第60話 名前呼び
どれくらいの間、俺たちはこうして抱き合っていただろう。長いようにも一瞬のようにも感じられた。
名残惜しいがゆっくりと春野さんから体を離す。春野さんもほんの少し寂しそうな顔をして、でもすぐに満足げな表情になってくれた。
「春野さん……」
「美吹って呼んでほしいな。さっきそう呼んでもらったときすごく胸が高まったから」
「分かった……美吹」
「はいっ。颯汰くんっ」
「これからは名前で呼んでいこうか。人前だと恥ずかしいから、二人きりの時」
名前で呼んだり呼ばれたりすることにはまだ全然慣れないし恥ずかしさもある。でも、それでも目の前の女の子の名前を呼びたい。
「颯汰くん颯汰くん」
「どうしたの美吹」
「ううん。なんでもないの。ただ呼びたかっただけ」
嬉しそうに俺の名前を連呼する。俺も呼ばれるたびに胸が温かくなる。
「じゃあ次のコーナー行こうか」
そろそろ移動しないといけない。美吹も分かっているようでスッと俺の横に来ると指を絡ませてくる。三度目はさっきよりももっと普通に。これがいつも通りだよと言わんばかりのスムーズさだった。
それから、冷静になって少しぎこちなさもありながら、水族館を回って行った。大きい施設でそれなりに時間がかかるだろうと思っていたけれど、美吹と一緒のせいかそれはあっという間だった。
水族館を出るとまだ日は落ちておらず鋭い西日が俺たちを襲ってくる。
今の時間は5時前くらい。少し早い夕食にしても良い時間帯だ。
「美吹は何が食べたい?」
まだ少し照れてしまうけれど、かなり慣れてきた。美吹と呼べることに幸せを感じる。
「私、昨日ここの辺りのマップ見て近くのパスタ屋さん良さそうだなって思ったんだけどどうかな?」
美吹が教えてくれた場所を検索してみると、とてもお洒落な和真となら絶対いけないだろう場所が表示される。
いつもバイトしてる「米屋」がいかに俺向きな飲食店かよく分かる。
でも今日はデート。ちょっぴりの贅沢は許されると思う。それにこのクリームパスタめっちゃ美味しそうだし。
別にクリームパスタに惹かれたわけではない。絶対にだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます