第69話、SFセミナーで角川春樹がSFの時代を告げタカノ綾が海外SFを語りセガの入交社長が副会長に棚上げされ3時間半の『EUREKA』が上映される

【平成12年(2000年)5月の巻】


 「ファービー」の人気を受けて、タカラが別の海外発のペットロボットを日本に持ってきました。その名も「ウブラブ」は何と卵を産むペットロボットで、毛むくじゃらのボディをいたわっていると、ぽこんと卵を生んで中から子供が出てくるのです。タカラトミーからは卵の殻を破って出てくるペットロボットも出ましたが、その源流とも言えそうな製品でした。売り出した時は品切になったのですが、その後の経過はウオッチしていなくてよく分かりません。栄枯盛衰。それが玩具の宿命ですから。


 この年も「SFセミナー」に行きました。あの角川春樹が登場しましたが、宗教めいた話へは向かわずSFの話に終始したようです。「サイバーパンクからSFはつまらなくなった」と言ったそうで、3時間目に登壇する予定だったサイバーパンクを押していた巽孝之が聞いていたかが気になりました。


 同じ様なことは、森青花、藤崎慎吾、三雲岳斗を迎えた新人SF作家のパネルで森青花から「『ニューロマンサー』が読めなくて」と言った話が出て、三雲岳斗も「ギブスンとかよく分からなかったけれど翻訳のせいもあって文章が格好良かった」も言ったりして、サイバーパンクはいろいろな意味で後進の作家たちに影響を与えていたようでした。


 角川春樹は「SFが来る」と予言して、次いで「ファンタジー」でそれから「ホラー」とこの30年間のエンターテインメントの潮流を読んで仕事をして来たそうです。「時代を見る目がある。興味を持ったことが物になる」。そんな自画自賛をしていました。小柳ゆきは1年前にデモを聞いて行くと思いました。この感覚です。これはいけるという第一直感(出ました)に従うのです」。デビュー作は話題になったなあ。その後は……と考えると少し迷います。


 福井晴敏が角川春樹事務所で手がけた「ターンエーガンダム」に関連して、富野由悠季監督が小松左京の作品をアニメ化する構想を公表して話題になりました。結局は実現しませんでしたが、ぶち上げて注目を集める手法はさすがカドカワです。「小松左京賞」の発表に絡んで日本人作家のSF作品をズラリ並べて刊行する話もしてくれました。高瀬彼方や小川一水、庄司卓、三雲岳斗あたりが並んでいたでしょうか。この頃から小川一水がぐいぐいと出てくるとは、当時予想できたでしょうか。ライトノベルから本格へとシフトさせた編集と版元の眼を讃えたくなります。


 SF論争を総括本『日本SF論争史』が出て編者の巽孝之にインタビューするコマもありました。「お前のSFの定義は」と聞き合い「答えが不真面目だ」となって抗争へと突入し、そこに現れた第3者が「その議論は不毛だ」と口を出しては人格攻撃感情論な泥沼へとハマっていく構図もあるといった話になるほどと思いました。ブレーンストーミングは否定してはいけないと言われることもよく分かります。


 今や世界で大活躍しているアーティストのタカノ綾が、表参道にあるギャラリー「Nadiff」で個展を開いていたので見に行きました。松井みどりとのギャラリートークもあって、職業柄なのか図像の構図とか色使いを分析的に言及する松井みどりに比べると、第一直観なアーティストらしくタカノ綾の答えは「へー」「そうですね」といった簡潔なもの。ロジックのジャーナリストとパッションのアーティストの違いを見た思いでした。


 澁澤龍彦の『高岳親王航海記』をモチーフにした絵で、娼婦の少女のバックに見えた樹木のようなものを「バックにある」と松井みどりが指摘して、「あれは帯の柄で椅子にかけてあるんです」とタカノ綾が応え、即座に松井みどりがフォローに回って「平面を重ね合わせているようで背景なのか何なのか分からなくなっているのが面白い」と被せていったあたりでも、アーティストの直感を言葉で表す難しさを感じました。


 後に「SFマガジン」で連載もするだけあって、SFが大好きなタカノ綾からは、ウィリアム・ギブスンやジェイムズ・ティプトリー.Jrやイアン・ワトソンやアーサー・C・クラークやブライアン・オールディスやコードウェイナー・スミスといった名前が飛び出しました。とはいえ、集まっているのはアートファンで、会場ではあまり分かる人がいなかったみたいです。


 そこに展示してあった作品には、SFをモチーフにしたものもあって、欲しくなりましたが買わずにスルー。後にとてつもなく値段が上がったのは師匠の村上隆と同様で、どうしてあの時買い占めておかなかったのかと悔やむことしきりです。機を見るに鈍過ぎる自分。だから今、こんな状況なのでしょう。


 「社員は悪くない」といって涙を流した山一証券の元社長が、会長を務めるシリコンコンテンツという会社がサンリオピューロランドで発表会を行ったので見に行きました。コンテンツ配信システムを提供する会社だったようで、サンリオが名乗りを上げたことからピューロランドでの開催となりました。


 何でも電車で見かけたキャラクターに「これだ!」と思った元社長が、「あれいいね」と言ったら「あれはキティという有名なキャラクターですっ」と社員に呆れられたとか。山一での仕事一筋だったのでしょう。新しい会社がそのどうなったかは追いかけていませんが、2度目の「社員は悪くありません」があったかどうかだけは気になります。


 「平成」と言えば真っ先に浮かぶ小渕恵三総理が亡くなったようで、後継をめぐって果たして言葉があったのかなかったのかが、やはり話題になりました。その真偽は確かめようがありませんが、「問題はそういった言葉のやりとりだけで臨時代行が決まり次の首相が決まって行く構造自体が、果たして適切かどうかということであって、なるほど手続き的には問題はないんだろうけれど、新聞の中にはカッコ付きで『正統性』とやるくらいに、妥当性はあるんだけれど、やっぱりどこかに釈然としない違和感がある」とウエブ日記に書いています。


 「政権委譲のプロセスに、どうして正面から切り込もうとしないのかが分からない。長い文を言えた言わないなんて入り口部分でガシャガシャと争って、それをあたかも天下国家を左右する大事のごとく1面トップで掲げている姿は、愚劣というよりは滑稽で笑いさえ引き起こす」とも。そうした矮小化のスタンスが、政治も外交も欲しいままにする総理大臣の登場を許して、いくら責めても退かず流して倒れない状況を次第に作り上げていったのでしょう。日本は20年で大変な国になりました。これから20年後があるのかどうか。そこも不安です。自分がその時に何をしているかも含めて。


 三顧の礼でセガに迎え入れたはずの入交昭一郎社長が、副会長へと棚上げされる人事が行われたようです。CSKを率いる大川功がセガの会長と社長を兼務しました。過去にも中山隼夫社長が同じように副会長に棚上げされた挙げ句、辞めて今はパソナにいたりする経緯を踏まえると、入交社長もこれで済むとは思えませんでしたし、実際に去っていきました。


 「シェンムー」に70億円を注ぎ込んだ責任も、「ドリームキャスト」がチップの不具合で国内での立ち上がり時に決定的な売り損じが生じた責任も、派手な宣伝をした割にはその効果が上がらなかった責任も、それぞれに責任者がいたはずですが、社長が責任をとらされた形。それが社長の責任だと言われればまさしくそうですが、今は残って立て直しを図るのが社長の責任と嘯くトップが普通ですから、当時はまだ社会的にガバナンスが働いていたのでしょう。今は……言うと唇が寒くなるので言いません。


 大川功会長と言えば、近しい関係にあった秋元康がのインターネットスクールの「ドラゴンゲート」を開講するという発表が行われたようです。家に居ながらにして有名人講師のアドバイスが受けられて、優秀なクリエーターにはデビューできるかもしれない可能性が与えられて期間は3カ月と短く、値段も3万円と中身さえ問わなければリーズナブル。結構な人数を集めるのではと予想しました。


 作詞家コースには湯川れい子、売野雅男、康珍化、森浩美に我らが秋元康の5人が名を連ね、脚本家コースには鎌田敏夫や北川江吏子がいて、小説家コースには伊集院静に鈴木光司に林真理子と豪華すぎるメンバー。ネットの学校として後に登場した角川ドワンゴ学園のN高等学校が、課外授業で集めたライトノベル作家やマンガ家たちとはちょっと雰囲気が違います。


 もっとも、インターネットに親和性を持った人たちが望む人選だったのかはなかなかに微妙。マンガ家では弘兼憲史に柴門ふみに大和和紀、水島新司、里中満智子と重鎮過ぎて、江川達也やしりあがり寿が入っても何か役立つメソッドが得られてかは謎でした。結果はどうだったかは、やはり調べていませんが今は講師などいなくても読者が判定して人気作を決める時代。同じメンバーでスクールを開講してもきっと話題にもならないような気がします。


 青山真治監督の『EUREKA』を試写で観ました。SFセミナーの会期中に発生したバスジャック事件への注目があり、国内映画では無茶無謀としか言いようのない3時間37分という上映時間もあって、世間の注目を集めまくっていた作品でしたから、試写会にも結構な人間が早くから並んでいました。自分はまだ30代でしたが、3時間半はやはり立ち見にはつらい時間。座って見られたようで助かりました。


 生き残った兄妹の妹の方を演じていたのは宮崎あおいですが、当時はほとんど無名で、大林宣彦監督の『あの夏の日 とんでろじいちゃん』でじいちゃんが昔恋いこがれていた結核で寝込んでいた美少女を演じていたくらいでしたか。PTSDなり刻まれたトラウマなりが現実に存在していることとも重なる、人間の心に刻まれた傷の深さが明示されてなかなかに考えさせられる展開の映画でした。青山監督はこの作品でカンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞とエキュメニック賞を受賞。世界へと出て行くのです。


平成12年(2000年)5月のダイジェストでした。

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