第35話 五人とひとりとリゾートバカンス 2章

 おしゃれなビルのオフィスから車で連れ出されると、しばらくしていかにも高級住宅街といった地区に連れて来られた。どうぞ、と恭しく黒スーツの屈強な男の人がドアを開けて、降りるように促す。

 比企と一緒に車を降りかけると、いや皆さんは、とやんわり制止しようとする黒スーツを、気づいて比企が叱り飛ばした。

「私の戦友達を本当に人質にするか。頭はともかく、手足は余程私と戦争がしたいようだな」

 失礼いたしました、と真っ青になって、閉じかけた後部ドアを開けて道を譲る黒スーツのおじさん。なんか、ほんとすんません。

 立派なお屋敷が並ぶ町の中でも、海がよく見える最高の一角の、殊更立派なお宅の玄関先に乗り付けて、俺達は中へ招かれた。

 俺の名前は八木真。普通の、どこにでもいる平均的な高校生、のはずなのに、規格外の友人のおかげで今、修学旅行先で怪事件の解決の手伝いをすることになりました。どうしてこうなった。

 

 比企がわかったと応じると、依頼人である爺さんは、部下の前も憚らずおいおいと泣き出した。ありがとうございますと何度も繰り返しながら、比企の手をとって握り、孫を頼みますと更に泣く。よっぽど心配で心配で、限界だったのだろう。どうか孫を助けてやってください、と伏し拝み、俺達は件の娘夫婦の一家の家へ向かった。

 運転手と案内には、さっきの黒スーツの男性の一人と黒スーツのお姉さんがついてきた。車の中でそれとなく、お姉さんの方が話の種に予備情報をくれた。

 看板なしやくざの組長である爺さんの後継は、もう一人いる娘の婿に決まっており、というか後継に決めていた幹部と長女が結婚したので、今から向かう家の主人である次女夫婦は、貿易会社を経営して、やくざの組織とは関係のない暮らしをしているのだそうだ。

 海がよく見える、モデルルームみたいなおしゃれリビングルームで、フルーツジュースで出迎えてくれたこの家の奥さんは、父からお話は伺いました、ご無理を言ってお越しいただいたようで申し訳ありません、と切り出した。

 俺のお袋とあまり歳は変わらないのだろうけど、そこはさすがお金持ち。リビングルームと同じくらい生活感がなくて、女優さんみたいだ。

「父は強引なところがあるもので。うちの子のことも、自分の仕事で恨みを買って、あの子がはけ口にされて、よからぬまじないでもかけられているのじゃないかと心配しているようです」

 去年までの俺なら、笑って本気になんてしなかっただろう。いやあ奥さん今どきまじないですか。もうすぐ二十二世紀ですよ、宇宙開発もいい加減進んで、宇宙や月面のコロニーに移住希望者を募っているご時世ですよ。でも、日常の表面を一皮剥けば、そういうドロドロした人間の感情が煮えたぎっていることを、この一年で俺は散々見てしまった。

 あるのだ。そういうものは。たぶん、人間が生きている限りあるのかもしれない。

 こちらへどうぞと案内されて、比企を先頭にぞろぞろと、美羽子と源、忠広、まさやんと俺、結城が続く。

 廊下の一番奥のドアが、その部屋の扉だった。

 ノブに手を伸ばした奥さんを制して、比企が何やら口の中で唱えてから戸を開ける。自分の部屋にでも入るように。

 部屋の中は、大きな窓から一杯に昼前の日差しが入っていた。その明るいはずの部屋の、戸が開いた瞬間の印象は、相反するものだった。

 昏い。こんなに明るいのに、俺は反射的に薄暗いと思った。

 それから、ひんやりと、しっとりとして、薄く湿った土の匂いを感じた。リビングルームと同じくらい、今風のおしゃれな子供部屋で、土の匂いなんてするわけがないのに。

 壁際のベッドには、線の細い、フランス人形のようなかわいらしい顔の子供が眠っていた。色が白い。とはいえ、比企よりはもっと健康的だ。頬と唇は薔薇色で、色素が薄いのだろう、サラサラの髪は濃い栗色だ。淡いブルーのチェック模様の夏掛け布団にくるまった寝姿は、だけどなかなか衝撃的だった。

 夏掛けを跳ね除け、それはまあ、寝相によってはあるだろう。ただ、仰向けにゆるく手足を投げ出したその姿は、パジャマの前まではだけられていた。

 なめらかな白いお腹。ズボンは膝あたりまで下げられて、胸はわずかながら膨らみかけていて。奥さんが息を呑んだ。じゅん、と小さく呻く。

 比企はスッと手を伸ばし、優しく寝巻きを直し、夏掛け布団をかけてやった。首筋に顔を寄せ、それから部屋の窓を見ると、開け放って庭を見る。その向こうの林を、海を見る。

「ありがとうございます」

 開けた窓を元の通りに閉めて、比企は部屋を出た。そのままスタスタとリビングに戻る。

 明らかに、あれだけで何がわかったのか怪しいもんだけど、比企は淡々と、時間をかけても仕方ない、今夜どうにかしますので後で改めて参ります、とだけ言う。だから。何がどうなっていてああなってるのか、ちゃんと説明しなさいよ。奥さんめっさ不安そうにしてるじゃないの。

「まじないなのか否か、またまじないだとしたら誰の仕業なのか、元凶を探りますので、夜に我々が来るまでに、純さん、でしたね、お子さんの部屋に衝立をひとつ、寝台からドアが隠れるように置いていただけますか」

 まさやんと俺にせっつかれて、やっとそれだけ説明した。わかりました、と不安ながら、何か手を打ってもらえるようだと、ちょっとホッとした様子の奥さん。ほらー、言葉は必要なの。語らなくても通じ合えるのはニュータイプだけだって、お母さんいつも言ってるでしょ。

 車に戻ると、比企は淡々と今夜どうにかするとご老体に伝えてくれ、とだけ案内役の黒スーツに言って、あとは窓の外をぼんやりと見るばかり。

 

 午後一時過ぎ、国際通りで俺達は車を降りた。

「今夜十時、またここに来るといい。お前達もご老体に報告しなくてはいかんだろう。立ち合わせてやる」

 それだけ言って比企はさっさと車を降りる。俺達も慌てて追いかけた。

「お嬢さん、先ほどは本当に失礼しました。怖い思いさせてごめんなさいね」

 黒スーツのお姉さんが、助手席から美羽子に声をかけた。

「彼氏のキミ、さっきのちょっとかっこよかったわよ。あなた達お似合いね」

 言われて源が、へ、と間の抜けた声を上げた。

 それじゃあね、と車は走り去っていく。

 見送った比企は険しい表情だった。結城が気づいて、どうしたん、と覗き込む。

「ぽんぽん痛いかー? あ、腹減った? 」

 いつも通りな結城に気が抜けたのか、ぶっと吹き出して、そうだな、と比企が笑う。

「時間もいい頃合いだ、どこかで食事にしよう。ああ、後でちょっと買い物を」

 言いかけたところで、比企の端末が鳴り出す。今度は「好きにならずにいられない」で、え、誰から。

 比企が出ると、しばらく生返事、の後に、はあ? とでかい声でリアクション、それから額を手で押さえて、荒いため息をついてから、ああまったくとこぼした。

「では八時半、どうせ修学旅行でどのホテルを利用しているかは把握しているだろうし、公社は最速で移動手段を用意するだろう。ロビーで待て。それと、来るまでに用意してほしいものがある」

 短いやり取りが続いてから通話を切ると、疲れたようなため息をもう一つ、比企は苺色の髪の毛を掻きむしった。

「まったく、こんな旅先でまで全員集合か」

 美羽子が沖縄ガイドのサイトマップで見つけた、ソーキそばとラフテーがおいしいと評判のお店で、またしても注文を取りに来たおばちゃんを大盛りメニューの連打で驚愕させながら、比企はどうしたものかな、と天井を仰いだ。

 そういえば、俺は帰りの車内でずっと、気になっていることがあった。

 あの海が見える子供部屋で、比企が低く呻いた、その言葉。すぐ傍に立っていた俺だけに、かろうじて聞こえたのだが。

 比企さん、と俺は、半分食ったソーキそばに味変でラフテーを放り込みながら訊ねた。

「へるまふろでぃと、って何」

 比企はキョトンと目を丸くした。

「聞こえていたのか」

「ん、まあ、俺すぐ隣にいたし」

 そうかとうなずく比企。

「あ、言いにくいことだったら別にいいんだけど」

 あの部屋で、あの子供の寝乱れた姿を見て。比企は微かな声で、そう呟いたのだ。

 比企が口を開いたのは、国際通りから川沿いの広い遊歩道へ場所を移してからだった。

 ヘルマフロディト。ルビスとも言われるそれは、

「両性具有」

 いわゆるアンドロギュヌス。男女両性の身体的特徴を持つ身体の持ち主。そんなのいるわけないだろ、と言いたいところだが、お生憎様、俺達全員が、それをしっかり目撃してしまっていた。

 ここに来る途中で買ったブルーシールアイスを食いながら、今頃他の班はどこで何をしているんだろう、とぼんやり思いを馳せる。たぶんみんな、モノレールで行ける場所を観光して、お土産を買って写真を撮って、年相応の旅を楽しんでいるはずだ。少なくとも、やくざの親分に、孫に起きた怪現象をどうにかしてくれなんて頼まれてないはずだ。

 ただ、困ったことに俺は、自分が置かれている状況を面白がっていて、快適だとも思ってしまっている。通りいっぺんの修学旅行は、誰だってできる。でも、比企の仲間としてする波瀾万丈な旅なんて、俺達にしかできないのだ。

 そんなことをつらつら考える俺の前では、美羽子と源がお互いのアイスを半分こしていて、青春だなおい! 眩しいいいい! そして後ろでは、忠広とまさやんと結城が一口ずつアイスをつつき合っている。

「すべては二つに分けられた一者のうちに存在する」

 比企の声は硬かった。

「とはいえ、あの子の場合はおそらく、偶然にああいう体に生まれてしまっただけだろう。問題は、あの子に目をつけて取り憑いたものだ」

「…一晩で終わらせるみたいなこと言ってたけど、大丈夫なの」

 さすがに心配で、確認せずにいられなかった。比企はアイスを食ってコーンをバリバリ食って、まあどうにかするさと笑った。

 物理か。また物理で押すのか。

 

 修学旅行に来た学生らしく、お揃いのストラップとか買って、高校生丸出しで旅を楽しんで夕刻。ホテルのロビーでは引率の教師連が、班ごとの帰着を待ち構えて、戻った生徒は名簿に印をつけていく。大食堂でクラス毎に集まって、明日は午後に石垣島へ移動するので忘れ物に注意するよう、担任の話があって解散。部屋に鞄を下ろして一息ついた頃に再度、大食堂で集合して夕食だ。

 最初のうち、おとなしく茶碗でおかわりをしていた比企だが、面倒になったのだろう、しまいにはお櫃をひとつくださいとホテルのスタッフのおじさんに声をかけ、涼しい顔で全部食ってしまった。周りにいた女子が、美羽子を除いて目を剥いて驚く。うん、驚くよね。俺らも最初は仰天したの。もういい加減慣れたけど。

 でも、夕食が終わって寝るまでの自由時間の間、今度は俺達が仰天する番が来た。


 背中に洒落たビジネスリュック、片手にどこかで買い物したと思しきショッパーを下げて、ジーンズとブランド物のスニーカーにシャツ。どこかで見たようなイケメンが、人待ち顔でそわそわと、ラウンジでアイスコーヒーを飲んでいた。

 時刻は八時半、俺達六人は比企と美羽子がエレベーターホールでだべっているところに合流して、一緒に下へ降りてラウンジへ。

 こちらに気づいて立ち上がったイケメンが、イケボが台無しなウキウキっぷりで手を振った。

「小梅ちゃん! こっち」

 俺達が全員テーブルについたのを見計らってから、桜木さんは手をあげてウェイトレスさんを呼び、みんな何にする、とメニューを回してくれた。クリームソーダとか、珍しくってつい頼んじゃった。飲み物が揃ったところで、あ、これお願いされてたものね、とショッパーを比企に渡す。

「すまんな、勝手のわからない土地で、しかも同行する彼らを無視して道具を買い揃えるのも憚られてな」

「みんな、なんかごめんね。せっかく修学旅行なのに、九州支部で困ってるなんて言ってきて」

「別に桜木警視が詫びることではない。博多の責任者が焼き土下座する案件だ」

 金光坊には減量させろと、あの親爺の監督官には常々言っていたのだがな、と比企は言って、

「まるで連携ができていないから、いざことが起こったときにこうなるんだ。付け焼き刃の急場凌ぎでお茶を濁すしかなくなる。そのうち折を見て、帝陛下に奏上しなくてはな。陛下は常に激務を抱えておられる。ご多忙ゆえに尊いお目が届かないからといって、気が緩み過ぎだ」

 ううーん、腹は膨れたみたいだけど、まだまだご機嫌は悪いな。

「小梅ちゃんお腹空いてるでしょ」

 それと見越して、桜木さんは頼んでいたクラブハウスサンドが来ると、比企の前にスッと皿を出す。

「昨日は驚いたよ。小梅ちゃんが修学旅行に行ったと思ったら、公社から連絡が入って、九州で手に余る件が出て、現場に一番近いところにいるのが小梅ちゃんだから仕事を振った、だもん。学校行事だから邪魔しないであげて、って言ったんだけど、他に動けるマル勅は全員、京都から東に偏ってるって」

 桜木さんがぼやいた。高校の修学旅行は一生に一回しかないんだよ、邪魔しないであげたかったよ、とため息をついてから、これ詳細ね、とA四判のプリント紙を綴じたのを差し出す。

 そう、桜木さんは良識の人なのだ。ただ、比企のことになると見境がなくなってポンコツになるだけで。

「ところで、桜木さんってなんかお遣い頼まれただけのために来たの? わざわざ沖縄まで」

 忠広が質問すると、いやいや、と桜木さんは笑顔で手を振る。

「監督官だから。仕事にはできるだけ立ち会わないと。特に今回は、よその支部に頼まれてる案件だから」

 あ、なるほど。仕事である以上、そういうのきちんとしないとダメってことか。

 そう、やっぱり桜木さんはちゃんとしてるの。ただ比企が絡むとポンコツになるだけで。

 さあ、あとの問題は一つだけ。

 女子はツインルームに二人、つまり比企と美羽子は気心知れた友人ということで、一緒の部屋に振り分けられているが、男子は三人部屋で、俺とまさやんはクラス委員の里中が一緒なので、抜け出すにもどう誤魔化したものか、頭が痛い。源と結城、忠広は三人で一纏めに一室に放り込まれているので、そちらは抜け出るところを教師に見つかりさえしなければ、問題はないだろう。

 九時になる頃、部屋に戻ると里中はもう風呂を済ませていて、シャワールームから出てきたところだった。

 いい奴だし話もわかる奴なのだが、さすがにありのままを打ち明けて出ていくわけにもいくまいし、第一、話したところで信じてはくれまい。

「オッス俺達ちょっくら比企さんと、やくざの親分の依頼で謎の怪現象の解明に行ってくるぜ! 」

 …無理だろ! 信じねえよ誰も! 自分で言ってて俺も信じられねえよ! 

 不意に俺の端末が鳴った。

 チャットルームに誰が書き込んだのかとアクセスすると、見計らったように比企の書き込みが。

 ──八木君と肥後君には残っているよう言いたいところだが、きっとあのご老体のことだ、君達が欠ければ、その部屋からでも強引に拉致も辞さないだろう。

 あー、やっぱり俺ら、外野から見れば人質要員でしかないよなー。わかるう。

 そのとき、客室の扉がノックされた。

 教師陣の抜き打ち検査だろうか。扉脇のクローゼットに畳んだ服を片付けていた里中が、僕が出るよと応じてドアを開けると、そこには唐突に見慣れた苺色の赤毛が。後ろには美羽子も一緒だ。

「やあ、ちょうどよかった。実は昼間に、二人で食べようと思って菓子を買ったのだが、箱を開けたら三つ入りでね。日頃クラス委員の仕事で面倒をかけている横瀬さんにお裾分けしようか、とも思ったのだが、女子にはカロリーという大きな問題がある。それなら同じクラス委員の里中君に進呈しよう、ということで、お届けに上がった次第だ」

 おお、なんと嘘くさい。一年もこいつとつるむと、裏があるんだろうと勘繰るようになってしまったが、美羽子がくっついていることが、比企の正体を知らない人間には毒消しの付加効果となって作用しているようだ。案の定、里中はえ、いいのかい、なんて満更でもない顔で喜んでいる。

「結構おいしかったのよ、これ。でもほら、おいしいものが数合わないと、逆に取り合いになっちゃったりするし、だったら修学旅行の仕事とか、色々がんばってくれた里中君にあげるのがいいねって」

「いやあ、なんだか八木と肥後に悪いなあ、僕一人だけ」

 俺はなんとなーく嫌な予感がしたので、曖昧な微笑みでいいからいいから、と手を振った。隣のベッドにあぐらをかいたまさやんも、気にすんなって、と促す。

「せっかくだからもらっとけよ。なんやかや、部屋割りだの先生との折衝だの、世話になってるんだ。俺もヤギも文句なんかねえよ」

「…そうか? じゃあ、お言葉に甘えて。比企さん笹岡さん、なんだか気を遣わせちゃったかな、ありがとう」

「黒糖と島マースのプリンだから、冷えてるうちに食べてね」

 じゃあねえ、と美羽子と、最後に一瞬俺とまさやんにニヤリ笑って比企が引き揚げていく。

 …盛ったな! 俺は悟った。まさやんも俺の顔を見て、黙ってうなずいた。

 いやあほんと、悪いなあ、八木も肥後もすまない、でもせっかくだからありがたくいただくよ、と里中はホクホクしている。まあ、クラス委員の仕事なんて、くじ引きでハズレ引いた奴が雑用をおっかぶせられてる、くらいのもんで、こんな風にわかりやすく感謝されるなんて想定外だったのは察して余りある。しかも学校一の奇人かつ美人と、去年同じようにクラス委員を務めて、苦労は理解してくれているであろう、見た目だけはかわいい系の美羽子が、揃って差し入れたものだ。そりゃあ嬉しいことだろうけど、そんな純粋でいたいけな里中のハートを弄ぶなんて、ひどいよ比企さん!

 九時半を回った頃、いやあすっかりご馳走になっちゃったなあ、なんて素直に喜んでプリンを食っていた里中は、俺とまさやんが交代で風呂を済ませる間に、すっかり寝入ってしまっていた。比企さん、あんた…あんた鬼や…。

 俺とまさやんは、そっと身支度を整え静かに部屋を出た。おやすみ。そしてごめんな里中! もう睡眠薬は盛るなって比企さんに言っとくわ!

 

 エレベーターホールへ向かうと、ちょうど下りの箱が降りてきたところだった。扉が開くと、比企と美羽子、そしてなぜか桜木さんが降りてくる。そこに忠広を先頭に、源と結城が来て、全員集合だ。見事に比企を除いたメンバーは、普通にリゾートな軽装なのだが、比企はいつも通りの白コートにアーミーブーツ、黒パンツに防弾防刃チャイナとハンチング。暑くないのかと思うけど、たぶんコートの下はしっかり武装しているに決まっている。

 比企は黙ってうなずき、廊下を歩く。途中でスタッフオンリーの表示がされたドアを開けて、しれっと中へ入った。俺達もそのまま続いて中へ入ると、そこはバックヤードへのドアのある階段室。七階から一気に一階へ降りてゆき、バックヤードへ入ると、真っ直ぐ資材搬入用駐車場へ出た。

 部屋に鍵がかけられない旅館と違って、オートロックのカードキー式のホテルでは、教師が部屋を見回らずとも、フロントで施錠の状況を確認できるし、最悪、生徒の誰かが外へ出ようとすれば、どうしたってフロントの前を通るしかないので、すぐに気づかれてしまう。なので、じーちゃん達の若い頃みたいに教師が廊下を何時間かごとに歩いて部屋を見回る、なんてこともなくなって久しいが、比企はどこからかホテルの設計図を手に入れて、建物の構造を確認したようだ。抜かりないなと言う忠広に、初めて行く場所のことは調べるだろう、と比企は答えた。

「少なくとも、宿のセキュリティレベルの程度は気になるだろう」

「でもどうして非常階段じゃないの」

「抜け出したことを先生方に気づかれたら、真っ先に非常階段で先回りして待つだろう。見つからないよう外へ出るときにバックヤードを利用するのは『刑事コロンボ』からの伝統だよ」

 裏方にまでは監視カメラはないからね、と言って、比企は夜道を迷うことなく歩いていく。

 今回、あの子供部屋に皆で一緒に入ったが、と比企は美羽子と歩調を合わせ、源と三人で並びながら切り出した。

「何か感じたことはないか。諸君の印象は、核心を突くものが多い。何度も助けられたからな、君達の感想をぜひ聞かせてほしいんだ」

 え、俺らただ、くっついて歩いて、好き勝手なこと言ってるだけだよ。とはいえ、比企は結構俺達の感覚を買ってくれているようだ。

 途中、自販機で飲み物を買い、飲みながらなんとなく、互いにあの部屋に入ったときのことを語り始めた。

 なんだか薄暗い部屋だなと思ったよ、とまさやんが言った。

「おかしな話だよな。あれだけ窓がでっかくて、日差しがしっかり入ってくるのに」

「俺は風通しが悪いって感じた。窓を開ければ風が入るのに、比企さんが窓開けても、なんかひんやりした感じだった」

 源が続くと、美羽子もうなずいた。

「あたしも変だなって思った。あんなにお日様が入って、おっきな窓で風も通るだろうに、空気が湿ってて土の匂いみたいな、微かに匂いがして、なんだか、」

 まさやんと結城もちょっと匂いしたな、とうなずいた。なんだかなんだよ、と忠広が続きを促す。比企は耳がないような顔をしているが、こいつはこれでガッチリ話を聞いているので侮れない。

 変だとか言わない? と美羽子が上目遣いで訊ねた。安心しろ、俺達五人ともスーパーナチュラル案件に慣れてしまっているので笑わないし、なんならお前の彼氏と比企は傾聴するぞ。

 美羽子はふっと息をついてから、あのね、と続けた。なんだか、

「穴の中みたいだった」

 比企がピクリと肩を強ばらせた。

 薄暗い。湿っていて、穴。

 どういう三題噺だ。

 だけど比企は、なるほどなと一人でうなずいて、ありがとうと言った。

「お陰で方針は定まったよ。まずは古式床しくやってみるさ」

「は」

「何それ」

 俺と結城がツッコミを入れたが、すぐにわかるさ、と比企は笑った。

「よかったな桜木警視。頼んだものは出番がありそうだ」

 いや、だからわからんって。

 例の黒スーツと待ち合わせた交差点に来ると、比企は俺達全員に、お守りだと言って小さなナイフを持たせた。刃渡りは小指くらい、洒落た銀製で、サイズは鉛筆削るにはちょうどよさそうだけど、身を守るとかは絶対無理だろこれ。

 そして時刻は十時。今朝も見たあのボックスカーがやってきて、俺達の前で停車した。

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