第60話、プレイステーション2が姿を現し任天堂の山内溥社長が「ゲームは軽薄短小でなくては」と吠え高畑勲監督が「伴大納言絵巻」の真実に迫る

【平成11年(1999年)9月の巻・上】


 次世代プレイステーションが発表となりました。名前は「プレイステーションNEXT」ではなくOSもネクストではなく、普通に「プレイステーション2」でした。


 「久多良木健社長がパソコンにもゲーム機にも家電にもならないデザインと言った割にはちょっと格好良いパソコンといったデザインで、今までのフタを開けてソフトを入れる方式から、トレイに入れて出し入れする方式になったこと、USBにPCカードスロットにi.LINKといった外部端子が取り付けられていることが、パソコンっぽさをますます強める材料になっている」。形についてはそんな印象をウエブ日記に書いています。


 2001年を目標に、主にケーブルテレビの回線を使ってデータのダウンロードを出来るようにするといったアナウンスもあったとか。これは実行されたのかな。「ドリームキャスト」がネット接続を実現していたことへの対抗でもあったのでしょうが、後、プレイステーション・オンラインを経てネットからの収益がソニーに多大な貢献をもたらしていることを考えると、時代の必然だったのかもしれません。紆余曲折はありましたが。


 値段は3万9800円で初代「プレイステーション」と同じ。DVDビデオの再生機能もついていて、すでに1万9800円まで下がっていたドリームキャストよりも、ソニーを含めたDVDプレイヤーを出しているAV機器メーカーに影響が出ると思いました。ただ、結論からすればDVDを観る環境が広がって、VTRからパッケージの主流を移す役割を果たしました。Blu-rayを経てネット配信に至った映像ソフト業界ですが、取り回しのよいパッケージでテレビ放送以外の映像を楽しむ文化を広げた意義はあったのではないでしょうか。

 

 ソフトではナムコが『リッジレーサー』を送り出し、コーエーの『鉄拳』にソニー・ミュージックエンタテインメントの『グランツーリスモ』なども並んで賑やかだったようです。ソニー・ミュージックエンタテインメントも『ラクル・アン・シエル』を出した様子。気になったのが発売日でしたが、平成12年の3月4日で「1234」を踏襲していたところはちゃんとしてました。久多良木社長は「午前5時に売ります、というのは冗談」と茶目っ気を出していましたが、当日は本当にそれくらから秋葉原が燃え上がっていました。懐かしい思い出です。


 そんなプレイステーション2が並んだ東京ゲームショウでは、ドリームキャストのPRに入交昭一郎社長や鈴木裕プロデューサーらが総出でセガをアピールしていました。「年末に買えるのはドリームキャストだけ」という言葉も出て自信は見せていましたが、やはり甘くはなかったことを歴史が証明しています。あの任天堂だってなかなかひっくり返せなかったのですから。


 そんな任天堂が、コナミと次世代ゲームボーイとなる「ゲームボーイアドバンス」向けや、携帯電話とつながった「ゲームボーイカラー」向けのソフトを開発・販売する合弁会社、モバイル21を設立するという発表が行われました。他のサードパーティーにとっても気になる定形だったようで、発表会場近くでCESAの理事会が開かれていたこともあって、コーエーの襟川恵子社長やエニックスの福嶋康博社長、ナムコの常務が入口付近から記者会見を見ていたようです。


 そんな会見で炸裂したのが、任天堂の山内溥社長による「重厚長大なゲームはダメ。ゲームはもっと軽薄短小じゃないと」といったセリフでした。リスクを山とかけ人間をわんさとつぎ込んで作り上げる映画的なソフトが、果たしてどれだけの利益を得られるのか。それよりは、ゲーム本来の楽しさを追究したソフト、100人が何カ月もかかるんじゃなくってそれこそ数人が数カ月で作る楽しいソフトがやはり主流になる、といった見方でした。


 一面、これは正しくて任天堂はしばらく携帯型ゲーム機の方で主流を握って家庭用ゲーム機戦争での出遅れをカバーします。今もスマートフォンの上で楽しむ簡単なパズルがいつまでもレッドオーシャンの市場に君臨し続けているのも、グラフィックの重厚さよりアイデアの良さで勝てる現れでしょう。ただ、ハードウエアの進化は軽いグラフィックのままではゲームを許してくれませんでした。そちらはそちらで市場を伸ばし、エニックスと合流したスクウェアをはじめ世界で支持を集め続けています。


 「美麗なCGではなくゲーム性及びゲームを媒介にしたコミュニケーション性が大きなバリューを生み出している事実は伺える。ただ、果たしてそれ一辺倒なのと言われればそんなことは絶対になく、一方で映画的という上下関係を想起させる言葉がもはや適当ではない、新しいカテゴリーに属するインタラクティブ性を保持しながらも画面は映画以上に美麗なコンテンツが生まれつつあることも紛うことなき事実」


 「今後進むだろうハード性能の向上、及びそれと反比例しての価格の低下といった環境の中で、より幅広い企業から、それこそ巨万の資本力を持つハリウッドから、そういうカテゴリーへの参加が相次ぎ世界に市場を拡げる可能性もある」。我ながらちゃんと見ていました。こういう分析力を活かして勃興しつつあったネットメディアで仕事を始めていたら、今ごろはどんな立ち位置にいたでしょう。振り返るなと上杉アカネby『バースデー・ワンダーランド』に言われても振り返ってみたくなります。


 「軽薄短小」を標榜する任天堂は、そういったハードの進歩や市場の拡大から傍目には背を向けているように見えました。ただ、どちらが上で下ではなく、まったく違う方向性を目指す2つのエンターテインメント関連企業があり、それらが業界を上から下から右から左までを住み分けつつもトータルで支配する構図を見た方が正解なのかもしれないと思いました。結果は、「Switch」は売れて「プレイステーション4」も売れています。2つの会社のポリシーはしっかり、生き続けているようです。


 千葉市美術館で、高畑勲監督による「伴大納言絵巻」を巡る講演の第2回戦が行われたようです。前回が絵巻に見られる表現のアニメ的な部分に焦点を絞った内容だったとすると、この回は相手に絵巻を所蔵する出光美術館の黒田泰三学芸員を迎えての、絵巻に秘められた謎についての解説が中心でした。


 黒田学芸員から絵巻で最大の謎とされている上巻の後半に登場する絵巻が流れる方向とは逆を向き、屋根らしきものを遠望する男性が誰で、次に登場する縁側っぽい部分で中の2人の男たちの会話に耳そばだてる男性が誰なのかといったが解説されました。


 ここで高畑監督は、遠望されている屋根を焦点にして流れている霞に注目したようです。男性の上部分にうっすらと残る柱らしき絵から、この男性は屋根を遠望しているのではない、屋根からフキダシ状に広がったスペースの中は実は屋根の下をクローズアップしたもので、そこを男性は歩いて退席しようとしているのだと分析したようです。ゆえにこの人物は讒言をして帰る伴大納言その人で、縁側の人は藤原良相だとも。ただ漫然を眺めるのではなく、意味すら読み解こうとするところに高畑監督の貪欲さが伺えました。


 2人の間に1枚失われた絵か、あるいは文章があったことが分かっているといった話から、以後は描かれたものへの解釈が繰り広げられ、描かれているモチーフから時代も下がって、そこに真相を描けるようになっていたといった解釈もあったりして、すべて真実が描かれているとは限らない、作られた時代を踏まえて検討する必要があるといったことを教わりました。


 最後に、牛車に載せられ引き立てられる伴大納言の服の塗料の落剥が目立つ以上に、宮中で天皇と会見する良房の服の塗料の落剥が目立つのは、何かの一件について誰が犯人かを教えようとした名残ではないか、といった説も繰り出されて、歴史の遠い向こう側に消えた謎に迫る興奮を味わいました。


 そんな講演と展示から、高畑勲監督という、時間の経過を伴う映像表現に主として携わる人間が、そのキャリアなり身につけた方法論で同じ時間の経過がそこに否応なく生じる絵巻という表現形式の中から、同じ“映像作家”として当時の画家の意図を読みとろうとして、結構な部分で成功しているのではと思ったようです。そして同時に、無駄のほとんどない絵巻の意図をくみ取れるだけの厳密過ぎるくらいな理論を持って、すべてのシーンを高畑監督が映画の中に入れてるのではとも思い至りました。


 となると、冗長で説教臭いとも感じた『ホーホケキョ となりの山田くん』のすべてのシーンにも意図があるはずだ。そう思うともう1度くらいはあの映画を見ておいて損はないと思えて来たようですが、結果は行かなかったはず。今さらですが改めて見てみたいと思います。


 アスキーによってインターネットで毎日1分間ずつ、1年365日を通して映像を配信するという企画が発表されました。企画は秋元康で、後にドリームキャスト向けソフトが発売されたことから、アスキーも含めたCSKグループでドリームキャストの浮上を狙った企画だったのかもしれません。


 そのインターネットドラマ『グラウエンの鳥篭』を発表会では30分ほどまでまとまったのを見て、先行きも期待できる面白いコンテンツに仕上がっていると感じました。山川直人監督によると、すべてを含め6時間にも及ぶというドラマは冒頭、天本英世が演じる怪弁護士が来客に向かって謎めいた契約を結ばせるところからスタートし、吉野紗香演じる女子高生が米国に単身赴任した父親が契約していたマンションへと引っ越し独り暮らしを始める場面へと展開。そこに住む奇怪な住人達の邂逅を経て、血で血を洗う一大惨劇が繰り広げられる、といったものだったようです。


 Netflixが全12話あるテレビシリーズを一挙配信する時代に、1日1分だけとはどうにもチマチマとした話ですが、ちょっと前のスマートフォンでようやく映像が見られ始めた時代なら、こうした試みも騒がれたかもしれません。dTVなど実際にスマホ向けドラマを作っていましたから。やはり早かったのですねえ、何もかも。


 この月はほかにもいろいろあったので上下に分けます。


平成11年(1999年)9月のダイジェスト・上編でした。

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