平成の4分の3をカバーするウェブ日記『日刊リウイチ』から平成を振り返る
第62話、小松左京賞が創設され『サクラ大戦3』が発表されカエルブンゲイが創刊され『未来少年コナン2』が始まり『ジバクくん』第1話を皆で見る
第62話、小松左京賞が創設され『サクラ大戦3』が発表されカエルブンゲイが創刊され『未来少年コナン2』が始まり『ジバクくん』第1話を皆で見る
【平成11年(1999年)10月の巻】
出版社の角川春樹事務所というと、北方謙三や森村誠一といった角川春樹社長に縁の作家を手がけている一方で、SF作家の小松左京を結構手がけているように見えます。そんな印象の大元ともなったSFの新人賞「小松左京賞」の創設が、この月に発表になりました。
角川春樹事務所の創立3周年を記念するパーティー会場には、北方謙三はもちろんに日本SF大賞を運営していた徳間康快、朝松健、新井素子、富野由悠季といったSF関係者も多く来ていたようです。そこで角川春樹社長は、「SFの復活を自覚している」と高らかに宣言し、角川春樹小説賞とは別に何「小松左京賞」なるものを創設する考えを発表しました。
特に会場がどよめかなかったのは、来ていたのがSF関係者だけではなかったからでしょうが、後にこの賞がいろいろな意味で果たした役割を考えると、SFにとって、あるいは日本の文学とエンターテインメントにとって大きなトピックだったと言えます。
「ホシヅルの日」には体調不良で来京しなかった小松左京も来ていて、挨拶に立って「小松左京ショーでもやるのかって思ったよ。死んだらやろうと言って9月30日までに死ぬかと思っていた」と笑いをとりました。続いて「募集しても応募は1つもなくって、自分がもう1つのペンネームで書いてから落とすつもり」と、かつての日本SF作家クラブで3歩離れたら冗談を言いまくるのが礼儀といった環境で育った人らしいユーモアを、衰えず披露してくれました。
「横溝正史賞が創設されても横溝さんは8年くらい生きていたそうだし、生きているうちに賞が出来るのは栄誉です」と言っていたから、内心では嬉しかったと想像しますが、存命のうちに10回で終了してしまうとは、この時は誰も思わなかったに違いありません。
「かつてSFは夢想の輪を無限に拡げて、人類を、未来を語って来た。ところが科学は小説の上をゆく進歩を見せ、事実がSFを超えることは珍しいことではなくなってしまった」。そんな書き出しで始まっていた、小松左京賞のチラシを今読み返し、進歩する科学や情報の中で、奇想をどう巡らせるか迷っていた時代があったことを思い出します。
それでも、「エンターテインメントという枠組みをとりつつ、『科学技術文明と人類』『宇宙の根元と人類存在の意味』といった、巨大にして永遠のテーマに立ち向かえる『武器』」とSFの存在意義を断じる言葉には、SFへの自信が満ちていました。「かつてない高度の文明を持つ一方、人類史的にもっとも不安定といえる現在ほどSFが果たす役割の大きな時代はない」。
それは今も同じです。世界は不安定になり明日を想像しづらい日々が続いています。そうした世界に対してSFが何をできるのかを、20年が経って考えてみたくなります。受賞作はもちろん応募作から伊藤計劃と円城塔が出て、それぞれに時代のリーダーとなってひとりは夭折後もなお影響を与え続け、ひとりは文学に革新をもたらし続けています。小松左京亡き今も受け継がれる小松左京賞への、SFへの思いを継ぐのは誰だ? わたしたちです。
「ドリームキャスト」で唯一、とまでは言いませんが対応タイトルで目立っていたタイトルのひとつ「サクラ大戦」シリーズに新作が登場するとあって、今は無き新宿厚生年金会館での発表会に行きました。会場は人で埋まって、それも男子ばかりではなくコスプレした女子もいて人気の広がりを感じさせました。
レビューがあって、セガの入交昭一郎社長が両脇を真宮寺さくらと神崎すみれに捉えられた宇宙人のような姿で登場して挨拶してスタートした「SAKURA PROJECT2000」では、新作『サクラ大戦3 巴里は燃えているか』が翌年秋に発売予定と発表され、舞台がパリとなってが真宮寺さくらも神崎すみれもとりあえずは登場しないとあって、割と騒然としました。『ラブライブ!』ではありませんが、メインキャラクターを取り替えて続けるシリーズの走りだったのでしょうか。
それでも「巴里過激団・花組」のメンバーは、修道院の見習いシスターでちょっとドジなエリカ・フォンテーヌを筆頭に、金髪で勝ち気そうで斧を振り回すグリシーヌ・ブルーメール、ベトナム出身で動物とお話し出来るコクリコ、そしてパリを舞台に暴れ回る強盗誘拐爆破と難でもござれの大悪党、なのに眼鏡っ娘だというだロベリア・カルソーニ、さらに日本人だけどパリで育った北大路花火と粒ぞろい。そのあたり、ヌかりなくキャラを並べる広井王子だと言えそうです。
中村隆太郎監督によるTVアニメシリーズの放映も発表されて、さあ盛り上がると思われましたが実際のところはどうだったのでしょう。キャラへの思い入れが強すぎて、ここを境にプレイしなくなった自分が言えることではありませんが、懐かしさの中にはしっかりと息づいているタイトルにはなりました。久々に登場する新作にはどんな反応が出るでしょうか。気になります。
フリー編集者で「エキレビ!」などを手がけているアライユキコによる”活字のフリーマーケット”こと「カエルブンゲイ創刊号」が出たようです。『ぷよぷよ』の米光一成も関わったミニコミ誌にはコラムがぎっしり詰め込まれ、相当な読みでがあったようです。オバタカズユキが石原壮一郎と対談していたり、豊崎由美が直木賞の選考で天童荒太の『永遠の仔』に対して示された、「長い」という叱責を発した選考委員に噛みついていたりしました。
特殊歌人の枡野浩一が「一度見たら忘れないヘンなペンネーム的お名前」で「高田だから」というのを999円で売り出していました。買った人はいるのかな。枡野浩一といえばこの頃、ロフトプラスワンでイベントを開いたのを見に行きました。「自己宣伝にひたすら務めるトークライブ」といった印象で、当時のゴシップだった高橋源一郎と室井佑月の関係に触れていた印象。この頃から20年、今もしっかり活躍をし続けているのを見るにつけ、自分でもできるのかと足下がグラついて目眩がします。
『未来少年コナン2 タイガアドベンチャー』始まったようです。設定をもらった時に、少年と原始少年と美少女という設定がすなわち「コナンコンセプト」なんだと考えていましたが、当時の時流にまったくのらない顎しゃくれ下膨れな男性キャラクターに、天然記念物な上下ピッタリの繋ぎっぽい服を来た美少女キャラクターが登場する遺跡をめぐる物語を、「コナン」として売らなくてはいけない代理店に同情しました。
「電撃」ブランドの期待を一身に背負ってスタートした『セラフィムコール』の第1話も見たようです。出てくる美少女たちは可愛いし、声も第1話の笠原弘子を始めきっとメジャーどころがドカンドカンと登場してていましたが、止まった絵をズラして動きを表現するような絵に不安を覚えたようです。ただ、Bパートに入って絵的にもお話的にも盛り上がってギャグもまったりと味わいが出てきたようで、テレビを消さなくて良かったと思いました。そう書いていながら、どんな絵で話だったのかまったく覚えていないところに、やっぱりこの期の覇権にはなれなかったことが伺えます。
柴田亜美が原作の『ジバクくん』の第1話の放送を、原作者や出演声優やスタッフを交えてファンといっしょに大画面で見るという、今のテレビアニメでは割とやられているイベントがこの時点で既に開かれていたようです。「過去かつてどのアニメ新番組でもやらなかった(やらんわ普通)イベント」と書いているから、相当に珍しかったのでしょう。
主題歌「誰も知らない地図」を松澤由美が歌ったあと、放送が始まって皆でみた『ジバクくん』については、「寧に世界観を解らせつつ話へ引き込もうってな意図が感じられて好感が持てた」と感想に書いています。出演声優の石田彰と松本保典は「動いているの初めて見た」と言っていましたが、作り込んでいた甲斐があったか、動きもちょっとした間のギャグもきっちりはまってて楽しめました。
上映後のトークでは、アニメ化にあたって「ヂ」としか言わない「ジバクくん」を誰が演じるかに関心が集まったものの、すべてをSEで当てることになり、かつ12体出てくる「ジバクくん」のすべてを同様のSEで、それもすべてを異なる声にしたと明かされました。そうだったんだ。このアニメも何となく覚えているんですが通して見た記憶がないだけに、どこかで見て確かめてみたくなりました。
大阪地裁で中古ゲーム訴訟の大阪裁判の判決が出て、「ゲームは映画ではない」と断じて以下の判断をしなかった東京訴訟とは反対に、「ゲームは映画である」「がゆえに頒布権が認められる」「したがって中古販売は違法」としたようでした。ソフトショップは渋く、メーカーは微笑んでいたこの裁判が最終的にどうなったか。高裁でともにショップ側が勝利し、最高裁でもそれが通って中古ソフト販売は合法とされました。
映画の著作物だとか頒布権の消尽だとか、難しい言葉が入り交じっていろいろと勉強した裁判でしたが、今となっては中古で買う以前にゲームのパッケージ自体が衰退。スマートフォンにダウンロードして遊ぶゲームアプリが登場し、ネット上からアクセスして楽しむバーチャルプラットフォームが出て来たりして、中古ソフトそのものが話題に上らなくなりました。ゲーム会社は裁判に負けましたが時代はそちらに味方した? それもこれも売れるゲームを作れればの話ですが。
永松久という新聞記者が62歳で亡くなりました。日本工業新聞で長く株式市場を担当していて東京証券取引所にある記者クラブ、兜倶楽部の主と呼ばれた人でした。最初に配属された時にキャップとしていろいろ教えてくれましたが、噂では学生時代は「明治の竜」とも唄われたバンカラで、宍戸錠の弟の郷えい治と知り合いで、笠智衆の知遇を得て大映のニューフェースを受けて加藤剛と同期で合格したものの、給料の面でどうにも折り合わず俳優になることを止めたそうです。
その後、プロレスを担当していた時代があって、ジャイアント馬場と麻雀をしてこっぴどく負けた話とか、試合の模様を送稿する時にあらかじめ決め技を聞いておいて予定稿を書いておいたとかいったといった話も聞きました。証券担当になってからは長く場を見て原稿を書き、あのブラックマンデーも察知していたというから凄い人だったのでしょうか、今、そんな人がいたことを誰も覚えていません。
突き合っていた証券会社の人が偉くなり、トップとなって起こした証券不祥事でどんどんと消えていきました。何を思ったでしょう。その後も筆を振るい続けましたが、ビッグバンで大きく様変わりを遂げようとしていた証券市場の行く末を見届けずして他界。そんな兜町からは名物のうなぎ屋も消えて様変わりが進んでいます。歿後20年の今、誰かその足跡を振り返ってみたくなります。
平成11年(1999年)10月のダイジェストでした。
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