第72話、ゲームキューブが姿を現しゲームボーイアドバンスとワンダースワンカラーが登場しSF大会にラノベ作家が大勢現れ「ひのぼりドッとネッと!」が発表される

【平成12年(2000年)8月の巻】


 「ドルフィン」が姿を現しました。イルカのことではなく「仮称ドルフィン」、すなわち任天堂の新しい家庭用ゲーム機『ニンテンドー ゲームキューブ』のことです。真四角なボディに結構な性能を詰め込んだマシンだったようですが、何億ポリゴンだのと喧伝しないところが、ゲームは重厚長大ではなく軽薄短小だと、トップが公言する会社ならではといったところでした。


 登壇した宮本茂は、自らプレゼンターとなってデモを行い、マリオを実に128人、それもちょっとずつ違うらしいマリオを円盤の上でバラバラに動かしてみせました。円盤の縁から転げ落ちたマリオを上から降って来させたり、円盤のそこかしこをつまんで作った急斜面でマリオを転がしてみせたり、円盤の中央をへこませて128人のマリオを中華鍋上の炒飯よろしく“炒めて”みせたり、円盤そのものをピザに変えてみせたり。


 見ればとてつもないグラフィックのスペックだと感じられるデモですが、そこを声高に叫ぶのではなく、見ている人の心の「おかしみ」を誘う内容に、他のハード性能優先のデモとは違って、これならいろいろと出来るかもしれないとクリエイターに感じさせる文脈がありました。こんなに出来る、ではなく何が出来そうと思わせるところが、今も続く任天堂の強みと言えるかもしれません。


 コントローラーの形状について、宮本茂は「アナログスティックは左上。もう親指は痛くなりません」とか、「Rボタン、ドリームキャストとは違いますよ」とか説明してくれました。だからこういう形になったという説得力を持たせたデモに、任天堂ならではの「正直さ」を感じさせられました。何より、ネットワーク端末とは言わず、「最高傑作のTVゲーム機」と言い切る潔さ。これなら勝てる……と思った瞬間もあったかもしれませんが、結果は芳しくなく、任天堂は『Wii』の登場までを携帯型ゲーム機で繋ぎます。『プレイステーション2』の大波はそれほどまでに凄まじかったのです。


 このゲームキューブでは、新しく登場してきた「SDメモリーカード」がアダプターを介して使えるようになっていました。コンパクトフラッシュやスマートメディアといったメモリーデバイスが並び、そこにソニーのメモリースティックも加わって混沌としていた状況でしたが、その後、SDカードは進化を遂げつつデジタルカメラなどのデファクトになっていきました。勝てた理由のゲームキューブがあったとは思いませんが、ある種の先を見る目を任天堂には感じざるを得ません。


 『ゲームボーイアドバンス』も登場してきたようです。横型にカラーの液晶が搭載されて価格は9800円と実に巧妙なプライシング。『ゲームボーイ』『ゲームボーカラー』のソフトも再生できるとあって、スピーディーなレースを楽しめたりするから、家庭用ゲームを立ち上げるより、こちらで遊ぶのを選ぶ人が出るかもと思いました。さて結果は……これも任天堂を支えはしましたが、やはり『ニンテンドーDS』が登場して巻き返すまでは、『プレイステーションポータブル』も含めた戦いが続きました。


 そんな戦いの渦中にあったバンダイが、『ワンダースワンカラー』を発表しました。単3電池1本で20時間は動き、100グラムを切る軽さのワンダースワンカラーは、コストパフォーマンスは最高でした。同時発色で最大241色というカラー性能、容量を増したVRAMといった部分も魅力的でした。値段は6800円で、ゲームボーイアドバンスより3000円安く、スクウェア(当時)からもソフト供給があってと、前途には開けたものを感じました。


 スクウェアの鈴木尚社長が、ワンダースワンカラー向けの「ファイナルファンタジー」は第1作ながらも「リメイク版」としての位置づけが高まって、昔遊んだ人でも存分に楽しめるソフトだと話したようです。この頃のスクウェアは、任天堂と何かあったのか『ゲームボーイ』ではなくワンダースワンに傾注していました。同梱版も出すほどで、この融合が進めばあるいはワンダースワンの存命もあったか。スクウェア自体にもいろいろあったので、歴史は違った方へと向かいました。今なら同サイズですべてのワンダースワンのソフトを搭載したものが出せそうな気がします。出してくれないかなあ。


 パシフィコ横浜で開かれた日本SF大会をのぞいたようです。時流だったのか、今でいうライトノベル界隈の作家たちも大勢参加していたようです。もっとも、当時のウエブ日記にはまだ「ヤングアダルト界」と書いていました。ライトノベルが“標準語”になるのはここからもう少し経ってからのこと、読本とかめった斬りとか出てからなのです。分水嶺だったとも言えます。


 参加者は故人となってしまった中里融二をはじめ、秋山瑞人、新木伸、上遠野浩平、高畑京一郎、田中哲弥、古橋秀之といった面々。そこに場内から橋本紡と川上稔が加わった総勢9人が、横一線で並んでなかなかに壮観でした。この頃はそれいしてもSFとライトノベルが交流していたのですね。ところで最近もSF大会にライトノベル作家は来られているのでしょうか。7月の大宮が気になります。


故人と秋山瑞人、引退気味の橋尾と紡を置けば皆さん、現役というか選考委員活動も含めてこの20年近く、しっかりと活躍を続けておられます。今ほどライトノベル作家の人数も、刊行点数も多くはなかったといえ、作品によって強く認知され、それに応えて活動して来たからこその今なのでしょう。


 トークで秋山瑞人は、『E.G.コンバット』のファイナルが冬だといった話をしたようですが、いつの冬のことだったのでしょうか。「それでも出るなら待ちます何時までも」とは書きましたが、こちらの命が保つかが今は心配です。古橋秀之は『タツモリ家の食卓』が3巻まで。上遠野浩平はブギーポップのシリーズが続き、川上稔は当時書いていた、そして今も一種のシリーズとなる「都市シリーズ」が続いたようです。いずれも現役のシリーズ。ここにも強靱さを感じます。


 SFといえば第1回小松左京賞が決定したようです。すでに『エンデュミオン エンデュミオン』でデビューしていた平谷美樹が『エリ・エリ』で受賞。すでに角川春樹事務所から刊行している人の受賞にどういう事情があったのか、当時聞いた気もありますがよく覚えていません。前にも書きましたが平谷美樹は今、時代小説の方で活躍しています。元よりの実力者を送り出したと言って良いでしょう。


 佳作は浦浜圭一郎の『DOMESDAY(ドームズデイ)』、努力賞には児童文学で活躍していた高橋桐矢『ストレンジ・ランド』が入賞。最終候補に『かめくん』が残っていた北野勇作は選外で残念でしたが、後に徳間書店から刊行され、第22回日本SF大賞を受賞するから世の中は分かりません。同様に選外となった後、別の版元から出てブレイクした伊藤計劃と円城塔を思わせる自体が第1回からあったのですね。


 サンライズがアニメ関連ネームドメイン提供サービス「ひのぼりドッとネッと!」というのを始めたと、ウエブ日記に記録がありました。まったく覚えていません。「amuro-ray.net」やら「giren.net」「shar-aznable.net」ってな人名シリーズ、「zgok.net」「zaku2.net」「zeong.net」「zakrello.net」と、モビルスーツにモビルアーマー絡みのドメインがよりどりみどりで、「ゼータ」からもアナハイムエレクトロニクスやら百式やらキュベレイやらが用意されていたりしたようです。


 興味のあるキャラクターが入ったメールアドレスを持てるということで、話題にはなったようですが、わたしとしてはハマーン様もセイラさんもフォウ・ムラサメも用意されてないので、強く関心は抱かなかったようです。それでも、熱烈なエルピー・プルのファンが同じドメインを取得して交流するような遊びも出来そうだとウエブ日記には書いていました。果たしてどうだったのでしょう。サービスは2006年には終了となったようです。今、そのドメインはどこにいったのでしょう。軽くは使えないものばかり。気になります。


 この頃はまだ、アートであるとか建築といったものに興味を向けては、本を読んで知識を吸収する余裕があったようでした。新海誠監督の『言の葉の庭』にも登場して、新宿あたりをメインとした東京の風景のシンボルとなった感もあるNTTドコモのタワーを自分は嫌いだと言っています。


 そして隈研吾という建築家の評論集『反オブジェクト 建築を溶かし、砕く』を持ち出して、「こういったどこか独りよがりな建築物は建築そのものがオブジェクトとして独立してしまっていて、周囲との調和とか近隣との連携なんかは考えられていなくても、1個の『作品』として立派に評価されてしまう風潮が建築界にあるらしく、隈さは本でそういった建築物を批判して、だったらどういう建築が良いのかってことを自分の作品なんかを通じて示して」いたことをウエブ日記に綴っています。


 ブルーノ・タウトが熱海の斜面に建つ家の地下室を作ったことなどを挙げつつ、世界から建築物が切断されていないことを評価していたようで、自信もだから眼前の海を視野に入れた時に一体化する、水を張ってガラスを立てた「水/ガラス」というタイトルのゲストハウスを作ったり、山頂の下からスリットへともぐって階段を登ると山頂から小さくテラスのように付きだした展望台にたどり着く「亀老山展望台」を作ったりしたそうです。


 もっとも、あれだけ突出していたNTTドコモのタワーが、今ではすっかり新宿御苑から見える風景の中に溶け込んでいたり、偉容が過ぎると言われた新宿西口の東京都庁が、周辺の摩天楼群と調和して副都心を醸し出していたりするように、建築が風景を変えることもあったりします。それでも数キロ離れた時に、都市に浮かぶ高層ビル群の異様さも浮かびますから、どこまでを調和とするかは考えた方がいいかもしれません。


 などといった難しいことを、最近は考える余裕がなくなっています。時間があれば知識はえられるのでは無く、居場所があって知識を得る余裕が生まれるのだと知りました。そのためにもどうにか居場所を得なければ。


平成12年(2000年)8月のダイジェストでした。

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