第29話、シナジー幾何学とデジタローグの関係を思いオラシオンの音楽CD-ROMが今ならどう作られるか考え中国で『紅豚』のビデオCDを見てブルームバーグの明察に泣く

【平成9年(1997年)11月の巻・下】


 CD-ROM、あるいはマルチメディアと呼ばれる媒体が、もしかしたら出版や映像といった旧来からあるメディアを統合しては発展し、次世代の新しい表現を生み出すのではと期待していた時代がありました。平成6年(1994年)あたりからの数年間、CD-ROMタイトルを作り出す会社が勃興し、多彩な才能が集っては目新しいCD-ROMタイトルを出していました。


 けれども、インターネットというメディアが登場し、ウェブサイトというプラットフォームの上で文字も映像も表現できるようになり、一方で家庭用ゲームがCD-ROMを媒体に使って、そこでエンターテインメント寄りのマルチメディア表現を繰り出すようになって、CD-ROMだから最先端なんだという意識は薄れていったような気がします。


 この頃に出た「WIRED」という雑誌の中で、山名一郎がCD-ROM業界に関する記事を書いていて、シナジー幾何学とオラシオンとデジタローグとボイジャーのCD-ROM四天王を、前2者と後2者に分けて考えている点が気になったようです。粟田政憲と菊地哲栄と江並直美と萩野正昭と言い換えても良いこの4社・者は、マルチメディア・タイトル製作者連盟(AMD、現在のデジタルメディア協会)という団体の立ち上げに尽力し、日本のCD-ROM界を黎明期から支えた大立者たちです。交流もあって仲は悪くはなかったはずですが、この時期では作るタイトルに路線の違いが見えて来たようです。


 前2者はよりマスに、後2者はよりミニにマーケットを求めている。そんな違いは4社も入っていた「パブリッシャーズ・フロント」という集団に変化をもたらし、デジタローグとヴォイジャーだけになってしまいます。シナジー幾何学とデジタローグは統一レーベルを作って共同プロモーションを張っていましたが、それもすぐに終わります。


 江並直美に理由を尋ねたら、「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」と言って笑っていました。路線の違いであり、精神の違いといったところでしょうか。わたし自身はどちら側かと言われた場合、写真集が好きで本も好きだということで、デジタローグとシナジーの側に与しそうです。ただ、『GADGET』を含めたシナジー幾何学の繰り出すマルチメディアの世界も、オラシオンがハンズというコンサートを製作している親会社の強みも活かし、森高千里の『渡良瀬橋』をCD-ROM化したり、中島みゆきの活動をまとめた『なみろむ』を作ったりして、CDを超えた音楽タイトルを作ろうとしていたことにも好感を覚えていました。


 そうした4者の開いた道を荒らすように、簡便なCD-ROMタイトルが溢れて飽和状態になりかけていた所で、プロモーションの能力を付けて差を出したいと考えたのが前の2者で、クオリティーによって埋没を許させない価値を付けようとしていたのが後の2者だったのかもしれません。そうした試行錯誤の結果、シナジー幾何学は会社が潰え、オラシオンはハンズオン・エンタテインメントに吸収され、デジタローグは江並直美が病に倒れて活動を止めました。ボイジャーだけが電子出版のためのプラットフォームを作り、活動を続けています。こうした展開からCD-ROMやマルチメディアの何が凄くて、そしてどうして行き詰まったのかを、いつか考えてみたいと思っています。


 さて、そんなCD-ROMタイトルの会社がこぞって出展していた「デジタルメディアワールド」が開かれました。当時の通産省が所管するマルチメディア・コンテンツ振興協会(MMCA、現在のデジタルコンテンツ協会)が主催して開いていたイベントと、MMCAに吸収されてしまったCG協会が主催していた「ニコグラフ」、そして当時の郵政省が所管するマルチメディア・タイトル製作者連盟(AMD)が主催していた「デジタル・コンテンツ・フェスティバル」が統合されたイベントです。


 こうした統合が起こること自体が、マルチメディアの戦線縮小を現していたのかもしれません。ただ、MMCAはソフトよりもハード関係の会員が多く、ソフト会社が中心のAMDのイベントが一緒になって車の両輪が揃ったとも言えます。また、会員企業の規模や出展者数ではMMCA傘下の企業の方が圧倒的に多く、小さめのソフト会社が多かったAMDが呑み込まれているような印象もありました。


 これが現在は、コーエーを創業した襟川恵子理事長の下、総務省の所管を得て拡大を続ける現AMDのデジタルメディア協会に対し、デジタルコンテンツ協会(DCAJ)は主催していたデジタルコンテンツエキスポがInter Beeというイベント内での開催となり、独立性を薄れさせています。ハードからソフトへ、そしてネットへと移ったコンテンツの波をAMDは良く捉え、DCAJは乗り遅れたとも言えそうです。活動が続くかも懸念されるところですが、遍くコンテンツ業界の動向をまとめたデジタルコンテンツ白書だけは刊行し続けて欲しいと願います。


 「デジタルメディアワールド」では、萩野正昭と江並直美が揃ってブースの前で呼び込みをしていたようです。デジタルカメラを使っていたなかったので、当時の画像が見つからないのが残念です。さぞや輝いていたことでしょう。シナジー幾何学との関係にどこかギクシャクしたものを感じていたようですが、オラシオンのタイトルは認めていたようでした。


 オラシオンは、『なみろむ』が5万枚の出荷を達成していたようです。森高千里の『渡良瀬橋』もセガ・サターン版で5万枚くらいはけ、CD-ROM版と合わせて10万枚に達したとのこと。売れてたんですねえ。今、こうした音楽データベース的なタイトルを今作るとして、メディアはどうなるのでしょう。映像とテキストと音声がリンクしながら再生できるインターフェイスを、パッケージではなくネット上のクラウドを連携させて行えるのでしょうか。気になります。


 この頃、運輸省(当時)を担当していたことは前にも書きました。その関係で、航空機メーカーのエアバス社が中国に作った飛行機のフライトシミュレーターを見に行く取材をしました。北京で時間があったので、デパートを散策して 『紅豚』というビデオCDを見つけました。宮崎駿監督の『紅の豚』です。海賊版でしょうね。値段は60元で、当時のレートでは日本円ではだいたい1000円くらいしました。


 『六神合体ゴッドマーズ』の劇場版のビデオCDも見つけました。こちらは40元。他にも『スラムダンク』や『鉄拳チンミ』や『天空戦記シュラト』などがあったようです。今もこうした海賊版は普通にデパートに売られているのでしょうか。この時以来、中国には行っていないので分かりません。


 仕事ですので、エアバスが新しく作ったトレーニングセンターにもしっかり行きました。日本語の通訳がおらず、すべてが英語での会見という場に、英語がまるで分からない自分が言ってよく生きて帰って来られたと今になって震えます。フライトシミュレーターでは、CGで描かれるコックピットからの景色に驚きながら、離陸から着陸までをひととおり試してみました。離陸ではぐーんと背中が椅子に押しつけられる感じがして、これが本物のシミュレーターのGだと仰天しました。CGも本物そっくりで、それが飛行機の飛び方によってちゃんと動くと驚きました。動くからこそシミュレーターとして使えるのでしょうが。


 今、これだけの動きを体感させるのに、AT-ATウォーカーのようにボックスに脚が着いたような巨大なシステムは必要なのかが気になります。平成31年(2019年)3月31日で閉場した「VR ZONE Shinjuku」に置いてあったような、VRとアトラクションの組み合わせで相当なGは再現できます。VRゴーグルで再現する映像も当時よりはるかに進んだものを流せます。追いかけていないので分かりませんが、現在もパイロットの訓練は昔ながらのシミュレーターで行われているのでしょうか。


 そんな取材を終えた夜、台湾から来ていた記者がぼったくりに引っかかったようで、お金を貸してと行ってきました。翌日に尋ねると、「最初は500元と言われたのに出るときには1万5000元を請求された」ということでした。日本円でも15万円とか20万円といった高額です。北京のど真ん中、王府井にそうしたぼったくりが出ていたのか、こちらが同情に誘われただけなのか。今となっては分かりません。貸した彼、台湾で偉い人になっていないかなあ。そうしたら働かせてもらうのに。


 こちらもこちらで、部屋にボーイが突然入って来て、人がいると解ってニヤケて引き下がっていったことがあって、帰国したらトランクに鍵をかけずに残しておいた1000円札が何枚か消えていました。部屋を外していた時に抜かれたのでしょうか。その後、外国に行ってないのでこうした事件に当たることはありません。しつこいようですが、毎日が日曜日な今、積極的に外に出て苛烈な体験をして、不安を吹き飛ばすというのもありのような気がしてきました。


 ブルームバーグを率いるマイケル・ブルームバーグの自伝『メディア界に旋風を巻き起こす男 ブルームバーグ』を読んでいました。紙ではない別の仮想の「紙」、すなわちディスプレーに“印刷”される「新聞」が今後主流になると予想していたようで、その先見性に今さらながらうならされます。


 「どう伝えるかではなく何を伝えるのか、つまりはコンテンツの部分が大切なことを主張」もしていて、それに乗っていればこうした憂き目に遭うことも……とまたしても暗くなりました。こんな具合に、将来予測をいっぱいしてあるウエブ日記から、皆さんは早くに次の沃野を見つけて進んでいって欲しいと思います。乗り遅れた身からの忠告でもあります。


平成9年(1997年)11月のダイジェスト、下編でした。

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