第7話 急接近

「春野さん本当にここに住んでるの?」


「もっ、もちろんよ。何、悪いの? 私が住んでたらいけないの?」


「いけないことはないけど……」


 誰がどこに住んでいようが本人の自由だ。それは分かってはいる。


 俺が住んでいるアパートは築20年の結構年数の経ったところ。さらには五畳とかなり狭い。


 俺はこの大学に通う際に両親と決めたことがある。


 家賃と食費とかみたいな生活費は俺が自分で稼ぐ。


 俺は高い学費を出してもらってこの大学に通っているし、俺には妹がいる。これ以上の負担をかけないようにとそう言ったのだ。


 両親はそんなことをしなくても良いと言ってくれたけど、一度決めたことだから頑張ると言ったらしぶしぶながらに認めてくれた。


 テスト週間とかでシフトに入れない時は仕送りしてもらうということで。


 なのでこの家賃三万二千のアパートで一人暮らしを頑張っているわけなのだが、春野さんはどうだろう。


 こんな可愛い人がセキュリティの甘いくてこんなに狭い部屋に住んでいる。そんなこと信じれるか?


 家庭のことに口出しするのはダメって分かってるけど、春野さんの両親に言いたい。春野さんは女の子なんだ。もっとしっかりしたところの部屋を借りてあげてと。


「川上くん。折り入ってお願いがあるの」


 俺の思考を中断させたのは春野さんの声。さっきまでのちょっと圧のある雰囲気から一変。縋るような目をしていた。


「ここに私が住んでいることは誰にも言わないで欲しいの」


「もちろん言わないけどさ。どうしてここなの? もっと良いところなんてたくさんあるのに」


 よくよく考えるとここのアパートのことめっちゃディスってしまっていた。ごめん、大家さん。


「それは……川上くんには関係ないことでしょ。とにかくお願い。絶対に言わないで」


 そう言うとスタスタと部屋に戻ろうとする春野さん。ここでこのまま別れたら何かまずい感じがする。


 なぜ、どうしてとかは分からないけどそう思った俺は春野さんを引き止めてしまった。


「まだ何かあるの? 夜も遅いし疲れたからそろそろシャワー浴びたいんだけど」


「あっ……えっと……」


 ろくに考えてなかったせいで言葉が出ない。今までで一番頭を回転させたかもしれないレベルでどうにか話題なりなんなりを探す。


「そうだ! 今度からラストだったりシフトアウトが同じだったら一緒に帰らない?」


「え?」


「え?」


 俺は今なんと言った。めちゃめちゃ変なことを口走ったような気がするのだが。


 数秒前のことを思い出してみる。思い出して……顔が真っ赤になるほど熱くなったのを感じた。


「あのっ! その変な意味はなくて! やっぱりこんな夜遅くに女の子だけで帰るのは危ないと思うし。ここのアパート防犯セキュリティ低いから。ここの駐輪場までってことでさ」


 咄嗟に思いついたにしてはちゃんとしたことを言ったような気がする。そして春野さんの方を見る。


 その顔はこの夜の暗さのせいではっきりと細かい表情までは見ることが出来なかった。けれど、俺の耳はその声を聞き逃すことはなかった。


「うん……それならよろしく……」


「ありがとうっ! なら今後よろしく」


「先に言っておくけど、それ以外のところであんまり話かけないでよ。変な噂とかなったら嫌だから」


「それは約束する。無理な日とかは断ってくれて全然いいから。いい日だけ言って欲しい」


「分かった。じゃあねおやすみなさい」


 サッと身を翻して自分の部屋に戻ろうとする。


 春野さんが角を曲がって姿が見えなくなったところでもう我慢できなかった俺は、フラフラと近くの手すりへ。


 そしてバクバクする心臓を落ち着けようと深呼吸。今日は本当にすごかった。いろいろイベントがありすぎて頭での処理が追いつかない。


 でも、このたった数十分で俺は春野さんとの心の距離がかなり縮まったように感じた。

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