第45話、OVA『青の6号』が完成し『lain』最終回に寂しさを感じ月蝕歌劇団を見て「ほぼ日」の糸井重里を羨みコバヘンのアグレッシブさに感服

【平成10年(1998年)9月の巻】


 GONZOが制作を手がけたフルデジタルのOVA『青の6号』の第1話完成披露試写を新宿で見たようです。試写室でもホールでもなく東芝のショールームだったというのが謎ですが、原作者の小澤さとるが北海道から上京して挨拶されて、アニメ化への意気込みを感じさせてくれました。「美人と結婚して生まれたハンサムな子供」という言い方は絶賛でしょう。監督の前田真宏が「ヘンなものが出来ました」と言ったのを受け、そうではないと言いたかったようです。


 映像については、3DCGだけ抜き出して見れば立派な作品になっているのに、普段から見慣れた2Dが乗ると、すり込まれた記憶が邪魔をして、違和感が浮かんでしまったようです。今ほど馴れていなかったのでしょう。物語については、「女の子が可愛いからオッケー」だったとのこと。野上ゆかなが声をあてた紀之真弓の体にピッタリなスーツ姿に色っぽさを感じていたようです。


 男性声優では、郷田「ボトムズ」ほづみが、抑えたトーンでニヒルな二枚目を演じていたのが好感でした。そして、やはり3DCGと2Dの混ぜ合わせを乗りこえて、物語にのめりこんでいけるかが鍵といった予想をしていました。完結して、物語もそれなりにまとまり3DCGの技術も進んでいった『青の6号』を、今一度見返して現在のフル3DCGアニメーションを見比べどう思うのか。試してみたい気がします。


 平成30年11月に死去した高取英が主宰していた「月蝕歌劇団」にこの月、初めて行きました。とある事情で知り合ったスタッフの人が招待状を送ってくれたのもので、噂には聞いていた“暗黒の宝塚”に触れるチャンスと阿佐ヶ谷・ラピュタに赴きました。これがこけら落としとなった演目は、竹宮恵子のマンガが原作の『疾風のまつりごと』。ギュウギュウに詰められた場内が真っ暗となり、赤い曼珠沙華を持った女の子(古川万里)が登場し、もんぺ姿の女の子たちが花一匁を歌って踊りました。


 そして、時代を超越して生き続けるポーの一族のような制服姿の少年・喬(宇井千佳)と、スカート履いてハイソックスでおかっぱ風な髪型の妹・鳩子(一ノ瀬めぐみ)を軸にして、浮浪児たちのリーダー格として悪さをしていた少女・螢(斉藤レイ)や、転校してきた喬・鳩子に悪さをしつつも気が気でならない少年・のぼる(小沢里沙)、娘をさらって女郎屋に売り飛ばす女衒な鬼夜叉(美里流李)が登場しました。


 さまざまな時代と空間を1つの舞台上に現出させ、喬と鳩子にまつわる幾つかのエピソードが、暗転を重ねる度に代わる代わる展開されていく演出は、付いていくのに最初は苦労したようです。それでも、登場人物が解って来ると、後はいったい何が起こるのか、どこの場面になるのかを想像しつつのめり込んで見ることが出来ました。


 これ以降、幾つか月蝕の舞台を見ていくことになり、2007年には演劇の殿堂・本多劇場で行われた『花と蛇』で空中に舞う三坂知絵子を目の当たりにしました。この辺りで月蝕詣では途切れます。高取英亡き今、新たに動き始めた月蝕にやはり行くべきなのでしょう。職は決まらずともインプットは必要。それが出没家なら、ここは出かけてみるがが吉かもしれません。


 『serial experiment lain』の最終話となる「Layer.13 EGO」が放送されたのをナマで見ました。話題沸騰の作品はリアルタイムで見るという、『けものフレンズ』や『ケムリクサ』で行われたことが、20余年前にすでに起こっていたのです。もしもSNSがあったら……というのは前にも書きましたが、やはり膨大な感想と検証が繰り出されたことでしょう。


 最後の拠り所だったありすにも拒絶されたレインが、すべてを再構成して自分が存在しなかった世界が描かれます。英利政美は自殺なんかせず、天才を認めない会社に対して「やめてやるー」とブツブツ言いながら毎日会社へと通勤しています。四方田千沙も飛び降りなんかしません。岩倉家は父母娘の3人家族で玲音なんか始めからいなかった別のリアルワールドを作っています。


 これで良いのかと迷う玲音のところに舞い降りた父親を相手に、玲音は世界のイガイガから自分を守るために着ていた熊ちゃんパジャマのフードだけを取り払い、感情を露に涙を流します。「超越者なんかになりたくない、1個の自我で在り続けたい、誰かに気にし続けられたい人の、人であるが所以の弱さと強さを合わせ見る」。そんな印象をウエブ日記には書いています。


 「一種超越者としてワイヤードの空間から、『わたしはここにいるの』とささやくレインはしかし、相手があって初めて認識される客体の存在でしかない。歩道橋の上から『いつだって会えるよ』と微笑むレインは不幸せそうには見えないけれど、でもやっぱりどこかもの悲しい」。上から見下ろすのではなく、中に入って求められたいという思いでも感じたのでしょうか。そんなエンディングでした。完全なるハッピーエンドではなかったことが、後に引きずる大勢の信者を生み出し、今なお続く支持へとつながっているのかもしれません。


 小山登美夫ギャラリーで村上隆の個展が開かれていたので見に行ったようです。今も覚えている、「しかも手を挙げて」と題されるシリーズは、アシスタントを動員して削りに削った銀色のカンバスの上に沸き上がるように、あるいは増殖するようにさまざまな「DOB」が展開されていて、いわゆる「オタク」的な世界への傾倒と耽溺から決別する意識が感じられたとウエブ日記に書いています。作品としての完成度が高かったということでそう。この頃でたしか1枚が25万円程度。まとめて買っておけばと悔やむのはいつものことです。


 そんな感覚とは正反対に、村上隆はこの頃、しきりに「POP+OTAKU=PO+KU(ポック)」という新しい言葉を作り出し、広めようとしていたようでした。アニメやらコミックやらといったいわゆる「オタク」な表現を、これまで以上にアートの世界に採り入れ極めようとしていたのです。


 これについて、ウエブ日記では「『オタク』が愛してやまないアニメやらコミックが、そのままの形で欧米に出て作品として認められるのは嬉しいけれど、アニメやコミックの洗練された上澄み部分が『PO+KU』として紹介されてしまうことが、はたして『オタク』にとって本当に有り難いとこなのか」といった見解を書いています。『ギャラリー・フェイク』にも書かれたようなつまみ食い批判も、こうしたとこから来ているのですが、一方で根が純粋に「おたく」好きだという村上隆の一面も感じていましたから、判断に迷いましたし今も迷っています。


 パンフレットで「PO+KU」の代表格として挙げられていたのが、同人誌ではCHOCOが夏コミに出した「チョコレート・ジオメントリ#0002」でした。映画では庵野秀明監督の『ラヴ&ポップ』が筆頭で、どうしてこの作品がもっともっと国際的な映画祭へと持っていかれないのだと村上隆は嘆いていたようです。同感です。こうしたさまざまな「PO+KU」的事物をフラットに評価して、アートとして見ようとする思考が、後のSUPER FLATにつながっていったのでしょうか。の意味ではやはり歴史に残る展覧会だったと言えそうです。


 6月6日に「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めていた糸井重里がテレビ番組の「未来潮流」に出ていたのを見たようです。そこで語られたインターネットの素晴らしさは、例えば遠隔地の人たちが1度も会わず、ネット上の会話だけで理想のジーンズを作り上げた話にしても、遠くの人とタイムラグを置かずにコミュニケーションできるメールの良さにしても、インターネットが出始めた平成7年(1995年)辺りで語り尽くされてました。けれども、コピーライターとして著名で、3カ月で100万ものアクセスを成し遂げた糸井重里の言葉だと、説得力を持って世間に広まるのでした。この時ほど、わたしの無名さを嘆いたことはありませんでした。


 ここで糸井重里が、「インターネットというメディアにプロの自分が無償で文章を出しているんだ凄いだろう、んでもって自分のページから新しい書き手がどんどん出ているんだ偉いだろう、くらいの事を言ってもらえれば納得はしないけど理解は出来る」と思いました。それが「すでに自分は終わった人間、的な言葉をもらし新しく見つけた自由に書けるネットというメディアでフリーダム、プロもアマも等価な存在としてその筆1本で勝負しているんだよハッピー、的な事を」言っていて、そりゃないよと思ったのでした。あなたは特別な人なんですよ、だから取材も来るし読者も来るんですよ。そう書きました。


 こういう思いはこれから後、現在に至るまでずっと抱き続けています。超名人がブログで人気となり出版して大もうけ、なんて話にカリカリし続けています。こちらはどれだけ書こうと大海の水分子。何の影響力もありません。会社組織にして株式公開なんてとてもとても。そう沈んだまま今に至ります。


 とはいえ、小説投稿サイトのようなものができて、その上で筆1本、面白さオンリーで名を馳せデビューして何百万部も売る作家が出ているのを見るにつけ、また投稿した動画像や音楽で世界にデビューしていく人が現れているのを見るにつけ、ネットの平等さを改めて感じるようになっています。結局は才能であり努力。それを怠ったからこその今の状態だと納得するより他にないのでしょう。それが人生というものなのです。


 デジタル時代に颯爽と現れクールなガジェットやサービスを紹介していた「WIRED」が休刊になりました。同朋舎がマルチメディア雑誌を創刊するから社員を募集するという広告を見て、電話をかけて発表会に行ったこともありましたが、小林弘人編集長の奮闘もかなわず店を閉めることになった模様。これは残念と思いきや、すぐさまインフォバーンという会社を立ち上げ、押井守監督や爆笑問題の連載も引き継ぐカルチャー誌「サイゾー」を立ち上げた訳ですからコバヘンさん、やはりやり手だったのでしょう。


 その後も事業を広げてメディアジーンを設立してネットビジネス誌の「ビジネスインサイダージャパン」などを発信中。無職になったこともあり、一応経済記者だったので入れてとお願いしたら落ちました。20年前に「WIRED」なり「サイゾー」に参加しておけばと悔やまれますが、それだと途中で才能の無さに呆然として逃げ出していたでしょうね。やはり人生ままなりません。


平成10年(1998年)9月のダイジェストでした。

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