第61話、ブギーポップの映画化とアニメ化が発表され「ホシヅルの日」のイベントが開かれ恵比寿で前田真宏沖浦啓之佐藤順一飯田馬之助今敏 がイベントに登場する。

【平成11年(1999年)9月の巻・下】


 上遠野浩平のライトノベル『ブギーポップは笑わない』の映像化が発表になったようです。実写映画とテレビアニメーションが同時に発表されたみたいで、会見場にはテレビカメラが4台で、スチルも結構な数が集まる大賑わいになっていました。


 当時でシリーズ7冊の合計が120万部に達していた人気作品の映像化だったからでしょうか。たぶん実写のキャストが目当てだったのでしょう。そんな実写版『ブギーポップは笑わない Boogiepop and Others』の主演は吉野紗香。会見では「本を読んだ時から大好きで、ブギーポップに恋をしてしまって、素敵な人を演じられるのが嬉しくって、クランクアップしてもうなれないのが寂しくって、本当に好きなんだって思いました」と話してくれました。


 前日にあったインターネットドラマ『グラウエンの鳥篭』でも見せなかった入れ込みようは、やはり相当に作品が好きだったようですが、現在、どれだけの人が実写版があったことを覚えているのかと考えると、ちょっと可哀想になります。そんな吉野紗香の横では、『がんばっていきまっしょい』でヒメを演じていた清水真実がいて、末間和子を演じることになっていました。


 霧間凪は美人で背が高くボーイッシュな黒須麻耶、紙木城直子は庵野秀明監督の実写映画『ラブ&ポップ』の三輪明日美、委員長的な新刻敬は「南青山少女歌劇団」出身の広橋佳以で、マテンィコアこと人類の敵は映画『新宿少年探偵団』にも出ていた多分ホリプロの酒井彩名と、今にして振り返ればなかなかの布陣です。


 その酒井彩名は、「マンティコアの人食いの時にどうすればって監督に聞いたらスパゲティと思って食べれば良いって言われたからスパゲティと思って一所懸命食べました」と言ってのけました。どう食べていたのか。実写映画が観たくなってきました。Blu-rayは出ているのかな?


 発表会では、もちろん原作者の上遠野浩平も登壇して挨拶しました。口をひらくとそのまま「あとがき」の雰囲気にあふれていて、「原作は元ネタであって映画やアニメに何か期待があるとしたら監督が原作をいかに料理するか、ぶちこわすか、ふみにじってくれるかにかかってる」と淀みなく喋って「以上」と締めくくったようです。


 そんな声に答えたのでしょう。渡辺高志監督によるテレビアニメーション版でシリーズ構成と脚本を担当した村井さだゆきが、「踏みにじらせて頂きました」とのっけから挨拶し、「実写とアニメは枠の違いもあって監督の個性が出ている作品になりました」と説明しました。今の人はそのテレビアニメーション版が原作とはまったく違っていたことを知っています。当時から「原作とは別もの。違うストーリーになっていて、テーマをもう1度再現する構成になっている」と言ってはいたのですが、始まって驚きました。


 渡辺高志監督は、「笑いとは人間の心理の内面にあるダークサイドと裏腹なんで、『ブギーポップ』ではそんなダークサイドをアニメというメディアのなかでとことん突き詰めていく」と抱負を表明。言葉どおりにダークな雰囲気が漂うアニメになりました。最近になって原作どおりのテレビアニメーションが放送されましたが、最初のシリーズも今見るとしっかりとブギーポップのエッセンスを見せてくれる作品になっています。ネット配信も行われているので見て欲しものです。


 同じ日に「電撃ゲーム3大賞」の発表会もあったようで、「小説部門には実に1326作品もの応募があった」と振り返っています。5000作品を超える今からすれば少ないものですが、新人賞でこれだけの応募は当時としてはなかなかのもの。『ブギーポップは笑わない』のブレイクなどもあったのでしょう。大賞に選ばれたのは円山夢久『リングテイル―勝ち戦の君』。思えばこの時から電撃大賞の贈賞式に顔を出し続けている訳で、20年分の受賞者の顔を見てきた格好。その中には大ベストセラー作家となったあの人もあの人も。あやかりたいなあ。


 九段の科学技術館で星新一を偲ぶ「ホシヅルの日」というイベントが開かれました。高千穂遥が歩いていて野田昌宏に豊田有恒に柴野拓美といった日本SFの黎明期から活躍して来た人たちの姿も見えて、当時はまだあまりSFに浸っていなかった身として嬉しさを覚えました。


 イベントは、「SF大陸」へと舞い降りるホシヅルの姿を描いた米田裕制作のオープニングCGに続いて、新井素子と井上雅彦が登場し、発起人の小松左京が体調不良で来られなかった代わりに寄せた手紙を読み上げたり、星新一に縁の人々へのインタビューをつなぎ合わせた映像を流したりして、生前の星新一がどのような人だったかを紹介しました。


 パネルディスカッションでは、第1世代に属する人たちがデビュー前後からSF作家クラブへと至る星新一の語録を巽孝之の司会で紹介。トップバッターの柴野拓美が、「誰よりも早く星さんとつきあったのは自分でした」と偲ぶ言葉で口火を切り、続いて野田昌宏が相変わらずの野田節で「何か言うだけで輝きのある人だった」とその強い存在感、高い才能を指摘していました。


 1970年に開かれた米ソのSF作家が日本で初会見した国際シンポジウムの開場で、深見弾がソ連作家の記者会見の準備をしている会場に来た星新一が、ソ連の作家が国後択捉の返還を約束したと記者に向かって言えばといって慌てさせ、会場にも来ていたらしい「イエイエ」なレナウン娘を紹介して歯舞色丹までも返還させると言わせろと言ったとらしいエピソードも紹介。ブラックな星新一語録の一端を垣間見た思いでした。


 日本が中国からもらってくるパンダが3年で死ぬのは、少林寺拳法の技が仕掛けられているからだといったジョークも出たそうで、日中韓の関係がセンシティブになっている現在、存命ならどれだけのブラックジョークが飛んだかと思えてきます。筒井康隆がひとりで抱え込まなくてもよかった可能性はありますが。


 野田昌宏は、「キャプテン・フューチャー」を翻訳した時に柴野拓美あたりが渋い顔をした一方、星新一は『火星人ゴー・ホーム』以来のエンジョイした作品と誉めてくれたのが励みになったと話していました。加えて「スクエアな柴野さんとショート・ショートの星さんがいたからこその宇宙塵」とも。バランス感覚というよりは、共に時代を越えて来た同志意識によるものでしょう。


 「ホシヅル」をモチーフに古今の著名な漫画家らが描いた数々の「ホシヅル」をまとめて一挙上映した映像も上映されたそうで、サイボーグ009のテーマソング(古い方)に乗って、9人のサイボーグの目を持ったホシヅルが映し出される吾妻ひでおの作品に感嘆したようです。


 その後、イベントは歴代星新一作品から投票で選ばれたベスト3の発表へと移り、第3位に6票で「午後の恐竜」が入り2位は11票の「ボッコちゃん」、次点で「鍵」と「処刑」が入って最後に26票を獲得して1位に輝いた「おーい、でてこーい」を、しりあがり寿の絵をバックに市毛良枝さんが朗読してイベントは終わりました。濃かったなあ。映像化何かで見られるのでしょうか。気になります。


 東京都写真美術館で「新世代フィルムメーカーズ~The Animation」というイベントが開かれたようです。『人狼』の沖浦啓之監督に『青の6号』の前田真宏監督に『おジャ魔女どれみ』『魔法使いTai』の佐藤順一監督に『機動戦士ガンダム/第08MS小隊』『おいら宇宙の炭鉱夫』の飯田馬之助監督、そして『PERFECT BLUE』『千年女優』の今敏監督ととてつもないメンバーが揃ったイベント。今さらながらこんなものが開かれたんだと日記を読み返して驚いています。


 鉄道の事故で遅れた「GaZo」編集長の渡辺隆史が駆けつけ始まったイベントは、バンダイビジュアルの人が1つ質問をしてそれに5人が順に答えていく形で進行。まずは幼少期の体験という話題で、前田監督が「小遣いくれない家だったんで漫画とか読めずテレビばっかり見てた」とアニメ番組に耽溺した幼少期を語ると、佐藤監督も「鉄人28号が好きだったらしく、家中シールだらけだった。親はあんな動かないのが楽しいの、アトムを見ろとかって言ってたのに」と思い出を語りました。


 今監督は、漫画家として手塚治虫から大友克洋へと流れる影響を語りつつ、アニメでは「今再放送を見るとチープどころじゃないんだけど、もっと動いていたように感じたのは自分で中を割ってたんだろう」とアニメに熱中して見えない物まで見ていた子供時代を吐露。沖浦監督は、「ロボット大好き」と趣味を語りながらも「友達がデビルマンのキックを描いてくれって言って来てパンチを描いたんですよ」と言って、自分が好きな物を表現することへのこだわりを、幼少から持ち合わせていたことを伺わせてくれました。


 そこまでは楽しげだったようですが、質問者がアニメを卒業することについて、こともあろうにアニメ監督たちに尋ねたことが禍してか、どんよりとした雰囲気になった模様。映画監督の作家性といったあたりで、今監督から「作家性といったってお子さま向けの作品にだって関わり方次第で作家性なんて出せるものだし、自分がどういうスタンスで関わったかによるもんでしょう? 作家を何か特別なものとして取りあげるのは違うよ」といった指摘があって白熱しました。


 佐藤監督からは、『人狼』がなかなか劇場にかからない現実から、興行側の売れそうだから上映するといったスタンスへの懸念が示され、当の沖浦監督からは「作らなきゃいけないから作った作品で、当たらないとは全然思っていないし」といった言葉が出ました。後、翌春の公開がほぼ決まったといった話が出て安心しました。


 フリーなトークの場面では、飯田監督からフォトショップの履歴の機能がクリエーターのイメージ力を阻害してるんじゃないかと指摘もあって、それがどこまで本当かは分かりませんが、手を動かして描くことへの慣れができないツールの便利さを考えました。このディスカッションに出ていた飯田監督、今監督はともに鬼籍へ。今ならアニメ系メディアがわんさか訪れ記事にして、ネット上に記録が残るのに当時はどこか記事にしたでしょうか。こうして出没して記録していた自分の日記がささやかな価値を持つのは、こういうことなのかもしれません。手前味噌過ぎますね。


平成11年(1999年)9月のダイジェスト・下編でした。

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