第37話 五人とひとりとリゾートバカンス 4章
月明かりの下、森の中をひたすら、でもゆっくりと分け入っていく。沖縄には修学旅行で来たはずなのに、俺達は深夜にまで自由行動にいそしんでおります。バレたら絶対停学退学レベルの大騒ぎになるだろうけど、行きがかり上仕方ない。
俺、八木真と愉快な仲間達は比企と共に、南の島でも奇妙な事件を解決すべく動いていた。
やくざの組長の孫に何かが取り憑いたかのような異変が起こり、原因の究明を依頼されたのだ。しかも組長の爺さんが、ご丁寧に俺と忠広、まさやん、結城に源、更に美羽子までをも依頼の場に立ち合わせ、人質半分、協力の要請半分といった体で巻き込んだおかげで、比企は実にご機嫌ななめだった。つい先ほどまでは。
沖縄に伝わる民話をヒントに打った手がドンピシャで、今まさに、俺達は組長の孫・純に取り憑いたものにくくりつけた糸を手繰って、その正体を突き止めるべく、静かに森の中を歩いているところだった。
爺さんへことの次第を報告するため、純の世話係とおそらくはボディガードを兼用で務めていたのであろう、シュッとしてかっこいいお姉さんが、俺達に同行していた。
両性具有という特異な体に生まれついてしまい、幼い頃から苦労が絶えなかったであろう純を、溢れんばかりの愛でもって守ってきたお姉さんは、そんな子供の悲しみや苦しみにつけ込んだ怪物に激怒しているようで、険しい顔で殺してやると呟いている。その一方で、さっきまで不機嫌そうだった比企が、打って変わってウキウキしていた。満面の笑みを隠しもしない。
「いいぞ、実にいい! 存分に殴れる相手というのは最高じゃないか! 南の海でのさばっていたアカマターがどの程度やるのか、楽しみだな! しかもただのアカマターじゃない。人間の体を自分の思い通りに作り変えられる程度のちからとなると、これはきっとフッタツだ」
ワクワクするなあ! と嬉しそうだ。
「フッタツって何」
結城が訊ねた。比企は上機嫌に、化物の中でも特に、古くてどでかい強力なやつだと答える。
「年経て人に化け立ち上がる、と書いて
経立は滅多にいないんだ、楽しみで仕方ない、とソワソワしている。桜木さんがため息をついた。
糸はやがて、海の近く、空気がひんやりしっとりと潤う、岩の裂け目みたいな洞穴に俺達を導いた。
「戦友諸君、彼女についていてあげてもらえるかな。仲間と一緒なら、多少怖いことも耐えられるだろうから。蛇は金気を嫌う。渡したお守りで近寄りはしないだろうが、万一のときは頼む」
おう、とうなずいて、美羽子を中心に五人で取り囲む。先頭で美羽子をガードする位置についた源のその三歩ぐらい前をお姉さんが、比企の斜め後ろを桜木さんが固めた。そっと銃を抜く桜木さんに、比企はひと言、そいつはたぶん役に立たないぞ、と声をかける。
「使うならこいつの方がいいだろう」
愛用のアーミーナイフを持たせた。
「君はどうするのさ」
比企はあっさりと、化物など殴れば大体大人しくなるぞと言い放って、ポケットからゴツいメリケンサックを出した。まあ、脇差も持ってますしね。
「殴って解決しなかったらどうするのさ」
「蹴り倒せばいいだけだ」
やめて、もうやめて! 桜木さんの(精神的な)ライフはゼロよ!
怒り狂っていたお姉さんも呆気に取られてるぞ! そして桜木さんは泣きそうな顔してるよ! ひどいよ、こんなのってないよ!
そこで比企が腕を伸ばして、止まれ、と遮った。それと察して、先頭で端末のライトで前を照らしていた源がスイッチを切る。お姉さんが背中に腕を回して、ジャケットの下からヤッパを抜いた。あ、やっぱりこのお姉さんも武闘派だったんだ。でなければあの爺さんが、孫の世話と護衛を任せるわけがないか。
沖縄によくある鍾乳洞はあまり奥行きは伸びていなくて、どんつきはポッカリと部屋のような広さだった。天井に小さな穴がいくつか空いているようで、月明かりが差し込んでいる。そのおかげで、森の中や鍾乳洞を歩いていたよりも、むしろ明るくて視界はいいかも知れない。
奥には大きな塊がわだかまっていた。
悠然とした足取りで近づく比企。
影がのったりと伸び上がる。
しゅうううう、という微かな音。
音はすぐにやんで、耳が痛いほどの沈黙。
──どこかでポタリ、と雫が落ちる音がした。同時に、比企の姿が消える。伸び上がった影が、ぐうっと落ちかかる。
激戦はあっさりと始まった。
長い影がのたうつ。比企がすごい高速で岩室の中を駆け回る。コートの裾をなびかせ地を這うように走る比企の姿は、暗がりに目が慣れた今、白い旋風みたいだ。長い影の姿も、俺にはよくわかるようになっていた。信じられないほど巨大な蛇だ。カッと口を開けて牙を剥き、しゃああああ、と息を吐く。
言ったところで誰にも信じてはもらえまいが、そいつの胴回りは、正月の旅行で行った今宮神社の門の柱ぐらいあった。言ってて俺も信じられないけど、実際あったんだから仕方ない。やんなっちゃうよなあ、もう。
いきなり蛇大激怒。それに比例するように比企は上機嫌。どうやらまじで肉弾戦を仕掛けているようで、バチンバチンとすごい音がしている。しかもそれが全部、大木とか生肉工場の牛とかを全力でぶん殴ってるような、重たい音だから参ってしまう。女子の、それもあんな折れそうなほど細い手足の美少女が繰り出すパンチや蹴りじゃない。まあ、あいつ、美少女なのは見た目だけで、実際はゴリラですが。
「つまらない小細工をしたのはお前か」
もぐもぐ、と口を蠢かせて、蛇が明らかに怒りを孕ませた口調で訊ねた。声自体は若くて中性的で、男と言われても女と言われても、納得できてしまいそうだ。
ああ、と比企が答えた。
「お前たちには実に有効な手段だろう。人間には人間の闘い方というものがある」
「子供一人に大層なことだ」
「その子供におかしなちょっかいをかけている奴がほざくか。どの口が物を言う、化物風情が」
「
蛇がウチナーグチで吐き捨てた。
「今まで散々あの子を放っておいて、我を責めるか! 我がおらねば、今に至っても純は孤独のままであったろうよ。慌てふためいて同胞面してしゃしゃり出たところで、純がうぬらに心を開くと思うのか」
「アカマター風情が、純様を呼び捨てにするな! 」
腰だめにヤッパを構えたお姉さんが突進した。
「くたばれ! 純様の孤独、悲しみにつけ込んだのはお前の方だろうが! 」
ギャリン、と金属が擦れ合う嫌な音がした。火花が飛び散る。ぼきんと硬いものが折れる音がして、すぐに何かが硬いところに叩きつけられる音と、くぐもったお姉さんのうめき声が。月光が届かない、隅の暗がりに叩きつけられたのだ。
蛇がふん、とちょっと考え込むように首を傾げてから、お前が喜屋武か、とお姉さんを放り投げた暗がりに問いかける。
「だったら何だアカマター」
食いちぎるような声で答えるお姉さん。
「純からよく話を聞いていた。お前は殺さない。お前が死ぬと純が悲しむ。それは我も好まない」
純はお前のことは好きだと言っていた、お前は純に優しくしてくれた、と大蛇が言うと、どうにかよろよろと蛇に近寄ろうとしていたお姉さんが、がっくりと膝をついた。
「純様」
呆然としたまま崩れかけたお姉さんを、隙を窺っていた桜木さんがスッと歩み寄り、こっちへ連れてきた。まさやんと忠広が両脇から肩を支えて助け起こす。
そんで、とお姉さんがとりあえず安全圏に引っ込んだのを確認したところで、比企は肩を揉みながら仕切り直した。
「お前は何だ、どうもあの子にただ自分の仔を孕ませるだけが目的ってわけじゃなさそうだけど」
目的は何だと、直球でズバッと訊ねた。
何だも何も、と蛇は拍子抜けしたように答える。
「我は純と添いたい」
瞬間。俺達高校生ご一行様は一斉に驚愕した。
「えー! 」
「ふざけるな色ボケが! 」
同時に比企が思い切り、回し蹴りを大蛇の横っ面に叩き込んだ。
何をする乱暴者、と大蛇ご立腹。
そりゃそうだよ、訊かれたことを正直に申告したら回し蹴りですよ。だけどこれは仕方ないとも俺思うの。
だってさ、誰も思わないじゃん。そんな、伝説に残るレベルの怪物が、人間相手にガチ恋なんて、思うわけないじゃん。想定外ですよ! でも素直に答えた相手に回し蹴りもないだろ!
「あー、いい加減イライラが限界だ。何が添いたい、だこの思春期野郎が。もういい、いちいち攻撃に工夫なんかしてたまるか。回し蹴りしかしてやらん。夢見る阿呆中学生か貴様は。ふざけやがって、ロミオとジュリエットにでもなったつもりかコノヤロー」
比企はその言葉通り、バチンバチンと回し蹴りだけで大蛇をしばき始めた。
「何が添いたい、だ」
ばちん!
「種族の壁とか」
ばちん!
「考えろや」
ばちん!
「蛇の仲間とかいるだろうが」
ばちん!
「仲間の合コン行ってろや! 」
ばちん!
やめてお願いもうやめて! こんなの見てられないよ!
ついに大蛇は回し蹴りのラッシュに耐えられなくなったのだろうか、でっかい体がとぐろを巻いて、ギュルギュルと収縮していく。体面積が小さくなれば、それだけ当たり判定も小さくなるということか。ぎゅうぎゅうに縮まって、輪郭が伸びたり縮んだりするうちに、それは人間の体のシルエットに変わっていく。こう表現すると、すごく時間がかかっていそうだけど、でもそれは本当に短い時間、十五秒とか三十秒とか、そのぐらい。CM一本流れるくらいの時間だ。
化けたのは、民話に残っている通り、色の白い、線の細いイケメンだった。程よくこなれたカジュアルファッションなのは、さすがに現代の流行を見て、人間の中に入っても浮かないように工夫しているのだろう。比企の言う経立とやらは、そこまで知恵が回るほどの知能も身につけているのだろうか。
なんて感心した、その刹那。見事に化けたイケメン面が、比企のアーミーブーツで思い切り蹴り飛ばされた。
「なんて瘋癲娘だ」
立ちあがろうとしたそこへ。
「竜巻旋風脚! 」
思い切りバネを効かせて、グルングルン回転しながら軽く宙に浮いた比企が、回転したままぼこぼことイケメン蛇を蹴り倒した。
「決まった」
いい仕事した、みたいな満足げな顔で額の汗を拭う比企。やめてもうやめて。そのまま転がっているイケメン蛇のマウントを取ると、これは好都合、と国広の脇差を抜いた。
「こいつにもやっと銘をつけられそうだな」
「山姥切と被ってしまいそうだが、まあそれもよかろうよ」
蛇はどうにか抜け出ようと身をよじるが、いや、よじろうとするが、比企が抑え込んでいる位置が絶妙で、ピクリとも動けない。胸板の上に馬乗りになり、両足はがっちり膝で肩を押さえつけているのだ。お姉さんがぼそっと、えげつないわね、と漏らした。
「おい、瘋癲娘、我を殺すのは誰の意志だ」
「誰のも何も、人間は害獣に行き当たれば駆除するのが定めだろう」
「それは純の意志か」
そうであれば今ここでお前に斬られてやる、と蛇が静かに言った。
「我に愛想が尽きたと純が言うなら、今お前に斬られても悔いはない、あの子の望むままに従おう」
「…そこまで好いたか。フカしというわけでもなさそうだな」
何か察したのだろう、比企は脇差を鞘に収めた。
「十年も前だったか、この洞のすぐ外から、子供の忍び泣く声が聞こえた。外の様子を窺うと、色の白い子供が独りで立っているではないか。それから三日と経たぬうち、その子供はまたやって来た。それが純だ」
大蛇は人に化けたまま、事の起こりを話し始めた。比企に押さえつけられたまま。
「気になった。人間は雌の匂い、雄の匂いがはっきりわかるものだ。子供でもわかる。だが、純の匂いはわからなかった。我は妙に気になって、二度目に見かけたとき、同じ年頃の子供の姿で話しかけてみた」
すると、子供は実に無邪気に自分を受け入れた。真っ直ぐに鳶色の瞳を自分に向けた。そこで、
「我はこの子のためなら何でもしようと思ったのだ。…純は、友達になろうと言ってくれた」
そうして、何度も何度も純と会い、最初は子供らしい遊びを通して育った、幼い好意はやがて。
「気がつけば、我はもう純なくして生きることが味気なく思われるようになっていた。あの子に会えない日は、何を食っても味がなくて、何を見ても色はなかった。いつからか、我は人を食おうと考えるのをやめていた。もう百年近く食っていないからな、本当なら食いたくてたまらないはずなのに。だが純が嫌がるであろうことは、しようとも思わなかった。あの子が怖がることは断じてすまいと思った。お前達が来る前、純の周りをうろうろする者がいたが、あれらはそこの隅で寝ている。殺すと純が悲しむからな、日に二度は人間用の食べ物をちゃんとやっているぞ」
あの、よく恋は人を変えるとか言いますけど、どうも怪物も変わっちゃうみたいですね。あ、確かにあっちに寝てる人がいるわ。好きな子が泣くから飯も食わせてたって、そこまで変わるのか、やだもうキュンキュンしちゃう! 何このカルピスみたいな甘酸っぱい感じ! お姉さんは驚きの極致って顔だが、比企よ待て。その、うげえ、と言わんばかりのしかめ面はやめろって。
「純が望むときに会って、望むだけ話を聞いてやって、そういうよき友であろう。我は所詮化物、純は人の子。純もいつかは人の伴侶を得て、幸せに暮らすのだ。我はそれを見守れればそれでいい。そう思っていたのだ」
「その割にはどっぷりディープラブ丸出しの言動だったじゃないか」
どこで変節した、と脇差の鞘の先端でぐいぐい頬をねじる比企。
そうだ。自分の恋心を殺して、友達として愛する人の幸せを見守ろうというのなら、なんでこんな積極的に愛を育もうとする方向に行っちゃったのか、確かに気になる。
うるさい、と大蛇は顔を背けた。
「純が中学生になった頃からだ、親や祖父が、何やら将来について無理強いするようになり始めた。何を強いられているのか、我は純が自ら話すまで待った。やっと打ち明けてくれたのが正月を迎えた頃だ」
「…まさか、」
お姉さんがはっとして声を上げた。
喜屋武は知っていたようだな、と大蛇はため息をつく。
「真夜中、純が洞の前にやってきた。初めて会ったときみたいに、声もなく泣いていた。驚いて外へ出た我に、自分は祖父にも両親にも生まれたままでは愛してもらえない、と言って更に泣いたよ。だから我は言った」
自分は今ここにいるお前のそのままを好ましく思う。
すると、
──こんな体だよ? 君だって気味が悪いでしょう。
「純はその場で服を脱いで見せた」
──ほら見てよ。男でも女でもないんだよ。おっぱいもちんちんも、どっちもあるんだよ。気味が悪いでしょ。化物みたいだよね。子供の頃から、一緒にお風呂に入れてくれたのは、お母さんでもお父さんでもなくて喜屋武さんだけだったんだよ。無理ないよね。喜屋武さんもたぶん、怖いけど我慢してくれてたんだよ。まだ子供だったから。この体ね、ちんちんがあるのに、女の子みたいに生理もあるんだよ。気持ち悪いでしょ。ねえ。
「純は泣きながら笑い出した。我は、後悔した。自分がつまらん遠慮をしている間に、純は一人きりでここまで追い詰められて傷ついていたのだ。もっと早く、いや、初めて会ったときに、真っ先に言ってやらなくてはいけないことがあったはずだ。人間が純をのけものにしても、我は息絶えるまで愛し味方する」
こいつにしてみれば、思いを伝えるにはきっと、これが最後の機会だったのだ。
「もう秘密や隠し事はしたくない。だから言った」
──純はきれいだ。蛇の我が見たって、そのままできれいだ。
純は、長年の親友の正体を目の当たりにしても、驚きはしたが怖がりはしなかったそうだ。怖くないのかと問うと、人間の方がずっと怖いよ、と笑った。
「高校に上がってからにすると面倒だから、今のうちにどうするか決めろって。お前は男として生きるのか、女としてやっていくのか、なんて訊かれても、ねえ」
そして、純は第三の選択をした。
つまり、と比企はぶはあっ、とため息をついた。
「爺さんと親が勝手に進路を決めて盛り上がってる間に、当の子供は恋人と駆け落ちの支度を着々と進めてたってことだ」
どっちもどっちだ、勝手にしやがれベラボーめ、と比企は完全にご機嫌斜めどころか激怒だ。
「いやでも純ちゃんの体のこととかさあ、彼氏が人間でないとかさあ、あるじゃん問題は」
俺がとりなすと、知ったことかと吐き捨てる。
「八木君、そんなことは些事だ。問題の本質は、周囲の大人が自分達の都合や世間体のことしか頭になくて、我が子とまともに話の一つもしてこなかったという点にあるよ。臭いものに蓋をして、満足に向き合いもしないその間に、ちょっとややこしいボーイフレンドが心の一番重要な位置を占めてしまっただけだろう」
まあ、それはそうだけどさあ、言い方!
「とにかく、こうなってはもうお手上げだ。私にできることはないよ」
「諦めたらそこで試合終了だよ比企さん! 」
我々が来た時点でもう試合は終わってたんだよ結城君、と比企は疲れたように答えた。
「そうだろうアカマター。純さんはもう、とっくにお前の伴侶となっているはずだ。あそこまでお前の気が馴染んでいるのは、そもそもの始まりから、すべて知った上で当人の合意があるからだ」
純さんはヒトを捨てている、と比企は淡々と言った。
「あとはいつ頃、純さんがお前の元に身を寄せるか、その時機を見ているだけのはずだ」
「えー! 」
比企と蛇のイケメン以外が驚きの声をあげた。
比企はよっこいしょういち、と謎の掛け声で馬乗りになっていた蛇からどくと、どうしたもんかなと頭を掻きむしった。
あのう、と美羽子がおずおずと訊ねた。
「比企さんは、最初どうするつもりだったの? 」
「まあ、純さんの髪で撫で物造って、それをここに身代わりで出して、純さんに残ってるこいつの気を祓っておしまい、のつもりだったんだけどなあ」
「純の言う通りだな、人間はおそろしい」
「悪賢ーい! 」
「すげえや比企さん、俺達にはできないズルを堂々とやる! そこに痺れる憧れるぅ! 」
「結城それ褒め言葉になってない」
「まさにやったもん勝ちの作戦」
「やめれやめれやめれ」
美羽子が俺達の頭を順番に叩いた。源以外の。
比企がボリボリ頭を掻く。こうなると親のもとに残すのも考えものだな、放っておくと純さんは親の仕立てた汽車に押し込まれて、降りることも叶わなくなる、まさかそこまで我が子に向き合う気がなかったとはな、とため息をついた。
ふーん、と考え込む美羽子は、そうだ! と手を打った。
「ね、比企さん、それ逆にできない? 身代わりを仕立てるんでしょ。それ、この人のところじゃなくって、純さんのおうちに残すのよ! あのおうちにいるよりこの人と一緒の方が、きっと純さん幸せで、ずっとまともに暮らせるのじゃないかしら」
待て待て待て待て! それは解決になってないだろ、この恋愛脳! 比企さんもいいなそれ、とか言うんじゃありません!
「…ま? 」
あの爺さんはどうなるんだ。孫を案じて泣いた、あの涙は本当に、ただの孫思いの爺さんだったのだけど。
比企はあっさりと、依頼には矛盾しない方法だと言い放った。
「受けたのはまず、姿が見えない孫の友人は何者なのか。これは今ここにいるアカマターの優男がそうだと知れた。もう一つの依頼は、孫の友人はヒトなのかそうではないのか突き止めてくれというものだ。それについてもこの通りはっきりわかった」
世間一般の判断基準で言うなら、悪いものの範疇に入るのだろうがな、と比企は言って、ため息をついた。
「だがなあ。喜屋武、だったか。お前の話やこの優男の証言、あの奥さんの挙動、それとご老体の依頼の際の隠し事。それらを総合するに、どうやら笹岡さんの案を実行するのが一番の解決策なようだ」
「隠し事? 社長が? 」
訝しげに訊ねるお姉さんに、ああ隠し事だ、と比企はうなずいた。
「お前だって黙っていただろう。純さんはヘルマフロディトだった。受けたからには如何にいい形で収めるかを考えなくてはいけないのに、依頼人に嘘をつかれたり、意図的に情報を伏せられたりしてみろ。穴だらけの解決法しか出せないぞ」
「それは、…でも、純様の同意もなしにそんなこと」
「それをお前に強いるのは不人情だと、私も思う。が、ご老体が真にどうにか解決したいのなら、孫をかわいいと思い守りたいのなら、恥も外聞も捨てて自ら打ち明けるべきだったろう。マル勅を指名しておきながら、肝心のことは黙り通して思い通りの絵図面を引けと言われたところで、何ができる。こちらにだって守秘義務もあれば、必要な段取りもある」
小娘と思って侮られるのは我慢ならん、ならば相応の手段は取らせてもらうさ、と言って、比企は蛇のイケメンを手招きした。
「おい、貴様の運命の恋とやら、私がどうにかしてやる。あの子のためなら何でもできるか」
「当然だ」
イケメン即答。そうか、と比企はニヤリと笑った。服の裾に括り付けていた釣り糸を外してやると、
「作戦会議だ。だが、これには純さんの同意と協力がいる。まずは戻って、純さんと話さねばならん。お前が寝かせているのだろう、起こしてあげてくれ」
「…何でわかった」
「私の使う術とよく似ているからな。あれだけ蓮が香ればそりゃあわかるさ。なあ道友」
さあ戻ろうか、夜が開けるまでに手を打たなくてはな、と言って、比企は出口に向かって歩き出した。
純の子供部屋へ戻ると、比企は俺達御一行様にお姉さんと蛇のイケメン、目を覚まして待っていた純を前に切り出した。
「さて、この二人を如何にうまく逃すかだが」
ベッドに並んで腰掛ける、種族の壁を超えたイチャラブカップルをチラリと見やると、この作戦のキモはお前だ、と蛇を指した。
「愛する人のためなら、悪役でも何でもできるな。いや、できてくれなくては困る。純さん、あなたの想いびとには汚れ役のようなことをなすりつけてしまうが、自己中心的な大人連中に納得させるためだ、ご辛抱いただきたい」
「私達のためにしてくださることです、私にもできることがあるなら、お手伝いします」
彼は私の心と体のあるがままを受け入れてくれた。あなた方は、私の自由を尊重してくれた。ありがとうございます、と純さんはニコニコと、幸せそのものという顔で恋人とうなずき合った。ヒィイ眩しい!
「…喜屋武さん、ごめんね。喜屋武さんは私のことを、弟か妹みたいに大切にしてくれたのに。大好きなあなたに、最後に悲しい思いをさせちゃうなんて」
いいえ、と泣き笑いのお姉さん。
「純様は、いつの間にかこんなに、誰かと恋をするほど大きくなられたのですね」
ううん、ええ話や。
よし、では細かい手順だ、と比企は仕切り直した。
「三人とも、よく聞いて絶対に忘れるな」
そして作戦会議は始まり、あっという間に時刻は深夜三時。
純は比企の説明した通り、押し入れからぬいぐるみを出して自分の髪の毛を縫い目の隙間から押し込んでゆく。それに息を吹きかけた。比企が受け取って、何やら唱えながら木の小剣でぬいぐるみに向かって何やら描くように動かし、とん、と先で軽く突く。
それをベッドに寝かせると、なんと純そっくりの姿に変わった。
さっきまでと同じ、かわいらしい寝顔で、そっくりさんというよりクローンぐらいの激似ぶりだ。それから、今度は手帳と万年筆を出して、メモに何やら書き付けた。蛇の彼氏と純さんに渡す。
「帝都近郊のこだま市に私の師父がおられる。この住所の接骨院がそうだ。しばらくそちらへ身を寄せるがよかろう。この書き付けを見せれば、きっとご助力くださるだろう。我々も同じ街にいる」
お山へ戻るなり、紅塵の巷で身を隠すなり、ゆっくり考えるがいいさ。比企はそう言って、あとは任せておけ、と笑った。
「純さんが二人もいては混乱する。今のうちに、大事なものだけ持って行きたまえ」
何から何まですまぬ、と蛇彼氏が頭を下げた。
「最後に教えてくれ。お前は、いや、道友はいずれの名山の、何処の貴仙のもとで学ばれた」
ん、とちょっとだけ目を丸くしてから比企が答える。
「乾元山銀峯洞、剣聖李龍牙。貧道は小梅児という」
「ありがとう。我は、いや、貧道は洞府も師も持たぬ。
着替えを済ませ衝立の影から出てきた純と二人、何度も頭を下げては振り返り、森の木の下闇に消えていった。
その後、どうなったのかを簡単に超ざっくりでお知らせしよう。
まず、先に依頼を受けたものの、蛇の彼氏の返り討ちにあった九州の探偵は、その場で叩き起こして帰し、リビングで疲れ果てうたた寝していた奥さんに、片付きましたよと捨て台詞をひと言、俺達は深夜の街を引き揚げてホテルへ戻った。桜木さんは朝を待って東京へ戻った。
別れ際、お姉さんに比企が何事か耳打ちしてから、やっぱりバックヤードの入り口から元来た道を戻った。部屋に戻ると里中はそれは気持ちよさそうに眠っており、これはもう、朝まで何があろうと目覚めまい、というくらいの熟睡ぶりだった。
夜が明けて、俺達は修学旅行のクラスメイト達の中へ戻り、比企は明らかにバイキング形式の朝食だけでは足りるはずがなく、石垣島への移動の間に、しこたまおにぎりや惣菜パンを買い込み、隙あらば貪り食っていた。
夕方、何となーく七人揃ってホテルの近くをぶらぶら散歩していると、向こうからあの、純ちゃんの爺さん、やくざの組長が、金城さんを連れてひょこひょこやってきた。比企は淡々と、ゆうべ純ちゃんと彼氏と、お姉さんと打ち合わせた通りの、ありもしない大蛇退治をでっち上げて、しれっと語り聞かせた。爺さんは、孫が目を覚ました、学校にも行くようになった、ありがとうございます、とうなずき、俺達にも迷惑をおかけしてすみません、と詫びて去った。
爺さんがタクシーを捕まえていなくなると、比企が計画通り、と悪い顔で満面の笑みを浮かべたのは、正直怖かったです。
旅行から戻ると、あの二人は無事に李先生の接骨院に保護されていた。まずはよかった、と胸を撫で下ろしたのだが。
それから一ヶ月後。例の爺さんから、再び連絡が入った。孫が消えた、死んでも祟るとは罰当たりな蛇だと大騒ぎだが、しかし、探偵公社の九州支部も本部も、その依頼を受けることはなかった。単なる家庭内の問題でひょっとすると虐待に発展しかねなかったおそれがあり、当人は李先生の保護のもとで生活していると報告をあげていたからだ。それでは誰も動くまい。
程なくして、あのお姉さん、喜屋武さんは爺さんの組を抜けた。実質はクビになったそうだ。爺さん、余程腹に据えかねたのだろう。
比企が今後の依頼遂行は一切無用と報告をしたのは、爺さんが報酬をケチったのもあったようだ。一晩で終わったなら然程難しい仕事ではなかったのだろう、と値切ったらしい。比企はああいいよ、と笑顔で条件を呑み、爺さんとのやりとりを探偵の裏サイトに流した。ここで悪評が立つと公社に所属する探偵に共有されるとかで、つまり今後爺さんはトラブルに巻き込まれても、探偵の助力は得られない。
「マル勅は金では動かないが、困っている人間が何をどれだけ差し出すのかで、本気で助けてほしいと思っているのか否があらわれる。本気で助けを求める人間が、謝礼を渋るかよ」
上海亭でその後の顛末について聞かせてくれた比企は、そう言ってもやしそば特盛を啜り込んだ。
比企がかつて引き受けた仕事の報酬には、駄菓子のおまけのシールなんて変わり種もあったそうだ。財前によると、依頼人は幼稚園児だったという。
「復刻版のシークレット鶴丸国永だったから」
奴はしれっとそう言った。
あの恋人達はどうなるのだろう。
俺が訊ねると、心配ないと比企は請けあった。
「師父がちょうど、洞府の留守番役を欲しがっていたところでな。二人はそちらへ連れて行くそうだ。まあ、純さんも
「あ、あの彼氏名前ついたんだ」
「ああ。師公がお一人で留守番をされていたが、お話し相手ができれば、退屈も紛れるだろう」
うちもヴォロージャ・ピョートロヴィチが荒事用の助手を欲しがっていたからよかったよ、と比企がほっとしたように息をついた。
「え、もしかして喜屋武さん」
「あのイケメンの兄やさんのとこに再就職したの? 」
まじか!
「人生いろいろということさ」
そこではたと気づいた。今回、比企は爺さんの報酬こそ叩かれたが、別の意味でしっかり得をしていたのだ。李先生の欲しがっていた留守番役に、ヴォロージャさんが欲しがっていた助手。
金銭とは別に、得るものはしっかり得ている。なんて奴だ!
こいつの敵にだけは回らないようにしよう。きっと尻の毛までむしられかねない。俺は肝に銘じた。
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