第94話 真打・五人とひとりと海辺の事件 6

 比企がおそろしいほどに上機嫌だ。

 捜査会議のあと、会議室をそのまま借りて、比企はどこやらに電話をかけると、署長さんや県警の本部長だというおじさんを相手に、地図に磁石をパチパチ留めながら作戦を提案していた。初めのうちはお義理で聞いていたのが明らかだった偉い人たちは、すぐにほうほうとうなずき出し、しかしそううまくいきますかな、と意見を出すほど身を入れて、耳を傾けるようになっていた。

「おそらく奴は、うしお海岸の海域を餌場と定めたのでしょうね。秋には沖合いに出て魚を食い荒らしていたにも関わらず、うみねこを食い人間を襲い、猫を締め上げている。野犬が激減したという話もありますが、ここは海岸と山がとても近いですからね。コモドドラゴンの因子も持っている以上、先程の青砥教授のお話から推測するに、単に陸よりも海が好き、というだけの話なのでしょう。山へ分け入った奴に野犬も食われていたのだと、考えていいと思います。陸での活動限界は高めに見積もっていてもいいのでは」

 いやしかし、と署長さん。

「相手を過大に評価しすぎでは」

 本部長さんもそう言って、署長さんがうなずいた。が、比企は油断大敵ですとあっさり否定する。

「我々は未知のキメラ生物と相対するのです。相手を舐めてかかれば身を滅ぼしますよ。過大に評価し、抜かりなく準備をするくらいが丁度いい。軽蔑すべき敵よりも、尊敬に値る敵を見よ」

 やるからには全力で当たれ、というのが師父の教えなので、と、比企は薄く笑った。

 比企の作戦説明がほぼ終わったところで、受付にいつもいる事務のお姉さんが、失礼します、と開いていた扉から中へ声をかけた。

「その、探偵さんに、お客様が、ええと」

 その言葉に、比企が来ましたか、と顔を上げて、構わないのでここへ寄越してください、と返事をした。

 とりあえず失礼がないように、でもどう接していいのかわからない、という表情で、一旦引っ込んだお姉さんがすぐ戻ってくる。お姉さんは、二人連れの男を案内して、こちらです、とぺこんと頭を下げると、そそくさと引っ込んだ。

 会議室に入ってきたのは、二十代後半くらい、三十代にはなっていないであろう、高そうなスーツを着た長身の外国人のイケメンと、これもまた外国人の、半袖のシャツに麻のパンツ姿の、いぶし銀のイケオジだった。この場にクラスの女子でもいれば、揃ってキャアキャア言ってる事だろうけど、二人ともにこやかなのに、雰囲気はどこか物騒な感じがした。

 二人は比企の前にビシッと並ぶと、ピシッと一礼。

「姫様! ドミトリー・ロマノヴィチ、並びにヴラディミル・ピョートロヴィチ、ご依頼のお品物をお届けに参上仕りました」

 うん? 姫様?

 比企は苦虫噛み潰したような顔をしていた。

「まずは物資配達ご苦労。ときにじいや、私がいつも何と言っているか忘れるほど、まだ耄碌もうろくしていないだろう」

 その呼び方は本家にいるときだけにしろ、と言って、比企はイケメンから何かの書き付けを受け取った。イケオジはさして動じず、しかしこの老ぼれからしますれば、姫様は姫様でございます、としれっと答える。

「しかし、まあ姫様がそうおっしゃるなら、ここでは御嬢様バンノチカとお呼び致しましょう」

 ああそうしてくれ、その方がまだ我慢できる、と比企がため息混じりにうなずいた。そこに金髪イケメンが卒なく、御嬢様、と声をかける。しかし日本語うまいなこの人達。たぶん日本人しかいない場所だからってんで、気を利かせてるんだろう。さもなければ事前に比企がそうさせてるか、だな。

「物資はどこへ搬入させましょうか」

「ああ、この部屋をお借りすることになったのでな、ここに置かせていただこう」

 かしこまりました、とイケメンが引っ込んでいく。そこで比企は、俺達にイケオジを引き合わせた。

「この男が私にシステマを叩き込んでくれた、件のじいやだ。じいや、彼らは私の学友で、戦友でもある。あっちにいる桜木警視はもう知っているだろう」

「おお、あなた方が御嬢様のご学友ですか。どうぞ、ミーチャ・ロマノヴィチとお呼びください」

 すげえフレンドリーに握手してくれたけど、すげえ手がゴツかったです。俺達全員と握手したじいやさん、まさやんと結城、源に、何かやっておられますな、とニコニコしながら訊ねる。三人が剣道です、と答えると、やはりそうでしたか、と破顔した。

「武人の手をしておられますからな、すぐわかりました」

 それから比企の顔をじっと見て、お顔の色もよろしいですな、大奥様が心配しておいででした、とうなずくと、ちょっと離れて俺達とのやり取りを見ていた桜木さんに向き直る。

「若造、きちんと姫様のお世話を務めているようだな。監督官だか何だか知らんが、お前の仕事は姫様のお健やかな暮らしを守り、お勤めの補佐をし御世話申し上げることだ。職掌が上だからなどと、ふざけたことを考えてみろ。この爺が心得違いを修正してやる」

 じいやさんはどうも、桜木さんがあまり好きじゃないみたいだな。いい人なのに。

「いいか、本来ならば貴様如き平民など、御目通りを願うことすら不敬にあたる、高貴な姫君なのだぞ。慈悲深いお方ゆえ、貴様のような下賤の者でも才を見てお取り立てくださり、下風に立つこともよしとしてくださっているのだ。ゆめゆめ履き違えて思い上がるなよ」

 しかし大袈裟なじいやさんだな。なんか、こう、何か問題が起こったら真っ先にお前をぶっ殺す的な剣呑さがあるよ。俺達と話してたときと全然違うよ。てゆうか比企ってそんなにいいうちの子なの。姫様って。

 俺達がどうなってるのと囁き交わしている間に、金髪イケメンの先導で、次々とでかいケースやアタッシェケース、段ボールの箱が運び込まれた。作業着姿の男の人が何人かで運び込んできて、ご確認お願いいたします、とケースを開ける。

 でかいケースの中には、棍棒みたいなものが一本入っていた。それが六個。アタッシェケースには、細長い弾丸がいっぱいと、その弾丸専用と思しき銃。それから段ボールの中身は弾丸の箱で、もう初めて見るものばっかり。でもどうせならパンダの赤ちゃんとかの方が見たいよね。かわいいし。

「パンツァーファウスト六発、APSライフル一丁、及び弾倉五〇〇発分、九ミリパラベラム弾、及び・四四口径弾各五〇×十ケース、七・六二×五四mmR弾、一〇発入弾倉を十五箱と、追加で零点規正ゼロイン用に十箱。係維機雷八、これは御嬢様が御所望の通り、旧式のものを手配致しました。以上、ご注文のお品物一式でございます。それと、」

 李師伯からお預かりしたものがございます、と、金髪イケメンが持っていたアタッシェケースを恭しく差し出した。

「頼まれたものは揃えておいたが、小梅児は友達の手前、格好つけたがるだろうから一緒に渡しておけ、と」

 受け取って、比企はケースの蓋を開ける。俺たちも何となく肩越しに覗き込んだ。

 中には、空気を抜いて畳んだ浮き輪とワンピースタイプのガーリーな水着と、何故か折り紙の動物が四つ入っていた。鶴と亀と、虎と竜。鶴はガニ股の足が生えてて、折るの難しいけど出来上がりはふざけたビジュアルになる方のやつだ。しかし竜の折り紙ってすげえな。匠の技じゃん。

「…師父ううううううううう! 弟子で遊ぶのはやめてくださいとあれほどっ」

 比企はなぜか折り紙をコートの内ポケットへ大事そうにしまい込んだが、水着と浮き輪を床に叩きつけた。

 俺は何となく気になったことを、そっと桜木さんに訊ねてみる。

「比企さんってそんないいうちの子なんすか。あと、桜木さん何であのじいやさんに嫌われてるの」

 うーん、と困ったような苦笑いで桜木さんは、まあねえ、と答えた。

「僕も最近になって知ったんだけどね、どうもロシアの貴族だった大富豪一族に繋がってるって話でね。今の当主は小梅ちゃんの曽お祖母さんで、後継者に彼女を指名してるそうだよ。で、あのじいやさんは、曽お祖母さんのボディガードで執事長。一緒に来たイケメンは、小梅ちゃんの兄やさん。じいやさんは小梅ちゃんを孫みたいにかわいがってるもんだから、監督官が男なのが気に食わないみたい」

 耳聡く聞いていたらしいじいやさんが、監督官が気に入らないのじゃない、お前が気に食わんのだ、と割って入ってきた。

「言い寄る女には誰にもよい顔をして見せるなど、だらしないにも程がある。日本の警察官にしては多少腕は立つようだが、それで不品行が帳消しになどなるものか。儂に認められたければ、まずそのだらしなさを改めることだな」

 な、なるほど。わかるような気もしないでもない。けどまあ、過保護なじいやさんだな。イケオジなのにね。

 兄やのヴラディミルさんとも挨拶した。やっぱりイケメンなんだけど手はゴツかったです。この人も武闘派か…。ヨーロッパのおしゃれな映画にでも出そうなイケメンなのに…。ともあれ、荷物が滞りなく揃ったのを確認して、二人はそれでは御嬢様をよろしく、と引き揚げていった。

 あとに残されたのは、あっけに取られた警察の偉い人と俺達と、ちょっとくたびれた顔の桜木さん、それに、棍棒みたいな武器を撫でてニマニマしているご機嫌な比企。

 これから何が起こるんだってばよ。

 

 そして時刻は、捜査会議のあった昼下がりから一気に夕刻に飛ぶ。

 その間何してたのって? すっげえ忙しかったですよ。ええ。

 まず、例の不詳生物、遺伝子ごちゃ混ぜ怪獣の駆除作戦は、明日の日没スタートと決まりました。決行までの時間は二十四時間ちょっと。俺達は比企の指揮のもと、町の方々を駆け回って、海沿いの道路に面した店や住宅に、明日の夜は何があっても外に出ないよう、犬や猫、ペットは室内に避難させて、雨戸をしっかりと閉めておくようにと触れて周り、漁師さん達には、捨てるばかりになった網やロープ、いらないボートがあったら貰えないか交渉した。

 網とロープはすぐ集まった。例のごった煮怪獣に網を食い破られた漁師さんが何人かいて、みんな繕って直すより、新しいものを買った方が早いほどの被害を受けていたのだ。もらった網を、漁り火の隣の家の、もと漁師だったお爺さんに教わりながら繕ってつなげて、でっかい一枚にしていく。俺達五人と、比企も一緒だ。その間に桜木さんは、あちこち駆け回って暗幕を借りてきていた。マル勅探偵の監督官という権限をフルに生かし、更にキャリア警官の人脈も利用して、隣町の市役所や、県庁に掛け合って借りてきたそうだ。

 今日は町中が臨戦体制で、さすがに駅前の信用金庫も臨時休業になったらしい。朝一番に起き出してきたお姉さんは、父ちゃんの手伝いならあたしがいるから、と、俺達を送り出してくれた。

「いいから行ってきな。怪獣退治、手伝うんでしょ。父ちゃんも行ってこいって」

 にひゃっと笑って、かっこよくなっちゃってさあ、もう、とまさやんの背中を思い切り叩く。

 網はできた。ボートは何に使うのかと思っていたら、波止場で水に浮かせながら穴が空いていないか確認し、比企はやや間隔をあけた数珠繋ぎに、ボートを繋いでいく。一体何をするんだか。

 そこに来たのはなぜか肉屋さん。なんて言うんですか、あの、荷台が冷蔵庫になってるでかいトラック。あれで乗りつけて、がんがん積荷を降ろしていくんですが。鶏肉いっぱい。焼くの? 棒に刺して火で炙ってクルクルしちゃう? でも別にそういうことはなくて、どうも、と比企は淡々と受け取りにサインして、肉屋さんは荷台いっぱいの肉を置いて引き揚げた。

「比企ちんこの肉何に使うの? フライドチキンパーテー? 」

 結城が訊くと、ああ、と比企は、

「餌だよ。こいつを撒き餌にしておびき出す」

 というわけで、俺達の次の仕事は、大量の鶏肉を麻の土嚢袋に詰め込んでいくことだった。二十個近く、鶏肉でパンパンの袋が浜に積み上がる。

 その作業の合間には、比企は署長さんや刑事さんを相手に、どこにどう布陣して、どんな合図があったら何をして、と細かく打ち合わせる。あの棍棒みたいな武器は、海岸をぐるっと左右から取り囲んで小さな湾にしている、崖の両端に二つずつ配置していた。いや、いくら鉄でできてても棍棒はないだろ。すると、俺の顔を見て比企がニヤッと笑った。

「八木君、そいつは対戦車ロケットだ」

 え。嘘やん。

「パンツァーファウストだよ。どうやって使うかは調べてみるといい」

 言われて慌てて端末出して、検索検索。

 うん、物騒! でもこれ誰が使うの。

 あの、いつぞやの電話でパンツがどうのって言ってたのはこれだったのか。なるほど。

 そして日没の頃、比企の号令のもと、俺達が必死に肉を詰め込んだ麻袋は、次々と遠浅の辺りに投げ込まれた。袋はそれぞれ、砂浜でロープにつながっていて、奴が撒き餌に食い付いたらわかるよう、砂浜からやや離れた辺りに伸ばしたロープの先端には、ガラクタをくくりつけ、音がするようにしてある。見張りが音を確認したら、外海へ出られないよう、俺達が修繕した網を繋いで、湾に蓋をするように塞いでいく手筈なのだそうだ。網については気休め程度なのだろうが、遠浅の辺りにうまそうな肉がいくつもあって、外海に出るには、脅威ではないけど邪魔くさい網がある。それなら湾内でたらふく肉を食う方を選ぶだろう、という作戦だ。とにかく外海へ出ようとする動きを牽制するラインが敷かれている。

 あとの手筈を見張りで居残る刑事さん達に託して、日が落ちきって夕焼けの名残が薄れかけた頃、俺達は比企に桜木さんも揃って、漁り火に戻った。

 民宿ではおばさんの夕飯が待っていた。なぜかステーキとトンカツという、肉に肉の取り合わせだ。しかも、ご飯は手巻き寿司という豪華さだ。

「明日はいよいよ怪獣を狩るんだからね。テキにカツ、だよ」

 ダジャレかよ、というツッコミは、誰もしなかった。おばさんなりに俺達を応援してくれているのがわかるからね、そんな野暮なことはしないのさ。

 怪獣狩りの下準備でクタクタだった俺達だけど、豪華な夕飯で元気を取り戻し、その夜はぐっすり眠って英気を養った。

 

 翌朝早く目を覚ました俺達は、行ってきますと挨拶もそこそこに、漁り火をあとにした。民宿を背に歩き出すと、比企はまず猟友会の事務所に行くという。

「持ってくるのにスコープを外してしまったからな、零点規正ゼロインをしておかなくては」

「ぜろいん」

「ぜろいん」

「でろりん」

 おうむ返しに繰り返す俺達。一人怪しげなのもいるが、まあ通常運転。

 何でも、スコープっていうのは一度外すと、取り付けたときにもう一度、実際の着弾点と照らし合わせて調整し直さないといけないのだとかで、

「鞄にうまく収まらないから、外してばらすしかなかったんだ」

 比企はキャリーケースの内側の、布の内張のファスナーを開けながら言った。内張の下からは、ゴツそうなパーツが出てくる出てくる。それを慣れた手つきで並べては、ウェスで拭いて組み上げる。

 組み上がったのは、機能美すら感じさせるシンプルな、でも無骨で、うっすらと怖い、そんなライフルだった。

「SVD、スナイパースカヤ・ヴィントヴカ・ドラグノヴァ。日本語だとええと、ドラグノフ狙撃銃、だったか」

 一六九センチのまさやんと並ぶと、身長はそう変わらないのに、なまじまさやんのガタイがいいもんだから余計にがりがりに痩せて見える比企だが、こんなごつい銃を持つと更に、触れただけで折れそうに見えた。しなやかなように見えて、でも臨界点に達すると、途端にパキンと折れてしまいそうな。

 木のグリップには、何本も刻み目が入っていた。あとから彫刻刀とかでつけたような。たとえばナイフとか。

 比企はちょっとだけ昏い目で、恥ずかしそうにさりげなく刻みを隠して、こいつには何度も助けられたんだ、と笑った。

 誰も歩いていない早朝の港町を、タオルでぐるぐるに巻いた銃を抱えた比企と歩く。俺達はいつも通りの気楽な、Tシャツやタンクトップにハーフパンツとビーチサンダルで、比企はこいつなりの戦闘服らしい、黒いチャイナブラウスに黒い膝丈のバルーンパンツ、アンクル丈のアーミーブーツに靴下と、真夏だというのに真っ白い軍用コートと、頭にはハンチング。桜木さんはVネックのシャツにジーンズと、足元はさすがにスニーカーで固めている。二人とも、両脇にホルスターで拳銃を吊っているのは、漁り火を出る前に俺達全員が見ている。

 この前、東中学の事件では、比企はやっぱりこのいでたちで解決にあたった。ここまでの武装はしなかったけれど、今回の相手は、体が大きいということもあるのだろうけれど、何より人為的に凶暴性を高められている可能性を、たぶんこいつは重く受け止めているのだ。

 昨日の捜査会議で、湯田さんが調べて探し出したという女の人に造られた怪物。

 俺は思う。俺は幸い、人間に生まれて今こうしてここにいる。でも。もし、誰かに造られて、それも誰とも仲よく付き合えない、ただ暴れ回り殺したり壊したり、食い散らかしたりするだけしかできない生き物として、たったひとり造られて、この世界に放り出されたとしたら。

 それはきっと、すごい、凄まじい孤独だ。

 友達なんか作れない。自分を食うかもしれない奴と、誰だって友達になんかなれないだろう。一人が寂しくても、自分と同じ生き物なんていないんだから、異性すらいないし、そうなれば恋すらできない。親もいないし兄弟もいない。本当の意味での、徹底的な孤独だ。

 俺は、そんなことになったら正気でいられる自信はない。

 何だかあの夜、海からあらわれたあの影が、とてもかわいそうな奴に思えてきた。

 そんなことをポツポツと、俺は辿々しく話した。みんなはしみじみした顔でうなずいて、

「八木君、貴君はいい奴だな」

 比企はちょっとだけ寂しそうな、柔らかい笑みを浮かべた。


 スコープの調整、ゼロインとかいう作業は、とにかく単調で地道だった。

 比企がライフルを撃つ→俺達が交代で測量計を確認、着弾した距離を読み上げる→スコープを微調整して比企が撃つ→以下繰り返し。それでも小一時間で調整は終わり、比企は猟友会のおじさん連中に丁寧にお礼を言って、事務所をあとにした。しかし、俺たちは発砲音の対策でヘッドホンをつけていたけど、比企は何もつけずにそのままばかすか撃っていたが、耳は大丈夫なのか。

 猟友会からは漁り火の前を通っていくので、一旦顔を出しておばさんに声をかけると、今日も信用金庫が休みと思しきお姉さんが奥から出てきた。

「ほら、持ってきなさい。お腹空いてるでしょ」

 おにぎりと卵焼き、ウインナーのケチャップ炒めときゅうりの糠漬け、デザートにメロンがついたお弁当を持たせてくれた。

 警察署に着くと、先行していた桜木さんが待っていた。

 おばさんの弁当を、ロビーのソファーで広げて食べる。ピクニックみたいだね、と桜木さんが言った。

 おばさんの弁当で朝食をとって、比企の采配のもと、俺達は手分けして湾の両端の崖や港、海岸近くへ荷物の配達にかかった。昨日じいやさんとヴラディミルさんが届けてくれた、あの棍棒みたいな対戦車砲を、えっちらおっちらあちこちへばら撒いておくのだ。見張りのお巡りさんに引き渡して戻ると、集合場所の砂浜では、比企が岩場の辺り、陸側で波が来ない部分で何かしていた。

 パンツァーファウストだ。二発分ある。それを置いて、上から暗幕被せて、軽く砂をかけて隠している。最後に忠広とまさやんが来たところで、貴君らもこの場所を覚えておいてくれ、と顔を上げた。

「念には念を、だよ。諸君と私だけのみそかごとだ」

 あ。なーんか嫌な予感がする。すげえニタニタしていらっしゃりやがる。やだなあ、関わりたくないなあ。でもここまで来ちゃうともうズッブズブになっちゃってるしなあ、ってんで、引き攣った笑顔で了解、と答える俺。

 午後にはまた肉屋さんが来て、やっぱりまた麻袋に肉をパンパンにしてばら撒く作業がありました。昨日のあの袋は全部食われたって話で、ここのところ誰も海岸に近寄らないし、猫やうみねこじゃあ腹は膨れないだろうからね、相当腹を減らしてたみたいだな。

 撒き餌が終わると、あとは夜までやることはなく、俺達はコンビニへ買い出しに行った。やってるのか半分賭けで足を運んだコンビニは、営業はしていたものの、夕方には閉めるとレジのおばちゃんが言っていた。うん、その方がいいよ。ジュースとお菓子を買って引き揚げかけたところに、比企がひょっこり店に入ってきた。発注作業で棚の間に立っていたバイトのニイちゃんが、比企を凝視して立ち尽くす。

 何となく店の中で比企の買い物を待っていたが、奴はさっさと会計を済ませて、待たせたようで済まない、と合流。

「なに買ったの比企さん」

「夜までのお楽しみだ。きっと楽しいぞ」

「夜? 」

「ああ夜だ。本当なら頼めたことではないが、貴君らしか頼めるあてが思いつかなくてな」

 ちょっとでも嫌だと思ったら、遠慮はいらない、断ってくれ、と比企は言ったが、やるよとまさやんが即答したら、断るなんて選択肢は、もう俺達には存在しない。仲間がやるなら一蓮托生。まあ、比企のやることだ、一見危なさの極みに見えても、俺達を本当の危険に晒すような真似はしないことは、短い期間の付き合いではあるがよくわかっている。

 

「反対」

 桜木さんが憮然とした顔で言った。

「絶対に反対。彼らを危険に晒すことになる。友達になんてことを頼むんだい君は」

 比企が断固とした口調で反論する。

「じゃあ他に誰か、頼めるあてがあるとでもいうのか。代案は。反対するなら、せめてどちらかだけでも出してからにしてほしいな」

 漁り火に戻って、二階で夜まで一休みすることになったのだが、比企の立てた作戦を聞いて、桜木さんは断固として反対だと言い出した。

 比企と俺達とで、夜に浜で騒いで怪獣を誘き出そうというそれは、表面だけを聞けば、効果は高いだろうが、危険極まりないものだったからだ。無理もない。

「だからって、彼らは君とは違う、普通の高校生だ。なにも危ないとわかっていることをさせなくたって」

「危ないのは重々承知、だから私はそこを補う手も打っている。なにが不満だ」

「手立てって言ったって、あんな折り紙でなにができるのさ! 結界? そんなのどこまで通用するんだい」

「師父を馬鹿にするか貴様! 掌教五千年の歴史を舐めるな! よし表出ろ、道士相手に師を侮辱するとはいい度胸だ。今お前が侮った道術でもって全力で相手してやる」

 いきなり獰猛な笑みを満面に浮かべるので、俺達は全員で慌てて割って入って比企をとめた。

「喧嘩はやめて! ふたりをとめて! 」

「俺達のために争わないで! 」

「大丈夫比企ちん、お師さんすごいから! 知らんけど! 」

「桜木さんもとりあえず謝っといた方が平和に済むと思うっす! 」

「姫、じゃなかった御嬢様、殿中でござる! 殿中でござる! 」

 とりあえず比企を取り押さえ、桜木さんを引き離したところで、俺はまず落ち着こうぜと全員分の麦茶をコップに注いで配った。

「桜木さんはさ、俺達のことを心配して言ってくれてるわけでしょ」

「そりゃあそうさ、君達は普通の高校生だ。戦闘訓練なんて受けたことないし、こんな危ないことさせられないよ」

「でさ、比企さんは、他に付き合ってくれそうな人間のあてがないわけでしょ」

「そうだ」

 うなずく比企。そんで、と俺は続けた。

「まさやんはやるって言ってるし、そうなればまさやん一人に丸投げなんて、俺達全員できねえわけだ」

 揃ってうなずく結城と源、忠広にまさやん。俺もうなずいて返した。

「危険だろうと何だろうと、俺やりますよ。親戚が住んでる町なんだ。その気になれば協力できるのにやらない、なんて選択肢はあり得ねえっす」

「俺もやる。幼馴染だけに命かけさせるとか無理」

「俺も。剣道仲間だもんな」

 結城と源がまさやんに続く。俺も、と忠広と俺もきっぱり言った。

「俺ら木刀も持ってきてます」

「ダメって言っても行きますから」

 俺達全員、一歩も引かないのを悟って、桜木さんはああもう、とため息をついた。

「ほんと仲いいよね君達。──仕方ない」

 僕も行くよと桜木さんが肩をすくめた。

「指揮所で気を揉みながら君達を見てるよりは、一緒にいる方がまだいいよ」

 まったく、と桜木さんは肩を揉みながら、みんな本当に危なくなったら逃げるんだよ、と俺達に釘を刺した。

 

 夕方になるまで、部屋で雑魚寝して一休みしたあと、俺達は七人揃って警察署へ向かった。三階建てで飛び抜けて背が高い建物で、湾を一望できて状況を摑みやすいので、指揮所に定まったのだ。左右の崖の突端と港が攻撃ポイント、海岸沿いの車道の路肩では、猟友会の人や警察の人がずらりと並んで、暗幕をかぶって隠した猟銃やライアットガンが銃口を並べている。途中でコンビニの前を通ったら、昼に聞いたとおり臨時休業の張り紙がしてあった。

 屋上のテントの前には、刑事さん達がずらりと並んでいた。海に沈む夕日と茜色に燃える空を横に、署長さんが作戦開始の訓示を述べ、実際の段取りの説明を比企に頼む。

 比企は署長さんが差し出すメガホンを断り、肉声で話を始めた。

「皆さん、いよいよ実戦です。死者も負傷者も出さぬよう、共に心がけましょう」

 普通に話しているように聞こえるが、列の一番後ろにいる俺達にもしっかり聞こえるということは、結構な声量だ。

「まず、湾に左右から張り出した崖には、昨日搬入させたパンツァーファウストを二本ずつ配備。それと、猟友会の同志の皆さんにご協力いただいて、ハンターの方が三名ずつ配置についてくださっています。それから、海岸線には防犯課の皆さんと、猟友会のご協力で鹿砦バリカーダを築いています」

 更に、と比企は、会議室から運び出したホワイトボードを指した。絵がうまい事務のお姉さんに頼んで、略地図を描いてもらったものだ。さすがにカレンダーの裏にグリグリ描いたテキトー地図では締まらないと悟ったのだろうか。マグネットで配置図を作り、外海につながる辺りの海に赤い線を引いた。

「この海域には定置網をかけて標的を閉じ込めておりますが、先日町民の皆さんから分けていただいたボートは、繋いで網の内側に沿ってリモート操縦して係留させます。これらには、水圧反応式の係維機雷を一艘に一つずつ設置。標的が外界へ逃げようと網へ近づいても、機雷に阻まれ、戻って我々と対峙する他ないという寸法です」

 おお、とどよめく刑事さん達。

「作戦は大きく二段階に分かれます。まず戦友達に協力を願って、浜で騒ぎ標的をおびき出すフェイズ・ワン。標的が姿をあらわしたところで、一斉に攻撃をかけるフェイズ・ツー。皆さんには、ここでのご協力をお願い致します。注意事項は二つ。攻撃の際は、その瞬間での最大の火力でもって対応してください。最初に一番威力のあるもの、次は二番目、三番目、とお考えください。相手は人為的に造られた怪物。遠慮は無用です」

 そして、比企は崖の上で応戦するグループに、必ず横一列で並ぶよう、後ろには物を置かないようにとアドバイス。パンツァーファウストは後ろに噴射炎が出るのだとかで、砲撃を受け持つ刑事さんに、必ず体の横で構えて撃つよう助言した。

「第二次大戦当時のベルリンでは、一般市民に配備していたくらい、注意点を守っていれば簡単に扱えるものです。体の横に据えて構える、後ろに人や物を置かない。これに気をつけてくだされば大丈夫ですよ」

 ひと通り助言が済むと、では、と比企は仕切り直した。

「斉射のタイミングですが、私が撃て、と言ったら始めてください。それから、」

 しくじった際ですが、回収は戦友達と桜木警視を優先してください、と言って、比企はではよろしくお願い致しますと締めくくった。

 刑事さん達が各々持ち場へ散っていく。俺達も屋上から階下へ降りた。

「さて、それでは始めるか。怪獣退治とは締まらないが、それでも今私が持てる戦場はここだ、せいぜい気張るさ」

 武器庫と化した会議室に入り、比企はドラグノフとじいやさんが届けてきた銃、弾丸をキャンバス地の手提げ鞄に詰めて、昼にコンビニで買い物したレジ袋を一緒に持ってきた。桜木さんも、自分の銃の弾丸の箱を抱えて出てくる。

 

 茜色が徐々に薄れゆく浜辺。岩場の裏側、さっきパンツァーファウストを隠した辺りで、比企は砂の中にあの、お師さんが寄越した折り紙を埋めていく。東西南北に、きっちり四角形に。東に竜。南に鶴。西には虎で北に亀。ふっ、と軽く息を吹きかけてから埋めていく。それにどんな意味があるのかはさっぱりわからない。

 埋め終わると、その真ん中辺りで比企は、ちょっと待っててくれと言い置いて、一旦外して浜から出て行った。しばらく経ってから、バケツと板切れを持って戻ってきて、岩場の潮溜まりから水をバケツに汲んでくる。板切れを衝立のように砂に突き立てた。その陰に蝋燭を置いて、よし、とうなずく。

 日がすっかり落ちて、夕焼けの名残がかき消えようという頃、それでは始めよう諸君、と比企はニヤリ笑って、レジ袋から取り出したものは、花火のお徳用ファミリーパック。

 比企の作戦は吉と出るのか凶と出るのか。上手くハマればいうことはないが、大外しすれば、単に俺達が楽しい花火遊びをするだけで終わってしまう。

 これからどうなるんだってばよ。   

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