずいて、とんでもないバクダンみたいな重大事実を打ち明けた。

「実は、先日父のもとに、この宝玉を盗み出すと予告状が届いたのです。差出人の名は、」

「ドヴェルグとあったのでは」

「…そうです。ですがどうしてわかったのです」

 比企の言葉に驚くフェリペさん。赤毛のロシア娘は、驚くほどのことではありませんと受け流した。

「珍重の品や貴重な宝石を狙うものといったら、真っ先に上がる名前です。しかしまあ」

 厄介な相手に目をつけられましたね、と言って、比企はクラブハウスサンドを食い始めた。

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