第40話、『バイオ』発表会で佐村河内守の声に聞き惚れ『サウザンドアームズ』発表会で幡池裕行に見え『プリズムコート』を遊びYMOのCD-ROMに感心する

【平成10年(1998年)6月の巻・下】


 てっきり『鬼武者』か何かの発表会で見かけていたのかと思いました。誰って佐村河内守のことです。作曲家の。そしていろいろあって今は一線から身を引いているその人を、カプコンの「バイオハザード戦略説明会」という場で実は見かけていたのです。


 平成10年(1998年)6月は、いろいろなゲームの発表があったり、ゲームを買って遊んでいたりしたようでした。「バイオハザード戦略説明会」は6月8日の午後6時から、新宿住友ビルの地下1階にあるホールで開かれました。まずはプレイステーションのデュアルショックに対応した『バイオハザード』のディレクターズカット版と、そして『バイオハザード2』がリリースされるといった内容でした。


 デュアルショックにはただ対応させるのではなく、「徹底対応」と謳っていたようで、「鉄砲を打てば震えるし、ゾンビに足を捕まれたり噛まれたりすれば震えるし、ゾンビが窓を蹴破って侵入してくれれば、もちろんぶるるっと震える」「1ではだいたい60カ所、2では実に140カ所ものの『ぶるぶる』場面」があると発表されました。これがどれだけ重要なもだったのか、振動しないコントローラを知らない世代には分からないかもしれません。というか今もコントローラは振るえるのでしょうか。そこが気になりました。


 問題は、そうした進度の回数を記した後のウエブ日記の記述です。「実際『1』には裏技や隠し技を満載したコンプリート・ディスクをオマケに付けて、さらに音楽は新鋭・佐村河内守さん(これがすっげー良い男。声が子安武人ならまんま生徒会長が出来ちゃう)が70人もの大編成を駆使して録音したオーケストラサウンドを始めとして一新したのが入って」いるとのこと。ここでは、耳が不自由といったことへの言及がなく、まだプロフィルとして前面に打ち出していなかったのかもしれません。声の良さについてはべた褒めです。相当に良い声だったのでしょう。


 そんな会見の最後を締めたのは、当時はまだカプコンの人間だった岡本吉起でした。「流石にカプコンの顔役だけあり、またYOSHIKIとゆー名前がそーさせるのか自らを”ビジュアル系”と称して壇上に上がるや否や明かりを点けさせて自分の姿を満天下にしろしめしす」なんてことをやったようです。らしいといえばらしい話です。


 カプコンには他にも三上真司、稲船敬二、神谷英樹といった名前の立ったクリエイターがいましたが、今誰が残っているでしょう。それでいて『バイオハザード』はしっかり出続けて売れ続けています。IPとして確立したタイトルにはもはや、クリエイターの個性など出る幕はないのかもしれません。


 だからといって、0から1を作るクリエイターが不要という訳ではありません。どこまで頼りあとは手放してもらうのか。その段取りが前向きに働けば盛り上がり、後ろ向きに動けばIPそのものが消し飛ぶ可能性。いろいろと考えさせられます。某アニメの続編がいろいろあっただけに。


 こちらは新作ゲームソフトの発表会でした。会場は今はなき六本木のヴェルファーレ。ディスコやクラブとしてど派手なイベントが毎夜のように繰り広げられた、バブル華やかかりし頃の遺産と思われがちですが、オープンしたのは平成6年(1994年)とバブル崩壊のまっただ中。それで20年以上も保ったのは、音楽業界でここから一気に成長していくエイベックスが運営に携わっていたからでしょう。


 そんなヴェルファーレで行われたのが、アトラスによる『サウザンドアームズ』というゲームソフトの発表会です。原案と企画は『星方武任侠アウトロースター』で人気急上昇中だった漫画家の伊東岳彦、またの名を幡池裕行が担当していて、これを広井王子率いるレッドカンパニーがゲームに仕立て上げたものだったようです。


 とてつもなく強力なタッグと当時の両者の勢いから感じました。同じくヴェルファーレで発表会を開き、そして発売された『VIRUS』の二の舞はこれでない、なんてことを当時のウエブ日記には書いています。つまり『VIRUS』は……。聞かぬが吉です。


 イベントには登場キャラクターを演じた声優の山口勝平と川上とも子が来ていたようです。『少女革命ウテナ』で天上ウテナを演じて、そして平成23年(2011年)に亡くなられた川上とも子を見たのはこれが最初で最後だったのでしょうか。そしてもちろん伊東岳彦本人も登場。「本当にこの企画がやりたかったらしく、3年ほど前にレッドカンパニーに企画を持ち込んで以降、毎月2回は打ち合わせを行って世界観を煮詰め、その間一度もマンガの原稿を落としていないとゆー離れ業を演じてレッドの人達に本気である所を見せた」ことを明かしたと、ウエブ日記に書いてあります。


 剣を打って強くなることが必要なゲームですが、そのためには女性との相性が必要で、恋愛シミュレーション的な要素も保ったRPGだったようです。そのあたりを「広井的」ととらえているのは『聖少女艦隊バージンフリート』の影響からでしょうか。バージンエネルギー。今なら大炎上しそうですね。「「システムを構築するのがRPGは大変だけど、この『サウザンドアームズ』は良く出来た。奇跡だね」と広井王子。ミリオンを狙っていたようですがその結果は……。これも言わぬが花かもしれません。


 個人では、シュガーアンドロケッツが開発した、ストーリーがアニメーションで進んでいく“やるドラ”こと『ダブルキャスト』を遊ぶためにプレイステーションを買おうと思っていながら、気移りしたのか、富士通パソコンシステムが開発した『プリズムコート』をまず遊ぼうとして、プレイステーションを買ったようです。「ごめんよ山元さん」と謝っている相手は、“やるドラ”を手がけた山元哲治さんです。当時何度か取材していたようです。今も『ポポロクロイス物語』を続けている方ですね。


 “やるドラ”はプロダクションI.G.がアニメーション部分を手がけていて、見るアニメとして楽しめそうだと分かっていましたが、それでどうして『プリズムコート』に気移りしたかというと。中島敦子が絵を描き、声が長沢美樹、冬馬由美、丹下桜、久川綾と豪華だったからだったようです。では肝心のゲームはどうだったかというと、実はあまり覚えていません。クリアしたかも含めて。


 「ファーストインプレッションから申し述べれば『何だこの絵は?』ってのが正直な感想。どこが中島敦子やねん、とジャケットと見比べてその違いにヘナヘナになった人も多いかも知れない」。「監督の部屋に下がったバレーボールが球じゃなく円にしか見えない」「頻繁に登場する(思わせぶりなセリフのあとでいきなり出てきたりする)ロード画面には、薄いゲーマーながらちょっと辟易させられます」。なかなか手厳しいです。


 ただ、「ファミ通」水玉螢之丞が大々的にフィーチャーしていて、ネットでも『ときめきメモリアル』あたりと比べ評価されていたおうで、「最初の練習試合で、励まし叱咤して相手の沼里女子に勝利したその瞬間、涙が川とあふれ出てきた」らしいですから、感情をのめり込ませる内容にはなっていたようです。とはいえ、やはりプレイをし終えた記憶がないのは、途中で何かにぶつかったからでしょうか。


 そういえば後に、『高円寺女子サッカー』というゲームも買いましたが、こちらはプレイすら始めないで閉まったままになっています。たっぷりと出来た時間、両ゲームを遊び倒してみたいところですが、ソフトを掘るのに苦労しそうで断念しています。まずはお片付けから。そうすると他にも山とある積みゲーに目移りしそうですが。『少女革命ウテナ いつか革命される物語』とか。


 これはゲームではありませんが、YMOのCD-ROM『セルフサービス』というものの発表会があったようです。当時、全部で12枚出たYMOのアルバムに入ってた114曲を、すべて1枚のCD-ROMに、それもフルコーラスで収録したものだそうで、オラシオンが出していた中島みゆきのデータベース『なみろむ』が、曲数は倍でも1コーラスだけだったこともあり、大盤振る舞い感を覚えました。


 直感的に解るメニュー画面のインターフェースは使い勝手が良さそうで、メニューを動かしたが最初、デスラーな声で伊武雅刀が「みなさんこんばんわ、ももないです」とやってくれる画面に行き着いた、と書いてありますからファン的にも嬉しいものだったようです。本当かな、当時のウエブ日記は割と妄想に滑ってましたから、嘘かもしれないです。他に、音源をいじくって自分だけのYMOサウンドが作れる「楽曲リミックス機能」とか、ライブステージを3次元で再現したコーナーとかが入っていたとのこと。ファン垂涎です。


 そして、これは凄いと驚いたのが、「メンバーこだわりのフォトギャラリー」というコーナー。ただのデジタル写真集という勿れ。「実はこのコーナーに使われた写真は、80年代初頭のYMOが大全盛だった時代に発売された『OMIYAGE』ってフォトアルバムからとられていて、そのために制作会社の担当者は、自分が大事に持っていた今は1万円とかのプレミアムがついているこの『OMIYAGE』を、ばらし切り刻まざるを得なかったとか」。凄いでしょ?


 編集者に当たったところ、3冊も持っていたのに出してくれなかったそうです。値上がりを待っていたのか切り刻むことを嫌がったのか。真相は不明ですが今ならどうでもスキャンして、クリンナップ出来そうですからやはり時代の限界の産物だったのでしょう。


 このCD-ROMのサンプルをもらったようですが、パワーPCという家のマッキントッシュには積んでなかったCPUでしか見られない仕様で、中身は確認しないまま、これも埋もれてしまったようです。今、出て来ても果たして見られるのか。だったら作り直して欲しいところですが、存在すら記憶から飛んでいましたから難しいでしょう。これで気づいた方がいれば是非。もう写真集は刻まなくて良いはずですから。


平成10年(1998年)6月のダイジェスト・下編でした。

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