第59話、高畑勲監督が絵巻とアニメの関係を語りワンダーショウケースが始まり岡部淳也監督『D』を観て劇場版『アキ電』『ウテナ』を浅草で観る

【平成11年(1999年)8月の巻】


 平成11年(1999年)8月29日に千葉市美術館で高畑勲監督の講演会がありました。公開された映画『ホーホケキョ となりの山田くん』関連ではなく、平成11年(1999年)8月10日から始まった展覧会『絵巻物 アニメの源流』の記念イベントでした。


 スタジオジブリと高畑監督が企画した展覧会で、日本のアニメの源流を、絵巻物語の時代に源流を見ようとする高畑勲監督の著作『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』が元になっていました。最初は、アニメを日本の絵巻物というある種の文化財で権威づけようとする意図でもあるのかと穿った見方をしていましたが、高畑監督がそうした権威にすがる姿勢を見せるはずはありませんでした。


 午後に始まった高畑監督の講演会では、最後の質疑応答の部分で12世紀の極めて限定された時代の貴族社会という閉鎖的な空間で、「信貴山縁起」と「伴大納言絵巻」の2つについて顕著な現代の映像文化を髣髴とされるカット割り、パンフォーカス、カットバックといった手法を見出し、似てるよねって言った程度に過ぎませんでした。


 それが大勢ではないけれど、確実に日本人の血肉なり特殊な言語に依拠する部分があって、現代の日本に特徴的なアニメーションやマンガへと繋がっているのではといった、謙虚な見解だったようです。ただ、根っこの部分では頑固に12世紀の2つの絵巻について強い意識を持っていることも伺えました。


 面白かったのは、事前に配った「カリカチュア」に関する説明を列記したペーパーを踏まえ、その言葉にあるニュアンスとしての「風刺」なり「滑稽」といった「イヤ」な線での誇張とは違う、日本ならではの記号化が絵巻物なり浮世絵なり現代のマンガにはあるといった点。それが「カリカチュア」と何が違うかと言われると、実感がそこにはあって記号的で面白いけどリアルさも備えている、といった主張をされていました。


 それは例えば高畑監督が『ホーホケキョ となりの山田くん』で見せた、いしいひさいち的なデフォルメされたキャラながら、生活の実感をそこに持たせた絵に仕上げたことに通じる話かもしれません。


 質疑応答の時間では、高畑監督ならではの断定を嫌い不勉強を厭う姿勢が炸裂していたようでした。観客から「という見方なのか」と聞かれた問いには、「あなたはそう思っているんでしょうがそれは1つでしかない」といった、断定はしないけれど独善を嫌う強い口調で反論していました。


 複雑な感情を経た上での結果であるところの作品を、評論家が成果物だけ見て断定を下すことへの反発が、強くあるからなのかもしれないと思いました。来場していたアニメ評論家の藤津亮太が、絵巻とアニメの「パンフォーカス」の関連について聞いたら一言の元に「ありません」と答えたのは、相手が誰か分かってそれで説明がつくと思ったからでしょうか。


 会場には、東浩紀との対談で高畑監督による絵巻はアニメだ的研究本のことを「もしかしてトンデモ本かも」と言っていた村上隆が来ていて、質疑応答の時に手を上げていたのですが当てられず、どんな質問をしたかったのかは分からないままでした。東京藝術大学で日本画を学び、日本画の意匠的、記号的な部分を作品にひんぱんに採り入れている村上隆ならではの考え方を、静的な絵画および動的な物語が合成された絵巻を強く評価する高畑監督にぶつけてて欲しかった気がします。


 今もワンダーフェスティバルで開催されている「ワンダーショウケース」がこの年の夏、発表されました。もう20年も経っていたのですね。模型界のオピニオンリーダー、あさのまさひこがプロデューサーとなって、ワンフェスに出展しているディーラーでも造形力を持った原型師をピックアップして、自分たちならではの作品を作ってもらいそれをガレージキット化して販売する、というプロジェクトだったでしょうか。


 発端は、ワンフェスのディーラー作品にキャラクター物が増え、来場者もそういったキャラクターなら何でもOKといった感覚になっていて、信念で作品を作っている巧いクリエイターが埋もれてしまうといった危機感があったからでした。古手のディーラーからも「ワンフェスは沈滞してる」と言われたそうで、海洋堂もあさのまさひこも一層の危機感を募らせた結果、有望だけれどスポットが今一つ当たらないアーティストを盛り上げる役割を果たすと「ワンダーショウケース」を立ち上げました。


 ここで気になったのは、有望なアーティストを取りあげず、ただ人気のキャラを作ってたというだけで、そのディーラーを取りあげるメディアの責任に言及していた部分。モデルグラフィックスを拠点に、フィギュアを紹介して遠くまで声を届けさせられるオピニオンリーダーからそれを言われてしまうと、どうしたら良いんだと思ってしまいます。


 もっとも、20年経った今、ワンフェスで紹介されるのはもっぱら企業出展の商業品が中心。というか、わたしもそちらがメインとなっていて、造形力を持ったディーラーを見つけ出すことを怠っています。20年前にそれに気付き、「ワンダーショウケース」を立ち上げ、今も続けているあさのまさひこは慧眼だったと言えるでしょう。


 日本興業銀行と富士銀行と第一勧業銀行の合併が取り沙汰されました。そのこと自体は前向きに日本の金融機関が世界から取り残されないよう力を結集するものとして評価できましたが、3行が作る持ち株会社のCEO会長という職に興銀と富士の頭取が就任して、CEO社長という職に一勧の頭取が就任するという人事にはちょっと笑いました。


 CEOとはチーフ・エグゼクティブ・オフィサーで、つまりは最高経営責任者ということになりますが、その最高が3人もいるという状況がどうにも理解できませんでした。だったらひとりくらいは「超最高経営責任者」とでもすれば良かったのに。英語ではスーパーなCEOということでSCEOでしょうか。


 『BRAVE STORM ブレイブストーム』の岡部淳也監督による『D』という作品を試写で観ました。30分物が3本のシリーズで、ポール・バーホーベンですら『スターシップ・トウルーパーズ』では出さなかったパワードスーツ登場させた画期的な映像作品。合成の腕は確かで、夜ではあっても現実社会にリアルにパワードスーツを潜り込ませていたようです。


 旧ソ連で開発されていたパワードスーツを、開発担当の日本人科学者と元傭兵が盗み出したものの、血気盛んな元傭兵が強い奴と戦いたくて仕方が無い性質で、そこに現れた隕石怪獣が相手なら思う存分暴れられると出て行った、といったストーリー。ここで凄まじいのが、戦闘の中で大勢の見物人を死なせて元傭兵が死刑を宣告されて刑務所に叩き込まれる、といった展開でした。容赦のなさに戦闘の激しさも乗って、一種異様な作品に仕上がっていたようです。今、どこかで上映される機会はあるのでしょうか。パワードスーツ好きなら必見です。


 これが浅草で最後に映画を観た機会だったはずです。『アキハバラ電脳組 2011年の夏休み』と『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』という劇場版アニメーション映画の2本立てを見ました。昭和30年代のような浅草ブロードウェーを抜けた先にある東映の劇場は、やはり昭和30年代な作りの古い設備で新宿の東映パラスにも似た急傾斜の座席になっていました。


 大きて綺麗で音響の良い劇場にかけてもらえない作品への配給元の期待の低さにタメイキを付きましたが、今にして思えば浅草で映画を観る良い機会になったかもしれません。さてテレビ版については、質の粗さが先に目に入って飛ばし飛ばしでしか見られなかった『アキ電』は、劇場版だけあって綺麗になっててよく動き、ギャグな場面の無駄なキャラの画面を騒がす演出も堂に入ったものになっていたようです。


 『ウテナ』の方は、人が自分を閉じこめている殻の中で温かい寝床にくるまれている状況から、厳しいけれども無限に広がる世界へと飛び出していく、テレビ版と同じ展開で意外感はありませんでした。テレビ版よりはアンシーに加えてウテナ自身の外へと向かう強い意思が現れていて、メッセージとしては直接的に強く訴えて来るものがあったようです。


 テレビではアール・ヌーヴォー調だったような美術が、映画では機械文明の発達を意識した未来派的な構造物が画面にあふれていて目新しかった印象。エロティックさを増した展開も含めてテレビ版とは異なるテイストを、別のひとつの解として受け止めるべきだと思いました。そういえば後、劇場晩を観た記憶がありません。Blu-rayになっていたのかな。探してみます。


 麹町に行って、初代「週刊アスキー」の元編集長が入った編集プロダクションに寄って、近況などを聞いたようですが、その編集プロダクションが今のジェイ・キャストだったことに気付きました。朝日新聞からアスキーに顧問で招かれたのも、渡邊編集長と同じく上がった2階でハシゴを燃やされてしまった蜷川という人が社長だったそうですから、やはりジェイ・キャストですね。


 オフィスはパソコンやらステレオやらが並んだハイソな雰囲気で、そしてエレベーター脇に巨大な円形空気吸引機と灰皿とベンチを置き、オフィス内を非喫煙にしていたことに驚き、言及しています。当時はまだ珍しかったのでしょう。夕方に立ち寄ったアニメ誌は編集長も副編集長も喫煙者だったそうですから。今は建物自体が禁煙になっていて、外なり地下なりでしか吸えなくなっています。それもいずれなくなるかも。先見だったのですねえ、ジェイ・キャスト。というか草創期から立ち寄っていた自分に驚きました。当時だったら入れてくれたかな。今のわたしの年齢だともう門前払いですから。


平成11年(1999年)8月のダイジェストでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます