第41話、『serial experiments lain』の放送が始まりカバーガールが固定化され『スーパードール リカちゃん』の企画が浮上しLDサイズの『オネアミス』のDVDが出る

【平成10年(1998年)7月の巻・上】


 「これはもしかしたらとんでもない出来事に立ち会っているのかもしれないと、朝起きて録画しておいた『lain』をビデオで見ながら、そう思って忙しい時間にも関わらず支度中の手が止まる」


 平成10年(1998年)7月7日のウエブ日記のこの書き出しから、わたしのアニメーションに対する意識に、ひとつの時代が刻まれたと言えるでそう。すなわち『serial experiment lain』以前と『serial experiment lain』以後。何がそれほどまでに衝撃的だったかは、それまで毎月のように変えてきたウエブ日記のカバーガールを、ここから20余年、岩倉玲音のまま変えずに来ていることでも分かるでしょう。


 「キレてトんでいるアニメーション。オープニングのシャーディにも似た女性ボーカルの歌声と、主人公の顔とくまちゃんの縫いぐるみに惹きつけられた瞬間から、一瞬たりとも目が離せず耳も休めることのできない、濃密にして緊張感に満ちた時間が始まった」


 そんな感想が続く『lain』のウオッチは、ウエブ日記の中に「『1998-1999年lain日記」』抜粋)」(http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/nikkolain.html)としてまとめてありますから、そちらを読んで頂くか、青土社から2010年10月に刊行された「特集・安倍吉俊」に寄せた論考「『lain』 と一九九八年のアニメ、ネット/タニグチリウイチ」を、note(https://note.mu/uranichi/n/nea2ea7e7a249)の方にアップしてあるのでお読み頂ければ幸いです。

 

 『lain』の何がこれほどまでのわたしを引きつけたのかを少しだけ語るなら、「押し殺したような展開、思わせぶりなセリフや文字が時に説明不足との不満を招くかもしれないが、むしろ説明がなされていない故に、次にいったい何が起こるのか、どこへと進んでいくのかを、抑制された描写から推理しつつ裏切られるのを期待しつつ、爆発しそうな心を抱えて楽しみながめていくことが出来そうだ」といった感想からも伺える、想像力や考察力を喚起させる展開にあったと言えます。


 漫然と眺めているだけでは、何が起こっているのか分からないまま過ぎていく。目に見えるもの、音に聞こえるものや逆に音として聞こえてこない何かを感じ取って、そこにどんな意図が込められているのかを想像して、考えて補って推察していく必要がありました。与えられた情報をただ味わって、さあ次とはならない吸引力が『lain』にはあったのです。


 そう聞くと、思い出すアニメーションがあります。たつき監督が平成29年(2017年)に送り出した『けものフレンズ』や平成31年(2019年)『ケムリクサ』です。ストーリーは仲間で連れ立って冒険していくロードムービー的なものですが、状況設定やキャラクターの成り立ち、説明されないまま映し出されている背景などから世界を想像し、状況を推理して何が起こるのかを考える必要がありました。どちらも“考察班”といったものができて、放送されている途中からあれは何だ、どんな意味があるのかといった推察が行われ、見ている人たちを導きました。


 もしもこの頃にTwitterやSNSがあったら、『lain』に対してどういった考察が行われたでしょう。もっとも、ストレートに冒険が進んでいく『けものフレンズ』や『ケムリクサ』とは違って、『lain』の場合は少女の日常がまっすぐ進んでいく訳ではありません。


 「待ち遠しかったこの1週間を超えてようやく放映された第2話は、主人公の玲音がこれで結構友だち付き合いが良くって同級生たちとクラブ『サイベリア』に行ってあれこれって展開。前の夜になぜか玲音と良く似た少女が、そのクラブでド派手な立ち回りを演じていたってことだけど、もちろん玲音にはまったくの覚えがないこと」だったとか。不穏な空気が漂う中、「迎えたエンディングにはただ衝撃の一言。うーんこれが果たしてリアルワールドでの出来事なのかワイアードでの出来事なのか、はっきりとメリハリな描写がないだけにイマイチちょっと解らない」


 十分な引きで次への興味を誘い、「物語は何やら不穏な空気の中でいよいよ玲音がワイアードに関わり始めることになるって見通し。一瞬たりとも目を離せないテンションの高さと、淡々と流れているようで実は非常に濃密な情報の詰め込まれた展開に、これは次週への期待も高まりっ放しってもんだ」と思わせるところも、『けものフレンズ』『ケムリクサ』の騒動を感じさせます。


 今、改めて毎週『serial experiment lain』をテレビ放送して、リアルタイムでの反応を見てみたい気がします。もしかしたらネットに20余年を経て、レインが降臨してくれるかもしれません。


 そうそう、この頃はブランケット判の新聞の1ページに及ぶコンテンツ面を、たった1人ですべて埋めていたので何を書いても載る状態でした。『lain』が流行っているならとパイオニアLDCにも行って、その年の4月から発足していたA&G事業部の人にアニメやゲームの状況について聞いていたようです。『天地無用!』や『神秘の世界エルハザード』『バトルアスリーテス大運動会』といったAICテイストのお話とは違ったジャンルを育てて新しいファンを獲得する、その先兵としての役割を『lain』には担わせているといった話が出たようです。『時空転抄ナスカ』とともに。


 子安武人をはじめ人気男性声優が大勢出ている『ナスカ』は、今まさに隆盛の女性による男性声優人気を獲得する尖兵だったとようで、相当な期待もあったようです。一方で『lain』に関して、まだ自信を持っていなさそうだったので、きっと大丈夫だと推した記憶がありますが、結果はしばらくはカルト的な人気に止まりました。それでもこうして20余年が経ってなお、気にされ続けるアニメにはなっています。『ナスカ』は……。何が当たるか分からないのがエンターテインメントの常。その機微を、こうして歴史を掘り起こすことで感じてみたいと思います。


 内容として衝撃的だった『lain』とは反対に、状況として意外さを覚えたアニメーションが『スーパードール リカちゃん』でした。この年の10月から始まるテレビ放送を前に、トミーと合併する前のタカラからいろいろと商品が出て設定も公表され、可愛い着せ替え人形がいったいどうなってしまうのかと、想像をかき立てました。


 タイトルから浮かぶとしたら、リカちゃん一家が「リカちゃんハウス」でほのぼのホームドラマを繰り広げているものでしょう。ところがこのアニメは、主人公が「香山リカ」という女の子で、そのリカが持っている人形も「リカちゃん」といって、普段は人形をやっていますが、香山リカがひとたび危機に巻き込まれると、変身してスーパードールとなって少女を守って戦います。


 ドールナイツと呼ばれる仲間には、女の子の人形とか男の子の人形とかもあって、共に戦う様はさながら美少女変身ヒーロー物といったところです。これを果たして「リカちゃん」と呼んで良いのか、タカラも最初は迷ったらしいとウエブ日記には書かれています。それを先代の社長で「リカちゃん」生みの親でもある佐藤安太が認めてプロジェクトが進み、着せ替え人形の「リカちゃん」とは違った全長20センチのアクションフィギュア「リカちゃん」が、アニメ放映とほぼ同時期に発売されることになりました。


 手足の関節が曲がり、手の平には磁石がついていて、あちこちにぶら下げられたような記憶があります。当時、『美少女戦士セーラームーン』以降の女児玩具のヒットが見られず、各社ともいろいろと探っていました。そこに、「リカちゃん」という強力なIPをぶつけようとした企画は、『ウルトラマン』がキッズになり、『機動戦士ガンダム』がSDになったような展開を考えるなら、間違っていなかったかもしれません。


 杉井ギサブロー監督によるアニメも1年放送され、それなりに印象は残したはずですが、タカラ自体がその後の経営不振を経てトミーと合併する中で、IPはより強い支持がある方向へと強化され、その中でのアレンジに止まっている感じがあります。おっと、『Kawaii! JeNny』のことは聞かないで。


 タカラトミーの女児玩具は、グループのタカラトミーアーツから「プリティーシリーズ」が出てくるまでメディアミックス的な展開はあまりありませんでした。もし今、リカちゃんがアレンジされて展開されるとしたらどうなるのでしょう。3DCGでしょうか。着ぐるみによる戦隊化でしょうか。企画してみたくなりました。


 アニメーションといえば、どこかのメディアで『ムーラン』と『アナスタシア』が取りあげられて、「アニメ戦争勃発」といった紹介をされていたことに奇妙な印象を覚えています。かたやディズニー、こなた20世紀フォックスのアニメーション映画ですが、『ヘラクレス』や『ポカホンタス』といった神話や伝承、歴史をテーマにしたこの頃のハリウッドによる長編アニメーション映画が、どうしたら日本で流行るのかといったことに懐疑的だったからかもしれません。


 『ムーラン』自体はとても面白い作品でした。東洋風なデフォルメのキツさも覚えたヒロインも、見ているとどんどん可愛く思えてきます。それでも、より日本人の感性に近いヒロインたちが活躍する日本のアニメーションを差し置いて、ハリウッドをありがたがる心理を揶揄したかっただけなのかもしれません。


 ディズニーとは違ったラインの作品を3DCGで作って大ヒットをトバしていたピクサーのことも、念頭にあったからかもしれません。このあたりから続く長い苦境をディズニーは、ピクサーを取り入れ作品を3DCG化することで乗り切り、『アナと雪の女王』の大爆発へと至ります。どうあっても立て直してくるディズニーの底力を感じないではいられません。


 秋葉原で『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のボックスを見かけたようです。大きさはLDサイズで絵柄も直近に発売されたメモリアルボックスと同じ。ただし薄くて軽い箱の中には、何とDVDが入っていました。ジャケットのイラストも、ブックレットもそのまま楽しめ再生はCDサイズのDVDをセットするだけ。いや、部屋においたらかさばるだろうという意識は、アニメーションのパッケージがある意味でグッズになっていた意識の前には関係なかったのかもしれません。


 今ならネットで配信を見て、解説もウエブで読めば良いと思われるでしょう。限定版ビジネスもいつまで続くか。過去を振り返るとやはり気になって来ます。


 やはり長くなりましたのでこの月も上下に分割します。


平成10年(1998年)7月のダイジェスト・上編でした。

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