第56話 五人とひとりとお人形 3章

 渡辺暁わたなべあきです、と名乗ったその人は、小柄だけど明るくて堂々とした性質のお陰で、実際より一回り大きく見えた。サバサバ系のきれいなお姉さんだ。渡辺は母方の姓で、両親の離婚と同時にこちらを名乗ることにしたのだと、あっけらかんと言ったものだ。

 夜行バスで東京へ出てきて、長距離バスターミナルに接続しているスーパー銭湯でさっぱりしてから来たのだと快活に笑って、朝風呂っていいわよと更に笑った。朗らかな人だ。神林さんと待ち合わせていた大学前駅の改札で、ゾロゾロと居合わせた俺達を見たときこそギョッとしていたが、どうやら神林さんは俺達のことも暁さんに話していたらしく、この前言った友達の後輩連中だとひと言、それで暁さんはああ、とうなずいたものだ。

 これだけの大人数で集まるとなると、どうしても場所が限られてしまう。俺達は暁さんと合流して、あらかじめ予約していたイタリアンレストランの個室へと流れた。大学からはちょっと歩くが、店へ着く頃には、暁さんと俺達はすっかり仲よくなっていた。

 比企は金曜の午後からさっきまで、ひと晩大学の資料室に泊まり込んで調べ物をしていたとかで、顔色がいつも以上に白かった。気のせいか、目の色がいつもと違うような。いつもはごくたまに、光の角度で青かったり緑だったりする程度だけど、今朝は瞳孔の縁がピンク色を帯びているような。しかも、些細な角度の変化で目の色がコロコロ変わっている。

「どうした比企さん、その目」

 いつだったか、比企の大伯父さん、クリスが言っていた「一族の遺伝由来の特異体質」とやらだろうか。比企はああ、とでかい欠伸を一つ、徹夜のあとだとさすがにコンタクトは痛くてな、と目をこすった。

「私の目は、本来はこうなんだ。光線の具合次第で色が変わるし、瞳孔の裏側は猫やなんかと同じように反射板みたいな組織があるとかで、光を反射すると蛍光色で反応する。夜目が利く以外は目立つばかりで不便だよ」

 またしても友人の特異体質が判明したが、そんな話と一緒に、徹夜仕事のあとはコンタクトが痛いって、日常丸出しなのがなんとも。

 能見先輩と神林さん、俺達の野郎七人は、各々ジーンズやハーフパンツにスニーカー、サマージャケットやTシャツ。美羽子はぺったんこのパンプスにキュロット、Tシャツと薄手のパーカー。暁さんも、夜行バスでもシワになりにくい柔らかそうな生地のサマーブラウスにカプリパンツ、レディースのスニーカーにジャケットという、全員が初夏の装いだが、比企はといえば相変わらず、仕事着の防弾チャイナに膝丈パンツ、アーミーブーツと白いコートだ。しかも比企本人はコテコテのロシア系の面立ちだから、無国籍感もすごければ、正体不明な感じも濃厚で、初対面の人はそりゃあ戸惑うよなあ。それでもすぐに打ち解けられたのは、比企の社交術もあったのだろう。暁さんはヨーロッパの政治史を研究しているのだとかで、ヨーロッパの下町のおっさんあるあるで盛り上がっていた。

 レストランに着いて個室へ通されると、比企はまず部屋の四隅やカーテンの裏、窓をなんとなく見て、観葉植物の鉢をチラッと覗いて、それから空いている椅子に適当に腰掛ける。もしかして盗聴されてないか確認、とか? 比企は俺の視線に気付いたのか、ちょっと情けない顔で、職業病だな、とうなだれた。

 

 それで、と比企は切り出したのは、昼食をとり、食後の甘味ドルチェと飲み物が給仕サーヴされたところだ。

「まずは、全員で今回の出来事のおさらいをし、情報を共有してみましょう」

 そう促して、比企はベルトに下げたポーチから端末とメモ帳、ペンを出し、今全員が確認できていることを挙げていった。

 ・十三年前、暁さんの双子の片割れが故郷である高知での水害で行方不明となった。

 ・十二年前に暁さんのご両親が離婚、暁さんは母に引き取られ、母の故郷の福島へ移住。

 ・十年前、暁さんの母が死去。暁さんは高校一年で、この年に神林さんと出会った。母の死後、暁さんの父親、北森氏が暁さんの生活を金銭面で支えることに。

 ・先月、北森氏が暁さんへ連絡し、自身の個展へ招待。暁さんは自分とそっくりの精巧な人形が陳列されているのを見た。

「どうでしょうか先輩方。不足はありませんか」

「いや、ないよ」

「全員が共通して認識してる事実は、まず今挙がったもので網羅してると思うよ」

「そうね、よく整理できてるわね」

 ありがとうございますと比企は軽く頭を下げた。

「今、時系列順に挙げた出来事が、今回の不可思議な状況を整理する上での土台です。これを念頭に置き、各々の出来事に関連して何があったのか、そこを探ろうと思い、私はゆうべ、大学の資料室に籠っておりました」

 能見先輩と、やっぱり大河内大のOBである神林さんがまじか、と目を剥いた。

「書痴とハッカーの巣窟だぞ」

「精神と時の部屋に、こんなかわいい子が行ったらそれだけで大騒ぎだぞ」

「よく無事に出てこられたな」

「ほんとだよ」

 先輩達がなんかおそろしいことを言ってるのだが。

「精神と時の部屋ってなんすか」

 呆れ気味に忠広が問うと、昔からそう呼ばれてるんだと能見先輩が答えた。

「一旦入ってデータベース漁ると、次から次に情報が出てくるからな、全部追いかけてると何時間あっても足りないんだよ。あっという間に時間が過ぎ去って、時間の感覚が狂うんだ。入り浸ってるのは大概ネット依存気味のオタクとか、国会図書館や博物館でアーカイブされた古文献読み漁る漁書マニアとか、そんな連中ばっかりだよ」

「うちの学校のネットワークシステム、大概の公共施設やら中央官庁のデータベースやらと繋がってるからな。セキュリティもしっかりしてるし、入り方さえわかってれば、お役所のデータライブラリも閲覧できるぞ」

「まじすか」

 うんうんとうなずく神林さんに、軽く引き気味に源が相槌を打った。

 実に便利だったよと比企はパンナコッタを駆逐する。

「今回はまず、新聞各紙のデータベースをあたり、渡辺先輩のお父上、北森清一氏の作風や人となりについて調べた。高知での水害については、この前一通り調べていたからね」 

「いつもみたいにプロに頼まないのか」

 忠広が首を傾げるが、仕事じゃないから、と比企はあっさりと片付ける。なるほど。

 それで、と暁さんが水を向ける。

「そんなところでデータベースに当たって、何がわかったのかしら」

 はい、と比企はにこやかに受けて、まあそれなりに、と応じた。

「手始めに全国紙のアーカイブで、北森氏の名前で検索をかけました。そこでは個展の開催情報程度でしたが、目先を変え高知県の地方紙のアーカイブで同じように検索をかけたところで、インタビュー記事に行き当たりました。カルチャー欄で、地域に住む著名人へ取材する、よくある記事です。新進気鋭の芸術家という触れ込みでインタビューが組まれていましたが、創作上の重要な動機として氏が述べていたのが、十三年前の水害と、行方不明となった我が子です」

 そこで比企は宙に視線を定め、記憶の中の文面を読み上げるように暗唱した。

「『行方がわからないということは、どこかで元気に暮らしているのかもしれない。これだけ捜して見つからないのだから諦めろという意見もわかりますが、どこかで諦められないんでしょうね。娘を思って、イメージして作品を作り続けていたら、いつかあの子の目に触れて、再会できるのじゃないか。つい、そんなことを思ってしまうんですよ。だから、私の作品には、どこかに娘のイメージが漂っているんです』──このあとには、双子の娘の片割れは健在で、大学院で学んでいる、この子だけでも元気でいてくれてよかったとも語っていて、一読すると暁さんのことも自慢にしているように思えるが、語り口の熱量は、やはり行方不明のままのご姉妹へ傾いているのは否めません」

 同じ姉妹、それも双子の姉妹でありながら、この差は何に起因するのかが気になります、と比企はそこで一度ティーカップを取った。

 そうだ。そこは確かに引っかかる。そっくりな顔の姉妹で、何がそんなに違うのか。

 暁さんが苦笑した。

「そうよね、そんなもの読んだら、そりゃあ気にはなるわよね」

 カズの友達の後輩って言うから、どんな子が来るのかと思ってたけど、と肩のちからをふっと抜いて、暁さんがカフェラテのカップに唇をつけた。

「すごいわねあなた」

 それから、ゆっくりと深呼吸をひとつ。そうね、と暁さんが口を開く。

「どこから話したらいいのかしらね。まず、あたしと宵子しょうこは双子、それも一卵性の双子で、だからって言うべきなのか、それなのにって言ったほうがいいのか、とにかく性格は真逆だったわ。気味が悪いくらいに見た目だけはそっくりだったのに」

 夜に生まれたから宵子。明け方近くに生まれたから暁。先に生まれたから宵子が姉、暁は妹、と言われたが、父親だけは昔風に、先に母のお腹に入った暁が姉だと言っていた。実際は、どちらが姉でも妹でも、何も変わらなかったのだけど。

 暁は社交的で華やかな性格だが、宵子は万事につけ、目立つことを嫌い、妹の陰に隠れるようにしていた。売れない芸術家の父が家事を請け負い、市役所勤めの母が一家の生活費を支える。バリバリ働く母は、ハキハキとものを言う暁をかわいがり、一方で父は、幼いながらどこか大人びている宵子を「イメージの源泉だ」と愛した。

「たぶん、なんだけど母さんは、父さんにあたしのことももっとちゃんと、我が子なんだと思って接してほしいと思ってたのかもしれない。確かにあたし、何か買ってもらったりとかは宵子と差別されたりしなかったけど、父さんが絵を描いたりするときには、必ずモデルは宵子だけだったから」

 なるほど、母親にしてみれば、同じ姉妹なんだから片割れだけを特別扱いせずに、二人を同じように扱って欲しかったのだろう。芸術家とモデルというのは、きっと誰も割って入れない特別な関係なのだろうから。

「まあ、あたしは実際のところ、どうでもいいと思ってたけど。何時間も同じ姿勢で座ってろとか、絶対我慢できないだろうし」

 けろりと笑って舌を出す暁さんは、どこまでも明るい。

 だから、水害で宵子が流され行方不明になったとき、北森氏は必死に捜し回ったという。血眼になって、まだ水が引かず泥沼のようになった街を、何日も避難所へ戻らず、娘を捜してさまよった。

「元々が、うちの家計がぎりぎりで、どうにか母さんが働いて支えてて、そこはまあ、母さんも飲み込んではいたのよね。今はまだ人気作家とまではいかないけど、それでもちらほら父さんの作るものが好きだって言ってくれる人もいたし、たまに作品がそこそこの値段で売れることもあったし。でも、娘への接し方の差だけは、母さんはどうしても納得できなくて、ときどきだけど、それで小さい喧嘩が起こることもあったみたい。それが、宵子を必死に捜し回る姿を見て、ついにはじけちゃったのね」

 数日経って、憑き物が落ちたような顔で戻ってきた北森氏に、姉妹の母親は訊ねた。

 あなたは暁をなんだと思ってるの。

 軽く小首を傾げて、僕の娘だね、とだけ答える北森氏に愛想も尽き果て、暁さんの母はもういい、とため息をついて離婚を切り出した。北森氏は、驚くでもなく、ちょっとだけ残念そうにそうか、とだけ答えたそうだ。

 結局、夫婦はそのまま円満離婚した。北森氏は何も望まず、言われるがまま、妻が一家の乏しい貯金を折半したものを受け取って、我が子との面会すら、娘が望んだ時にだけ、と言った。実際のところは、暁さんは特に会いたいとも思わなかったので、面会を先延ばしにしているうちに大人になってしまったのだが。母が死んだと知らせを入れると、そのときだけはさすがに、高知から駆けつけて、葬儀の段取りその他、大人の手が必要なことは取り仕切ってくれた。

「母さんはほら、離れていようとなんだろうと娘なわけで、宵子のこともあたしと同じように気に掛けてたのよね。だから母さんは、あたし達への接し方にまるっきり差を作らなかったし、行方不明だとなったら即、捜索願も出した。そのときは知らなかったんだけど、この前のあの人形を見てから、母さんの遺品を出したら、手帳にあったのよ」

 ただ一行。

 清一さんは捜索願を出さなくていいという。なぜ。

「で、気になって高知県警の捜索願いが出てる人のリストを見たら、名前がなくなってて、問い合わせてあたしの身分と事情を話したら、記録を見るとお父様が取り下げられたようですね、って」

 おかしな話でしょ、と暁さんはカフェラテをぐっと飲み干した。

 比企はそこで、渡辺先輩は、と問いかけた。

「暁でいいわよ。先輩って言っても学校違うんだし、知り合いの知り合いで偶々こうして会ってるだけなんだから」

「では暁先輩、とお呼びします。一つお訊ねしますが、宵子さんはまだ生きていると思いますか」

 え、と虚を突かれたのか、ソーサーへ戻しかけたカップをかちゃん、と落とすように置いて、暁さんが息を呑む。

「そうね、」

 テーブルのお冷やを一口、まず気を落ち着かせてから暁さんは顔を上げて、きっぱりと答えた。

「もう死んでると思う」

「それは、一卵性の双子に独特の鳴力ミンリーで判断した、とかではないですね」

「何それ。わからないけど、でも双子の共鳴とか、そういうオカルトはあたし達全然なかったわよ。まあそれはいいとしても、だって、もう十年以上経ってるのに出てこないってことは、ねえ。結果なんかお察しじゃない、現実の問題として」

 仰る通りで。

 

 さて、と比企はふっと息をついて、ここまでは北森氏の人となりからアプローチしたが、と話の軌道を変える。

「今度は作風だ。──ちょっと失礼、」

 立ち上がって、窓にかかったカーテンを閉める。室内は暗くなった。自分の席に戻った比企は、端末を操作し、テーブルの上にぽん、と映像が浮かんだ。

 部屋の薄闇に浮かぶのは、北森氏の作品でも数多く作られている、真鍮の歯車や発条ぜんまい螺子ビスやリード線で作られた、花や小動物、子供の姿を模したオブジェだ。繊細だったり、ころんとしたシルエットが愛らしいと、じわじわ人気が出ているらしい。

「メジャーなところでは、こちらのシリーズがこの三、四年ほどで人気が出て、製菓会社のCMに使われたりしていました。一方で、北森氏の大作というと、ファンは『オフィーリア』だと答える」

 オブジェの画像が消えて、入れ替わりに先週俺達が見たのと雰囲気がよく似た絵があらわれた。水面にたゆたい、水草や小魚に取り巻かれ、長い髪をさざなみに絡ませる。画面はいくつかの絵をコラージュのように組み合わせて表示しており、作品によって色調はさまざまだった。早朝の透き通った水、昼時の光を乱反射する水面、夕空を映した鴇色、月夜の深い蒼。絵のヒロインは、おそらく同じ少女なのだろう。長い黒髪に白い肌と、夢見るような表情は、細部は変われど共通している。

 暁さんの頬が硬く張り詰めた。

「そして、こちらは先週、我々が北森氏の作品展で、氏のパトロンでもある画廊の社長から入手した、暁先輩の見た、例の人形の写真です」

 数枚並んだ絵の中の一枚がピックアップされ、画面が半分に割れる。片側に絵、もう一方に、先週あの社長さんがくれた写真があらわれた。

 似ていた。

 いや、似ているというのを通り越して、そっくりだった。

 まるで、双子のように。

 それに人形も、実際に暁さんとこうして直接見比べると、確かに似ている。人形の方が幼い顔立ちではあるけれど、確かに暁さんと目鼻立ちはよく似ていた。

 ねえ、と美羽がおずおずと声を上げる。

「変なこと言うかもだけど、これ、なんだか」

 そこで美羽子は、アイスピーチティーをひと口、息を整えた。

「順序が逆だってわかってはいるけど、なんだか、このお人形をモデルに絵を描いたみたいで、ちょっと怖いわ」

「おいおい」

 まさやんが驚きを押し殺しながら、しっかりしろよ笹岡、とどうにか苦笑いで収めようとした。

 でも、美羽子の言わんとすることは、わからないでもない。人形があまりにもリアルに、精密に作られているだけに、そして先行して発表されている絵が人形にそっくりなだけに、見ている俺達におかしな逆転を感じさせるのだ。

 先週会った画廊の社長が言っていた。

 アトリエで製作中の人形を見て、大変な出来栄えに感動して出品を強く勧めた、と。

 そして先月の作品展で、一日だけではあるが陳列した、ということは、アトリエで人形を見たというのは、そう以前のことではないだろう。その一方で、半立体の絵「オフィーリア」のシリーズは、十年近くに亘って発表され続けている。

 モデルに先行して存在する作品なんて、あり得るのか?

 ううううううう。なんかキモチワルイ。尻の据わりが悪い。釈然としないスッキリしない納得いかない! どういうことなんだってばよ!

 結城がうへえ、と情けない顔をした。

「なあなあ、もうさあ、このお人形を北森さんがずっとこっそり隠して置いてて、モデルにしてずーっと前から絵に描いてた、ってオチじゃダメか? 」

「いやこの完成度で隠す意味is何」

「結城の言う通りだとしてさ、じゃあ今になってこの人形がアトリエに来た客にあっさり見つかる理由が謎じゃん。何年もずっと隠しに隠して、ここにきて急にガバガバってどうなん」

「しかも、散々隠してた人形を、一日だけとはいえ展示に出した理由は何なんだって」

 結城の推測というより泣き言は、あっという間に忠広と幼馴染二人にボコボコに叩かれ、うえー、と更に情けない声をあげて、奴は長身をかがめてテーブルに顎を乗せた。

 比企は黙って俺達のやりとりを聞いていた。

 それにしても、もし結城の言う通り、北森氏が少女人形を先に作り、アトリエに隠していたのだとして、だ。そもそも論として、そんな隠せる場所があるアトリエなのか? 俺のイメージする芸術家のアトリエは、漫画やドラマによく出るような、やたらと広い部屋にモデルが座る椅子やなんかがあって、天井が高くて、整然としているモデルさんスペース以外はキャンバスやら、何が入ってるのか判然としない箱だとか、画集だとか、絵の具や筆がわさわさいい加減に置いてあるテーブルとか、部屋の主人以外にはガラクタにしか見えないもので溢れてる、そういう部屋だった。

 実際の北森氏のアトリエというのは、どんなものなのだろう。

 あのう、と俺はかわいらしく挙手して、暁さんに質問した。

「暁先輩は、お父さんのアトリエがどんなか、ご存じですか」

「え、父さんのアトリエ? そうねえ、」

 そこで暁さんは、引っ越してなければだけど、と前置きして、

「小学生の頃、一度だけ行ったことがあるわ。すっごい山の中よ。死んだお祖父ちゃんが生まれた家だとかで、お祖父ちゃんが高校に入る頃には廃村になって、それでも畑は残ってたから、お祖父ちゃん死ぬまで通って農家してたのよ。で、家はまだしっかり使えるし、お祖父ちゃんが死んでからは父さんが通ってアトリエにしてたの」

「フツーの一軒家ですか」

「フツーっていうか、うーん、ログハウスよ。リビングが吹き抜けで天井高くて、二階部分に何部屋かあって、寝泊まりできたり物置にしてたり。昔は電気もきてたみたいだけど、さすがに廃村だからね、お風呂や台所のコンロも電化して発電機買ってきて、それで賄ってた。水は山の湧水引いて」

 つまり。

「結城の説を採用するなら、できなくはないな」

 俺が漏らすと、だな、と源がうなずいた。

「できるかどうかだけを考えるなら。ただ、何年も隠す意味はないんじゃないのか」

「そう、意味がわからない。結城の説は、そこがネックだ」

 そこで比企が口を開いた。

「結城君の読みは、そう見当違いではなかろうと思う。可能か否かだけで見るなら、十分に可能だ。あとは、実際の事情を確認してみないことには。北森氏がアトリエにどの程度の頻度で通っているのか、来客の頻度、誰が来るのか、訪問するとどの程度滞在するのか。それ次第では、念入りに隠したのか、それとも、意外とその辺に置かれていたのに誰も気づかなかったのかがわかるだろう」

 なるほど、そこさえ検証できれば、結果次第で結城の読みが当たっているかどうか確認できる。まるっきりの無駄ではないだろう。

 だが、どうやって調べるのかが問題だ。

 

 しばし室内が沈黙に覆われた。あのさ、と暁さんが思案の末に切り出す。

「それ、たぶんあたしが確かめるのが一番早いかも」

「いいのか」

 労わるように神林さんが問うが、暁さんはたぶん大丈夫でしょ、と答えた。

「疎遠だとは言っても、唯一残った家族、それも実の娘だからね。他人には話しにくいことでも、余程でなければしゃべるわよ」

「まあそりゃそうだけどさ」

「あたしもね、気にはなってるのよ。何年ぶりで父親に呼び出されたと思ったらいきなりこんな、昔の自分とそっくりの人形見せられて、片割れはもう十年以上生死不明で、しかも捜索願はいつの間にか取り下げられてるし。別に何か起こってるってわけじゃない分、余計に気味が悪いばっかりでスッキリしない」

 だからその辺をまとめてスッキリさせたいの、と暁さんはキッパリ言って、お冷やの残りを飲み干した。

 そうだ。表面的には何も起こっていない。でも、事象の薄皮一枚剥いだだけで、こんなにも薄気味悪い顔になる。とはいえ、どこからどう当たって何を調べるべきか。

 室内がサッと明るくなった。

 比企がもう一度席を立ち、カーテンを開けたのだ。

 ぽんと手を打ち、では、と提案。

「まず暁先輩は、今日の予定通りお父上の作品展へ顔を出し、東京に用があって出てきたついでに挨拶に寄ったとでも言って、画廊の社長に面会を取り付けてしまうのです。その場に居合わせたなら、父がお世話になっているとかなんとか、挨拶がてら、人形をアトリエで見つけたときのことを、それとなく聞き出せばよろしいかと。作品のモデルになっているのであろう作者の娘が訊ねるんだ、大概のことは気分よくしゃべるでしょう」 

 おお。確かに、俺達が聞き出すより自然だ。

 全員の視線が比企に集中した。普段は食ってばかりで、今ひとつすごさがわからない奴だが、事態がこうして非日常や非常識の様相を帯び始めると、これ以上ないほどの頼もしさを発揮しやがるのだ。

「ただし、我々が一緒だと怪しく見えるでしょうし、できれば暁先輩お一人で行かれるのがよろしいかと」

「そうね。あなた達とのつながりは他の誰も知らないことだから、黙っておくのがいいわね」

 暁さんもうなずく。そうと決まれば、あとはあの小さな洋館の作品展へ行くのみだ。

 俺達は先週も作品展へ行ったあとに寄った喫茶店で待機し、あとから暁さんが合流して結果を聞くことになった。

 

 レストランから駅へ、腹ごなしを兼ねて歩く途上、そういえば、とさもつまらないことでも訊ねるように、比企が暁さんに質問した。

「先輩は、例の人形を見たときに、ご自身にそっくりだと思われたと聞きましたが、」

「え? ああ、うん」

「宵子さんにそっくりだ、とは思わなかったのでしょうか」

 虚を突かれたようにハッと顔を上げる暁さん。

「そういえば、変よね」

「先輩方は双子の姉妹です。しかも宵子さんは行方不明。それなら、姉に似ている、と思われてもおかしくはないのでは、と」

「そうよね」

 どうして、と暁さんは考え込んだ。

「なんであたし、自分にそっくりだと思ったのかしら。そりゃあ、宵子はもう死んでるだろうとは思ってるけど、それにしたって」

 暁さんは愕然としたように、ぼんやりとうなずいた。

「同じ顔なら、宵子でもあたしでも同じことではあるのよね。なのに何で自分そっくりだと思ったのかしら」

 

 そうだ。

 今回、俺達が関わったこの出来事は、何から何まで、いやらしい象徴性ばかりが目につく。

 そっくりな双子。

 行方不明の片割れ。

 双子にそっくりな少女人形。

 自他の境界と、人間とモノとの境界が、曖昧になっていくような薄気味悪さ。その中心にいるのが、暁さんの父親、北森清一だ。

 怖くはない。怖いというなら、高校生の頃、夏休みに遭遇した怪獣の方が余程怖い。ただ、何かの符号のように思わせぶりなものばかりが集まる様は、とにかく忌まわしかった。

 しかも比企は、今回はどうも積極的に関わる気はあまりないみたいだ。元々こいつは探偵、依頼があって初めて動く側の、完全な傍観者だ。

 前を歩く先輩三人の背を見遣りながら、なあ、と俺は比企を肘でつついた。

「どうするんだよ比企さんはこのあと」

「さてね。仕事ではないから、個人でできることはしたものの、それでもこれだけのものが出てくると、どうにも寝覚めが悪い」

「暁先輩、もう放っておくの? 」

 美羽子も気掛かりなのだろう、比企の顔を覗き込む。

「そういうわけにも行かないだろうね。ご縁があってここまで関わってしまった以上、北森氏の作品展の会場で暁先輩が何を摑むか、それ次第では、あまりいい展開にはならないかもしれない。そうなったら、できる助太刀はするつもりでいるよ」

 そうならずに、大したことなく終わるのを願うばかりだけどね、と比企は肩越しに匙を投げる仕草で肩をすくめた。

 あとはもう、暁さんが実際に行動し、自分で確かめていくしかない。

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