第18話 五人とひとりと聖なる夜 1章

 どうも、毎度お馴染みヤギです。人間だけどヤギです。皆様いかがお過ごしですか。

 俺達は、期末試験の真っ最中。毎日試験が終わると、上海亭で答え合わせと明日の科目の対策。まあ、答え合わせっていうか、比企の回答を俺達のそれと引き比べて、どの程度合っているかを確認するんですがね。

 その合間に、何となく駄弁っていると、そのうち桜木さんが比企を迎えにやってくる。初夏の事件以来、定期テストというと毎度この繰り返し。

 今回もまた同じ。

 テスト二日目も、俺達はやっぱりテストの答え合わせでひと頻りわいわい騒いでから、飯を食いつつ、冬休みの旅行の話などしていた。

 メンバーはいつもの俺達五人と比企、それに美羽子。文化祭の一件からこっちの、いつものメンバーだ。

 今度の旅は、京都に行こうと決まったのだが、比企は忙しいとぼやいていた。仕事でも入ったのだろうか、と思って訊ねると、そうではないという。

 もやしそば特盛を啜りながら、比企は別件だという。

「やっとよさそうな部屋が見つかってな、試験休みに内見に行くんだ」

 え。

「え、比企さん桜木さんのマンション出るの」

 美羽子が驚愕のあまり、クソシリアスな表情になった。

 出るよとあっさり答える比企。

「昔馴染みの爺が、やっと監督官の交代を考えると言ったからな」

 そのとき。タイミングがいいのか悪いのか、比企を迎えにきた桜木さんが、店の出入り口を開けた。

 その瞬間の桜木さんの顔といったら。

 瞬時に笑顔が凍りつき、顔色が白くなった。俺は笑顔のまま静かに激怒する人を、そのとき初めて見た。やだ何あれコワイ!

 いらっしゃいと声をかけようとして、親爺が口をつぐんだ。そのぐらい圧がすごかった。

 いつもならこんにちは、とカウンター越しに挨拶するのに、桜木さんはまっすぐこちらへやってきて、ねえどういうこと、とにこやかに静かに詰め寄る。

「何それ僕何も聞いてないよ。大浦警視監も何も言ってなかったしねえどういうこと。公社からだって特に問題があるとか連絡ないよ」

 穏やかだけどすげえ早口。でも比企は淡々ともやしそばを啜り、だってとっくに最低限の任期は過ぎたじゃないか、と言って、スープを飲み干した。

「あんた、初対面で言ったよな。半年で芝に戻してもらえるならやるって」

 そのまま親爺にレタス炒飯特盛を注文すると、俺達に向かって、こいつ出世したいから監督官引き受けたんだぞ、とニヤニヤして、比企は桜木さんを指した。

「監督官の任期は最低半年。本来なら十月にはもう、お互い気分よくコンビ解消、のはずだったんだけどな。後任が見つからないと、知り合いの因業爺がのらりくらり逃げ回って今に至るわけだ」

「因業爺って、大浦さんは君のこと子供の頃から知ってるんでしょ」

 へーソウナンダー。でも俺達みーんな、もう話が変わってること知ってるよ! 比企以外は知ってるよ!

 芝って何だとまさやんが訊ねると、警察庁だと比企が答えた。

 よかったじゃないか、と比企は茉莉花茶を茶碗に注いだ。

「これで年明けには晴れて芝に帰れるぞ。色気のない、面倒なメスガキの世話なんかしなくていいんだ。家に女だって連れ込めるし」

 何だろう。なんかすげえ皮肉な感じ。

 悪かったよと、桜木さんはすっかり萎れた。

「桜木さんもしかして」

「言ったんすか。色気がないとか面倒とか」

「全部地雷じゃないすか」

「ないわー。いやまじで、ないわー」

 忠広と源、まさやん、結城がドン引きして天井を仰ぐ。

「それ、全部女の子には言っちゃいけないことですよ。信じらんない」

 美羽子の言葉に、桜木さんはいよいようなだれた。

「だからごめんって。ほんとに。後悔してる。まさかこんなに楽しくなるとは思ってなかったんだよ」

 でもさあ、だからっていきなり監督官を変えたいとか、そんなのないよ、と桜木さんは頭を抱えて抗議。

 比企はどうなんだろう。桜木さんは今の暮らしが楽しいって言ってるけど。俺はふとそう思った。

「比企さんはどうなの。桜木さんが監督官やってて、やりにくいとかはあったの」

 俺が訊ねると、そうだな、としばし考えてから、まあそう困ることはなかったな、と比企は認めた。

 って過去形!

 大丈夫なのか桜木さん。このままだと、好きっていう前に監督官だった人の一人で終わっちゃうよ?

 ねえほんとこの二人大丈夫なんすか。

 

 探偵・スネグラチカの監督官は、これまでに三人。

 一人目は特捜検事だったというお爺さん。この人との相性は最悪で、法的に問題がないよう準備を整えろと、比企は常にガミガミ言われていたが、

「実際の探偵の仕事、それも特級のマル勅に来る仕事なんて、大半は待ったなしの急ぎだ。そんな暇なんかないさ。その場で即座に判断しないと死人ばっかり増えちまう。あの爺さんはそれが最後までわからなかった」

 相互理解に至ることなく、半月もしないうちに監督官が辞退。捨て台詞は「こんな瘋癲娘に付き合っていられん」だったそうだ。

 二人目は、防衛省の佐官だった。

 この人はいい人だったよと比企は言った。

「まだ三十二だったか、何だかお姉さんみたいで、実際の仕事の回し方にも理解があったし、私のこともかわいがってくれたよ。ああ、でも女の子はもっとおしゃれをしろと、よく叱られたな」

 しかし、このお姉さんも半年と続かなかった。きれいな人で、一時期は広報課にもいたそうで、その当時のPRムービーを見た男がタチの悪いストーカーとなった。よりにもよってそいつは、お姉さんが乗ったバスをジャックして、手製爆弾で心中を試みようとしたのだという。結果は、お姉さんは今も元気。男は比企にボコボコにされたが、気絶する間際に爆弾を起爆させて死んだ。

 比企は炎と爆風からお姉さんを庇い、背中に大火傷を負っているのに、くだらない冗談でケタケタ笑いながら、お姉さんをお姫様抱っこで救出したと記録が残っているそうだ。救出劇から数日後、お姉さんは泣きながら監督官を降りたいと申し出た。比企は引き留めなかった。

 三人目は、比企のいう「因業爺」こと桜木さんの上司、大浦警視監。比企が親父さんの仕事を手伝わされるようになってから知り合った。日本国内で仕事をする際の、警察側の窓口だったのだそうだ。そんな仕事をしているくらいだから、ただ偉いだけでなく、裏の事情にもよく通じているし、比企のこともよく知っている。だけど比企は、この人が大嫌いで、また本人も忙しいので、何か仕事をしたら事後報告で名義だけを借りていたのだそうだ。

 今までだってそれで回ってたんだ、ずっとそれでよかったのにな、と比企は炒飯をかっ込みながらぼやいた。

 今年の春のことだ。四月に入ってすぐ、大浦警視監の執務室に呼び出されると、いきなり話を切り出されたのだという。

 ──ごめんね小梅君。

 どの件で謝るんだと比企が素っ気なく訊ねると、大浦さんはうん、とうなずいて、おじさん、また昇進しちゃった、とはにかんだ。

「だから、もっと忙しくなっちゃうの。で、そうすると、君の監督官、できなくなっちゃう」

 そいつはよかったと比企は答えたのだそうだ。よっぽど嫌いなんだな。

 でも大浦さんってのは、昔からの付き合いがあるだけに慣れているのか、怯みもせずに続けた。

「だからね、おじさんの部下に面白い子がいるから、代わってもらうことにしたんだ」

 それが僕なんだよねえ。と桜木さんは、茉莉花茶を啜ってため息をついた。

「呼び出されて上司の執務室に行ったら、顔はきれいなのにヨレヨレのジャージ着た女の子が、応接ソファーでふんぞり返ってて、何者かと思ったよねえ」

 大浦さんは、桜木さんが入ってくると、彼が新しい監督官だから仲よくしてねと、比企に一方的に宣言した。

「で、いきなりで面食らったし、もともと無茶振りの多い人だったから頭にきて、つい」

 ──探偵ですか。はあ。マル勅。こんな子供でも務まるんですね。

 ダメじゃんと俺が思わず呟くと、悪かったと思ってるよと桜木さんはうずくまった。

「どうせ女探偵なら、もっと色気のある大人はいないんですかね。こんな面倒くさそうな子供じゃなくて」

 桜木さんの、比企に紹介されたときのセリフがこちら。ダメじゃん。

 しかもこのセリフの後に続くのは、半年で終わるなら、まあ仕方ないやりますよ、だったんだからもう。

 うん、いやいややってる感しかないよね。比企が誤解するわけだわ。

 で、実際のところはどう変化したんですかね。その辺気になるんですが。

 最初の半月程は、大浦さんと同じように名義だけ貸していたのだそうだ。そんなある日、受けた仕事の都合で、比企を家まで送って行ったのだけど、

「すごいボロアパートに住んでた」

 店子は比企一人だけ、過去に入居していた若い夫婦と赤ん坊が殺された事件があってから、気味悪がって入居者が入らず、比企が立ち退いてくれさえすれば取り壊せると大家がこぼしているという、文字通り曰く付きの事故物件だった。壊したいぐらいだからメンテナンスなんかしないし、あちこちひび割れだの雨漏りだのがあって、ガスと電気と水道が繋がってるだけの廃墟だった。しかも部屋にあるのは、本がみっしり詰まった段ボール箱の山と、ずだ袋としか言いようのない鞄に幾らかの着替えが入っているだけ。あとは、さすがにこれだけは専用のいいケースに収まった銃があったが、家具もなければ布団の一枚もない。倉庫で寝起きしているのと大差ない状態だったのだそうだ。

 桜木さんはその場で、自分のマンションに引き取ることにしたのだという。大英断。

 まず、銃のケースを全部トランクに詰め込んで自宅で下ろして、比企に冷蔵庫の作り置きで夕飯を食べさせている間に、何度かアパートとの間を往復して荷物を全部運び込んだ。作り置きはきれいに食べ尽くされたが、それでもこの子に人間の暮らしをさせないといけないと思った方が強かった。

 比企さんよく逃げなかったねと結城が感心すると、鍋巴グォパがうまかったから、と比企は炒飯の最後のひと口を掻き込んだ。

「ちゃんと餡がパチパチいってたし、それじゃあ次はどんなものが出るのかと気になった」

 …初手から胃袋摑んでたんだね。

 出会いがそんなだったから、比企はいまだに仕事上の関係だとしか思っていないようで、だから桜木さんの呼び方も思い切り他人行儀な「桜木警視」。俺達よりもよそよそしい。仮にも居候させてくれてる相棒に、それはどうなのかと思っていたけど、なるほど、そういう出会い方だったからなのね。ほえーん。俺なら半月も経てば、そういうの崩れちゃいそうだけど、比企だからなあ。

 桜木さんは、一緒に暮らして一緒に仕事をしてるうちに、だんだん楽しくなって行ったんだろう。けど、比企はどうなんだろう。

 楽しいとか、そういうことをちらっとでも思うことはなかったのか?

 

 その翌日、上海亭にあらわれた比企は、これまでにないくらいご機嫌ななめだった。

「何で出ていくとしつこくてな」

 仕方ないと思うよ。

「しかも、監督官は辞めないときた」

 でしょうね。

「初対面であれだけ嫌がって渋っておきながら、何を考えているのか」

 ほんとにわからないんですか。

 俺達六人、揃って菩薩のような微笑みだけど、内心ええ加減気づけとだいぶ苛立っております。こと他人同士の機微には敏いのに、何でこいつは自分に向けられた好意には全く気づかないのか。

「うーん」「そっかー」「大変だねー」「困ったねー」「わあー」「ふーん」…他にどうリアクションしようがあるのか。

 ついに痺れを切らした美羽子が、比企さんはさあ、と切り出した。

「桜木さんは比企さんのこと、どう思ってると思う? 」

 すると。比企は鳩豆顔で瞬きを一つ。

 そんなもの、とあっさり比企は答えた。

「駒だろう」

 比企が答えた瞬間、表のサッシが開いて桜木さんが入ってきた、その笑顔が昨日と同じように凍りついた。

 すごいな。測ったようなタイミングだな。

 あとはもう、穏やかな笑顔とすごい圧、早口で問い詰める、桜木劇場の再演ですわ。

「何それ駒って君は自分のことをそんな軽いものだと思ってるの。だったらちょっと考え直そう? 僕はそんなこといっぺんだって考えたことないからね小梅ちゃんは僕の相棒でパートナーだからねそこはちゃんとわかって。それと今度また駒だとか言ったら僕怒るからねもっと自分のこと大事に考えて。なんか昔は工作員みたいなことやらされてたみたいだけどもう辞めたんだし今は探偵なんだから、そんな自分のことモノ扱いなんかしちゃダメだからねいいね」

 早口で詰め寄って捲し立てて、さすがに気圧されたのか、弱々しくおう、としか返せないってのも、珍しい比企を見られました。ってそれはいいのか別に。

「ああ、それと僕辞めないからね。ゆうべも言ったけど改めて言っとく。それと、ウチを出るのもやめて。また前みたいな、およそ住むには適さないところを、安いからって借りるの目に見えてるし、女の子なんだから、安全できれいな部屋に住まないと」

 ほんとそれ。もっと言ってやって。

「女の子って」

 苦笑しかけた比企に、女の子でしょ、とピシャリと断言。もっとだ。もっと言ってやって。しかしアレだ、帰ってからも話してたんだ。

 とりあえずその日は、それで終わったのだけど。

 テスト期間中はひとまず平和に、静かに過ぎた。

 

 そしてテスト休み初日、思わぬ大事件が俺達を襲った。

 

 朝からどんより曇った空は、いかにも冬が来たのだと言わんばかりで、その日は丁度まさやんの妹の誕生日が近いからと、俺達はプレゼントの代わりにねだられたケーキを買いに集まっていた。市内にある大きな稲荷神社の門前に、近隣の地域ではそこそこ知られた甘味処があって、若夫婦に代替わりしてから始めた創作菓子が評判なのだ。なんでも婿養子で入った旦那さんがパティシエ、奥さんの方が元からの和菓子を引き継いでいて、季節ごとに夫婦で一緒に和風洋菓子や洋風の和菓子を出しているそうだ。

 まさやんの妹というのは、ちょっと歳が離れていて、去年やっと小学校に上がったばかり。質実剛健って感じで、格闘技漫画の主人公みたいなガタイの兄には似ていない、かわいい女の子だ。ときどき家へ遊びに行く俺達にも懐いていて、忠広などは「おっきくなったらおよめさんになってあげてもいいよ」とのお言葉をいただいていた。

 その日は神社駅前のロータリーで集合し、参道の大鳥居に向かって歩いていると、大通りの反対側を、やっぱり大鳥居の方へ歩く見慣れた人の姿が。

 桜木さあん、と呼びかけて手を振ると、すぐにこちらに気がついて、次の交差点でこちらに渡ってきた。

「今日は一人なんすか」

 源が訊ねると、ああ、と桜木さんはうなずいた。

「小梅ちゃん、今日はお師匠さんのところで健康診断だそうだよ。帰ってくるまでちょっと散歩でもしようと思って。君達は? 」

「俺らは買い物。まさやんの妹のバースデーケーキです」

「ああ、とりいやのお菓子か。おいしいよね、あそこ」

 僕も何か買って帰ろうと桜木さんも同行することに。俺達は、こうしてわざわざお稲荷さんに来ることもあまりないので、せっかくだからケーキ屋の前にお参りしていくことにした。この辺りでは結構大きな神社なんだけど、観光地の住民あるあるです。地元の名所にあんまり行くことってないでしょ。

 鳥居を潜って、手水場で手と口を清めて、本殿の前で賽銭をバラバラ投げ入れる。俺は五円玉を持ってなくて、たまたま二枚持っていた結城に借りた。賽銭箱の上の看板にあるように、二礼二拍手で手を合わせる。

 ふと、何かぶつぶつと低い唸りのような呟きのような声が聞こえて、そちらを横目で見やれば、必死の形相で目を固く閉じ手を合わせる桜木さんが。

「小梅ちゃんが出て行きませんように監督官辞めずにいられますようにお願いお願いお願い」

 必死か。心の声漏れてますよ!

 俺達は何も見てません、とばかりに、全員で淡々とした顔をどうにか繕った。

 カップ麺ができるぐらいの時間、肩にゴリゴリちからを込めて手を合わせていた桜木さんは、やがて振り返るともういつもの穏やかで人当たりのよいイケメンに戻っていて、それじゃあ行こうか、と歩き出す。

 神饌処でお守りを冷やかし、茶店で甘酒を飲んで、冷えた体を温めると、大鳥居の斜向かいの甘味処へ向かう。信号待ちの間、忠広が財布の中をなんとなく見ると、先に銀行に寄っていいかと訊ねた。

「銀行行かねえと二百円しかない。やばい」

 そこで、桜木さん以外の全員が揃ってお財布チェック。やばい俺も、と結城と源が言って、俺達は甘味処の並びの、銀行の支店に入った。

 それが思えば運命の分かれ道だったのだ。まさか、入った途端にこんなことになるなんて。

 

 自動ドアが開くと、ピエロマスクの三人組が窓口のお姉さんに銃を突きつけていた。

 

「お邪魔しやしたあ」

 思わず回れ右する俺。ピエロの一人に肩を摑まれた。

「いやいや、せっかく来たんだ、ちょっと付き合えよ坊主」

 入ったはいいが、銀行員しか人質がいなくて困ってたんだとピエロが笑った。

 そのままなすすべもなく、両手両足をガムテープで縛り上げられる俺達。そりゃあ、桜木さんは現役の警察官で比企の監督官で、剣道と空手やってる武闘派だけど、銀行の人たちが人質になっていては、大人しく従うしかあるまい。

 今、この状況では従うしかないのだ。

 俺達はカウンターの下で横一列に座らされると、やがて大通りの向こうからパトカーのサイレンが聞こえ出した。

 ピエロの一人、カウンター越しに窓口のお姉さんに銃を突きつけている、オレンジのウィッグのピエロが、通報ベル押しやがったなとお姉さんの胸倉を摑んだ。啜り泣きながらも、押してませんと否定するお姉さん。

「じゃあ誰がやったっていうんだよ」

「私、じゃ、ありませんっ」

 事務スペースの奥にいた、小太りのおっさんが、今日は気温が低いというのにすごい大汗をかいてプルプル震え出したのが、通りに面したガラスに映り込んだ。オレンジ髪のピエロは目敏く見つけて、お姉さんから手を離して奥に入ると、おっさんの肩に腕を回して、すげえなあんたと語りかける。

「風采のあがらねえツラでよ、その度胸をどこで拾ったんだ」

 その間にも残る二人、紫と黄色のウィッグのピエロが、奥の金庫を開けろと喚き立てていて、どうやらもう一人銀行の人がいるらしい。早く開けろと半ば脅しつけて急かしていた。

 この状況をどうにか外へ伝えようにも、肝心の携帯端末は揃って没収され、カウンターの上、俺達の頭の上に並べられている。どうしたものか相談しようと、隣に座らされている桜木さんをふと見ると、どうしようどうしようと、顔面蒼白で呻いていた。

「どうしようねえ小梅ちゃんにこんなだらしないところ見られたら絶対幻滅されるよねどうしよう八木君もうこの何日か機嫌が悪くてほとんど話もできてないんだよどうしよう」

 ワンブレスで呟きながら、目が泳いでます。こっちこそどうしよう。

 しかしこの強盗、今時こんな風に押し入ったら通報ベル押されるのなんて分かりきってるだろうに、馬鹿だな。

 落ち着きましょうよと俺は桜木さんに耳打ちした。

「まずは深呼吸して、今どんな状況で、何ができて何ができないのかを整理しましょうよ」

「ああそうだね、落ち着こう」

 と言いながら、なんで桜木さんラマーズ法で呼吸してるんすか。落ち着いてないよ!

「ひっひっふー。ひっひっふー」

「それお産のときのやつです」

「ああごめん、そうだった。…よし、落ち着いた。まず、今は後ろ手にガムテープで縛られて、端末没収されて人質にされてる」

「そうその調子」

「僕らは店の出入り口、表の通り側に座らされてて、支店のスタッフはたぶん三人。奥の金庫前に一人、カウンター奥に二人」

 そこでまさやんが加わった。

「桜木さん、この強盗が持ってる銃ってどんなのかわかりますか」

「うーん、ここに小梅ちゃんがいればすぐわかるんだろうけど、とりあえずオートマチックの拳銃、たぶんマカロフとか、あと何だろ。とにかくピストルを持ってる。奥の一人がどうなのかは、見ないことには。でも日本の住宅街で、強盗に入るのに軽機担いで押し込むとかは考えにくいから、たぶん全員拳銃だと思う」

 ですねとまさやんはうなずいて、俺ならナイフとかも隠して持ちたいとか考えるだろうな、とオレンジ髪のピエロを窺った。

 そこでピエロはこっちを向くと、私語が多いぞー、と嗜めてから、じゃあ全員自己紹介な、と銃口で俺達一人一人を指していった。

「結城誉、高校生」

「岡田忠広、高校生」

「源大牙、高校生」

「肥後正国、高校生」

「八木真、高校生」

「桜木真之介、公務員」

 最後が引っかかるけど、うん、嘘は言ってない。実際公務員だし。物騒な仕事に就いてるだけで。

 ピエロはえ、お兄さん公務員なんだ、とちょっと驚いて、あんまり見えないね、としゃがみ込んだ。

「よく言われるんですよ」

「どこにお勤め? 市役所って感じじゃないよね」

 そこで桜木さんのジャケットのポケットを探り財布を出すと、カードホルダーをざっと確認。まじかと怒声をあげた。

「おいずらかるぞ。こいつ探偵公社のID持ってやがる」

 そこへタイミングがいいのか悪いのか、奥からでっかい登山用のリュックへぱつんぱつんに札束を詰めたピエロが顔を出した。

「扉開いたよ! 人質は金庫にぶっ込んでおくんだろ」

「馬鹿、そんな時間ねえ、行くぞ」

 そんなことしてる間に、銀行の前にはわっさわっさと白と黒の車が大集合。

 出られなくなっちゃったね。

 そしてお定まりの、君たちはぁ完全に包囲されているう、というご案内が。

 オレンジ髪が畜生、と天井を仰いだ。


 そのとき。いきなり端末が鳴った。誰の電話着信だ。ヘップバーンの「ムーン・リバー」。お袋が好きな映画で、ヘップバーンがギター弾きながら歌っているのを、子供の頃から何度見せられたことか。

 あ、僕のだと桜木さんがのほほんと言った。

「小梅ちゃんからだ」

「わかるんすか」  

「着信設定してるから」

 あーはいはい。てゆうか俺なら、比企からの電話はダース・ベーダーのテーマとかにするけど。

 出ないと不審に思われるからいいかな、と桜木さんがピエロに訊ねると、舌打ちしてからオレンジ髪が紫髪に促した。端末をとって、桜木さんの指紋認証で通話スイッチを入れようとして、僕のは虹彩認証だと教えられる。すぐに通話スイッチが入って、スピーカーから比企の声が聞こえてきた。

「私だ。健康診断が終わったのでな、これから帰る。今どこにいる」

「ああ、今は八木君や結城君と一緒に稲荷神社前の銀行の、」

 そこでオレンジ髪が通話ボタンを切った。

「お兄さん喋り過ぎ」

 ブーツの足で桜木さんを蹴り飛ばす。こいつら、お面とウィッグは逃げながら通りすがりに捨てていく予定だったのだろう、首から下は量販店のパンツにセーターとジャンパー、足はこれまた量販店のブーツやスニーカーで、だからこそピエロのお面が余計に悪目立ちしていた。

 しかし、こいつらは決定的な失敗をした。

 そう、あそこで電話なんか無視するべきだったのだ。

 よりにもよって電話の相手は比企。あいつのことだ、通話の途中でいきなり切れれば、怪しんで情報をかき集めるに決まっている。つくづく相手が悪かったとしか言えない。

 だけど、これ俺達無事に帰れるのか?

 俺はどんよりとした、目の前のウィンドウ越しに見える空模様よりも陰気なため息をついた。

 なんにしても、早いところ解決して、ケーキ買って帰りたい。甘味処の閉店時間までに解決してくれ。頼む。

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