第42話、高畑勲監督の『ホーホケキョ となりの山田くん』製作が発表されアルフレックスの座頭市人形が世に問われ村上隆が「マイロンサムカウボーイ」を世に問う」

【平成10年(1998年)7月の巻・下】


 ウォルト・ディズニーとの提携によって、全米で公開されることが決まっていた宮崎駿監督の長編アニメーション映画『もののけ姫』ですが、平成10年(1998年)7月16日に赤坂プリンスホテルで世界戦略を発表する会見が開かれました。公開館数は100都市1000館で、規模からすれば決して大きくはありませんが、『Shall we ダンス?』が最初5館でスターとして、ピーク時でも150館程度だったことを考えると、やはり相当に張り切ったといった印象を受けました。


 英語版のキャストも発表になって、レオナルド・ディカプリオは当然ながらアシタカ役には起用されず、『世界中がアイ・ラブ・ユー』に出ていたビリー・クラダップが充てられ、エボシ御前には『グッド・ウィル・ハンティング』に出ていたミニー・ドライバーがキャスティグされました。誰なんだ? 当時もそう思いましたが、英語版が結構な規模で公開され、宮崎駿監督の名を全米に広めたことには、続く『千と千尋の神隠し』のアカデミー賞受賞へと繋げた意味があったかもしれません。


 発表会では、スタジオジブリの次回作も発表されました。といっても、見学会が行われたスタジオジブリの中にキャラシートが張り出されていたから、周知の時日ではあったのですが、この会見で『ホーホケキョ となりの山田くん』であることが明らかにされました。監督は『平成狸合戦ぽんぽこ』の高畑勲。発表会では、どうしていしいひさいちなのかいったと質問が出ましたが、徳間康快社長によれば今は「家族」が見直されることになる時代で、「山田くん」にはほのぼのとのした中に家族の触れあい、暖かさが感じられて、今まさに送り出すべき時期に来ていたとのことでした。


 何より鈴木敏夫プロデューサーがご執心だったようで、「最初はやりたく無かった高畑監督も、説得され感じるところがあった上に、『もののけ姫』の脅威的驚嘆的な大ヒットで比較的余裕もあったことが幸いして、この異例かつ冒険的かつちょっと無謀な企画が動き出すことになってしまった」とウェブ日記には書かれています。最低でも16億円をかけるそうで、あの4コママンガを動かすのにそうしてそんなにかかるのか、当時は思いましたが今となっては理由は分かります。動き過ぎてましたから。


 「発表会で見せられた3分ほどのパイロットフィルムに、手法としての新しさというか凄みは見てとれたらしいけど、いしいマンガに特徴的なあのテンポあの毒がどこかスポイルされているような気がして仕方がなかった」。そんな感想が書いてあります。ただ、宮崎駿監督は「今の俳優であれだけのしぐさを表現できる人はいない」と本気でべた褒めしてました。手法としての新しさや表現の確かさは、プロ中のプロが見てもやはり惹かれるものがあったのでしょう。


 当たるかどうかについては、「『もののけ姫』を30億がやっとと見誤った目なんであんまり信頼は出来ない」と言って明言を避けていましたが、やはり斬新過ぎたのか興行収入は20億円に届かず惨敗。ここから高畑勲監督は、『かぐや姫の物語』まで長いブランクに入ります。宮崎駿監督はアカデミー賞を獲得。盟友の道に商業的には明暗がつくことになった分岐点として、この発表会も歴史のどこかに刻まれるべきなのかもしれません。


 今でこそガレージキットとフィギュアの祭典は「ワンダーフェスティバル」ですが、この頃は「JAF-CON」(ジャパン・ファンタスティック・コンベンション)というイベントも定期的に開かれていて、「ワンフェス」には出てこない『機動戦士ガンダム』関連のフィギュアが並んでファンを集めていました。この系譜は「JAF-CON」を統合した「C3AFA」に引き継がれていますが、その「JAF-CON」で幾つか気になるものを見ていたようです。


 ひとつは等身大フィギュア。今はもう珍しいものではありませんが、20余年前はやはりインパクトがあって、作る側のフィギュアを人間大にしてやったという気合いと、買う側のそれを買って何をするかは言わせないぜといった思惑が重なり合って、不思議な雰囲気が界隈には漂っていたと感じていました。その等身大フィギュアを、当時ほとんど唯一の会社だったペーパームーンが、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ、『サクラ対戦』の真宮寺さくらと続けたシリーズの最新モデルとして、『カードキャプターさくら』の木之本桜を出してきたのです。


 新作として『エヴァ』の惣流・アスカラングレーも並べていたようですが、これも含めた3キャラクターとはやはり違ったニュアンスを持つ木之本桜。買ってどうする? なんて関心をものともせずにお迎えした方はおられたのでしょうか。値段は制服を着た固定タイプのもので30万円、バトルコスチュームを着た可動タイプは50万円。今の凝った等身大フィギュアが100万円くらいするのと比べると安価な来もしますが、それでも高額なフィギュアはどれくらい買われ、今どうしているのかが気になります。


 そんな「JAF-CON」では、アクションフィギュアの分野に時代劇物といういひとつのカテゴリーを生み出したアルフレックス社が、最初の製品となる『座頭市 勝新太郎』を出していて、見て一目惚れして高田馬場にあった会社に取材に行ってしまいました。


 聞けば普段はセールスプロモーションの企画をやっている会社で、フィギュア関係はこれまで一切手がけたことがなかったとの事。だからフィギュアの専門家もいなかったけれど、写真のひとりが映画ファンとしてフィギュアを作りたいと表明し、請負仕事が中心だった事業に自らのブランドを関した商品を送り出すことで厚みを加えたいと思っていた他の人たちの賛同を得て、手探りの中を一気に走り出すことになったそうです。


 素体まで自分たちで作ってしまったから素晴らしい。外国人のボディでは短足で太鼓腹な日本人には見えません。だから、正座も出来れば両腕を抱え込むように胸にくっつけられるくらいの関節の自由度を持った素体を作り、ガニ又で仕込み杖ひらめかせる座頭市のポーズを自由に再現できるようにしたそうです。顔の表情は嫁の中村玉緒も息子の雁龍太郎も納得の逸品、金型は精密機械屋のものを使い衣装は洋裁主婦の手縫いと大盤振舞をしながら、値段はたったの1万5000円とあっては買うしかない逸品でした。


 アルフレックスはその後も、三船敏郎や『七人の侍』のセット、藤田まことが演じている必殺仕事人の中村主水、若山富三郎が演じた方の子連れ狼など、時代劇ファンの心をくすぐるアクションフィギュアを多く出しましたが、やはりインディペンデントでは広がりも出なかったのか、知らず市場から消えていきました。


 時折オークションに出てくる座頭市などのフィギュアには結構な値段がつきます。丁寧な仕事が今も評価されているのでしょう。わたしの家にはその勝新太郎も中村主水もうっかり八兵衛も新撰組の近藤勇に土方歳三に沖田総司もあったりします。売れば無職の家計も助かるかも……とは思いますが、貴重な品だけに、今しばらく自宅に積んでおこうと思います。


 これも等身大フィギュアと言えるのでしょうか。青山のスパイラルガーデンで都内の有力ギャラリーが集まって開いた展覧会「G9ニューダイレクション」で、現代アーティストの村上隆さんが、メイド姿の「KO2」に続いて「マイ・ロンサム・カーボーイ」という、こちらは男子の等身大のフィギュアを世に問いました。


 素っ裸の男の子が股間のアレを片手でしごき、真一文字に屹立させてそこから白濁した液状のものを発射している場面をモティーフに作った等身大フィギュア。発射された白濁の液体が頭上で円状になっている様が、どこかカウボーイの投げ縄を伺わせるところから、こんな題名が付いたのでしょう。「KO2」の前に作った、こちらは乳頭から出た液体がつながって縄跳びのようになっている等身大フィギュアの「HIROPON」と対を成している作品と言えそうです。


 「ワンダーフェスティバル」でも展示はされていましたが、衆人が集まる場だけあって、屹立に紙が貼ってありましたから、全貌はここでお披露目されました。「HIROPON」と一緒に見たかった、と言う思いは後に東京都現代美術館で開かれた個展でかないます。20余年経ったいまも、きっとどこかで屹立させているのでしょう。


 場内では前村上隆謹製の時計「インディペンデンス」が展示即売されていたので購入しました。「DOB」をデザインした赤を基調にどっかウルトラマンっぽいデザインになったこの時計、限定999個しか作られていないそうで、「村上さんが本当に21世紀のピカソかラウシェンバーグかなんてもてはされるようになったら、相当なプレミアムが付くんじゃないかと睨んでる」と日記に書いています。


 展覧会場で売られていたものには、ソフビで作られた「DOB」をそのまま立体化したようなケースに入れられ、サインまで入ってなおかつ納めておく白いボール紙の箱にまで簡単なイラストが描かれていましたから、レア度は高いはずですが、10年くらい経って見たら、加水分解でベルトが切れてしまっていました。それでも値段は付くのか。付くとしたら幾らなのか。こちらはやっぱり気になります。



 この頃、近藤正純ロバートが設立したレゾナンス出版をよく取材していました。日本興行銀行で楽天を創業した三木谷浩史と同期だったという人で、独立をして出版社を立ち上げ新しい形の出版を模索していました。


 沖縄アクターズスクールで一世尾を風靡したマキノ正幸の本を出したこともあって、その発売記念イベントが八重洲ブックセンターで開かれたので見に行きました。そこに登場したのが「B.B.WAVES」という若手のアイドルユニット。選抜メンバーには小栗旬と結婚する山田優もいたようで、果たしてこの夜にメンバーとして歌っていたのか気になりました。


 慶応大の島田晴夫教授やマキノ正幸と交流を持ち、アサヒビールの社長を務めた樋口廣太郎もイベント会場に姿を見せて最後まで楽しんでいたあたり、レゾナンス出版の行く先は順風満帆とも思いましたが、今はネットでクルマに関する情報を発信する事業を行っているようです。楽天がバルセロナに資金を提供して神戸にイニエスタを呼び順風満帆の地で行くのとは対照的ですが、それでも一国一城の主をしているだけ、この歳で職もなくぶらぶらとしているだけの身に比べれば億倍まし。泣けますね。


 この頃、NINTENDO64で「F-ZEROX」を遊ぶことがネットで流行っていたようでした。SNSなき時代、どこかの掲示板でタイムアタックの数字が書き込まれていたのを見て、抜けるかどうかを競い合っていました。ネット対戦なんてなかった時代は、そうやってコミュニケーションをとっていたのです。


平成10年(1998年)7月のダイジェスト・下編でした。

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