第66話、富野由悠季監督がロボットアニメについて語り大地丙太郎監督高畑勲監督がメディア芸術祭を受賞し人形町時代の川上量生がネットについて語る

【平成12年(2000年)2月の巻】


 文化庁メディア芸術祭に関連して、「“ロボット・メカニズム”の進化論」というタイトルのシンポジウムが開かれたそうです。実はよく覚えていませんが、ウエブ日記に残っているのなら開かれたのでしょう。そして行ったのでしょう。こういうところに、記憶を外部化しておく必要を感じます。今はむしろネットメディアがイベントを盛んに記録しているから、覚えなくてもそちらを見れば多い出せる状況です。そしてネットが消えたら、情報とともに記憶も消えてしまう……。そう考えると、自分で見て覚えておく意味もあるのかもしれません。


 さて、「“ロボット・メカニズム”の進化論」では、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督が登壇し、真ん中に座って両脇を浜野保樹と現代アーティストの村上隆が固めるという布陣で繰り広げられました。「徹頭徹尾『富野節』が炸裂して監督のアニメ観なり人生観なり社会観が語られる展開となって、『ロボット・メカニズム』についてはカケラも語られず、これを期待していた人は肩すかしを喰らったかもしれない」イベントだったようですが、このメンバーなら仕方がありません。富野語録が聴けるのなら、それが何だって良いのですし。


 アニメで、どうしてこうまでロボットが出て来ざるを得ないのか、といった状況についての解説めいたものはあったようです。つまりは、「巨大ロボットは表現の手段」であって、人間を動かしその内面を浮かび上がらせる道具建てとして、圧倒的な存在感を持つロボットは有用だったということ。けれども、ロボットはあくまでも道具であるというのも富野監督の強い理念。だからこそ「乗り物」と強調していました。


 サイバースペースへの言及もあって、「考えるまでもなく人間はサイバースペースだけでは生きていけない。そんなことを信じるのは科学をもてあそんでいる者の世迷い事だ」と強い忌避を示していました。「僕は死ぬし、男女から生まれて来たんだ。肉体や精神を売り渡せるのか。技術を沈めて面白がれる人もいるが、私はくみしない」。富野節炸裂です。「何でもネット」といった風潮への牽制だったのかもしれません。


 そんな文化庁メディア芸術祭は、アニメーション部もの大賞をアレクサンザー・ペトロフ監督の『老人と海』が受賞したようですが、言及はしていません。優秀賞を『おじゃる丸2』で受賞した大地丙太郎監督については、普段のカジュアルな格好でも、『風まかせ月影蘭』の試写で見た和服でもなく、礼服を着てキリリと銀白黒のネクタイを締めていたようです。


 デジタルアートのノンインタラクティブ部門というのもあって、そこでアニメーションながら森本晃司監督が『鉄コン筋クリート』のパイロットフィルムで優秀賞を獲得していました。結局は幻に終わる企画ですが、賞だけはいろいろとっていました。長い髪を縛っていた姿が一変してボサボサとした感じの金髪になっていたのには驚きました。そんな会場には、『ホーホケキョ となりの山田くん』でアニメーション部門優秀賞の高畑勲監督もいたようです。普段どおりの背広姿で。そこはやはり高畑監督らしいです。


 マンガ部門の大賞は『アイ’ム ホーム』の石坂啓。テレビで見る以上にスラリとスマートで壇上の里中満智子さんとタメはるビジュアルだったそうです。デジタルアートのインタラクティブ部門はソニーの「AIBO」が受賞。まあ、アートでしょうね。「明和電機」も受賞していたようです。この年は初台を離れて赤坂の草月会館で開かれました。この後、東京都写真美術館や国立新美術館などを流浪する、その始まりでもありました。


 ネットゲーや「iモード」が流行し始めていたこの時期、そうした分野で新しく事業を始めた会社が、人形焼きと親子丼の町・人形町にあったので取材に行きました。名前をドワンゴいう会社で、当時は金髪だった川上量生社長は、前に見かけた背広姿だとビットバレーのベンチャーさんといった雰囲気でしたが、この時はセーター姿の若いお兄さん。ネットゲームについての考え方をいろいろと聞きました。


 「世界の誰とでも」「何時でも対戦できます」という文句で語られるネットゲーの魅力はそうしたところにはなく、知り合い同志がネット上で対話する感覚で遊ぶ“チャット”みたいな楽しみ方が主流になると言っていたとウエブ日記に記録があります。これはつまりはコミュニティの発送で、映像でも音楽でもコンテンツを媒介にして人々がコミュニケーションをとって楽しむという、ニコニコへの指向をこの時から持っていたのかもしれません。


 当時、ドワンゴで売り出し中だったのは「iモード」で楽しむ釣りのゲームで、釣り竿をたらす操作を送ったら後は切って魚が針にかかるまでを待つ「時間経過」の概念が入っているところがユニークだったようです。魚が針にかかると電話機にメールが届いて知らせてくれます。これなら繋ぎっぱなしで通信料が莫大になる心配がありません。いろいろと考えていたようです。


 そんなドワンゴのこんな川上量生社長が、後にスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの見習いになったり、角川書店グループと経営統合してトップに就くくらい、文化や経済の世界の偉人になると知っていたら、もっといろいろお話をして親しくなっておくべきでした。そうしたら今ごろ……と言っても空しくなるのでこの辺で。

 

スクウェアが「プレイオンライン」の構想を発表したのに刺激を受けた訳ではないでしょうが、ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)がコナミやナムコやカプコンやスクウェアやエニックスやコーエーやバンダイを巻き込み、セブン-イレブン・ジャパンとカルチュア・コンビニエンス・クラブとハピネットとデジキューブの流通4社も入れて、「プレイステーション・ドットコム・ジャパン」という事業を発表しました。


 電子商取引の本格化に向け、強力なパートナーと組んだもので、ネットからゲーム機やソフトを注文すると、コンビニやTSUTAYAで、プレイステーション2やゲームソフトが受け取れるようになる、といった内容でした。将来はゲームのコンテンツをネットからダウンロードできるようにするとも言っていました。


 浮かんだのは流通の“中抜き”で、当時はまだ元気があったソフトショップにダメージがあると想像しました。エニックスの福嶋社長は「流通のバランスを踏まえて供給していく」と話していたようですが、一方で「客の利便性」という言葉も飛び交っていて、便利ならそちらに傾くといった可能性が示唆されていました。果たしてどうなったかと言えば、パッケージはネットか量販店に移り、あとはダウンロードといった状況。いろいろな構想が浮かんでた立ち上がり、変化に流され消えていった20年間だったと言えそうです。


 それはこちらも同様です。CSKの大川功会長が社長と会長を兼務するネットワーク会社、その名も「イサオ(ISAO)」が立ち上がりました。海外に行っていたセガの入交昭一郎社長をのぞくセガとCSKとアスキーの重鎮がそろい踏み。「ドリームパスポート3」の上で実現する「Ch@b Talk」という新サービスを発表し、「チャブ」の部分が何を意味するのかをもったいぶって喋っていたようです。一目瞭然「ちゃぶ台」ですね。ネットに集まりわいわいとやるサービスのイメージを取り入れたもの。ネットはコミュニケーションという部分が、ここにも覗きます。


 これより1年前の平成11年(1999年)2月8日に亡くなった、マンガ家のみず谷なおきを追悼する原画展が東京の京橋で開かれました。中心は『ブラッディ・エンジェル』や『Hello!あんくる』や『バーバリアンズ』といった作品の原画と絵コンテで、とくに『Hello!あんくる』は未刊に終わって描かれなかった最終話の絵コンテなり構想が展示されていて、こういうエンディングを向かえたのかと分からせてくれました。


 これが描かれていればと、原稿用紙にそこだけくっきりと描かれた、眼鏡っ娘の主人公のシリアスな表情を見ながら、無駄で詮無いことだと知りつつやっぱり残念に思えて来たようです。構想だけに終わった死神と天使だかが出て来て主人公にまとわり付く作品は、構想のスケッチと絵コンテの両方が描かれていて、冒頭部分のキャラクターが絡む場面に至る展開のタメに違いがあって、こんな具合に練られていくのかと感心しました。キャラ物の進出著しいパチンコの画面に向けたキャラクターも手がけていたようですが、今となってはすべてが夢に。それでも作品が残り、多くの人に思い出が残るマンガ家の仕事はやっぱり羨ましいと思います。


平成12年(2000年)2月のダイジェストでした。

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